いのちの写真と光の言葉
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名もない草
2011-07-26 Tue 19:19
                                        『緑と白の世界』
緑と白の世界ー22-aug_08_11
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日記『無色透明』  2005年 ”40日目 - 名もない草” より転載。

『名もない草』

昨日書いたことは、たぶん過去世では伝えていなかったことだと思う。
お坊さんの過去世の時に、多少は言ったかもしれないけど、ここまで
はっきりとは言ってないはずだ。
キリスト教の宣教師の時は、信仰の話ばかりしていた。
神道の神主の時も、話したのは神様のことだけだろう。
たぶん昨日のことは、今生で初めて明確に伝えることだと思う。
だから、伝え方がまだ下手なんだね。
そのため、受講生のみなさんは多かれ少なかれショック症状を呈して
いるようだ。
新米の教師につくと、生徒もたいへん。

今の精神世界では、ここまでの話は出ない。
「私」が幻想だと言う人はほとんどいない。
ほんの少数だけいるかな?
主流は、肉体はなくなっても、あなたは存続する、というレベル。
魂は永遠だ、ということ。
まあ、それも悪くはない。
別にそのレベルでもいいのかもしれない。
でも、それだと、なかなか自我は消えない。
自我もしっかり生まれ変わる。
ハー、まだ六道輪廻の中だ。

肉体は車のようなもので、車を降りても、あなたは存在し続ける。
と、スピリチュアリズムの本にある。
それは間違いない。
肉体とは別の自分がいる。
幽霊の自分だ。
オット、間違えました。
正確に言うと、幽体の自分。
幽体にも肉体と同じように「体」がつく以上、それも肉体と同じように
衣にすぎない。
幽界でだけ通用する衣。
同様に、霊体があり、神体もある。
いずれも霊界や神界で着用する衣だ。
魂も衣だと言ったら、またショック?
魂こそが自分だと思っている向きにはショックかもしれない。
いずれも器、エネルギー場。
では、本当の自分はどこにいるの?
みんながそれを聞きたがるだろう。
人は神の分け御霊?
大神様の分霊?
確かにそうに違いない。
では、自分は神様?
確かにそうに違いない。
でも、現実は哀れでみすぼらしい人間?
確かにそうに違いない。
そう思っている限りは。

エネルギー場が無数にある。
神の分け御霊が入る器が限りなく存在する。
肉体もその一つだ。
幽体も霊体も、神体も魂も、みんな器だ。
神の分け御霊が入る器。

人間は何重にも重なった器の集合体。
だから、自分を肉体だと思っている人もいれば、魂だと思っている人もいる。
それだけでなく、自分を神だと思っている人もいる。
何とでも思える。
何にでもなれる。
それが人間だ。

自分は何だろう?
本人の思っているところのものだ。
肉体だと思えば、肉体人間。
魂だと思えば、魂人間。
神だと思えば、生き神様だ。

「私」は何?
その人が思っているところのもの。
自分が自分に抱いているイメージが「私」。
それ以外に「私」はいない。

「私」は継続するか?
しない。
イメージは一定ではない。
「私」についてのイメージも変化している。
そのため、「私」も変わっている。
「私」は継続していると思い込んでいるだけで、実際はイメージは微妙に修正
されている。
若い頃は、元気いっぱいの「私」だった。
歳を取ると、いつの間にか老人の「私」に変わっている。
「私」のイメージは一定しない。
「私」の実体の方も刻々に変化している。
どこに継続性があるのだろうか?
継続しているという幻想?

いのちを直接見ることはできない。
ただ、形あるものを通して、その変化によって知ることができるのみだ。
いのちは様々なものに宿り、植物となり、動物となり、星々となっている。
同じひとつのいのちが、万象万物に宿っている。
現れ方が異なるのだ。
人とて同じ。
同じいのちの現れなのだ。

植物と人間と、どう違うか。
人間は肉体だけでなく、たーくさんの体を背負っている。
何重にも重なっている。
植物よりも遙かに複雑だ。
それぞれの体のエネルギーを同時的に使いながら存在している。
様々な体のエネルギーが入れ替わりながらと言ってもいい。
いろいろな次元の記憶を潜在的に背負っているということ。
そういう多次元的な存在なのだ。
器にいくつもの器が重なっている。
多次元・多重存在なのだ。
継続しているもの?
いのちだけだ。
宇宙にひとつのいのちだけが継続している。
と言えば、そうとも言える。
しかし、そのいのちさえも刻々と変化している、と言えば、そうとも言える。
ひとつのいのちが刻々に変化している。
が、いくら変化しても、ひとつのいのちに変わりはない。
変わらないもの?
いや、変わるもの?
変わりながら、変わらないものかな。

