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『私』 の成立 - 2 -
2007-04-03 Tue 10:24
                                           『木霊の森』
木霊の森-15
 

   『私』 の成立 - 2 -  (昨日の続きです)

   こう言ったら、他の人は 『私』 のことを何と思うだろう。
   『私』 は、あの人にどのように思われているだろうか。
   こんなことをしたら 『私』 はみんなから嫌われてしまわないだろうか・・・
   『私』 ができると、絶えず 『私』 を意識しているようになる。
   小さな子供は、けしてこのような意識を持っていない。
   『私』 は、あらゆる場合に意識の片隅に絶えずあるようになる。
   その時 『私』 は自由ではなくなる。
   『私』 という牢獄に閉じ込められてしまっている。

   『私』 は他との関係によって生じる。
   他と比較することによって 『私』 が生れる。
   もし他がなければ 『私』 もない。
   自他は同時存在であって、けして一方だけで存在することはできない。
   つまり、『私』 は絶対的なものではなく、相対的なものである。
   比較によって生じたイメージに過ぎない。
   しかし、いったん 『私』 のイメージができてしまうと、
   あたかも 『私』という実体があるかのように思い込んでしまう。

   『私』 が考え、『私』 が行動する。
   すべてが 『私』 を中心になされる。
   『私』 が世界の中心となり、『私』 なしでは世界も無いに等しい。
   『私』 以上に価値のあるものは存在せず、
   すべてが 『私』 のために存在する。
   『私』 が幸せにならないなら、『私』 以外のすべての人の幸せは
   ほとんど意味がない。
   『私』 の重要性が極まれば、永遠の『私』=『魂』 を作りだす。
   死後も 『私』 が重要なのである。
   『私』 の絶対化。
   『私』 は『神』である。

   この 『私』 を維持するために、他と様々な争いが生じる。
   それが 『私の人生』 となる。
   これが世界の現状である。
   『私』 という幻想を持つが故の人類の悲劇である。
  
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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