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End(目的と結果) - 3 -
2007-04-21 Sat 09:49
                                           『木霊の森』
木霊の森ー19

    
   End(目的と結果) - 3 -  (昨日の続きです)

   人は環境によって条件づけられた欲望や願望を実現しようとして目的を
   持ちます。
   しかし、それは自分に努力を強いることであり、周りとの軋轢を生み出す
   ことです。
   人は自分自身の中の葛藤に疲れ果て、周りとの摩擦に自分をすり減らします。
   目的が達成されるにしろされないにしろ、そのような生は単に環境の奴隷で
   あるに過ぎないのではないでしょうか。
   目的は自我であり、目的 ― 結果のプロセスは自我実現以外のなにもの
   でもないでしょう。
   目的は結果であり、結果は目的です。
   それはあたかも鎖に繋がれた犬のように、自分が価値があると思い込んだ
   世界の中でグルグルと回っているだけではないでしょうか。
   それではいつまで経っても狭い自我というカテゴリーから自由になることは
   できないでしょう。
   それでは、いわゆる因果の輪の外に出ることはできないでしょう。

   では、因果=原因・結果の輪の外に出るにはどうしたらいいのでしょうか?
   それは目的を持たない、つまり結果を期待しないということでしょうか。
   目的を持ち結果を期待すれば、それは単なる自己イメージの実現に終って
   しまうでしょう。
   そうではなくて、真に自我の投影物ではないものに出会うためにはどうしたら
   いいのでしょうか?
   結果を期待せず、目的も持たず・・・それで一体何ができるのでしょうか・・・
   何かを目指し、何かを得ようとして行動することはできません。
   もしそうすれば、それは単に目指したものを獲得するに過ぎません。
   では、そうではない行動というものがあり得るのでしょうか?
   目的のない行動・・・結果を求めない行動・・・単なる行動・・・
   それは花が咲き、やがて枯れていくような・・・一切意志を使わない自然な
   行動ということでしょうか・・・
   雲が風のままに流されていくような・・・自分の目的や結果を追い求めない、
   無為自然な行動というものがあるのでしょうか・・・
   それは一人一人が自分で発見するしかありません。
   注意深く自分自身を見つめていく中で、そのような行動が自然に起きて
   くるようになるでしょうか・・・
   目的はイコール結果であり、それが内・外に葛藤をもたらしていることを
   明確にわかる時、それが真実の生ではないことがはっきりと自覚される時、
   人はどのように生きるのでしょうか・・・

   ― 『End』 最終日です。
      ここから読まれた方はぜひ通して読まれることをお薦めします ―
 
                   
                 K-Communication №21(1991年5月号) より
                               >>K-Communication

        
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