いのちの写真と光の言葉
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真の主体性
2011-12-24 Sat 01:57
                                           『光の屏風』
光の屏風ーight-16_11
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『真の主体性』

人は、周りから何か言われると反応する。
褒められても貶(けな)されても、感情が反応する。
反応してはいけないということはない。
しかし・・・

ひとこと言われる度に過敏に反応し、思考がフル回転するのもどんなものだろうか。
感情が掻き乱されて自分を見失っては、周りに翻弄されているとしか言いようがない。
常に心静かに聞いていることはできないのだろうか。
周りに左右されず、常に霊静でいることはできるのだろうか。

周りがどうであれ、自分は静かに輝いている。
何事にも心乱されることなく、霊静に対応する。
状況に対して適切に対処しながらも、主体性を奪われることはない。
そういうふうには生きられないのだろうか。

ほとんどの人は、周りしだい。
周りからの働きかけに、自分の思い込みが反応する。
よくよく観察すれば、反応しているのは思い込み。
いつものパターン。

周りも思い込み。
自分も思い込み。
思い込みと思い込みが反応し合っているだけ。
そんなことはない?

本当にそうでなければ、すばらしい。
周りからの作用に対して、いつも静かに自分をキープしていられたら称賛に値する。
いつも霊静な自分自身でいることは、至難の業。
心は、この世的なことに翻弄されやすい。

自分自身の主体性は、どこからやってくるのだろうか。
今生の経験?
世間の常識や習慣?
マスコミの影響や親からの刷り込み?

自分自身のなかにあるものは、何だろうか。
真の主体性とは、何だろうか。
周りに影響されて右往左往するのが、真の主体性でないのは明らか。
そうではなくて、揺るぎないものがあるだろうか。

自分のなかに変わらぬものがあるだろうか。
魂の願いが息づいているだろうか。
それとも、あるのはこの世的な快楽だけだろうか。
地位や名誉や財産や肉体の悦楽だろうか。

周りに左右されない真の主体性は、魂からやってくる。
魂の願いが、この世における真の主体性。
この世に生れてきた目的。
この世で達成したい事々。

自分自身を観察すれば、あまりにも周りに左右されている自分を発見する。
真の主体性は希薄で、感情や思考が反応するばかり。
この世は、思い込みと思い込みがぶつかり合うところ。
魂レベルで生きている人は、極めて少ない。

魂の真の願いを生きる時、一喜一憂、喜怒哀楽はない。
それらは、この世的に生きる時に付随するもの。
この世のドラマを演じる時、味付けとして存在するだけ。
しかし、魂のドラマには、一喜一憂、喜怒哀楽はない。

ただひたすらな願いがある。
今生に生れてきた覚悟がある。
真に生きようとする情熱がある。
周りに影響されるのではなく、周りに影響を与えるエネルギーがある。

この世限りのドラマに未来はない。
魂のドラマが始まろうとしている。
真に生きることが始まろうとしている。
この世とあの世の区別のないドラマが始まろうとしている。

魂が、この世に影響を与える時がスタートしようとしている。
物質世界の影響下から抜け出し、物質次元を魂ナイズする時がきている。
魂が思い描くビジョンを現実化する時を迎えている。
時の流れが逆転する。

これまで物質に呑み込まれていた魂が、これからは物質を自由に使いこなす。
真の主体性が確立する。
周囲に翻弄される生から、周囲を創造する生へ変わる。
魂の望みを叶える時がきている。

主体性の根拠は、魂にある。
魂ベースが、これからの生き方。
肉体ベースは、もう過去のもの。
物質ベースは、既に終わっている。

意識を内に向ける時。
常に魂を意識して生きる時。
魂をこの世に表現して生きる時。
周りに影響されて生きる時代は終わった。



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光のバリエーション
2011-12-02 Fri 16:59
                                 『光の海 - やすらぎの世界』
光の海 - やすらぎの世界ー27-sep_11
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日記『無色透明』  2009年 ”1488日目 - 光のバリエーション” より転載。

『光のバリエーション』

九分九厘光であれば、一厘の闇は問題ではなくなる。
ところが・・・
一厘の闇の方にフォーカスしてしまうと、九分九厘も闇になってしまう。
実際は、九分九厘が光なのだが・・・

人の本質は、光。
中心部は、無色透明の光。
その光が、波紋のように広がっている。
外側に行くにつれて、だんだんと光の色が濃くなる。

それは、波動が遅くなるから。
物質化していくから。
一番外側は、かなり暗い。
そこにフォーカスすれば・・・

この世界は闇と錯覚するかもしれない。
光を自覚できないかもしれない。
しかし、本当は、その闇でさえも光でできている。
全宇宙に、光でできていないものなど存在しない。

