いのちの写真と光の言葉
無限
2012-04-28 Sat 07:01
                             
自由に生きればいいよね。
好きなように、思う存分生きればいい。
未来は無限だ。
何も執着することはない。
執着はみんな過去だ。
過去より未来の方が遙かに遙かに豊かなんだね。
それも無限の豊かさだ。
ささやかな過去に、なんで執着する必要があるんだろうね。
無限の未来に向かって、無限に自由に生きていけばいいんだよ。

宇宙は無限。
可能性も無限。
執着しなくても大丈夫。
いくらでも、どうにでもなるんだよ。
再体験したかったら、いくらでもできるよ。
無限の機会があるんだから。
なーんにも心配する必要はない。
ゆっくり、のんびり、大丈夫だ。




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更新
2012-03-24 Sat 22:33


多忙で更新する時間がありません。

久しぶりにブログを覗いてみたら、一ヶ月以上も更新していなかったとは、
自分でもちょっと驚きでした。

また時間ができたら、更新します。<(_ _)>


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愛と慈しみ
2011-10-13 Thu 03:42
                                   『木霊の森の一条の光』
木霊の森の一条の光ー05-oct_07_11
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日記『無色透明』  2008年 ”1398日目 - 愛と慈しみ” より転載。

『愛と慈しみ』

「1397日目 - 愛と慈しみ(1)」の続き。

大きなエネルギーに包まれた空間にいれば・・・
そのエネルギーを十二分に体験すれば・・・
やがて、その感覚が身につくでしょう。
愛や慈しみのエネルギーと同調すれば、自分のなかに愛や慈しみの
エネルギーが満ちます。

それを周りに振りまくことも可能でしょう。
もっとも、愛や慈しみは意識的に振りまくものではありませんが。
そういうものは、自然にあふれ出すものですね。
自分では気づかずに、周りの人が気づくものです。

それは、自分のエネルギーではありません。
自分を通して流れるものです。
それらのエネルギーは、個を超えています。
むしろ、全体と言った方がいいようなエネルギーです。

もしそういうエネルギーを周りに発したかったら、できるだけそういう
エネルギーと一緒にいることですね。
愛や慈しみのエネルギーと共にあれば、自然にそういうものが流れ
出すようになります。
そういうエネルギーと同調するということは、自分自身もそういうエネルギー
状態になるということです。
そうすると、自分のなかの通路が開くのですね。

愛や慈しみのエネルギーが流れる通路が広くなるのですよ。
自然に自分から流れ出すようになるのですね。
もっとも、個を通して流れる時は、多少色づけされますが。
こだわりや囚われが多いと、かなり歪んでしまいます。

できるだけスーッと通るといいのですが・・・
それには、素直であることですね。
常にスーッとした意識状態であることです。
そうすれば、愛や慈しみのエネルギーが、そのまま流れるでしょう。

人の意識のなかには、どうしても凝り固まっているものがあります。
信念や信条、先入観や偏見、信仰や価値観。
観念が、山のように詰まっています。
それだけではなく、心の傷もあります。

過去の記憶というフィルターを通って出てくる時、愛や慈しみのエネルギー
は、かなり色づいています。
無条件ではなくなっているのです。
条件付きの愛や慈しみになっています。
頭のなかは、障害物がいっぱいです。

頭のなかが整理され、スッキリするにつれて、愛や慈しみのエネルギーが
そのまま流れるようになります。
特定の人だけにではなく、誰にでも何にでも流れ出します。
必要とされるところに引き寄せられる感じでしょうか。
自然に流れるだけです。

その人を通して流れ出すのですね。
その人が、愛や慈しみのエネルギーを出すのではありません。
自我で出せるものではありません。
自然に流れ出すものです。

愛や慈しみの通路になれるほど、頭のなかを整理整頓することですね。
自我というよけいな蓄積物を取り除くことですよ。
自我とは、あちこちにぶつかる塊(かたまり)のようなものです。
角(かど)だらけですね。

こだわりや囚われ、執着や妄念・・・
観念やトラウマ、恨みや憎しみ・・・
プライドや自信、劣等感や優越感・・・
所有欲に支配欲、権力欲に金銭欲・・・

保身のために、ありとあらゆるものが詰まっています。
自己保存ベースは、非常に根強いものがあります。
そういうなかを愛や慈しみが通るのは、限りなく難しいことです。
凝り固まったものに跳ね返されてしまいます。

自我とは、凝り固まった意識です。
肉体をベースにした自己保存の体系です。
自己中心的な意識と、愛や慈しみは対極にあります。
全体と末端という感じでしょうか。

その末端が、小さく小さく凝り固まってしまったのですね。
まるでフリーズしたかのように。
個として、硬く固まっているのです。
それが、自我というものです。

小さなエネルギー場が、全体と離れてフリーズしたのです。
完全に断絶状態です。
だから、自我は孤独です。
潜在的に、常に恐怖と共にあります。

全体から孤立している自我にとって、真のやすらぎは遠い夢です。
だから、神や仏を求めるのです。
孤独に耐えかねて。
あるいは、真のやすらぎを求めて・・・

自我の意識の一番奥にあるのは、やはり純粋な光です。
無色透明な光が、芯にはあります。
それが、何層も何層も、いろんな色に染まっているのですね。
その挙句、一番外側は、ほとんど真っ黒でしょうか。

そんなところを、どうして愛や慈しみが通れるでしょう。
透き通った意識でないと、愛や慈しみは通れないのですよ。
スーッと素直な意識でないと・・・
塊のない、しなやかな意識でないと・・・

記憶は、ある意味、塊です。
フリーズ状態とも言えます。
ですから、記憶と一体化していると、固ーい人間になってしまいます。
記憶から離れている必要があるのですね。

記憶から離れると・・・
実は・・・
本当は・・・
私って何?

記憶喪失の人は、アイデンティティをなくしています。
自分が何者かわからなくなります。
私は誰?状態になるのです。
記憶こそが、自我のバックボーンです。

自己イメージという記憶=思い込みと一緒に生きているのが、自我人間です。
自分は、何々と思い込んでいるのですね。
実際は、心身共に刻々に変化しているのですが。
フリーズした自己イメージと共に生きているのですよ。

それは、過去の記憶と自己同一化した姿です。
フリーズした過去をアイデンティティとして生きているのが、自我人間です。
そして、その自己イメージであるアイデンティティこそが、何よりも大事なのです。
プライドを傷つけられたとか・・・

記憶と少し距離をおき、純粋な意識として生きることでしょうか。
自我人間とは、記憶と一体化した意識です。
意識が無色透明ではなく、色濃く色づいています。
もちろん、無色透明だけでは色の世界は存在できません。

いろんな色があっていいのですが、その色そのものになってしまわないことですね。
その色を楽しむことですよ。
楽しむということは、その色そのものではないということです。
色以前である必要があります。

無色透明な純粋な意識が、いろんな色をまとって楽しむのです。
それは、肉体をまとってこの世を生きるのと似ています。
肉体は、自分自身ではありません。
肉体は、それを通して何かを表現する媒体です。

記憶と自己同一化している自我は、媒体そのものになってしまっています。
肉体の存続そのものが、目的化しています。
生きて存在することも大切ですが、それ以上に大切なことがあるのではないでしょうか。
それは、創造することです。

肉体が凝り固まると、自由に動けません。
頭が凝り固まると、しなやかに表現できません。
宇宙創造が、小さな自我創造に委縮してしまいます。
それも創造には違いないのですが・・・

凝り固まった頭をなんとかしましょう。
解きほぐしましょう。
緩めましょう。
しなやかにしましょう。

自我とは、塊。
全体から分離した、小さな意識。
自己イメージにフォーカスした意識。
自己イメージをベースに生きる意識です。

その自己イメージの中身は、記憶の断片の集合体。
過去の諸々の塊です。
自我とは、記憶と心中した意識でもあります。
過去にフリーズした意識です。

純粋な意識というものは、無色透明です。
完全にフリーです。
何ものとも自己同一化していません。
ですから、名無しのゴンベェーです。

それは逆に言うと、固定化していないということでもあります。
一定の形がないのですね。
あるようでないのです。
まるで空です。

ただ意識場があるだけです。
エネルギー場。
器ですね。
肉体を始めとする、何層もの器・・・

その何層もの器のなかに、純粋な無色透明の意識が浸透しています。
器には、肉体のように個性があります。
しかし、意識は、あくまで無色透明です。
器とは、別のものです。

時に応じ、何かと一体化して現実創造をします。
時に応じ、どこかの器にフォーカスして自己表現をします。
無色透明の意識は、旅人のようなものですね。
それぞれの次元で、器を通して現実創造をしているのです。

しかし、この三次元では、どういう訳か器そのものになっています。
本来の純粋な意識を忘却しています。
肉体や自我になりきっているのです。
そのため、意識の自由をなくしています。

少し記憶から離れて、静かにしていた方がいいかもしれませんね。
そうすれば、媒体や器を超えた意識が現れるでしょう。
純粋な透き通るような意識が・・・
その時に、愛や慈しみも一緒にやって来るかもしれません。

過去の塊と共に生きる時、自分自身も固まってしまいます。
愛や慈しみからは遠く離れ、心のやすらぎは期待できません。
それらは、すべて思い込みの産物です。
思いが、凝り固まったものに過ぎません。

そういうものと自己同一化して生きれば、苦しい人生となります。
それは、硬くなって物質化した意識です。
本来の意識のしなやかさを取り戻さないと、苦しいだけの人生になってしまいます。
風に揺れるススキのような、しなやかな意識で生きないと・・・

何もない。
でも、すべてがある。
自分のものは、何もない。
でも、すべてが眼前で展開している。


『透明な 意識のなかを 様々な 色とりどりの 色が流れる』



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地球の希望
2011-04-09 Sat 07:29
                             『夜明けの太陽を見つめる人たち』
夜明けの太陽を見つめる人たちー18-aug_07_11
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日記『無色透明』 より、4月8日 ”2287日目 - 地球の希望” 転載

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『地球の希望』

東北地方では、まだ余震が続いている。
大震災は、一段落した訳ではない。
始まったばかり。
原発も危険な状態が続いている。

先日、知り合いから電話がかかってきた。
栃木から実家の埼玉に引っ越したとのこと。
栃木の家を売って、埼玉の内陸部に引っ越すつもりと話していた。
栃木では、放射能が心配らしい。

いろいろ話しているなかで、日本脱出の話題になった。
もし脱出するとすれば、ハワイ。
あそこなら安全かもしれないという結論になった。
しかし・・・

今、日本を脱出することは、敵前逃亡に等しい。
日本人が日本を捨てて、どこへ行くというのだろうか。
一人だけ安全なところへ行って、どういう意味があるのだろうか。
日本にいてこそ日本人ではないのか。

今、日本から脱出しているのは、日本滞在の外国人。
まだ彼らは帰って来ていない。
原発が安定するまでは帰って来ないつもりだろうか。
原発は、当分、安定する見込みはないのに・・・

この時期に日本を脱出することは、日本を見捨てるに等しい。
そこまでして自分だけ助かって、何の意味があるのだろうか。
いのちも大切ではある。
しかし、いのちだけ助かっても・・・

大事なものをなくしてしまったら、元も子もない。
今の時期に日本を去ることなど考えられない。
日本が未曾有の国難に遭遇している時に、日本を見捨てるなどあり得ない。
それでは、今生生まれてきた意味がない。

