いのちの写真と光の言葉
時代
2011-04-28 Thu 12:21
                                   『苔の森に射す強い光』
苔の森に射す強い光ー16-mar_09_11
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以前にも掲載しましたが、再掲載します。今この時に読むとまた深く
感じ入ります。尚、この記事は2005年のものです。 ぴあの

                         

『時代』

コメント欄に次のような質問があった。

「無知な中での質問で、スミマセン。
『まだ、わかってないの~?』って感じかもです。
何故、光に満ちてくる流れの中で、天変地異や、治安が悪くなったりと、
この世界の崩壊みたいなことが起きてくるのですか?
こういう状況になり、人は目覚めるから?
新しい生き方を求める過程の中で、古いものを脱ぎ去らなければならないから?
私達がしてきた結果?
前に、人が目の前で亡くなっていくような状況が普通に起きてくるかもしれない、
と書かれていたのですが、そのような状況は少しでも避けられないのですか?
確かに、今の地球の状況は私達が作り出してしまったもの。
そして、この波打つ地球で、生きているだけでもミラクル。
でも、今まで、沢山の人々が苦しみ、奪われてきたのに、もう人々は充分体験
したのに。
なのにそれ以上にこの世界が荒れるなんて。
新しい世界を求めて、新しい生き方を準備をしても、今、クリアであっても、
極限状態の中、人間がどうなるか、私はそういう人間の世界を少しだけどみてきました。
人間ってそうだと思います。
そのような状態ですごく落ち着いている人もいるけれど。
この世界に住んでいけないような状況になってから、脱社会じゃなくて、もっと、
穏やかに、地球も人間もベースをつくってから次元上昇できないのですか?
アセンションが宇宙の流れであれば、その流れに乗っていくのが自然ですが、
そこまで向かう過程は、私達によって、すごーく変わったりすることはあるのですか?
今の3次元も光の世界にしてから、次元上昇できたらいいのに。
(あれ変なこといってる??)」

その気持ちはよくわかります。
誰でも悲惨なことを目にしたくはないですよね。
平和のうちにアセンションできたら言うことはないですね。
みんながそうを望めば、そうなるのでしょうが・・・

でも、現実に目をやると、いたいけない子供たちが次々と殺されています。
凶悪犯罪は増加の一途です。
9・11以降、世界中が物騒になりました。
今も世界各地で戦争が続いています。
家庭内の争いも終わりを見ません。
肉親同士の殺し合いさえ起きています。
それが現実です。

この世界の現状から、どうやって平和裡にアセンションできるのでしょうか。
どうやったらそれが可能なのでしょうか。
こちらが質問したいのですが。
誰か答えられる人がいるでしょうか。

神に祈ればいい?
平和運動を広めればいい?
すべての宗教が神に祈っています。
すべての宗教が平和を口にしています。
それも昨日今日ではなく、何千年もの間。
それでも争いは終わりませんでした。
ユダヤとアラブの憎しみの歴史は、どうやったら終わらせることができるの
でしょうか。
人類の英知を持ってしても、未だ誰も終わらせることができないのです。

人は平和の中にいると、どうなるでしょうか。
アセンションを希求するでしょうか。
これまでの歴史は、そうではないことを物語っています。
ソドムとゴボラは同性愛の結果、死海に沈みました。
ローマ帝国の末期は、食欲と性欲に明け暮れていました。
古今東西、平和に溺れた民族は、やがて腐敗し堕落するのです。

明治維新の時、平和な改革を目指した公武合体の動きもありました。
でも、結局、実を結ぶことはありませんでした。
内戦を避けるために蟄居謹慎した徳川慶喜の気持ちは、鳥羽伏見の戦いに
よって露と消えました。
時代が劇的に変わる時、平和ボケした古い人の出る幕はありません。
新しい時代は新しい人たちが切り開くのです。
平和の裡に革命が成就したことがあったでしょうか。
平和の中で人は新しい世界を求めるでしょうか。

