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思考のコントロール
2010-10-14 Thu 20:21
                                     『苔の間を流れる水』
苔の間を流れる水ー24-oct_07_10
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『思考のコントロール』       

昨日、次のようなコメントが届いた。

「何もしない事が...それがどうしてもできない。
見極めているつもりでも実は『思考』が働いています。
瞑想していても『思考』しているようです。
いったいどうしたら『思考』をコントロールできるのでしょうね?」

思考をコントロールすることはできない。
なぜなら、コントロールしようとしているのも、また思考だから。
それでは思考の堂々巡りになってしまう。

思考のコントロールは諦めるしかないだろう。
思考が動いている間は、動いているままにしておくしかない。
もし、思考を無理に止めようとすれば、必ず反動が起きる。
無理に抑圧すれば、潜在意識の中に歪んだ形で蓄積される。
それはかえって意識のクリーン化を難しくしてしまう。
抑圧し続ければ、無気力になるか、気が狂うか・・・
いずれにしても、よいことはない。

思考は使うこと。
そして、マスターすること。
そして、囚われないこと。
抑圧しても、思考力が減退するだけ。
抑えない、けれども負けない、理解するだけ。
感情を扱うのと同じ原理原則。

自分の中に、たくさんのこだわりや囚われや執着がある間は、いろんな
反応が起きてくる。
思考が自動的に反応する。
まずは、それを認めるしかない。
常に事実と共に生きる。

出て来るものは、出してあげるしかない。
但し、出て来るままに翻弄され、自分を見失うことのないように。
見守りながら出していく。
それをやり続けていると、気がつかないうちに見守る意識が働くようになる。
無意識のうちに見守っている状態になる。

自宅に帰って、静かに今日の自分の反応を反芻(はんすう)する。
どうしてあのような反応が出てきたのか、もう一度冷静に振り返る。
自分の状態をフィードバックする。
客観的に見つめ直す。
そして、その原因を突き止める。

そういう作業を繰り返していく間に、見る意識が育っていく。
その作業中に思考が動いてもかまわない。
あれこれ考えて、気づく。
それでいい。
思考は道具。
使いこなせばいいだけ。

ポイントは、見つめながら思考を使うこと。
思考の独り歩きをさせないこと。
つまり、考え過ぎて自分を見失いそうだったら、見つめていないということ。
それは思考の空回り。
それでは永遠に思考から自由にはなれない。
見つめながら考える。
常に自分自身を見つめるという姿勢が必要になる。

瞑想中も思考が動く?
動く思考を見つめていればいい。
最初から無念無想になれるわけがない。
潜在意識に溜まっていた、いろんな思いが雲霞(うんか)の如く出て来る。
それが普通。
問題は、そういうものが出てきた時にどうするか。

出てきたものを一々払い除けようとしてもキリがない。
それではまったく瞑想にならない。
出てきたものに呑み込まれてしまっても、瞑想とは言えない。
それでは瞑想のつもりが迷走になっている。

出て来るものは、出て来るもの。
そのまま認めるしかない。
ただそれを眺めている。
見守っている。

見守る以外のことをすれば、それは思考が動いていることになる。
それでは瞑想にはならない。
動く思考を見守る。
その動きが止まろうが止まるまいが、見守る以外の方法はない。

呼吸法をやる?
マントラを唱える?
そういうテクニックもある。
それはそれなりの効果はある。
でも、所詮、テクニック。
テクニックなしでは瞑想できない、テクニック依存症をつくることになる。

心が落ち着く静かな音楽を使ったり、それなりの工夫をするのもいいかもしれない。
最初は自分がやりやすいようにアレンジするのもいいだろう。
でも、テクニックはテクニック。
それぞれの限界がある。
最後の最後は、いかなる方法もない。
ただ静かに見守る。
それしかない。

まずは、潜在意識に溜まっているものを解放する。
それには静かに見守ること。
思考が動けば、それを見守る。
思考に囚われず、ただ流すように見守ればいい。
要は、意識のポイントが思考にあるか、見守る方にあるかということ。
簡単には意識のポイントは移動しない。

日常生活は思考のポイントで生きている。
それが瞑想した途端、見守る方のポイントへ移行するはずがない。
意識は普段と同じように思考のポイントにある。
それを見守る。

パッと切り替わるものでもない。
自然と切り替わるとしか言いようがない。
いつのまにか自然に見守っているようになる。
いつのまにか自然に見守る意識が働くようになる。
それは瞑想中だけに限らず、日常生活の中でも働くようになる。

瞑想の時だけ瞑想していても仕方がない。
常住坐臥(ざが)瞑想状態というのが望ましい。
少なくともどんな状況であれ、見守る意識が常に働いているようになる必要がある。
そのような状態には一朝一夕にはなれない。
いつのまにか・・・なっている。

だから、焦らず、ゆっくりやればいい。
ゆっくり自分自身を見守り続ければいい。
そうすれば、徐々に見守る意識が育っていく。
やがて、いつのまにか思考も静まっている。

思考を鎮めようとしない。
思考を鎮めようとすれば、思考が思考を鎮めようとする泥沼にはまる。
ただ静かに見守る。
それが唯一の方法。
思考を使わない唯一のやり方。

そうやって見守っている間に、自然に意識のポイントが切り替わる。
思考から見守る意識の方へ移行する。
自然に移行する。
それが一番無理のない方法。

焦らない。
慌てない。
落ち着いて、ゆっくり見守ればいい。
絶えず自分自身を見守っている。
必死に頑張るのではなく、おおらかに、やさしく・・・

必死で頑張ろうとするのは、思考。
見守る意識は、ゆったり、おおらかにすべてを包み込んでいる。
すべてに浸透している。
だから、ゆったりと見守った方がいい。


『静まらぬ 思考をなんとか せんものと 思う心が 思考そのもの』

『何であれ 思考は思考 動くまま 少し離れて 静かに見ている』

『抑えない けれども負けない 感情や 思考をそのまま そっと見守る』

『おおらかに やさしく包み 見守って 出て来るものを 解き放つだけ』
               
            >>日記 無色透明 『477日目 - 思考のコントロール』 より

      
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