いのちの写真と光の言葉
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観音菩薩
2010-09-19 Sun 13:28
                                              『睡蓮』
睡蓮ー21-oct_10
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『観音菩薩』       

えっちゃんから次のようなコメントが届いた。

「観音様って、音を観るっていうことって聞いて、観世音大菩薩の略が
観音様だとしたら、世の音を観ると言う事ですよね。
これは、サンスクリット語の音訳でなくて、ちゃんと意味のあるお名前
だとしたら、この世の、または人々の波動を見守る仏様といことでしょうか?
波動はエネルギーのことかなあ?
観音様は私たちの生きるエネルギーがいい波動をしているか見守って
くださってるのですか?
子供の元気を見守る母親のように。

手のひらの地球を見守る慈母観音・・・
ちょっと、身近にかんじました。」

観音菩薩は、観自在菩薩から転じたものらしい・・・
本来はアボロキティシュバラーとサンスクリッドでは言う。
すべてを見通せる存在という意味。
般若心経の一番最初に出てくる。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 
色不異空  空不異色  色即是空  空即是色・・・」
すべては空であり、苦しみは一切ないということがわかる存在。
そのことを釈迦の十大弟子の筆頭である舎利子(シャーリープトラ)に説き聞
かせたのが、600巻にのぼる大般若経。
そのエッセンスが般若心経。
日本で広まっているものは、西遊記の三蔵法師が漢訳したものがベースに
なっていると言われている。

私達が観音菩薩に見守られていることは間違いない。
しかし、私達一人一人がその存在でもある。
観音菩薩と自分自身は別々ではない。
自分の中にもそのエネルギーは流れている。
ある次元で合流している。

自分の外に見ない。
自分の外に見ると、仏像やキリスト像を造ることになる。
それは分離の意識。
それらの偶像を拝み、願い事をする。
そうすると、それらのものは自分から離れてしまう。
遠い遠い存在になってしまう。
ただ崇拝するだけに終わってしまう。

一般衆生に普及する方便として途中からそういう方法が採られた。
しかし、最初は偶像などはなかった。
お釈迦様やイエス・キリスト本人が生きていたから、そういう必要はなかった。
イスラム教では、今でも偶像は禁止されている。
その部分に関しては、本来の姿を保持している。

荒れてすさんだ衆生の気持を偶像に集中させることによって、やすらぎを
見出させる。
それが念仏であれ、お題目であれ、それなりの効果はある。
御仏の慈悲にすがり西方浄土を求める。
それはあまりにも厳しい娑婆世界から救われるための方便。
それによって心がやすらぎ、癒されれば、それはそれで救い。
そういう時代もあった。

偶像を拝むことによって、自分の中にある仏心やキリスト意識が溢れ出る
のであれば、それはそれでいいのかもしれない。
偶像とはいえ、確かにエネルギーが来ているものもある。
それはエネルギーチャージャーの役割を果たす。
ややもすると自我に流れやすい意識を、仏心やキリスト意識の方へ向ける
効果はある。
そういう意味では、小さなロザリオですら否定することはない。

しかし、自分の中に仏心やキリスト意識を直に感じれば、偶像は必要では
なくなる。
元々、偶像は方便。
自分の中の仏心やキリスト意識に気づくための方便。
しかし、それを長い間やってきて、いつのまにか本来の意味が見失われて
しまった。
すべてを外に求めるようになった。
自分自身の中にあるものを外に求めるようになった。

それが西方浄土であり、天にまします我らが父になってしまった。
今ここから遠く離れてしまった。
遙か彼方の憧れになってしまった。
まるで古い記憶ででもあるかのように・・・

それでは青い鳥探しと変わらない。
いつまで経っても青い鳥は見つからない。
方向が違うから。
外に求めているから。
それでは逆に自分と仏心やキリスト意識とを切り離してしまう。
真実は外には存在しない。
自分の内にしか存在しない。

