いのちの写真と光の言葉
疑うこと
2010-11-19 Fri 22:38
                                           『透明な川』
透明な川ー26-nov_10
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『疑うこと』       

昨日の書き込みに次のようなものがあった。

【ひとつって本当にあるんだろうか?
kimiさんがおっしゃっていることは本当なんだろうか。
心の中ではいつも疑っているけれど・・・。
性格悪いので・・・。】

この日記に書かれていることは本当のことだろうか。
それとも、間違ったことだろうか。
それはどうやったら確認できるのだろうか。

その答はどこにもない。
誰かに聞いても、人によって答は違うかもしれない。
また、誰かの答が正しいという保証もない。
さてさて・・・

ここに書かれていることが本当かどうか疑いだしたらキリがない。
どんどん疑いが増幅されていく。
最後は疑心暗鬼になるだけ。

最終的には、自分で確かめるしかない。
人の意見ではなく、自分自身の実感で確認する。
すぐに確認できないものは、わからないということにしておく。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
プラス・マイナス・ゼロのままにしておく。

疑うということは、マイナス。
信じることの裏返し。
むやみに信じる必要もないが、いたずらに疑う必要もない。

信じることは、プラス。
疑うことは、マイナス。
けっしてニュートラルではない。
既に予断を持って見ているということ。
白紙ではない。

信じて物事を見れば、何でもその通りのように思える。
疑って物事を見れば、何でも間違っているように思える。
白紙で事に望む時にだけ、ありのままがわかる。
先入観があれば、先入観に沿って物事が見えてしまう。
緑色のサングラスをかければ、すべてが緑がかって見えるように。
ピンク色のサングラスをかければ、すべてがピンクがかって見えるように。

事実は、わからない。
わからないということは、プラスでもマイナスでもない。
事実は、ニュートラル。
プラス・マイナス・ゼロ。

疑うことも、信じることも先入観。
白紙の状態ではない。
前もっての思い込み。
サングラスをかけているようなもの。

いかなる偏見もなく、透明な意識で物事に臨む。
先入観や固定観念があると、事実をありのままに受け止めることができない。
事実を事実のままに受け止めることができないと、すべてが歪んでしまう。
自分の思い込みで受け止めれば、その先はまったくの自分ワールド。
事実から離れてしまう。

ただ白紙の状態で物事を見、話を聞く。
それがいかに難しいことか・・・
ただ見たり聞いたりすることの難しさ。
これまでの条件づけが無意識のうちに先入観になっている。

気づかないまま色眼鏡で見ている。
事実をありのままには見ていない。
そのことに気づけるかどうか。
そして、更に注意深く物事を見、聞くことができるかどうか。

事実かどうかを見極める。
ただ、その意識だけが必要なもの。
疑うことも信じることも必要ではない。
そういう先入観を一切廃して、ただ事実と共に生きる。

疑うことも信じることも、思考の産物。
思考が働けば、思い込みワールドに呑み込まれてしまう。
事実を見る。
ただ見つめる。
思考は動かなくていい。

思考が動くことなく、ただ見、ただ聞く時、ありのままの事実が感じられる。
そこから、どういうふうに行動したらいいかが自然にわかる。
わからなければ、その事実と共に留まる。
わかるまで、事実を感じている。

最初の一歩が最後の一歩。
それは心の状態。
先入観なく、予断なく、白紙で物事に当たれる意識の状態。
それが最初で最後の一歩。

その先は、事に当たって、その都度、自然な対応が湧いてくるだけ。
思考を超えた意識の状態。
見栄や外聞、先入観、固定観念、偏見、思い込み・・・
そういう一切のものを脇に置き、ただ白紙で事に臨む。

事実と共に、事実ベースで生きる。
事実には、プラスもマイナスもない。
ただ、ありのままの事実があるだけ。

プラス・マイナスは思考の結果。
信じることも疑うことも思考の産物。
ただ事実を見、見切り、行動する。
思い込みを介在させない。
事実ベース。

もちろん、いろいろ考えてもいい。
但し、そこに見守る意識がないと、思考の渦に呑み込まれてしまう。
思考は道具。
しっかりと見守りながら使う必要がある。
そうでないと、気づかないうちに思考に使われている。

あれこれ考えているうちに思考の虜になり、自分を見失う。
思考の中でもみくちゃにされるだけ。
何がなんだか訳がわからなくなる。
自分がわからなくなってしまう。

しっかり見守っていること。
肉体の感覚や感情、思考をゆったりと見守っている。
そういう意識がないと、感覚や感情や思考に呑み込まれる。
気づいたら、自分を見失っている。

感覚の奴隷。
感情の奴隷。
思考の奴隷。
のめり込み、呑み込まれ、自分を見失う。
そんな時のなんと多いことだろうか。

しっかりと、すべてを見守れている時の何と少ないことだろうか。
食欲に溺れ、性欲に溺れる。
喜怒哀楽に溺れ、一喜一憂に溺れる。
過去の栄光に溺れ、未来の成功に溺れる。
感覚、感情、思考の奴隷。

気をつけて生きていないと、肉体に溺れ、過去に溺れる。
思い込みに溺れ、自分ワールドに溺れる。
今の事実ベースで生きることは、簡単なことではない。
このすべてを理解することだろうか。

理解すること。
信じることでもなく、疑うことでもなく、理解すること。
理解すれば、後は自然な行為が起きて来る。
何をやるべきか、いかに生きるべきかを考えている間は思考の世界。
自然な行為のみが思考を超えている。

自然にわかる。
そこから自然に行為が起きる。
そこに思考の介在はない。
考えなくても、為すべきことはわかる。
思考がすべてではない。
思考を超えた意識もある。

洞察や叡智によって生きることもできる。
思考は道具。
必要な時に必要なだけ使うもの。
いつも使う必要はない。

感覚も感情も思考も道具。
この世を、よりよく生きるための道具。
間違っても、それらに使われないこと。
それらを使いこなすこと。

しっかりと見守りながら生きること。
感覚や感情や思考と共に、それらを超えて生きること。


『疑いも 信じることも ない意識 透き通るほど 澄みきっている』
             
              >>日記 無色透明 『569日目 - 疑うこと』 より

      
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