今ここでやるべきことをやる。
それが、今回生まれてきた意味。
今こそが、その時。
今が、人生のクライマックス。

今、日本人の行くべき道を指し示すことが、世界を救うことにつながる。
日本は、最初に困難に直面する。
それを乗り越えて、次は世界中を救いに出かける。
日本の和の心が、世界を救う。

今、日本人が目覚めなければ、人類の未来はない。
日本から光は射す。
日本は、日出ずる国。
日本が世界を救う。

そのためには、まず日本人が本来の自分自身に目覚める必要がある。
物質オンリーから、もっと大切なものに気づく必要がある。
霊性を備えた人になる必要がある。
それでこそ世界を救える。

地球が再生するためには、まだまだ時間がかかる。
今、日本から始まったばかり。
まだ日本の困難は、続く。
日本が困難を克服して、それから世界の困難が始まる。

世界の混乱は、日本以上の悲惨さを極める可能性がある。
その時に、困難から甦った日本人が世界に飛び出す。
世界に新しい秩序をもたらす。
自己中心的ではない新しい地球を創り出す。

そういうロングスパンで状況を見守ることだろうか。
新しい地球のためのプロセス。
地球再生プログラム。
そのために最も必要なことは、一人一人が思考のレベルから飛翔すること。

頭で考えることからシフトすること。
頭だけに頼らない。
もっと深いものをベースにして生きる。
トータルに生きる。

頭とは、思考。
思考とは、過去のデーターの組み合わせ。
それは、閃きに劣る。
直観には及ばない。

そういうものは、人格を超えたところからやって来る。
松果体や脳下垂体に直接届く。
大脳皮質ではない。
大脳皮質は、それらのものをこの世的に翻訳するところ。

体のバランスを取るためには、小脳も必要。
頭のいろんな部分には、それぞれ役割がある。
しかし、今は大脳皮質が中心的役割を担っている。
それが、思考=人格=自我となっている。

その部分に変革を起こす必要がある。
もっとトータルに頭脳を使う。
もっと頭脳の深い部分を活用する。
それが、人類の深化につながる。

それには、見守ること。
頭で考えながらも、見守り続けること。
頭で考えることをやめて、ただ見守ること。
静かに見守ること。

目先や顔面に意識を持ってこない。
もっと奥に意識を引く。
後頭部の方から、物事を眺める。
大局を見渡す感じだろうか。

そういう視点を持ちながら生きる。
それは、自己中心的な生き方からの離脱。
自己中心的に生きている時は、目先や顔面に意識がきている。
それでは、全体が見えない。

もっと意識を引いて全体を見渡す。
そうすれば、パニックになることもない。
慌てることも焦ることもない。
慌てたり焦ったりするのは、自我。

自己保存が働くと、とたんに全体が見えなくなる。
目先のことしか見えなくなる。
そして、慌てたり焦ったりする。
もっと大きな流れと共に生きることだろうか。

日本は、まだまだ困難な時期が続く。
しかし、その先には、希望がある。
だから、何も心配はいらない。
今最も大切なことは、内なる光と共にあること。

自分の光を輝かせること。
それが、今の時期に最も必要なこと。
そして、最も役に立つこと。
自分のためにも周りのためにも。

一人一人が光り輝くことが、地球人類を救う。
地球の新しい時代を開く。
困難は、光を磨くためにのみ存在する。
内なる光をより輝かせるためにのみ困難はある。


『日本から 光は出流(いず)る 日本こそ 地球の希望 地球の未来』

『困難は 内なる光 磨く時 時代と共に 光いや増す』


これが日記を書き始めて2287日目の心境。
 

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ライトブルー
2011-02-06 Sun 15:53
                                     『太陽の下のジェット』
太陽の下のジェットー17-dec_07_11
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『ライトブルー』

ライトブルーは、空の青であり海の青。
スカイブルーとマリンブルー。
スカイブルーは、ラリマーだろうか。
マリンブルーは、アクアマリン。

ライトブルーこそが、水瓶座の色。
これからの時代の色。
濃くもなく、薄くもない。
クリアーなブルー。

その意味するところは、友愛と平和。
フレンドリーな人間関係。
魚座のような腐れ縁はない。
軽やかで、さわやかな人間関係。

後を引きずらない。
過去に囚われず、未来を恐れない。
今ここに意識はフォーカスされる。
今、刻々を生きるようになる。

魚座の時代は、過去の記憶という重荷を背負って生きていた。
記憶ベースで人生を過ごした。
今ここではなかった。
意識は、常に記憶と共にあった。

過去を背負えば、重くなる。
自由に身動きができなくなる。
シガラミに縛られ、意識の自由はなくなる。
過去こそが、自分の拠って立つ基盤だった。

自分とは、過去の集大成。
記憶こそが、自分。
記憶をベースに創り上げた自分というイメージが、自分の行動を決定づけた。
「私」こそが、世界の中心だった。

あらゆる行動のベースには、「私」があった。
「私」にとってプラスかマイナスかが、重要なポイントだった。
「私」の利害が絡むと、クリアーな思考は疎外される。
私利私欲が、人生の推進力だった。

そういう重たい時代が、終わった。
時代の流れは、ライトブルー。
ライトには、軽いという意味もある。
明るいという意味もある。

光という意味もある。
軽くて明るい光の時代。
さわやかで、すっきりした時代。
そういう時代が、これから展開する。

意識はクリアーに、軽やかになっていく。
「私」の意識は、希薄になる。
透明な意識の時代になっていく。
自我を超えた意識の時代になっていく。

今ここを、クリアーに、さわやかに生きていく。
軽く、明るく、光と共に。
空のように、海のように。
ライトブルーにアクエリアスの時代を生きる。         


    ☆ぴあのより私信
    遠くヨルダンよりメールフォームにメッセージをくださったHYさま、
    大変うれしく読ませていただきました。
    ありがとうございました。 


      
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嫌いとは・・・
2011-01-07 Fri 09:05
                                         『巨杉の迫力』
巨杉の迫力ー22-july_08_10
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『嫌いとは・・・』         

次のような質問がありました。

「屋久島は二度旅行で行ったことがありますが、とても素晴らしかったです。
都会に住んでる私には、日記で読むkimiさんの生活はなんだか夢のようです。
今のkimiさんには、嫌いな人がいたりとか、怒ったりとか悲しんだりとか、
そういう気持ちになる事はもうないんですか??

どうしても嫌いな人(苦手な人)が自分の人生に現れたら、どうすればいいですか?
同じ職場なので、どうしても関わるしかありません。
その人は、他人を徹底的にコントロールしたがります。

何か言われたりされたりしても、こちら側が反応せず冷静に受け止めれば
よいのでしょうが、たとえば常識的に考えて『バカ』などのように、冷静に考えて
たとしても反応ではなく明らかに傷つく言葉や態度は存在すると思います。
そういう事には、どういうふうに取り組めばよいのか教えてもらえませんか?

そもそも、嫌いな人や苦手な人が現れるというのは、どういうことを意味して
るんでしょうか。」


このようなことで悩んでいる方は、少なくないでしょう。
多くのところで見聞きすることです。
今の人間にとっては、日常的な出来事ですね。
これが、今の人類の一般的な意識レベルでしょう。

そもそも、嫌いな人や苦手な人が現れるというのは、どういうことを意味して
いるのでしょうか。
好き嫌いは、個人差があります。
ですから、客観的な基準ではありません。
個人的な嗜好です。

それは、食べものの好き嫌いと変わりません。
ファッションや動物の好き嫌いとも変わりません。
まったく個人的なことです。
同じものを見聞きしても、反応は人それぞれです。

嫌いとか苦手というのは、どういうことでしょうか。
それは、自分のペースと合わないということでしょうか。
それとも、自分の思うとおりに動いてくれないということでしょうか。
あるいは、自分の弱みをストレートに言われるということでしょうか。

いずれにしても、自分にとっては都合の悪い人です。
居心地がよくないのですね。
できれば、避けたいのです。
一緒にいたくないのです。

でも、職場や家族や同じクラスなど、どうしても避けられないこともあります。
そういう場合は、どうしたらいいのでしょうか。
じっとガマン?
それとも、戦う?

あるいは、じっと踏みとどまって自分の反応を見つめる?
なぜその人が嫌いだったり、苦手だったりするのか・・・
それは、その人のせい?
それとも、自分のせい?

老若男女すべての人が嫌いなわけではないので、相手のせいとは言えません。
では、自分のせい?
答は?
そのとおり!

自分が、嫌いであり苦手なだけです。
それは、自分の傾向です。
自分の嗜好です。
またの名を、自我とも言います。

自分にとって都合の悪い人は、なぜ嫌いなのでしょうか。
別に嫌いになる必要はありません。
でも、嫌いになる場合がほとんどです。
そのわけは・・・

その人の存在を認めたくないということでしょうか。
あるいは、無視しようとしているのでしょうか。
それとも、否定しているのでしょうか。
相手を否定することによって、自分を守っているのでしょうか。

嫌いというのは、傷ついた自分を守る行為かもしれませんね。
好きな人がこちらを振り向いてくれないと、嫌いになります。
本当は好きなのに、嫌いになってしまうのです。
可愛さ余って憎さ百倍!

愛憎の愛なのですね。
愛と憎しみは、裏表。
いずれも所有です。
自分のものにしたいという・・・

自分のものにできれば、好き。
自分のものにできなければ、嫌い。
自分の思うとおりになれば、好き。
自分の思うとおりにならなければ、嫌い。

自分勝手な自我そのものです。
自分のものにして安定したいのですね。
それは、自己保存です。
自己中心的ということです。

別にそれが悪いと言っているわけではありません。
ただ、それが紛れもない事実であるということです。
それをありのまま認めることでしょうか。
好き嫌いではなく、事実と共に生きることです。

好きや嫌いは、変化します。
ちょっとしたきっかけで、大好きになったり、大嫌いになったりします。
そういうものに振り回されないことです。
自分の嗜好のパターンを理解することです。

コントロールしたがる人が嫌いなのは、自分がコントロールされたくないから
でしょう。
でも、本当は自分がコントロールしたいのかもしれません。
コントロールとは、自分の思うとおりにしたいということです。
別の言葉で言えば、支配です。

支配とは、所有です。
コントロールゲームとは、支配や所有をめぐる争いです。
それは、人類が延々とやってきたことです。
それを、これからも続けるつもりでしょうか。

それを続けている限り、アセンションは夢のままでしょう。
いい加減、そういうものから離れることですね。
「バカ」と言われて反応するのは、自分も同じ次元に住んでいるからです。
別の次元にいれば、いちいち反応はしません。

幼児が「バカ」と言っても、相手にしないでしょう。
アルツハイマーの人に「バカ」と言われて、本気で怒る人はいないでしょう。
幼児やアルツハイマーの人に対して本気で怒ったら、怒る人の人格が疑わ
れます。
要は、相手と同じ次元にいるかどうかということです。

自分を磔にして槍で刺そうとした兵士たちに向かって、イエスは言いました。
「この者たちは、自分が何をしているのかがわかっていないのです。」
そういう者たちを、イエス・キリストが憎んだり怒ったりすると思いますか。
でも・・・

普通の人は、相手に対して怒ったり憎んだりするでしょう。
それは、相手と同じ次元で生きているからです。
怒りや憎しみや恨みや悲しみの次元ですね。
つまり、支配や所有の次元です。

