いのちの写真と光の言葉
先祖供養 - 1
2010-07-29 Thu 16:41
                                              『睡蓮』
睡蓮ーlotus-01_10
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   「先祖供養」のテーマで連載をお送りします。
   『古い時代に別れを告げるテーマ』ということで、日記「無色透明」で年末に
   連載されたものですが、お盆も近づいてきていますので、取り上げてみたい
   と思います。         ぴあの



『先祖供養 - 1』     
  
「屋久島のお墓は、お花がとてもきれいだとありました。
屋久島の方々は、御先祖を大切にされているんですね。
御先祖様の供養というのは、どう考えればよいのでしょうか。
供養と感謝は、やはり意味が違うのでしょうか。
ある人に、家系図をきちんと作って、祀りもれている人がいないかをみて、
水子霊などがあれば、お祀りした方がよいと勧められたのですが、なんとなく
一歩踏み出せないでいます。
どのように考えたらよいか、よろしければご指導いただけましたら幸いです。」

この質問に対して、次のような返事を送った。

先祖というのは、肉体の先祖だよね。
先祖の中から守護霊が選ばれるとも言われています。
みんな子孫の繁栄を願っていることは間違いないよね。
だから、普通の先祖は何の問題もない。
供養をする必要はないよね。
問題なのは、まだ迷っている先祖だね。
こちらは子孫に悪さをしようというつもりはないんだけど、子孫に頼ってしまう。
その結果、子孫に悪い影響が出ることもあるんだね。
それをどうするか。

基本的に、先祖に対しては感謝するものだよね。
この肉体をいただいたのだから。
そして、子供たちにも血が引き継がれていくのだから。
毎朝、仏壇にお参りするという習慣は古くからあるよね。
それは先祖に感謝をして、今日も一日、一家をお守りくださいということだよね。
それはやればいいのではないの。
やることによって、先祖とより繋がれるでしょう。
それはたぶん良い結果になるよね。

では、迷っている先祖に対してはどうするか。
そもそも供養とはどういうことだろう?
それは、迷っている者に対して、早く成仏して光の世界へ行ってくださいという
想いを送ることではないのだろうか。
その子孫のエネルギーに支えられて、迷える者は成仏していくんだね。
その愛念は、成仏する際のサポートになるのだよ。
直接的には、迷える者の守護霊や縁のある光の霊たちが救いに来るんだね。
そのきっかけになったり、サポートになったりするんだよ。
自分の子孫から暖かいエネルギーが届くことによって、迷える霊も少しは気づく
んだね。
もっと暖かい世界に住みたいと。
そういう心境になると、光の霊たちの光に反応するようになる。
そして、その霊たちにガードされて光の世界へ登っていくんだね。
そのための供養なんだね。

家系図を作っても、誰が迷っているかわかるの?
たぶん誰かに聞かないとわからないよね。
特定すればエネルギーは届きやすいけど、でも、その特定が正しいという保証
はない。
もれている霊もいるかもしれない。
ただ信じるしかない。
確認のしようがないんだね。
でも、誰か信じられる人がいたら、それでもいいでしょう。
その人に供養してもらってもいい。
自分も一緒に供養してもいい。

でも、そうしなくても、自分で先祖に愛念を送ることもできる。
毎朝、すべての先祖に感謝のエネルギーを送り、迷っている方は早く光の世界
へ行ってください、という愛のエネルギーを付け加えることもできる。
それでもいいと思う。
基本は、感謝と愛のエネルギーだから。
それを先祖に、また縁のある方に送る。
それは亡くなった人だけに限らず、生きている人に対してでもいい。
また自分の家族に対してでもいい。
それを毎朝やれば、たぶん人生が変わるでしょう。
朝と寝る前の両方やると、更にいいかもね。

こちらには仏壇もないし、特に先祖供養ということもやっていない。
一番大切なことは、日々の生き方なんだね。
自分が愛と光に満ちた生き方をしているかどうか。
その姿を見て、迷える者は気がつくんだよ。
自分の生き方を見直す。
もっと幸せに生きようと思う。
光があるところに迷える者は集まってくる。
何もしなくても、日々の後ろ姿が迷える者を癒すんだね。
それが一番理想的なんだけど、まあ、そこまで一気には無理だよね。
だから、毎日時間を決めて、感謝と愛のエネルギーを送ればいいのではないの。
それが一番間違いがないと思うけど。

心から、
「ありがとうございます」
「成仏してください」
「どうか光の世界へ行ってください」
と、心を込めて感謝と愛のエネルギーを送るんだね。
それを毎日やれば、最高の先祖供養でしょう。
それで遍(あまね)く、すべての先祖にエネルギーが届くよね。
それは周り回って自分にも届くんだね。
まあ、そんな感じですが。