日米開戦の際、当時の連合艦隊司令長官・山本五十六は、最後の最後まで
戦争回避に努めました。
しかし、日米交渉は決裂。
真珠湾攻撃となったのです。
その奇襲は戦争を短期間で終わらせるための山本五十六の苦肉の策でした。
ところが、日本では大戦果に戦意が盛り上がり、アメリカでは開戦通告のない
騙し討ちということで、それまであった和平論が姿を消し、一気に反日ムードと
なったのです。
山本五十六の目論見とは、まったく逆の結果になってしまいました。
それが時代の流れです。
時代の流れは一個人の平和の希望を打ち砕いてしまうのです。

キリストが新しい教えを説き始めた頃、ユダヤ教は形式的なものになり、
真に人を救うものではなくなっていました。
新しいことを始める人は古いものによって弾圧されます。
キリストは磔になり、その弟子たちは迫害されました。
平和を希求するなら、ユダヤ教のままの方がよかったのでしょうか。
腐敗堕落した司教たちの元で平和に暮らしていた方がよかったのでしょうか。
イエス・キリストは必要なかったのでしょうか。
文字どうり血と汗の結晶によってキリスト教は広まっていきました。
でも、それが権威になった時、また同じことが起きてしまうのです。
今の麻のように乱れた宗教界を統一することができるでしょうか。
同じように神を標榜しながら、お互いに争い合う宗教界を・・・

誰かメシアが現れて世界を救ってくれるのでしょうか。
私こそがメシアであるという人は、今監獄にいる髭ぼうぼうの人を始め、
たーくさんいます。
でも、世界は変わりません。
誰がいったい世界の現状を変えてくれるのでしょうか。
神様?
神様はどこにいるのでしょうか。
神の名は何と言うのでしょうか。
エホバですか、それともアラーですか。

肉体を浄化しようとする時、短期間に徹底的にやろうとすれば断食すること
になります。
断食すると、どうなるでしょう?
これまで体内に溜まっていた毒素が一斉に吹き出します。
それは好転反応と呼ばれ、一定期間続きます。
その間は頭痛や吐き気や吹き出物など、とても苦しいものです。
でも、それが終わると、ウソのようにスッキリします。
溜まっていた毒素が出てしまったのです。

精神を浄化しようとすると、静かに瞑想することになります。
自分自身を見つめていると、これまで溜め込んだ恨みや憎しみや怒りや恐れ
などが大津波のように襲ってきます。
あまりの恐ろしさに直視できないくらいです。
でも、目を逸らせば精神が浄化されることはありません。
苦しくても見つめ続けるしかないのです。
それら溜まりに溜まっていたものが解放される時、精神は本来の空っぽに
なります。
青空のように意識が透き通るのです。

肉体も精神も短期間に浄化するには、それなりの苦痛が伴います。
溜め込んでいたものが多ければ多いほど、それは激しくなります。
自分が執着していたものを手放すのは、そう簡単ではありません。
今の自分を正直に見つめてみれば明白です。
個人にとっても心身を浄化して新しく生まれ変わるのは大変なことです。
まして人類となると・・・

そんな苦しみを見ないで、楽に解放されたい?
どうやったらそんなことができるのでしょうか。
もしそういう方法があったら教えてください。
もしあるのなら、みんながそうするでしょう。
でも、現状ではそんな夢のような方法は聞いたことがありません。
地道に一歩一歩やるしかないのです。
自分が播いた種は自分で刈り取るしかありません。
それは誰のせいでもないのだから。
自分がやったことなのだから。

もし、それが何かのせいであったとすれば、自分の人生とは何だった
のでしょう?
何かにいいように操られた人生だったのでしょうか。
その場合、自分の主体性はどこにあるのでしょうか。
もし自分の人生が何かの結果であれば、自分の人生が変わるのも
何かに依存しなければなりません。
じっと自分の人生が変わるのを待つしかないのです。
そんな非主体的な生き方を、あなたは望みますか。
そうであれば、千年待つしかないでしょう。
待っても救われるという保証はありませんが・・・

今の世界の現状は、人類がこれまでに行ってきたことの結果です。
これまで潜在していたものが吹き出しているだけです。
吹き出さないことには、浄化されないのです。
人類のすべての潜在意識を解放する必要があるのです。
この数千年、いや数万年の間に溜めに溜めてきた怒りや憎しみや恨みや恐れ・・・
それらのものを解放しない限り、人類が救われる道はないのです。

