いのちの写真と光の言葉
解き放つだけ
2015-04-23 Thu 08:54

次のようなコメントが届いた。

「何もしない事が...それがどうしてもできない。
見極めているつもりでも実は『思考』が働いています。
瞑想していても『思考』しているようです。
いったいどうしたら『思考』をコントロールできるのでしょうね?」

思考をコントロールすることはできない。
なぜなら、コントロールしようとしているのも、また思考だから。
それでは思考の堂々巡りになってしまう。

思考のコントロールは諦めるしかないだろう。
思考が動いている間は、動いているままにしておくしかない。
もし、思考を無理に止めようとすれば、必ず反動が起きる。
無理に抑圧すれば、潜在意識の中に歪んだ形で蓄積される。
それはかえって意識のクリーン化を難しくしてしまう。
抑圧し続ければ、無気力になるか、気が狂うか・・・
いずれにしても、よいことはない。

思考は使うこと。
そして、マスターすること。
そして、囚われないこと。
抑圧しても、思考力が減退するだけ。
抑えない、けれども負けない、理解するだけ。
感情を扱うのと同じ原理原則。

自分の中に、たくさんのこだわりや囚われや執着がある間は、いろんな反応が起きてくる。
思考が自動的に反応する。
まずは、それを認めるしかない。
常に事実と共に生きる。

出て来るものは、出してあげるしかない。
但し、出て来るままに翻弄され、自分を見失うことのないように。
見守りながら出していく。
それをやり続けていると、気がつかないうちに見守る意識が働くようになる。
無意識のうちに見守っている状態になる。

自宅に帰って、静かに今日の自分の反応を反芻(はんすう)する。
どうしてあのような反応が出てきたのか、もう一度冷静に振り返る。
自分の状態をフィードバックする。
客観的に見つめ直す。
そして、その原因を突き止める。

そういう作業を繰り返していく間に、見る意識が育っていく。
その作業中に思考が動いてもかまわない。
あれこれ考えて、気づく。
それでいい。
思考は道具。
使いこなせばいいだけ。

ポイントは、見つめながら思考を使うこと。
思考の独り歩きをさせないこと。
つまり、考え過ぎて自分を見失いそうだったら、見つめていないということ。
それは思考の空回り。
それでは永遠に思考から自由にはなれない。
見つめながら考える。
常に自分自身を見つめるという姿勢が必要になる。

瞑想中も思考が動く?
動く思考を見つめていればいい。
最初から無念無想になれるわけがない。
潜在意識に溜まっていた、いろんな思いが雲霞(うんか)の如く出て来る。
それが普通。
問題は、そういうものが出てきた時にどうするか。

出てきたものを一々払い除けようとしてもキリがない。
それではまったく瞑想にならない。
出てきたものに呑み込まれてしまっても、瞑想とは言えない。
それでは瞑想のつもりが迷走になっている。

出て来るものは、出て来るもの。
そのまま認めるしかない。
ただそれを眺めている。
見守っている。

見守る以外のことをすれば、それは思考が動いていることになる。
それでは瞑想にはならない。
動く思考を見守る。
その動きが止まろうが止まるまいが、見守る以外の方法はない。

呼吸法をやる?
マントラを唱える?
そういうテクニックもある。
それはそれなりの効果はある。
でも、所詮、テクニック。
テクニックなしでは瞑想できない、テクニック依存症をつくることになる。

心が落ち着く静かな音楽を使ったり、それなりの工夫をするのもいいかもしれない。
最初は自分がやりやすいようにアレンジするのもいいだろう。
でも、テクニックはテクニック。
それぞれの限界がある。
最後の最後は、いかなる方法もない。
ただ静かに見守る。
それしかない。

まずは、潜在意識に溜まっているものを解放する。
それには静かに見守ること。
思考が動けば、それを見守る。
思考に囚われず、ただ流すように見守ればいい。
要は、意識のポイントが思考にあるか、見守る方にあるかということ。
簡単には意識のポイントは移動しない。

日常生活は思考のポイントで生きている。
それが瞑想した途端、見守る方のポイントへ移行するはずがない。
意識は普段と同じように思考のポイントにある。
それを見守る。

パッと切り替わるものでもない。
自然と切り替わるとしか言いようがない。
いつのまにか自然に見守っているようになる。
いつのまにか自然に見守る意識が働くようになる。
それは瞑想中だけに限らず、日常生活の中でも働くようになる。

瞑想の時だけ瞑想していても仕方がない。
常住坐臥(ざが)瞑想状態というのが望ましい。
少なくともどんな状況であれ、見守る意識が常に働いているようになる必要がある。
そのような状態には一朝一夕にはなれない。
いつのまにか・・・なっている。

だから、焦らず、ゆっくりやればいい。
ゆっくり自分自身を見守り続ければいい。
そうすれば、徐々に見守る意識が育っていく。
やがて、いつのまにか思考も静まっている。

思考を鎮めようとしない。
思考を鎮めようとすれば、思考が思考を鎮めようとする泥沼にはまる。
ただ静かに見守る。
それが唯一の方法。
思考を使わない唯一のやり方。

そうやって見守っている間に、自然に意識のポイントが切り替わる。
思考から見守る意識の方へ移行する。
自然に移行する。
それが一番無理のない方法。

焦らない。
慌てない。
落ち着いて、ゆっくり見守ればいい。
絶えず自分自身を見守っている。
必死に頑張るのではなく、おおらかに、やさしく・・・

必死で頑張ろうとするのは、思考。
見守る意識は、ゆったり、おおらかにすべてを包み込んでいる。
すべてに浸透している。
だから、ゆったりと見守った方がいい。

『おおらかに やさしく包み 見守って 出て来るものを 解き放つだけ』





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