いろんな質問が来るたびに、自分の中で明確になるものがある。
お互いの関係性の中で事は進んでいく。
先祖供養に関しては、次の短歌に集約される。

『肉体の 先祖に届く 自(みずか)らの 愛と感謝と 日々の行い』
               
                
      
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時代
2010-07-21 Wed 14:10
                                              『誠蓮』
誠蓮ーseiren-1_10
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『時代』     
  
昨日のコメント欄に次のような質問があった。

「無知な中での質問で、スミマセン。
『まだ、わかってないの~?』って感じかもです。
何故、光に満ちてくる流れの中で、天変地異や、治安が悪くなったりと、
この世界の崩壊みたいなことが起きてくるのですか?
こういう状況になり、人は目覚めるから?
新しい生き方を求める過程の中で、古いものを脱ぎ去らなければ
ならないから?
私達がしてきた結果?

前に、人が目の前で亡くなっていくような状況が普通に起きてくるかも
しれない、と書かれていたのですが、そのような状況は少しでも避け
られないのですか?
確かに、今の地球の状況は私達が作り出してしまったもの。
そして、この波打つ地球で、生きているだけでもミラクル。
でも、今まで、沢山の人々が苦しみ、奪われてきたのに、もう人々は
充分体験したのに。
なのにそれ以上にこの世界が荒れるなんて。

新しい世界を求めて、新しい生き方を準備をしても、今、クリアであっても、
極限状態の中、人間がどうなるか、私はそういう人間の世界を少しだけど
みてきました。
人間ってそうだと思います。
そのような状態ですごく落ち着いている人もいるけれど。
この世界に住んでいけないような状況になってから、脱社会じゃなくて、
もっと、穏やかに、地球も人間もベースをつくってから次元上昇できない
のですか?

アセンションが宇宙の流れであれば、その流れに乗っていくのが自然ですが、
そこまで向かう過程は、私達によって、すごーく変わったりすることはあるの
ですか?
今の3次元も光の世界にしてから、次元上昇できたらいいのに。
(あれ変なこといってる??)」


その気持ちはよくわかります。
誰でも悲惨なことを目にしたくはないですよね。
平和のうちにアセンションできたら言うことはないですね。
みんながそうを望めば、そうなるのでしょうが・・・

でも、現実に目をやると、いたいけない子供たちが次々と殺されています。
凶悪犯罪は増加の一途です。
9・11以降、世界中が物騒になりました。
今も世界各地で戦争が続いています。
家庭内の争いも終わりを見ません。
肉親同士の殺し合いさえ起きています。
それが現実です。

この世界の現状から、どうやって平和裡にアセンションできるのでしょうか。
どうやったらそれが可能なのでしょうか。
こちらが質問したいのですが。
誰か答えられる人がいるでしょうか。

神に祈ればいい?
平和運動を広めればいい?
すべての宗教が神に祈っています。
すべての宗教が平和を口にしています。
それも昨日今日ではなく、何千年もの間。
それでも争いは終わりませんでした。
ユダヤとアラブの憎しみの歴史は、どうやったら終わらせることができるの
でしょうか。
人類の英知を持ってしても、未だ誰も終わらせることができないのです。

人は平和の中にいると、どうなるでしょうか。
アセンションを希求するでしょうか。
これまでの歴史は、そうではないことを物語っています。
ソドムとゴボラは同性愛の結果、死海に沈みました。
ローマ帝国の末期は、食欲と性欲に明け暮れていました。
古今東西、平和に溺れた民族は、やがて腐敗し堕落するのです。

明治維新の時、平和な改革を目指した公武合体の動きもありました。
でも、結局、実を結ぶことはありませんでした。
内戦を避けるために蟄居謹慎した徳川慶喜の気持ちは、鳥羽伏見の戦い
によって露と消えました。
時代が劇的に変わる時、平和ボケした古い人の出る幕はありません。
新しい時代は新しい人たちが切り開くのです。
平和の裡に革命が成就したことがあったでしょうか。
平和の中で人は新しい世界を求めるでしょうか。

日米開戦の際、当時の連合艦隊司令長官・山本五十六は、最後の最後まで
戦争回避に努めました。
しかし、日米交渉は決裂。
真珠湾攻撃となったのです。
その奇襲は戦争を短期間で終わらせるための山本五十六の苦肉の策でした。
ところが、日本では大戦果に戦意が盛り上がり、アメリカでは開戦通告のない
騙し討ちということで、それまであった和平論が姿を消し、一気に反日ムードと
なったのです。
山本五十六の目論見とは、まったく逆の結果になってしまいました。
それが時代の流れです。
時代の流れは一個人の平和の希望を打ち砕いてしまうのです。

