いのちの写真と光の言葉
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無限定
2007-04-12 Thu 10:53
                                        『尾之間の夕陽』
尾之間の夕陽ー01-e-sun
     
   無限定
  
   M さんへの手紙 - 1 -

   あなたは、いつも自己紹介の時 「私は躁鬱病で・・・」 と話されます。
   それは事実を包み隠さずありのままに話している勇気あることの
   ようにも聞こえますが・・・
   はたして、どうでしょうか?
   それは、もしかしたら自己限定になっていないでしょうか?
   あなたは、それは事実であるとおっしゃるかもしれません。
   が、本当にそうでしょうか?
   あなたが躁鬱病で通院しておられるのは事実です。
   しかし、今、この瞬間、あなたは躁鬱病でしょうか?
   あなたが 「私は躁鬱病で・・・」 とおっしゃる時、あなたは過去を今に
   持ち込んでいないでしょうか。
   それは一瞬前までは事実であったかもしれませんが、今は、もう
   過去になっています。
   「今も躁鬱病です」 と、あなたはおっしゃりたいかもしれませんが、
   でも、本当にそうでしょうか?
   それはあくまで過去の記憶ではありませんか。
   今、この一瞬は過去ではありません。
   過去とは全く違う瞬間です。
   あなたが過去に別れを告げ、今に生きる時、そこに何があるでしょうか?
   はたして躁鬱病があるでしょうか?
   全ての過去を取り除いてしまった ”今” には、いったい何が残って
   いるでしょうか?
   何もありません!
   ”今” ― ― それは空白です。
   この真の存在次元には何もないのです。

   あなたが「私は躁鬱病で・・・」とおっしゃる時、それは過去の記憶を
   持ち込んで、”今” を規定しているのではないでしょうか。
   過去が過去のままに置かれ、”今” に持ち込まれない時、 ”今” は
   純粋に空白です。
   その時、過去である 『私』 もありません。
   ”今” この一瞬に 『私』 はないのです。
   『私』 は過去であり、過去が ”今” に持ち越される時にだけ 
   『私』 が存在します。
   人が ”今” に生きる時、『私』 はなく、ただ存在だけがあります。

   しかし、それでも躁鬱状態というのは、事実として ”今” もある、と
   おっしゃるかもしれません。
   しかし、意識は一瞬一瞬変わります。
   その変化する意識を、なぜ過去の病名で規定してしまうのでしょうか。
   名付ければ、それは躁鬱病になってしまいますが、
   もし名付けなければただ一瞬一瞬の意識の変化があるだけです。
   名付けることは、過去によって ”今” を規定することです。
   それは限定であり、事実ではありません。
   過去と全く同じ意識の瞬間などあり得ないのです。
   それなのに、なぜ、あなたは過去と同じ病名を ”今” に付けるので
   しょうか。
   ”今” は ”今” のままに、名付けることなく、限定することなく、
   そのままに置かれる時、そこに無限定の空間が生れます。
   そこには、”躁鬱病” はありません。
   そこにはただ空間 ― ― 仏教的に言えば ”空” があるだけです。
   あなたが 「私は躁鬱病で・・・」 と言い続ける限り、あなたは躁鬱病で
   あリ続けることでしょう。
   そう言うこと自体が躁鬱病を強化し続けます。
   あなたがそう言う度に、躁鬱病であるという自己イメージは
   増殖し続けるのです。
   あなたが 「私は躁鬱病で・・・」 という自己限定を止める時、
   目の前に自由な空間が広がるでしょう。
   真に ”今” を生きるとは、自己限定の一切ない ”空” を生きると
   いうことではないでしょうか。
   それは過去に決別するということです。
   ”今” は一瞬であり、永遠です。
   ”今” は ”空” 以外のなにものでもありません。

                             ・・・明日に続きます  

              K-Communication №14(1990年10月号) より
                            >>K-Communication
    
   ☆ぴあの編集後記
   この文章(Mさんへの手紙)をアップに選ぶにあたって、すべての人に
   ”躁鬱病” というところを、”日々の自分の過去から来る根強いイメージ
   や自己限定” に当てはめて読んでいただきたい と思いました。
   この文章は明日に続きますので、ぜひ続けてお読みください。
         
   
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別窓 | 夕陽 | コメント:4
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この記事のコメント
そうなんですよね・・・


人から言われたものよりも
案外「私」って存在は自分で作り上げてしまってるコトが
多かったりしますね。


続きを楽しみにしています^^
2007-04-12 Thu 15:23 | URL | かほる姫 #kOljmPFc[ 内容変更]
ありがとうね♪
なんだかうれしい。
私は、病気で、今日もいたくって、
でもそれはおしてはかえす波のように、変化していて・・。
私は、緊張症で、恥ずかしがりやで
みんなができる計算ができない(笑)
その「感覚」や「経験からくる記憶」は増殖して、そして、
それをいつも言い訳や理由としている。
それを理由として、安住している。
私はこんな人・・・って。
それに「どうせ」という形容詞をこっそりつけるの好きだねえ。
自己満足ですね♪

手紙なのですね。
やさしいですね。
明日も楽しみにしています。
2007-04-13 Fri 01:28 | URL | atori #-[ 内容変更]
☆かほる姫さん

そのとおりなのですよね。
『私』 は、幾多の過去の集結なのですね。
過去の記憶が 『私』 なのですよね。
たくさんの過去の条件付けに縛られている 『私』 が
いますね。
『私』 が考えるときは、必ず過去の記憶データバンクが
フル活動します。
つまりそれでは、『私』 は、過去以上のものには
なれない ということですね・・・
過去から自由になるということは、
たくさん身につけてきた価値観や条件付けから
自由になるのですね。
その時、まっさらの心でリアリティがそのまま感受される
のでしょうか・・・
2007-04-13 Fri 08:48 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
☆あとりちゃん

自己憐憫して、いつまでも保護のもとにいたい と
思ってしまうのですよね。
守られていれば安心 バリアーを張っていれば攻撃を
受けないぞ って、そうやって頑なに 『私』 を守り通して、
そして大切に守られているはずの 『私』 なのに、
永遠に自由にはなれないわけです。
でも、そんな自分が愛しいですね。
愛して愛して、解放してあげてくださいね。
これを打っていて、数多のあとりちゃんに共振して、
数多の私にも同時に共振して、涙が出てきました。
2007-04-13 Fri 09:00 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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