そういう次元で生きれば、同じように反応するだけです。
そして、お互いに相手が悪いと罵(ののし)り合うことになります。
別にどちらが悪いわけでもありません。
同じコップのなかで、お互いに支配したがっているだけのことです。

傷つくということも、個人差があります。
それは、客観的なことではありません。
些細なことで傷つく人もいれば、あまり傷つかない人もいます。
それは、個人のパターンに過ぎません。

別に傷つく必要はないのです。
勝手に傷ついているだけです。
自動的に傷つくパターンに陥っているのです。
気づかないままに、同じパターンを繰り返しているのですよ。

傷つくとは、ショックです。
想定外のことが起きたということですね。
でも、それは自分が何かを想定していたということでもあります。
思い込みが、裏切られたのです。

「バカ」と言われて傷つくのは、自分をバカとは思っていなかったからでしょう。
逆に立派と思っていたのかもしれません。
あるいは、なにがしかの誇りを持っていたのかもしれません。
もしくは、プライドがあったのでしょうか。

そういうものを否定されると、傷つくのですね。
それは、自分の思い込みが否定されたからです。
想定外のことにショックを受けたのです。
そして、自分を守るために相手を嫌いになるのです。

すべて自分を守ろうとしているだけです。
それは、自己保存の本能とも言えます。
ですから、別にそれを否定する必要はありません。
でも・・・

それに振り回される必要もないのですよ。
そういう次元で自分を守らなくても、見守るという次元もあるのですね。
イエス・キリストは、自分を殺そうとした兵士たちと争ったりはしませんでした。
支配や所有の次元には生きていなかったのですね。

そういう次元でもがいている彼らを理解していたのです。
だから、憎むことも恨むこともなかったのです。
ただ無知である彼らを憐れんだだけです。
無知とは、自分自身を知らないということです。

自分の意識構造を理解することでしょうか。
どうして反応するのかを深く突き詰めて見つめることですね。
反応を絶対視しないことです。
反応の根っこを見極めることですよ。

都会にいても田舎にいても、変わりませんよ。
屋久島に住んでいても、ノイローゼーになる人はいます。
病人は、後を絶ちません。
人がいるところは、どこも同じです。

場所ではないのですね。
意識の問題です。
どこにいても同じです。
自分の意識が変わらない限りは・・・

自分自身を理解することです。
それが、自然に相手の理解に繋がります。
自分と相手は、似たような意識構造です。
ただバリエーションが違うだけです。

自我とは、自己の安全を求める意識です。
それ故、支配や所有に走ります。
それは、肉体の本能に基づいています。
本能と思考のドッキングです。

それは、極めて根強いものです。
それを超えるには・・・
否定するのではなく、理解することです。
自分自身を理解することです。

理解が深まれば、自然にそういうものに振り回されなくなります。
まだまだ自分の意識構造がわかっていないということです。
だから、自分自身のパターンに振り回されているのですよ。
問題は、相手ではないのです。

自分自身を知らないということです。
どうしてそのように反応するのかがわかっていないのですね。
自分のことを自分が知らないということですよ
それが、今の人類にとっての最大の課題なのです。

自分自身への理解が深まれば、そういうなかでいかに生きるかが自然に
見えてくるでしょう。
相手に振り回されないことですね。
自分の反応にも振り回されないことですよ。
双方を理解して生きるということです。

双方を理解するというスタンスは、自我を超えています。
自我とは、自分だけの一方的なスタンスです。
そういう次元を超えることですね。
自分さえよければいいという次元を超えることですよ。

自他共に生きる次元へシフトすることです。
みんなと一緒に生きる次元ですね。
すべての人を生かす次元。
理解の次元です。

アセンションとは、そういうことです。
意識のシフトです。
一方的な自我の次元から、すべてを生かす次元へのシフト。
それには、自我ベースを超える必要があります。

そのスタートは、自分自身を理解することです。
隗(かい)より始めよ!
遠回りのようですが、それが一番の近道です。
自分自身のなかに、すべてがあるのですから。           

      
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あるがまま
2010-11-30 Tue 00:21
                                        『苔の上の紅葉』
苔の上の紅葉ー29-j_10
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   『とりどりの 落ち葉の色の うつくしさ』


『あるがまま』

『あるがまま』というのは、自我我欲そのままの『ありのまま』とは違う。
それも現実には違いないが、それとは違う『あるがまま』がある。
それは思考や記憶の層よりも深く静かになっていく時に現われてくる。
それは生まれてから今日までの条件づけが一切ない意識の状態である。
静かに静かになっていく時、ただそのままの状態で安らぎが溢れてくる
ところがある。
そこには自他の区別のない愛が存在している。

『あるがまま』は、そのままで一切不足がない。
溢れるような愛が全てを包んでいる。
そこにある時、見栄や外聞や欲望などは全くなく、ただそのままで満たされ
ている。

人はどの深さで生きているだろうか?
波立つ表面で生きているだろうか?
それとも深い湖底の静謐の中で生きているだろうか?
『あるがまま』は湖底の静謐、『ありのまま』は波立つ湖面。
『あるがまま』 が 『ありのまま』になる時、湖底の静謐が湖面に浮かび上が
る時、条件づけられ断片化された喧騒の生から、全体とつながった静かさの
生に変わるだろうか。

日常的に、その『あるがまま』で生きることが、何の無理もない安らぎに満ちた
自然な生き方のように思われる。
           
                          >>K-Communication より

      
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赤面恐怖-2
2010-11-09 Tue 23:03
                                             『雲登る』
雲登るーcloud-6_10
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『赤面恐怖-2』       

昨夜、先日の赤面恐怖の人から、また電話があった。
イメージングが2~3分しか続かないとのこと。
白い顔や青い顔をイメージしてみるのだが、すぐに赤い顔に戻ってしまうらしい。
イメージする時に、言葉をプラスしてもいいかという問い合わせだった。

言霊から、いろんな話になり、1~2時間も話しただろうか。
最終的には、ブログ日記を読んでみるということで終わった。
しかし・・・

赤面恐怖のまま、普通に外に出るように話す。
そうすると、自分の顔を見て笑う人がいるとのこと。
笑いたい人には笑わせておけば?
それは・・・

自宅にいる時も顔が赤いらしい。
別に血圧は高くないとのこと。
どうも赤面恐怖が日常化し、常に頭に気が上っている状態のようだ。
体は動かしているの?
ほとんど動かしていません。

外に出てジョギングでもしたら?
みんなに見られるので、とてもそんなことはできません。
では、覆面でもしてやったら?
そんなことをしたら怪しい人と思われてしまいます。
まだ赤い顔の方がましですよ。
それなら赤い顔のままでジョギングしたら?
そんなこと・・・

では、メキシコのプロレスラーのようにギンギラギンの覆面でもしたら?
町中のウワサになりますよ。
別にいいじゃない。
よくないですよ。

では、覆面はやめて、ありのままの自分で生きたら?
それができないんですよ。
赤い顔は事実なんだから、事実と共に生きたら?
それは辛すぎます。

別に赤い顔でも何も問題はないよ。
そうですか。
どこに問題があるの?
ヘンですよ。
みんなそれぞれでしょう。
そんな人はいませんよ。
黄疸の人は黄色いし、貧血の人は青いよ。
でも、こんなに赤い人は・・・

自分の赤い顔にばかり意識がいって、他のことに意識が回らない。
四六時中考えているのは、赤面恐怖のことだけ。
これでは赤面恐怖を24時間強化し続けているようなもの。
意識がそこから離れない限り、良くなることはない。

赤面恐怖のまま外に出るしかないよ。
赤面恐怖が良くなったら外に出るつもりです。
赤面恐怖を意識している間は、赤面恐怖は良くならないよ。
そう言われても・・・

赤面恐怖に対する特別な意識を外すしかない。
それには、赤面恐怖のまま外に出ること。
赤面恐怖を日常的な普通のことにする。
普通のことになれば、特別に意識することもなくなる。

最初は勇気がいるだろう。
決断力がいるかもしれない。
しかし、赤面恐怖を恐れて自宅に引き籠もっていても、良くなることは望めない。
事実ベースで生きると決めることなのだが・・・

周りから良く見られたい。
悪く見られたくないという意識がある間は、事実と共に生きれない。
居直るしかない。
それが今の自分。
それが今のすべて。

今のありのままの事実から始めるしかない。
赤面恐怖が良くなったらという仮定の話からは何も生まれない。
事実ベース。
ありのままベース。
見栄や外聞や世間体に負けないだけの自分自身へのグランディングが必要となる。

これまでの意識をブレイクスルーすることができるだろうか。
これまでの習慣と化した生き方を変えることができるだろうか。
真剣に変えたいのならば、勇気を出して、そのまま外に出るしかない。
事実ベースで生きるしかない。

赤面恐怖に限らず、顔に大きなヤケドの後があるとか、目立つようなアザがあるとか、
傷が残っているとか・・・
いろんな人がいる。
みんながみんな家に引き籠もっている訳ではない。

サリドマイドで両手が短い人も屋久島へ来て楽しんでいる。
片足がない人も、両足がない人もいる。
心身にハンディのある人は、いくらでもいる。
自分だけが特別ではない。
勇気を出して、外に出るしかない。
事実ベースで生きるしかない。

赤面恐怖というのは、事実ベースではない。
人前で、また赤くなったらどうしよう?
周りの人は何と思うだろうか。
その思いが過度に増幅された結果が、赤面恐怖。
思いベース。
思い込みがつくり出す幻の世界。

恐れれば恐れるほど、赤面恐怖が意識される。
赤面恐怖が意識されるたびに、赤面恐怖が強化される。
赤面恐怖を恐れることは、赤面恐怖を更に強固なものにする結果となる。

元々、恐れというのは、身を守るためのもの。
ところが、過度の恐れは、逆の結果となる。
恐れのあまり身動きが取れなくなれば、「ヘビに見込まれたカエル」状態になってしまう。

恐れて逃げれば逃げるほど、恐れは強くなる。
逃げている限り、恐れから解放されることはない。
恐れから自由になる唯一の方法は、恐れに直面すること。
逃げないこと。

恐れに負けないで、恐れに立ち向かう。
そうすれば、恐れに直面した瞬間、恐れは消える。
なぜなら、恐れとは、現実から逃げることから生じるものだから。

逃げなければ、恐れはない。
原初的な肉体的な恐れはある。
それは自分の身を守るために必要なもの。
安全のためのセーフティーガード。

身の危険を感じて、その場から立ち去る。
恐怖は自分を守ってくれる。
そこまでは何ら問題はない。
ところが・・・

危険が去った後も、また思い出して怖がる。
またあのような事態にならないだろうか。
今度そうなったらどうしよう?
それも冷静に検討するのであれば、問題はない。
まだ恐怖に負けてはいない。

しかし、過度に恐怖に意識がフォーカスすると、必要以上の恐怖をつくり
出してしまう。
ありもしないことを恐れる。
取り越し苦労の世界にはまってしまう。

冷静に検討している間は、事実ベース。
しかし、恐怖に呑み込まれ、自分を見失うと、思い込みベースとなる。
周りが見えなくなり、客観的に見ることができない。
精神的視野狭窄状態。

