いのちの写真と光の言葉
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
全体主義
2011-06-27 Mon 06:59
                                『永田いなか浜よりの硫黄島』
永田いなか浜よりの硫黄島ー4-nagata-05_11
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
  ぜひ大きな画像でご覧ください。↑click
 


多くの方にこのメッセージが届きますよう、共鳴していただけた方は
ブログランキングへのクリック応援ををお願いできますと、大変うれしく
思います。      ぴあの



日記『無色透明』  2006年 ”402日目 - 全体主義” より転載。

『全体主義』

人は、家族のため、会社のため、国のため、民族のため・・・
と言いながら、自己の利益を追求する。
自己の延長が家族であり、会社であり、国であり、民族に他ならない。
もし、家族の中に自分に敵対する者がいれば、即、勘当となる。
会社の中で違う派閥に属する人とは、絶交だ。
同じ国民でも、戦前は共産党員は非国民だった。
同じ民族でも少数派は常に弾圧される。

それらは、みな思考の為せる技。
自己保存の本能を思考で拡大しただけ。
家族も会社も国も民族も、みんな自分の延長。
自己同一化の世界。
それらのものは、全て自己の拡大バージョン。
それは贔屓(ひいき)のチームであったり、住んでいる地域であったり、
所属するグループであったり・・・
それらと自分を自己同一視し、一喜一憂しているだけ。

ヨーロッパのサッカー場では、死傷者まで出る騒ぎとなる。
チームと自己同一化したサポーターが、相手チームのサポーターを
敵と見なす。
自分が応援するものは、自己が投影されたもの。
自己の拡大バージョン以外の何ものでもない。
人は自己同一化によって、自己実現を図ろうとする。

それはスターに憧れることのなかにも見られる。
映画やテレビの主人公と自己同一化し、ハラハラドキドキを繰り返す。
それらは全て自己の延長。
全てに自己を投影し、自己を拡大して物事を見ている。
その結果としての全体優先。
それは正確に言えば、全体優先ではなく、自己の延長としての全体優先。
スターリンも毛沢東も自分に敵対する者は容赦なく粛正した。
全体のために反するという理由だが、実は自分の安全に反しただけ。

全体主義とは、所詮、そのようなものだ。
それは思考の産物。
思考がやることは、常に自己の安全が最優先。
自分第一主義の延長が全体主義に他ならない。
そういう意味では、政治家の全体優先発言は注意した方がいい。
全体の裏に自己の利益が隠れている。
宗教も同じ。
教祖の自己保存の本能の膨張が勢力拡大のベースとなる。

基本的には今の社会は、自我ベースでできている。
社会奉仕にしても、自我の満足や世間体のためにやられている場合が多い。
純粋に愛が動機というのは少ない。
最初はそうでも、途中から思考が介入する。
自分のことを少しでも考えた途端、愛は歪んでしまう。

個人主義も全体主義も思考の生み出したもの。
個人主義は、露骨な自分最優先。
全体主義は、隠れた自分最優先。
両者に根本的な違いはない。
思考ベースで生きる限り、人類に救いはない。
思考ベースをいかに超えるか、ただそれだけが問われている。

自己の延長としての全体に関心はない。
それはまだ思考の次元。
それでは何の解決にもならない。
思考を超えた全体。
自己保存にベースを置かない全体。
そういう全体はないのだろうか。

無理に全体のために生きようとしている間は、思考の次元。
頭で納得して全体のために生きなければと思っている限りは、思い込みの世界。
そうではなくて、自然に全体のために生きる。
全体のためにとか意識しないで、結果的に全体のためになっている。
自然の行為が、全体的な行為。
そういう生き方はないのだろうか。

全体のために生きようとしている間は、全体のためにはならないだろう。
自分が全体になれば、そのような意識は消える。
生きること自体が全体のためになる。

全体のために生きるのではなくて、生きることが全体のため。
そこが思考の次元と決定的に違うところだろうか。
思考は目的を持ち、それに自分を合わせようとする。
しかし、そのような生き方は思考に支配された生き方。
思考が決めた枠に自分を収めるのは苦しい。
それは、まさに自縄自縛。

