いのちの写真と光の言葉
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アリンコ
2010-06-26 Sat 14:17
                                        『安房の海の虹』
安房の海の虹ー04-rainbow_10
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『アリンコ』     

魂サイドから人間を見ると、どんな感じがするだろうか。

人間の視点からアリンコを見ると、とても小さく見える。
しゃがまなければ見えないくらいだ。
人間から見ると、アリンコはほとんど二次元の平面を歩いているかのように
見える。
人間の感覚とは、まったく次元が異なる感じがする。
人間と魂との関係も、こんな感じではないだろうか。

人間の視点からアリンコを見ていると、行く手に障害物があるのがわかる。
でも、アリンコにはわからない。
そのまま行ったら危ないよ、と叫びたくなる。
でも、アリンコにはその声は届かない。
アリンコは自分のペースで進んでいく。
そして、その障害物の前で立ち止まり、躊躇している。
行くべきか、行かざるべきか・・・

人間の視点から見ていると、そこは右へ行った方がいいよ、と言いたくなる。
でも、アリンコは左へ行ってしまう。
魂も同じような思いで人間を眺めているのだろうか。
そっちへ行ったら苦労するのがわかっていても、どうすることもできない。
テレパシーを送っても、人間はキャッチしてくれない。

たまには、なんとなく閃いて右へ行くこともある。
しかし、物質次元にのめり込んでいると、魂の信号をキャッチすることは
できない。
ただ目先の欲に囚われ、物質的富を追い求める。
スピリチュアルに生きることは忘却の彼方。
この世に生まれてきた目的も思い出せない。

魂サイドから見ると、人間は物質次元の代理人。
魂代表。
魂の全権を委任され、この物質次元で魂の表現をするために派遣される。
天にあるごとく、地にも調和された世界を創り出すのだ。
そのためには、まず物質次元の体験をして、物質の特徴を学ぶ必要がある。
ところが、その過程で物質次元の魅力に囚われてしまうのだ。
思わぬ肉体の快楽に溺れてしまう。
物質の悦楽に酔ってしまうのだ。
肉体も物質も悪くはない。
いや、最高かもしれない。
スピリチュアルよりも波動が遅い分、確実に実感できる。
そのため、物質世界を体験している途中で、物質世界にはまってしまうのだ。

まあ、いいか。
と、魂は思っているだろうか?
少なくとも短期的な視点で見ていないことだけは確かだ。
何回も何回も輪廻転生させて、物質次元を学んでいる。
アリンコを取っ替え引っ替えして、この世というものを学習しているのだ。
そして、やがてこの世に地上天国を創りたいと思っている。
天を写したような地上にしたいのだ。
つまり、宇宙の源の意志を反映したような地上だ。

ただ、そこに至るまでに紆余曲折がある。
三次元のドラマが展開している。
魂代表を何回送っても、物質の魅力に呑み込まれてしまう。
それでも別のアリンコを創造して送り出すのが魂の役目だ。
これまでの地上での経験を踏まえ、更に強力バージョンにして地上に送り出す。
それを延々と魂はやってきた。

そして、最後の切り札が、あなたかもしれない。
魂の最終代表バージョン。
これで決めてくれよ!
魂の声が聞こえる。

あまりにも代表アリンコが無茶をすると、時に交通事故に遭わせたり、病気に
したりして、自分自身を見つめる時間を持たせる。
もう一度、この世に生まれてきた目的を再確認させるために、敢えて苦難と
呼ばれることも魂は選ぶ。
魂にとっては、物質的富など何の価値もない。
ひたすら物質次元を学び、宇宙の調和を物質次元に実現してほしいだけだ。
だから、そのための多少の苦難には目をつぶることもある。
大切なのは物質的満足ではなくて、スピリチュアルと物質の調和なのだ。
スピリチュアルのごとく物質次元を創造することなのだ。

魂にとっては、アリンコは小指の先よりも小さい。
でも、小指の先が傷ついても、痛みに変わりはない。
本当に祈るような気持ちで、アリンコを見守っているのだ。
生まれてきた目的を思い出し、成就してほしい。
それがこれまでの数え切れないくらいの兄弟アリンコたちの努力に報いる道だ。

これまで、どれだけのアリンコが地上に派遣されたことだろう。
もう数え切れないくらいだ。
それによって、たくさんの経験が蓄積された。
それらの経験を踏まえて、今生の計画は立てられている。
今地上にいるアリンコも一緒に立てた完璧な計画だ。
その計画を遂行するために、魂サイドでは地上経験豊かな兄弟アリンコたちが
守護霊や指導霊となって、いろいろサポートしている。
一人のアリンコのために、多くの魂の兄弟がサポートしている。

「一寸の虫にも五分の魂」と、ことわざにもある。
どんなアリンコにも、魂が宿っている。
それがアリンコにとっては、ふるさとであり、源なのだ。
そこから派遣されているのだ。
魂の代表として。
地上の経験をして、地上天国を創るために。
自分の中にある可能性を花開かせるために。
魂の中にある可能性を、地上のアリンコを通して花開かせるのだ。
この物質次元に。
それが魂の計画だ。
いや、魂だけでなく、生まれてくる前に魂と約束したアリンコの計画でもある。

魂は、直接、三次元のことに関わることはできない。
三次元代表は、あくまでアリンコだ。
それだけ、アリンコへの期待は大きい。
どうか魂代表として、地上で魂の花を咲かせてほしい。
そう願い、祈っているに違いない。