意識が恐怖にばかり囚われ、どんどん萎縮して身動きが取れなくなる。
冷静さが消失する。
恐怖にばかり意識が向く。

人生に安全確実を求め過ぎても、恐怖が生じる。
潔癖性などは、その辺りに原因がある。
人生に安全確実なものなどない。
一寸先は闇。
先のことは何もわからない。

予言者や占い師に聞いても、それが現実となるまでは確認できない。
結局、安全確実なものなど、どこを探しても見つかりはしない。
手探りで注意深く生きていくしかない。

安易に安全確実を求めると、新興宗教の餌食となる。
楽に金儲けができるという宣伝文句は、詐欺師の常套手段。
簡単にセレブと出会えますというのは、最新の騙しのテクニック。

不注意であれば、転んだりケガをしたりする。
イージーに楽をして生きようとすれば、たいていは大ケガをする。
そんな浅はかな生き方をしている限り、心のやすらぎは遠い。
真剣に注意深く生きるしかない。

一気に変われと言うことには、無理があるのかもしれない。
なにしろ20年間の生活習慣なのだから。
しかし、その習慣を続けていても、光は見えない。
いつか、どこかで決断するしかない。
事実ベースに舵を切るしかない。

彼が今の生活を続けても、別に責めるつもりはない。
人それぞれ。
変わるタイミングというものがある。
縁にふれても、花が開くには時間がかかることもある。

これから彼がどのように生きていくか、それは彼の人生。
こちらがとやかく言うことはできない。
アドバイスを求められれば、事実ベースで生きるように話すだろう。
でも、決めるのは彼自身。
こちらは何もできない。
ただ見守ること以外は・・・


『恐れとは 事実を避けて 逃げまくる 心がつくる 幻のもの』

『逃げている 限りは続く 恐怖感 逃げれば更に 強くなるだけ』

『恐れれば 恐れるほどに 意識され 恐れることを 招く事態に』

『身を守る ことから恐れ 派生する 恐れ過ぎては 身を守れない』

『逃げないで 恐れと直に 直面し 中に入れば 恐れは消える』

『恐れてる 事実と共に 注意して 進むしかない 勇気を出して』

『安全を 求め過ぎれば 動けない 危険と共に 生きるしかない』

『注意して 進むしかない 人生は 安全確実 そんなものない』

『より深い 意識の奥に フォーカスを 当てれば人生 安全になる』
             
              >>日記 無色透明 『555日目 - 赤面恐怖-2』 より

      
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赤面恐怖
2010-11-04 Thu 10:50
                                          『雲が湧く谷』
雲が湧く谷ーcloud-5_10
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『赤面恐怖』 のテーマで連載します。
十人いれば十人、百人いれば百人・・・人の数だけのその人の「恐怖」が
あると思います。
でも、その根にあるものは同じではないでしょうか。
「恐れ」 の実態とは何でしょうか。
この日記が、読まれる方それぞれの内にある「恐怖」の解放に、お役に
たてば幸いです。      ぴあの



『赤面恐怖』       

朝、知らない人から電話があった。
42歳の男性。
赤面恐怖で20年ほど苦しんでいるらしい。
光を送って治してほしいというもの。

もう光を送ったりはしていないと言う。
それでも、簡単には電話を切ってくれなかった。
これまで、ありとあらゆる方法を試してみたらしい。
しかし、効果はなく、仕事を首になり、毎月3~4万円の母親からの仕送りで
暮らしているとか。

外に出かける時は、精神安定剤を多めに飲む。
そうすると、赤面はしても、それほど不安や恐怖は感じなくなる。
頭がボーッとして、思考回路が麻痺するようだ。
出かけるのは必要最小限。
ほとんど自宅に引き籠もっている状態。

薬をやめると、反応が出て耐えられないとか。
不安と恐怖から全身が震えだし、居ても立ってもいられなくなる。
薬は手放せない。
仕事はできない。
何をやっても効果はない。
どうにも行き詰まって、最後の切り札を求めて電話してきたようだ。

光がダメなら、何か良い訓練法はないかと聞かれる。
訓練は努力。
努力は緊張を強いる。
ただでさえ緊張している人が、更なる緊張によって良くなるとは思えない。
実際、あらゆる努力は水泡に帰している。

すべてを諦め、赤面恐怖と一緒にいたらと話す。
しかし、それは耐えられないと拒絶された。
なんとか治したい。
その一心・・・

治したいと思えば、苦しくなる。
自分で自分を治そうとすれば、無限地獄へ堕ちる。
なぜなら、治そうとする自分こそが、治す必要のある自分。
この絶対矛盾に気づいていない。
自分で自分を変えようとすれば、ただ苦しくなるだけ。
結局、何も変わらない。

それなら、光の入れ方を教えてほしいと言われる。
教えてと言われても・・・
電話で話して、右から左に光が入れられるようになるのなら苦労はない。
それでは、どうして光を入れられるようになったのかと聞かれる。
いろんなセミナーをやっているうちに自然と・・・

イメージを使ってやっているうちに、なんとなく光を流すことができるようになった。
と話したところで、
では、イメージを使って楽しんでみたらということになる。
赤面恐怖が完治し、自分のやりたいことをやって楽しんでいるところをイメージする。
そのイメージを心から楽しむ。

以前にも何回かイメージ療法をやったらしい。
ボールを見つめたり、絵を描いたりしながら・・・
ユニークなのは、暗いイメージばかりを描くセラピーがあったらしい。
苦しいイメージばかり描いていると、最後にはイメージの中で死んでしまう。
その後に新しく再生する。
ところが・・・

彼もやってみたが、死ぬところまではうまくいった。
しかし、再生はしなかった。
イメージの中で自殺しただけに終わった。

イメージの中で楽しむことだと話す。
楽しんで、感謝して、完了させる。
そういうのはやったことがないらしい。
やれば、すぐに効果があるかと聞く。
効果がないと思っていれば、効果はない。

結果を求めないで、楽しむこと。
楽しめば、結果は後から付いてくる。
それは何にでも応用できるかと聞かれる。
結婚とか仕事とか・・・
もちろん、何にでも応用できる。

それでも、まだ不安らしい。
本はないのかと聞かれる。
本はない。
ブログ日記なら書いている。
それでは、それをプリントして送ってほしい。
プリント?

全部プリントしたら何日かかるだろう?
想像するだにゾッとする。
自分で見てほしいと言う。
パソコンがないらしい。
ネットカフェにでも行って見てもらうしかない。

読めばすぐに良くなるかと問われる。
真面目に読めば、赤面恐怖は兎も角、人生は変わるだろう。
しつこく秘伝が書かれているかと尋ねられる。
秘伝はどうかわからないけれども、読めばわかるようには書かれている。

それでも諦めきれない彼は、遠隔で特別な光を送ってもらうことはできないかと聞く。
それはやっていない!
そこをなんとか。
そんなに光にこだわるのなら、既に光は流れている。

この電話で、先程からいくらでも光は流れている。

それなら、あなたの写真を飾っておけば、そこから光が流れてくるか。
こちらは教祖様ではない!
それなら、何かブレスレットとか、それを使えば特別な効果があるものはないか。
ない!

どうしてそんなに他力本願なの?
どうしても救われたい!

即座に赤面恐怖が治る方法はないか。
即座に赤面恐怖が治ることがあると思っているの?
思っていない。
そうなら、即座に治ることはあり得ない!

毎日鏡を見ることは効果があるか。
どういう意味?
今日も顔が赤い、まだ白くなっていないと確認している。
それでは一生治らないだろう。

毎日赤い顔を確認して、赤面恐怖を強化しているようなもの。
・・・
人は、未知のものより、苦しくても既知のものに安住の地を求める傾向がある。

赤面恐怖とは、基本的に自意識過剰。
自分の良いところを見せたい。
悪いところは見せたくない。
人から良く思われたい。
けっして悪くは思われたくない。

ありのままの自分を生きようとはしていない。
あるべき自分を生きようとしている。
無理をして苦しんでいるだけ。
その根っ子にあるのは、自己保存。

良く思われて安定したい。
悪く思われることを恐れ、小さくなって生きる。
恐怖で極端にエネルギーが萎縮すれば、身動きが取れなくなる。
その極端な例が、赤面恐怖。

誰にでも、同じ根っ子がある。
それが表面化するかしないかの違い。
極端にそれだけに意識がフォーカスされると、病的な恐怖となる。
根本的治療は、その辺りを深く理解すること。
せっかく赤面恐怖になったのだから、そこまで理解すればいい。
そうすれば、赤面恐怖になった甲斐があるというもの。
そこまでいかなければ、赤面恐怖を活かしたことにはならない。

結局、1時間以上も電話で話した。
最終的には、イメージを楽しんでみることと、ブログ日記を読んでみることに落ち
着いた。
そして、何かあったら、また電話してもいいかと・・・

42歳、本厄。
一気に厄が出尽くして、変身できるだろうか。
可能性がないわけではない。
タイミングと、本人の覚悟しだい。

彼を紹介したのは、東京で治療院をやっている古い知り合い。
どうせ紹介するなら、若い女性にしてほしかった。
若い女性なら光を送るの?
送らない!
なーんだ。
その代わり、手取り足取り・・・
危ない!

こんなことを書くと、またブーイングを浴びそう。
でも、これは本当のこと。
身近でこまやかに注意していないと、すぐに過去のパターンに戻ろうとする。

20年間のエネルギー場ができてしまっているので、なかなか一気に変わるのは
難しい。
毎日毎日、こちらの日記を真剣に読んでくれたら、変わるかもしれない。
別のエネルギーを入れ続けるしかない。
変身させるだけの光が必要なのだ。

昨日のホームワークを見ながら、これではまるでネットワークショップだなと思った。
ネット上であれば、無料。
ネットは無料が常識化しつつある。
それはそれですばらしい。

いろんな情報がある。
活用できれば、かなりの気づきが得られる。
新しい時代は、基本的に無料という方向へ流れている。
何かを与えることで利益を得るという時代は、終焉に向かっている。

ネットを活用し、古い感覚、感情、思考を超えていく。
過去の「私」を超え、新しい生き方を始める。
そういう転換点に来ている。

この日記を読み、真に理解するには、かなりの緻密なエネルギーを要する。
持続するには相当のエネルギーがいる。
しかし、読み続ければ、変わる。
なぜなら、この日記は地上のエネルギーだけでは書かれていないから。
明らかに別の次元のエネルギーが流れ込んでいる。

別にチャネリングしている訳ではない。
しかし、書きながら新しい気づきが次々と起きる。
明らかにどこからかエネルギーが流れてきている。
新しい時代を切り開くエネルギーが・・・


『周りから 良く思われて 得したい 無理が重なり 自分を壊す』

『治そうと 思う自分は 治すべき 自分自身と 気づいていない』

『治そうと 努力するほど 治らない 努力している 自分は同じ』

『ありのまま 事実のままに 生きる時 人は素直に 楽に生きれる』
              
                 >>日記 無色透明 『553日目 - 赤面恐怖』 より

      
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心配 - 2
2010-10-08 Fri 11:03
                                        『木霊の森の緑』
木霊の森の緑ー14-sep_10
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
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『心配 - 2』       

