いのちの写真と光の言葉
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アリンコ
2011-09-30 Fri 23:04
                                           『木漏れ日』
木漏れ日ー14-nov_10_11
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『アリンコ』

魂サイドから人間を見ると、どんな感じがするだろうか。
昨日、アリンコのことを書いて、なんとなく似ているかなと思った。
人間の視点からアリンコを見ると、とても小さく見える。
しゃがまなければ見えないくらいだ。
人間から見ると、アリンコはほとんど二次元の平面を歩いているかのように見える。
人間の感覚とは、まったく次元が異なる感じがする。
人間と魂との関係も、こんな感じではないだろうか。

人間の視点からアリンコを見ていると、行く手に障害物があるのがわかる。
でも、アリンコにはわからない。
そのまま行ったら危ないよ、と叫びたくなる。
でも、アリンコにはその声は届かない。
アリンコは自分のペースで進んでいく。
そして、その障害物の前で立ち止まり、躊躇している。
行くべきか、行かざるべきか・・・

人間の視点から見ていると、そこは右へ行った方がいいよ、と言いたくなる。
でも、アリンコは左へ行ってしまう。
魂も同じような思いで人間を眺めているのだろうか。
そっちへ行ったら苦労するのがわかっていても、どうすることもできない。
テレパシーを送っても、人間はキャッチしてくれない。

たまには、なんとなく閃いて右へ行くこともある。
しかし、物質次元にのめり込んでいると、魂の信号をキャッチすることはできない。
ただ目先の欲に囚われ、物質的富を追い求める。
スピリチュアルに生きることは忘却の彼方。
この世に生まれてきた目的も思い出せない。

魂サイドから見ると、人間は物質次元の代理人。
魂代表。
魂の全権を委任され、この物質次元で魂の表現をするために派遣される。
天にあるごとく、地にも調和された世界を創り出すのだ。
そのためには、まず物質次元の体験をして、物質の特徴を学ぶ必要がある。
ところが、その過程で物質次元の魅力に囚われてしまうのだ。
思わぬ肉体の快楽に溺れてしまう。
物質の悦楽に酔ってしまうのだ。
肉体も物質も悪くはない。
いや、最高かもしれない。
スピリチュアルよりも波動が遅い分、確実に実感できる。
そのため、物質世界を体験している途中で、物質世界にはまってしまうのだ。

まあ、いいか。
と、魂は思っているだろうか?
少なくとも短期的な視点で見ていないことだけは確かだ。
何回も何回も輪廻転生させて、物質次元を学んでいる。
アリンコを取っ替え引っ替えして、この世というものを学習しているのだ。
そして、やがてこの世に地上天国を創りたいと思っている。
天を写したような地上にしたいのだ。
つまり、宇宙の源の意志を反映したような地上だ。

ただ、そこに至るまでに紆余曲折がある。
三次元のドラマが展開している。
魂代表を何回送っても、物質の魅力に呑み込まれてしまう。
それでも別のアリンコを創造して送り出すのが魂の役目だ。
これまでの地上での経験を踏まえ、更に強力バージョンにして地上に
送り出す。
それを延々と魂はやってきた。

そして、最後の切り札が、あなたかもしれない。
魂の最終代表バージョン。
これで決めてくれよ!
魂の声が聞こえる。

あまりにも代表アリンコが無茶をすると、時に交通事故に遭わせたり、
病気にしたりして、自分自身を見つめる時間を持たせる。
もう一度、この世に生まれてきた目的を再確認させるために、敢えて
苦難と呼ばれることも魂は選ぶ。
魂にとっては、物質的富など何の価値もない。
ひたすら物質次元を学び、宇宙の調和を物質次元に実現してほしいだけだ。
だから、そのための多少の苦難には目をつぶることもある。
大切なのは物質的満足ではなくて、スピリチュアルと物質の調和なのだ。
スピリチュアルのごとく物質次元を創造することなのだ。

魂にとっては、アリンコは小指の先よりも小さい。
でも、小指の先が傷ついても、痛みに変わりはない。
本当に祈るような気持ちで、アリンコを見守っているのだ。
生まれてきた目的を思い出し、成就してほしい。
それがこれまでの数え切れないくらいの兄弟アリンコたちの努力に報いる道だ。

これまで、どれだけのアリンコが地上に派遣されたことだろう。
もう数え切れないくらいだ。
それによって、たくさんの経験が蓄積された。
それらの経験を踏まえて、今生の計画は立てられている。
今地上にいるアリンコも一緒に立てた完璧な計画だ。
その計画を遂行するために、魂サイドでは地上経験豊かな兄弟アリンコたちが
守護霊や指導霊となって、いろいろサポートしている。
一人のアリンコのために、多くの魂の兄弟がサポートしている。