外のものを崇(あが)め奉(たてま)っている限り、自分を低きに貶(おとし)める
ことになる。
罪の子、罪業深甚救いなし。
我らの罪を許したまえ・・・
罪悪感の虜となってしまう。
それは多くのキリスト教徒の潜在意識の中にある。
それは教会権力の民衆支配の手段にもなってきた。
贖罪(しょくざい)、免罪符・・・

自分の外に権威を認めれば、支配されるしかない。
一切の権威を認めない時にだけ、完全な自由がある。
たとえそれが仏陀やイエス・キリストであろうとも、権威を認めた途端、従属
することになる。
その時、意識の自由は消失する。
同時に真実の自分に出会うこともできなくなる。

真実の自分は完全な自由。
自分の外に権威は存在しない。
完全な自由になるためには、偶像は邪魔者以外の何ものでもない。
それはプロセス。
人類の意識の発達史の途中経過。
それは単なる憧れ。
人類の憧憬。
まだ人類が夢見ていた頃・・・

もう夢から覚める時。
自分が夢を創る時。
自分の夢を実現する時。
中心を自分自身に置く時。

偶像も思い込みの産物。
自我も思い込み。
慈悲のエネルギーを、あんな小さな仏像に封じ込めることができるだろうか。
自分という偉大な存在を、どうして小さな自我に閉じ込めてしまうのだろうか。
いずれもエネルギーを歪曲しただけ。
小さく小さく封印しただけ。
イメージ。
思い込みの世界。

仏像もキリスト像も美しい。
そこにはエネルギーが流れている。
しかし、人から流れ出す愛や慈悲のエネルギーは、偶像から流れ出すものより
も遙かにすばらしい。
偶像は、愛や慈悲が人から流れ出すためのきっかけであり、方便に過ぎない。
これからは一人一人が仏像となりキリスト像となる時代。
偶像を崇めたり、拝んだりする時代は過ぎた。
一人一人が愛となり慈悲となる。
方便はいらない。
ダイレクトにそのものになる。

観音菩薩も仏陀もイエス・キリストも、すべて繋がっている。
それらは別々の存在ではない。
自分を中心に同心円のようにひとつに繋がっている。
自分自身を低からしめない。
自分を小さく規定しない。
自分の限定を外す。
無限定。
無制限。
それが自分の真実。

もうママゴトは終わり。
思い込みの夢から覚めて、真実を生きる。
偶像や自我という小さな思い込みから自由になって、無限定の宇宙に遊ぶ。
自分の夢を実現させる。
楽しく遊ぶ。

夢と知りながら夢を楽しむ。
無自覚の時代は終わった。
無意識の時代は終わった。
思い込みの時代は終わった。
はっきりと目覚める時代。
リアリティで生きる時代。


『仏像も キリスト像も 人類の 悲苦の歴史の 生み出せるもの』

『観音の 願い生きれば そのままで 一人一人が 観世音菩薩』

『現世(うつしよ)は 現れ消える 一時(ひととき)の 無常の夢と 知るや知らずや』

『現世(うつしよ)の 夢とも知らず 夢を見て 夢に遊ばれ 夢に溺れる』

『現世(うつしよ)の 夢と知りつつ 夢を見る 夢と戯(たわむ)れ 夢を楽しむ』
               
                 >>日記 無色透明 『436日目 - 観音菩薩』 より

      
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この記事のコメント
えっちゃんも素直に色々模索していたんですね。

最近のえっちゃんは、ちょっと人生に疲れ、
自分に疲れ・・・
何だか煤けてきたなあ。

でも、またちょっと元気を貰えそうな言葉見つけました。

>夢と知りながら夢を楽しむ。

いいなあ・・・
まだまだへこたれてるわけにはいかないし、
夢を楽しんで一歩踏み出すっきゃないね。


2010-09-19 Sun 23:13 | URL | えっちゃん #-[ 内容変更]
☆えっちゃん

『437日目 - 祈り』の、無色透明のえっちゃんとkimiさんのやりとりが
すごくいいよね♪

読んでいてあったかくなって、癒されます。

2010-09-23 Thu 02:02 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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