結局、「私」はどうなったの?
「私」はいのち?
いのちはひとつ。
ひとつだったら、みんなひとつで、「私」とは認識できない。
「私」はあって、なきがごときもの?
ひとつのいのちの中に「私」は存在しない。
「私」が存在し得るのは、個々の命が自分について「私」というイメージを持つ
時だけ。
個の器をベースに、個の命が自分を「私」と認定する時だけ「私」は存在する。
自分のことを「私」と思わなかったら、「私」は存在しない。
ただ名もない命がきらめいているだけだ。
そこら辺の雑草と同じように。
名もなく貧しく美しく・・・

「私」というプライドが、どれだけ世の中を傷つけていることだろう。
「私」というプライドが、お互いに傷つけあっている。
名もない草は、お互いに傷つけあったりはしない。
ただ太陽をめざして背伸びしているだけだ。

「私」、人間の追究は続いていく。



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別窓 | 木霊の森 | コメント:4
2011-07-18 Mon 01:44
                                       『青い空と青い海』
青い空と青い海ー04-july_07_11.jpg
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日記『無色透明』  2005年 ”39日目 - 「私」” より転載。

『私』

えっちゃんが書いていたけど、確かに一人では「私」は存在しない。
神様オンリーワンだったら、「私」も他人もない。
ということは、「私」というのは比較によって初めて存在するということになる。
対比によって「私」は存在する。
違いということだね。

確かに、名前が違う、背の高さが違う、顔つきが違う、経験が違う・・・
それぞれ違うから、個々の「私」が存在する。
ところが、同じ一人の「私」でも、「私」はいろいろ存在するらしい。
本当の「私」と嘘の「私」。
昔の「私」と今の「私」。
怒っている「私」と泣いている「私」。
どれが「私」なの?
そのすべてが「私」だと言う人もいる。
本当の「私」だけが「私」だと言う人もいる。

過去に人殺しをした人がいるとしよう。
今は悔い改めて人のために奉仕しているとしよう。
その人は悪い人?
それとも良い人?
殺された遺族にとっては悪い人。
今世話になっている人にとっては良い人。
評価は人によって異なる。
人はある側面を見て評価する。
その人のすべてを知って評価する人はいない。
そんなことは不可能だ。
でも、その個人差のある評価を基に、「私」はこういうものかなと自分で
思ってしまう。

バカだ無能だと周りから言われて育った子供は、自分をバカで無能だと
思い込んでしまう。
そして、思い込んだ通りの人生を歩んでしまう。
もちろん、逆もあり得る。

周りからの評価によって「私」はできあがるのだろうか。
他人によって「私」はつくられるのだろうか?
「私」は他人がつくったもの?
何かヘンだね。
「私」は他人の産物なの?

「私」は他人の評価を基にした思い込み?
そんなことはないわ。
「私」は「私」よ。
その「私」はいつの「私」?
過去の「私」?
それとも、今の「私」?
そのすべての「私」?

眠っている時は?
忘れてしまったことは?
そういう「私」も存在したのに、それは「私」の中に入ってないの?
「私」の中に入っているものは?
今自分が「私」だと思っていることだけ?
ザッツ、オール。
それがすべて。

自分が今、「私」と思っているのが「私」。
それ以外の「私」は存在しない。
どこにもない。
実体はない。
あったら見せてほしい。
どこにあるの?
「私」は自分が思っているだけのもの?

「私」というのはイメージ。
はっきり言ってしまえば、思い込み。
過去の記憶をベースとした思い込み。
どこにも「私」なんかない。

確かに肉体はある。
しかし、その肉体も子供の頃とはまったく異なっている。
同じ肉体?
少なくとも細胞はまったく違うだろう。
少しは子供の頃から生き残っている細胞があるのかな?
三年ぐらいですべて入れ替わるのでは?
となると、肉体は同じではない。
別人と言ってもいい。
DNAは同じ?
しかし、それも変化しているらしいよ。
「私」の継続性は怪しい。

では、精神の方はどうか。
精神も一瞬一瞬変わっている。
何が継続しているの?
記憶を除けば、他に何があるの?
記憶だけが継続性をもたらしている。
ところが、この記憶も忘れたりする。
「私」は減少するの?
いや、逆に記憶は増加しているかもしれない。
長生きすればするほど記憶は増加する。
「私」は増殖中?

増えたり減ったりする「私」。
固定した「私」ってあるの?
「私」は刻々に変化している?
それって「私」と言えるの?
昨日の「私」と今日の「私」は違う。
明らかに違う。
昨日はみんなに褒められて、自信満々の「私」だった。
でも、今日はみんなにけなされて、自信喪失の「私」がいる。
元気いっぱいの「私」と意気消沈した「私」。
どっちが本当の「私」?
どっちも「私」?
と思っているだけでは?
昨日はすばらしい「私」と思っていた。
今日は最悪の「私」と思っている。
日によって「私」は変わる。
のに、「私」という呼び名は変わらない。
ので、「私」は同じだと思っている?

