いのちの写真と光の言葉
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聖書
2011-01-30 Sun 00:10
                                   『木霊の森の水の流れ』
木霊の森の水の流れー26-jan_11
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『聖書』

現在の聖書にあるのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書だけ。
ところが、実際はたくさんの福音書があった。
しかし、それらはローマ・カトリック教会によって異端として退けられた。
イエスには十二使徒以外にもたくさんの弟子がおり、多くの弟子がイエス
の言行録を残した。
その一つが、ユダが残した”ユダの福音書”。

その存在自体は知られていたが、既に失われたものと思われていた。
それが1970年代にエジプトで発見され、買い手が見つからないまま
長い間金庫にしまわれていた。
最近になり、やっと専門家が5年の歳月をかけて解読したところ、意外
な事実が書かれていることがわかった。

イスカリオテのユダは、イエスをローマの手先に売った裏切り者として
知られている。
ところが、この福音書の中では、イエス本人の指示により救済を完結
させるために引き渡したことになっている。
これでは裏切り者とは、まったく逆の立場になる。
ユダはイエスの信頼の厚い忠実な僕(しもべ)であったことになる。
もしこれが事実とすれば、聖書を信じている人々は事実とは逆のことを
信じていることになる。

新訳聖書に書かれているのは、イエスの誕生前後と伝道の歩みだけ。
彼の幼少期や青少年期は書かれていない。
彼はバプテスマのヨハネと一緒に育てられ、インドやエジプトで修行した
らしい。
エジプトの大ピラミッドで最終イニシエーションを受けたと精神世界の
専門書にはある。

最近話題になっているのは、彼には子供がいたという説。
イエスはマグダラのマリアと特別な関係にあり、二人の間には子供が
生まれ、今もその子孫がイスラエルで生きているという。
ローマ・カトリック教会にとっては驚天動地の新説。
なぜなら、ローマ・カトリック教会では、マグダラのマリアは娼婦となっている。
神の一人子であるイエス・キリストが、こともあろうに娼婦と交わり、子供
までつくっていたとなると・・・
イエスに対する信仰そのものが崩壊しかねない。
そのうえ、マグダラのマリアとローマ・カトリック教会の初代教皇である
ペテロとは仲が悪く、いがみ合っていたとか。
それ故に、マグダラのマリアを娼婦に貶(おとし)めた・・・?

実際のところはわからないが、長年に渡って聖書が改編され、修正されて
きたのは事実のようだ。
現在の聖書が唯一絶対なわけではない。
多種多様な福音書があり、それを教会の権力者が自分達に都合のよい
ように改編したり排除したりしてきた。
支配と権力維持に都合のよいように作りかえられたものが今の聖書に他
ならない。
その聖書を何十億という人たちが信じている、この信じがたい現実。

聖書の実態を知らずに、ただ信じ込んでいる世界。
信じることによって、自らの安定を得たいと願う世界。
信じる対象が事実であるかどうかは問わない。
ただ自分が信じることによって救われればいいだけ。
信じる者は救われる?

今回の”ユダの福音書”のように、自分が信じたことと異なる現実が押し
寄せてくる。
その時にどうするか。
しばらくは動揺する。
誰かに相談もする。
そして、最終的には自分流に解釈して納得する。
これは神の試練であると。
信仰が試されていると。
それがこれまでの宗教のパターン。

聖書という固定したものによって、自分の心の安定を得ようとする。
固定しているものを信じることによって、揺れ動く心を安定させようと努める。
それが信仰=信じるということ。
しかし、現実は常に変化している。
2000年前の聖書が現実に適応できるとは限らない。
常に現実から揺さぶられる。
その度に解釈で急場を凌ぐ。
その繰り返し・・・

固定したものを信じても、心のやすらぎは得られない。
心は現実によって常に揺すぶられる。
その度に心は動揺する。
その心の動揺を鎮めるために、無理な解釈を重ねる。
その繰り返しで人生が終わる。

