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視線・意識
2007-06-06 Wed 08:16
                                   『ヤクスギランドのミニ滝』
ヤクスギランドのミニ滝ー14-aug
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   K-Communication №41、編集便りからの文章を、四日間連載します。
   今日は二日目です
   

   『視線』         

   『見る』 ということは、人生のドラマの主人公であると同時に観客でもあるという
   ことかもしれません。
   ドラマの主人公になりきれば、一喜一憂・喜怒哀楽の人生ドラマにのめり込んで
   しまいます。
   それと同時に、冷静に見つめる観客の視線が必要なのではないでしょうか。
   しかし、もしこの観客がドラマを批判したり、評価したりすれば、ドラマの主人公と
   何ら異なるところはありません。
   その時、観客は観察者となり、『私』 となります。
   必要なのは観察者ではなく、黙って見つめている視線なのです。
   人生ドラマの主人公になりきっているから、泣いたり、笑ったり、心配したり、
   悩んだりします。
   観客であれば一歩離れて見ることもできるでしょう。
   この先どうなるのか、楽しみながら人生を味わうことも可能かもしれません。
   自分の人生がどのように展開していくのか、それを静かにながめている視線は
   自我を越えたものです。

   『意識』

   以前、幽体離脱を頻繁にしていた頃、肉体の外にあった時の意識の状態を
   今でも覚えています。
   「もっと高く飛翔したい」 とか一瞬でも思考が動くと、即座に肉体に逆戻りしました。
   つまり、それは思考のない意識状態でした。
   といって、自分自身でないわけではありません。
   周りの状況は顕在意識よりもはっきりとわかります。
   しかし、思考はなく、肉体の中にいる時よりも遥かに鮮明な意識でした。
   その意識が、今、肉体の中にいたままで実現しようとしているのを感じます。
   思考はない、しかし、意識はある。
   思考は動かない、しかし、はっきりとわかる。
   それは極めてクリアーな意識です。
   自我ではありませんが、自分に違いはありません。
   それは誰にでも常に存在するのですが、思考と自己同一化しているために明確に
   意識されにくいだけです。
   それはまさに、気づいている、目覚めているという意識です。

                  K-Communication №41(1993年 41号) より
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