「一寸の虫にも五分の魂」と、ことわざにもある。
どんなアリンコにも、魂が宿っている。
それがアリンコにとっては、ふるさとであり、源なのだ。
そこから派遣されているのだ。
魂の代表として。
地上の経験をして、地上天国を創るために。
自分の中にある可能性を花開かせるために。
魂の中にある可能性を、地上のアリンコを通して花開かせるのだ。
この物質次元に。
それが魂の計画だ。
いや、魂だけでなく、生まれてくる前に魂と約束したアリンコの計画でもある。

魂は、直接、三次元のことに関わることはできない。
三次元代表は、あくまでアリンコだ。
それだけ、アリンコへの期待は大きい。
どうか魂代表として、地上で魂の花を咲かせてほしい。
そう願い、祈っているに違いない。

そんなことも知らないアリンコは、今日も物質次元を一生懸命生きている。
地上に這いつくばるように生きている。
魂次元から見ると、危なっかしくて見ていられない。
でも、アリンコを信頼して見守るしかない。
なにしろ自分自身の分身なのだから。
魂の一部なのだから。

地上には、アリンコがたーくさん。
天上には、それを見守る魂がたーくさん。
それぞれの魂が、全力でアリンコをサポートしている。
アリンコの兄弟たちも必死だ。
なぜなら、時が迫っているから。
地球の時が迫っている。

地球が新しく生まれ変わる時。
すべての存在が、いきいきと甦る時。
地上にあるものが、本来の生き方に目覚める時。
新しい時代が、もう目の前なのだ。
その時に合わせて、アリンコたちは生まれてきた。
この時を自ら選んで、今、地上にやってきたのだ。
それを思い出す時なのだ。

時は満ちてきた。
約束の時が。
思い出す時が。
本来の自分自身を。
地上に降りてきた目的を。
一人一人が思い出す時なのだ。

アリンコは小さい。
人間の視点から見たら、とても小さい。
でも、アリンコにも五分の魂がある。
何物にも代え難い貴重な魂。
宇宙の源につながる魂。
その魂に気づく時なのだ。

アリンコは、あなただ。
魂代表は、あなたなのだ。
あなたが、あなたの魂を代表して、この地上へ派遣されたのだ。
あなたが自ら志願して、今の時代を選び、この地上へやって来たのだ。
すべての魂の兄弟たちの中から、あなたが選ばれたのだ。
多くの魂の兄弟たちの祝福を受けて、あなたはここへ降りてきた。
そして、今も多くの兄弟たちが目に見えないところでサポートしている。

あなたのために、どれだけ多くの兄弟が努力していることか。
あなたを愛しているから。
あなたを大好きだから。
あなたを心から応援しているから。
そう、みんなが見守っている。
あなたの周りを魂の兄弟たちがやさしく取り囲んでいる。

あなたを魂本体が、まるで母親のようにやさしく包んでいる。
あなたは、今も守られている。
今もサポートされている。
一人ではない。
一人でアリンコをこの地上の荒波の中へ放り出したりはしない。
完璧なサポート体制が整っている。

だから、自分を信頼してほしい。
自分自身を何よりも信頼してほしい。
自分自身を信頼することが、魂とつながる道だ。
なぜなら、あなた自身が魂なのだから。
そう、あなたと魂は一つなのだ。
不離一体。
あなたは魂であり、魂はあなただ。
やがてその事実に気づく時がくる。
その時まで、魂はあなたをやさしく抱きしめて見守っていることだろう。
限りない愛と共に。



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思い込み人生からの離脱
2011-09-17 Sat 23:59
                                      『苔の間を流れる水』
苔の間を流れる水ー24-oct_07_10_11
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日記『無色透明』  2010年 ”2163日目 - 思い込み人生からの離脱” より転載。

『思い込み人生からの離脱』

ほとんどの人は、感情的な思いと共に生きている。
けっしてクリアーな思考と共には、生きていない。
肉体にまつわる感覚や感情と一体になった思い。
論理的でも科学的でもないイメージ主体の思い。

それが、自分というものを形作っている。
自分というイメージ。
自分という思い込み。
それを意識の中心として、人は生きている。

いや、純粋に論理的に生きている人もいる?
科学者や学者は?
冷徹な思想家や分析家は?
けっして感情的な思いでは生きていない?

