いのちの写真と光の言葉
瞑想入門
2010-10-18 Mon 10:44
                                           『木漏れ日』
木漏れ日ー14-nov_10
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『瞑想入門』       

昨日のコメント欄で、瞑想の入門コースのリクエストがあった。
瞑想について、基本的なことを書いてみる。

そもそも瞑想とは何だろう?
瞑想というと、座禅を思い浮かべる人も多いだろう。
最近はスポーツ選手のメンタルトレーニングでも瞑想とかを用いる。
瞑想にもいろいろあるのだろうか・・・

自分自身の中に、宇宙の始まりも終わりもある。
自分自身の中に、すべてのすべてがある。
愛も光もいのちも、自分自身の中に満ちている。
宇宙の本質が自分自身の中にある。
そのことを真にわかるための方法が瞑想なのかもしれない。

つまり、瞑想とは、自分自身を深くわかること。
深く、深く、自分の本質を実感すること。
それが瞑想ということではないだろうか。

自分自身を深くわかるには、自分自身と一緒にいなければならない。
自分自身を深く、深く感じていかなければならない。
そのプロセスが瞑想とも言える。

それは自分自身とひとつになる道。
真の自分自身へ還る道。
真の自分を自覚する道。

瞑想は難しくはない。
ただ自分自身と一緒にいればいいだけ。
深く、深く一緒にいればいいだけ。
自分の中に深く入り、自分自身を体験する。
自分の奥の奥は、宇宙に繋がっている。
そこは自他の分離のない世界。
無限の無限の世界。

瞑想のための方法は、たくさんある。
ヨガ、仏教、道教、他の宗教にもある。
オーソドックスなもの以外でも、瞑想法の本はたくさん出ている。
しかし、基本を間違えないことだろうか。

超能力や神秘体験をめざす瞑想は、自我を強化してしまう。
瞑想は、自我からの自由を意味するとは限らない。
最初の目的を間違えれば、深い闇の世界に入り込むこともあり得る。
最初の一歩が、最後の一歩。
自分自身を深く深くわかるというベースを忘れないことだろうか。

ロウソクの炎を見つめたり、呼吸に意識を集中したり、マントラを唱えたり、
イメージを思い浮かべたり、音楽に集中したり・・・
瞑想のためのメソッドはたくさんある。
しかし、メソッドを実行すると、テクニックに気を取られ、瞑想そのものが
表面的なもので終わりやすい。
意識が外に向くので、深く内面に入れなくなる可能性が高い。

足を組むとか目を半眼にするとか、形式に囚われると目的を忘れてしまう。
背骨が真っ直ぐであれば、後のことは自由でいい。
静かに目をつぶって自分自身と一緒にいる。
但し、途中で誰かが邪魔することのないように、事前に話しておく必要がある。

静かなところで、一人座る。
座布団でもイスでもかまわない。
自分自身と一緒にいる。
自分の中から、いろんな思いが浮かんでくる。
それを静かに見守る。

一切、判断も解釈もしない。
ただ出て来るものを静かに見守る。
見守ること以外は何もしない。
それが瞑想。

最初は、5~10分ぐらいから始めればいい。
長ければいいというものでもない。
気がついたら眠っていたということもあるかもしれない。
眠り込むほど長くやらないことだろうか。
短めに背骨を延ばして座ればいい。

無念無想になるということは、当分期待しない方がいい。
普通は、表面意識が静かになれば、潜在意識の中に溜まっていたものが
どんどん出てくる。
それは果てしないほど出て来る。
しばらくは、それを見守るしかない。
それが何年続くか、何十年か何生か、なんとも言えない。
それは個人差があるので、短くて済む人もあるかもしれない。
今生は出続ける人もあるかもしれない。
やってみなければわからない。

何も保証のない世界。
一人一人の人生が異なるように、潜在意識の中にあるものも異なる。
その量も質も異なる。
それは自分自身で確かめるしかない。

いずれにしても、静かに自分自身と一緒にいる。
そうすることによって、これまで溜め込んでいたものが解放される。
解放されるにつれて、普通は楽になる。
しかし、出て来るものに囚われれば、苦しくなることもある。
そこで瞑想をやめてしまえば、苦しみが続くことになる。

パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
箱を開けるまでは、なんとか誤魔化して生きていくことができた。
でも、パンドラの箱の中身を見てしまうと、恐怖に襲われる。
瞑想を始めるなら、自分の中にあるものを洗いざらい直視し、すべてクリアー
にするくらいの覚悟はいるかもしれない。
その覚悟がないのなら、最初からやらない方がいい。
やらなくても、日常生活の中で、いやでも出て来るから・・・

瞑想というのは、座ってやるだけのものでもない。
日常生活も、基本的に瞑想と変わらない。
いろいろな状況(縁)にふれ、潜在意識に溜まっていたものが反応として出て来る。
瞑想しようとしまいと、出て来ることに違いはない。
出てきた時に、反応に呑み込まれて更に潜在意識の蓄積物を増やすか、
それとも、その反応を見切って、囚われから解放されるか。
それは基本的に瞑想と変わらない。

日常生活でも出てくる反応を、瞑想の中でも出しているだけのこと。
瞑想の中で出していけば、それだけ日常生活のトラブルが防げる。
瞑想の中で潜在意識が解放されれば、日常生活は楽になる。
瞑想中の見守る意識は日常生活でも持続するようになる。
やがて、常住坐臥が瞑想となる。

何も難しいことはない。
気張ってやることもない。
瞑想とは、リラックス。
緊張の逆。
頑張ろうとすれば緊張する。
楽にやることだ。

自分と一緒にいて、どんどんリラックスしていく。
自分自身をどんどんゆるめていく。
静かに見守りながら。
ただただ自分自身と一緒にいる。
ゆっくり背中や後頭部の方から自分を見守る感じ。
意識を背後の方へ持っていく。