誰も救ってはくれません。
メシアは現れないのです。
一人一人が自分の救い主になるしかないのです。
その時にだけ、これまでの何生にも渡る人生が意味のあるものになります。
誰かに救ってもらったのでは何の意味もありません。
それでは何生にも渡る人生で何も学習しなかったということです。
ただ運命に翻弄される人生を生きてきたというだけです。
これまでの人生を総括し、学び、気づき、真の生き方を始める時です。
それがプログラムというものです。
あなたが望んだ人生プラン。
人類が望んだ地球でのプランなのです。

別に悲惨な現実をどうしても目にしなければならないということではありません。
でも、今の人類が目覚めるためには、他に道は見当たらないということです。
先のことはわかりませんが、その可能性が高いということです。
もっと平和的に移行できれば言うことはありません。
みんなが自己の本質に気づき、真の平和を希求すれば世界は変わるでしょう。
でも、はたして大多数の人がそのようになるでしょうか。
あなたはどう思いますか。

ハイアーセルフや守護霊は、時として愛する人を病気にさせたり交通事故に
遭わせたりします。
なぜでしょう?
愛するわが子が憎い人はいません。
でも、可愛い子には旅をさせろと言います。
病気になり交通事故に遭うことによって、気づいてほしいのです。
忘れている本来の自分自身に。
今生生まれてきた目的に。
本来の生き方に。
そのための方便なのです。

苦しみは喜びに至るための試練です。
その試練を超えて、人は真の喜びを体験するのです。
苦しみは苦しみのためにあるのではなく、更に深い喜びのためにあります。
だからこそ、苦しみを苦しみのままに終わらせてはいけないのです。
苦しみは苦しみを超えるためにのみ存在します。
苦しみを超えて真の喜びを体験するために、苦しみはこの世にあるのです。
それこそが深い深い愛なのです。
ただ黙って見守っている無上の愛なのです。

可愛い我が子が苦しむのを何もしないで見守る気持ちがわかりますか。
そこで手を出せば、子供は成長できないのです。
子供が自分で苦しみの原因を理解し、その苦しみの連鎖を断ち切る必要が
あるのです。
苦しみという現象だけに囚われないでください。
その奥にあるものを感じてください。
病気は病気のためにあるのでしょうか。
病気は人を苦しめるためにあるのでしょうか。
それとも、病気を通して健康のありがたさや、人の優しさをわかるために
あるのでしょうか。
病気という現象だけを見ないでください。
その奥にあるものを感じ取ってください。
病気の真の意味を理解してください。
人の真の生き方に気づいてください。

人は自らの真実に気づくために、自ら更に光り輝くために、この地球に
やって来ました。
苦しみを乗り超え、すばらしい世界を築くためにやって来たのです。
ただ苦しむためではありません。
苦しみを乗り超えることにこそ意味があるのです。
そして、今まさに人類はその時を迎えようとしています。
長い永い間待ちに待ったその時を。
何生も何生もかけて準備してきたその時を。
それが今なのです。

早く気づいてください。
自分自身の真実に。
外に求めないで、自分自身に求めてください。
あなたの中にすべてがあるのです。
この宇宙の始まりから終わりまで。
それがあなたという存在です。
あなたは宇宙であり、愛であり、光です。
あなたこそが真実です。
他に真実はないのです。
人は自分の中にすべてを持っているのです。
誰かに依存しないで、外に求めないで、自分自身にすべてを求めてください。
あなたの中に、すべてのすべてがあるのですから・・・



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自尊心
2011-04-25 Mon 03:31
    
                                      『モッチョム春景色』
モッチョム春景色ー4-05-mar_08_11
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日記『無色透明』 ”1965日目 - 自尊心” より

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『自尊心』

コメント欄に、自尊心について書き込みがあった。
自尊心とは、何だろうか。
自分を尊ぶ心とは?
・・・

それは、自分の拠り所だろうか。
自分が、依って立つ基盤だろうか。
自尊心こそが、自分を支えているものだろうか。
「自分は、○○○」

仕事が遅いと言われても、自分は丁寧にやっているというのが自尊心。
商品が高いと言われても、自分は質の高いものを売っているというのが自尊心。
成績が悪いと言われても、一生懸命努力しているというのが自尊心。
食事がまずいと言われても、インスタント食品ではないというのが自尊心。