信じることによって、なんとか自分をキープしているだけ。
何かを信じなければ、自分を維持できないだけ。
移り変わる無常の世の中で、不動のものにすがりたい。
すがることによって心の安定を得たい。
信仰とは、弱い心の現れでしかない。
しかし、動機が不安定であれば、結果も不安定になる。
最初の一歩が最後の一歩。
結果は初めからわかっている。

何ものにも依存しない。
何も信じない。
ただ事実と共に生きる。
それができるだろうか。
それができないから、現実から逃避して何かにすがろうとする。
不動であり安定していると思えるものにすがって救われようとする。
不安定なままでいられない。
不安定から安定へ移行したい。
そのために何かにすがる。

しかし、安定していると思ったものは、過去のもの。
過去であるから安定しているだけ。
つまり、死んだもの。
死んでいるから動かないだけ。
信仰とは、死んだものを信じているだけ?

現実は刻々と動いている。
何も固定していない。
何の保証もない。
保証があるのは、信仰の世界だけ。
しかし、それは幻の保証。
ただの思い込み。

救われると思い込んでいるだけ。
それが信仰。
それ以外の何ものでもない。
事実ベースで生きれないから、何かにすがっているだけ。
祈り、寄付、奉仕・・・安定を得るためのギブ&テイク。

自分の足で立ち、自分の手で創り上げる。
しっかりと大地に根を張り、今のエネルギーを感じながら生きる。
何ものにも依存する必要はない。
何ものも信じる必要はない。

子供がずっと親に依存していたら、大人になることはできない。
親が死んでしまった時に、途方に暮れる。
自分の足で立つしかない。
試行錯誤しながら生きていくしかない。
それが人生。

何かに頼ったり、何かに依存したり、何かを信じたり・・・
それは自分の弱さを証明しているだけ。
聖書に限らず、紙に書かれたものに真理はない。
真理は生きている。
生きて今ここにある。
真理は固定していない。
いきいきと生きている。

それは信じることによっては実感できない。
信じること=思い込みを外さない限り、真理は体感できない。
信じることは、思いの世界。
思い込みワールドの中で、信じたり信じなかったりして動揺しているだけ。
思い込みワールドの中にいる限り、真理は遠い。
真理は、思い込みワールドの外にある。

信じたければ、信じてもいい。
それで救われると思うのなら、そうすればいい。
でも、それは単なる思い込み。
真実ではない。
ただ幻にすがっているだけ。
生きている真理は、人が書いた聖書の中にはない。
真理は今ここに生きてある。
          

      
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風邪
2011-01-25 Tue 07:01
                                           『透明な水』
透明な水ー19-nov_07_10
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『風邪』

