いのちの写真と光の言葉
人の生きる道
2011-08-29 Mon 18:02
                                         『光のスイレン』
光のスイレンー22-sep_11.htm
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日記『無色透明』  2010年 ”1972日目 - 人の生きる道” より転載。

『人の生きる道』

この世に意図なしで存在するものがあるだろうか。
偶然の産物があるだろうか。
すべては、何らかの意図が働いているのではないだろうか。
美しい水晶を創り出す天使たちがいるのではないだろうか。

人は、自己保存の本能をベースに生きている。
生きることを最大の命題としている。
それは、必要なこと。
しかし・・・

肉体を維持するだけでは、十分とは言えない。
それだけなら、動物と変わらない。
動物たちも必死に種の保存のために生きている。
本能のままに生きている。

人が花や犬の新種を創り出すのさえ、生活のため。
自分自身を守るため。
純粋な創造行為とは言いにくい。
それも自己保存の一部。

しかし、天使たちが美しい水晶や花を創るのは、少し違うかもしれない。
それは、宇宙の創造行為の一環かもしれない。
自己保存のためではなく、地球創造?
趣味のガーデニングみたいなもの?

人は、パンのみにて生きるものにあらず!
人が肉体を維持するのは、必要条件。
それとともに、宇宙創造の一翼を担うのが十分条件だろうか。
それでこそ、神々の末裔と言えるのではないだろうか。

自分の肉体を維持したうえで、地上で現実創造を行う。
宇宙創造の一環としての地球創造の一翼を担う。
それが、人の役割ではないだろうか。
それでこそ、必要十分条件が満たされるのではないだろうか。

人は、天と地をつなぐもの。
天とは、宇宙の意志。
地とは、地球の創造。
天の意志を地上に実現するのが、人の役割ではないのだろうか。

人とは、霊止(ひと)。
霊が肉体に止まっている存在。
それは、霊(天)と物質(地)を融合させるための存在形態。
天にあるごとく地にもあらしめるためのもの。

天の意志は、自分の魂を通してやって来る。
この地上での自分の使命。
自分の役割。
それが、宇宙創造の一翼を担うということ。

自己保存だけでは、動物と同じ。
それでは、神々の末裔とは言い難い。
最も大切なものが、欠落している。
それは、霊性。

天と地を肉体を通して融合させる。
天の意志を地に実現する。
宇宙創造の一翼を担う。
それが、人の生きる道ではないだろうか。

これまでの人類は、自己保存ベースで生きてきた。
肉体を維持することを第一命題としてきた。
それも必要なことだけれども、それだけでは不十分。
天の意志が欠落している。

天の意志とは、霊性。
自分のなかに生きる神。
魂やグループソウル。
八百万の神々。

そういう存在と一つになって生きることだろうか。
自我という宇宙の孤児になって生きないことだろうか。
肉体限定バージョンの意識で生きないことだろうか。
無限につながる意識と共に生きることだろうか。

人は、肉体のみにあらず。
自分のうちに無限の可能性を宿すもの。
神々の末裔。
宇宙創造の一翼を担うもの。

深く深く自分自身と一緒に生きることだろうか。
意識の奥の声を聞きながら生きることだろうか。
魂や神々とつながって生きることだろうか。
自分の真実を求め続け、自分の真実を生きることだろうか。


『人はみな 地を這うものに あらずして 天に羽ばたく 翼持つもの』




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地球の変動
2011-08-23 Tue 10:45
                                           『巨石の沢』
巨石の沢ー25-aug_08_11
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日記『無色透明』  2007年 ”793日目 - 地球の変動” より転載。

