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先祖供養 - 3
2010-08-06 Fri 17:29
                                     『木霊の森の一番奥』
木霊の森の一番奥ー20-july_10
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
  ぜひ大きな画像でご覧ください。↑click
 

  
   「先祖供養」のテーマで連載をお送りしています。
   ホームワークの続きです。  



『先祖供養 - 3』     
  
次は、せきせきさんですね。

「私はこの2年ご先祖の供養を主に行ってきた。
病気も治らず、対応できない出来事がエンドレスに続き、お手上げの末に出てきた、
自然な流れであった。

供養する前から、先祖が後から後から私の体を借りて話しだした。
祖父、親戚の叔父、遠い遠い時代の先祖など、とても苦しんでいる様子であった。
やりたいことがあった人、心を残して他の人に思いを伝えたい人、先祖の痛み苦
しみそのものが私の肉体を痛めていたものもあった。

私の家は、誰の命日も知らない家であった。
死んだ人はそれまでという考えだった。
この2年私は供養の日々。
先祖とともにいた。
墓参りは行けないが命日手帳なるものも作った。

先祖は私に沢山のことを教えてくれた。
先祖供養は見えないもの、繋がっていることを知り、自分が生かされている
すばらしさを一番わかりやすく感じるから、ご先祖供養は素敵な習慣であると思う。
供養を望んでいるご先祖も沢山いるのも事実だと思う。
でも、私が先祖の苦しみを受けてしまったというより、私が、苦しみの中で生きて
いたので、先祖の苦しみに同調し余計引き出しててしまったのかなとも思う。

先祖の苦しみは私の苦しみであった。
今の私の中にあった。

Kimiさんの日記を読ませていただいてから思ったこと、
それは「私は私で全てである」のではないかなあ?ということ。
先祖も過去世も今の私に繋がっている、そのために今の私が大きく左右される
ことはある。
でも、私が私を大事にして、素直にこの魂とこの世界とこの宇宙と生きていけたら、
(これがまた慣れてなくて大変なことなのだけれど)それは、先祖供養が目じゃない
位ものすごくパワーなんじゃないか?
それを望んで人は生まれてきたのだったら先祖も大喜び?
私の魂も大喜び?
何もかも大喜び?
かもと思っているところです。
私の中に先祖も過去世も全てあるからこそ、今の私ができることなのかもです。
でもこれからも、ご先祖様を思う気持ちは、形としてあらわして大切に続けていく
つもりです。
わぁお、初ホームワーク参加!
今年の〆は素敵だ(一人酔い)

先祖供養のことを考えながら、今日一日を過ごして、ひとつ思ったことは、
先祖供養という枠が私にとって、とても窮屈に感じていたということ。
もちろん、先祖を邪険に思うとかじゃなくって、自分だけいいやってものじゃなくって、
うまくいえないけど、狭い世界と感じました。
自由ではないという感じです。
うーーん、もう私にとって必要ないってことなのだろうか。。。」


2年間、先祖供養をしてきたんだね。
あまり先祖を大切にする家系ではなかったんだね。
それは良いことをしたね。
もう充分かもしれないね。
もう次のステップへ行く時かもしれない。
既にせきせきさんも自分で気づいているように、先祖供養という狭い範疇ではなくて、
もっと広い、もっと大きな世界へ出ていく時なんだね。

これまでは自分の中のネガティブなものと同調してきた。
それらをじっくり体験してきた。
でも、もうそろそろ光の世界へ行く時かな。
もっと次元の違うレベルで先祖供養をする段階かもね。

自分の中にすべてがある。
光も影も。
先祖も子孫も。
争いも平和も。
すべてのすべてが自分の中にあるんだね。
それを自分の中で実感する。
それがすべてを癒す。
すべてを光にする。
いわゆる先祖供養とは、まったく次元が異なるんだね。
それがこれからの生き方なんだね。
新しい時代の先祖供養。
光と共に生きることが本当の先祖供養なんだね。
自分自身が光になることが真の先祖供養なんだね。
自分自身の真実を生きてください。


次は、えりさんですね。

「こんにちは。
初参加よろしくおねがいします☆
先祖供養を辞書で引いてみたら、
死者の冥福を祈って法会を営むこと。
また、開眼供養、経供養など寺院の仏教行事をもいう。
とありました。
死んでも魂は今までの続きをやっていると私は勝手に思っているので、法事とかは、
この日はこの場で一緒に遊びましょ♪って感じでお坊さんに先導されて一緒にお経を
歌ったりする日だ!
とか勝手に思っています。

水子供養は、悲しかったり、辛かったり、罪の意識がでたりするんですけど、縁がなか
ったということで、終わったことはしょうがないじゃん!っていうのはどうでしょうか?」


初めまして。
これからよろしくね。
お経って、歌うものなの?
お経というのは、お釈迦様が説いたことを書いたものだよね。
それは唱えるものではなくて、実践するものだよね。
お釈迦様がお経の中で述べていることを理解し、そのように生きること。
それが一番大切なことだよね。
お経をあげるだけという仏教は、既に形式仏教になってしまっているのですね。
法事であれば、先祖に感謝し、迷える霊に愛と光を送ることだよね。
そうすれば、すべてが光に満たされていく。

水子に関しては、
ごめんなさいという気持ちと、光になってほしいという気持ちかな。
でも、一番癒される必要があるのは、水子ではなくて、その母親の方かもね。
母親が自ら癒されるために水子供養をする場合も多いのではないかな。
二度と水子を出さないように心に決め、愛の中で身籠もることを祈るのかな。
愛の中で生きることだよね。
それがすべての癒しに通じるんだね。


最後は、アリスさんですね。

「先祖供養って
今、ここに私が生きていることに感謝することだと思います。」


そのとおりだね。
先祖によって、今の自分がある。
それを思えば、自然に感謝になるよね。
基本的にはそれでいいのではないかな。


久しぶりにホームワークをやって、みなさんいかがでしたか。
なかなか楽しかったですね。
               
                
      
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2010-08-12 Thu 00:11 | | #[ 内容変更]
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