いのちの写真と光の言葉
編集便り - 3 『自己同一化 - 2』
2008-11-30 Sun 11:30
                                             『竜神水』
竜神水ー29-aug_07
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   K-Communication より

   編集便り - 3  『自己同一化 - 2』

   頭を強打して記憶喪失になると、人は 『私』 というアイデンティティを失います。
   「あなたは誰ですか」 と聞かれても、「私は・・・?」 となってしまいます。
   しかし、そのような人でも意識はちゃんとあります。
   それは記憶と自己同一化していない、ただの意識です。
   (一瞬、頭を強打した直後にも、何が何だかわからなくなることがあるでしょう ―
   瞬間、記憶の回路と断絶することによって訳がわからなくなるのではないでしょうか)

   自分は記憶やイメージではなく、「自分は自分だ!」 と強がっている人でさえ、記憶
   がなければ 「自分は自分だ!」 と言うことはできません。
   なぜなら、記憶によって特定されることによってのみ 「自分は自分だ!」 と言えるか
   らです。
   記憶との自己同一化がなければ、自分を特定することができないので「自分は自分
   だ」 と言うことはできません。
   記憶=データベースと共にあることが 『私』 『自分』 『個性』 を支えています。
   過去がなければ、今だけであれば、全く区別が生じる余地はありません。
   ただ無個性の感受性があるだけでしょう。

   人は自分の記憶と自己同一化し、『私』 というイメージを基に感じ、考え、行動してい
   ます。
   その記憶は肉体の自己保存の本能をベースにしているため、どうしても自己中心的
   になりがちです。
   本能だけであれば瞬間瞬間のもので、さほど問題もないのでしょうが、その経験が
   いったん記憶され、そこから『私』 という固定したイメージが生まれる時、現実との間
   に様々なギャップが生じます。

   過去の経験・知識は現実生活を過ごすためには必要不可欠ですが、それと自己同
   一化しないで、ただデータとして使うことができるでしょうか。
   それには、『私』 とは記憶との自己同一化であり、イメージであると明確に気づくこと
   が必要でしょう。
   そこから意識の新しい段階が始まるのではないでしょうか。
   そこから、ただ条件付けを見つめ、反応に気づくだけの生に変わっていくのではない
   でしょうか。
   そこから、自我の動機に基づくのではない、自分の深い意識に聞きながら行動する
   という新しい生き方が始まるのではないでしょうか。
 
                   K-Communication №44 (1994年4月27日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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編集便り - 2 『自己同一化』
2008-11-27 Thu 14:59
                                         『夕方の雲たち』
夕方の雲たちー28-may_08
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   K-Communication より

   K-Communication №44より、編集便りを連載しています。


   編集便り - 2

   今号 (K-Communication №44) で、FTさんが書かれた 『逸話』 (FTさんが、クリ
   シュナムルティの近くにいた人から聞いた、Krishnamurtiの様々なエピソード) を読
   むと、Kの人格 (パーソナリティ) の部分を感じます。
   これまでにも西部劇が好きであるとか、推理小説が好きだとか伝えられていました
   が、彼の個性というものもかなり残っていたようです。
   一方、彼が公開のトークなどをやる時には、別のエネルギーがやってくるとも言わ
   れています。
   どうもKという人は多層意識構造であったようです。

   しかし、重要な点は、彼にも個性といえるものがあったにもかかわらず、彼はそれ
   と完全に自己同一化はしていなかったということではないでしょうか。
   それに気づいていながら、それを通して自己表現をしていたということではないで
   しょうか。

   *ぴあの編集中記
   この文章を初めて読んだ時、
   『しかし、重要な点は、彼にも個性といえるものがあったにもかかわらず、彼はそれ
   と完全に自己同一化はしていなかったということではないでしょうか。』
   この部分が、内に沁み入ってきました。
   澄み渡った透明な意識のなかの個性、そんな感覚を感じて、感動でした。