『地球の変動』

先日
水晶の写真撮影をしていた時
屋久島の知り合いがやって来た
いつもは隣へ直行する

ところが
その時は
こちらが外にいたので
近寄って来た

彼女は
アセンションに興味があって
いろいろ情報を集めている
友人と情報交換もしている

アセンションに関する新しい本を持っていた
その中には
具体的に
次の時代の世界地図が載っていた

太平洋に新しい大陸が現れ
日本はユーラシア大陸の方に押しやられ
ほとんど中国と合体?
そんな感じだった

未来のことはわからない
しかし
可能性としてはあるかもしれない
以前

東京で精神世界のセミナーをやっていた頃
個人セッションで
太平洋上に新大陸が隆起し
そちらへ移動するという内容が出たことがある

9・11のアメリカのテロでさえ
ビジョンとして見た人がいた
しかし
10数年前では

何が起きたのがまったくわからなかった
原爆?
戦争?
まるで廃墟・・・

そんな感じだった。
その時になってみないと
本当のことはわからない
わかるのは

可能性だけ
これから
どんなことが起きるか
可能性としては理解できる

新しい情報によれば
これから地球は本格的に変化するらしい
中国では桁外れの大地震が起き
貨幣経済は崩壊し・・・

ポールシフト(極移動)は起きないけれども
大きな地殻変動は避けられない
なにしろ未曾有の変化が起きることは間違いないとか
さてさて・・・

これまでも
そのようなことは言われてきた
これからも
更に声高に叫ばれることだろう

信じる人もいれば
信じない人もいる
風評に左右される人もいれば
心に動揺をきたす人もいる

アトランティスの時もそうだった
警鐘を鳴らす人はいた
でも
信じない人が多かった

みんなに警鐘を鳴らす担当の人がいる
そういう人が本を書き
情報を流す
それはそれでいい

しかし
先のことを心配してもしかたがない
先のことを心配すると
意識が飛んでしまう

しっかりグランディングできなくなる
今ここ
不動の今ここ
今ここ以外にリアリティは存在しない

自分自身にグランディングできていないと
未来の情報をほしがる
不安な心が
未来を心配する

しかし
いくら情報を集めても
未来のことは不確定
どうなるかわからない

今ここが安定していなければ
未来も安定しない
いくら情報を集めても
心はやすらがない

今ここが安定すれば
未来永劫
不安や心配はない
そもそも

不安や心配というのは
表層の意識
肉体ベースの意識が
彷徨(さまよ)っているだけ

深い意識には
心配や不安はない
ただやすらぎがあるだけ
すべてへの信頼がある

ベストのことが起きる
必要なことが起きる
何も心配はない
流れと共に生きる

何も持たないということは
最も自由であること
何が起きても
失うものはない

大地震が起きても
地殻の大変動が起きても
土地も家もなければ
何も喪失するものはない

貨幣経済が崩壊しても
元々お金がない身には
とりたてて騒ぐほどのこともない
何が起きようと

何も起きまいと
今の日常が続いていくだけ
しっかり自分自身にグランディングし
今ここを生きるだけ

外に求めない
自分の中に居を定める
自分ベース
内奥ベース

しっかり自分自身にグランディングし
一歩一歩
地に足を着け
着実に歩いていく

急ぐことも
焦ることも
慌てることも
必要はない

今ここ
今ここに意識を置いて
自分自身にグランディングして
自分自身を生きる

それ以外に道はない
周りがどのように変化しようと
自分自身にグランディングしていれば
何も恐れることはない

自分の中に
すべてはあり
自分の中のものを
外に表現しているだけ

地球の現象も
みんなの意識が創っているもの
宇宙の共同創造
何も恐れる必要はない

自然と共に
地球と共に
宇宙と共に
流れと共に

ただ生きていくだけ
自分自身を輝かせ
自分自身の光を現し
自分のパートを生きるだけ


『しっかりと 自分自身に 居を定め 自分自身を 生きていくだけ』




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真の願いと自我の願い
2011-08-19 Fri 01:58
                                              『睡蓮』
睡蓮ー21-oct_10_11
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日記『無色透明』  2009年 ”1659日目 - 真の願いと自我の願い” より転載。