心配とは、我が儘。
自分の望まない現実が起きることを恐れる心。
逆に言えば、自分の望む通りになってほしい心。
それ以外は認めない心。

人のことを心配する?
実は・・・
自分のことを心配しているだけ。
自分にとって都合の悪いことを避けたいだけ。

心配とは、エゴ。
エゴが、嫌な現実から逃げているだけ。
思いやりという美名の下、自分の思うようにしたいだけ。
望まない現実を拒絶しているだけ。

心配とは、事実を認めたくない心。
現実を思うようにコントロールしたい心。
自分の砦が崩れることを拒んでいるだけ。
しっかり自分の中に囲い込んでいたいだけ。

事実ベースで生きれば、心配はない。
ただ事実と共に生きるだけ。
どのような事実であれ、黙って受け入れる。
事実に即して生きるだけ。

心配は、事実を受け入れない。
自分の望まない現実を拒否する。
だから、心配する。
現実を望むように支配したいから・・・

どんな事実であれ、事実と共に生きる。
どんな現実であれ、そのまま直視する。
そうやって生きるしかない。
他に真実の道はない。

心配には、宇宙への信頼が欠如している。
小さな自我で、善し悪しを判断している。
自分のこれまでの経験に照らして決めつけている。
自分の価値観で、受け入れるかどうかを選択している。

全面的に受け入れようとはしない。
自分にとって都合の良いものだけを受け入れようとする。
都合の悪いものは拒絶する。
それこそが心配=自我の本質。

心配とは、エゴ。
自分を守りたいエゴの為せる技。
すべてを受け入れようとしない自分勝手。
自己中心的な我が儘。

しかし、心配している限り、心のやすらぎはない。
すべてを受け入れない限り、心が安定することはない。
心配している限りは、心は常に動揺している。
心配とは、心ここにあらずということ。

心配すれば、心は彷徨い、不安定になる。
自分自身へのグランディングはないに等しい。
意識が外に向くから、心配が起きる。
内に向けば、心配はない。

しっかりと自分自身を生きる。
自分自身の深さを生きる。
深い意識に心配はない。
深い意識にあるのは、信頼。

意識が深まれば深まるほど、心は安定する。
心配とは、波立つ表面の心。
自分の思うように支配したい心。
都合の悪いことを拒絶する心。

自分本位に選択していると、自分の望まない現実に出会った時に
苦しむことになる。
すべてを受け入れない限り、苦しみから逃れることはできない。
自我とは、選択。
非自我とは、無選択。

心配したければ、心配してもいい。
でも、心配すればするほど、エネルギーは消耗する。
しょうも(う)ないことをやるから、消耗する?
ハイ、しょうもないギャグ。

心配とは、事実に反した行為。
現実に抵抗しているので、エネルギーはどんどん消耗していく。
事実に即して生きないと、抵抗や摩擦でエネルギーが消えてしまう。
それをやっている限り、自分自身を創造的に表現することはできない。

避けようとしているものは、何か。
守ろうとしているものは、何か。
自分の心配を見つめ、心配の本質を理解する。
自分がしっかり掴んでいるものは何だろう・・・?

自覚しない限り、心配に翻弄され、心配の虜となる。
心配の本質をわからなければ、自我のまま苦しむことになる。
避けることも守ることも苦しみの道。
ただ事実と共に生きるしかない。

いのちの限り、ただ事実と共に生きていく。
現実を支配しようとすれば、苦しみが待っている。
すべてを受け入れ、すべてを認めない限り、抵抗と摩擦で消耗してしまう。
事実と共に生きるのが最も楽な生き方。

どんな事実も、ありのまま受けとめる。
どんな事実も、拒否しない。
すべてを受け入れる時、人は愛に包まれる。
なぜなら、すべてを受け入れることが、愛だから。

愛は、すべてをありのまま受け入れる。
愛は、すべてをそのまま認める。
好きも嫌いもない。
ただただ、すべてをあたたかく包み込んでいるだけ。

無条件にすべてを受け入れる時、心配はない。
無条件にすべてを包み込む時、不安も恐れもない。
ただ限りない愛が降り注いでいるだけ。
まるで春の陽射しのように、あたたかいものに包まれているだけ。


『心配を すればするほど 心配に なって行き着く 心肺停止』

『心配は 思う通りに したいだけ 望まないもの 拒んでいるだけ』

『心配を すれば望まぬ 現実が 起きて苦しみ やって来るだけ』

『抵抗を すれば摩擦で 消耗し 現実創造 何もできない』

『好き嫌い 良いも悪いも 何もなし 事実そのまま すべて受け入れ』

『ありのまま 受け入れる時 心配は 消えて心は やすらぎのなか』
               
                 >>日記 無色透明 『1008日目 - 心配』 より

      
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地獄
2010-09-27 Mon 23:32
                                        『名もない巨木』
名もない巨木ー21-july_08_10
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『地獄』       

天国と地獄がある。
天国は国なのに、地獄はどうして獄なのだろう?
地獄という言葉は、元々はサンスクリッドのnaraka(奈落)から来ているらしい。
奈落の底が地獄ということだろうか。
奈落とは、広辞苑によると「永久に浮かぶ瀬のないところ」とある。
地獄に堕ちると浮かばれない?
永久に出られない?
まるで終身刑?
だから、地の底の獄舎=地獄となったのだろうか。

天国は国だから、人の住むところ?
では、地獄は誰が住む?
地獄の亡者?
さてさて恐ろしい地獄物語の始まり始まり・・・
これ以上読むのはやめる?
それとも、怖いもの見たさ?
選択は自由。
これから先は自己責任で・・・

天国も地獄も、あると言えば、ある。
ないと言えば、ない。

これでは訳がわからない?

では、聞こう。
今、目の前に見えている夕景は、あるだろうか、それともないだろうか。
あるに決まっている?
そう言っている間に太陽は沈んでしまう。
ほら、ないじゃない。
え?
そんな・・・

あると言えば、ある。
ないと言えば、ない。
色の世界は、そんなもの。
空に異ならず。
あるようで、ないようで、どっちだろう?

記憶の中や写真の中には、ある。
でも、それも消えつつある。
永遠にあるわけではない。
磁気的・エネルギー的に一定期間形をとどめているだけ。
それも微妙に劣化しているので、同じものが持続しているわけではない。
放射性同位元素も劣化している。
放射能として放出された分だけ変化している。
この世に変わらざるものなし。
無常。

色の世界は無常。
それ故に、あるようで、ないような・・・
不思議な世界。
まさに空そのもの。

だから、地獄も現象に囚われれば存在するし、囚われなければ存在しない。
地獄という非苦の世界の結晶も、人類の意識が創り出しているもの。
現実と言えば現実。
幻(まぼろし)と言えば幻。

そこは物質世界ではないので、刻々に変化する。
思いの次元が創り出す世界なので、思いしだいでどうにでも変わる。
この物質次元よりも変化が早い。
そういう地獄のような思いがなくなれば、地獄も即座に消えてしまう。
ただそれだけの世界。

宇宙の曼陀羅の一場面?
そういう世界を創ってみただけ?
天国だけでは面白くないので、地獄も創ってみた?
ご丁寧に、いろんな地獄を創ってバリエーションまで持たせてある。
誰が創った?
神様?
閻魔大王?
サタン?
それとも、人間?

天国も地獄も人の想いが創り出す世界。
良いも悪いもなく、ただの事実。
あると言えばあるし、ないと言えばない。
刻々にのみ存在するもの。
それを掴まなければ、存在しない。
掴んでしまえば、存在する。

しかし、それは天国と地獄に限らない。
この世のすべてのものも同じようなもの。
あると言えば、ある。
ないと言えば、ない。
掴めば存在するし、掴まなければ存在しない。

空の意識であれば、何もない。
目に映る刻々のものがあるだけ。
刻々であるが故に、あると言えばあるし、ないと言えばない。
色の意識で生きれば、確かにある。
空の意識で生きれば、何もない。

地獄も、その現象を捉えなければ、何も恐れる必要はない。
その現象を捉えると、捉えたつもりが捉えられる。
地獄の囚われ人となる。
そうやって地獄の住人が生まれる。
ただ掴まえているだけ。
地獄的現象に魅入られ、意識がそこから離れられなくなっているだけ。
単なる意識の状態。

何かに捉えられると、心は不自由になる。
それが天国であれ地獄であれ同じこと。
一方は天国から出られない。
片方は地獄から出られない。
出られないのに変わりはない。
少しも自由ではない。

行きたければ天国へ行き、気が変われば地獄へも行く。
天国や地獄を超えた世界へも行く。
現象に囚われなければ、それが可能になる。
現象が何であれ、それに囚われれば、そこの囚われ人になるしかない。

地獄を恐れることも、天国を敬うことも、特に必要はない。
それは人の価値観。
人間の判断の世界。
思い込みワールド。

自然の美しさを見、それに感動し、それを忘れる。
何も所有することなく、自然の流れと共に生きる。
良くもなく悪くもなく、事実と共に生きる。
ある時は天国に住し、ある時は地獄を覗く。
天国も地獄も飽きたら、また別の世界に遊ぶ。
人間界のドラマに笑い、涙し、ただ静かに見守る。
今生きて在ることを、生きる。


『天国も 地獄もすべて 自(みずか)らの 想いが創る 思い込みワールド』

『移りゆく 現象世界に 囚われて 天国へ行き 地獄へ堕ちる』

『愛(いと)おしい 思いの世界 見守れば 色とりどりの 光煌(きら)めく』

『人間の ドラマも自然も それぞれに ステキな姿 現し消える』

『天国も 地獄も超えて 星々の 思いを超えた 世界で遊ぶ』

『移りゆく 四季(色)を楽しみ 囚われず 人間として 静かに生きる』
               
                   >>日記 無色透明 『439日目 - 地獄』 より

      
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道なき道
2010-07-06 Tue 07:26
                                              『飛翔』
飛翔ーfly_10
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『道なき道』     

255日目の日記に対して、
「360度に広がる道を道と思えず歩けない?」
というコメントが寄せられた。

夜空を見上げてごらん。
星がいっぱいあるだろう。
どこに道があるの?

どこにも道はない。
宇宙の中に道はない。
道があるのは地上だけ。
それは人が歩いたから。
人が歩いていない原生林の中には道はない。

人の後を付いていくなら、道はある。
でも、行き着く先は?
少なくとも、その人より先へは行けない。
永遠にその人の後を付いていくしかない。

もしその人がとんでもない詐欺師だったら?
独裁的な支配者だったら?
悪の権化だったら?
それでも付いていく?

それがわかった時点で引き返す?
そして、また別の人の後を追いかける?
でも、その人も前の人より更にひどい人だったら?
また引き返す?