   それで、”自己同一化” というテーマでリンクさせて、 『無色透明』 に素晴らしい日記
   がありますので、掲載します。
   長いので抜粋してお届けしようと思ったのですが、どこも切り取ることができず・・・
   なので、全文を掲載しますね。
   この下にアップしましたので、どうぞ、じっくり読まれてください。



   ― 日記 『無色透明』 より ―

   人は、旅人だろうか。
   いや、意識は、旅人だろうか。
   意識は、自己同一化の旅人。
   様々なものと自己同一化して旅をしている。

   今は、肉体と自己同一化している。
   それによって、美味しいものが味わえる。
   美しい景色を愛でることもできる。
   麗(うるわ)しい香りに満たされることもできる。

   心地よい音に浸ることもできる。
   温泉の温(ぬく)もりを肌で感じることもできる。
   肉体と自己同一化していればこその楽しみ。
   肉体を通して、いろいろなものを体験できる。

   意識は、肉体と自己同一化しているだけではない。
   美しくてスタイルが良いという自己イメージとも自己同一化している。
   あるいは、カッコ良くて、みんなにもてるという自己イメージと自己同一化している
   かもしれない。
   逆に、自分は病弱で最悪という自己イメージと自己同一化している意識もいる
   かもしれない。

   どのような自己イメージと自己同一化するかによって、人生は大きく変わる。
   体験できる世界が、まるで違ってくる。
   美しくてスタイルが良いという自己イメージと自己同一化していれば、
   胸を張って街を歩く体験ができる。
   カッコ良くて、みんなにもてるという自己イメージと自己同一化していれば、
   肩で風を切って歩けるに違いない。

   パワフルで怖いもの知らずという自己イメージと自己同一化していれば、
   冒険の旅を体験できるだろう。
   何事も緻密に突き詰める自己イメージと自己同一化していれば、
   いろんな研究の体験ができるかもしれない。
   病弱で弱い自己イメージと自己同一化していれば、みんなからやさしく
   してもらう体験ができる。
   逆に、みんなからバカにされ、爪弾きにされる体験もできるかもしれない。

   どんな自己イメージと自己同一化するかによって、人生体験は違ってくる。
   いかような人生体験も可能。
   それが現実創造ということ。
   体験創造。

   意識は、どんな自己イメージとも自己同一化できる。
   自分とは、自己同一化した自己イメージ。
   それ以外に自分はない。
   単なるイメージとの自己同一化に過ぎない。

   意識は、今は人間と自己同一化し、人間の体験をしている。
   しかし、それがすべてではない。
   ある時は、水晶と自己同一化していたかもしれない。
   別の時は、美しい花と自己同一化していたかもしれない。

   また別の時は、大空を飛ぶ鷹と自己同一化して、地上を見渡していた
   かもしれない。
   違う時は、妖精と自己同一化して、森のなかを飛び回っていたかもしれない。
   異なる時は、風と自己同一化して、いろんなものを撫(な)でる体験をしていた
   かもしれない。
   はたまた水と自己同一化して、川下りの体験を楽しんだ時もあるかもしれない。

   将来、星と自己同一化して、自分のなかで多くの生命を育てる体験をするかも
   しれない。
   銀河と自己同一化すれば、数えきれないほどの星々との体験が待っている。
   グループソウルと自己同一化すれば、神に近づく体験ができるかもしれない。
   そう、忘れていた。

   過去世においては、王侯貴族と自己同一化して、栄耀栄華を極めた体験もあった。
   逆に、乞食や奴隷と自己同一化して、悲惨の極みを体験したこともあった。
   美女と自己同一化したことも、醜い老婆と自己同一化したこともあった。
   あるいは、どこにでもいる普通の人と自己同一化したこともあった。

   多くの数えきれないほどの自己同一化を体験してきた。
   そして、今がある。
   今は何と自己同一化しているだろうか。
   肉体だろうか。

   プラスの自己イメージだろうか。
   マイナスの自己イメージだろうか。
   いずれにしても、人間と自己同一化していることに違いはない。
   今は、人間としての体験の真っ最中。

   過去も、未来も、様々な自己同一化の連続。
   数えきれない体験の連なり。
   多くのものと自己同一化して体験する、体験ワールド。
   この宇宙全体が、限りない体験ワールド。

