いのちの写真と光の言葉
2011-07-18 Mon 01:44
                                       『青い空と青い海』
青い空と青い海ー04-july_07_11.jpg
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日記『無色透明』  2005年 ”39日目 - 「私」” より転載。

『私』

えっちゃんが書いていたけど、確かに一人では「私」は存在しない。
神様オンリーワンだったら、「私」も他人もない。
ということは、「私」というのは比較によって初めて存在するということになる。
対比によって「私」は存在する。
違いということだね。

確かに、名前が違う、背の高さが違う、顔つきが違う、経験が違う・・・
それぞれ違うから、個々の「私」が存在する。
ところが、同じ一人の「私」でも、「私」はいろいろ存在するらしい。
本当の「私」と嘘の「私」。
昔の「私」と今の「私」。
怒っている「私」と泣いている「私」。
どれが「私」なの?
そのすべてが「私」だと言う人もいる。
本当の「私」だけが「私」だと言う人もいる。

過去に人殺しをした人がいるとしよう。
今は悔い改めて人のために奉仕しているとしよう。
その人は悪い人?
それとも良い人?
殺された遺族にとっては悪い人。
今世話になっている人にとっては良い人。
評価は人によって異なる。
人はある側面を見て評価する。
その人のすべてを知って評価する人はいない。
そんなことは不可能だ。
でも、その個人差のある評価を基に、「私」はこういうものかなと自分で
思ってしまう。

バカだ無能だと周りから言われて育った子供は、自分をバカで無能だと
思い込んでしまう。
そして、思い込んだ通りの人生を歩んでしまう。
もちろん、逆もあり得る。

周りからの評価によって「私」はできあがるのだろうか。
他人によって「私」はつくられるのだろうか?
「私」は他人がつくったもの?
何かヘンだね。
「私」は他人の産物なの?

「私」は他人の評価を基にした思い込み?
そんなことはないわ。
「私」は「私」よ。
その「私」はいつの「私」?
過去の「私」?
それとも、今の「私」?
そのすべての「私」?

眠っている時は?
忘れてしまったことは?
そういう「私」も存在したのに、それは「私」の中に入ってないの?
「私」の中に入っているものは?
今自分が「私」だと思っていることだけ?
ザッツ、オール。
それがすべて。

自分が今、「私」と思っているのが「私」。
それ以外の「私」は存在しない。
どこにもない。
実体はない。
あったら見せてほしい。
どこにあるの?
「私」は自分が思っているだけのもの?

「私」というのはイメージ。
はっきり言ってしまえば、思い込み。
過去の記憶をベースとした思い込み。
どこにも「私」なんかない。

確かに肉体はある。
しかし、その肉体も子供の頃とはまったく異なっている。
同じ肉体?
少なくとも細胞はまったく違うだろう。
少しは子供の頃から生き残っている細胞があるのかな?
三年ぐらいですべて入れ替わるのでは?
となると、肉体は同じではない。
別人と言ってもいい。
DNAは同じ?
しかし、それも変化しているらしいよ。
「私」の継続性は怪しい。

では、精神の方はどうか。
精神も一瞬一瞬変わっている。
何が継続しているの?
記憶を除けば、他に何があるの?
記憶だけが継続性をもたらしている。
ところが、この記憶も忘れたりする。
「私」は減少するの?
いや、逆に記憶は増加しているかもしれない。
長生きすればするほど記憶は増加する。
「私」は増殖中?

増えたり減ったりする「私」。
固定した「私」ってあるの?
「私」は刻々に変化している?
それって「私」と言えるの?
昨日の「私」と今日の「私」は違う。
明らかに違う。
昨日はみんなに褒められて、自信満々の「私」だった。
でも、今日はみんなにけなされて、自信喪失の「私」がいる。
元気いっぱいの「私」と意気消沈した「私」。
どっちが本当の「私」?
どっちも「私」?
と思っているだけでは?
昨日はすばらしい「私」と思っていた。
今日は最悪の「私」と思っている。
日によって「私」は変わる。
のに、「私」という呼び名は変わらない。
ので、「私」は同じだと思っている?

