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End(目的と結果) - 2 -
2007-04-20 Fri 07:42
                                   『木霊の森の木霊たち』
木霊の森の木霊たちー17
    

   End(目的と結果) - 2 -  (昨日の続きです)

   それらの目的は、その人の価値づけです。
   その目的こそが、彼の中で最優先されるべき価値があるということです。
   そして、彼はその目的のために日々生きるようになります。
   その時彼は、彼自身をもその目的達成のための手段と見なします。
   目的達成のために、自分の欲望を抑圧し、無理な行為もしなければ
   なりません。
   彼は自分で設定した目的の奴隷になります。
   その時、目的が最優先で彼は二の次です。
   そうなると、彼の中で葛藤が起きます。
   また、目的が最優先され自分が犠牲になる時、彼は周りの人をも容易に
   犠牲にします。
   自分にとっての最大の価値を実現するために、彼は周りの人にも冷酷に
   なれます。
   たとえそれが世界平和や人類の福祉のためであったとしても・・・目的が
   高尚であればある程、目的は手段を正当化します。
   その目的が彼の中で価値が高ければ高い程、他のもの ― 自分や
   他人 ― は相対的に価値が低くなり、目的のための道具と化して
   いきます。
   それは明らかに思い込みです。
   それは各人の経験と知識に基づき思考によって造り出された観念です。
   目的は観念です。
   自分に都合の良い観念の体系です。
   当然それは各人で異なり、その目的が最優先される時、お互いの争いは
   避けられません。
   人が自分の目的を第一とする限り、地上から争いはなくならないでしょう。

   そもそも目的を持つこと自体が、人の ”あるがまま” からの分離です。
   ある特定の目的を設定することそのものが、人の本然との分離を
   引き起こします。
   ”人” が何かの ”為” に生きることは、”偽”りの生ではないでしょうか。
   目的や価値観や観念を持つこと自体が不自然なのではないでしょうか。
   人が何かの為に生きることは、その何かによって自分自身を縛ることです。
   その時、人は自由ではありません。
   どのような目的も価値観も観念もない時にのみ、人は自由であることが
   できます。
   人が目的や価値観、観念などと一体化すれば、その時、人のあるがまま
   との分離が生じ、内的葛藤が生れます。
   それは同時に周りの人との分離をも発生させ、それが果てしない外的葛藤
   を呼び起こします。
 
                             ・・・明日に続きます

   (『End』 二日目です。ここから読まれた方はぜひ昨日から続けてお読みください)
 
                   
                 K-Communication №21(1991年5月号) より
                               >>K-Communication

        
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