   悲しいことに、人は自己同一化の事実に気づいていない。
   自己同一化に埋没し、自己同一化していることを忘却してしまった。
   まるで役になりきり、役を演じていることを忘れてしまった役者のよう。
   体験ワールドにはまり込み、体験に没頭している意識。

   自己同一化し過ぎると、根本を見失う。
   本来の意識を喪失する。
   自己同一化したものになりきり、そのものに振り回されて本来の意識を忘却する。
   個別化した人間になりきり、全体を忘れる。

   あまりにも個別化した人間と自己同一化し、お互いに殺し合う。
   自虐的になり、自殺したりもする。
   意識の故郷(ふるさと)を忘れ、宇宙の孤児となって彷徨(さまよ)う。
   道を失い、迷える霊の体験をすることすらある。

   迷ってしまえば、意識の故郷へは帰れない。
   すべてが存在する源とは断絶してしまう。
   至福の世界から切り離され、孤独地獄のなかで苦しむ。
   意識の真実を忘れたために。

   あまりにも自己同一化し過ぎたために、本来の意識を喪失してしまった。
   それでは、自己同一化の旅を楽しめない。
   体験に埋没し、体験に振り回されることとなる。
   もう一度、自己同一化していることを思い出すことだろうか。

   しっかりと自己同一化していることを自覚して旅をすることだろうか。
   何層にも渡る意識の旅。
   そういうものとも自己同一化しているに過ぎない。
   多次元に渡る宇宙の旅は、すべて自己同一化の旅。

   いろんな次元の、いろんな存在と自己同一化して、いろんな体験をするのが、
   意識の旅。
   別の言葉で言うと、神の旅。
   神という意識が、いろんな次元のいろんな存在と自己同一化して体験する
   不思議な旅。
   自分で創造し、創造したものと自己同一化して体験する波瀾万丈の旅。

   無限が有限と自己同一化して体験する色の旅。
   旅から旅。
   人には推し量ることすらできない遠い過去から遥かな未来まで。
   多次元、多層に渡る旅の連続。

   何層も何層も自己同一化を重ねて、今ここにある。
   あまりにも複雑に自己同一化を重ねたために、本来の状態がわからなくなって
   しまった。
   自分の本質を忘却してしまった。
   迷子の迷子の子猫ちゃん?

   意識の真実は、自己同一化の果てしない連なり。
   まるで十二単(じゅうにひとえ)を着ているようなもの。
   タマネギの皮を被っているようなもの。
   その一枚一枚と自己同一化している。

   その多層多次元の自己同一化の元を辿れば、純粋な意識に辿り着く。
   始まりも終わりもない意識。
   無色透明の意識。
   快晴の空のような意識。

   その掴みどころのない意識が、雲と自己同一化し、雨と自己同一化する。
   山と自己同一化し、川と自己同一化する。
   花と自己同一化し、水晶と自己同一化する。
   やがて、その意識は、人と自己同一化する。

   雲の体験をし、雨の体験をする。
   山の体験をし、川の体験をする。
   植物の体験をし、鉱物の体験をする。
   そして、人の体験をする。

   無限が旅する有限の旅。
   人の本質は、純粋な意識そのもの。
   その自己同一化の結果が、人というもの。
   果てしなく続く意識の自己同一化の旅・・・


   『タマネギか 十二単か ユリの根か 自己同一化 果てることなし』

   『いろいろな ものと一つに なりきって 体験重ね 旅する意識』

   『何層も 何次元にも 重なって 自己同一化 旅は果てなし』

   『同一化 重ねる度に 色がつき 複雑怪奇 元がわからず』

   『青空の ごとき意識が 繰り返し 自己同一化 重ねているだけ』

   『何であれ 自己同一化 することは 自己限定を するに等しい』

   『境目が わからないのが 同一化 以前の意識 意識の源』

   『元の元 自己同一化の 源を 探っていけば 純粋意識』

   『数々の 自己同一化 外す時 そこにあるのは 無限の意識』

   『今ここに 自己同一化 する前の 元の意識が 厳然としてある』

   『大空の ごとき意識の そのなかに 愛は息づく 裸のままで』


      
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編集便り - 1
2008-11-25 Tue 12:04
                                          『岩峰七五岳』
岩峰七五岳ー23-may_08
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   K-Communication より

   K-Communication №44より、編集便りを連載します。


   編集便り - 1

      The very attention you give to a problem
      is the energy that solves that problem.
 