何の無理もなく自然に起きる行為。
それが結果的に全体のためになる。
そのような生き方は可能だろうか。
その中にのみ自由は存在する。



  人気ブログランキングへ  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧ください。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings     
     
   T&F 光のネットワーク
   >>T&F時代


  
             
スポンサーサイト
別窓 | 風景 | コメント:0
リアリティ求めるならば・・・
2011-06-17 Fri 23:07
                                              『誠蓮』
誠蓮ーseiren-1_10_11
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
  ぜひ大きな画像でご覧ください。↑click
 


日記『無色透明』  2008年 ”1372日目 - リアリティ求めるならば・・・” より

多くの方にこのメッセージが届きますよう、共鳴していただけた方は
ブログランキングへのクリック応援ををお願いできますと、大変うれしく
思います。      ぴあの



『リアリティ求めるならば・・・』

コメント欄に次のような書き込みがありました。

「いつも読ませていただいています。 

   ( 中略 )

真のリアリティーとは何でしょうか。。? 
瞑想で出会うハイヤーセルフや神々の存在も、事実だといえば、
その時のわたしの事実。。? 
また、感覚や感情や思考が動いているのも、その時のわたしの事実だし。。?
目に見えるもの、目に見えないもの、様々な次元がありますが、その時々で、
入ってくるそれらを自覚していることが、事実と共にいるということですか?
すみません。結局、質問になってしまいました。
今一歩、ここを超えたいので、よろしくお願いします! 」


事実と共にいるということは、幻想のなかに溺れないということですね。
思いの世界に埋没しないことです。
思い込みワールドのなかで生きないということですね。
しっかり自分自身にグランディングして生きるということです。

事実に対して、あれこれ思いが浮かびます。
そのこと自体を否定する必要はありません。
思いが浮かぶのは、事実ですから。
問題は、思いのなかに呑み込まれてしまうことです。

あれやこれやと思い煩い、いつのまにか自分を見失ってしまうのですね。
自分が思いのなかに吸収されてしまいます。
主体が曖昧になってしまうのですね。
しっかり自分にグランディングできていない状態です。

いくら思いの世界をさ迷っても、リアリティに出会うことはできません。
リアリティは、思いの世界のなかにはありません。
リアリティは、思いの世界を超えないとわかりません。
それには、静かに見つめる必要があります。

静かに静かに、見守り見つめるなかにリアリティはあります。
そういうなかで、気づきや洞察が起きます。
ハイアーセルフや神と名乗るものが出てくるかもしれません。
しかし、そういうものにも心を奪われないことです。

ただ静かに見守ることですね。
心を奪われると、奪われたところで意識がストップしてしまいます。
そこにフォーカスすることになるのですね。
それも悪くはないのですが、意識は無限の可能性を秘めています。

どのような状態になっても、主体を見失わないことです。
天使や菩薩が出てきても、自分の主体はしっかりとキープしておくことですよ。
今は、個として生きているのですから。
このパーソナリティで生きているのですから。

自分の主体を譲り渡さないことですね。
しっかり自分自身にグランディングすることですよ。
やがて天使や菩薩も超えていくことができるのですから。
途中下車しないことです。

途中下車して楽しんでもいいのですが、そこが終着駅ではないということです。
何ものにも引っ掛からないことですね。
ネガティブなものにもポジティブなものにも。
何にも囚われないことですよ。

ただスーッと透き通るような意識で生きることですね。
それが無限に通じる道です。
途中下車しない。
何ものにも引っ掛からない。

事実と共に生きる。
事実に寄り添って生きる。
事実を包み込むように生きる。
事実を見守りながら生きる。

何ものにも引っ掛からない意識は、限りなく広がっていきます。
どこまでも澄みきっていくのですね。
それは、どこまでも繊細になり、宇宙に溶けていきます。
宇宙に溶けて、愛になるのですよ。

神を求めない。
救いを求めない。
救世主を求めない。
自分自身が、そのものなのですから。

自分自身がそれ自体であれば、どうして外に求める必要があるでしょう。
生かされている?
生きている?
いえいえ・・・

生かされているも生きているもないのですよ。
ひとつのいのちがあるだけです。
自分自身が、いのちそのものです。
ただいのちが生きて在るだけです。

真のリアリティを求めるのであれば、途中下車しないことですね。
ただただ透き通る意識でいることですよ。
何ものにも囚われないで。
それのみが、真のリアリティに通じる道です。