『真の願いと自我の願い』

真の願いと自我の願い。
それは、どのように違うのだろうか。
どうやって見分けるのだろうか。

真の願いは、魂の願い。
今生の意識の願いだけではない。
今生の意識と魂の意識が一体となった願い。
それが真実の願い。

この世で実現したいもの。
今生に生れてきた目的。
それは、多少の困難で揺らぐようなものではない。
どうあっても実現したい夢。

一方の自我の願いは、どうだろうか。
自分の思うようになると喜ぶ。
思うようにならないと落胆する。
まさに一喜一憂。

この世的なものに惹かれる。
カッコいいかどうか。
お金になるかどうか。
幸せになれそうかどうか。

地位、名誉、財産、幸福・・・
すべて社会的に認められた価値。
自分がどのように思われるか。
自分がいかに認められるか。

注目を浴び、賞賛される。
羨ましがられ、自慢できる。
見下されることなく、尊敬の眼差しで見られる。
親戚や知り合いからも尊重される。

自我の願いは、意識が外側に向いている。
いつも自分がどのように見られるかが気にかかる。
自分のことが何よりも大切。
外側の状況に振り回される。

自我の願いは、意識の表層の願い。
それは、社会的影響によってできあがったもの。
成長過程の価値観が投影されたもの。
生まれ育った環境によって左右されるもの。

しかし、真の願いは、そうではない。
深い深い願い。
生まれ出る前からの願い。
内側から湧き上がってくる願い。

本当に真の願いを生きている時は、深い喜びがある。
心から充実している。
このために生れて来たという充足感がある。
魂と自分が一つになっている。

真の願いを生きることだろうか。
魂の願いを生きることだろうか。
この世に生れてきた目的を生きることだろうか。
それが最も充実した生き方なのだから。

表層の自我で生きれば、一喜一憂、喜怒哀楽。
外側に振り回される人生。
外側をベースに生きるか、内側をベースに生きるか。
この世的な価値を生きるか、この世を超えた価値を生きるか。

真に自分が望んでいるものは何か。
今の生き方でいいのか。
この方向で間違っていないのか。
常に自分に問いかけることだろうか。

問題は、相手ではない。
夫でもなく、恋人でもない。
好きな人でもなく、恋い焦がれる人でもない。
問題は、自分自身。

自分の生き方が、すべて。
自分の生き方が問われているだけ。
自分は、どのように生きたいのか。
ただそれを明確にすること。

そして、それが明確になったら、それを生きる。
相手がどうだからと、自分が揺さぶられない。
自分を生きる。
相手に左右されるのではなく。

自分の生き方を明確にすれば、相手はそれに沿ってくれる。
沿ってくれなければ、縁がないということ。
あるいは、時期が来ていないということ。
生まれてくる時に契(ちぎ)りを交わしている相手であれば、きっと応じてくれる。

いずれにしても、相手ではない。
自分の生き方をいかに明確にするか。
それがすべて。
それが明確であれば、それに沿って事態は展開する。

自分がクリエイトする自分の人生。
自分の生きる方針を明確にすることだろうか。
自我の方針ではなく、魂の方針に気づくことだろうか。
真に魂が願っていることに気づくことだろうか。

それには・・・
常に自分自身に問いかけること。
これでいいのか。
自分は本当は何をしたいのか。



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祈り
2011-08-11 Thu 23:47
                                          『美しい太陽』
美しい太陽ー19-aug_07_11.jpg
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『祈り』

祈りとは何だろう?
人はどんな時に祈るのだろうか。
自分ではどうにもならない時?
何かの助けがほしい時?
なんとかしてほしい時?

子供が病気の時?
悲惨な現実を目の当たりにした時?
死が避けられない時?
苦しみが増す時?
心理的に耐えられない時?

現状をなんとか変えたい時に、人は祈るのだろうか。
現状を認められない時に、人は祈るのだろうか。
現状を見るに耐えないので、人は祈るのだろうか。
現実逃避?

人は何に対して祈るのだろうか。
神に祈る?
どんな神に?
自分が信じる神に?
仏に祈る?
どんな仏に?
御利益のありそうな仏に?
天使に祈る?
守護霊に祈る?
御先祖様に祈る?
祈りがかなえば、感謝する?
お礼参りする?
かなわなかったら?
もう信じない?
神も仏もない?

必死の祈りが実現したという話は、たまに聞く。
自分の命と引き替えに子供の命をお守りくださいという母の必死の祈りは、
聞き届けられることもある。
しかし、いつも聞き届けられるとは限らない。
子供が自ら死を選べば、母親の願いは虚しく消えるしかない。
子供にとっては、それで十分。
母親も子供を亡くした体験を今生ではすると潜在意識で決めている場合もある。
悲惨な現実が、必ずしも悪いということではない。
必要があって、そのような現実を引き起こしている場合もある。

交通事故によって、これまでの生き方を見直す機会に恵まれる。
重病になって、生きていることのすばらしさに目覚める。
障害児が生まれることによって、何が大切なのかに気づく。
一般的に悪いと思われていることが、必ずしも悪いわけではない。
現象の利害得失だけでは推し量れないものがある。