キリストが新しい教えを説き始めた頃、ユダヤ教は形式的なものになり、
真に人を救うものではなくなっていました。
新しいことを始める人は古いものによって弾圧されます。
キリストは磔になり、その弟子たちは迫害されました。
平和を希求するなら、ユダヤ教のままの方がよかったのでしょうか。
腐敗堕落した司教たちの元で平和に暮らしていた方がよかったのでしょうか。
イエス・キリストは必要なかったのでしょうか。
文字どうり血と汗の結晶によってキリスト教は広まっていきました。
でも、それが権威になった時、また同じことが起きてしまうのです。
今の麻のように乱れた宗教界を統一することができるでしょうか。
同じように神を標榜しながら、お互いに争い合う宗教界を・・・

誰かメシアが現れて世界を救ってくれるのでしょうか。
私こそがメシアであるという人は、今監獄にいる髭ぼうぼうの人を始め、
たーくさんいます。
でも、世界は変わりません。
誰がいったい世界の現状を変えてくれるのでしょうか。
神様?
神様はどこにいるのでしょうか。
神の名は何と言うのでしょうか。
エホバですか、それともアラーですか。

肉体を浄化しようとする時、短期間に徹底的にやろうとすれば断食する
ことになります。
断食すると、どうなるでしょう?
これまで体内に溜まっていた毒素が一斉に吹き出します。
それは好転反応と呼ばれ、一定期間続きます。
その間は頭痛や吐き気や吹き出物など、とても苦しいものです。
でも、それが終わると、ウソのようにスッキリします。
溜まっていた毒素が出てしまったのです。

精神を浄化しようとすると、静かに瞑想することになります。
自分自身を見つめていると、これまで溜め込んだ恨みや憎しみや怒りや
恐れなどが大津波のように襲ってきます。
あまりの恐ろしさに直視できないくらいです。
でも、目を逸らせば精神が浄化されることはありません。
苦しくても見つめ続けるしかないのです。
それら溜まりに溜まっていたものが解放される時、精神は本来の空っぽ
になります。
青空のように意識が透き通るのです。

肉体も精神も短期間に浄化するには、それなりの苦痛が伴います。
溜め込んでいたものが多ければ多いほど、それは激しくなります。
自分が執着していたものを手放すのは、そう簡単ではありません。
今の自分を正直に見つめてみれば明白です。
個人にとっても心身を浄化して新しく生まれ変わるのは大変なことです。
まして人類となると・・・

そんな苦しみを見ないで、楽に解放されたい?
どうやったらそんなことができるのでしょうか。
もしそういう方法があったら教えてください。
もしあるのなら、みんながそうするでしょう。
でも、現状ではそんな夢のような方法は聞いたことがありません。
地道に一歩一歩やるしかないのです。
自分が播いた種は自分で刈り取るしかありません。
それは誰のせいでもないのだから。
自分がやったことなのだから。

もし、それが何かのせいであったとすれば、自分の人生とは何だったので
しょう?
何かにいいように操られた人生だったのでしょうか。
その場合、自分の主体性はどこにあるのでしょうか。
もし自分の人生が何かの結果であれば、自分の人生が変わるのも何かに
依存しなければなりません。
じっと自分の人生が変わるのを待つしかないのです。
そんな非主体的な生き方を、あなたは望みますか。
そうであれば、千年待つしかないでしょう。
待っても救われるという保証はありませんが・・・

今の世界の現状は、人類がこれまでに行ってきたことの結果です。
これまで潜在していたものが吹き出しているだけです。
吹き出さないことには、浄化されないのです。
人類のすべての潜在意識を解放する必要があるのです。
この数千年、いや数万年の間に溜めに溜めてきた怒りや憎しみや恨みや
恐れ・・・
それらのものを解放しない限り、人類が救われる道はないのです。

誰も救ってはくれません。
メシアは現れないのです。
一人一人が自分の救い主になるしかないのです。
その時にだけ、これまでの何生にも渡る人生が意味のあるものになります。
誰かに救ってもらったのでは何の意味もありません。
それでは何生にも渡る人生で何も学習しなかったということです。
ただ運命に翻弄される人生を生きてきたというだけです。
これまでの人生を総括し、学び、気づき、真の生き方を始める時です。
それがプログラムというものです。
あなたが望んだ人生プラン。
人類が望んだ地球でのプランなのです。

別に悲惨な現実をどうしても目にしなければならないということではありません。
でも、今の人類が目覚めるためには、他に道は見当たらないということです。
先のことはわかりませんが、その可能性が高いということです。
もっと平和的に移行できれば言うことはありません。
みんなが自己の本質に気づき、真の平和を希求すれば世界は変わるでしょう。
でも、はたして大多数の人がそのようになるでしょうか。
あなたはどう思いますか。