昨日思っていた「私」と今日思っている「私」は異なる。
子供の頃思っていた「私」と、今思っている「私」は異なる。
どちらも「私」と呼んでいるけど。
それでも同じ「私」?
確かに名前は同じだ。
結婚しても、養子に行っても、名の方は変わらない。
だから同じ「私」?
「私」は名前?
では、ないはずだよね。

「私」っているの?
どこにいるの?
もしかしたら、どこにもいないかも?
それって虚無主義じゃない?
すべてが虚しくない?
そうかな?
事実ではないの?
事実を基に生きた方がいいのではないの?
それとも、「私」という幻想と一緒に生きたい?
「私」が消えたら困る?
「私」が無くなったら困るよね。
自分の拠り所が消えちゃうもの。
でも、「私」が消えたら、悟りかもよ?
自他の差が取れたら、差取りなんだって・・・

「私」って何?
何だろう?
「私」って、自分が思っているイメージ?
実体のないもの?
刻々に変わるもの?
「私」は本当は存在しないの?
「私」って何?

「私」って、イメージだよね。
あるエネルギー場に存在するイメージ。
記憶によって繋(つな)ぎ止められている思い込み。
まるで映画のように、フイルムが回っているから繋がっているように見える
けれども、一枚一枚のフイルムを見たら、バラバラ。
しかも、一枚ごとに異なる。
「私」が継続しているように見えるのは、波動が遅くて、フイルムを一枚一枚
見れないから。
だから、繋がっているように見えるだけ。
目の錯覚?
いや、意識の錯覚。
実際は一瞬一瞬異なる。
一瞬一瞬の「私」が無限に存在するだけ。
どこにも継続性はない。
継続していると、記憶によって思い込んでいるだけ。
意識の波動が早くなると、今瞬間の自分がいるだけ。

エネルギー場がある。
そこに記憶がストックされている。
それを基に「私」というイメージをつくって、人生ドラマを織りなしている。
しかし、その記憶がストックされているエネルギー場も刻々に変化している。
なぜなら、生きているから。
生きているということは、固定していない、変化しているということ。
すべては変化している。
すべては無常。
だから、固定的なエネルギー場も存在しない。
もちろん、「私」も存在しない。
ただ、波動が遅い時に「私」という継続性の幻想が存在するだけ。
人も魂も星も、単なるエネルギー場。
変化し続けているエネルギー場。
器なのさ。
肉体も精神も魂も星も。
無限のエネルギーの器。
ひとつのいのちの無限の器。
ひとつのいのちが自己表現する場。

やがて「私」の真実が誰の目にも明らかになる時が来るだろう。
そうなれば、「私」と「私」、自我と自我、エゴとエゴがぶつかり合うことも
なくなるだろう。
まったく異なる世界になるだろう。
今この瞬間に、すべての真理がある。
波動の遅い世界にのみ幻想が存在する。
どこで生きるか?
どの波動領域で生きるか?



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この記事のコメント
>波動の遅い世界にのみ幻想が存在する。
>どこで生きるか?
>どの波動領域で生きるか?

幻想の世界で生きようかな・・・
私も貴方もあいつもあの子も存在しない世界ってつまらなさそう。
ぶつかり合う事もない代わりに、
理解し合おうとする楽しみもない。

せっかく分離しているという錯覚の世界にはまり込んでいるのだから、
それをたっぷり味わえばいい。

ただ、すべては幻想と理解できれば、
この世界で思い悩む必要は無くなる・・・

・・・はずなんだけど、
この錯覚と幻想の世界につい埋没して、
ゼイゼイあえぐ羽目になるのはなぜ?

やっぱり、
理屈で解った気になってるだけなんだろうな・・・

2011-07-20 Wed 01:44 | URL | えっちゃん #-[ 内容変更]
☆えっちゃん

私にはよくわかりません。
文字ではわかるけどねえ~・・・

すべては記憶、思考が私をつくるということかしら。

難しいね・・・(~_~)


2011-07-26 Tue 23:14 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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