いのちの写真と光の言葉
空 - 2
2008-06-06 Fri 17:11
                                      『ヤクシマシャクナゲ』
ヤクシマシャクナゲーsyakunage-17
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
  ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
 
     
   K-Communication より

   K-Communication より、『空』 を連載しています。


   空 - 2

   以上のことは、意識についても全く同様に言えるように思います。
   意識は瞬間・瞬間変わります。
   今あった想いが、次の瞬間、別のものに変わっています。
   有が消え無に滅すると同時に、次の有が現れます。
   意識は一定していません。
   それをあたかも連続しているかのように思い込ませているのは記憶の働きです。
   記憶が瞬間・瞬間の意識に架空の継続性を与えます。
   意識は本来、一瞬一瞬のデジタルの世界ですが、記憶をベースにする心理的思考
   だけが、連続性のアナログの世界に生きています。
   それは思考が造り出す幻想の時間です。
   それが有・無と同様な生・死という分離を造り出します。
   生という連続性の有が、死という不連続によって無に帰すのです。
   生は、思考が記憶を基に造り出す連続性のイメージです。

   それは 『私』 と置き換えることもできます。
   人は死ぬという断絶によって、連続性の有である 『私』 が無に帰すことを恐れます。
   実際は、死も他人の死の記憶を基に思考が造り出すイメージに他ならないのですが
   ・・・
   つまり、人は思考が造り出す生・死・有・無という幻想の中で生きているのではないで
   しょうか。
   そして、それが無常の苦しみを生み出しているのではないでしょうか。
   人は、諸行無常であるが故に安定を求め、求めることによって、また執着と悲しみを
   生み出します。
   人は、記憶によって諸行に連続性を与え、その与えた連続性のはかなさを思うこと
   によって自ら苦しみます。
   諸行を有と見なし、生と見なし、その連続性の断絶を無と見なし、死と見なすことに
   よって、その思考の思い込みによって、苦が生じるのではないでしょうか。
   それは外側の現象を見てそれを内面に応用することや、自己を客体化して思考す
   ることから発生するのではないでしょうか。
   自己が外側からではなく内側から見られる時、思考による自己客体化なしに見られ
   る時、有無、生死は同時であり、瞬間であり、分離できないことが自覚され、連続性
   による悲しみが終わるのではないでしょうか。
   なぜなら、それは思考が記憶を基に造り出す幻想に過ぎないのですから。
   事実は瞬間・瞬間があるだけです。
   有と現れ無と消えていく意識の瞬間です。

                                      ・・・続きます

                         K-Communication №18 (1991年2月号) より
                              >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings     
     
   T&F 光のネットワーク
   >>T&F時代



関連記事
別窓 | | コメント:4
<<空 - 3 | いのちの島=屋久島 | 空 - 1>>
この記事のコメント
瞬間・・・って、うれしい気がする。
あらゆるすべてのことは、瞬間のこと。
ハッピーも瞬間だけど、アンハッピーも瞬間だってこと。

何だか気が楽になるよ。

笑顔も瞬間パッと咲くけど、
じっと笑顔でい続けられない。
だんだんこわばってくるよね。

だから常に笑顔になる何かを心に注がなくてはならない。

それは、心地よい風だったり、キラキラする光だったり、
鳥や、花や、子どもたちの、躍動するいのちだったり・・・
心弾む会話だったり、心に響く言葉だったり・・・

沢山の瞬間が、それぞれのいのちの瞬間に繋がる・・・

何だか気持ちがイキイキしてきそうでうれしいな。
2008-06-08 Sun 01:02 | URL | えっちゃん #-[ 内容変更]
うーん・・・
つまり同時、この今の中に、映画の素材の全てがあるってことか。

映画を見てるとストーリーが見えるけど。
実際の真実は、その映画で使われる道具・背景・役者・セットの全てが、一つのヴァン、または保管庫に収納されてる。

この保管庫こそが真実の姿なんですね。

でも・・・カツラがあって、その横に十字架、ざるそば、石鹸・・・
ぱっと見たら何の意味かもわからない、意味はないパーツ同士。

死も生も、有と無さえもぐしゃっと今のこの瞬間に押し込められて既に在る。

監督が現れて、ストーリーを想像して創造し、道具を並べ、関連付け、
<時間>という幻想に設定して・・・・
流しそうめんのように、流して見せるのですね。
それが人生。

神様は、さまざまな無数の監督の作る人生を見て、楽しんでるのでしょうねw
「なんでも好きなだけ使いなさい。好きなだけ表現してみなさい」って。

その映画を作り楽しむためには、
瞬間と瞬間がつながっているように見える糊・・・一種の幻覚剤が必要なんでしょうね。

えっちゃんのコメントの

>だから常に笑顔になる何かを心に注がなくてはならない。

これを読んで、糊を思いました。
つながってるように見えないと、何が表現されたかわからない。

悲しみが終わる・・・
そうですね^^;

この糊が完全に溶けて、不連続性が芯から実感できた時、
愛する人が死んだという概念さえ違ったものに変わるのかな・・・。
2008-06-08 Sun 01:18 | URL | ベル #USufH/tE[ 内容変更]
☆えっちゃん

お返事、遅くなってごめんなさい。

> それは、心地よい風だったり、キラキラする光だったり、
> 鳥や、花や、子どもたちの、躍動するいのちだったり・・・
> 心弾む会話だったり、心に響く言葉だったり・・・
>
> 沢山の瞬間が、それぞれのいのちの瞬間に繋がる・・・
>
> 何だか気持ちがイキイキしてきそうでうれしいな。

そうですね。
たくさんの瞬間が、いのちの躍動感を感じさせてくれますね。

瞬間、瞬間のきらめき、それがいのちですね。(*^_^*)

2008-06-10 Tue 11:28 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
☆ベルさん

お返事、遅くなってごめんなさい。

> その映画を作り楽しむためには、
> 瞬間と瞬間がつながっているように見える糊・・・一種の幻覚剤が必要なんでしょうね。

そうですね。
素材を使って、映画作りを楽しんでいるのですね。
フイルムの一こま一こまは、映写機で流さないと、繋がらないですね。
それが記憶であり、時間ですね。
そして、それは思考=自我ですね。

では、その幻想を創り出したい元の元は何か というと、
”思考は常に永続することを望んでいる”・・・ここだと思うのです。
やはり、思考=自我ですね。
ここのところを源とし、すべてを時間の領域内から考えようとするから、
真理がわからないのですね・・・
時間=継続が、時間を超えたもの、記憶、思考を超えたもの、”瞬間・瞬間”を
到底理解し得ないですね。
”何々を通して永続性や安全性を求めている限りは苦しみが続く” ということだと
思います。

生も死も、有も無も、別のものなのではなく、有・無を統合した”空”というのは、
記憶も思考も存在しない=時間が存在しない、全く別の領域のものなのですね。
それはやはり、最後に書かれてあるように、思考では理解できないのだと思います。

2008-06-10 Tue 11:29 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| いのちの島=屋久島 |