ハイアーセルフや守護霊は、時として愛する人を病気にさせたり交通事故に
遭わせたりします。
なぜでしょう?
愛するわが子が憎い人はいません。
でも、可愛い子には旅をさせろと言います。
病気になり交通事故に遭うことによって、気づいてほしいのです。
忘れている本来の自分自身に。
今生生まれてきた目的に。
本来の生き方に。
そのための方便なのです。

苦しみは喜びに至るための試練です。
その試練を超えて、人は真の喜びを体験するのです。
苦しみは苦しみのためにあるのではなく、更に深い喜びのためにあります。
だからこそ、苦しみを苦しみのままに終わらせてはいけないのです。
苦しみは苦しみを超えるためにのみ存在します。
苦しみを超えて真の喜びを体験するために、苦しみはこの世にあるのです。
それこそが深い深い愛なのです。
ただ黙って見守っている無上の愛なのです。

可愛い我が子が苦しむのを何もしないで見守る気持ちがわかりますか。
そこで手を出せば、子供は成長できないのです。
子供が自分で苦しみの原因を理解し、その苦しみの連鎖を断ち切る必要が
あるのです。
苦しみという現象だけに囚われないでください。
その奥にあるものを感じてください。
病気は病気のためにあるのでしょうか。
病気は人を苦しめるためにあるのでしょうか。
それとも、病気を通して健康のありがたさや、人の優しさをわかるために
あるのでしょうか。
病気という現象だけを見ないでください。
その奥にあるものを感じ取ってください。
病気の真の意味を理解してください。
人の真の生き方に気づいてください。

人は自らの真実に気づくために、自ら更に光り輝くために、この地球に
やって来ました。
苦しみを乗り超え、すばらしい世界を築くためにやって来たのです。
ただ苦しむためではありません。
苦しみを乗り超えることにこそ意味があるのです。
そして、今まさに人類はその時を迎えようとしています。
長い永い間待ちに待ったその時を。
何生も何生もかけて準備してきたその時を。
それが今なのです。

早く気づいてください。
自分自身の真実に。
外に求めないで、自分自身に求めてください。
あなたの中にすべてがあるのです。
この宇宙の始まりから終わりまで。
それがあなたという存在です。
あなたは宇宙であり、愛であり、光です。
あなたこそが真実です。
他に真実はないのです。
人は自分の中にすべてを持っているのです。
誰かに依存しないで、外に求めないで、自分自身にすべてを求めてください。
あなたの中に、すべてのすべてがあるのですから・・・
               
                >>日記 無色透明 『343日目 - 時代』 より

      
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今ここの意識
2010-07-17 Sat 06:48
                                              『朝陽』
朝陽ー04-r-sun_10
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『今ここの意識』     
  
みんなと同じような反応をしなくてもいいのかもしれない。
ほとんどの人が怒るような場面でも、怒らなくていいし、
ほとんどの人が泣くような場面でも、泣かなくていい。
みんなと同じように喜怒哀楽を表現しなくてもいいのかもしれない。
そろそろ、これまでの日本人のパターンから離れてもいいのかもしれない。

怒ってもいいし、怒らなくてもいい。
泣いてもいいし、泣かなくてもいい。
笑ってもいいし、笑わなくてもいい。
みんなと同じ反応をする必要はない。
これまでと同じパターンを繰り返す必要はない。
そろそろ、古い共同無意識から離脱してもいいのかもしれない。

ドラマや映画のパターンというものがある。
反応を予測してのパターン設定。
その古いパターンに囚われることはない。
もっと新鮮な生き方があるのかもしれない。

無色透明のクリアーな意識で物事を眺める。
良いも悪いもない。
自分を勘定に入れないで物事を見れたら、純粋に見ることができる。
自分との関わりで物事を見てしまうと、物事が歪んで見えてしまう。
自分の利害得失を離れて見ることができれば、ありのままを見ることができる。

感動したら、感動していればいい。
泣きたかったら、泣けばいい。
笑いたかったら、笑えばいい。
ありのままでいい。
ただ、終わったら、忘れる。
その場で完結させる。
いつまでも引きずらない。
その場、その場で完結させて、忘れる。
執着しない。

執着とは、過去を維持したい、再現したいということ。
自分にとって都合のよいことをキープしたいだけ。
それが執着。
しかし、それはしょせん無理なこと。
執着すれば、苦しみが生じるだけ。
すべて手放して今を生きるしかない。

目の前の現実は動いている。
変化のない現象はない。
自分の心も動いている。
外も内も変化しないものはない。
ならば、何を拠り所にして生きるか。
何も拠り所はない。
拠り所と思えるものも、次の瞬間変化している。
一定不変のものはない。
ならば、いかに生きるか。

すべてが変化している。
外側のことも心の内側も。
それでは虚しいと言う人がいる。
虚しいだろうか。
本当に虚しいだろうか。
それとも、それは単なる反応だろうか。
拠り所を求めている心が、拠り所を得ることができなくて虚しいのだろうか。
虚しいというのは、拠り所を求めるが故に起きる反応だろうか。
拠り所を求めていない心に、虚しさはあるだろうか。

すべてが変化していても、別に虚しくなる必要はない。
それは古いパターン。
共同無意識から来る共通の反応パターン。
ただ事実と共にいる。
別に虚しくはない。
ただの事実。

外側の変化は許せる。
でも、内側の変化は許せない?
それでは自分が不確かになってしまう?
自分とは?
何?

