いのちの写真と光の言葉
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見ること
2007-04-22 Sun 10:47
                                           『雲の軌跡』
雲の軌跡ーcloud-15
  
    
   見ること

   1
   どういうエネルギーに接触するかによって、私たちの精神状態
   はちがってきます。
   恐怖のエネルギーに接触すれば恐怖が、喜びのエネルギーに
   接触すれば喜びが、それぞれ精神状態となって現れてきます。
   (多くは記憶の反応ですが)
   ある程度、私たちはそれらをコントロールすることも可能です。
   自分で意識的に選択、チェンジすることができます。
   しかし、これも一定の範囲内、自我の領域内の選択でしか
   ありません。
   恐怖のエネルギー状態を、瞬間的に別のエネルギー状態へ
   切り替えることは可能です。
   (気分転換、積極的に別のことを考える・・・いずれも恐怖から
   の逃避ですが・・・)
   しかし、それで恐怖自体が消えて無くなるわけではありません。
   恐怖は、やがてまた現われてきます。
   自己の内に、恐怖の種が在る限りは・・・

   2
   恐怖の種とは記憶です。(記憶が、いわゆるカルマです)
   恐怖の記憶が無ければ、恐怖は存在しません。
   私たちの中に蓄えられていた恐怖が、縁を得て表面化して
   くるのです。
   (目の前の現実が、過去の恐怖の体験と似たような状況に
   なってくると、自動的に過去の恐怖体験の記憶が蘇り、そして、
   また同じ結果になることを、私たちは恐れるのです)
   その時、その恐怖に直面できるか、それとも逃避するかで
   結果がちがってきます。
   直面し、直視し、一切こだわることなく、そのままにしておくこと
   ができれば、それは自然に消えていきます。

   一切何もすることなく、ただ、見、ただ、ふれるだけです。
   見られ、ふれられれば、それはおのずから消えていくのです。
   この見ること、ふれることが、理解です。
   一切の判断や解釈をすることなく、ただ無条件に、見、ふれる
   だけです。
   その時、恐怖が愛に変容するのです。
   逆に、その恐怖にこだわり、恐れたり逃避しようとすると、
   いつまでたっても、それは消えません。
   見ること以外の何をしても、けして、消えることはないのです。
   何かをすることは、その恐怖をつかむことです。
   その恐怖を手放すためには、何もしないこと、一切の行為を
   しないことです。
   ただ、見ることだけが必要なのです。

   恐怖から逃げようとして、信仰に走ったり、特殊な行法に励んだり、
   修行をしても何の効果もありません。
   それは、まだ、恐怖にこだわっていることであり、恐怖の外に
   一歩も出ていないのです。
   見ること以外に、何もする必要はないのです。
   見ることこそが、今、私たちが使用し得る最高のエネルギーなのです。
   それのみが、あらゆるこだわりを、あらゆる執着を、あらゆる
   カルマを解消し得るのです。
   高いお金は入りません。
   教祖に帰依する必要もありません。
   山に篭る必要もなく、日常生活の中でできることです。
   これこそが、何の無理もなく、何の危険性もなく、最も自然な、
   最も本来的な生き方なのです。

   見ることは生きることです。
   見ることこそは最高に真実に生きることなのです。
                      
                 K-Communication №2(1989年) より
                               >>K-Communication

        
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この記事のコメント
己を救う
恐怖そのものをただ見守ること、それは光のエネルギーを注ぐこと、
自分に愛の光をあてること、そういうことなのでしょうか。

深く沈み込んだ過去世・現世の記憶はなかなか思考では掴み取ることはできませんが、
浮かび上がる恐怖をただそのままに見ておいてあげることはできると思います。

ただ、誰しも、恐怖からの回避の癖、言い訳の癖がついてしまっていて
見つめる・見守るという意味がわからないこともあるかもしれません。

でも、己を救うことができるのは己のみ。
逃げずにやるしかないのですよね。
溶解していく恐怖を感じてみます。

ありがとうございました。
それでは。

2007-04-22 Sun 16:32 | URL | 優しい気持ち #-[ 内容変更]
☆優しい気持さん

見つめる行為が光なのですよね。
静かに見ている状態が光ですよね。
見つめることによって、自分の内にある理解の光が
外に出てくる のでしょうか・・・(本来 光、愛は内にあるものです)
思考が、その光を遮っているから光が出てこないので、
その思考を見つめ、思考を理解し、『私』 を理解すること・・・
ただ、多くの人は、見るといっても、思考を使って見ていると
思います。
そうすると、『見る者』と 『見られる者』が分離しますよね。
そうではなくて、トータルにすべてを統合して見ることができれば、
きっとエネルギーが溢れ出てくるのでしょうね・・・
難しいですよね。
ここに書かれてあることを、どれだけの人が理解してくれるでしょうか・・・
私も、どこまで理解できているでしょうか・・・(自信なし・・・沈)
ただ、見つめる、欲望なく(自由になりたいとか)静かに見つめる。
ただ、ひたすらに見つめる。
私も、実践中です。(見つめられるようになりたい という欲望なしに)
2007-04-23 Mon 20:04 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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