人は、光。
光のグラデーション。
色の付いた部分が、個性。
それは、過去の経験の賜(たまもの)。

その色彩は、傾向であり、得意分野であり、役割分担。
これまでの宇宙創造の結果、身に付けたもの。
個別化した光のノウハウみたいなもの。
人で言えば、技術や言語や知識などなど。

魂的に言えば、叡智ということだろうか。
宇宙的な経験。
そういうものが、色彩の構成要素。
宇宙経験によって、それぞれの光の色が違っている。

それは、星々のようなもの。
星々は、みんな色彩が異なる。
それぞれの光で輝いている。
人も、星々と似たようなもの。

今生でも、多くの経験を経て個性が形作られる。
魂もグループソウルも同じ。
宇宙自体が、同じ構造。
何層にも何層にも渡る光のグラデーション。

その一番外側に、今生の個性がある。
その個性が一厘の闇にフォーカスすれば、九分九厘の光までもが闇に見えてしまう。
お先真っ暗!
一寸先は、闇。

それは、外側を見ているから。
自分の内を見ていないから。
夜空の星々も、外を見れば、ほとんど闇に見える。
しかし、自分自身を見れば、光り輝いている。

人は自分を見ないで、外側ばかり気にしている。
だから、闇しか見えない。
自身の光が見えない。
この世は闇だと思い込んでいる。

この世は闇だから、神にすがって身の安全を図ろうとする。
あるいは、たくさんの物を所有して安心しようとする。
しかし、いくら神にすがっても、いくら物を所有しても、根本的な解決にはならない。
不安な心は、けっして消えることはない。

神や教祖にすがることによって、自分は安全だと思い込んでいるだけ。
たくさんの物を所有することで、身の安全が保障されると思い込んでいるだけ。
正確に言うと、必死にそのように思い込もうとしているだけ。
しかし、実際は・・・

心のなかには、常に一抹の不安がある。
これでいいのだろうか。
これで大丈夫だろうか。
本当に信じていいのだろうか。

この世限りの物質的な人は、物に依存する。
物をたくさん所有することで、身の安全を確保しようとする。
精神的な人は、神々や教祖にすがる。
今風な人は、チャネリングや宇宙情報にすがる。

自分のハイアーセルフや魂にすがる人もいる。
いずれにしても、何かにすがっていることに変わりはない。
どうしてすがったりするのだろうか。
どうして神頼みなどするのだろうか。

それは、外を見ているから。
自分の内を見ていないから。
一厘の闇を見ているから。
九分九厘の光を見ていないから。

外側を見ている限り、どこまでも闇が続く。
その闇のなかに光の世界を創造するのが、宇宙創造。
つまり、現実創造。
それには・・・

自分自身が光であるという自覚がいる。
自分が光でなかったら、光の世界は創れない。
自分が闇であったら、闇の世界しか創れない。
だから、何よりも大切なことは、自分が光であることに目覚めること。

内なるものを外に現わす。
それが、宇宙創造。
現実創造。
それが、この宇宙の創造原理。

にもかかわらず、自分を一厘の闇と思い込んで、人を支配し、物を所有しようとする。
自分が九分九厘の光であれば、何もいらない。
必要なものは、すべて創造すればいい。
光なのだから、光で何でも創造できる。

この世のものは、すべて光でできている。
いや、宇宙全体が、すべて光でできている。
ただその波動が違うだけ。
根本材料は、すべて光。

その波動が遅くなると、変化も遅くなる。
そのため、創るのにも時間がかかる。
その代わり、いったん創ったら、長い時間、その形状がキープされる。
それが、この物質次元。

物質次元で生きれば、意識の波動も遅くなる。
やがて、自分を物質と錯覚してしまう。
波動が遅いので、思い込みは持続する。
一厘の闇が、九分九厘の光を支配する。

しかし、人は物質と同じ波動に非ず。
確かに、肉体は物質と似たような波動。
しかし、肉体のなかには遥かに高い波動が内在している。
それは、意識。

意識も、いろんな波動がある。
いろんな光のバリエーションでできている。
感覚や感情や思考や直観・・・
無色透明まで続く光のバリエーション。

しかし、物質も肉体も意識も、根本は光によってできている。
ただ波動の違いだけ。
その波動の違いが、創造宇宙。
いろんなバリエーションを楽しむ世界。

それは、神の遊び場。
神遊び。
リーラ。
それが、創造宇宙。

意識を内側に向ければ、そういうことがわかってくる。
意識が外側に向いている限り、闇しか見えない。
時々、星々のような光が見えるだけ。
しかし、その光は、すぐに消えてしまう。

内側に目を向ければ、光は常にある。
眩しいほどの光が、常時存在している。
なぜなら、自分自身が光だから。
光が、自分自身だから。

宇宙は、光のバリエーション。
人も、光のバリエーション。
すべては、光のバリエーション。
まるで花火大会・・・

『外側を 見ている限り 光なし 光は内に 在りて在るもの』



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