風邪の時は
風邪を活かす
何も無駄にしない
何も問題はない

風邪の時は
自然に体がゆるむ
心身に固まっているものを解放するために
自然に心身がゆるむ

その結果
体はだるくなり
意識は朦朧とし
締まりがなくなる

いつもは緊張して生きている
適度な緊張は必要
しかし
過度の緊張は負担となる

必要以上の緊張によって
心身はこわばってしまう
心身に硬いシコリができ
やがて限界に達する

その時
風邪をひく
解放の始まり
本来の状態への回帰

それは自然現象
日常的にシコリをほぐしていない限り
限界まで溜まったものは
一気に解放されようとする

それが病気という現象になって現れる
だから
別に病気を嫌がることはない
健康回復のプロセスに過ぎない

体の中や心の中に溜まってしまった塊
それはほぐす必要がある
そのためには
心身をゆるめるしかない

真からゆるめるためには
無理をしないで
ゆっくり休むしかない
体は休息を要求する

無理をして動いたり
薬を飲んだりすると
ゆるむことがストップしてしまう
解放が中途半端に終わってしまう

ゆるみきらせることによって
これまで溜まっていたものが解き放たれる
そして
本来のしなやかな状態に戻る

中途半端にすれば
近い将来
また
同じことの繰り返し

ゆるめるなら徹底的にやらないと
ゆるめる意味がない
中途半端では
何度も苦しい目に遭うだけ

自分の体を
信頼しきることだろうか
信頼すれば
体は信頼に応えてくれる

不安や心配は
体にとって負担となる
せっかくゆるみそうになっていたものが
また緊張してしまう

不安や心配は
体だけでなく
心にも負担になる
それでは心がゆるまない

体も心も自然に解放される
スポンジを強く握って離すと
自然に元に戻るように
心身は健康体に戻ろうとする

それが
自然のシステム
それが
いのちというもの

それを自分で止めないことだろうか
せっかくの健康回帰を
表面意識の不安や心配で
ストップさせないことだろうか

いのちを信頼する
自然を信頼する
宇宙を信頼する
自分自身を信頼する

信頼していれば
ただ任せていればいい
自我でジタバタしない
すべてをゆだねる

健康とは
自然な状態
ならば
自然に任せるしかない

自分でなんとかしようとするから
より不自然になってしまう
せっかくの自然のシステムを
人間がメチャクチャにする

人は自分を信頼しているだろうか
人は自然を信頼しているだろうか
人は宇宙を信頼しているだろうか
人はすべてを信頼しているだろうか

人は自分を信頼していないかもしれない
人は自然を信頼していないかもしれない
人は宇宙を信頼していないかもしれない
人はすべてを信頼していないかもしれない

究極は
どれだけ深く
体を信頼し
心を信頼し

自分を信頼し
自然を信頼し
宇宙を信頼し
すべてを信頼するかに尽きる

信頼があるところに不安はない
では
その信頼は
どこから生まれるのだろうか

それは
理解
深い理解
真にわかることから生まれる

知的な理解ではなく
頭の理解ではなく
表面意識の理解ではなく
もっと深い理解

真にわかることから
信頼は自然に生まれる
殊更に信頼を意識する必要もない
深い信頼がそこにある

意外なことに
人は自分を知らない
人は自分のことをわかっていない
自分のことだけではなく・・・

本質的なことは何もわかっていない
不思議なことに
それでも生きている
それでも生きられる

しかし
その生には
不安や心配が同居している
真のやすらぎはない

いかに深く自分を理解するか
それがそのまま
心のやすらぎに直結する
そこに不動の信頼がある

人は自分の体や心を信頼していない
人は自分の体や心をよくわかっていない
だから
不安や心配と共に生きている

自然のシステムも
宇宙の流れも
ほとんど知らない
それでも生きている

深く深く人生を理解する
理解から信頼が生まれ
安心が生まれ
心のやすらぎが生まれる

心を込め
魂を込め
全身全霊で
自分自身を理解する

風邪の時は
風邪になりきり
風邪を理解する
痛みや苦しみに負けない

負けて薬に頼らない
安直に楽を求めない
真に理解するためには
その中に飛び込むしかない

苦しみから
逃げない
直面し
直視する

直視して
理解する
深く
全身全霊で

その時に
深い深いやすらぎがやって来る
それは
イージーな道ではない

命を賭けるぐらいの気合がないと
飛び込めない
すべてを捨てるくらいの気合がないと
真実はわからない

心を込め
魂を込め
全身全霊で生きる
それが必要な時もある
          

      
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光とともに
2011-01-22 Sat 08:45
                                           『光の放射』
光の放射ー24-feb_08_11
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  『天と地を ハートで繋ぎ 調和させ 光と共に この世を生きる』


  冷静は地、霊性は天。

  しっかりグランディングして、スピリチュアルに生きる。
  片方だけに偏らない。
  天と地の調和、バランス。
  ハートで繋ぎ、調和のなかを生きる。       

          
      
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ずーっと、いつも幸せ?
2011-01-17 Mon 01:46
                                              『落日』
落日ー13-dec_07_10.
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『ずーっと、いつも幸せ?』         