昨日思っていた「私」と今日思っている「私」は異なる。
子供の頃思っていた「私」と、今思っている「私」は異なる。
どちらも「私」と呼んでいるけど。
それでも同じ「私」?
確かに名前は同じだ。
結婚しても、養子に行っても、名の方は変わらない。
だから同じ「私」?
「私」は名前?
では、ないはずだよね。

「私」っているの?
どこにいるの?
もしかしたら、どこにもいないかも?
それって虚無主義じゃない?
すべてが虚しくない?
そうかな?
事実ではないの?
事実を基に生きた方がいいのではないの?
それとも、「私」という幻想と一緒に生きたい?
「私」が消えたら困る?
「私」が無くなったら困るよね。
自分の拠り所が消えちゃうもの。
でも、「私」が消えたら、悟りかもよ?
自他の差が取れたら、差取りなんだって・・・

「私」って何?
何だろう?
「私」って、自分が思っているイメージ?
実体のないもの?
刻々に変わるもの?
「私」は本当は存在しないの?
「私」って何?

「私」って、イメージだよね。
あるエネルギー場に存在するイメージ。
記憶によって繋(つな)ぎ止められている思い込み。
まるで映画のように、フイルムが回っているから繋がっているように見える
けれども、一枚一枚のフイルムを見たら、バラバラ。
しかも、一枚ごとに異なる。
「私」が継続しているように見えるのは、波動が遅くて、フイルムを一枚一枚
見れないから。
だから、繋がっているように見えるだけ。
目の錯覚?
いや、意識の錯覚。
実際は一瞬一瞬異なる。
一瞬一瞬の「私」が無限に存在するだけ。
どこにも継続性はない。
継続していると、記憶によって思い込んでいるだけ。
意識の波動が早くなると、今瞬間の自分がいるだけ。

エネルギー場がある。
そこに記憶がストックされている。
それを基に「私」というイメージをつくって、人生ドラマを織りなしている。
しかし、その記憶がストックされているエネルギー場も刻々に変化している。
なぜなら、生きているから。
生きているということは、固定していない、変化しているということ。
すべては変化している。
すべては無常。
だから、固定的なエネルギー場も存在しない。
もちろん、「私」も存在しない。
ただ、波動が遅い時に「私」という継続性の幻想が存在するだけ。
人も魂も星も、単なるエネルギー場。
変化し続けているエネルギー場。
器なのさ。
肉体も精神も魂も星も。
無限のエネルギーの器。
ひとつのいのちの無限の器。
ひとつのいのちが自己表現する場。

やがて「私」の真実が誰の目にも明らかになる時が来るだろう。
そうなれば、「私」と「私」、自我と自我、エゴとエゴがぶつかり合うことも
なくなるだろう。
まったく異なる世界になるだろう。
今この瞬間に、すべての真理がある。
波動の遅い世界にのみ幻想が存在する。
どこで生きるか?
どの波動領域で生きるか?



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別窓 | 風景 | コメント:2
フォトンベルト
2011-07-08 Fri 17:30
                                           『太陽の虹』
太陽の虹ーsun-050331_11
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日記『無色透明』  2005年 ”97日目 - フォトンベルト” より転載。

『フォトンベルト』

これまでの1万1000年の闇の時代、人類はいろんな体験をしてきた。
光が当たっていてはできない体験をしてきたのだ。
人を殺すとか、光が当たっているところでは、とてもできないだろう。
闇の中だから、殺してやりたいとか、破滅してしまえとか思うこともできたのだ。
自分の思いが見えないと思っていたから。
それらがすべて白日の下にさらされたら?
あなたは自分のありのままの感情を全部オープンにできるだろうか?
できる人は少ないかもしれない。
確かに、これまではオープンにしなくてもよかった。
隠すことができたから、いろんなことをやってきた。
口にできないことも、顔を背けたくなることも、何でもできたのだ。
しかし、もう闇は消えようとしている。
闇のないところでネガティブなものは存在することはできない。

もちろん、闇の中でも美しい花は咲いた。
信仰という愛の花が、闇の中で乾いた心を潤(うるお)してくれた。
真理を求める情熱が、闇に光をもたらした。
闇の中で光は一段と輝き、闇の中で愛は尊さを際立たせた。
闇には闇の役割があり、闇の中で育った芽はやがて光の中で大きく育つ。