自分とは?
けっして一定していない。
子供の頃と今とでは体も心も異なる。
同じではない。
一時間前の自分と今の自分でさえ同じではない。
では、自分とは?
一定していなくて自分と言えるのだろうか?
自分とは名前?
容貌?
でも、外見も変わる。
洋服が違うと雰囲気まで変わってしまう。
カツラを被れば別人のように見える。
結婚すれば名前も変わる。
では、心が決め手?
しかし、心もコロコロ変わる。
では、自分とは?

一定していない。
固定していない。
それでも自分と言えるのだろうか?
ただ記憶だけ?
自分がいるのは記憶の中だけ?
それが正解かもしれない。
どこにも自分はいない。

アルバムの中にいる?
確かにいる。
でも、今の自分とは違う。
それでも自分?
過去の自分?
では、今の自分は?
ここにいる?
どこに?

今ここの意識、それしかない。
究極は、今ここの意識しかないのだ。
過去も未来もない。
ただ、今ここの意識があるだけ。
常にそう。
過去も未来も、今ここの意識があるだけ。
どこまで行っても、どこまで遡っても、あるのは今ここの意識だけ。
この意識、この意識だけ。

その、今ここの意識をベースに生きるしかない。
今ここの意識には「私」はない。
「私」はイメージ、コンセプト。
あると思っている概念。
幻想。
実際は、今ここの意識があるだけ。
常にそれしかない。
「私」は、過去の記憶からつくりだしたイメージ。
自分がつくった自分のイメージ。
単なる自画像。

「私」の実体は?
どこにもない。
瞬間・瞬間変化してやまないものの実体などあるはずがない。
それは「私」に限らない。
すべての実体が、ない。
まさに空。
色即是空。

目の前に見えるすべてのものの実相は、空。
あるようで、ない。
瞬間・瞬間変化してやまないものは、あるとは言えない。
あるように見えるだけ。
色即是空。

そして、ないものがあるように見える姿が、空即是色。
あるようで、ない。
ないようで、ある。


ただ、今ここの意識で生きるしかない。
それだけが確かなものだ。
すべてが持続するという先入観で生きると、どんでん返しを食らう。
それは思い込みであり、幻想。
ただ、今ここの意識があるだけ。
そのつもりで生きると、また人生が違ってくる。
何の執着もなくなる。

過去も未来も、すべて幻想。
過去世も未来世も、すべて幻想。
今ここの意識で思い描いているだけ。
あるのは常に今ここの意識だけ。
この意識だけが未来永劫続くもの。
始まりもなく終わりもないもの。
空であり、色であり、すべてであるもの。
今ここの意識だけが真実。
それだけがリアリティ。

すべてのものを自分に関係づけずに見る。
自分の利害得失から離れて見る。
純粋に物事を見る。
今ここの意識で見る。

あるのは、今ここの意識だけ。
               
                >>日記 無色透明 『295日目 - 今ここの意識』 より

      
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静かに聴き入る
2010-07-13 Tue 06:51
                                            『苔の夢』
苔の夢ーmoss-37_10
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『静かに聴き入る』     
  
自分の根底的な願いが明確ではない。
自分が真に望むものがわからない。
私には、私自身の願いすらわからない・・・

昨日の日記に対して、そういうコメントがあった。
それは多くの人の実感かもしれない。

自分自身の真の願いは何だろう?
今生はどんな願いを持って生まれてきたのだろう?

誰かに聞いてもわからない。
チャネリング情報に頼っても、それが本当かどうかわからない。
結局、わからない・・・

今、わからないならば、わからないままでいい。
無理にわかる必要はない。
わかろうと思って、すぐにわかるものでもない。

でも、「自分の真の願いは何だろう?」という疑問は、自分の中で持って
いた方がいい。
それを意識していると、意識していないでは、天と地ほどの差が生じる。
意識していない限り、何も気づくことはない。
まず意識することから、すべてが始まる。
疑問に思っていれば、やがてわかる時が来る。
真剣に求めれば求めるほど、それは早くなる。