自分は、できる。
自分は、大学を出ている。
自分は、大きな会社で働いている。
自分は、管理職をしている。

自分には、やさしい配偶者がいる。
自分には、頭の良い子供がいる。
自分には、持ち家がある。
自分には、お金や財産がある。

自分は、信頼されている。
自分は、尊敬されている。
自分は、認められている。
自分は、信用されている。

自分には、友達がいっぱいいる。
自分には、少ないけれども親友がいる。
自分には、才能がある。
自分には、才能はないけども人気がある。

自分は、失敗したけれども誠実にやった。
自分は、批難されているけれども間違ってはいない。
自分は、悪く言われても世の中のためにやっている。
自分は、間違ったけれども誤魔化したわけではない。

自分は、自分は、自分は・・・
数え上げたらキリがない。
それらすべての「自分」が、自分というものを支えている。
それこそが、まさに自分自身。

その自分というのは、自己イメージ。
これが自分という思い込み。
自分という客観的なものがあるわけではない。
それは、自分が自分に持つ自己イメージに過ぎない。

その自己イメージこそが、自分の正体。
その自己イメージこそが、自分のバックボーン。
「貧乏でも、後ろ指を指されるようなことはしていない」というのが、自分を支えているもの。
「たとえ出世できなくても、人を裏切ったりはしない」というのが、自分の拠り所。

人は、たくさんの拠り所を持っている。
仕事ができないと非難されれば、趣味に拠り所を見い出す。
才能がないと言われれば、努力していることに価値を見い出す。
美しくないと言われれば、スタイルのよさでカバーする。

容姿に自信がなければ、才能で自分をキープする。
才能にも自信がなければ、人柄で自分を維持する。
人柄にも自信がなければ、お笑いで自分の存在感をアッピールする。
お笑いも苦手なら、カラオケでみんなに認められるようにする。

どんな些細な事でも自分の拠り所となる。
小学生の頃は、成績が良かったとか。
運動会で一番だったとか。
親が地域の有力者であったとか。

たとえ今は落ちぶれても、昔はお金があったとか。
以前は、会社を経営していたとか。
ある時期、大きな家に住んでいたとか。
贅沢三昧をしたことがあるとか。

有名人と握手したことでさえ、自分の誇りとなる。
同じ町に著名人がいるだけで、自分のことのように誇れる。
母校が甲子園で優勝すれば、自分が優勝したように話す。
自分の子が有名校に受かりでもしたら、自分自身が受かったよりも鼻高々。

外車に乗っているだけでも、自尊心は十分満たされる。
ブランド物を持っていることは、自尊心をくすぐる。
人が持っていないものを所有していることは、何よりも誇らしい。
高級な香水を付けているだけで気分が高揚する。

誰も行ったことのないところへ行った。
多くの外国を旅した。
有名人をたくさん知っている。
病気をしないことさえ、自分の誇りとなる。

たとえ病気がちであっても、それに負けないで頑張っていることが自尊心。
たとえ貧しくても、万引きしないのが自尊心。
たとえ万引きしても、捕まらないのが自尊心。
たとえ捕まっても、もっと悪い奴がいるというのが自尊心。

自尊心は、どこまで行ってもあり続ける。
もしこれがなくなると、自己の存在が危うくなる。
自尊心を手放せば・・・
自信は消え、自分を信じられなくなる。

そこには、死が待っているかもしれない。
事業に失敗し、債権者にボロクソに言われ、自尊心がズタズタになって・・・
自殺する人は、後を絶たない。
失恋で自殺する人もいる。

失恋こそは、まさに自尊心が傷つくことの最たるもの。
まるで自分が否定されたかのよう。
自信を喪失し、生きる気力が失せてしまう。
そうならないためには・・・

相手を否定し、自分をキープするしかない。
相手の欠点を数え上げ、人を見る目がないと非難する。
自分のことを何もわかっていないと、慰める。
相手でなくても、周囲や状況のせいにすることもできる。

何であれ、自分以外のもののせいにして自尊心を守ろうとする。
自尊心とは、自分そのもの。
どんな些細なことであれ、自分を支えているもの。
それこそが、実は「自分」の正体。

「自分」とは、自尊心の集合体。
自尊心を支えているものこそが、自分の中身。
そんなことはない?
自分は別にある?

