いのちの写真と光の言葉
編集便り - 3 『自己同一化 - 2』
2008-11-30 Sun 11:30
                                             『竜神水』
竜神水ー29-aug_07
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   K-Communication より

   編集便り - 3  『自己同一化 - 2』

   頭を強打して記憶喪失になると、人は 『私』 というアイデンティティを失います。
   「あなたは誰ですか」 と聞かれても、「私は・・・?」 となってしまいます。
   しかし、そのような人でも意識はちゃんとあります。
   それは記憶と自己同一化していない、ただの意識です。
   (一瞬、頭を強打した直後にも、何が何だかわからなくなることがあるでしょう ―
   瞬間、記憶の回路と断絶することによって訳がわからなくなるのではないでしょうか)

   自分は記憶やイメージではなく、「自分は自分だ!」 と強がっている人でさえ、記憶
   がなければ 「自分は自分だ!」 と言うことはできません。
   なぜなら、記憶によって特定されることによってのみ 「自分は自分だ!」 と言えるか
   らです。
   記憶との自己同一化がなければ、自分を特定することができないので「自分は自分
   だ」 と言うことはできません。
   記憶=データベースと共にあることが 『私』 『自分』 『個性』 を支えています。
   過去がなければ、今だけであれば、全く区別が生じる余地はありません。
   ただ無個性の感受性があるだけでしょう。

   人は自分の記憶と自己同一化し、『私』 というイメージを基に感じ、考え、行動してい
   ます。
   その記憶は肉体の自己保存の本能をベースにしているため、どうしても自己中心的
   になりがちです。
   本能だけであれば瞬間瞬間のもので、さほど問題もないのでしょうが、その経験が
   いったん記憶され、そこから『私』 という固定したイメージが生まれる時、現実との間
   に様々なギャップが生じます。

   過去の経験・知識は現実生活を過ごすためには必要不可欠ですが、それと自己同
   一化しないで、ただデータとして使うことができるでしょうか。
   それには、『私』 とは記憶との自己同一化であり、イメージであると明確に気づくこと
   が必要でしょう。
   そこから意識の新しい段階が始まるのではないでしょうか。
   そこから、ただ条件付けを見つめ、反応に気づくだけの生に変わっていくのではない
   でしょうか。
   そこから、自我の動機に基づくのではない、自分の深い意識に聞きながら行動する
   という新しい生き方が始まるのではないでしょうか。
 
                   K-Communication №44 (1994年4月27日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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この記事のコメント
魂の個性
日常生活の中では、反応に気づくことすらなかなか難しいのですが、
静かな時間に、思考している自分を見守ってみると、自分という
ものが記憶(思考)やイメージ、その集積であることがぼんやりと
見えてきます。
(自己同一化に気づくためのほんの入り口に立った程度ですが。)

自分の深い意識に聞きながら行動するという新しい生き方、
現実創造の生き方をなんとか少しでも今回の生で、と思っています。

それから、過去(記憶)がなければ自分という区別(分離)が
生じる余地も無く、無個性の感受性があるだけ、ということも
なぜかよくわかるのですが(←僕が呆けてきたから?)
自分を特定するための個性は無くても、感受性の個性というか
魂の個性ってあるのでしょうか。

赤ちゃんから2,3歳くらいまでの小さなこどもにも、個性と
いうのかどうかわかりませんが、その子独特の何かがありますよね。
現世での記憶や自己イメージが無いにもかかわらず。
(↑うまく表現できずにすいません)

2008-12-02 Tue 00:40 | URL | takeshi #-[ 内容変更]
☆takeshiさん

> 自分の深い意識に聞きながら行動するという新しい生き方、
> 現実創造の生き方をなんとか少しでも今回の生で、と思っています。

うんうん。
静かに静かに、自分の内を感じながら・・・
やはり、静けさが必要ですよね。
しんとした意識の澄みわたった状態へ、思考が動く中で、
常に、すっとそこへ繋がれたら、そこを感じられたら、いいですね。

> それから、過去(記憶)がなければ自分という区別(分離)が
> 生じる余地も無く、無個性の感受性があるだけ、ということも
> なぜかよくわかるのですが(←僕が呆けてきたから?)

あはは☆ 
>(←僕が呆けてきたから?)  ←妙に大ウケ!

> 自分を特定するための個性は無くても、感受性の個性というか
> 魂の個性ってあるのでしょうか。

> 赤ちゃんから2,3歳くらいまでの小さなこどもにも、個性と
> いうのかどうかわかりませんが、その子独特の何かがありますよね。
> 現世での記憶や自己イメージが無いにもかかわらず。
> (↑うまく表現できずにすいません)

魂の個性、ありますよね。
魂の経験がありますものね。
魂も、空に抱かれる色、様々な経験をして学んでいますね。
その過程で、その魂の個性というものができると思います。
その魂には、今まで経験してきた様々な情報が入っているから、
それを持って生まれてくるから、おっしゃるように、その子独特の
何かって、ありますね。
生まれたばかりの赤ちゃんから、もうすでに、その子独特の個性が
感じられますね。(*^_^*)

2008-12-02 Tue 22:06 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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