いのちの写真と光の言葉
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真の自由
2007-04-13 Fri 08:36
                                        『夕陽の上の雲』
夕陽の上の雲ー05-e-sun
    
   真の自由
  
   M さんへの手紙 - 2 -  (昨日の続きです) 

   あなたは、「クリシュナムルティを学ぶことによって、躁鬱病が良くなる
   ことを信じたい」 とおっしゃいました。
   「信じることは、より回復を早める」 ともおっしゃいました。
   はたして、そうでしょうか?
   確かに、クリシュナムルティを学べば良くなると信じ込めば、一時的
   には回復したかのように感じられることがあるかもしれません。
   しかし、それは本当に回復したのでしょうか?
   肯定的なことを信じれば肯定的な結果が、否定的なことを信じれば
   否定的な結果が出る ― ― それは事実かもしれません。
   しかし、それは信じたことの結果でしかないのもまた事実です。
   つまり、それは信じること・イメージすること・想うことによって造り
   出されたものに過ぎないのです。
   ですから、信じることをやめれば、イメージすることを中止すれば、
   あるいは、逆のことを信じれば、別のイメージを作れば、それらは
   終ってしまうのです。
   それは想うことが造り出した幻想ではないでしょうか。
   肯定的な想いも否定的な想いも、いずれも思考の次元にあり、
   コインの裏表に過ぎません。
   それはどちらにも変わり得る同一平面にあり、何時また病気になるかも
   しれないのです。

   そうではない、完全にそのような不安定な次元とは別の回復は
   ないでしょうか。
   信じたり、イメージしたり、何かを意志的にすることによらない全快です。
   それは躁鬱病のメカニズムを、あなたが深いところで理解された時に
   実現するのかもしれません。
   過去を悔やみ、未来を心配し、思い悩むことが不安や恐怖を造り出し、
   それが度重なることによって思考が自縄自縛に陥り、どんどん空回り
   していきます。
   それが慢性的になり、常態化すると医者は鬱病と名付けるのです。
   逆に楽観的な想いやイメージが異常に増幅されると躁状態と名付け
   られるのではないでしょうか。
   いずれも思考が造り出す両極端の状態です。
   それは思考が自分で造り出した幻想の中で、自ら溺れている状態に
   他なりません。
   信じることも、肯定的なイメージを持つことも、またその逆も必要ないで
   しょう。
   必要なことは、ただ静かに自分自身の状態を見つめ、理解することで
   はないでしょうか。
   躁鬱病を理解することが、躁鬱病からの自由ではないでしょうか。
   
                      
   「病む時は病むがよくござそうろう。死ぬ時は死ぬがよくござそうろう。
   これ病死より救わるる妙薬にてござそうろう」 という良寛和尚の言葉を
   読んで、躁鬱病から回復した人の話を、あなたからお聞きしました。
   それは、もしかすると、自分で何とかしようという思いがある限り、
   病気の世界から真に抜け出ることはできないということを示しているの
   かもしれません。
   なぜなら、病気を造り出したのは思考であり、それを治そうとしているのも、
   また同じ思考に他ならないからです。
   ただ思考が見られ、理解され、静まる時にのみ、病気からの自由が
   あるのではないでしょうか。
   これはあなたに限ったことではなく、多かれ少なかれ、健康な人にも
   言えることでしょう。
   思考が異常に空回りすれば、誰でも躁鬱病になる可能性があります。
   心理的な問題は、あなたも私も本質的には同じではないでしょうか。

   ただ静かに注意深く自分自身を見つめていることが、真の自由では
   ないでしょうか。                           

              K-Communication №14(1990年10月号) より
                            >>K-Communication
    
   ☆ぴあの編集後記
   この文章(Mさんへの手紙)をアップに選ぶにあたって、すべての人に
   ”躁鬱病” というところを、”日々の自分の過去から来る根強いイメージ
   や自己限定” に当てはめて読んでいただきたい と思いました。
   ここから読まれた方は、ぜひ昨日の文章から続けてお読みください。
         
   
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この記事のコメント
ぴあの編集後記さま☆
ののののちほど、ゆっくり読みますo( _ _ )o
2007-04-13 Fri 19:15 | URL | さくら #-[ 内容変更]
全快ということ
同一平面の中でただ居場所(気分、気持ち)が変わっただけで
一喜一憂しがちな今日この頃ですが、
たしかに、肯定・否定のない安定した次元、自分から意識を外さないことで得られる
とても静かで平和な次元があるように思います。
躁うつ病、自分を見つめること、向き合うことにも最初はエネルギーが必要かもしれませんが、
やるかやらないか、それだけのことかもしれません。
やりはじめた時点ですでに全快なのかもしれません。
それがあるがままの世界への第1歩でしょうjか。

2007-04-13 Fri 23:33 | URL | 優しい気持ち #-[ 内容変更]
☆さくらさん

はいはい、またいらしてくださいね~~ヾ(*゚▽゚*)ノ 

       ぴあの編集後記より

2007-04-15 Sun 00:27 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
☆優しい気持さん

全快ということは、つまり恐怖の終わりですね。
恐怖は、根強いですね。
恐怖が襲ってきたとき、思考はこれでもかとどんどん
空回りしていきますものね。
その空回りする思考とただ、一緒にいることなのですよね。
何もすることなく、まっすぐに見つめたとき、
見つめるほうにポイントが移り、思考が静まるのですよね。
kimiさんは、そのときに思考ではないエネルギーが
流れてくる といつもおっしゃいます。
たしかに、やるかやらないか、ただそれだけのことですよね。
それが、なかなかできないのですよね。
エネルギーがないと見つめられませんね・・・
見る ということは、愛の行為なのですね。
全的な愛で自分を見つめられたとき、変容が起きるように
思います。
昨日の光の日記の、中心ラインを見出すこと というのに、
深く頷きました。
2007-04-15 Sun 01:07 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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