最初から長くやることはない。
短めで持続する方がいい。
だんだんやり方がわかってくる。
決められた時間帯というものもない。
静かな時間であれば何時でもいい。
ただ時間帯によって感じるものは違ってくる。
時間帯のエネルギーというものがあるから、自分で注意してみるといいだろう。

以上だけれども、基本は自分自身と一緒にいるということ。
それは瞑想中も日常生活も変わらない。
静かに自分自身を見守っている。
それが大原則。

ゆっくり、楽にやればいい。
瞑想は集中ではない。
集中は緊張。
緊張していては、潜在意識はほぐれない。
潜在意識がほぐれなければ、その奥にあるものは出て来ない。
背骨を真っ直ぐにして、後は楽に自分自身を見守っていればいい。

ゆっくり、楽にというのも、日常生活と異ならない。
瞑想と日常生活というのは別々のものではない。
基本的に違わない。
生きるスタンス。
静かに自分自身を見守りながら生きる。
それが次の時代の生き方。

自我オンリーの生き方から、”個であり全体であり”という生き方へシフトする
ためのスタンス。
まず自分自身を見守る。
自分自身を見守ることによって、意識のポイントが自我から見守る方へシフト
していく。

瞑想も日常生活も同じ。
見守ることによって自我を超えていく。
瞑想は、それを集中的にやるだけのこと。
日常生活でも必要なこと。
両方やれば相乗効果がある。
より早く潜在意識が浄化される。
それは、人生を楽に生きれるということを意味する。

生きるスタンス=見守りスタンス。
瞑想も日常生活も変わらない。
見守り続けていくしかない。
その先に真実の自分自身が待っている。


『瞑想も 日々の暮らしも 変わらない 自分自身を やさしく見守る』

『難しい ことはいらない 瞑想は 自分自身と 一緒にいるだけ』

『瞑想は 溜まりに溜まった チリ・ホコリ 見極めながら 掃除する道』

『真実を 探し求めて 瞑想は 自分自身の 中へ分け入る』

『真実は 自分の外に ありはせぬ 自分自身の 中にこそある』

『瞑想は 自分自身の 闇を超え 闇の彼方の 光に出会う』

『瞑想は 自分の中へ 分け入って 自分を超えて 広がりゆく道』

『瞑想は 自分の中に 真実も 愛もいのちも あると知ること』
               
              >>日記 無色透明 『478日目 - 瞑想入門』 より

      
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この記事のコメント
瞑想とは・・・
今の私には「模索」というのが、
「真の自分」探しとなっている。

私は今就活中。
若い人にも職探しは難しい時代。
けれど、仕事は無いわけではない。
看護や介護の仕事など、いつも求人チラシを賑わせている。
新しい老人ホームなど、
正規雇用もあって、私も説明会に参加した。

けれど私の年齢になると門戸は狭い。
私に可能な仕事・・・
そして私が受け入れられる条件・・・
神戸でさがすのか、
東京に舞い戻るのか・・・・
狭いながらも模索は可能。

自分はどうならいいのか・・・
納得できるのか・・・
自分に能力は残されているのか・・・
気力は健在か・・・

自問自答しながら、
ささやかなチャンスにトライする。

これほど自分を見つめなおすことは、
瞑想に近いのではないか?

私の瞑想とは思考と模索付き見守りですね。


木漏れ日の写真、
久しぶりに背景に使わせていただきました。
最近、水晶を色々背景にしていましたが、
木漏れ日に変えたら、
気持ちがホッとしました。
やっぱり、自然がやすらぎますね。

2010-10-20 Wed 00:57 | URL | えっちゃん #-[ 内容変更]
☆えっちゃん

 今日のトップは、えっちゃん好みの木漏れ日ですね。
 これは、もののけ姫の森の近くで撮りました。
 とてもきれいでしたよ。

・・・って、上の三行は、この写真がHPにアップされた日の
kimiさんの掲示板の投稿です。
2006年、11月14日の写真と投稿文です。
四年も経つのですね。

四年の間にえっちゃんもずいぶん変わりましたよね。
人生の状況もたくさん変わったし、もちろんそれに係わる人間関係も、
そして何より精神的には、とても変わったのではないでしょうか。
人生状況はただの変化だけど、精神は、変化ではなく深化ですよね。

変わっていないことは、深化し続けるえっちゃんがいた、そしてこれからも
いるってこと。
自問自答は、深化へのいざないですね。

はやくお仕事見つかりますように。
えっちゃんの守護天使さんにお願いしてみてください。
私も、えっちゃんの守護天使さんにお願いしますね☆ (*^_^*)

2010-10-23 Sat 23:56 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
いつも進行形
ぴあのさん、
いつもながらあたたかいお返事コメントありがとう。

今日トライした仕事でへこみそうになった私には、
心をホッコリ包んでくれる真綿コメントでした。


私の心はずっと歩み続ける。
今は特に急坂をのぼる気分。
心の旅も、人生の旅も・・・・
終着点は見えない先にある。

自然の信号で進路を決める、
かってのポリネシア人の船旅。
けれど、
時には暗雲に閉ざされ、
風も無い海の真っ只中をさまようこともある。
その時進路を決めるのは、
確かに目的地がそこにあるというイメージと信念。

私も、
確かに明日は輝く光に繋がると心にイメージして、
一歩一歩踏みしめて進みたい。

本当に、幾つになっても進行形ですね。
2010-10-26 Tue 00:59 | URL | えっちゃん #-[ 内容変更]
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