いのちの写真と光の言葉
光の存在として
2012-10-08 Mon 09:18

  光の放射ー24-feb_08_11


今の自分の環境は、自分自身で選んでいるもの。
けっして強制されているものではない。
どこにも強制はない。
それなら・・・

被害者になる必要はない。
周りのせいで・・・
ということは、あり得ない。
自分が設定している環境なのだから。

自分が選んだ環境であれば、自分で気に入るように変更すればいいだけ。
部屋の模様替えのように。
自分の周りのありとあらゆる状況は、自分が選んでいるもの。
誰にも強制されてはいない。

もし強制されていると感じるのならば、もう一度選び直せばいい。
どうにでもなる。
自分の人生だから。
設定変更可能。

しかし、一般的には今の環境が自分にとってベストのことが多い。
たとえ厳しい環境だとしても、それが自分の魂磨きには必要ということ。
いやでいやでたまらないところに、実は宝ものが眠っている。
玉磨かずば光なし!

周りにもまれて、玉(魂)は輝きを増していく。
大切なことは、ネガティブにならないこと。
被害者になったり、他人(ひと)のせいにしない。
あの人さえいなかったら・・・

その人こそが、玉磨きに最も貢献している人かもしれない。
逃げ腰にならないこと。
常に前向きに挑戦し続ける。
周りに左右されない主体性を確立する。

主体性とは、もちろん霊的な主体性。
物質的な、この世的な主体性ではない。
魂としての主体性。
光り輝く玉(ぎょく)としての主体性。

目の前の事実から逃げない。
逃げ腰になる時、希望の光は消える。
逃げ腰になった途端、人生が暗転する。
常に前向きにチャレンジし続けるしかない。

選択肢は、ない!
後ろ向きという選択肢は存在しない。
あるのは、前向きだけ。
チャレンジのみ。

そもそも後ろ向きで歩いていたら、躓(つまづ)くに決まっている。
しっかりと前を向いて、真っ直ぐに生きていくのが一番安全。
その上、最短コース。
それなのに、なぜわざわざ後ろ向きに生きるのだろうか。

現実逃避。
逃げのパターン。
それは、子供の頃からの癖。
自分を守るための悲しい性。

しかし、それは自分を守ることにはならない。
単なる一時しのぎ。
それは、事態をますます困難にするだけ。
プレッシャーが増えるのみ。

目先の一時しのぎ。
それを繰り返してきた人生?
もしそうなら、根本的に改める必要がある。
けっして一時しのぎはしない!

いつも正面から立ち向かう。
事実を直視する。
事実に負けない。
目を逸らさない。

逃げない。
後ろ向きにならない。
余計なことを考えない。
未来を恐れない。

今の事実と共に生きる。
今の事実だけを見つめる。
余計な心配や恐れを持ち込まない。
ネガティブな解釈をしない。

ネガティブパターン。
後ろ向きパターン。
一時しのぎパターン。
他人(ひと)のせいパターン。

自分のなかの思い癖に気づく。
発想パターンに気づく。
いつものネガティブ解釈に気づく。
他人(ひと)のせいにして自己正当化している自分に気づく。

いっさい他人(ひと)のせいにしない。
常に真っ正面から対峙する。
逃げない。
事実と向き合う。

そういう生き方をしていけば、人生はどんどん展開する。
自分の望むように展開していく。
周りに振り回される人生ではなくなる。
自分の人生を取り戻せる。

主体性を確立する。
周りに翻弄されない主体性。
常にチャレンジし続ける主体性。
前向きでポジティブな主体性。

それが、本来のあり方。
本来の魂の状態。
常に輝いている。
常に周りを照らしている。

光とは、そういう存在。
光が、後ろ向きではおかしい。
光が、ネガティブではおかしい。
光が、逃げ腰ではおかしい。

光は、光らしく。
光であるならば、光らしく生きないと。
そういうふうに生きていけば、光の存在となれる。
いや・・・

元々、光の存在。
それが、そのことを忘れて、光らしくない生き方をしているだけ。
光としてではなく、肉体人間として生きているだけ。
自分の本質を忘れ、物質環境に翻弄されているだけ。

大多数の人が、物質化した肉体人間として生きている。
本来の魂の輝きを忘却している。
自分の真実を見失っている。
でも、それはもう十分体験した。

本来の自分自身に戻る時。
光の自分自身を思い出す時。
光の存在として、自分を輝かせる時。
周りに翻弄されるのではなく、周りを光で照らす自分になる時。




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