      あなたが問題に注ぐ注意こそが、まさに
      その問題を解決する原動力です。 (Krishnamurti)


   今号の表紙のK(Krishnamurti)の言葉の中で、「attention(注意)」 という単語が出
   てきますが、その動詞 「attend」 の語源は「・・・に心を向ける」 ということだそうです。

   つまり、問題に心を向けることが、その問題を解決する原動力(エネルギー)になる
   ということです。
   この他に特に方法があるわけではなく、ただ注意することだけが理解をもたらすとい
   うことではないでしょうか。

   日本語の 『注意』 という言葉も、”意”識を ”注”ぐ という意味でしょう。
   つまり、対象に意識を向けることによって、あたかも光が当てられたかのように、そ
   の構造がはっきりと見えてくるということではないでしょうか。
   心を向けることによって問題に光が当たり、おのずから問題が明らかになり、そこか
   ら理解が生まれるということでしょう。

   今号の 『瞑想(16)』(K-Communicationに連載されていた、kimiさん訳の『瞑想』)
   の中で、Kは 「瞑想には始まりも終わりもない」 と述べています。
   そして、瞑想のための土台として 「受動的気づき」 と 「自己を知ること」 をあげてい
   ます。
   つまり、自己を知るためには、自分の思いと行いに無選択に受動的に気づいている
   必要があるということです。
   それによって自分自身が理解され、心が静まることによって、瞑想が自然に起きる
   ということではないでしょうか。

   ところが、無選択に受動的に気づいていることは意識的 (能動的)におこなうことは
   できません。
   それは自分自身に心が向くことによって自然に起きるしかありません。

   瞑想も気づきも非自我の行為であるために、そこに至る方法は全くありません。
   ただ、自分自身の反応に関心が向くことによって、自然に意識エネルギーが自分自
   身に注がれ、無意識のうちに自分自身を見守っているようになり、それによって、い
   つのまにか気づきが生まれるということではないでしょうか。

   やはり、気づきの必要性を強く自覚することが、気づきが始まる鍵になるようです。
   瞑想や気づきのための方法や階段はなく、ただ強烈な自覚だけが次のステップの
   きっかけになるということではないでしょうか。
 
                   K-Communication №44 (1994年4月27日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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人生光(講)座より - 4
2008-11-24 Mon 02:17
                                        『木霊の森の主』
木霊の森の主ー02-mar_08
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   K-Communication より

   人生光(講)座より - 4 

   《参加者のプロフィール ― 登場順》
   F : 古沢仁宏。K-commの編集・発行担当者。光のセミナーの主催者。
      (幽体離脱体験は無数にあるが、明確な過去世体験はない)
   A : 光のセミナーを受けてインドネシアのスマトラ島の過去世を思い出し、 突然
      インドネシア語を流暢に話し出した人。
   B : 十年前から、お釈迦様の時代の古代インド語やモーゼの時代のヘブライ語
      などが自然に口を突いて出てくるようになった人。
      (但し、言葉の意味は理解できない)
      この中で唯一K(Krishnamurti)を読んでいない。
   H : K-comm43号の 『光のセミナーより』 に登場した人。
      (* いのちの島=屋久島ではまだそのセミナー内容は掲載していません)
      子宮体験や出産体験と共に武士の過去世をビジョンで見ている。
      (その後の個人セッションではヨーロッパやアフリカの過去世も出た)
   S : K(Krishnamurti)は読んでいるが、光のセミナーには唯一未参加。
   G : Kコミの常連。光のセミナーには一回参加。