掲示板に、次のような書き込みがあった。

【うーん、「恋したい」
ときめく恋、切ない恋、ラブラブハッピーな恋、情熱の恋、禁断の恋??
私は、熱しやすく、冷めやすい。
好きでもどこかで疑う。
いつも、いつも、人は裏切るから。
傷つきたくない、ハッピーなままで居たい。
(無理、無理・・・)ハァー・・・
ずーっと幸せなんてあるのかしら?
kimiさんいつも幸せ?
人を好きになる?愛する?信じる?
何処までが本当に信じていいこと、信じすぎて裏切られたら・・どうする。。
自分が裏切るかも・・・
いかん。。考えすぎた思考回路が・・まわるマワル、ハッピーの心ブルーの
心永遠にまわる。】

ずーっと幸せ?
いつも幸せ?
そんなことがあるのだろうか。

人を好きになる。
愛する。
そこまでは何も問題はない。

信じる?
どこまで本当に信じていい?
信じすぎて裏切られたら?
自分が裏切るかも?

信じるとはどういうことだろうか。
ずーっと自分を愛してくれると信じる?
この人は自分を裏切らないと信じる?
二人の愛は永遠だと信じる?

でも、でも、そんなことが・・・?
どこかで疑う。
人は裏切るから。
傷つきたくないから。
ハッピーなままでいたいから・・・

人は裏切る。
人は他人の期待を裏切る。
人は他人ではないから。
他人の思う通りにはならない・・・

信じるとは何だろう?
期待すること?
願うこと?
それとも、思い込むこと?

人はどうして信じたがるのだろう?
裏切られたくないから?
もう傷つきたくないから?
自信がないから?

人はありのままの事実と共に生きることはできないのだろうか。
信じなければ生きていけないのだろうか。
相手は裏切るかもしれないし、裏切らないかもしれない。
そんな不安定な状態に耐えられないから信じようとするのだろうか。

裏切らないという保証があったら、この人と結婚する?
傷つけられないという保証があったら、この人と深く付き合う?
結局、保証がほしいのだろうか。
保証がないと、今一歩が踏み出せないのだろうか。

もちろん、保証はある。
君を一生大切にするから!
僕の君への愛は一生変わらない!!
言葉の保証はいくらでもある。
しかし・・・

事実は、それから何ヶ月も経たないうちに人の心は変わる。
口先の保証は何の役にも立たない。
安全を約束されていたのに、しっかり裏切られ、傷ついてしまう。
保証はあってなきがごときもの。

この世は不確定。
不確定だからこそ、人は何かを信じようとするのだろうか。
少しでも安定するために。
自分を安心させるために。

今、今を生きることはできないのだろうか。
なぜ先の保証を求めるのだろうか。
今、幸せならばそれでいいのではないだろうか。

ずーっと幸せでいたい?
いつも幸せでいたい?
それは思考が求める架空のものだろうか。
それは欲望だろうか。

目の前の事実と共にいる。
幸せも不幸せもない。
ただ、ありがとうと感謝して生きる。
それ以上に何を求めるのだろうか。

永遠の保証がほしいのだろうか。
いつも変わらぬ幸せの保証がほしいのだろうか。
いつも幸せならば、幸せと感じることはないだろう。
不幸せがあるから、幸せもある。
幸せとは、そういうもの。

淡々と事実と共に生きる。
いつも幸せとか、裏切られないとか、架空の幻想を抱かない。
今の事実を大切にする。
今を味わい、今を生きる。

意識を先に飛ばさない。
今、今、今・・・
意識が先へ飛ぶと、架空の世界に迷い込んでしまう。
自分の期待や願望の中に入り込んでしまう。

この世に変わらぬものはない。
永遠に続く恋愛もない。
ただ、意識が深まった時に、変わらぬ生きたものに出会うことができる
かもしれない。
それでさえ固定はしていない。
生きている。
愛は生きている。
永遠に変わらぬものはない。

外に変わらぬものを求めている限り、努力は徒労に終わる。
自分の外に変わらぬものはない。
自分の内でさえ刻々に変化している。
それらの変化を含めて、すべてを見守る。
大きく、大きく見守る。

