いのちの写真と光の言葉
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祈り
2011-08-11 Thu 23:47
                                          『美しい太陽』
美しい太陽ー19-aug_07_11.jpg
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『祈り』

祈りとは何だろう?
人はどんな時に祈るのだろうか。
自分ではどうにもならない時?
何かの助けがほしい時?
なんとかしてほしい時?

子供が病気の時?
悲惨な現実を目の当たりにした時?
死が避けられない時?
苦しみが増す時?
心理的に耐えられない時?

現状をなんとか変えたい時に、人は祈るのだろうか。
現状を認められない時に、人は祈るのだろうか。
現状を見るに耐えないので、人は祈るのだろうか。
現実逃避?

人は何に対して祈るのだろうか。
神に祈る?
どんな神に?
自分が信じる神に?
仏に祈る?
どんな仏に?
御利益のありそうな仏に?
天使に祈る?
守護霊に祈る?
御先祖様に祈る?
祈りがかなえば、感謝する?
お礼参りする?
かなわなかったら?
もう信じない?
神も仏もない?

必死の祈りが実現したという話は、たまに聞く。
自分の命と引き替えに子供の命をお守りくださいという母の必死の祈りは、
聞き届けられることもある。
しかし、いつも聞き届けられるとは限らない。
子供が自ら死を選べば、母親の願いは虚しく消えるしかない。
子供にとっては、それで十分。
母親も子供を亡くした体験を今生ではすると潜在意識で決めている場合もある。
悲惨な現実が、必ずしも悪いということではない。
必要があって、そのような現実を引き起こしている場合もある。

交通事故によって、これまでの生き方を見直す機会に恵まれる。
重病になって、生きていることのすばらしさに目覚める。
障害児が生まれることによって、何が大切なのかに気づく。
一般的に悪いと思われていることが、必ずしも悪いわけではない。
現象の利害得失だけでは推し量れないものがある。

「人生万事塞翁が馬」という諺もある。
何が吉となるかわからない。
表面の浅はかな気持で判断すると、大きな過ちを犯すこともあり得る。

ただ事実と共に留まる。
事実と一緒にいる。
事実を直視する。
事実から逃げない。
事実と居切る。

相手は苦しいだろう。
早く楽になってほしい。
楽にしてくださいと祈る。
それも悪くはない。
でも、もう少し深く相手と一緒にいることはできないだろうか。
どうしてこんなに苦しんでいるのか。
もっと深く感じることはできないだろうか。
相手と一緒に居切ることによって、相手の状態を更に深く感じることはできない
だろうか。

本当に相手と一緒に居切れたら、相手の状態が手に取るようにわかる。
それと同時に、こちらから相手へエネルギーが流れる。
何もしなくても、一緒にいるだけでエネルギーが流れる。
祈るまでもなく・・・

祈りには、願いがある。
その願いはどこから来るのだろう?
自分の願望?
愛?

愛自体には方向性はない。
相手と一緒にいれば、自然に相手に流れる。
何もしなくても相手と一緒にいることによって、愛の方向性が決まる。
愛のエネルギーは癒し。
無条件の癒し。
何の願望もない。
自我の入る余地はない。
ただ純粋な愛が流れるだけ。

本当に深く人と居切れるだろうか。
自分の思いの混じらない純粋な愛が流れるほど、相手と一緒に居切れる
だろうか。
目の前の現象に目を背(そむ)けないで、その現象と共に居切れるだろうか。
目の前の事実から逃げないで、事実と共に居切れるだろうか。
どんな悲惨な現実でも、どんな苦しい状況でも、それらと共に居切ることが
できるだろうか。

安易な祈りに逃げないで、事実と共に居切る。
それができるだろうか。
できれば、人生が変わるかもしれない。
思いの次元から自由になれるかもしれない。

思いを超え、ただ静かに一緒にいる。
深い深い静けさの中で、共にある。
その時、思いを超えた次元から別のエネルギーが届く。
その時、必要であれば必要な変化が起きる。
自我の判断を超えた変化が・・・

自我で判断し、祈る。
一歩間違うと、欲望の祈りとなる危険を孕(はら)んでいる。
もし祈るのならば、自分自身をよーく見つめながら祈るといい。
それが意識のどのレベルから来ている祈りか・・・
自我ではないという思い込みに注意しながら・・・

できるだけ相手を尊重する。
相手の存在を、そのまま尊重する。
自分の希望を押しつけない。
自分の祈りを押しつけない。
相手の生き方を尊重する。

ただ相手と一緒にいる。
ただ事態と一緒にいる。
その時、どれだけ深く一緒にいられるかが問われる。
どれだけ意識の深いレベルで一緒にいられるか。
意識のどの次元で生きているか。
日々の生き方が問われる。

思いを超えた次元で、ただ一緒にいる。
いかなる思いもなく、ただ一緒にいる。
共に苦しみ、共に泣く。
ただ涙がこぼれる。
苦しんではいない。
泣いてもいない。
ただ涙がこぼれるだけ。

色の世界の苦しみや悲しみと共にいる。
空の世界の、それらを超えた次元と共にいる。
共に苦しみ、共に悲しみ、それらを見守る。
苦しみや悲しみの心は伝わる。
それは涙となって頬を伝う。
それでも静かに見守る。
ただ見守る。
思いを超えて見守る。



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この記事のコメント
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無量の慈悲を顕す

事だろう…

祈らずにおられぬ現実

でも思いを超えて
2011-08-13 Sat 02:34 | URL | 風の彷徨者 #-[ 内容変更]
☆風の彷徨者さん

ほんとうに、祈らずにはいられない現実ばかりが
目の前に現れます。

でも、その現象、その対象の根底に流れるものを信頼し、
深く静かに共にありたいですね・・・

2011-08-19 Fri 02:02 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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