いのちの写真と光の言葉
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
自然回帰 - 2 -
2007-04-17 Tue 09:37
                                          『木霊の森』
木霊の森ー04
  
    
   自然回帰 - 2 -  (昨日の続きです) 

   8
   例えば、子供の頃、男の子は泣いてはいけないと母親からいつも言われて
   いると、それはいつの間にか脳に記憶され、成長した後も素直に感激する
   ことを押えてしまうでしょうか?
   子供の頃から、大きくなったらかわいい花嫁さんになるように回りから言い
   聞かされて育つと、結婚できないことで劣等感を持つようになるでしょうか?
   一旦神や仏を信じてしまうと、信仰を捨てることは罰を受けるに値するという
   罪悪感を抱くようになるでしょうか?
   人は自分自身の条件づけの構造をどのようにして理解するでしょうか・・・

   9
   コップが濁る原因は土を入れ続けることです。
   それは見ていればすぐにわかります。
   吹き出物が出続けるのも、体に悪いものを入れ続けているからだという
   ことは、注意深く食べ物や生活態度を見ていれば気づきます。
   では、自分の条件づけに気づくにはどうしたらいいのでしょうか?
   それは自分の反応を注意深く見続けることでしょうか?
   その時、突然、解釈や判断ではない洞察・気づきが起きるでしょうか?
   ただ静かに自分自身の意識の動きを見極めることでしょうか・・・

   10
   コップが濁る原因は土を入れ続けることです。
   それに気づいたら、人は土を入れることを止めるでしょうか?
   吹き出物が出てくるのは体に悪い食べ物を入れたことだと気づいて、
   人は即座にそれを止めるでしょうか?
   意識の場合はどうでしょうか。
   自分自身の条件づけに気づくことが、即条件づけからの自由でしょうか?
   それは気づきの深さによるでしょうか・・・

   11
   非常に強く注意が働いている時、反応は起きるでしょうか?
   それは透明な水のような状態でしょうか?
   誰かが掻き回さない限り、水はいつまでも澄んだままです。
   反応は起きないのかもしれません。
   誰かとは・・・ ほかでもない私自身でしょうか?
   『私』 が静かにしていれば反応は一切起きないのでしょうか?
   それが ”見ている” 状態でしょうか?

   12
   澄んだ湖があります。
   水が濁っていないので湖底が見えます。
   美しい湖底がそのまま湖面に浮かび上がります。
   意識が澄んでいると、湖底にある宇宙的英知や愛がそのまま湖面に
   浮かび上がってくるでしょうか?
   それが見ている状態でしょうか・・・

   13
   見ている状態では反応が起きないとすると、条件づけが解放されなくて
   逆に良くないのではないでしょうか?
   見ている状態が頻繁に起きるようになると、エネルギーレベルが上がり、
   反応という形ではない形で、条件づけが脳から直接的に解放されるように
   なるでしょうか・・・

   14
   私たちの意識は、湖底が厚いヘドロでおおわれているようなものでしょうか?
   記憶=条件づけというヘドロがべっとりと付着しているでしょうか?
   だから宇宙的英知も愛も表れないのでしょうか?
   しかし、水が澄んでいる時・反応に巻き込まれていない時、私たちは
   はっきりとそのヘドロを見ることができるでしょうか?
   しかし、反応に反応して水が濁っている時、湖底にヘドロがあることさえ
   気づかないのかも知れません。

   15
   吹き出物は体内の毒を対外に排除する作用です。
   体の英知は自然に不純物を体外に出そうとします。
   不純物をそれ以上体内に入れないように注意して見守っていれば、
   体は自然にきれいな元の健康な状態に戻ります。
   意識の場合も同じでしょうか?
   反応は不純物を体外に出そうとする働きでしょうか?
   反応に反応しないで、新たな不純物を入れないように注意しながら見守って
   いれば、体と同様、自然に元の健康的な意識に戻るのでしょうか・・・

   16
   ただ見つめていると、不自然なものは浮かび上がり、そして消えていく
   のでしょうか?
   浮かび上がったものに(反応に)、一切関わらず(反応せず)、ただ見つめて
   いれば、条件づけは自然に消えていくのでしょうか?
   いつも見つめているだけなら、意識はいつも澄んだままでしょうか?
   そして、澄んだ目には、湖底を見るように自分自身の条件づけの構造が
   見えてくるでしょうか?
   はっきりと見られることが条件づけの終りでしょうか?
   はっきりと条件づけが見られた時、人はもう二度と同じ罠にはかからないで
   しょうか・・・

   17
   すべては調和へと向かっているのでしょうか?
   意識の不純物としての条件づけは、静かに見つめていれば自然に外れて
   いくのでしょうか?
   ただ自我だけがそれを邪魔しているのでしょうか?
   自我が静まり、ただ見つめていれば、すべては本然へと自然に回帰していく
   のでしょうか・・・

            (これは自問自答であり、何らの結論ではありません)                                                 
                 K-Communication №10(1990年5月号) より
                               >>K-Communication

        
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
関連記事
別窓 | 木霊の森 | コメント:0
<<屋久島の滝 | いのちの島=屋久島 | 自然回帰 - 1->>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| いのちの島=屋久島 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。