その見守る意識でさえ、固定したものではない。
固定したものは死んだもの。
見守る意識でさえ生きている。
生きながら、すべてを見守っている。

固定した永久不滅のものを求めるのは、思考の思い込み。
自分の安全を願う思考の願望。
不安定な現実と共に生きていけない思考の弱さ。
しっかりと事実ベースで生きていくことだろうか。
もう一度自分自身を見つめ直して、生きていくことだろうか。

周りの現象も、人の心も変わる。
変わるものは、変わるままに。
動くものは、動くままに。
それを固定させようとするのは、自我の我が儘。
自分勝手。

静かに自分自身を見つめ、生きることだろうか。
安定を求める自分。
傷つくことを恐れる自分。
裏切られたくない自分。
それもまた自分。

そういう自分もありのままに認め、そういう自分と共に生きていく。
裏切る人も、裏切らない人も、すべてを見守って生きる。
信じようとする自分も、裏切られることを恐れる自分も、そのまま認め見守る。
すべてを見守り生きる。
幻を追い求めないで・・・
          

      
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色の世界は無限に豊か
2011-01-11 Tue 14:09
                                         『東の空の虹』
東の空の虹ー17-dec_08_10
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今あるものを慈しむ。
今あるものを楽しむ。
ないものを求めない。
あるものを楽しむ。

ないものを求めれば、欲求不満が起きる。
欲求不満は、あるものを慈しんでいないから。
今あるものを十分に楽しんでいないから。
今あるものに満たされていないから。

ないものを求め続ければ、永遠に満たされることはない。
今あるものを、いかに深く愛するか。
いかに深く慈しむか。
それが、幸せの源。           

      
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嫌いとは・・・
2011-01-07 Fri 09:05
                                         『巨杉の迫力』
巨杉の迫力ー22-july_08_10
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『嫌いとは・・・』         

次のような質問がありました。

「屋久島は二度旅行で行ったことがありますが、とても素晴らしかったです。
都会に住んでる私には、日記で読むkimiさんの生活はなんだか夢のようです。
今のkimiさんには、嫌いな人がいたりとか、怒ったりとか悲しんだりとか、
そういう気持ちになる事はもうないんですか??

どうしても嫌いな人(苦手な人)が自分の人生に現れたら、どうすればいいですか?
同じ職場なので、どうしても関わるしかありません。
その人は、他人を徹底的にコントロールしたがります。

何か言われたりされたりしても、こちら側が反応せず冷静に受け止めれば
よいのでしょうが、たとえば常識的に考えて『バカ』などのように、冷静に考えて
たとしても反応ではなく明らかに傷つく言葉や態度は存在すると思います。
そういう事には、どういうふうに取り組めばよいのか教えてもらえませんか?

そもそも、嫌いな人や苦手な人が現れるというのは、どういうことを意味して
るんでしょうか。」


このようなことで悩んでいる方は、少なくないでしょう。
多くのところで見聞きすることです。
今の人間にとっては、日常的な出来事ですね。
これが、今の人類の一般的な意識レベルでしょう。

そもそも、嫌いな人や苦手な人が現れるというのは、どういうことを意味して
いるのでしょうか。
好き嫌いは、個人差があります。
ですから、客観的な基準ではありません。
個人的な嗜好です。

それは、食べものの好き嫌いと変わりません。
ファッションや動物の好き嫌いとも変わりません。
まったく個人的なことです。
同じものを見聞きしても、反応は人それぞれです。

嫌いとか苦手というのは、どういうことでしょうか。
それは、自分のペースと合わないということでしょうか。
それとも、自分の思うとおりに動いてくれないということでしょうか。
あるいは、自分の弱みをストレートに言われるということでしょうか。

いずれにしても、自分にとっては都合の悪い人です。
居心地がよくないのですね。
できれば、避けたいのです。
一緒にいたくないのです。

でも、職場や家族や同じクラスなど、どうしても避けられないこともあります。
そういう場合は、どうしたらいいのでしょうか。
じっとガマン?
それとも、戦う?