絶えず自分自身に問うこと。
「本当は何をしたいの?」
「本当にしたいことは何なの?」

自分の気持ちを聴く。
静かに聴く。
ありのままの正直な気持ちを聴く。
どんな気持ちでもいい。
ありのままの素直な気持ちを聴く。

それは日替わりかもしれない。
気持ちは気分屋かもしれない。
それでも、静かに聴く。
ありのままの正直な気持ちを聴く。
それを気がついた時に、絶えず繰り返す。
そうする中で、徐々に自分の深い気持ちが表面に表れてくる。

良い悪いは一切ない。
ただありのままの気持ちと一緒にいる。
それが正直な自分。
ありのままの素の自分。

それでいいのだ。
ありのままの正直な自分が一番。
それが今の自分。
肩の力を抜いて、楽にありのままに生きればいい。
無理をしないで、見栄をはらないで、ありのままでいい。

絶えず自分の気持ちを聴く。
気づいたら聴く。
何かあったら聴く。
いつも自分の気持ちを聴く。
そうすると自分が落ち着く。
ありのままの自分でいられる。

良いも悪いもない。
優れているも劣っているもない。
正直にありのままの自分の気持ちを聴く。
それしかない。
それしか自分の深みにふれる方法はない。

人に聞いてもわからない。
結局、自分で納得しない限り何も変化は起きない。
自分自身に聴くことだ。
無理をしないで、お金をかけないで、ゆったりと聴けばいい。

自分の中にすべてはある。
すべてがあるのだから、ただそれを聴けばいいだけ。
何も難しいことはない。
ただ、そういうことをしたことがないだけ。
ただ、そういう習慣がないだけ。
だから、新しく始めればいいだけ。

ゆっくり自分自身と一緒にいる。
そして、自分自身の気持ちをよーく感じる。
別にそれを言葉にしなくてもいい。
ただ一緒にいればいい。
それだけでも気持ちは落ち着く。
気持ちが落ち着いたら、更に深い気持ちを感じてみる。
ふと、「何をしたいの?」と聞いてみてもいい。
そして、静かに自分の内に聴き入る。
自分と一緒にいる。

自分と一緒にいることが何よりもすばらしい。
ただ一緒にいる。
何の目的も何の意図もなく、ただ自分と一緒にいる。
自分の気持ちと一緒にいる。
自分の気持ちをよーく聴いてあげる。
何もしなくていい。
ただ自分と一緒にいて、自分の気持ちを感じていれば・・・

静かに、静かに自分と一緒にいる。
静かに、静かに自分自身に聴き入る。
               
                  >>日記 無色透明 『268日目 - 静かに聴き入る』 より

      
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リッチ?
2010-07-09 Fri 23:24
                                           『苔の神秘』
苔の神秘ーmoss-48_10
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『リッチ?』     

夜、電気を消すと、先程まで輝いていたゴールドルチルの水晶たちが、まったく
見えなくなる。
あの輝きはどこへ行ってしまったのだろうか?
光がないと、輝きはない。
色の世界とは、光の世界なのだ。
光がこの世に万華鏡のような色彩をもたらしている。
光がなければ、すべての色彩もない。
この美しい色の世界は、光の世界だったのだ。

では、闇の世界はどんな世界だろう?
電気を消してもあるもの?
それは、意識。
意識は変わらず存在し続けている。
色が光ならば、意識は闇。
色が万華鏡の世界ならば、意識は何もない世界。

色は姿形が見える世界。
そう、昼の世界。
意識は、姿形のない世界。
つまり、夜の世界。

この世は、昼の世界?
それとも、夜の世界?
昼間に見える姿形の世界は、夜の意識が投影されたもの。
この物質次元は、意識の投影。

まず意識の世界があって、それが投影されて姿形の世界ができる。
闇の世界にあったものが、光が当たることによって姿を現す。
まず意識の中に生まれ、それから現象化する。
けっしてその逆ではない。
それが宇宙の有り様。

お金があることがリッチだろうか?
物をたくさん持っていることがリッチだろうか?
この世では、そのような人をリッチと言う。
でも、それが本当のリッチだろうか?

この世は、内なる意識を表現するところ。
意識の中にある無限の可能性を光の中で現象化するところ。
この世は、お金や富を得るところではない。
それは本末転倒。
順番が逆なのだ。

意識が物を持って何になる?
意識がお金を持って何になる?
それは砂漠の中で札束を持っているようなものだ。
何の役にも立たない。
意識が自分自身を表現する場が、この世。
この世を生きるために意識が存在するわけではない。
意識の表現の場が、この世なのだ。

お金や富は、物質次元に条件づけられた豊かさでしかない。
この世で認められる豊かさではあっても、永遠の豊かさではない。
この世限りのささやかな豊かさなのだ。
真の豊かさとは、内なる豊かさ。
無限の無限の内から湧き出す豊かさなのだ。
汲めども尽きぬ豊かさが真の豊かさであり、それは無限の宇宙とつながる
豊かさなのだ。