それでは、自尊心以外の自分とは?
どこにあるのだろうか。
自尊心ではない自分は、どこに・・・
愛?

愛した人が自分を非難したら?
愛した人が自分を傷つけるようなことを言ったら?
愛した人が他の人と親しくしていたら?
愛は、自尊心に勝るだろうか。

自尊心が否定されても、愛し続けることができるだろうか。
自分を否定されても、愛は継続するだろうか。
自分というものは、自尊心で成り立っているのではないだろうか。
自分から自尊心がなくなったら、自分も消えるのではないだろうか。

自分には、何の才能もありません。
自分には、恋人も友達もいません。
自分には、仕事も家もありません。
自分には、何も誇れるものはありません。

と言う人でさえ、人に迷惑はかけていないと主張するかもしれない。
悪いことはしていないと言い張るかもしれない。
悪事をさんざん働いた人でさえ、家族を守るためにやむを得なかったと言うことだろう。
会社の犠牲になっただけと言うに違いない。

最悪の状況になっても、何とか自分を維持しようとする。
その拠り所が、自尊心。
自尊心こそが、自分自身。
自分そのもの。

自己否定する人でさえ、自己否定することによって自分を維持しようとする。
自殺する人でさえ、世の中のせいにして自己正当化しようとする。
最後の最後まで自尊心を持ち続ける。
自分というものを持ち続けようとする。

自分、自分、自分・・・
自分こそが、この世を生きる基盤。
自分こそが、自分そのもの。
その自分の実態は・・・

本当は、よくわかっていない。
自分の中身を吟味している人は、ほとんどいない。
自分とは?
・・・

自分の実態をよく理解することだろうか。
自分の中身を深く理解することだろうか。
それは、意外と浅いものかも?
ブランド物や外車が自分を支えていたりして・・・

いやいや、そんな浅いものではない?
もっと深い精神世界が自分を支えている?
魂?
神?

しかし、ほとんどの人は、神も仏も知らない。
知っているのは、そのイメージだけ。
思い込みという偶像。
自分の都合のよいようにアレンジされた神や仏。

自分より偉大と思えるものを拠り所にしているだけ。
自分より安定していそうなものを拠り所としているだけ。
それもこれも自分を維持するため。
自分を守るために他ならない。

神も仏も自尊心も、その根は同じ。
自分を守るため。
突き詰めれば、自己保存の本能。
動物と同じ。

人は、動物と同じ次元で生きているのだろうか。
ただ自己保存の本能だけで生きているのだろうか。
長い人類史を振り返ると、それを否定するのは難しい。
人生に自己保存の本能が占める割合は?

今日は、このあたりにしよう。
あまり自尊心を傷つけると、この日記を読んでもらえなくなるかもしれない。
自己否定されて喜ぶのは、マゾヒストだけ。
普通は、自尊心をくすぐられる方が気分がいい。

この日記は、間違っても自尊心をくすぐることはない。
自己否定される場面の方が、圧倒的に多い。
ハー、この日記の読者は、みんなマゾヒスト?
自分は自己否定している、という自尊心も・・・


『ささやかな イメージ頼り 身を守る 自尊心とは 自己維持装置』

『ズタズタに されても何か 見つけ出し 自分支えて 自分を守る』

『依って立つ 基盤は己が 自尊心 自分支える 最後の砦』

『身を守り 維持するための 自尊心 傷つけること 誰も許さず』

『自尊心 なければ楽に 生きられる あれば傷つく ことが絶えない』

『守ろうと しているものは 自尊心 その実態は ただのイメージ』
 


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真のアセンション
2011-04-15 Fri 18:41
                                        『ジェットの軌跡』
ジェットの軌跡ー4-22-oct_08_11
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日記『無色透明』 ”1452日目 - 真のアセンション” より

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『真のアセンション』

昨日は、久しぶりに鏡をしげしげと見た。
そこには、不思議な人が映っていた。
これが、自分?
自分って・・・

以前は、鏡に映る姿を疑うことはなかった。
それは、自分に決まっていた。
完璧に自己同一化していた。
肉体や記憶と。

しかし、最近は、そういうものと分離し始めている。
だから、これ誰?という感覚になってしまう。
見たことがあるような・・・
よく見ると、もう人間ではないような目をしていた。