そんなことも知らないアリンコは、今日も物質次元を一生懸命生きている。
地上に這いつくばるように生きている。
魂次元から見ると、危なっかしくて見ていられない。
でも、アリンコを信頼して見守るしかない。
なにしろ自分自身の分身なのだから。
魂の一部なのだから。

地上には、アリンコがたーくさん。
天上には、それを見守る魂がたーくさん。
それぞれの魂が、全力でアリンコをサポートしている。
アリンコの兄弟たちも必死だ。
なぜなら、時が迫っているから。
地球の時が迫っている。

地球が新しく生まれ変わる時。
すべての存在が、いきいきと甦る時。
地上にあるものが、本来の生き方に目覚める時。
新しい時代が、もう目の前なのだ。
その時に合わせて、アリンコたちは生まれてきた。
この時を自ら選んで、今、地上にやってきたのだ。
それを思い出す時なのだ。

時は満ちてきた。
約束の時が。
思い出す時が。
本来の自分自身を。
地上に降りてきた目的を。
一人一人が思い出す時なのだ。

アリンコは小さい。
人間の視点から見たら、とても小さい。
でも、アリンコにも五分の魂がある。
何物にも代え難い貴重な魂。
宇宙の源につながる魂。
その魂に気づく時なのだ。

アリンコは、あなただ。
魂代表は、あなたなのだ。
あなたが、あなたの魂を代表して、この地上へ派遣されたのだ。
あなたが自ら志願して、今の時代を選び、この地上へやって来たのだ。
すべての魂の兄弟たちの中から、あなたが選ばれたのだ。
多くの魂の兄弟たちの祝福を受けて、あなたはここへ降りてきた。
そして、今も多くの兄弟たちが目に見えないところでサポートしている。

あなたのために、どれだけ多くの兄弟が努力していることか。
あなたを愛しているから。
あなたを大好きだから。
あなたを心から応援しているから。
そう、みんなが見守っている。
あなたの周りを魂の兄弟たちがやさしく取り囲んでいる。

あなたを魂本体が、まるで母親のようにやさしく包んでいる。
あなたは、今も守られている。
今もサポートされている。
一人ではない。
一人でアリンコをこの地上の荒波の中へ放り出したりはしない。
完璧なサポート体制が整っている。

だから、自分を信頼してほしい。
自分自身を何よりも信頼してほしい。
自分自身を信頼することが、魂とつながる道だ。
なぜなら、あなた自身が魂なのだから。
そう、あなたと魂は一つなのだ。
不離一体。
あなたは魂であり、魂はあなただ。
やがてその事実に気づく時がくる。
その時まで、魂はあなたをやさしく抱きしめて見守っていることだろう。
限りない愛と共に。
                 
                >>日記 無色透明 『173日目 - アリンコ』 より

      
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煌(きら)めき
2010-06-22 Tue 06:00
                                        『永田いなか浜』
永田いなか浜ーnagata-01_10
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『煌(きら)めき』     

「私」は思い込み。
感情も思い込みから出てくる。
人の意識のほとんどは思い込みからできている。
なに?
そんなことはない?
そうかな?

何もかもが思い込みなら、思い込みでないものはないのだろうか。
すべてが思い込みという訳ではない。
目の前にあるものは思い込みではない。
目の前のパソコンは、そこにある。
だからこそ、この日記が読める。

では、何が思い込みか。
この日記がずーっと続くと思うのが、思い込み。
明日終わるかもしれない。
今、目の前にあるのは事実。
でも、明日もあると思うのは思い込み。

思い込みというのは、意識の世界。
事実というのは、意識の外の世界。
思い込みというのは、自分一人の世界。
狭い、狭い「私」ワールド。
他の人との共通性はない。
もっとも、集団思い込みというのもあるにはある。
それはマスコミや教育によってつくられる。

でも、思い込みというのは、基本的に自分の世界に浸っている場合が多い。
だから、周りの思い込みとは異なる。
その結果、周りと軋轢が生じる。
最終的には、戦争にまで発展することもある。

つまり、思い込みとは、信念であり、信条であり、信仰であり、人生観であり、
モットーであり、意見であり・・・
それらが一人一人異なるということ。
だから、意見が合わなかったり、食い違ったりする。

思い込みは、これまでの人生経験によってつくられる。
だから、すべて過去のもの。
過去の遺物。
今、この瞬間には思い込みはない。
思い込みは、すべて頭の中にある。
記憶の中にある。

思い込みとは、曇空のようなものだろうか。
どんよりとして、うっとうしい。
まったくクリアーではない。
重たくのしかかる。
閉塞感。
自由ではないのだ。

思い込みと対極にあるものは?
曇り空の反対。
そう、青空。
どこまでも澄み渡った青空。

何もない空間。
限りない光がある空間。
空っぽの空間。
自由な空。

しかし、それは雲が晴れないと見ることはできない。
思い込みという雲が晴れないと、青空というリアリティは見れない。

仏教では、思い込みのことをマーヤと言う。
つまり、幻(まぼろし)ということ。
人生はマーヤ。
幻の人生。
思い込みの人生。
幻想の人生。
思い込みが消えた時だけ、真実が現れる。
それがリアリティ。

人は思考によって生きている。
つまり、思い。
この思いと自己同一化している。
自分が思いそのものになっている。
人は思いの世界に埋没している。
それがマーヤ。
幻の人生。

人は、肉体も感情も思考も自分自身だと思っている。
まさに、それこそが思い込み。
肉体は、時々、自分の言うことを聞かなくなる。
感情も、勝手に爆発したりする。
思考も、いつも独り言を言っている。
そう、自分のはずなのに、自分の思うようにならない。
なぜ?

