いのちの写真と光の言葉
井戸掘り
2012-05-27 Sun 21:34
『井戸掘り』

「私は、まだ信じ切れていないのかしら?」
と、彼女は言った。
信じる?
信じる・・・

何を信じるのだろうか。
神や仏?
宇宙?
自分自身?

こちらは、何も信じてはいない。
信じるという発想がない。
信じる必要がない。
信じるとは・・・

安心するためにする行為。
安心したいために信じる。
信じることによって自分の心を安定させたい。
しかし・・・

信じれば、同時に疑いが芽生える。
信じると疑うは、表と裏の関係。
信じれば、信じていいのだろうかという疑いが同時に意識化で誕生する。
作用があれば、反作用もある。

どうして信じたりするのだろうか。
それは、不安だから。
確信が持てないから。
自信がないから。

不安や心配から始まったものは、不安や心配に終わる。
いくら信じても不安は消えない。
なぜなら、信じる根底に不安があるから。
信じることのベースは、不信に他ならない。

こちらは、何も信じてはいない。
なぜなら、信じる必要がないから。
光と一体だから。
光そのものだから。

何が起きても、どんな状況になっても、何も不安はない。
いかなる心配もない。
不安や心配は、表面意識のもの。
深い意識には、不安や心配は存在しない。

どこにフォーカスし、どの次元で生きるか。
ただそれだけのこと。
この世バージョンで生きれば、不安や心配は絶えない。
物質や肉体に振り回される。

深く深く生きること。
それしかない。
それのみが、人を安定させる。
他に安定させられるものはない。

お金も財産も当てにはならない。
地位も名誉も何の役にも立たない。
家族や恋人も心変わりする。
会社も国もどうなるかわからない。

肉体も変化する。
心も変化する。
すべて変化する。
変化するものに依拠すれば、足下をすくわれる。

では、何が変化しないのか。
不動のものがあるのか。
安心立命できるものが存在するのか。
それは・・・

自分の意識の井戸を掘るしかない。
掘って水源を発見すること。
いのちの源を発見すること。
存在の根源を見い出すこと。

表層で生きないように。
地表のみで生きれば、地震に翻弄される。
肉体のみで生きれば、体調に翻弄される。
自我のみで生きれば、社会に翻弄される。

もっと深く。
更に深く。
どこまでも深く。
生きるしかない。




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