人は、自分を信じて疑わない。
これが自分だと確信している。
しかし、実際は、自分も変化している。
刻々に変わっている。

ただ自分という自己イメージと自己同一化しているに過ぎない。
そのイメージから離れると、自分は誰だかわからなくなる。
まさに記憶喪失状態。
深い眠りから覚めた寝起きの状態に近い。

自分、自分、自分・・・
自分が一番大事。
自分と共に生きてきた。
自分こそが最大最上の宝だった。

そういう意識で長いこと生きてきた。
しかし、そういう意識が崩れつつある。
人類の想念(おもい)という世界から抜けつつある。
想念(おもい)の雲の外に出ようとしている。

雲の上は、常に晴れている。
雲の下が土砂降りでも、雲の上は太陽が輝いている。
雲の上は、どこまでも快晴。
雨が降ることは、あり得ない。

富士山の山頂に立てば、雲は遥か下の方に見える。
想念(おもい)の世界を超えれば、意識が曇ることはない。
意識は、常にクリアー。
気分は、いつも爽快。

人類は、長い間、雲と共に生きてきた。
雲の状態によって、一喜一憂、喜怒哀楽。
まだ大多数の人は、雲の下で暮らしている。
土砂降りの人もいれば、木漏れ日が差している人もいる。

人の意識状態は、それぞれ異なる。
しかし、雲の下で暮らしていることは、共通している。
肉体や記憶と自己同一化し、自分、私、自我として生きている。
別にそれが悪いと言っているわけではない。

それは、単なる事実。
記憶と一体化して生きているのが、紛れもない人類の現状。
そういうことに気づいていないということ。
それに思い至ることさえないくらいに、自己同一化しきっている。

生まれた時から肉体と共に成長し、記憶と共に暮らしている。
肉体ベース、記憶ベースになっても、おかしくはない。
むしろ、それが当たり前。
誰もが当然と思っている。

しかし、たまに記憶喪失の人が現れる。
そうすると、自分が消えてしまう。
意識はあるのに、自分はない。
自分とは、明らかに記憶との自己同一化。

子供の頃の記憶。
確かにあれは、自分だった。
子供の頃の意識で生きていた。
それは、覚えている。

それは、子供の頃の意識で体験したこと。
それが、記憶されているということ。
今の意識とは、異なる。
子供の頃の意識で体験したこと。

しかし、体験は記憶されている。
それは、メモリーとして蓄積されている。
自己同一化しなければ、単なるメモリー。
実体験を伴うメモリー。

意識とメモリーとの分離。
これまでは、完全に一体化していた。
それが、一体化にヒビが入りつつある。
不離一体であったものが、静かに分離を始めている。

意識は、どこまでも澄み渡っている。
それが、メインの意識。
いわゆる瞑想状態に近い。
あまり揺れ動くことはない。

静かな澄み切った意識になれば、自然に記憶とは分離する。
澄み切った意識は、記憶の遥か彼方にある。
記憶から離れれば、自分は消える。
今生の記憶と一体化する時、これまでの自分が戻る。

深い眠りから覚めた時、ここはどこ?と一瞬思うことがある。
しばらくすると、記憶が戻る。
あるいは、夢の世界から目覚めた時、今どこにいるのかわからなくなることがある。
それに似ているかもしれない。

記憶と分離した意識は、方向性が定まらない。
自分のいるところがわからない。
時間と空間に規定されて、今の自分という意識はできあがっている。
そういうものとの自己同一化が外れれば、意識は宙に浮いてしまう。

