いのちの写真と光の言葉
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回帰
2007-08-12 Sun 11:41
                                      『黒毛和牛の牧場』
黒毛和牛の牧場ーfarm-01
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   T&F光のネットワーク  News Letter より

   回帰
 
   数日前の朝、「気分がとても重たくて、熱が出たと嘘をついて仕事を休んで
   しまったけれども、どうしようもなく落ち込んでいる」 と電話してきた女性が
   個人セッションを受けに来る。
   ところが、今日はまるで別人のようにスッキリしていた。
   その時、電話を切ってから遠隔で調整したけれども、確かにとてつもなく頭が
   重たかった。

   彼女は電話が終わった後から急に頭が痛くなったが、翌日にはスッキリした
   とのこと。
   たぶん、その時は大きなネガティブなものが出ていたのだろう。
   当日になって仕事を休むなどということは初めてと言っていたくらいだから、
   そうとうきつかったに違いない。
   しかし、その分、明らかに楽になっている。

   彼女を見て気づいたのだが、人が楽になるということは、ただその人そのもの
   になるということのようである。
   あるがままの彼女、彼女そのもの、真実(ほんとう)の彼女・・・なんの飾り気も
   ない、なんの体裁(ていさい)もない、ただそのままの彼女がそこにいるだけ
   なのである。
   しかも、そのあるがままの彼女がとてつもなく魅力的なのである。
   肩に力の入っていない、楽な彼女がそのままでいいのである。

   なんのことはない、人はよけいなものを持っているだけなのかもしれない。
   それを外して、あるがままの自分自身になれば、それだけで十分魅力的なの
   かもしれない。
   幼子(おさなご)はそれだけで十分魅力的なのだから・・・

   他人(ひと)にどう思われるだろうとか、こんなことをしてはいけないとか、既成
   概念や自己規制でがんじがらめになっているだけなのかもしれない。
   そういう重たいものを外していくと、ただあるがままのその人がいて、それは
   無条件にすばらしいのかもしれない。

   人はなんと重たいものを背負っているのだろう。
   そんなものはぜんぜん必要ないのに・・・
   それが人類の業というものだろうか・・・
   重たく、苦しく、悲しい業である。
   しかし、その業を乗り越えて、素直な、あるがままの自分自身に回帰(かえ)る
   時が近付いているのではないだろうか。
                        
                    News Letter №10 光のメモ (1996年) より
                                
           
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