『透き通る 意識の奥に 愛がある ただ愛だけの 世界広がる』



  人気ブログランキングへ  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧ください。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings     
     
   T&F 光のネットワーク
   >>T&F時代


  
               
別窓 | | コメント:0
肉食
2011-06-13 Mon 13:46
                                           『布引の滝』
布引の滝ー17-june_08_11
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
  ぜひ大きな画像でご覧ください。↑click
 


多くの方にこのメッセージが届きますよう、共鳴していただけた方は
ブログランキングへのクリック応援ををお願いできますと、大変うれしく
思います。      ぴあの



日記『無色透明』  2007年 ”1049日目 - 肉食” より転載。

『肉食』

最近、肉を食べられなくなったという話をよく聞くようになった。
明治時代になるまでは、日本では肉はほとんど食べなかった。
明治維新で西洋化した時に肉文化も入ってきた。
それまで、四つ足の肉は日本では忌み嫌われていた。

肉を食べなかったので、日本人の性格は穏やかになった。
肉食の習慣がなかったので、こんなに繊細な文化が生まれた。
肉を食べると、どうしても波動が荒くなる。
一見、元気に見えるのは、荒っぽくなっただけ。

肉をたくさん食べていると、精妙さとは縁が遠くなる。
こまやかな波動はキャッチできなくなる。
肉を食べれば食べるほど、短気になる。
体が酸性化するので、静かに忍耐力のいることはできなくなる。

動物たちを見ても、肉食と草食では明らかに性格が異なる。
同じウミガメでも、肉食のアカウミガメと草食のアオウミガメでは
荒々しさが違う。
シカとライオンの違いは、明白。
人間も食べものによって、かなり影響される。

完全にアクエリアスの時代になれば、肉食をする人はいなくなる。
動物たちとも平和に付き合うようになる。
可愛い動物を殺して食べるということはなくなる。
殺して食べるために育てるという文化は消滅する。

いのちを殺すということは、痛みを伴う。
自分も同じいのち。
いのちがいのちを殺すのは、矛盾している。
いのちを殺さないでも生きていけるようになる。

食べることも減ってくる。
だんだん食べなくても生きていけるようになる。
エネルギーによって生きていけるようになる。
肉や植物を構成しているものも、元はエネルギー。

エネルギーを直接摂り入れれば、別に食べ物を摂る必要はない。
だんだんとそれができるようになっていく。
肉を食べられなくなっている人が増えているのも、その一環。
時代は、平和に向かっている。

動物性のものを入れないで育つと、性格が穏やかになるのは間違いない。
ゆったりとした包容力と忍耐力が育つ。
それに愛情がこもった食事であれば、それ以上のものがある。
イージーな食事は、イージーな結果しかもたらさない。

何をするにも、心を込め、魂を込め、愛情を込めてやることだろうか。
そうすれば、それなりの結果がついてくる。
いい加減にやれば、いい加減な結果。
心を込めてやれば、心を込めただけの結果。

肉をたくさん食べていると、心を込めるということができにくくなる。
波動が荒っぽくなるので、自我が入ってしまう。
自分の思うようにしたいという支配欲。
支配欲で何事もやるようになる。

こまやかな意識は、こまやかな食事と関係する。
こまやかな食事の極限は、無食。
一気にそこまではいかないが、徐々に食事は減っていくだろう。
意識がこまやかになれば、そんなに食べられるものではない。

いろんな意味で、時代は着実に変化している。
人の意識も、生活様式も変わっている。
これから更にスピリチュアルな意識が浸透していく。
人はスピリチュアルに生きるようになる。

肉をたくさん食べていると、だんだん生きにくくなる。
時代の波動と合わなくなるので、時代から取り残される。
やがて肉食文化は過去のものになる。
これからは菜食が主流になっていく。