「人生万事塞翁が馬」という諺もある。
何が吉となるかわからない。
表面の浅はかな気持で判断すると、大きな過ちを犯すこともあり得る。

ただ事実と共に留まる。
事実と一緒にいる。
事実を直視する。
事実から逃げない。
事実と居切る。

相手は苦しいだろう。
早く楽になってほしい。
楽にしてくださいと祈る。
それも悪くはない。
でも、もう少し深く相手と一緒にいることはできないだろうか。
どうしてこんなに苦しんでいるのか。
もっと深く感じることはできないだろうか。
相手と一緒に居切ることによって、相手の状態を更に深く感じることはできない
だろうか。

本当に相手と一緒に居切れたら、相手の状態が手に取るようにわかる。
それと同時に、こちらから相手へエネルギーが流れる。
何もしなくても、一緒にいるだけでエネルギーが流れる。
祈るまでもなく・・・

祈りには、願いがある。
その願いはどこから来るのだろう?
自分の願望?
愛?

愛自体には方向性はない。
相手と一緒にいれば、自然に相手に流れる。
何もしなくても相手と一緒にいることによって、愛の方向性が決まる。
愛のエネルギーは癒し。
無条件の癒し。
何の願望もない。
自我の入る余地はない。
ただ純粋な愛が流れるだけ。

本当に深く人と居切れるだろうか。
自分の思いの混じらない純粋な愛が流れるほど、相手と一緒に居切れる
だろうか。
目の前の現象に目を背(そむ)けないで、その現象と共に居切れるだろうか。
目の前の事実から逃げないで、事実と共に居切れるだろうか。
どんな悲惨な現実でも、どんな苦しい状況でも、それらと共に居切ることが
できるだろうか。

安易な祈りに逃げないで、事実と共に居切る。
それができるだろうか。
できれば、人生が変わるかもしれない。
思いの次元から自由になれるかもしれない。

思いを超え、ただ静かに一緒にいる。
深い深い静けさの中で、共にある。
その時、思いを超えた次元から別のエネルギーが届く。
その時、必要であれば必要な変化が起きる。
自我の判断を超えた変化が・・・

自我で判断し、祈る。
一歩間違うと、欲望の祈りとなる危険を孕(はら)んでいる。
もし祈るのならば、自分自身をよーく見つめながら祈るといい。
それが意識のどのレベルから来ている祈りか・・・
自我ではないという思い込みに注意しながら・・・

できるだけ相手を尊重する。
相手の存在を、そのまま尊重する。
自分の希望を押しつけない。
自分の祈りを押しつけない。
相手の生き方を尊重する。

ただ相手と一緒にいる。
ただ事態と一緒にいる。
その時、どれだけ深く一緒にいられるかが問われる。
どれだけ意識の深いレベルで一緒にいられるか。
意識のどの次元で生きているか。
日々の生き方が問われる。

思いを超えた次元で、ただ一緒にいる。
いかなる思いもなく、ただ一緒にいる。
共に苦しみ、共に泣く。
ただ涙がこぼれる。
苦しんではいない。
泣いてもいない。
ただ涙がこぼれるだけ。

色の世界の苦しみや悲しみと共にいる。
空の世界の、それらを超えた次元と共にいる。
共に苦しみ、共に悲しみ、それらを見守る。
苦しみや悲しみの心は伝わる。
それは涙となって頬を伝う。
それでも静かに見守る。
ただ見守る。
思いを超えて見守る。



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別窓 | 朝陽 | コメント:2
時間
2011-08-01 Mon 23:18
                                    『森の奥から流れる水』
森の奥から流れる水ー23-sep_07_11
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日記『無色透明』  2005年 ”56日目 - 時間” より転載。

『時間』

時間というのは、1秒、10分の1秒、100分の1秒、1000分の1秒、
10000分の1秒・・・と、極限までいくと、もう分割不可能、識別不可能と
いうところまでいって、最終的には消えるんだね。
逆に、1時間、10時間・・・1光年、10光年・・・1兆光年、1京光年・・・
こちらも極限までいくと、計測不能になって、消えてしまう。
時間は、両極までいくと、時間のない世界へ入ってしまう。
つまり、無限の世界に。
時間は、両極の間だけで存在しているんだね。