それを延々と繰り返す?
それも悪くはない。
それもまた経験。
でも、いつかは目覚める必要がある。

道は自分で切り開くしかないと。

実は、既に道は自分で切り開いている。
これまで生きてきた人生は、オンリーワン。
あなたと同じ人生を生きた人は誰もいない。
そういう意味では、既に道なき道を自分で切り開いて進んできたのだ。
既にそうして生きている。
それに気づいていないだけ。
自信がないだけ。

自信がないから、誰かに頼りたい。
確実な道を進みたい。
安全な道を教えてほしい・・・
でも、その自信がないという意識が、迷いの道へ導く。
真っ直ぐな道ではなくて、曲がりくねった寄り道をすることになる。
自信がないという不安な気持ちが、不安定な道へあなたを導くのだ。

この宇宙に道はない。
未知の世界を自ら切り開いて進むしかない。
宇宙の事象は一回生起。
二度と同じことは起きない。
だから、道と見えるものも、実際は単なる過去の記憶でしかない。

道はない。
宇宙に道はない。
瞬間瞬間の世界に道はない。

しかし、地上には道がある。
地球での人生行路では道が役に立つこともある。
なぜか?
波動が遅いから。
波動が遅いところでは、道も残っている。
実際の道路は役に立つ。
でも、宇宙空間に道路はない。

波動の遅いところを進むのなら、道が役に立つ。
人の後から進めばいい。
でも、宇宙の果てまで行きたかったら、道は役に立たない。
宇宙の果てには道はないから。
道なき道が宇宙だから。

独り道なき道を進む。
その覚悟がなければ、宇宙の果てまで行くことはできない。
実際は、既に独りで自分の人生を生きている。
ただその自覚がないだけ。
その覚悟ができていないだけ。

手探りで、試行錯誤で進めばいい。
自分の道を、自分の生き方で。
それで何も問題はない。
不安?
恐れることはない。
既にそのように生きているのだから。
ただ、それをはっきりと自覚すればいいだけ。

道なき道は、逆に言うと、自由でもある。
決まったルートというのは不自由。
何もないから、何でもできる。
何でも望み通りのものをクリエイトできる。
だから、前向きに自由に生きればいい。

既に自由。
既に道なき道を生きている。
既に独自の道を進んでいる。
独り自分の道を歩んでいるのだ。
それに気づいていないだけなのだ。

今、この瞬間、自由であり、何も束縛するものはない。
一旦、すべてを白紙に戻して、もう一度自分の人生を見つめ直してみるといい。
すべての束縛は、自分の思い込み。
実際は何の束縛もない。
この瞬間、まったく自由。
そこから、もう一度人生をやり直してもいい。
それは常に可能なこと。

道なき道を歩む。
自分の道を歩む。
宇宙に唯一の道を歩む。
手探りで、試行錯誤しながら、独り宇宙を生きる。

何も恐れることはない。
恐れは自分が創り出しているだけ。
事実を直視すれば、恐れは消える。

何もない空っぽの状態で、日々暮らしていく。
空に鳥が飛ぶように、海に魚が泳ぐように、のびのびと、おおらかに生きていく。
何もない。
縛るものは何もない。
自己限定を手放せば、束縛するものは一切ない。
ただ限りない空間があるだけ・・・
                 
                  >>日記 無色透明 『258日目 - 道なき道』 より

      
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大丈夫だよ
2010-06-10 Thu 15:08
                                      『雫のダイヤモンド』
雫のダイヤモンドーdrop-2_10
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『大丈夫だよ』     

両親の愛情に恵まれて育った子は、愛情豊かな人になる。
周りからの愛に恵まれずに育った子は、愛を表現することができない。
悲しいけれども、これが一般的な傾向だ。

そして、愛を素直に表現できない人の、なんと多いことか。
それだけ十分な愛をもらえなかったということだろうか。
親は親なりに、できるだけの愛を注いで育てたつもりかもしれない。
でも、それだけでは子供にとっては足りなかったのだ。
あるいは、あまり子育てに関心がない親や他のことで手一杯の親もいた
のかもしれない。
いずれにしても、子供には愛情が不足していた。

愛に満ちたところで育った人は、周りの人も愛せるようになる。
自分自身を信頼し、周りの人も信頼できるようになる。
でも、愛が足りなかった人は、自分自身に自信が持てない。
当然、周りの人も信じられない。
信じられないから、愛することもできない。
前者は好循環、後者は悪循環。

愛情豊かに育った人は、人生を肯定できる。
すべてのことにポジティブに対処できる。
でも、愛が満たされなかった人は、人生を肯定できない。
神を信じられない。
自分だけが不幸のどん底にいるような気分になる。
当然、すべてのことにネガティブになる。

愛情ある家庭で育った人は、心が豊かだ。
認められ、信頼され、愛されて育った人は、周りの人も認め、信頼し、
愛することができる。
一方、いつも認めてもらえなかった人は、心がさびしい。
いつも自分を否定されてきた人は、自分で自分を責めるようになる。

前者は幸せな人生となり、後者は困難な人生となる。
すべてがこうなるわけでも、公式どうりにいくわけでもない。
しかし、一般的な傾向としては、このようになりやすい。
そういう事実を踏まえて、では、どうするか。
愛情に包まれて育った人は問題ない。
自分で十分生きていける。
問題はそうではない人だ。
あるいは、ほどほどの愛情はあったけれども、それでは足りなかった
という大多数の人たちだ。

そういう人たちは、いまさら子供時代には戻れないので、今の自分を
癒すしかない。
自分の中にいる子供の部分を癒すしかない。
愛情が足りなかったために、まだ自立していない幼子。
今も愛情を欲しがっている自分の中の子供。
それが多くの人の潜在意識の中に住むインナーチャイルド。
その子を自分で癒すしかない。

では、どうやって癒すのだろうか。
簡単と言えば簡単。
難しいと言えば難しい。
要は、足りなかった愛情を注いであげることだ。
愛が満ちれば、その子は自分を信頼し、自分に自信を持ち、人を愛する
ことができるようになる。
では、どうやって内なる子供に愛情を注ぐのだろうか。

その前に、一つ気づいてほしいことがある。
それは愛に飢えて育った人にも、自然に愛を満たすチャンスが与えられて
いるということ。
それは自分の子供を持ち、子供を育てる過程で、自分自身も癒される可能
性があるということ。
もしその人が自分がやられたようにではなく、その逆を子供にすることが
できたら、その時、その人は子育てを通じて自分も癒される。
ところが、悲しいかな、自分が知っている子育てしかできない親のなんと
多いことだろう。
それでは愛情不足の再生産だ。

それがこれまでの人類の歴史だった。
一部の人を除いて、大多数の人にとって愛情は足りていなかった。
それは仕方がないのかもしれない。
その親も、そのまた親も、ずーっとそのまた親も、みんな愛情不足だったの
だから。
それがどんどん悪化してきただけなのだ。
しかし、何事も極まれば逆転する。
愛が極限まで少なくなれば、愛は満ち始める。
それが自然の理(ことわり)というもの。

流れは既に逆転し始めている。
闇は光に変わろうとしている。
愛の潮は満ち始めているのだ。
これまで足りなかった愛が、満たされる時代になろうとしている。
これから降るような愛の時代がやってくるだろう。
みんなが幸せに育つ時代になるだろう。
そして、その子も更に幸せな子育てをするようになるだろう。
人類全体が幸せになっていく。

その前に、今、やるべきことがある。
そう、十分な愛が足りなかった人は、自分で自分に愛を注ごう。
やり方は、こうだ。

先ず自分の内なる子供を感じてみよう。
どこにいるのかな?
何て言ってるのかな?
何を欲しがっているのだろう?
何をしたがっているのだろう?

静かに内なる子供と一緒にいる。
そして、何を言いたいのかよーく聞いてあげる。
みんな黙って聞いてあげる。
一切反論しないで聞いてあげる。
そして、心からわかってあげる。
子供の気持ちを心からわかってあげる。

そして、そのまま認めてあげる。
すべてを無条件に認めてあげる。
それから、黙って抱きしめてあげる。
あなたの最愛の子供を。
あなた自身の内なる子供を黙って抱きしめてあげる。

その子のすべての感情を否定しない。
ありのまますべてを認めてあげる。
良いも悪いもなく、そのまま認めてあげる。
その子の存在そのものを肯定してあげる。
その子を心から信頼してあげる。

その子の気持ちを大切にしてあげよう。
その子の気持ちを尊重してあげよう。
自分がされたような命令や押しつけは一切いらない。
いつもその子の傍(そば)にいてあげよう。
いつもその子の立場にいてあげよう。

いつも、いつも一緒にいるよと言ってあげよう。
大丈夫だよ、心配しないでいいよと言ってあげよう。
守ってあげるから、思いっきり生きてごらんと言ってあげよう。
どこにもやったりしないから、いつも見守っているからと言ってあげよう。

子供を全面的に受け止めてあげよう。
子供を無条件に受け止めてあげよう。
そのまま、ありのまま、すべてを抱きしめてあげよう。
強く、強く抱きしめてあげよう。
心から抱きしめてあげよう。

人は先ず自分が満たされる必要がある。
自分が満たされてないのに、どうして他の人を愛することができるだろうか。
自分の心が愛で満たされたなら、愛は自然に心からあふれ出てくる。
何かの機会に自然に愛はこぼれ出てくるのだ。

愛とは、愛そうと思って愛せるものだろうか。
意識的に努力することによって愛せるものだろうか。
それとも、泉のように愛は湧き出すものだろうか。
なんの努力の必要もなく、内側からこんこんと湧き出すものだろうか。

愛そうと努める愛は本当の愛だろうか。
自然に湧き出す愛だけが本当の愛だろうか。
愛に努力はいるのだろうか。
愛は愛ゆえに愛となるのだろうか。

もし子供がいる人は、上に書かれていることを、自分の子供に対して
やってみるといいだろう。
もし子供がいない人は、上に書かれていることを、自分の内なる子供に
やってみるといいだろう。
とにかく始めることだ。
始めれば動き出す。
始めれば変わり出すのだ。

子供を育てることは、自分を癒すことでもある。
自分がしてもらえなかったことを子供にすることによって、自分が癒される。
子供に愛情を注ぐことは、自分の内なる子供に愛情を注ぐことでもある。
子供が幸せになることによって、自分も幸せになることができる。
子育てとは、親のためにあるようなものだ。
子供によって、親は癒されるのである。
真の子育てをすれば、自分の子供時代の心の傷も癒される。
すばらしきかな人生!
子供を育てているつもりが、実は自分が癒されている。
子供はまさに天使であり、親の救い主なのだ。
この上ないシステムが自然にインプットされているのだ。

実は、子供を育てることは必要ない。
子供は自分で育つ。
子供は生まれてくる時に、自分の人生の設計図を持ってくる。
親はその設計図が実現できるようにサポートするだけだ。
主役は子供。
親は脇役だ。
親の希望を押しつけるのではなく、子供の希望を尊重しよう。
子供は自ら生きるためのエネルギーを持ってくる。
親はそのエネルギーが素直に花開くように環境を整える役目だ。
子供が花開くのを見守るのが親の勤めだ。

子供がいない人は、自分の内なる子供を育てよう。
本当の子育てと同じように、自分も癒されるだろう。
とにかく、内なる子供が癒されないことには、あなたは心から人を愛せ
ないのだから。
人を愛したつもりが、人から愛を欲しがっている。
お互いが愛を求める時、愛は枯れてしまう。
お互いが愛を与える時、愛は更に満ちあふれる。


一回だけでなく、何回も何回も繰り返し自分の内なる子供とお話しされる
ことをお薦めします。
本当の子育てのつもりで、毎日、内なる子供と付き合ってあげてください。
そのうちに、内なる子供は育ちます。
やがて愛で満たされることでしょう。
内なる子供が癒されることは、あなたが癒されることです。
あなたが癒されることは、人類が癒されることです。
人類が癒されることは、愛の循環が始まるということです。
すばらしい愛の時代の幕開けです。
どうか、あなたの内なる子供を大切に育ててください。

ひたすら光を見るようにしよう
ひたすら前を向いて歩こう
ひたすらポジティブに考えよう
ひたすら未来を信じよう

大丈夫だよ
これからでも変われるから
大丈夫だよ
これからでも間に合うから
大丈夫だよ
これからでも一緒に行けるから
大丈夫だよ 大丈夫だよ 大丈夫だよ
百回も 千回も大丈夫だよ
本当に大丈夫なんだから
いつも一緒にいるから
                 