肉体も、感情も、思考も、本当に自分自身だろうか。
それとも、それは仮のものだろうか。
今、一緒にいるだけのものだろうか。
肉体に入り、感情を感じ、思考を使っているだけだろうか。
そういう体験をしているのだろうか。
自分は、肉体でも、感情でも、思考でもなく、他の何かだろうか。
魂?
そんなに焦らないで。
ゆっくり、一歩、一歩。

魂?
それもまた思い込みかもしれない。
なぜなら、魂を見たことある?
見たことのない人が圧倒的だろう。
たぶん、人から聞いたり、本で読んだり・・・
それはイメージ、つまり、思い込み。

肉体と一緒にいてみる。
そして、肉体を理解する。
感情と一緒にいてみる。
そして、感情を理解する。
思考と一緒にいてみる。
そして、思考を理解する。

魂と一緒にいてみる?
どうやって?
知らないものは一緒にいられない。

目の前の事実=わかっていることから始めよう。
一歩、一歩、着実に。
一気に飛躍しないように。
そうすれば、やがて魂もわかるかもしれない。
一つ一つ理解していけば、やがて魂の順番になるだろう。
でも、飛躍しないように。
ちゃんとグランディングしないと。

肉体を理解し、感情を理解し、思考を理解する。
それらと一緒にいて、それらを理解する。
それができれば、それらに振り回されなくなる。
そうなれば、自分は肉体でも、感情でも、思考でもなくなる。
自分は肉体であり、肉体ではない。
自分は感情であり、感情ではない。
自分は思考であり、思考ではない。
自分は・・・?

静かに自分を見守っているといい。
肉体に翻弄されたり、感情の奴隷になったり、思考の虜になったりしない。
それらのものと一緒にいて、それらのものを体験し、同時にそれらのものを
見守っている。
けっして、それらに使われない。
主体性をキープする。
自分自身であり続ける。
肉体でも、感情でも、思考でもない。
自分は、自分。

肉体とも、感情とも、思考とも、少し距離を置いて付き合えるだろうか。
そうすれば、それらに翻弄されないかもしれない。
そうすれば、それらとうまく付き合えるかもしれない。
自己同一化しないで、ほんのちょっと距離を持つ。
そうすれば、もう少し楽に生きれるかもしれない。
肉体や感情や思考とベッタリくっついていると、不自由だ。
ちょっとだけ距離があると、楽に生きれる。

肉体と感情と思考からできている「私」とも、ちょっと距離を取ろう。
「私」と自己同一化していると、息苦しくなる。
だから、ほんのちょっと離れてみる。
そうすると、別の人生が始まるかもしれない。
肉体でも、感情でも、思考でもない人生。
どんな人生?
自分を見守る人生?
自分で確かめて。

魚座という思い込みの時代から、水瓶座というクリアーな意識の時代へ
変わろうとしている。
もう、肉体や感情や思考との自己同一化から抜け出す時期ではないだ
ろうか。
もう、「私」という殻を脱ぐ時ではないだろうか。
サナギから脱皮して、大空を自由に舞う。
風に吹かれ、花の香りに誘われ、太陽の光を浴びる。
自由に望むところへ飛ぶ・・・
「私」という頸木(くびき)から解放されたら、人はそうなるだろう。
物質的な三次元限定バージョンから、多次元的な宇宙バージョンへ脱皮
しようとしている。

思い込みから来る同情や慈善ではなくて、もっと違うものがあるかもしれない。
過去をベースにした、やさしさではなくて、もっと違うものがあるかもしれない。
自分の経験をベースにした、あたたかさではなくて、もっと違うものがあるかも
しれない。
思いもかけないようなやさしさが、突然、湧いてくるかもしれない。
事実に直面した時、予想もしないあたたかさが自分の内から湧き出すかも
しれない。
過去の思い込みではなく、今に生きる時、思いもかけない人生が展開する
かもしれない。
人生は、不思議だ。

雷鳴が轟き、稲妻が走る。
人の意識も、あのようなものだろうか。

意識は、光。
瞬間の煌(きら)めき。
火花のような、稲妻のような煌めき。
                 
               >>日記 無色透明 『166日目 - 煌(きら)めき』 より

      
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美しさのふるさと
2010-06-15 Tue 07:03
                                           『大庭石菖』
大庭石菖ーooniwazekisyou_10
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『美しさのふるさと』     

植えた覚えもないような小さな花が咲いている。
雑草と呼ばれる類だろうが、この上なく美しい。
写真に撮りたかったけれども、少し風があったのでやめておいた。
夕方には萎(しぼ)んでいたので、朝方に撮影した方がいいだろう。
朝露があれば最高だが、その日の天気によって異なる。
朝露がある日もあれば、ない日もある。
湿度の関係だろうか・・・

こんなに美しいものをタダで見られるなんて、なんと神様は気前がいいことだろう。
本当に美しいものは、たいていタダだ。
どうしてだろう?
本当に美しいものは、お金では買えないということだろうか。

美しいものを見るのに必要なものは何だろう?
少なくともお金ではなさそうだ。
では、何だろう?
それは心ではないだろうか。
美しいものを美しいと感じる心。
その心がなかったら、目の前にどんなに美しいものがあっても、それはないに等しい。
もし美しいものを美しいと感じる心があったら、どんな小さな美しさも見逃さないだろう。
たとえ他の人が何も感じなくても、美しさを見い出すことができるに違いない。

