いのちの写真と光の言葉
思いの世界
2012-02-19 Sun 14:05
                                           『木霊の森』
木霊の森ー10-2-dec_11
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日記『無色透明』  2007年 ”1005日目 - 思いの世界” より転載。

☆ 思いの世界

今日、ものみの塔の人が訪ねてきた。
初めて見る顔だった。
「死について考えたことはありますか」
「まあ、考えないこともないけど・・・」

曖昧な返事をしていると、聖書に回答があると言われた。
聖書を読めば慰められるとも言われた。
死や天国について、聖書に詳しく書かれていると・・・
それを信じれば、救われる?

信じるということは、思い込むということ?
思い込めば、慰められる?
確かに!
死んでも天国へ行くと思えば、心は落ち着く。

でも、それは思い込みの世界。
自分の心地よいように思い込んで、自分を納得させただけ。
自分で納得して、自己満足しているだけ。
思いの世界で生きているだけ。

不安も心配も、思いの次元。
その逆を思うことで、慰められるだけ。
ただ思いが変化しているだけ。
思いによって感情も変化する。

思いによって人は揺さぶられ、思いによって人は変化する。
人の中に占める思いの割合は大きい。
思いベース。
思いの中で、のたうち回っているだけ。

別にそれがいけない訳ではない。
ただの事実。
その事実に気づかないまま終わる一生。
思いの中で右往左往する人生。

思いを変えることで、人生は180度変わる。
しかし、思いの世界に変わりはない。
お釈迦様の掌の上で踊る孫悟空と異ならない。
どこまで行っても思いの世界。

思いの世界で六道輪廻しているだけ。
天国から地獄まで体験しているだけ。
それも悪くはない。
しかし、そのことを理解しない限り、自分のシッポを追いかけ回す犬と変わらない。

六道輪廻の世界にいる限り、自分の思いに振り回される。
生老病死、四苦八苦・・・
カルマの輪の中から抜け出すことはできない。
限られた選択肢があるだけで、完全な自由はない。

人生を理解することだけが、自由をもたらす。
理解がない限り、人はカルマの奴隷。
思いの世界の囚われ人。
そのことにさえ気づかずに一生を終わる。

それが、無明。
明かりがないこと。
光がないこと。
何もわからず闇の中を彷徨うのみ。

思い方を変えることによって、慰められる?
思い方を変えることによって、幸せになれる?
確かにそうかもしれない。
しかし、また思い方が変われば、地獄に落ちてしまう。

思いの世界は一定しない。
常に変化している。
思いの世界に不変のものはない。
思いの世界は動揺する世界。

湖面の波立つ世界。
深い静謐は望めない。
思いの世界を否定する必要はない。
しかし、それがすべてでもない。

思いの世界を理解して、思いの世界から自由になる。
思いの世界をわかって、思いの世界から離れる。
思いの世界を深く体験して、思いの世界を自由に使いこなす。
思いの世界に拘泥(こうでい)しない。



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