そうだろうか。
確かに、彼らは仕事の上では科学的、論理的思考で生きているかもしれない。
しかし、プライベートで怒らない人がいるだろうか。
不安や心配をしない人がいるだろうか。

不安や心配は、科学的、論理的思考だろうか。
それとも、感情的思いだろうか。
際限なく不安を募らせることは、けっして科学的でも論理的でもない。
失くしたものを嘆き悲しむのも、冷静な思考ではない。

不安も心配も恐れも悲しみも・・・
みんな感情的な思いから出てくる。
けっして科学的で論理的な思考からは出てこない。
残念なことに、科学者も学者も、そのような思いから自由な人はいない。

つまり、どんなに冷徹な思想家や分析家であっても、自分というイメージを
メインに生きている。
そうである限り、自己の利害が絡むと、冷静ではいられなくなる。
科学的、論理的思考は、自己の利害の前には風前の灯(ともしび)。
科学的、論理的思考で日常を生きている人が、いったいどれだけいるだろうか。

精神世界に詳しい人も、例外ではない。
いくら精神世界に詳しくても、自分というイメージがある限り、思い込みワールドの中。
アセンションすら、おぼつかない。
いくらアセンションのことに詳しくても、その本質をわかっているとは言い難い。

真のアセンションとは、感情的な思いの次元から離脱すること。
肉体にまつわる感覚や感情や思いによってできている自分というものから
離れること。
個という思い込みから自由になること。
個であり全体であるという次元にシフトすること。

個であり全体であるということは・・・
肉体ベースではないことを意味する。
これまでは、肉体ベースの思いが意識の中心だった。
それが、自我という自己中心的な主体を形成していた。

これからの主体は、魂ベースのものになる。
魂と純粋な思考が合体したもの。
肉体の感覚や感情をベースとしない思考。
論理的で科学的な思考。

宇宙は、数学的調和によってできあがっている。
その数学的思考を用いて、意識の主体を形成する。
そのバックには、魂がある。
魂をベースとして、肉体次元を生きる。

思い込み人生からの離脱。
事実ベースの人生への転換。
悲苦からの自由。
不安や心配や恐れからの解放。

悲苦や不安や心配や恐れは、みんな感情的な思いの産物。
非論理的な思いが、そのような幻をつくっているだけ。
人は、ありもしないものに翻弄されているだけ。
すべて思い込み。

人は、思い込みワールドで生きている。
思いの中身を直視すれば・・・
「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」
実体は、ない!

「私」という幻。
「自分」という幻想。
自己中心という思い込み。
人は、リアリティを生きてはいない。

肉体ベースから魂ベースへの転換。
それは、感情的思いから、純粋思考への転換。
意識の中心が、ドロドロとした自我からクリアーな意識へ変わること。
断絶した個として生きるのではなく、全体とつながった個として生きること。

体主霊従から霊主体従への転換。
そんなことはわかっている?
精神世界の本を読めば、どこにでも書かれている?
確かに!

しかし、自分というイメージからの離脱を説いた本があるだろうか。
自我からの自由について書かれた本があるだろうか。
そういう本は、非常に少ない。
自分自身の存在の根幹を揺るがすような本は、極めて限られる。

どの本も、自分は安全圏においてある。
周りのことは、よくわかる。
しかし、本質的に問われているのは、自分自身。
アセンションするのは、自分自身なのだから。

その自分が、いつまでも感情的な思いの次元で生きていたら、
アセンションは難しい。
いつまでも「自分だけはアセンションする」、「自分だけは大丈夫」と、
自分にこだわっていたら、ヘンな話。
ほとんどの人にとって重要なのは、自分がアセンションするかどうか。
自分が救われるかどうか。

しかし、そういう意識がある限り、真の意味でのアセンションは無理。
それは、アセンションという思い込み。
真の意味でのアセンションをわかっていない証拠。
まだ思い込みワールドから自由ではないということ。

思い込みワールドは、根深い。
ありとあらゆることが、思い込みによって成り立っている。
生まれてこの方蓄積してきた思い込みは、ものすごい。
それは、無意識レベルの先入観や偏見となっている。

固定観念であり、既成概念であり、自己中心的ものの見方。
反応のパターンであり、思考のパターンであり、行動のパターン。
自己正当化のパターンであり、落ち込みのパターンであり、失恋のパターン。
潜在意識のなかに蓄積された思い込みは、膨大なもの。

そういうものに気づく必要がある。
自分の構成要素に気づかなければ、今のままの人生が続く。
アセンションなど、夢のまた夢。
自分というものは、何によってできあがっているのだろうか。