美しさとは、目の前に存在するものだろうか。
それとも感じるものだろうか。
少なくとも感じる心がなければ、美しさを感じることはできそうにない。
お金だけに意識が行っていては、美しさを感じることはできないだろう。
しかし、いくら感じる心があっても、目の前が灰色のコンクリートで囲まれていたら、
美しさを感じることができるだろうか。
美しさが目の前に存在し、その美しさを感じる心が存在する時、美しさが生まれるの
だろうか。

美しさを感じる心は、美しい。
美しさを感じる心が、美しい。
なぜなら、そこには限りない美しさが秘められているから。
美しさを感じる心の中にこそ、限りない美しさが秘められているのだ。

美しさを極めれば、何になるだろうか。
美しさを極めれば、愛になるだろうか。
美しさを極めれば、光になるだろうか。
美しさを極めれば、いのちになるだろうか。
美しさを極めれば、ひとつのいのちになるだろうか。
美しさを極めれば、すべてを生かすひとつのいのちになるだろうか。

美しい。
ただ美しい。
限りなく美しい。
限りない美しさは、具象から抽象へ変わる。
花の美しさではなくて、美しさそのものへと変わる。
ただ美しい。
花を生きるいのちが美しい。
そのいのちの輝きが美しい。
花を生きるいのちと、人を生きるいのちが共鳴する。
花を生きるいのちと、人を生きるいのちが共振する。
いのちといのち。
同じいのちが共振する。
同じいのちであるがゆえに共鳴する。
共に泣くのだ。
感動にうち震えるのだ。
その時、花は人であり、人は花となる。
いのちに差異はない。
いのちはいのち。
ひとつのいのち。
共に生きるひとつのいのち。
花であり、人であり、土であり、空であり、水であり、空気であり・・・
形は異なっていても、いのちはいのち。
ひとつのいのちの異なる姿。

共鳴し、共振し、ひとつのいのちを生きる。
生も死も超えてあり続ける、いのち。
すべてを生かし、すべてを眠らせ、すべてを甦らせる、いのち。
すべてに流れる、いのち。
いのちの共鳴が、美しい。
いのちの共振が、美しい。
いのちといのちの響き合いが、美しい。

いのちにいのちが反応する。
いのちがいのちを目覚めさせる。
いのちといのちのときめき。
それが美しさだ。

いのちといのち、二つのいのちがひとつになる時、美しさが生まれる。
二つのいのちが、ひとつのいのちに戻る時、美しさが甦る。
美しさとは、いのちの源。
いのちの源へ還ることが、美しさなのだ。

野の花の一輪の中に いのちのふるさとがある
花のいのちと人のいのち
二つのいのちがひとつになる時
ふるさとへ還る
いのちのふるさとへ
ひとつのいのちのふるさとへ
美しさというふるさとへ還る
                 
               >>日記 無色透明 『104日目 - 美しさのふるさと』 より

      
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大丈夫だよ
2010-06-10 Thu 15:08
                                      『雫のダイヤモンド』
雫のダイヤモンドーdrop-2_10
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『大丈夫だよ』     

両親の愛情に恵まれて育った子は、愛情豊かな人になる。
周りからの愛に恵まれずに育った子は、愛を表現することができない。
悲しいけれども、これが一般的な傾向だ。

そして、愛を素直に表現できない人の、なんと多いことか。
それだけ十分な愛をもらえなかったということだろうか。
親は親なりに、できるだけの愛を注いで育てたつもりかもしれない。
でも、それだけでは子供にとっては足りなかったのだ。
あるいは、あまり子育てに関心がない親や他のことで手一杯の親もいた
のかもしれない。
いずれにしても、子供には愛情が不足していた。

愛に満ちたところで育った人は、周りの人も愛せるようになる。
自分自身を信頼し、周りの人も信頼できるようになる。
でも、愛が足りなかった人は、自分自身に自信が持てない。
当然、周りの人も信じられない。
信じられないから、愛することもできない。
前者は好循環、後者は悪循環。

愛情豊かに育った人は、人生を肯定できる。
すべてのことにポジティブに対処できる。
でも、愛が満たされなかった人は、人生を肯定できない。
神を信じられない。
自分だけが不幸のどん底にいるような気分になる。
当然、すべてのことにネガティブになる。

愛情ある家庭で育った人は、心が豊かだ。
認められ、信頼され、愛されて育った人は、周りの人も認め、信頼し、
愛することができる。
一方、いつも認めてもらえなかった人は、心がさびしい。
いつも自分を否定されてきた人は、自分で自分を責めるようになる。

前者は幸せな人生となり、後者は困難な人生となる。
すべてがこうなるわけでも、公式どうりにいくわけでもない。
しかし、一般的な傾向としては、このようになりやすい。
そういう事実を踏まえて、では、どうするか。
愛情に包まれて育った人は問題ない。
自分で十分生きていける。
問題はそうではない人だ。
あるいは、ほどほどの愛情はあったけれども、それでは足りなかった
という大多数の人たちだ。

そういう人たちは、いまさら子供時代には戻れないので、今の自分を
癒すしかない。
自分の中にいる子供の部分を癒すしかない。
愛情が足りなかったために、まだ自立していない幼子。
今も愛情を欲しがっている自分の中の子供。
それが多くの人の潜在意識の中に住むインナーチャイルド。
その子を自分で癒すしかない。

では、どうやって癒すのだろうか。
簡単と言えば簡単。
難しいと言えば難しい。
要は、足りなかった愛情を注いであげることだ。
愛が満ちれば、その子は自分を信頼し、自分に自信を持ち、人を愛する
ことができるようになる。
では、どうやって内なる子供に愛情を注ぐのだろうか。

