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今ここの意識
2010-07-17 Sat 06:48
                                              『朝陽』
朝陽ー04-r-sun_10
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『今ここの意識』     
  
みんなと同じような反応をしなくてもいいのかもしれない。
ほとんどの人が怒るような場面でも、怒らなくていいし、
ほとんどの人が泣くような場面でも、泣かなくていい。
みんなと同じように喜怒哀楽を表現しなくてもいいのかもしれない。
そろそろ、これまでの日本人のパターンから離れてもいいのかもしれない。

怒ってもいいし、怒らなくてもいい。
泣いてもいいし、泣かなくてもいい。
笑ってもいいし、笑わなくてもいい。
みんなと同じ反応をする必要はない。
これまでと同じパターンを繰り返す必要はない。
そろそろ、古い共同無意識から離脱してもいいのかもしれない。

ドラマや映画のパターンというものがある。
反応を予測してのパターン設定。
その古いパターンに囚われることはない。
もっと新鮮な生き方があるのかもしれない。

無色透明のクリアーな意識で物事を眺める。
良いも悪いもない。
自分を勘定に入れないで物事を見れたら、純粋に見ることができる。
自分との関わりで物事を見てしまうと、物事が歪んで見えてしまう。
自分の利害得失を離れて見ることができれば、ありのままを見ることができる。

感動したら、感動していればいい。
泣きたかったら、泣けばいい。
笑いたかったら、笑えばいい。
ありのままでいい。
ただ、終わったら、忘れる。
その場で完結させる。
いつまでも引きずらない。
その場、その場で完結させて、忘れる。
執着しない。

執着とは、過去を維持したい、再現したいということ。
自分にとって都合のよいことをキープしたいだけ。
それが執着。
しかし、それはしょせん無理なこと。
執着すれば、苦しみが生じるだけ。
すべて手放して今を生きるしかない。

目の前の現実は動いている。
変化のない現象はない。
自分の心も動いている。
外も内も変化しないものはない。
ならば、何を拠り所にして生きるか。
何も拠り所はない。
拠り所と思えるものも、次の瞬間変化している。
一定不変のものはない。
ならば、いかに生きるか。

すべてが変化している。
外側のことも心の内側も。
それでは虚しいと言う人がいる。
虚しいだろうか。
本当に虚しいだろうか。
それとも、それは単なる反応だろうか。
拠り所を求めている心が、拠り所を得ることができなくて虚しいのだろうか。
虚しいというのは、拠り所を求めるが故に起きる反応だろうか。
拠り所を求めていない心に、虚しさはあるだろうか。

すべてが変化していても、別に虚しくなる必要はない。
それは古いパターン。
共同無意識から来る共通の反応パターン。
ただ事実と共にいる。
別に虚しくはない。
ただの事実。

外側の変化は許せる。
でも、内側の変化は許せない?
それでは自分が不確かになってしまう?
自分とは?
何?

自分とは?
けっして一定していない。
子供の頃と今とでは体も心も異なる。
同じではない。
一時間前の自分と今の自分でさえ同じではない。
では、自分とは?
一定していなくて自分と言えるのだろうか?
自分とは名前?
容貌?
でも、外見も変わる。
洋服が違うと雰囲気まで変わってしまう。
カツラを被れば別人のように見える。
結婚すれば名前も変わる。
では、心が決め手?
しかし、心もコロコロ変わる。
では、自分とは?

一定していない。
固定していない。
それでも自分と言えるのだろうか?
ただ記憶だけ?
自分がいるのは記憶の中だけ?
それが正解かもしれない。
どこにも自分はいない。

アルバムの中にいる?
確かにいる。
でも、今の自分とは違う。
それでも自分?
過去の自分?
では、今の自分は?
ここにいる?
どこに?

今ここの意識、それしかない。
究極は、今ここの意識しかないのだ。
過去も未来もない。
ただ、今ここの意識があるだけ。
常にそう。
過去も未来も、今ここの意識があるだけ。
どこまで行っても、どこまで遡っても、あるのは今ここの意識だけ。
この意識、この意識だけ。

その、今ここの意識をベースに生きるしかない。
今ここの意識には「私」はない。
「私」はイメージ、コンセプト。
あると思っている概念。
幻想。
実際は、今ここの意識があるだけ。
常にそれしかない。
「私」は、過去の記憶からつくりだしたイメージ。
自分がつくった自分のイメージ。
単なる自画像。

「私」の実体は?
どこにもない。
瞬間・瞬間変化してやまないものの実体などあるはずがない。
それは「私」に限らない。
すべての実体が、ない。
まさに空。
色即是空。

目の前に見えるすべてのものの実相は、空。
あるようで、ない。
瞬間・瞬間変化してやまないものは、あるとは言えない。
あるように見えるだけ。
色即是空。

そして、ないものがあるように見える姿が、空即是色。
あるようで、ない。
ないようで、ある。


ただ、今ここの意識で生きるしかない。
それだけが確かなものだ。
すべてが持続するという先入観で生きると、どんでん返しを食らう。
それは思い込みであり、幻想。
ただ、今ここの意識があるだけ。
そのつもりで生きると、また人生が違ってくる。
何の執着もなくなる。

過去も未来も、すべて幻想。
過去世も未来世も、すべて幻想。
今ここの意識で思い描いているだけ。
あるのは常に今ここの意識だけ。
この意識だけが未来永劫続くもの。
始まりもなく終わりもないもの。
空であり、色であり、すべてであるもの。
今ここの意識だけが真実。
それだけがリアリティ。

すべてのものを自分に関係づけずに見る。
自分の利害得失から離れて見る。
純粋に物事を見る。
今ここの意識で見る。

あるのは、今ここの意識だけ。
               
                >>日記 無色透明 『295日目 - 今ここの意識』 より

      
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別窓 | 朝陽 | コメント:2
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この記事のコメント
>ただ、今ここの意識で生きるしかない。
>それだけが確かなものだ。
>すべてが持続するという先入観で生きると、どんでん返しを食らう。
>それは思い込みであり、幻想。

昨日と今日、テレビで哺乳類の歴史を観た。

恐竜の時代から細々と生きた哺乳類の、
今日ある繁栄に至る変遷を観ていると、
まさしく・・・
今しか確かなものは無いと突きつけられる。

かっての恐竜の繁栄もそうだけれど、
哺乳類の時代になってもすさまじく変化していく生物の歴史をみると、
人類も今の姿で生き残れるかどうかも疑問だし、
哺乳類全体の絶滅すらありうることだし・・・

そういう視点で自分を見ると、
本当に日々のうやむやに心騒がせている場合ではない。

この貴重ないのちの瞬間、
如何にこの瞬間を輝かせて生きるか・・・

瞬間を生き抜いた私たちのいのちの祖先。
弱者であった哺乳類の、
そのまた弱者であった私たちに繋がる、
ひそやかでしたたかな生物・・・
その末裔である奇跡的、必然的存在の私たちのいのち・・・

心底大切に、
このいのちの瞬間、瞬間を生き抜きたい・・・と思えてくる。


2010-07-20 Tue 00:36 | URL | えっちゃん #-[ 内容変更]
☆えっちゃん

ほんとうにそうですよね。
瞬間瞬間の輝きがどれほど愛しいものか、
それは、ぼんやり生きていたのではわからないですね。

意識していくことが大切ですね。
その時、すべてのすべてが輝いて愛しくなりますね。

2010-07-22 Thu 15:05 | URL | ぴあの #/AlQnQZw[ 内容変更]
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