あるいは、じっと踏みとどまって自分の反応を見つめる?
なぜその人が嫌いだったり、苦手だったりするのか・・・
それは、その人のせい?
それとも、自分のせい?

老若男女すべての人が嫌いなわけではないので、相手のせいとは言えません。
では、自分のせい?
答は?
そのとおり!

自分が、嫌いであり苦手なだけです。
それは、自分の傾向です。
自分の嗜好です。
またの名を、自我とも言います。

自分にとって都合の悪い人は、なぜ嫌いなのでしょうか。
別に嫌いになる必要はありません。
でも、嫌いになる場合がほとんどです。
そのわけは・・・

その人の存在を認めたくないということでしょうか。
あるいは、無視しようとしているのでしょうか。
それとも、否定しているのでしょうか。
相手を否定することによって、自分を守っているのでしょうか。

嫌いというのは、傷ついた自分を守る行為かもしれませんね。
好きな人がこちらを振り向いてくれないと、嫌いになります。
本当は好きなのに、嫌いになってしまうのです。
可愛さ余って憎さ百倍!

愛憎の愛なのですね。
愛と憎しみは、裏表。
いずれも所有です。
自分のものにしたいという・・・

自分のものにできれば、好き。
自分のものにできなければ、嫌い。
自分の思うとおりになれば、好き。
自分の思うとおりにならなければ、嫌い。

自分勝手な自我そのものです。
自分のものにして安定したいのですね。
それは、自己保存です。
自己中心的ということです。

別にそれが悪いと言っているわけではありません。
ただ、それが紛れもない事実であるということです。
それをありのまま認めることでしょうか。
好き嫌いではなく、事実と共に生きることです。

好きや嫌いは、変化します。
ちょっとしたきっかけで、大好きになったり、大嫌いになったりします。
そういうものに振り回されないことです。
自分の嗜好のパターンを理解することです。

コントロールしたがる人が嫌いなのは、自分がコントロールされたくないから
でしょう。
でも、本当は自分がコントロールしたいのかもしれません。
コントロールとは、自分の思うとおりにしたいということです。
別の言葉で言えば、支配です。

支配とは、所有です。
コントロールゲームとは、支配や所有をめぐる争いです。
それは、人類が延々とやってきたことです。
それを、これからも続けるつもりでしょうか。

それを続けている限り、アセンションは夢のままでしょう。
いい加減、そういうものから離れることですね。
「バカ」と言われて反応するのは、自分も同じ次元に住んでいるからです。
別の次元にいれば、いちいち反応はしません。

幼児が「バカ」と言っても、相手にしないでしょう。
アルツハイマーの人に「バカ」と言われて、本気で怒る人はいないでしょう。
幼児やアルツハイマーの人に対して本気で怒ったら、怒る人の人格が疑わ
れます。
要は、相手と同じ次元にいるかどうかということです。

自分を磔にして槍で刺そうとした兵士たちに向かって、イエスは言いました。
「この者たちは、自分が何をしているのかがわかっていないのです。」
そういう者たちを、イエス・キリストが憎んだり怒ったりすると思いますか。
でも・・・

普通の人は、相手に対して怒ったり憎んだりするでしょう。
それは、相手と同じ次元で生きているからです。
怒りや憎しみや恨みや悲しみの次元ですね。
つまり、支配や所有の次元です。

そういう次元で生きれば、同じように反応するだけです。
そして、お互いに相手が悪いと罵(ののし)り合うことになります。
別にどちらが悪いわけでもありません。
同じコップのなかで、お互いに支配したがっているだけのことです。

傷つくということも、個人差があります。
それは、客観的なことではありません。
些細なことで傷つく人もいれば、あまり傷つかない人もいます。
それは、個人のパターンに過ぎません。