その前に、一つ気づいてほしいことがある。
それは愛に飢えて育った人にも、自然に愛を満たすチャンスが与えられて
いるということ。
それは自分の子供を持ち、子供を育てる過程で、自分自身も癒される可能
性があるということ。
もしその人が自分がやられたようにではなく、その逆を子供にすることが
できたら、その時、その人は子育てを通じて自分も癒される。
ところが、悲しいかな、自分が知っている子育てしかできない親のなんと
多いことだろう。
それでは愛情不足の再生産だ。

それがこれまでの人類の歴史だった。
一部の人を除いて、大多数の人にとって愛情は足りていなかった。
それは仕方がないのかもしれない。
その親も、そのまた親も、ずーっとそのまた親も、みんな愛情不足だったの
だから。
それがどんどん悪化してきただけなのだ。
しかし、何事も極まれば逆転する。
愛が極限まで少なくなれば、愛は満ち始める。
それが自然の理(ことわり)というもの。

流れは既に逆転し始めている。
闇は光に変わろうとしている。
愛の潮は満ち始めているのだ。
これまで足りなかった愛が、満たされる時代になろうとしている。
これから降るような愛の時代がやってくるだろう。
みんなが幸せに育つ時代になるだろう。
そして、その子も更に幸せな子育てをするようになるだろう。
人類全体が幸せになっていく。

その前に、今、やるべきことがある。
そう、十分な愛が足りなかった人は、自分で自分に愛を注ごう。
やり方は、こうだ。

先ず自分の内なる子供を感じてみよう。
どこにいるのかな?
何て言ってるのかな?
何を欲しがっているのだろう?
何をしたがっているのだろう?

静かに内なる子供と一緒にいる。
そして、何を言いたいのかよーく聞いてあげる。
みんな黙って聞いてあげる。
一切反論しないで聞いてあげる。
そして、心からわかってあげる。
子供の気持ちを心からわかってあげる。

そして、そのまま認めてあげる。
すべてを無条件に認めてあげる。
それから、黙って抱きしめてあげる。
あなたの最愛の子供を。
あなた自身の内なる子供を黙って抱きしめてあげる。

その子のすべての感情を否定しない。
ありのまますべてを認めてあげる。
良いも悪いもなく、そのまま認めてあげる。
その子の存在そのものを肯定してあげる。
その子を心から信頼してあげる。

その子の気持ちを大切にしてあげよう。
その子の気持ちを尊重してあげよう。
自分がされたような命令や押しつけは一切いらない。
いつもその子の傍(そば)にいてあげよう。
いつもその子の立場にいてあげよう。

いつも、いつも一緒にいるよと言ってあげよう。
大丈夫だよ、心配しないでいいよと言ってあげよう。
守ってあげるから、思いっきり生きてごらんと言ってあげよう。
どこにもやったりしないから、いつも見守っているからと言ってあげよう。

子供を全面的に受け止めてあげよう。
子供を無条件に受け止めてあげよう。
そのまま、ありのまま、すべてを抱きしめてあげよう。
強く、強く抱きしめてあげよう。
心から抱きしめてあげよう。

人は先ず自分が満たされる必要がある。
自分が満たされてないのに、どうして他の人を愛することができるだろうか。
自分の心が愛で満たされたなら、愛は自然に心からあふれ出てくる。
何かの機会に自然に愛はこぼれ出てくるのだ。

愛とは、愛そうと思って愛せるものだろうか。
意識的に努力することによって愛せるものだろうか。
それとも、泉のように愛は湧き出すものだろうか。
なんの努力の必要もなく、内側からこんこんと湧き出すものだろうか。

愛そうと努める愛は本当の愛だろうか。
自然に湧き出す愛だけが本当の愛だろうか。
愛に努力はいるのだろうか。
愛は愛ゆえに愛となるのだろうか。

もし子供がいる人は、上に書かれていることを、自分の子供に対して
やってみるといいだろう。
もし子供がいない人は、上に書かれていることを、自分の内なる子供に
やってみるといいだろう。
とにかく始めることだ。
始めれば動き出す。
始めれば変わり出すのだ。

子供を育てることは、自分を癒すことでもある。
自分がしてもらえなかったことを子供にすることによって、自分が癒される。
子供に愛情を注ぐことは、自分の内なる子供に愛情を注ぐことでもある。
子供が幸せになることによって、自分も幸せになることができる。
子育てとは、親のためにあるようなものだ。
子供によって、親は癒されるのである。
真の子育てをすれば、自分の子供時代の心の傷も癒される。
すばらしきかな人生!
子供を育てているつもりが、実は自分が癒されている。
子供はまさに天使であり、親の救い主なのだ。
この上ないシステムが自然にインプットされているのだ。

実は、子供を育てることは必要ない。
子供は自分で育つ。
子供は生まれてくる時に、自分の人生の設計図を持ってくる。
親はその設計図が実現できるようにサポートするだけだ。
主役は子供。
親は脇役だ。
親の希望を押しつけるのではなく、子供の希望を尊重しよう。
子供は自ら生きるためのエネルギーを持ってくる。
親はそのエネルギーが素直に花開くように環境を整える役目だ。
子供が花開くのを見守るのが親の勤めだ。

子供がいない人は、自分の内なる子供を育てよう。
本当の子育てと同じように、自分も癒されるだろう。
とにかく、内なる子供が癒されないことには、あなたは心から人を愛せ
ないのだから。
人を愛したつもりが、人から愛を欲しがっている。
お互いが愛を求める時、愛は枯れてしまう。
お互いが愛を与える時、愛は更に満ちあふれる。


