いのちの写真と光の言葉
心配
2015-10-21 Wed 12:23
心配とは、我が儘。
自分の望まない現実が起きることを恐れる心。
逆に言えば、自分の望む通りになってほしい心。
それ以外は認めない心。

人のことを心配する?
実は・・・
自分のことを心配しているだけ。
自分にとって都合の悪いことを避けたいだけ。

心配とは、エゴ。
エゴが、嫌な現実から逃げているだけ。
思いやりという美名の下、自分の思うようにしたいだけ。
望まない現実を拒絶しているだけ。

心配とは、事実を認めたくない心。
現実を思うようにコントロールしたい心。
自分の砦が崩れることを拒んでいるだけ。
しっかり自分の中に囲い込んでいたいだけ。

事実ベースで生きれば、心配はない。
ただ事実と共に生きるだけ。
どのような事実であれ、黙って受け入れる。
事実に即して生きるだけ。

心配は、事実を受け入れない。
自分の望まない現実を拒否する。
だから、心配する。
現実を望むように支配したいから・・・

どんな事実であれ、事実と共に生きる。
どんな現実であれ、そのまま直視する。
そうやって生きるしかない。
他に真実の道はない。

心配には、宇宙への信頼が欠如している。
小さな自我で、善し悪しを判断している。
自分のこれまでの経験に照らして決めつけている。
自分の価値観で、受け入れるかどうかを選択している。

全面的に受け入れようとはしない。
自分にとって都合の良いものだけを受け入れようとする。
都合の悪いものは拒絶する。
それこそが心配=自我の本質。

心配とは、エゴ。
自分を守りたいエゴの為せる技。
すべてを受け入れようとしない自分勝手。
自己中心的な我が儘。

しかし、心配している限り、心のやすらぎはない。
すべてを受け入れない限り、心が安定することはない。
心配している限りは、心は常に動揺している。
心配とは、心ここにあらずということ。

心配すれば、心は彷徨い、不安定になる。
自分自身へのグランディングはないに等しい。
意識が外に向くから、心配が起きる。
内に向けば、心配はない。

しっかりと自分自身を生きる。
自分自身の深さを生きる。
深い意識に心配はない。
深い意識にあるのは、信頼。

意識が深まれば深まるほど、心は安定する。
心配とは、波立つ表面の心。
自分の思うように支配したい心。
都合の悪いことを拒絶する心。

自分本位に選択していると、自分の望まない現実に出会った時に苦しむことになる。
すべてを受け入れない限り、苦しみから逃れることはできない。
自我とは、選択。
非自我とは、無選択。

心配したければ、心配してもいい。
でも、心配すればするほど、エネルギーは消耗する。
しょうも(う)ないことをやるから、消耗する?
ハイ、しょうもないギャグ。

心配とは、事実に反した行為。
現実に抵抗しているので、エネルギーはどんどん消耗していく。
事実に即して生きないと、抵抗や摩擦でエネルギーが消えてしまう。
それをやっている限り、自分自身を創造的に表現することはできない。

避けようとしているものは、何か。
守ろうとしているものは、何か。
自分の心配を見つめ、心配の本質を理解する。
自分がしっかり掴んでいるものは何だろう・・・?

自覚しない限り、心配に翻弄され、心配の虜となる。
心配の本質をわからなければ、自我のまま苦しむことになる。
避けることも守ることも苦しみの道。
ただ事実と共に生きるしかない。

いのちの限り、ただ事実と共に生きていく。
現実を支配しようとすれば、苦しみが待っている。
すべてを受け入れ、すべてを認めない限り、抵抗と摩擦で消耗してしまう。
事実と共に生きるのが最も楽な生き方。

どんな事実も、ありのまま受けとめる。
どんな事実も、拒否しない。
すべてを受け入れる時、人は愛に包まれる。
なぜなら、すべてを受け入れることが、愛だから。

愛は、すべてをありのまま受け入れる。
愛は、すべてをそのまま認める。
好きも嫌いもない。
ただただ、すべてをあたたかく包み込んでいるだけ。

無条件にすべてを受け入れる時、心配はない。
無条件にすべてを包み込む時、不安も恐れもない。
ただ限りない愛が降り注いでいるだけ。
まるで春の陽射しのように、あたたかいものに包まれているだけ。


『ありのまま 受け入れる時 心配は 消えて心は やすらぎのなか』




関連記事
別窓 | 未分類 | コメント:0
<<何もしない | いのちの島=屋久島 | 不運>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| いのちの島=屋久島 |