私は、誰?
ただの意識。
色づけされていない意識。
純粋な意識。

人間にどっぷりと浸かりきった意識。
普通は、そうやって生きている。
それが、当たり前だと思われている。
それが常識人の世界。

しかし・・・
そういう当たり前が、崩れようとしている。
自己イメージとの自己同一化という前提が、これから揺らぎ出す。
それこそが、真のアセンション。

物理的なアセンションなど、何の意味もない。
自我からの分離。
自我からの遊離。
自我からの自由こそが、真のアセンションに他ならない。

雲の下で生きるのか、雲の上に出るのか。
雲を超えることが、アセンション。
アセンションとは、上昇。
人類の想念(おもい)の雲を超えること。

ドロドロとした想念(おもい)の次元を超える。
想念(おもい)の次元は、重い。
重いので、滞留している。
地球を暗く取り巻いている。

欲望という想念(おもい)。
ドス黒い想念(おもい)。
それが、まるで黒雲のように地球を覆っている。
それが、宇宙からの光を遮っている。

雲の上は、常に晴れ渡っている。
想念(おもい)の世界を超えれば、意識はクリアー。
雑念はない。
ただ澄み切った意識があるだけ。

人類の目指す方向は、雲の上。
想念(おもい)の雲を超えること。
想念(おもい)の次元からアセンションすること。
クリアーな意識の次元へ飛翔すること。

想念は、道具。
現実を創造する道具。
今は、意識と想念が一体化し、意識が想念の海に呑み込まれている。
意識と想念の未分離状態。

意識は、想念や記憶と自己同一化し、自分=自我として生きている。
別の言い方をすると、意識は想念や記憶の次元にしっかりフォーカスされている。
つまり、思考の次元で生きている。
思考の次元から抜け出せない。

真のアセンションとは、思考の次元を超えること。
想念(おもい)の世界から抜け出ること。
人間界とは、まさに想念(おもい)の世界。
想念(おもい)が渦巻く世界こそが、人間界そのもの。

想念(おもい)に呑み込まれるか、想念(おもい)を使いこなすか。
想念(おもい)を使いこなすためには、想念(おもい)から分離した意識が必要となる。
それには、想念(おもい)の雲を超えてアセンションする必要がある。
意識の高みに立つ必要がある。

意識の高みに立てば、雲はなくなり、見晴らしがよくなる。
全体が見える。
トータルに見える。
心は、静かに全体を見渡すことができる。

別に今のままではよくないと言っているわけではない。
今の自分を理解すれば、今よりも楽に自由に生きられるというだけのこと。
想念(おもい)に翻弄される状態が、想念(おもい)を自由に使いこなせる状態に
変わるということ。
それこそが、真のアセンションであるということ。

今の人類は、想念(おもい)の海のなかで溺れそうになっている。
想念(おもい)の海から抜け出せないで、もがいている。
想念(おもい)の海を超えなければ、真の自由はない。
想念(おもい)の海のなかにあるのは、思い込みという自縄自縛だけ。

人は、思い込みワールドのなかで生きている。
想念(おもい)や記憶と自己同一化して生きている。
私という自我の世界で生きている。
その想念(おもい)の海を抜けた時、新しい世界が開ける。

時代のエネルギーは、想念(おもい)の海から抜け出す道を提示している。
それは、自分自身を見つめること。
見守りながら見極めること。
そのプロセスを通して、想念(おもい)を超えた意識が育つ。

愛に包まれて光の道を歩む。
それが、見守りながら見極めるということ。
自分自身を愛で包みながら、自分自身に光を当てる。
それが、真のアセンションへと導く。


『想念の 雲を抜ければ どこまでも ただ透き通る 意識あるのみ』


これが日記を書き始めて1452日目の心境。
 

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地球の希望
2011-04-09 Sat 07:29
                             『夜明けの太陽を見つめる人たち』
夜明けの太陽を見つめる人たちー18-aug_07_11
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日記『無色透明』 より、4月8日 ”2287日目 - 地球の希望” 転載

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『地球の希望』

東北地方では、まだ余震が続いている。
大震災は、一段落した訳ではない。
始まったばかり。
原発も危険な状態が続いている。

先日、知り合いから電話がかかってきた。
栃木から実家の埼玉に引っ越したとのこと。
栃木の家を売って、埼玉の内陸部に引っ越すつもりと話していた。
栃木では、放射能が心配らしい。

いろいろ話しているなかで、日本脱出の話題になった。
もし脱出するとすれば、ハワイ。
あそこなら安全かもしれないという結論になった。
しかし・・・

今、日本を脱出することは、敵前逃亡に等しい。
日本人が日本を捨てて、どこへ行くというのだろうか。
一人だけ安全なところへ行って、どういう意味があるのだろうか。
日本にいてこそ日本人ではないのか。