一回だけでなく、何回も何回も繰り返し自分の内なる子供とお話しされる
ことをお薦めします。
本当の子育てのつもりで、毎日、内なる子供と付き合ってあげてください。
そのうちに、内なる子供は育ちます。
やがて愛で満たされることでしょう。
内なる子供が癒されることは、あなたが癒されることです。
あなたが癒されることは、人類が癒されることです。
人類が癒されることは、愛の循環が始まるということです。
すばらしい愛の時代の幕開けです。
どうか、あなたの内なる子供を大切に育ててください。

ひたすら光を見るようにしよう
ひたすら前を向いて歩こう
ひたすらポジティブに考えよう
ひたすら未来を信じよう

大丈夫だよ
これからでも変われるから
大丈夫だよ
これからでも間に合うから
大丈夫だよ
これからでも一緒に行けるから
大丈夫だよ 大丈夫だよ 大丈夫だよ
百回も 千回も大丈夫だよ
本当に大丈夫なんだから
いつも一緒にいるから
                 
                 >>日記 無色透明 『100日目 - 大丈夫だよ』 より

      
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天使と悪魔
2010-06-08 Tue 07:27
                                         『ハートのお尻』
ハートのお尻ー01-sep_07_10
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『天使と悪魔』     

昨日は波動を上げすぎたので、今日は少し下げて書きます。
自分の波動を下げたくない人は、この先は読まない方がいいかもしれません。
と言って、ここまでで読むのをやめることのできる人が、はたして何人いるでしょうか?
ハイ、ちょっと意地悪ですね。
では、波動を下げることに同意した方のみ、続けてお読みください。

先日、久しぶりに悪魔連盟本部を訪ねてみた。
すると、日本へ行った工作員が帰って来ないと大騒ぎしていた。
「どうして帰って来ないの?」
「どうも北朝鮮に拉致されたらしい」
「まさか?」
「最近、北朝鮮では脱北者が増えて工作員が不足しているらしい」
「でも、悪魔の工作員まで?」
「悪魔で推測ですが」

次の日、今度は天使連盟本部へ足を運んでみた。
「最近、悪魔の工作員が北朝鮮に拉致されているという噂がありますが?」
天使連盟の事務局長の返事はシンプルだった。
「拉致もない!」

それからしばらくして、もう一度確認のために悪魔連盟本部へ行ってみた。
「悪魔の工作員は本当はどこへ行ってしまったのでしょうか?」
偉そうな悪魔が答えてくれた。
「実は、天使に拉致されたんだよ」
「天使が拉致なんかするんですか?」
「拉致して、再教育して、悪魔連盟へのスパイに仕立てるらしい」
「まさか?」
「最近、怪しい悪魔が増えているんだ」
「悪魔は元々怪しいのでは?」
「いや、昔はみんな悪魔らしい悪魔だった」
「最近は?」
「最近は悪魔なのか天使なのか、よくわからないのが増えてきた」
「悪魔の質の低下ですか?」
「悪魔が天使化しているんだ」
「悪魔の天使化?」
「もう悪魔らしい悪魔を見かけることも少なくなった」
「悪魔もおしまいですか?」
「悪魔で頑張るつもりだが・・・」

翌日、今度は天使連盟本部を訪問してみた。
「悪魔の工作員が天使に拉致されたようですが?」
あまり見かけない天使が答えくれた。
「天使が拉致するわけないじゃありませんか」
「そうですよね」
「そうですよ、洗脳ならしますが」
「洗脳?」
「いえ、言い間違えました。改心でした」
「改心?」
「そう、悪魔の工作員を改心させるのです」
「たくさん改心させたのですか?」
「バッチリよ」
この天使は言葉遣いがヘンだった。
後で聞いた話によると、最近、悪魔から転向したばかりのようだった。
そういえば彼の口癖は、
「私は悪魔で天使です」

それからまたしばらくして、今度は悪魔連盟本部に寄ってみた。
すると、こちらもヘンな悪魔が出てきた。
しばらく話をしていると、元天使だったことがわかった。
「どうして悪魔になったんですか」
「悪魔にスカウトされたのよ」
「でも、天使の方がいいんじゃありませんか」
「そんなことはないわよ」
「どういうことですか」
「悪魔の方が魅力的なのよ」
「どこが?」
「だって、悪魔の方がいい男がいっぱいいるもの」
「そうですか?」
「天使の中には筋肉モリモリマンなんていないでしょう?」
「それはそうかもしれませんが・・・」
「男らしい天使は少ないのよ」
「だって、天使というのは両性具有でしょう?」
「男か女かわからないのばっかし」
「そんな・・・」
「もっとはっきりしてもらえないのかしらねぇー」
「無茶苦茶だ」
「ハラハラドキドキ、心が高揚する体験をしてみたいのよ」
「恋愛ですか?」
「そうよ、身も心も焼けるような恋よ」
この悪魔の言葉遣いは、おねえ言葉だった。
後で聞いたところによると、ゲイの人を専門に誘惑する担当らしかった。
この悪魔の口癖は、
「芸者じゃないわよ、ゲイなのよ」だった。
いまひとつ芸のない悪魔だった。