一人一人の内に宇宙の無限とつながる豊かさが眠っている。
この世的な富を追い求めるのではなくて、内なる無限の豊かさに気づく時、
人は真にリッチになる。
限りある物質ではなくて、無限の宇宙の無限の意識の世界。
その世界にベースを置いて、この三次元に無限の表現を創り出す。
それはアートとしか言いようがない。
どのようなものであれ、真のアートは内側の深いところから湧き出すものだ。
だからこそ、みんなが共感し、感動する。
それは各自の内深くに共振するものがあるからだ。

この世に弄(もてあそ)ばれるのではなくて、この世を遊ぶ。
この世の中に自分自身を表現して、楽しむ。
そういう生き方の時代が、やがて来るだろう。
生き方が逆転する。

人は何のために生きるのか?
何かのためではなくて、自分自身を表現するために。
自分自身をアートするために。

色の世界は光の世界。
意識の闇に光を当て、それを現象化するところ。
内なる存在を外なる存在に顕現するところ。
無限の無限のアート。
無限の無限の創造。
ゆっくりと楽しもう。
                 
                  >>日記 無色透明 『266日目 - リッチ?』 より

      
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道なき道
2010-07-06 Tue 07:26
                                              『飛翔』
飛翔ーfly_10
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『道なき道』     

255日目の日記に対して、
「360度に広がる道を道と思えず歩けない?」
というコメントが寄せられた。

夜空を見上げてごらん。
星がいっぱいあるだろう。
どこに道があるの?

どこにも道はない。
宇宙の中に道はない。
道があるのは地上だけ。
それは人が歩いたから。
人が歩いていない原生林の中には道はない。

人の後を付いていくなら、道はある。
でも、行き着く先は?
少なくとも、その人より先へは行けない。
永遠にその人の後を付いていくしかない。

もしその人がとんでもない詐欺師だったら?
独裁的な支配者だったら?
悪の権化だったら?
それでも付いていく?

それがわかった時点で引き返す?
そして、また別の人の後を追いかける?
でも、その人も前の人より更にひどい人だったら?
また引き返す?

それを延々と繰り返す?
それも悪くはない。
それもまた経験。
でも、いつかは目覚める必要がある。

道は自分で切り開くしかないと。

実は、既に道は自分で切り開いている。
これまで生きてきた人生は、オンリーワン。
あなたと同じ人生を生きた人は誰もいない。
そういう意味では、既に道なき道を自分で切り開いて進んできたのだ。
既にそうして生きている。
それに気づいていないだけ。
自信がないだけ。

自信がないから、誰かに頼りたい。
確実な道を進みたい。
安全な道を教えてほしい・・・
でも、その自信がないという意識が、迷いの道へ導く。
真っ直ぐな道ではなくて、曲がりくねった寄り道をすることになる。
自信がないという不安な気持ちが、不安定な道へあなたを導くのだ。

この宇宙に道はない。
未知の世界を自ら切り開いて進むしかない。
宇宙の事象は一回生起。
二度と同じことは起きない。
だから、道と見えるものも、実際は単なる過去の記憶でしかない。

道はない。
宇宙に道はない。
瞬間瞬間の世界に道はない。

しかし、地上には道がある。
地球での人生行路では道が役に立つこともある。
なぜか?
波動が遅いから。
波動が遅いところでは、道も残っている。
実際の道路は役に立つ。
でも、宇宙空間に道路はない。

波動の遅いところを進むのなら、道が役に立つ。
人の後から進めばいい。
でも、宇宙の果てまで行きたかったら、道は役に立たない。
宇宙の果てには道はないから。
道なき道が宇宙だから。

独り道なき道を進む。
その覚悟がなければ、宇宙の果てまで行くことはできない。
実際は、既に独りで自分の人生を生きている。
ただその自覚がないだけ。
その覚悟ができていないだけ。

手探りで、試行錯誤で進めばいい。
自分の道を、自分の生き方で。
それで何も問題はない。
不安?
恐れることはない。
既にそのように生きているのだから。
ただ、それをはっきりと自覚すればいいだけ。

道なき道は、逆に言うと、自由でもある。
決まったルートというのは不自由。
何もないから、何でもできる。
何でも望み通りのものをクリエイトできる。
だから、前向きに自由に生きればいい。

既に自由。
既に道なき道を生きている。
既に独自の道を進んでいる。
独り自分の道を歩んでいるのだ。
それに気づいていないだけなのだ。

今、この瞬間、自由であり、何も束縛するものはない。
一旦、すべてを白紙に戻して、もう一度自分の人生を見つめ直してみるといい。
すべての束縛は、自分の思い込み。
実際は何の束縛もない。
この瞬間、まったく自由。
そこから、もう一度人生をやり直してもいい。
それは常に可能なこと。