                 >>日記 無色透明 『100日目 - 大丈夫だよ』 より

      
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シャクナゲの蕾
2010-05-14 Fri 20:35
                                       『シャクナゲの蕾』
シャクナゲの蕾ー06-june_08_10
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   自分のなかに愛があるから、すべては愛に満たされている。
   愛は、外にあるものではない。
   内にあるものでもない。
   自分自身が、愛そのもの。

   自分自身が、愛。
   気がつけば、愛そのもの。
   愛が、生きている。
   愛が、静かに息づいている。
                   
                        日記 『無色透明』 より


      
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今ここで
2009-09-04 Fri 06:30
                                          『ベニバナ蝶』
ベニバナ蝶ー04-sep_08
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   日記 『無色透明』 より

   今ここで

   すばらしい文章を読む。
   すばらしい話を聞く。
   いつの日か自分もそうなりたいと思う。
   なれたらいいな・・・

   しかし、いつの日かは、永遠にやって来ない。
   なぜなら、常にいつの日かだから。
   どこまでいっても、いつの日か・・・
   まるで自分の尻尾を追いかけまわしている犬。

   自分のなりたい姿をいつの日かに設定すれば、いつまで経っても実現しない。
   なぜなら、今ここが欠落しているから。
   今ここにいないから。
   常に意識は遠い未来にあるから。

   今ここ。
   今ここで感じられるものを感じてみる。
   感じられるだけでいい。
   すべてでなくてもいい。

   今ここで自分が感じられるものを感じきれば、次が展開する。
   いつの日かと言い出すと、次の展開はない。
   常に今ここ。
   今感じられる範囲のものを感じきること。

   いつの日かは、極めて弱いエネルギー。
   あやふやで不安定なエネルギー。
   今にも消えてしまいそうなエネルギー。
   そんなエネルギー状態では、何も実現しない。

   もっとしっかりグランディングして、今ここを味わっていく。
   今ここ、今ここ、今ここ・・・
   それしかない。
   先延ばししない。

   今できることをやる。
   今できることをやっていると、次が開く。
   いつの日かでは、未来永劫展開はない。
   今ここでエネルギーを爆発させないと、エネルギー連鎖は起きない。

   今ここは、強い。
   なぜなら、現実だから。
   いつの日かは、弱い。
   なぜなら、仮想だから。

   現実にしっかりと根をおろして生きる。
   きちんとグランディングして生きる。
   一歩一歩着実に生きる。
   未来に逃げない。

   今できることをやっていると、自然に道が開ける。
   その連続。
   それだけ。
   逃げないで今ここを生きる。

                             >>日記 『無色透明』

      
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チベット紀行 - 8
2009-09-01 Tue 01:53
                                     『巨大な杉の茂る森』
巨大な杉の茂る森ー25-july_08
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   Light News Letter より

   チベット紀行 - 8

   第8日目 (7/20)

   チベットでのすべての日程を終え、朝6時30分、ホテルを出発。
   だいぶ遅れたが、なんとか成都へ向けて飛行機が離陸。
   (実はこの飛行機はよく欠航するので、飛び立つまではヒヤヒヤものだった)

   無事、成都について昼食。(四川料理は辛かった)
   少し時間があったので、中国の三国時代の英雄、劉備玄徳と諸葛孔明を祭った
   お寺を観光。
   それから広州行きの飛行機に。
   広州の高層ホテルに宿泊。
   光のセミナーの後、就寝。

   第9日目 (7/21)

   ゆっくりと朝食の後、みんなで5月の屋久島ツアーの写真を見る。
   UFOらしき機影がたくさん写っている写真を見て、「私も行きたい!」

   12時45分、ホテル出発。
   14時45分発の日本エアシステム機に乗ったが、雷を伴う積乱雲発生のため、
   出発が1時間ほど遅れる。
   しかし、20時15分(日本時間)無事、関西空港着。
   ここで2人と別れ、3人はあたふたと羽田行きの飛行機へ。
   22時、順調に羽田空港着。
   長かったチベットツアーが無事終了。

   久しぶりの日本は 「暑っつ~い!」
   チベットでは汗をかくこともないほど、さわやかだった。
   異国の街を見るような気分で、自宅へ帰る。

   編集後記

   古沢仁宏はチベットでたくさんお金を使いました。
   ほとんど手当たり次第という感じでお土産を買いまくっていました。
   「古沢さんは過去世で商人だったんじゃない?」 と他のメンバーに言われたくらい
   です。
   どうしてそんなに買いまくったのか自分でもよくわからないのですが・・・

   無意識のうちに、豊かな日本から貧しいチベットへお金を回そうとしたのでしょうか。
   それとも、チベットの豊かな文化を日本に伝えたいと思ったのでしょうか・・・
   たぶん両方かもしれません。
   チベットが懐かしくもあり、それを日本へ持って帰りたくもあったのでしょう。

   チベットは、やはりすごいところでした。自然も人も・・・
   もし地軸移動(ポールシフト)が起きたら、間違いなく一方の極を担うことになるでし
   ょう。
  
   自然は宇宙からのエネルギーを受け止めるピラミッド型の山々がたくさんあり、人
   の心の中にも一番大切なものが息づいていました。
   これだけ自然と人が両方揃っているところは地球上でもそうないでしょう。
   静かに瞑想してみると、チベットの偉大な潜在能力が感じられます。
   それは本当に桁外れです。

   地球上にチベットが残されていてよかった!
   ベタ褒めみたいですが、本当に地球を支えるだけのパワーがあり、人類がなくして
   しまったものを、まだ保持しています。
   日本人が忘れてしまったものが、まだ残っているのです。

   チベットへ行って、やはり何かが変わったようです。
   言葉では言い表しにくいのですが、内面の深いところで何かが変わりました。
   人類に対する信頼、子供の頃の無条件の信頼が戻ってきたようです。
   何か深いものと融け合えたような気がします。
   とても安定した、やすらいだ感じです。
   やはり行く前とは何かが違っています。
                                      
                  Light News Letter №5 (2000年8月1日発行) より
                                  >>T&F光のネットワーク

     ぴあの編集後記
     チベット紀行連載、終了です。
     なかなか更新ができなくてすみませんでした。
     また、更新がない日もランキング応援クリックしてくださる方、いつも心から
     感謝しています。 ほんとうにありがとうございます。
     次はセッションレポートが連載できるといいなと思っているのですが・・・  

 
      
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チベット紀行 - 7
2009-08-24 Mon 08:21
                                         『巨杉の迫力』
巨杉の迫力ー22-july_08
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   Light News Letter より

   チベット紀行 - 7

   第7日目 (7/19)

   一日、フリーデー。
   ゆっくりと起きて、朝10時から全員でショッピング。
   まずポタラ宮までガイドなしで歩いてみる。
   途中、露天でいろいろお土産を物色。
   チベット人のおじさんは良心的。
   おばさんは良く言えば商売熱心。悪く言えばしつこい。
   このおばちゃん達、50元札や100元札を出そうものなら、なかなかお釣りをく
   れない。
   他のものを持ってきて、これはどうだと押しつける。
   これには本当に閉口した。
   大きなお札を出したが最後、お釣りをもらうのは至難の業。
   しかも、お釣りをくれないので、次に買う時も大きなお札・・・
   この悪循環によって古沢仁宏は必要のないものをい~っぱい買わされた。
   (しかし、結果的には、それはお土産となり、喜ばれたが)

   ポタラ宮の下の商店街では露天よりも品質の良いものを売っていた。
   お互いに情報交換しながら、どんどん買う。
   日本円に換算すると格安なので、どうしても手が出てしまう。 (ポタラ宮が大きく
   刺繍されたTシャツが、なんと日本円で465円。刺繍だよ、印刷じゃないんだよ)

   買い物が一段落して、ホテルへ。
   その後は本当に各自の自由。
   古沢仁宏は中国の元がなくなって、最後の2万円を中国銀行へ両替へ。
   中国銀行のスローな対応を経験して、また八角街へ。
   仏像や仏画、チベット服やタルチョなど手当たり次第に買いまくる。
   たちまち2万円が消えたところでホテルへ。
   8時からチベットで最後の光のセミナー。

   セミナーの途中からYさんが泣き出す。
   終わった後で事情を聞くと、昨日、大草原で出会った娘さんの一人が過去世で
   自分の娘だったとのこと。
   娘が嫁いでいくのか、遠く離れていく姿が脳裏にやきつき・・・自分は母親として
   右わき腹の苦痛をこらえながら、ずっとそれを見送っていた。
   それ以来、二度と会うことはなかった・・・

   その後、すぐに母親は亡くなったのだろうか。娘のことを気にしながら・・・
   だから、はるばる時空を越えて娘の無事を確認するためにチベットへやって来
   たのだろうか。
   Yさんは現地で、その娘だけが気になって、何かと話しかけては近づこうとしてい
   た。
   その娘は一番の恥ずかしがりやで、最後まで写真撮影を嫌がっていたが、最後
   にYさんと一緒に写真に収まってくれた。
   Yさんはチベットでの最初のセミナーの時、どうしてここにいるのかわからないと
   言っていた。
   でも、やはり意味があってはるばるチベットへやって来たようである。

   Yさんは今回の参加者の中では最高齢。
   ハードなドライブは相当こたえていたようだ。
   実は、カロラ氷河のドライブから帰ってきた夜、明日は休みたいと言い出した。
   しかし、それは明日になってから決めましょうということで、一晩寝てもらった。
   翌日は不思議と元気になっていた。
   しかし未舗装の道路になってYさんの体が文句を言い始めた。
   そのうえ、Yさんのリュックだけが車のエンジンオイルがこぼれて、使えないほど
   汚れてしまった。
   とても苦しい旅だった。
   それだけに娘に会えた喜びもひとしおだった。

   Yさんのリュックについてはチベット人の運転手に1万円弁償してもらうことになっ
   ていた。
   が、結局、あそこまで連れていってくれたのは彼であり、Yさんがあの娘に会えた
   のも彼のおかげであるということになり、賠償請求は取り止めることになった。
   その代わり、一緒に撮った写真をあの一家に届けてもうらうことに。

   実は、Yさんは前々日のセミナーの時に美しいビジョンを見ていた ― チベットの
   美しい花をいっぱい手に持って人々に配っている・・・
   結局、リュックは古沢仁宏が八角街でチベットの美しいリュックをプレゼントする
   ことになった。
   このリュックにチベットの美しいものをいっぱい詰めて、日本で待っている多くの
   人に手渡してほしい ― そんな願いを込めて・・・
   (いろいろドラマがあるでしょう?)