別に傷つく必要はないのです。
勝手に傷ついているだけです。
自動的に傷つくパターンに陥っているのです。
気づかないままに、同じパターンを繰り返しているのですよ。

傷つくとは、ショックです。
想定外のことが起きたということですね。
でも、それは自分が何かを想定していたということでもあります。
思い込みが、裏切られたのです。

「バカ」と言われて傷つくのは、自分をバカとは思っていなかったからでしょう。
逆に立派と思っていたのかもしれません。
あるいは、なにがしかの誇りを持っていたのかもしれません。
もしくは、プライドがあったのでしょうか。

そういうものを否定されると、傷つくのですね。
それは、自分の思い込みが否定されたからです。
想定外のことにショックを受けたのです。
そして、自分を守るために相手を嫌いになるのです。

すべて自分を守ろうとしているだけです。
それは、自己保存の本能とも言えます。
ですから、別にそれを否定する必要はありません。
でも・・・

それに振り回される必要もないのですよ。
そういう次元で自分を守らなくても、見守るという次元もあるのですね。
イエス・キリストは、自分を殺そうとした兵士たちと争ったりはしませんでした。
支配や所有の次元には生きていなかったのですね。

そういう次元でもがいている彼らを理解していたのです。
だから、憎むことも恨むこともなかったのです。
ただ無知である彼らを憐れんだだけです。
無知とは、自分自身を知らないということです。

自分の意識構造を理解することでしょうか。
どうして反応するのかを深く突き詰めて見つめることですね。
反応を絶対視しないことです。
反応の根っこを見極めることですよ。

都会にいても田舎にいても、変わりませんよ。
屋久島に住んでいても、ノイローゼーになる人はいます。
病人は、後を絶ちません。
人がいるところは、どこも同じです。

場所ではないのですね。
意識の問題です。
どこにいても同じです。
自分の意識が変わらない限りは・・・

自分自身を理解することです。
それが、自然に相手の理解に繋がります。
自分と相手は、似たような意識構造です。
ただバリエーションが違うだけです。

自我とは、自己の安全を求める意識です。
それ故、支配や所有に走ります。
それは、肉体の本能に基づいています。
本能と思考のドッキングです。

それは、極めて根強いものです。
それを超えるには・・・
否定するのではなく、理解することです。
自分自身を理解することです。

理解が深まれば、自然にそういうものに振り回されなくなります。
まだまだ自分の意識構造がわかっていないということです。
だから、自分自身のパターンに振り回されているのですよ。
問題は、相手ではないのです。

自分自身を知らないということです。
どうしてそのように反応するのかがわかっていないのですね。
自分のことを自分が知らないということですよ
それが、今の人類にとっての最大の課題なのです。

自分自身への理解が深まれば、そういうなかでいかに生きるかが自然に
見えてくるでしょう。
相手に振り回されないことですね。
自分の反応にも振り回されないことですよ。
双方を理解して生きるということです。

双方を理解するというスタンスは、自我を超えています。
自我とは、自分だけの一方的なスタンスです。
そういう次元を超えることですね。
自分さえよければいいという次元を超えることですよ。

自他共に生きる次元へシフトすることです。
みんなと一緒に生きる次元ですね。
すべての人を生かす次元。
理解の次元です。

アセンションとは、そういうことです。
意識のシフトです。
一方的な自我の次元から、すべてを生かす次元へのシフト。
それには、自我ベースを超える必要があります。

そのスタートは、自分自身を理解することです。
隗(かい)より始めよ!
遠回りのようですが、それが一番の近道です。
自分自身のなかに、すべてがあるのですから。           

      
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明けましておめでとうございます
2011-01-02 Sun 03:05
                                           『光の放射』
光の放射ー16-oct_07_10
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   『今という 時代に生まれし 魂よ 光のなかで 光を生きよ』


    新年、明けましておめでとうございます。
    昨年中は、『いのちの島=屋久島』をご愛読くださり、ありがとうござい
    ました。
    本年も、このブログからのメッセージが、読まれる方の意識の深くに
    光とともに届けられましたら、幸いに存じます。
    2011年が皆様にとってより一層内なる光の輝く年となりますように。
                                   ぴあの


 
     
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