いのちの写真と光の言葉
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心とは
2007-05-15 Tue 09:03
                                      『豊かな水の流れ』
豊かな水の流れー29-jan
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   ― 自問自答 ―
   
   【質問】 心とはどういうものでしょうか。

   心は器、光の器です。
   また、それは受信機であり、発信機です。
   心は光を受け、光を発します。
   それは太陽に対する月のようなものです。
   心は光を映す鏡です。
   この鏡が曇ってしまうと、心も歪んでしまいます。
   心の記憶の層が、執着やこだわりや固定観念などの条件づけで
   すっかり覆われてしまうと、光はそこで屈折し、歪んだ形で外界を
   映すようになります。
   そして、その歪んだものを、また条件付けで受け止める時、
   より歪んだ反応が外界へ返っていきます。
   そこにあるのは果てしない悪循環です。
   そして、それらが全て記憶される時・・・
   それこそがまさに人類のカルマです。
   この悪循環の中でほとんどの人は反応の一生を終わります。
   (この構造に気づくこともなく・・・)

   この心の曇りが、K(Krishnamurti)的に言えば条件づけ、
   神道的に言えば穢(けがれ)、仏教的に言えば業です。
   これが、自我の部分の背後にある膨大な記憶の層です。
   この記憶の層から反応が生まれ、『私的思考』が発生します。
   この記憶の層の中味は、執着であり、偏見であり、心の傷であり、
   様々な欲望です。
   それらがヘドロのように、びっしりとこびりついています。
   この重く暗い記憶のために、それらの記憶が浄化されるまで
   輪廻転生が繰り返されます。
   本来、心は光の器です。
   それが『私的思考』によって、反光である闇を造り出してしまい
   ました。
   もちろん、それは仮のものであり、妄想の束なのですが、
   その妄想を何重にも蓄積してしまったために、光がストレートに
   透過できなくなってしまいました。
   そのため、この心の曇りを清めることが、その構造を明確に見抜く
   ことが、人類の第一の課題となってしまいました。
   (これがキリスト教的に言えば、『原罪』ということでしょうか)

   この曇りの部分を清めることができれば、光はストレートに歪みなく
   外に溢れ、外からも歪みのない光が返ってきます。
   その時に初めて適切な行為が生まれます。
   Kが言う「見ることは行うことである」ということが実現します。
   しかし、心が自らこの曇りを清めようとすれば、汚れた心で汚れた
   心を清めることになり、より一層汚れをひどくする結果になります。
   それが方法論の誤りです。
   それが『観察する者は観察される者である』ということでもあります。

                            ・・・明日に続きます
                                    
                    K-Communication №39(1993年 39号) より
                               >>K-Communication

           
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