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見ることは感じること - 2
2007-09-22 Sat 07:25
                                           『黄色い花』
黄色い花ー2907-june
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   K-Communication より 

   見ることは感じること - 2  (昨日の続きです)

   見ることの中には、判断・解釈・分析、そのような一切の思考はありません。
   それは思考を越えた状態、思考の外の状態です。
   それは花を見て、そのエネルギーを感じることであり、一切言語化しないことです。
   言葉にすること自体が、既に判断であり、解釈です。
   そうではなくて、ただ見、感じるだけです。
   そこに ”私” はなく、ただ感受性があるだけです。
   それは自分自身の反応を見る場合も同じです。
   一切、判断、解釈、言語化しないで、ただ感じている、気づいているだけです。
   ですから、そこに ”怒り” や ”悲しみ” があったとしても、それを名付けなければ、
   ただ感情の”ある状態”があるだけです。
   それを ”怒り” や ”悲しみ” と認識しているのは自我であり、もし名付けないなら、
   そこには、ただ ”ある状態を感じているだけ” があります。
   それが、”見ている”、”気づいている” ということではないでしょうか。

   自我のレベルの反応、”怒り・憎しみ・ねたみ・恨み・悲しみ・喜び・・・” それらを名付
   けることなく、ただ感じています。
   気づいています。
   それと同時に、外のもの、花や鳥や空の雲・・・それらも名付けることなくただ感じて
   います。
   内と外に、ただ感じている・気づいている状態があります。
   一切言葉はありません。
   一切解釈はありません。
   ただそのもの自体を感じているだけです。
   それは、普段私達がいる自我の状態とは少し違うのではないでしょうか。
   Kは、その沈黙の時は、一瞬、一秒でもいいと言います。
   その時の十分な体験が自我からの自由をもたらすと言うのです。
   確かに、言語化しない状態、ただ感受性だけの状態は、今までの意識状態とは全く
   違うような気がします。
   外を歩いていても、木や花が微笑みかけ語るように感じられ、鳥や犬も親しげです。
   これまで生きてきた自我のフィールドとは何かが違います。
   そこには思考では絶対に感じ取れない空間があるのです。
   何か自我とは全く違う次元に生きている状態があるのです。
   それは一切言語化しないで、静かに見ている、感じている時、出現するのではない
   でしょうか。
         
                  K-Communication №5(1989年 12月号) より
                                  >>K-Communication
           
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この記事のコメント
それでは…

このお花のように花を咲かせましょう~♪
2007-09-22 Sat 09:48 | URL | ゆめまくら #-[ 内容変更]
☆ゆめまくらさん

すっきり、満開ですね♪

2007-09-23 Sun 00:18 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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