そういえば、天使の世界にも面白い天使がいた。
「てん・てん・てんまり・てん・てまり・・・」
いつも歌っているのだ。
しかも、歌っているのは、わらべうたばかり。
「どうしていつも歌っているんですか?」
「歌が好きだからよ」
「子供の歌ばかりですね?」
「子供が好きなのよ」
この天使も元は悪魔で、子供を誘惑する担当だったらしい。
ところが、子供は純粋なので欲では誘惑できなかったらしい。
そのうち悪魔の方が子供に誘惑されて、幼児化してしまったらしい。
やがて幼子(おさなご)のような心になって、とうとう天使になってしまったという次第。
この天使が一番好きな歌は、
「わ・ら・べ・は・みーたり、あくまのばぁーか・・・」
どうも自分の正体が見破られた時の歌のようであった。

悪魔の世界でも変わり者に出会ったことがある。
その悪魔の口癖は、
「悪魔で戦うぞーッ!」
どうも若い頃に学生運動をやっていたようだ。
「どうして悪魔になったんですか?」
「悪魔で戦うために悪魔になったんだ」
この悪魔は理論闘争が好きで、悪の理想を追求しているようであった。
「悪の理想は悪なき悪の追求だ」
「悪なき悪とは、どういうことですか?」
「一片の穢れもない悪のことだ」
「それは純粋な悪ということですか?」
「正真正銘の悪だ」
「本物志向なんですね」
「正義の悪だ」
どうも悪魔連盟には、この手の悪魔が多い。
自己陶酔というか、支離滅裂というか・・・
彼はその日も声を大にして叫んでいた。
「我々は悪魔で純粋無垢の悪を徹底的に追求するぞーッ!」
悪なき悪を追求しすぎて、どうも悪が抜けてしまったようだ。
「悪抜きされてません?」
「悪しからず」

最後に忘れてはならない天使を一人紹介しよう。
この天使は天女のような天使で、どうも仏界からキリスト界へ転身してきたようなの
だ。
「どうして天使になったのですか」
「あんまり仏・仏、お経を唱えていたら、それが不満と誤解されたのよ」
「それで?」
「それでキリのいいところでキリスト界へ転出させられたのよ」
「天使の世界でも転勤とかあるんですね?」
「こちらでも天入天出とかあるわよ」
「どういう時に天入天出するんですか?」
「たいていは悪魔を一人誘拐した時よ」
「そんな・・・」
「悪魔で冗談よ」

今日は低波動の日記にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
天使と悪魔をあまり差別しないために書いてみました。
たぶん、悪魔の方から歓迎されそうですね。
(長い間、差別されてきたものね)
天使も悪魔も共に抱き参らせ進む時代になりました。
すべては「ひとつ」です。
明日から、また波動を上げますね。
                 
                 >>日記 無色透明 『98日目 - 天使と悪魔』 より

      
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フォトン・ベルト
2010-06-04 Fri 20:23
                                           『二重の虹』
二重の虹ー02-sep_08_10
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『フォトン・ベルト』     

地球は太陽系の2万6千年の周期の間(うち)、水瓶座と獅子座の
各2150年程をフォトン・ベルトの中で過ごす。
だから、今回のフォトン・ベルト入りは約1万1000年ぶりとなる。
ちょうどアトランティスが沈んでから、その後の文明の完成期と
いうことになる。
また太陽系の2万6千年周期の完成期でもあり、2億2500万年
周期のアルシオネ系の完成期でもあるようだ。
いろんな周期が、この時期に重なる。
それほど宇宙にとって重要な時期なのだ。

そもそもフォトン・ベルトとは何だろう?
フォトンとは光子。
光の粒子だ。
ベルトは、もちろん帯。
フォトン・ベルトとは、光の粒子の帯。
銀河系の中心から出ている光の帯らしい。
そこを地球は定期的に通る。
その度にいろんな影響を受ける。

光の帯の中を通るので、当然、明るくなる。
これまで見えなかったものが、はっきり見えるようになる。
これまで闇に隠されていたものが、すべて白日の下にさらされる。
迷いの霧が晴れるのだ。
無明の闇はなくなる。
すべてが明らかになる。
これまで隠されていた真実が、誰の目にもはっきり映るようになる。
時代が変わるのだ。
新しい水瓶座の時代。
アクエリアスの時代。

今、地球にはフォトンの光がいーっぱい降り注いでいる。
それを浴びて、人はどんどん目覚めつつある。
しかも、ものすごいスピードで。
本来の自分自身へ。
スピリチュアルな自分自身へ。
光の自分自身へ。

地球は2012年12月の冬至、太陽を回る軌道全体がフォトン・ベルトに
入った時、五次元へアセンションすると言われている。
遅かれ早かれ、その前後にアセンションが起きるのは間違いないだろう。
地球の波動自体も急速に上昇している。
地球自体も浄化されている。
本来の美しい地球へ戻ろうとしている。
地球上の各地のパワースポットが開き始めている。
屋久島もその一つだ。
それらのポイントのネットワークが完成する時、地球自体がアセンション
するだろう。

地球がアセンションする時、同時に地上にいる人類もアセンションする。
そのための準備も着々と進められている。
見えないところで準備は進んでいるのだ。
意識が見えないところで変わり始めている。
それも急テンポで変化しつつある。
スピリチュアルに目覚める人が増えている。
本来の自分に気づき始めた人も出始めている。
これからどんどん増えていくだろう。