人は、平和に穏やかに暮らすようになる。
明るく楽しく、動物を殺さずに暮らすようになる。
動物たちと気持を通わせながら暮らすようになる。
いのちといのちを共感しながら幸せに暮らすようになる。


『新しい 時代の波動 着実に 変化もたらす 心と体に』



  人気ブログランキングへ  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧ください。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings     
     
   T&F 光のネットワーク
   >>T&F時代


  
            
別窓 | 風景 | コメント:0
幽玄
2011-06-10 Fri 22:09
                                           『苔の神秘』
苔の神秘ーmoss-48_10_11
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
  ぜひ大きな画像でご覧ください。↑click
 


多くの方にこのメッセージが届きますよう、共鳴していただけた方は
ブログランキングへのクリック応援ををお願いできますと、大変うれしく
思います。      ぴあの



日記『無色透明』  2005年 ”44日目 - 幽玄” より転載。

『幽玄』

意識は更に澄んできている。
どんどん透き通ってきている。
まるで青空のようだ。
日本晴れの快晴の青空。
「私」は雲のようなものだろうか。
いろんな形がある。
いろんな形になる。
刻々と形を変えている。
でも、掴もうとすると、スルリと手から抜け落ちてしまう。
掴もうにも、掴めない。
それが「私」の実体だ。
あるように見えるけど、実体は霞(かすみ)のようなものだ。
イメージという霞。

雲という言葉はあるけど、固定した雲はない。
「私」という言葉もあるけど、固定した「私」はない。
双方とも刻々に変化している。
もし雲が固定していたら、それは石だ。
空に浮いていることはできない。
もし「私」が固定していたら、それは死体だ。
生きて活動することはできない。
それぞれ変化している。
「私」はまるで雲のように変化している。
「私」を掴もうなんて、まるで雲を掴むような話だ。
どこに「私」がいるの?
どうやって「私」を掴めばいいの?
掴んだと思った瞬間、それはスルリと手の中を抜けていく。
手に残っているのは「私」の痕跡だけ。
記憶という抜け殻の「私」。
いまの「私」はどこにもいない。

「私」という幻の雲が、今日もたくさん浮かんでいる。
それらの雲を包み込み、透明な青空は限りなく広がっている。
雲があってもなくても、青空は常に存在する。
宇宙に繋がる青空は、あらゆるものを包容しながら静かに存在している。
青空は空。
青空の中に存在する雲は色。
空っぽの心と、その空っぽの心の中に湧き起こる様々な思いや感情。
空の心と、色の心。

無限の青空の中で、限りない現象が繰り返される。
無限の心の中で、数え切れないドラマが繰り返される。
永遠という時間の中で、数限りない時間が存在する。
現象が現れて消えゆく時間。
人が生まれて死にゆく時間。
宇宙の歴史が始まって終わりゆく時間。
人類が発生して滅びゆく時間。
悠久の時間と限りある時間。
空と色。
変わらぬ空と、変わりゆく色。
あるようでないような空と、あるようで掴むことのできない色。
結局、同じものなのだ。
空を掴むことはできない。
色を掴むこともできない。
何も掴むことはできない。
しばらくの間だけ、掴んだつもりになることができるだけ。
絶えざる創造。
想像による創造。
無限の空に浮かぶ有限の色。
それが創造。
無限に続く創造。

瞬間瞬間の煌(きら)めき。
星空のような煌めき。
満天の星々は、あなただろうか。
瞬々のいのち。
刻々に変わる輝き。
それが、あなただろうか。
無数の星々と同じように、無数の命が輝くところ。
あなたは、いま輝いている。
輝く命。
命(みこと)を持った命(いのち)。
それぞれの命(みこと)を持った尊(みこと)。
それぞれの役割を担った存在。
それが、あなただ。
一人一人だ。
空より生まれし色。
いのちより生まれし命。
すべては、ひとつ。
いまこの瞬間も別々でひとつ。
色即是空。
空即是色。
無限の無限の、有限の物語。
有限の有限の、無限の物語。
わかります?
わからない人は、こういうのを「幽玄」と言うと覚えておきましょう。
訳のわからないことの代名詞だ。