自分の存在を問う。
それを徹底的にやっていかないと、自我から自由になることはできない。
自分というイメージからの自由はない。
個から離れることはできない。

個で生きる限り、思い込み人生。
けっしてリアルな人生ではない。
ただ思いの世界のなかで生きているだけ。
肉体ベースの限られた思い込みワールドの住人。

さて、あなたはどう生きるのだろうか。
いつまでも思い込み人生を続けるのだろうか。
不安と恐れと苦しみと悲しみの世界で生き続けるのだろうか。
それとも、新しく生き直すのだろうか。




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絶対
2011-09-10 Sat 02:47
                                          『森に射す光』
森に射す光ー09-sep_07_11
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日記『無色透明』  2007年 ”837日目 - 絶対” より転載。

『絶対』

この世のことは、すべて相対的。
絶対はない。
すべて変化している。
無常。

それ故に、人は絶対を求める。
不動の拠り所を求める。
天に神を求め、地に財や権力を求める。
しかし・・・

絶対であるはずの神は、人によって異なる。
あなたの神と私の神は同じではない。
キリスト教の神とイスラム教の神は対立することすらある。
神と言えども絶対ではない。

人が創ったものは、すべて相対。
人が創った神も相対的なもの。
色の世界に絶対はない。
色の世界は変化の世界。

人は変化に耐えられず、絶対を欲する。
無常に耐えきれず、不変のものを求める。
無常は、人にとっては無情。
故に無上のものを求め続ける。

しかし、この世に不変のものはない。
あると言うのは、単なる思い込み。
客観的に不変のものは存在しない。
それが色の世界。

不変のものは、色の世界にはない。
色の世界は、すべて相対。
比較によって、いろんな色が存在する世界。
絶対であれば、色は存在しない。

絶対は、色の存在しない世界。
それは空の世界。
色を超えた空の次元。
まるで宇宙空間のような世界。

星々は色の世界。
美しくきらめくものは、色の存在。
それらは無常のもの。
一瞬として同じ光ではない。

星々を取り巻く漆黒の闇こそが、空の世界。
色のない世界。
そこにのみ絶対がある。
相対を超えたものがある。

もし人が絶対を欲するのなら、色の世界の美しさから離れる必要がある。
色の世界の美しさに惑わされている間は、絶対は遠い。
豪華絢爛の色の世界は、絶対とは縁のない世界。
目眩(めくるめ)く極色彩の世界は、絶対と対極にあるもの。

何もない空こそが、絶対の世界。
何もないが故に不変であり、すべてがある。
そこからすべてが生み出される。
すべての源であり、すべてのすべて。

愛もそこにある。
人の世の愛は、相対的なもの。
見返りがないと、すぐに憎しみに変わってしまう。
反抗されれば、可愛さ余って憎さ百倍。

絶対的な愛は、この世には存在しない。
ただ愛するだけの愛は、空の世界にのみある。
ただハートの中にだけ息づいている。
それは人の世の愛を超えている。

もし人が絶対を欲するなら、ハートベースで生きるしかない。
ハートの中にある絶対の愛と共に生きるしかない。
目の前の色の価値観に左右されることなく、ただハートと共に生きる。
その時、相対的な愛は絶対的な愛へ昇華される。

絶対の愛がある次元とつながる。
変わることのない愛の次元。
ただあふれるだけの愛。
目の前の現象に左右されることのない愛。

空が限りなく広がっているように、愛も限りなく存在している。
生きた愛がハートの中に存在している。
それは人がどうこうできるものではなく、ただ不変の愛として存在している。
愛故に、愛として存在している。

絶対的な愛が、色となって現れる。
現れる瞬間は、美しい。
しかし、永続はしない。
すぐに不安と猜疑心に打ち消される。

永続する愛は、空の世界にのみある。
ハートの中にのみある。
人にできることは、ただ愛と共に生きること。
ハートと共に生きること。

空の世界と共に、色の世界を生きる。
色に溺れ、空を見失わない。
刻々の色を、変化のままに味わう。
何ものにも囚われず、空の中で色を生きる。

永続させようとすれば、すぐに執着になる。
執着すれば、苦しみが待っている。
この色の世界は、変化の世界。
変化と共に生きるしかない。

空にあって色を生きるとは、何ものにも囚われないということ。
何ものも掴まないということ。
それが空と共に生きるということ。
変化と共に生きるということ。

変化する色と共に、変化のままに生きる。
何も永続させようとしない。
何も掴まない。
何も執着しない。

それが、色にあって空を生きること。
空にあって色を生きること。
空と共に色を生き、色と共に空を生きる。
永続するものと共に変化するものを生きる。



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