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木霊の森
2007-03-02 Fri 08:22
木霊の森ー09
 

   信じること - 1 -  
   (今日から3日間連載でアップします。どうぞ続けてお読みください)
   
   信じることは、先の見えない三次元の人生において、
   極めて尊いことだった。
   信じるもののために命を捧げることは、人類の美の極みだった。
   迫害され、磔(はりつけ)にされながらも、信じるもののために殉じる。
   それは涙なしには語れない愛の結晶。
   そういう過去世がたくさんあった。
   自己犠牲という美徳を過去世で経験している人は多いだろう。
   それは人類史に燦然(さんぜん)と輝く星なのだ。

   信じることは、ハートや直観をベースにしていることもある。
   それは美しい。
   何よりも美しい。
   それは愛であり、それ故に自己犠牲を厭(いと)わない。
   そういう信仰も、過去の歴史において多々見られた。
   それは人類の歴史において、今も美しい香りを放っている。
   それは肉の身を持つ者にとっての至宝。
   最高の尊さだ。

   そういう時代もあった。
   しかし、時はひとときとして同じところには留まらない。
   自己犠牲の美しさは既に過去のものとなってしまった。
   純粋な愛や直観に、思考が加わった。
   純粋な愛や直観もひとたび思考に捕まれば、思い込みと
   成り果ててしまう。
   中東で見られる自爆テロは、アラブやイスラムの人たちに
   とっては崇高な英雄的行為と映る。
   しかし、イスラエルやアメリカにとっては、無差別殺人以外の
   何ものでもない。

   しかしながら、広島や長崎に原爆を投下したアメリカに、
   無差別テロを非難する資格があるのだろうか。
   原爆では無差別テロの何百倍何千倍の人が一度に亡くなった。
   もちろん、南京大虐殺をおこなった日本にも非難する資格はない。
   もしかすると、誰も非難する資格はないのかもしれない。
   なぜなら、自分と違う意見や価値観を持つ人を攻撃したり、非難
   したりしない人は希(まれ)だ。
   それは無差別テロと程度の差でしかない。
   他人は責めなくても、自分を責めていれば同じ。
   自分の信じるもの以外を攻撃したり非難したり否定したりすれば、
   やがて、それが無差別自爆テロにつながらないと誰が断言できる
   だろうか。
   自己犠牲は美しいけれども、それが敵に向けられる時、憎しみの
   連鎖を呼ぶ。

   何がどう間違ってしまったのだろうか。
   あれほど美しく尊いものであった自己犠牲が、どうしてこんなにも
   貶(おとし)められてしまったのだろうか。   
                               ・・・明日に続きます
                                     
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