限りなく現れてくる有限は、無限と呼ぶ。
限りなく生み出される創造は、有限の創造であり、無限の創造だ。
有限の先に無限があり、無限の先に有限がある。
本当は、有限も無限もない。
あるのは、ひとつ。
ひとつのものの、有限の姿と無限の姿。
それが幽玄だ。




  人気ブログランキングへ  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧ください。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings     
     
   T&F 光のネットワーク
   >>T&F時代


  
             
別窓 | | コメント:0
霊止(ひと)
2011-06-05 Sun 01:57
                                           『滝壺の虹』
滝壺の虹ー23-jan_10_11
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
  ぜひ大きな画像でご覧ください。↑click
 


多くの方にこのメッセージが届きますよう、共鳴していただけた方は
ブログランキングへのクリック応援ををお願いできますと、大変うれしく
思います。      ぴあの



日記『無色透明』  2006年 ”570日目 - 霊止(ひと)” より転載。

『霊止(ひと)』

人は、多くの意識を自分の中に抱(かか)えながら生きている。
誰の中にも子供時代の意識がある。
いわゆるインナーチャイルドと呼ばれるもの。
その意識は、けっして理知的ではない。

まだ思考力が発達する前の意識なので、多分にイマジネーション的
な意識。
ボンヤリと思いに耽るような意識。
客観的に自分を見つめることはできない。
極めて主観的な、思い込みの世界に住んでいる意識。

そういう意識はキャパシティが小さいので、周りから何か言われると、
そのように思い込んでしまう。
客観的に自分や周りを見れないので、すぐに思い込む。
それが心の傷となって、成長した後も意識に影響を及ぼしたりする。

人は多層的な意識で成り立っているので、成長した後も、そのような
意識が潜在意識の中に残っている。
それを理解しないと、今の自分の意識状態がわからなくなる。

人は、まるで多層的な多面立方体の集合体のようなもの。
何層にも何層にも、多面立方体が重なっている。
その多面立方体のそれぞれの形が異なり、色が異なり、波動が異なる。
外側のものは内側のものに浸透し、一番外側のものは、すべてに浸透
している。

その一番外側のものが、いのちや愛と呼ばれるもの。
霊と言うこともできる。
そして、一番内側のものが、肉体。
この肉体に、何層もの多面立方体がすべて重なっている。

一番外側のものと、一番内側のものは対極にある。
外側のものは希薄。
内側のものは濃密。
一番外側のものは形がなく、無限に広がっている。
一番内側の肉体は、しっかりとした形があり、ある程度固定している。

その有様は、いろんな呼び名で表現されている。
肉体、幽体、霊体、神体・・・
フィジカルボディ、アストラルボディ、メンタルボディ、コーザルボディ・・・
感覚、感情、思考、魂、神の子・・・

そのいずれも、便宜的な区分に過ぎない。
わかりやすい説明。
肉体にも感情にも知性にも、それぞれのリズムがある。
それがバイオリズムと呼ばれるもの。

肉体、幽体、霊体、神体・・・それぞれに固有のリズムがある。
それぞれが、それぞれの波動で振動している。
そのトータルが人間。
人=霊止(ひと)。

肉体も器であり、幽体も器。
霊体も器であり、神体も器。
すべては器。
霊の器。

根元的な本質は、霊、いのち、愛と呼ばれるもの。
それらは一番外側の存在。
形のない無限の存在。
すべてに浸透しているもの。
それが究極と言える。

しかし、それらのものには個性がない。
無色透明。
空の世界。
それでは、みな同じ。

肉体の中に、その外側のものがすべて結集される時、人は個性豊かに
存在する。
一人一人が違う。
世界に同じ人は一人としていない。
それが色の世界。

それでは、自分とは何だろう?
肉体?
感情?
思考?
魂?
内なるキリスト?
どれが本当の自分なのだろうか。

精神という言葉は、すばらしい。
神の精髄。
神のエッセンスこそが自分?
しかし、その元を辿れば、無色透明になって自分は消える。
では、自分とは?

自分とは、肉体から一番外側のものまでのトータルだろうか。
この肉体に結集されている総体。
その総合体が自分というものだろうか。
それ以外に自分があるだろうか。

肉体だけが自分ではない。
感情だけが自分でもない。
もちろん、思考だけが自分でもない。
では、魂?

