いのちの写真と光の言葉
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ミーティングインフォメーション - 4
2007-12-26 Wed 13:53
                                         『サルの行列』
サルの行列ー18-j
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
 

   K-Communication誌上でのミーティングインフォメーションの言葉を掲載
   しています。今日は四日目です。
   これらの言葉から、何か気づけることがありますでしょうか。
   私はいつも、人と向き合う時や自分を見つめる時の意識のベースにして
   います。
   これらの文章が、読まれる方の何かの参考になれば幸いです。  ぴあの

                                   
   ミーティングインフォメーション - 4 

   〈 無比較の集い 〉

   人は自分の過去の経験 (記憶) に照らして、ものごとを解釈し判断します。
   それは事実をありのままに見るのではなく、過去と比較し、過去の基準で
   見ていることに他なりません。
   今が過去によって解釈され判断される時、人は真実を見ることができなく
   なります。
   良い・悪い・好き・嫌い・正しい・間違っている、これらは全て過去を基準に
   した相対的解釈であり価値判断です。
   今回は事実をありのままに見ることを妨げている ”比較” に注意しながら
   話し合ってみたいと思います。
   話の中で比較が出たら、お互いに指摘し合います。
   指摘された人は、素直に自分の日頃の無意識の比較に気づけるといいの
   ですが・・・
   比較を深く見つめていくと、それは自我の根幹に関わる程に根深いことに
   気づきます。
   自分自身 (価値観=経験・知識=記憶=自我=私) と何かを比較している
   のです。
   私が、自分自身こそが、全てを歪めている元凶だったのです!
   (なんということ!)


   K-Communicationとは、クリシュナムルティ(Krishnamurti、1895-1986)の
   著作をベースにしたコミュニケーションの場です。
   1989年5月にKimiさんが中心となってスタートし、1994年末まで足かけ
   6年間活動しました。
   その間、313回のミーティングが開催され、49冊のK-Communication誌を
   発行、その総ページ数は2000ページを超えました。


          
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この記事のコメント
無意識のうちに比べてしまう
誰からの請負の価値観で照らし合わせてしまう、
その中から抜け出る勇気こそ大切なのだと思います。
2007-12-26 Wed 18:44 | URL | ヒプノセラピーまんが 角礼寿 #-[ 内容変更]
こんにちは!
ブログサーフィン中に立ち寄りました。
応援ポチッ!
2007-12-27 Thu 03:03 | URL | 団十郎 #-[ 内容変更]
☆角礼寿さん
注意深く自分の想いや発言を見ていると、過去からの比較で
物事を見ていることの多さに気づきますね・・・
いつも白紙で見ることを心がけたいと思います。(*^_^*)

2007-12-27 Thu 12:43 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
☆団十郎さん
ありがとうございます。

2007-12-27 Thu 12:44 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
無比較

比較の対象となるものは、過去の経験もありますし、経験をもとに
自ら作り出した観念もあって、複雑です。

このようにあるべき自分、こうでなければならない自分との比較。
自分自身と想念上の自分との比較。苦しいものです。
それは観念の分だけあるようでもあり、どれだけ見つめれば浄化
できるのかわかりません。

それに、例えば昨日の成功体験との比較など、生きている限り
経験と観念は生まれ続けるように思います。そこでどれだけ
比較=思考から開放されることができるか。
見守る意識をどれだけ育てられるかということでしょうか。

2007-12-27 Thu 21:21 | URL | 優しい気持ち #-[ 内容変更]
☆優しい気持ちさん
お返事遅くなってごめんなさい~~~<(_ _)>

比較なしで生きることは難しいですよね・・・
この三次元の生活から離れて山にでも篭っているか、一人孤高に生きているか、
そうでない限り、何かにつけ、比較は出て来るようにも思います。
ただ、その比較を、どの意識レベルで比較しているのか・・・ここも重要ですよね。
また、比較していることに気づいたら、その都度その意識にはっと気づくこと、そして、
再度そのものごとを比較ではない無比較の意識に変えること、などにより、
常に比較しようとする自分から無比較の意識にチェンジしていけるように思います。
常に、常に、自分の意識を注意深く見ていることでしょうか・・・
いつも自分自身を自覚しているというか・・・

常に今、今、に意識をおいていれば、過去は意識に入ってこないもの、とすると、
比較も起こらないと思います。
昨日の成功体験も、それは昨日のこと、今はまた白紙の意識で 今に生きていれば
いいのではないでしょうか・・・
私もよく過去に意識がいきますので、その都度、今に意識を持ってくるようにします。
そうすると、さきほどまで頭をめぐっていた過去は、遠い彼方、霧の向こうに行って
しまったような感覚になることがよくあります。
今、この瞬間だけ、今、ここにあるような、自分が今この瞬間だけに存在するような
・・・そんな感覚です。
そういう一瞬一瞬を生きていれば、比較も観念もない世界のように思います。
(意識がクリアーでないと、なかなかできません・・・汗)

『このようにあるべき自分、こうでなければならない自分』 というのがちょっとわから
なかったのですが、そういう自分が常にある という状態なのでしょうか・・・
ごめんなさいね、ここがちょっと読み取れなくて、わからなかったです。(~_~)
『このようにあるべき自分、こうでなければならない自分』 というのは、自分の観念が
作り出したもの、または、周りから要請されて作り出されるもの(それも自分が作るの
ですが) 思考の産物だと思いますが、自然と今あるべき自分が、調和の中で自分の
役割を果たして居る ことができればいいですよね。

2007-12-29 Sat 00:42 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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