これまでの1万1000年の闇の時代、人類はいろんな体験をしてきた。
光が当たっていてはできない体験をしてきたのだ。
人を殺すとか、光が当たっているところでは、とてもできないだろう。
闇の中だから、殺してやりたいとか、破滅してしまえとか思うこともできたのだ。
自分の思いが見えないと思っていたから。
それらがすべて白日の下にさらされたら?
あなたは自分のありのままの感情を全部オープンにできるだろうか?
できる人は少ないかもしれない。
確かに、これまではオープンにしなくてもよかった。
隠すことができたから、いろんなことをやってきた。
口にできないことも、顔を背けたくなることも、何でもできたのだ。
しかし、もう闇は消えようとしている。
闇のないところでネガティブなものは存在することはできない。

もちろん、闇の中でも美しい花は咲いた。
信仰という愛の花が、闇の中で乾いた心を潤(うるお)してくれた。
真理を求める情熱が、闇に光をもたらした。
闇の中で光は一段と輝き、闇の中で愛は尊さを際立たせた。
闇には闇の役割があり、闇の中で育った芽はやがて光の中で大きく育つ。

今は夜明け前。
でも、夜は白み始めている。
かすかに太陽の光が感じられるところまで来た。
これから光は増す一方。
やがて太陽が顔を出すだろう。
みんなが新しい時代を感じるだろう。
これから続く二千年王国。
光の時代。
人が本来の光として生きる時代。

もう隠し事はできない時代になりつつある。
これまで社会的に隠蔽されてきたものが、どんどん明るみに出ている。
大きな組織の腐敗がマスコミによって周知の事実となりつつある。
これから更に闇が明らかになっていく。
もう何も隠すものがなくなるまで。

個人的にも隠し事がたくさんある人は大変だ。
どんどんボロが見えてくる。
本人だけが隠しているつもり?、になってくる。
それだけではない。
これまで潜在意識の闇に埋もれていたものにも光が当たる。
過去の思い出したくないことも浮かび上がってくるかもしれない。
潜在意識の闇の中で忘れられていたことが浮かび上がってくる。
忘れられていたけれども意識下で影響を与えていたものが浮上してくる。
長い永い間、過去世から続いていたトラウマに光が当たるのだ。
もういつまでもそれらを持ってはいられない。
手離す時が来たのだ。
すべての重荷を下に降ろし、身軽になる時が来た。
いっぱいいっぱい背負ってきた。
物に執着し、他人を裁き、自分の信念に固執してきた。
神の名の下に幾千万の人を殺したことか。
人類の長い永いカルマ。
潜在していたが故に、カルマとなった。
光が当たればカルマは消える。
カルマは闇の中だけで存在できるのだ。

潜在意識の中にある重たいもの、暗いもの・・・
悲しみも怒りも憎しみも、みんな手離す時が来た。
手離して身軽になって、軽やかに生きていくのだ。
1万1千年の長き闇が今消えようとしている。

肉体に溜まった化学物質を浄化しよう。
わだかまったまま溜まってしまった感情を解放しよう。
自分の中にある思い込みや信念を手離そう。
肉体を浄化し、感情を浄化し、精神を浄化する。
すべてを一新して新しい時代を迎えよう。
新しい時代は、もう手の届くところにある。

過去をベースに生きる時代は終わった。
過去の記憶からイメージした「私」の時代は終わったのだ。
自己中心の自我の時代は終わりを迎えた。
自分さえよければいいという思いは、もう時代錯誤になってしまったのだ。
人類はみんなと共に生きる時代に突入している。
人類は地球と共に生きる時代に入っているのだ。
一人「私」の中で孤立して生きる時代は終わりを告げたのだ。

瞬間瞬間、今、ここを生きる時代になった。
過去を悔いない。
未来を心配しない。
今ここ、それだけがリアリティ。
今ここに、過去も未来もすべてがある。
永遠の今が、永遠に続く。
今も昔もない。
ただ、今。
「ただいま」と言って、本来のところへ還ってきたのだ。

身体も感情も精神も光に還る時がきた。
闇の時代に生きた身体を癒し、感情を癒し、精神を癒そう。
それらのものをやさしく包んであげよう。
新しい時代の光で。
あなたの中で出番を待っている新しい光によって。
すべてを包み込む。
正邪、善悪、美醜、優劣を問わない。
すべてをただ無条件で抱きしめる。
闇の時代をあなたと共に生きてきたすべてを。
良いも悪いもない。
好きも嫌いもない。
ただ黙ってすべてを抱きしめよう。
それらすべてがあったことによって、今のあなたがあるのだから。
すべてが必要だったから。
すべてが今のあなたの血となり肉となっている。
それらすべてを抱きしめて、光に還えそう。
本来の光の状態にリセットして、新しい光の時代を迎えよう。

もう自分を誤魔化せない。
もう自分を偽れない。
ありのままの自分で生きるしかない。
本来の自分で生きるしかない。
周りのことを気にしないで、自分を生きよう。
本当に心から願う生き方をしよう。
自分の真実を生きよう。

浄化、解放、気づき、目覚め・・・
それらがこれからの流れだ。
それは自然の流れであり、時代の流れであり、必然の流れだ。
人類が待ちに待った光の時代の夜明けだ。
地球だけではなく太陽系全体が、いや銀河系全体が迎える新しい時代だ。
あなたは、すばらしい時代に生まれ合わせている。

今、光の川を渡ろうとしている。
2000年かけて渡ろうとしている。
もう杖はいらない。
もう道標(みちしるべ)もいらない。
なぜなら、もう明るいから。
闇の時代には必要だった導きも、光の時代には必要ない。
一人一人が光だ。
一人一人が輝く時代だ。
自分の道は自分で照らせる。
あなたが光であり、あなたが道である。
あなたが創る、あなたの光の道なのだ。
                 
               >>日記 無色透明 『97日目 - フォトン・ベルト』 より

      
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