時間というのは、変化をベースにしているよね。
太陽が東から上がって西に沈む。
また東から上がる時までを一日=24時間と定めている。
月を基準にした決め方もある。
何を基準にするかで、いろんな暦ができている。
60進法や12進法だけが時間の基準でもない。

今のこの瞬間は、目の前の事実があるだけ。
時間は存在していない。
記憶と記憶を比較することによって、変化が生まれ、時間が生まれる。
ある基準、目盛りによって、時間は成り立っている。
時間は相対的。

「ひとつ」の中には時間はない。
一つしかないので、比較ができない。
絶対時間、永遠の今があるだけ。
色の世界にのみ時間は存在する。
しかし、それはいろんなものを基準にした相対的な時間。

一つの物をどんどん分解していく。
肉体なら、臓器、細胞、分子、原子、素粒子・・・どんどん小さくしていくと、
最終的には分割不能、認識不能というところまでいく。

そうすると物は消える。
消えて無限になる。
極小は無限につながっている。
逆に、どんどん大きくしていくと、肉体、地球、太陽系、銀河系・・・
究極は宇宙となる。
宇宙は無限だ。
極小も極大も、行き着くところは無限になる。

極小と極大の間に色の世界が広がっている。
その中に時間は存在する。
空の世界には時間はない。

喩えて言うと、地球の光が当たっている部分が色だろうか。
反対側の闇の部分が空だろうか。
色の周辺は空に溶け込んでいる。
光が当たっているところにだけ時間がある。
生々流転のドラマがある。
しかし、裏側の空の領域は常に静かだ。
波一つ立たない。
「ひとつ」の世界なのだ。
「ひとつ」の世界に抱(いだ)かれて色の世界は存在する。
常に「ひとつ」という愛に包まれているんだね。

フラッシュバックというのがある。
交通事故などで生命が危機に瀕した時、人は一瞬のうちに自分の
全人生を走馬燈のように見ることがある。
ほんの数秒、いや、1秒以内かもしれない。
ほんの瞬間に膨大な記憶がフラッシュバックされる。
普通の意識では、それこそ何十年もかかりそうなくらいの記憶が
一瞬のうちに見えてしまう。
それは、ビデオを早送りで見ているようなものだろうか。
それも超高速早送りで。

普通の意識状態では、分解写真かスローモーションで現実を見て
いるのかもしれない。
それがある波動領域では、超高速で見える。
同じ1秒でも、意識領域によって、まるで密度が違う。
逆に言うと、意識が精妙であれば、1秒の間に膨大な量の情報を
認識できるということ。
細部まではっきり自覚できる。
意識が荒いと、ほんのアバウトしか認識できない。
同じ1秒でも、中身は同じではない。
波動領域によって、密度がまるで違う。

意識の波動が早くなると、過去を引きずらなくなる。
どんどん瞬間瞬間に生きるようになる。
いつまでも過去を引きずっているのは、波動が遅い証拠。

意識の波動が早くなると、人間ドラマは成り立たなくなる。
過去の記憶を背負って、重たい足取りでゆったりと進む時にのみ、
人の愛憎劇は成り立つのだ。
瞬間瞬間生きるようになったら、ドラマにならない。
「私」という過去を背負ってスローな波動で生きない限り、人間ドラマは
成り立たない。

ところが、人間よりも更に波動が遅くなっても、人間ドラマは成り立たない。
例えば、岩の波動だったら、千年、万年単位。
それでは、もう歴史の遙か彼方だ。
だから、岩は太古の記憶を秘めている。
人間は、そんな長いスパンでは生きていない。
たかだか100年のスパンで生きているのみだ。
人は、ある波動領域で生きているのだ。
ある波動領域が生み出したのが、今の人類文化圏なのだ。
波動領域によって、世界は違って見えてくる。

人は、波動を上げれば、上げた次元で生きていける。
人は、波動を下げれば、下げた次元でも生きていける。
ある範囲内であれば、どんな次元でも生きていける。
無償の愛に生きるのも、殺人鬼になるのも、可能なのだ。
すごい世界だよね。
神にも悪魔にもなれる。
そして、両極は「ひとつ」につながっている。
「ひとつ」の中に抱かれた人生ドラマなんだね。
どこにフォーカスして、どの波動領域で生きるか。
それがあなたの人生だ。



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