今、日本から脱出しているのは、日本滞在の外国人。
まだ彼らは帰って来ていない。
原発が安定するまでは帰って来ないつもりだろうか。
原発は、当分、安定する見込みはないのに・・・

この時期に日本を脱出することは、日本を見捨てるに等しい。
そこまでして自分だけ助かって、何の意味があるのだろうか。
いのちも大切ではある。
しかし、いのちだけ助かっても・・・

大事なものをなくしてしまったら、元も子もない。
今の時期に日本を去ることなど考えられない。
日本が未曾有の国難に遭遇している時に、日本を見捨てるなどあり得ない。
それでは、今生生まれてきた意味がない。

今ここでやるべきことをやる。
それが、今回生まれてきた意味。
今こそが、その時。
今が、人生のクライマックス。

今、日本人の行くべき道を指し示すことが、世界を救うことにつながる。
日本は、最初に困難に直面する。
それを乗り越えて、次は世界中を救いに出かける。
日本の和の心が、世界を救う。

今、日本人が目覚めなければ、人類の未来はない。
日本から光は射す。
日本は、日出ずる国。
日本が世界を救う。

そのためには、まず日本人が本来の自分自身に目覚める必要がある。
物質オンリーから、もっと大切なものに気づく必要がある。
霊性を備えた人になる必要がある。
それでこそ世界を救える。

地球が再生するためには、まだまだ時間がかかる。
今、日本から始まったばかり。
まだ日本の困難は、続く。
日本が困難を克服して、それから世界の困難が始まる。

世界の混乱は、日本以上の悲惨さを極める可能性がある。
その時に、困難から甦った日本人が世界に飛び出す。
世界に新しい秩序をもたらす。
自己中心的ではない新しい地球を創り出す。

そういうロングスパンで状況を見守ることだろうか。
新しい地球のためのプロセス。
地球再生プログラム。
そのために最も必要なことは、一人一人が思考のレベルから飛翔すること。

頭で考えることからシフトすること。
頭だけに頼らない。
もっと深いものをベースにして生きる。
トータルに生きる。

頭とは、思考。
思考とは、過去のデーターの組み合わせ。
それは、閃きに劣る。
直観には及ばない。

そういうものは、人格を超えたところからやって来る。
松果体や脳下垂体に直接届く。
大脳皮質ではない。
大脳皮質は、それらのものをこの世的に翻訳するところ。

体のバランスを取るためには、小脳も必要。
頭のいろんな部分には、それぞれ役割がある。
しかし、今は大脳皮質が中心的役割を担っている。
それが、思考=人格=自我となっている。

その部分に変革を起こす必要がある。
もっとトータルに頭脳を使う。
もっと頭脳の深い部分を活用する。
それが、人類の深化につながる。

それには、見守ること。
頭で考えながらも、見守り続けること。
頭で考えることをやめて、ただ見守ること。
静かに見守ること。

目先や顔面に意識を持ってこない。
もっと奥に意識を引く。
後頭部の方から、物事を眺める。
大局を見渡す感じだろうか。

そういう視点を持ちながら生きる。
それは、自己中心的な生き方からの離脱。
自己中心的に生きている時は、目先や顔面に意識がきている。
それでは、全体が見えない。

もっと意識を引いて全体を見渡す。
そうすれば、パニックになることもない。
慌てることも焦ることもない。
慌てたり焦ったりするのは、自我。

自己保存が働くと、とたんに全体が見えなくなる。
目先のことしか見えなくなる。
そして、慌てたり焦ったりする。
もっと大きな流れと共に生きることだろうか。

日本は、まだまだ困難な時期が続く。
しかし、その先には、希望がある。
だから、何も心配はいらない。
今最も大切なことは、内なる光と共にあること。

自分の光を輝かせること。
それが、今の時期に最も必要なこと。
そして、最も役に立つこと。
自分のためにも周りのためにも。

一人一人が光り輝くことが、地球人類を救う。
地球の新しい時代を開く。
困難は、光を磨くためにのみ存在する。
内なる光をより輝かせるためにのみ困難はある。


『日本から 光は出流(いず)る 日本こそ 地球の希望 地球の未来』

『困難は 内なる光 磨く時 時代と共に 光いや増す』


これが日記を書き始めて2287日目の心境。
 

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