道なき道を歩む。
自分の道を歩む。
宇宙に唯一の道を歩む。
手探りで、試行錯誤しながら、独り宇宙を生きる。

何も恐れることはない。
恐れは自分が創り出しているだけ。
事実を直視すれば、恐れは消える。

何もない空っぽの状態で、日々暮らしていく。
空に鳥が飛ぶように、海に魚が泳ぐように、のびのびと、おおらかに生きていく。
何もない。
縛るものは何もない。
自己限定を手放せば、束縛するものは一切ない。
ただ限りない空間があるだけ・・・
                 
                  >>日記 無色透明 『258日目 - 道なき道』 より

      
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ポジティブ
2010-07-01 Thu 08:25
                                        『晴れの屋久島』
晴れの屋久島ー03-july_07_10
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『ポジティブ』     

ポジティブという言葉にも二種類の意味がある。
一つは相対的なポジティブ。
もう一つは絶対的なポジティブ。

人は常に前向きに生きるしかない。
過去の教訓を生かして、前を向いて生きるしかないのだ。
それは絶対的なポジティブ。
他に選択肢はない。
それが本来の生きる道だ。
だから、絶対的なポジティブ。
人の生き方としての道。

もう一つの相対的なポジティブは、功利的なポジティブ。
便宜的というか、自分に都合がいいから、自分にとってプラスになるから、
ポジティブに考える。
もしネガティブに考えた方が自分にとって得であれば、きっとそうするであろう
日和見主義的なポジティブ。
あなたにとって得だから、リッチになれるし欲望は何でもかなうから、ポジティブ
に考えましょう、というポジティブシンキング。
それはネガティブに考えると、自分にとって不利になるから、ポジティブに考え
ましょうという、極めて功利的な考え方。
自己中心的というか、自分の利益を第一に考えた生き方。
それはネガティブあってのポジティブ。
ネガティブではだめだから、ポジティブに考えましょうという相対的なポジティブ。

そういう意味でのポジティブシンキングには、かなり無理がある。
自分にとっては悲劇としか思えない現実を、無理してポジティブに考える必要がある。
ポジティブに考えることによって自分の未来がバラ色になるならと、ギブ・アンド・
テイクみたいな、取引関係のポジティブ。
それは本当の意味でのポジティブではない。
絶対的なポジティブではない。
揺れ動くポジティブ。
「これでいいのだろうか」
「本当にこれで大丈夫だろうか」
常に不安がつきまとう。
故に、なかなか真のポジティブになりきれない。
常に疑問を伴い、完全なポジティブにはほど遠い。
それ故、思ったような結果が出ない。
一抹の疑念でもあれば、想いは現実化しない。
逆に、疑念の方が強ければ、疑念の方が現実化してしまう。
これがポジティブシンキングの陥りやすい落とし穴。

多くの人がここのところで行き詰まってしまう。
ポジティブシンキングで成功する人は少ない。
最後まで全うできないのだ。
途中で疑念の方が大きく心を占めてしまう。
それではネガティブシンキングだ。

相対的なポジティブシンキングは、その裏にネガティブシンキングを隠し持っている。
ポジティブとネガティブは表裏一体なのだ。
一歩間違えば、すぐにネガティブにひっくり返るのが相対的なポジティブである。
相対的なポジティブは、ネガティブの否定の上に成り立っている以上、常に
ネガティブをはらんでいるのだ。
つまり、ネガティブあってのポジティブなのだ。
ポジティブだけでは存在できないのだ。
それが相対的なポジティブシンキングの限界である。
ある時はポジティブであり、別の時はネガティブに反転する。
相対的なポジティブの宿命である。

一方、絶対的なポジティブというのも存在する。
それはネガティブを前提としないポジティブである。
故に、絶対的なポジティブなのだ。
不動のポジティブ。
揺らぐことのないポジティブ。
ネガティブに反転することのないポジティブ。
それは理解から生まれる。
人生の理解から生まれる。
深い人生の洞察から生まれるのだ。
前向きに生きるしかない。
他に選択の余地はない。
それが真に理解された時、人は絶対的なポジティブになる。

後退はない。
前進あるのみ。
それが人生だ。
前を向いて生きるしかない。
後退はあり得ない。
無限の未来に向かって進むのみ。
実際は、前も後ろもない。
ただ、今を生きるのみ。
生きる姿勢なのだ。
真剣に生きることだ。
前とか後ろというのは喩え。
生きる姿勢だ。
エネルギーのほとばしりだ。
萎縮していないということ。
静かに活性化しているということ。
絶対的なポジティブ。
消えることのない炎。
煌めき続ける光。
                 
                 >>日記 無色透明 『29日目 - ポジティブ』 より

      
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