今は夜明け前。
でも、夜は白み始めている。
かすかに太陽の光が感じられるところまで来た。
これから光は増す一方。
やがて太陽が顔を出すだろう。
みんなが新しい時代を感じるだろう。
これから続く二千年王国。
光の時代。
人が本来の光として生きる時代。

もう隠し事はできない時代になりつつある。
これまで社会的に隠蔽されてきたものが、どんどん明るみに出ている。
大きな組織の腐敗がマスコミによって周知の事実となりつつある。
これから更に闇が明らかになっていく。
もう何も隠すものがなくなるまで。

個人的にも隠し事がたくさんある人は大変だ。
どんどんボロが見えてくる。
本人だけが隠しているつもり?、になってくる。
それだけではない。
これまで潜在意識の闇に埋もれていたものにも光が当たる。
過去の思い出したくないことも浮かび上がってくるかもしれない。
潜在意識の闇の中で忘れられていたことが浮かび上がってくる。
忘れられていたけれども意識下で影響を与えていたものが浮上してくる。
長い永い間、過去世から続いていたトラウマに光が当たるのだ。
もういつまでもそれらを持ってはいられない。
手離す時が来たのだ。
すべての重荷を下に降ろし、身軽になる時が来た。
いっぱいいっぱい背負ってきた。
物に執着し、他人を裁き、自分の信念に固執してきた。
神の名の下に幾千万の人を殺したことか。
人類の長い永いカルマ。
潜在していたが故に、カルマとなった。
光が当たればカルマは消える。
カルマは闇の中だけで存在できるのだ。

潜在意識の中にある重たいもの、暗いもの・・・
悲しみも怒りも憎しみも、みんな手離す時が来た。
手離して身軽になって、軽やかに生きていくのだ。
1万1千年の長き闇が今消えようとしている。

肉体に溜まった化学物質を浄化しよう。
わだかまったまま溜まってしまった感情を解放しよう。
自分の中にある思い込みや信念を手離そう。
肉体を浄化し、感情を浄化し、精神を浄化する。
すべてを一新して新しい時代を迎えよう。
新しい時代は、もう手の届くところにある。

過去をベースに生きる時代は終わった。
過去の記憶からイメージした「私」の時代は終わったのだ。
自己中心の自我の時代は終わりを迎えた。
自分さえよければいいという思いは、もう時代錯誤になってしまったのだ。
人類はみんなと共に生きる時代に突入している。
人類は地球と共に生きる時代に入っているのだ。
一人「私」の中で孤立して生きる時代は終わりを告げたのだ。

瞬間瞬間、今、ここを生きる時代になった。
過去を悔いない。
未来を心配しない。
今ここ、それだけがリアリティ。
今ここに、過去も未来もすべてがある。
永遠の今が、永遠に続く。
今も昔もない。
ただ、今。
「ただいま」と言って、本来のところへ還ってきたのだ。

身体も感情も精神も光に還る時がきた。
闇の時代に生きた身体を癒し、感情を癒し、精神を癒そう。
それらのものをやさしく包んであげよう。
新しい時代の光で。
あなたの中で出番を待っている新しい光によって。
すべてを包み込む。
正邪、善悪、美醜、優劣を問わない。
すべてをただ無条件で抱きしめる。
闇の時代をあなたと共に生きてきたすべてを。
良いも悪いもない。
好きも嫌いもない。
ただ黙ってすべてを抱きしめよう。
それらすべてがあったことによって、今のあなたがあるのだから。
すべてが必要だったから。
すべてが今のあなたの血となり肉となっている。
それらすべてを抱きしめて、光に還えそう。
本来の光の状態にリセットして、新しい光の時代を迎えよう。

もう自分を誤魔化せない。
もう自分を偽れない。
ありのままの自分で生きるしかない。
本来の自分で生きるしかない。
周りのことを気にしないで、自分を生きよう。
本当に心から願う生き方をしよう。
自分の真実を生きよう。

浄化、解放、気づき、目覚め・・・
それらがこれからの流れだ。
それは自然の流れであり、時代の流れであり、必然の流れだ。
人類が待ちに待った光の時代の夜明けだ。
地球だけではなく太陽系全体が、いや銀河系全体が迎える新しい時代だ。
あなたは、すばらしい時代に生まれ合わせている。

今、光の川を渡ろうとしている。
2000年かけて渡ろうとしている。
もう杖はいらない。
もう道標(みちしるべ)もいらない。
なぜなら、もう明るいから。
闇の時代には必要だった導きも、光の時代には必要ない。
一人一人が光だ。
一人一人が輝く時代だ。
自分の道は自分で照らせる。
あなたが光であり、あなたが道である。
あなたが創る、あなたの光の道なのだ。



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