しかし、魂意識の他にも、感覚や感情や思考もある。
気づきや閃きや洞察もある。
インスピレーションや創造力もある。
運動能力や音感もある。
美的センスや叡智もある。
自分の中には様々なものがある。
そのどれか一つを取り上げて自分と言うことはできない。
それらのトータルを自分と呼ぶしかない。

ある時は、肉体の快楽の虜。
ある時は、感情の虜。
ある時は、思い込みの虜。
ある時は、美意識の虜。
ある時は、神意識の虜。
そして、ある時は、悪魔意識の虜。
それが紛れもない自分自身。

時々によって意識は一定しない。
どこに意識がフォーカスされるかによって、意識はどのようにでも変身する。
改めて、自分とは?

その時々の自分が、自分?
不安定な自分?
自分とは?

何かに引っかかり、何かに囚われれば、それが自分となる。
その時、その時の自分がありのままの自分。
激情に駆られ自分を見失っているのも、自分。
衝動のままに突き進んでいるのも、自分。
快楽に溺れ刹那的に生きているのも、自分。
いろいろな自分・・・

インナーチャイルドだけに意識が行けば、インナーチャイルドに振り回される。
恐怖だけに意識が行けば、恐怖に振り回される。
ある思い込みだけに意識が行けば、その思い込みに振り回される。
どこに意識が向くかによって、人生はまるで違ってくる。

意識自体は、無色透明。
それ故に、何色にでもなれる。
どんな形にでも、どんな音色を奏でることもできる。
意識には特定の形や色はない。
それは水が方円の器に随うのに似ている。

意識をどこにフォーカスするかによって、生き方は違ってくる。
特にどこにフォーカスを合わせなければならないということはない。
今の時代の多くの人は、思考に意識をフォーカスしていることが多い。
しかし、その思考はけっしてクリアーな思考とは言えない。
どちらかというと、思い込み的なイマジネーション的な思考が多い。

感情にフォーカスしている人も、感覚にフォーカスしている人もいる。
たまには魂にフォーカスしている人もいる。
しかし、それらのフォーカスは一定している訳ではない。
食事中は、多少なりとも感覚にフォーカスが移る。
メロドラマを見れば、感情に移ることもあるだろう。
受験勉強中は、知的思考にフォーカスが移る。

いかように生きるのも、自由。
しかし・・・
それらすべてを抱き参らせ、トータルに生きることはできるだろうか。
それらすべてが自分。
どれか一つに偏らない。

どれか一つに囚われると、自分を見失う。
トータルな自分を忘れてしまう。
目が点になり、それしか見えなくなる。
誤解や行き違いが生じ、何かがアンバランスになる。

ゆったりと見守る全体的な視点が、全体の調和をもたらす。
しっかりと自分の全存在にグランディングする。
表面だけの自分ではなく、自分の全存在で生きる。
一部で生きれば、自分を見失う。

自分とは、多面立方体のトータル。
何層にも渡る多次元存在。
肉体から神の次元に至る総体こそが、自分自身。
そのトータルが、個性。

個性とは、単なるこの世的なパーソナリティだけではない。
魂としての経験。
魂以上の経験。
それらのトータルこそが、自分の個性と言える。

肉体から霊の領域まで、それをトータルすることによって、真の個性が輝く。
個性というのは、この世限りのちっぽけなものではない。
それは今生の個性。
表面意識だけのパーソナリティ。
そうではなくて、トータルな全存在としての個性がある。

肉体も感情も思考も魂も、それぞれに個性がある。
しかし、更に大きく、その全体としての個性がある。
そこにフォーカスして生きることだろうか。
そこにフォーカスできれば、三次元の現象世界の些細なことに振り回される
ことはなくなる。
もっと深い意識で生きられる。

すべてを抱き参らせ、ゆったりと生きることだろうか。


『精神は 神の精髄 エッセンス 神の宿れる 人は生き宮』




  人気ブログランキングへ  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧ください。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings     
     
   T&F 光のネットワーク
   >>T&F時代


  
             
別窓 | | コメント:2
| いのちの島=屋久島 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。