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信じること
2010-09-09 Thu 10:51
                                            『入道雲』
入道雲ー02-july_07_10
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『信じること』       

信じると裏切られるは、一対。
信じることがなければ、裏切られることもない。
信じるが表で、裏切るが裏?

裏切られるのは、自分の思い込み。
裏切られるとは、想定外ということ。
想定内では、裏切られないことになっていた。
しかし、結果は想定外。
そこで、裏切られたと言って相手を非難する。
しかし、相手が裏切ったわけではない。
相手は自由に行動しただけ。
こちらが勝手に相手の動きを想定しただけ。
それが見事に外れたというだけのこと。

それは相手のせいではなく、まさに自業自得。
自分の想定ミス。
にもかかわらず、普通は相手を責める。
相手のせいで自分が被害をこうむったかのように主張する。
その時、自分の想定ミスは棚上げされている。

何度か裏切られる経験をすると、今度は裏切られるのが怖くなり、
誰も信じないようになる。
これ以上傷つくのがいやなので、自ら信じることを封印する。
でも、人を信じることができないと、さびしい。
結果、心が揺れ動く。
信じたいけど、信じられない。
信じれば裏切られそうで、もう一歩深く踏み込めない。
それが、あらゆる人間関係に影を投げかける。

信じても裏切られないものはないのだろうか。
それは永遠の真理だろうか。
人は信じても裏切られないものを求めて旅に出る。
精神世界という旅へ。
しかし、そこにも信じれば救われるという世界が広がっている。
救世主やメシアを信じる。
グルや教義を信じる。
生まれ変わりや永遠の魂を信じる。
天国や自己の成長を信じる。
それらを信じれば本当に救われるのだろうか。

救われる場合もある。
但し、それが永続するという保証はない。
いつ裏切られるかもしれない。
なぜなら、信じることと裏切られることは表裏一体だから。
それは精神世界も一般世界も変わらない。
自分の想定外のことが起きれば、いつでも裏切られる。
自分が想定した時点で、裏切られる準備をして待っているようなもの。
いつでも裏切られるスタンバイ状態。

相手は裏切ろうとは思っていない。
しかし、こちらの想定外のことをすると、裏切ったと見なされる。
それは精神世界、一般世界を問わない。
なにしろ信じる・裏切るの世界は、信じた人の想定範囲にかかっている。
その想定範囲が狭ければ、すぐに裏切られる。
想定範囲が広ければ、裏切られるのに時間の余裕がある。
ホリエモンは拘置所に入ることを想定していただろうか。
もし想定していれば問題はないが、想定していなければ、世間に裏切ら
れたと思っているだろうか・・・

信じれば、裏切られる!
場合が多い。
それは自分の狭い了見で信じるから。
想定範囲がこれまでの自分の人生に限定されているから。
人は自分の経験を通して物事を見ている。
結果、自分の過去からしか想定できない。
だから、不確定な未来に、すぐに裏切られてしまう。
未来は過去の繰り返しではない。
未来は常に想定外のことに満ちている。
信じた途端、同時に裏切られる高いリスクを背負うことになる。

それでも、信じる?
それとも、信じることをやめる?

絶対に裏切られることのないものがある!
と言ったら、信じる?
もう何も信じない?

絶対に裏切られないもの。
それは信じることの必要のないもの。
信じる・信じないの次元を超えたもの。
比較・相対の思考の次元を超えたもの。
そこでは、既に信じるという行為そのものが存在しない。
なぜなら、信じる必要がないから。
誰の目にも明らかなものは、信じる意味がない。

信じる・信じないという次元は、不明瞭な世界。
はっきりしないから、信じようとする。
あるいは、はっきりしないから、信じることを躊躇(ためら)う。
明確であれば、何も信じる必要はない。
信じなくてもクリアーに生きていける。

要は、そのようなクリアーな意識で生きることではないだろうか。
何事も明確に見えるクリアーな意識であれば、信じる必要はまったくない。
意識が曖昧だから、信じようとするだけ。
意識が明晰ならば、何も信じる必要はない。

そもそも信じるというのは、自分に自信がなくて、何かに寄りかかろうとする
行為ではないだろうか。
信じれば救われる?
から、信じようとする?
救いを求める弱い心?
自分の足だけでは立っていられない弱い意識?
だからこそ、救いを求める?

しかし、その救いは弱い意識が想定した範囲内のもの。
弱い意識は必死に縋(すが)ろうとするが、ガラスのように繊細な想定範囲は
すぐに破られてしまう。
疑いが生じ、やがて裏切られたという気持ちに変わる。
信じたものに裏切られるのに、そんなに時間はかからない。

何ものにも裏切られない生き方。
それは何も信じないこと。
何も信じないで、クリアーに生きること。
裏切られるのが怖いから信じないのではなく、信じる必要がないから信じない。
そういう選択肢もある。
ある次元まで行けば、そういう選択肢しかない。
信じる・信じないの次元を抜ければ、信念や信仰は無用の長物。
ただ事実と共に生きればいいだけ。

いつまでも信じる・信じないという曖昧な思考の次元にいないで、スッキリさわやか、
クリアーな次元で生きればいい。
自分を理解すれば、その空間が待っている。
いつまでも泥沼の中で生きていたい?
それとも、泥沼から咲く蓮の花になる?

『信じれば 裏切られるのは 当たり前 自分本位の 想定範囲』

『信じれば 相手を縛る ことになる 想定外の 自由認めず』

『信じれば 応えてくれる 人ならば 信じなくても 応えてくれる』

『泥沼を 抜けて花咲く 蓮の花 地上の穢(けが)れ 残すことなし』
               
                     >>日記 無色透明 『413日目 - 信じること』 より

      
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この記事のコメント
>未来は常に想定外のことに満ちている。

怖いような、うれしいような・・・
ドキドキワクワク・・・

一番信じられないのが自分というのがちょっとつらい。
想定外に何とかできる自分・・・
期待して自分に裏切られる?

自分というのも、
結構想定外の存在だったりするんですよね。
自分に、
ドキドキワクワク・・・
2010-09-09 Thu 14:32 | URL | えっちゃん #-[ 内容変更]
☆えっちゃん

クリシュナムルティの名言、「私は何も信じない」
かっこいいですよね。

信じるって、自我なんですね~。

2010-09-12 Sun 23:15 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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