   実は、Aさんも最後のセミナーでビジョンを見た。
   自分がどんどん大きくなり、お釈迦様と一体になって地球を見ている。
   お釈迦様は、地球は”すべて”うまくいっていると思っている。
   彼女はチベットツアーの一ヶ月ほど前に個人セッションを受けた。
   その時、チベットの僧の過去世が出た。
   その人生ではポタラ宮内での権力闘争に嫌気がさし、聖職者と権力闘争との矛
   盾に納得がいかなかった。
   今生でも、すべてありのままでOKと頭ではわかっていても、いまひとつ心に落ち
   ずにいたのだが、お釈迦様と一体になったことで、ありのままを認め、受け入れる
   ことが本当にできるようになったようである。
   この方も時空を越えて過去の思いが完結した人である。

   残りの人もチベットとは深い縁があり、行く先々で感動したり、懐かしくなったり、
   セミナーの中でも多くのビジョンが見えたりした。
   今回参加した5人は全員がチベットと深い縁があり、何の違和感もないグループ
   だった。

                           ・・・チベット紀行 - 8 第8日目に続く 
                                      
                  Light News Letter №5 (2000年8月1日発行) より
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チベット紀行 - 6
2009-08-18 Tue 09:51
                                        『名もない巨木』
名もない巨木ー21-july_08
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   Light News Letter より

   チベット紀行 - 6

   第6日目 (7/18)

   朝7時30分、7,000m級の山々が見えるというニエンチェンタングラ山脈へ向
   かう。
   しかし、ラサ市内を出たとたん、すぐに未舗装の道となり、昨日11時間あまりの
   ドライブをしたばかりなので、これにはまいった。
   今日は特別にランドクルーザーをチャーターし、万全の備えのつもりだったが、や
   って来たのがポンコツのジープ。
   まるで馬に乗っているかのようなクッション。
   話が違うとブツブツ不満がもれる。
   (気持ちはわかるけど、今さらどうすることもできない ― 今日は日本語ガイドなし
   で、英語も日本語もわからないチベット人のおっちゃん=昨日までとは違う運転手
   しかいないのだ)

   道の真ん中を羊の群れが歩いていて、車は立ち往生。
   ここでは動物優先。彼等がどいてくれるのを待つしかない。
   しかし、そのようなドライブも慣れるにつれて、だんだん楽しくなってくる。
   不思議なもので、チベットに直にふれているという感じに。
   羊や牛を追っていたのは子供が多かった。
   あまり学校へ行ってるようには見えない健康的な子供達。
   馬に乗ってさっそうと通り過ぎるチベットの若者。(これがなかなかカッコよかった)
   空気はどこまでも澄み渡り、青空は目に痛いほど青い。
   6時間ぐらい車に揺られていると、突然、前方に白銀に輝く山々が。
   それは待ちに待ったヒマラヤの山並み。
   近づくにつれ白い山々と大平原が広がる。
   まるでモンゴルのよう。
   羊やヤクがた~くさん・・・

   昼食のため草原の中に車を進める。
   ぐんぐん山に近づいて下車。
   私達が昼食を食べていると、近くに住むチベット人の人達がやって来た。
   最初は二人ぐらいだったが、だんだん増えて最後は家族全員(6人)という感じ。
   チベットはどこでもそうなのだが、私達が野原などで食事をしていると、近くの人達
   が後ろで食べ終わるのを待っている。
   食べ終わると、運転手やガイドさんは残ったものを彼らに与える。
   どうもそれがチベットでの暗黙の了解のようだ。
   私達も同じように残りものを渡したが、特にお礼を言われることもなく、これがチベ
   ット流?

   しかし、今回はそれ以上のことがあった。
   彼等はすぐ近くに住む家族で、観光客相手の人達ではなかった。
   特におじいさんは気さくな人で、この辺りで採れる茸の採り方を身ぶり手ぶりで教え
   てくれたり、気軽に一人一人と記念撮影に応じてくれたりした。
   とても大きな掌で私達の倍はあっただろうか。
   私達との交流のしぐさがおもしろく、その度にそこにいる全員が大笑いした。
   二人の娘はとても恥ずかしがり屋で、最後まで写真撮影を嫌がった。
   言葉は全然通じなかったが、心が通じ合っている実感があった。
   雪の山々に囲まれた大草原で羊やヤクを飼って暮らしている一家は、まるでアメリ
   カインディアンより、はるかにインディアンらしかった。(?)

   海抜4、200m地点で、私達は手をつないで輪になり、光を降ろした。
   それを彼等は不思議そうに見ていた。
   最後に全員と握手をし、懐かしい人達と別れた。
   ただ目をみつめただけで心が通じ合う ― 今回の旅で一番楽しいひとときだった。
   本当にチベットの人と心の交流ができたという実感があった。
   私達日本人が忘れてしまっていたものを彼等は持っていた。
   経済優先社会の中で置き忘れてきたものを・・・

   彼等に会えて、私達の心もずいぶんゆるんだようだ。
   真っ白い雪の峯々、広い草原・・・広々とした心になって、私達は帰途についた。
   帰りはまたまた遠かった。
   朝の7時30分に出発して、ホテルに着いたのは夜の9時30分だった。
   延々14時間のドライブ。
   体はコチコチだったが、心は満たされていた。
   みんなの中にチベットの人とふれ合えたという実感があった。
   その夜は食事をして風呂に入って、ダウン。
   光のセミナーをする時間はなかった。

                           ・・・チベット紀行 - 7 第7日目に続く 
                                      
                  Light News Letter №5 (2000年8月1日発行) より
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チベット紀行 - 5
2009-08-14 Fri 08:56
                                          『おとぎの国』
おとぎの国ー07-july_08
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   Light News Letter より

   チベット紀行 - 5

   第5日目 (7/17)

   朝8時、神秘の湖・ヤムドク湖へ向けて出発。
   途中まではスムーズだったが、1時間もすると山道へ。
   目も眩むような断崖絶壁を猛スピードで4、750mのカンパラ峠まで登る。
   途中、ヤクがいっぱい放牧されていた。
   峠には観光用のヤクがいて、少しお金を払うとヤクに乗って記念写真をとらせて
   くれる。
   しかし、それ以上に印象的だったのは峠から見るヤムドク湖の美しさ。
   エメラルドブルーの透明感あふれる湖面。
   ところどころに菜の花の黄色がまぶしい。
   ここでチベット人の運転手さんがタルチョというチベット語のお経の書かれた五色
   の旗を高いところに掲げる ― これは彼のためのもの。

   峠を越え、5、050mのカロラ氷河へ向かう。
   道がところどころ決壊して川になっている。
   川の中をバスで渡る ・・・私達は無事に通れた。
   ところが、後から来たバスが深みにはまってしまった。
   私達のバスにロープをつけて引いてみても全然動かない。
   中国人の観光客を全員降ろし、近くにいたチベット人も手伝って、みんなでバスを
   押したり引いたり・・・それでも動かないので、最後の手段として私達のバスをバッ
   クにして引いたら、やっと動いた。
   期せずして拍手がわく。

   苦労しながら、やっと5、050mのカロラ氷河にたどり着く。
   しかし、なんとここにも観光客待ちのチベット人が・・・
   先程の峠でも子供達が金をせびりに来た。
   人は悪くないのだが、写真一枚撮るのにも 「マニー、マニー」
   彼等は観光客を待って、ここでキャンプを張っているらしい。 (海抜5、050mだよ)
   それでもなんとなく心が通じてしまうのだから、彼等の商売気もたいしたことはない。
   ここでチベット人の運転手さんが、今度は私達のためにタルチョ(五色の旗)を張っ
   てくれた。
   20m以上もある五色のタルチョが5,050mの風にはためく・・・

   実は ―
   前夜のセミナーの時、私たちは気がついた ― なぜ5人で来たのかを・・・
   雨の日、私達はそれぞれカッパを着た。
   赤、青、黄、緑、そして白に近いグレー・・・ 気がつくと、それはチベットの五色の旗
   の色であった。
   五色の旗は地・水・火・風・空を表す。
   私達は性格的に見て、一人一人が地・水・火・風・空を代表していた。(だから五人
   で来たのだ)
   私達ははるばる日本から、このチベットの五色の旗を再び力強くはためかせるた
   めにこの地へやってきた。
   それに気づいた私達は、「明日、五色の旗が欲しいね」 「それをチベットの空に飾
   りたいね」 「行く途中で買えたらいいね」 と話し合っていた。
   それが出発間際になって、チベット人の運転手さんが五色の旗を近所の店から買
   ってきたのだ。
   それも二組。(自分と私達の分)
   ― 私達はそのことを一言もしゃべってはいない・・・
   「信じられない!」 誰もがそう思った。
   だから、それが5、050mのカロラ氷河の前に掲げられた時、私達は感動した。
   (まるで一人一人がチベットの空に舞っているかのような気分だった ― まさに心
   は舞い上がった?)

   美しい6,000m級の雪の山々に別れを告げ、ホテルへ向かう。
   しかし、この帰り道はとても遠かった。
   朝の8時にホテルを出て、帰り着いたのは夜の7時半。
   11時間半のドライブ ― ご苦労様!
   光のセミナーでリラックスして、就寝。明日も早い。

                           ・・・チベット紀行 - 6 第6日目に続く 
                                      
                  Light News Letter №5 (2000年8月1日発行) より
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チベット紀行 - 4
2009-08-08 Sat 00:14
                              『緑の苔のなかの黄色いキノコ』
緑の苔のなかの黄色いキノコー06-july_08
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   Light News Letter より

   チベット紀行 - 4

   第4日目 (7/16)

   この日も朝からラサ市内観光。
   今日はかなりバスに揺られる時間が長い。
   乗っているのは私達5人とガイドさんと運転手。
   3日間、マイクロバスを借りきって、かなり贅沢な感じ。

   最初に行ったのは山の上のデプン寺。
   ここには巨石がいっぱいあった。(さすがにエネルギーの良いところに造られて
   いる)
   息を切らしながら山の斜面に造られたお寺を歩く。(ほとんど山登り?)
   ここは文化大革命の時、そうとう壊されたようで、その時の落書きが今も残ってい
   た。
   しかし、最盛期はお坊さんが1万人もいたというだけあって、た~くさんのお堂が。
   背後の山の上には神秘的な湖があるとのことだったが、そこまで行くには2日間
   もかかると聞いて断念。

   昼食とホテルでの休憩の後、今度はセラ寺へ。
   ここもすごくエネルギーのいいところで、山の中腹には尼寺があった。
   ちょうど本殿の上を修理しているところで、男女が交互に歌をうたいながら工事を
   していた。
   それが日本の田植歌のようで、なにかしら懐かしいものがあった。
   ここにも巨石があり、ここからのラサ市内、ポタラ宮の眺めはすばらしかった。

   ラサ市内最後の観光コースは、ダライ・ラマ14世が造った夏の離宮ノルブリンカ。
   ダライ・ラマが亡命していなければ絶対に見れないような、彼の瞑想室や寝室、
   謁見室や母親のための浴室など、豪華な内部を見ることができた。
   しかし、彼が亡命していてよかったのかどうか・・・?

   この日の夕食はチベット料理。
   本家チベット人は遊牧の民で、肉が多く野菜が少ない。
   全員ベジタリアンと言ってあったので、料理する人も苦労したことだろう。
   このほかにもネパール料理や中華料理など、連日豪華な食事が続いた。
   (これはツアーに含まれていた)

   この日、やっと高度にも慣れ、チベットで初めての光のセミナーをおこなう。
   気がつくと、この夜は満月で皆既月食。
   セミナーを始める前は薄雲がかかっていて、ぼんやりと月が見える程度。
   しかし、セミナーが終わって窓を開けると、鮮やかな三日月が・・・
   セミナー中から街中が騒がしくなり、まるでお祭りのような歌声やラッパの音 ―
   満月の法要?

   セミナー中の光はものすごかった。
   二日間で見てきたチベットのカラフルな仏像のように、とてもきれいな色とりどりの
   光が宇宙から降りてきた。
   チベットの地がものすごいエネルギー場であることを実感。
   それは瞑想してみないとわからない・・・

                           ・・・チベット紀行 - 5 第5日目に続く 
                                      
                  Light News Letter №5 (2000年8月1日発行) より
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