      *   *   *   *   *   * 

   (人生光(講)座より - 3 の続きです)
   B 私の場合、何回もそれを体験しても、なかなか消えないから、どうなっているんだ  
     ろうという気になるんです。
   F それはインプットされているものが非常に強いんでしょうね。 
     だから、なかなか1回や2回出たくらいじゃ消えない。
     でも、出る度に少しずつ痛みとか傷とかが解放されているんですよ。
     なかなか強い心の傷とか強い想いというのは一気には消えないんですよね。
     でも、それも解放しないと自由ではないんですよね。
     すぐそこが反応しますからね。
     全部出して自由になる必要がありますよね。
     だから、何回も出てくるのは解放のプロセスだと思いますね。
     夢なんかも同じプロセスなんですよ。
     Bさんの場合、特に槍で刺されたのが衝撃だったのかな?
   B ハートのチャクラが背中まで突き抜けている感じです。
   F 槍で刺した人は今のお父さんなんでしょう?
   B そういうふうに言われましたけど、自分ではわからないんです。
   F 当時の刺した人と強い因縁があったのかなあ?
     何かがあったから、すごくインパクトが強かった気がするんですけど。
   B 親父との関係を見ていくと、インドだけじゃなくていろいろつながりがあるんじゃな
     いかという感じですね。
   F 何かあるでしょうね。
   B だから、そういうのを思い出さなくて全部クリアーにする方法はないんですかね。
   F それは今のあなたとお父さんとの関係の中で、自分の中から出てくる反応を見て
     理解するということですよね。
     実際にそうしていけば変化が生まれてくるんじゃないでしょうか。
     いずれにしても、自分自身を理解するということですから。
     今生の過去も、過去世の過去も、現実に今、心のわだかまりとして、まだ存在し
     ているということですよ。
     それを理解し、解放していくしかないんじゃないでしょうか。

   *   *   *   *   *   *

   ☆ ”過去世” というと、世間一般では白眼視されそうですが (この文章は1994年の
      ものです。今では、そういうことはありませんね。と思うのですが・・・どうでしょう?
      括弧内、ぴあの記)
、精神世界では逆に過去世に囚われている人も沢山います。
      Kを読んでいる方は、どちらでしょう? (眉をしかめる方が多いでしょうか?)

      過去世に執着すればプラスの囚われとなり、反対に、過去世をむやみに否定し
      たり、故意に目をそらせばマイナスの囚われとなります。
      いずれも過去世に囚われていることに違いはありません。

      出てくるものは、ただ静かに見守っていればいいだけです。
      静かに見つめていれば、やがて理解され、消えていきます。
      出てくるものを否定することも肯定することもなく、ありのままに素直に見つめ、
      理解するのが一番無理のない姿勢のように思えます。
      Kが本当に伝えたかったものも、一切の先入観なしに、ありのままを直視すると
      いうことだったのではないでしょうか。
      それは過去世に限らず、あらゆるものに対して共通する基本姿勢です。
      何らかのきっかけで、過去世らしきものが出てきても、ただ静かに見守っていれ  
      ばいいだけです。

   ☆ 重要なのは、過去世そのものではなく、それが出ることによって現実の意識が
      変化することです。
      心を解放していくと、過去のこだわりや執着、恨みや妬み、淋しさや悲しさ、心
      の傷など様々なものが出てきます。
      そして、そのもっと奥には過去世のそれらの強烈な記憶が埋まっているようで
      す。

      人の意識の中には膨大な心理的記憶がしまわれ、それが現実の意識に影響を
      与えています。
      それらの心理的トラウマ(傷)を全て解放しなければ、真に自由であることはでき
      ません。
      しかし、それは一気にはいきません。
      なぜなら、心の傷に触れることを潜在意識が恐れているからです。
      それは実際にいろんな人とセッションをやっていく中ではっきりしてきたことです。
      少しずつ少しずつ無理のないように心は解放されていきます。
      それにつれて楽に生きていけるようになっていきます。

      しかし、心の解放にも増して重要なのは、それを暖かく見守る意識が育つことで
      す。
      それがより強くなっていくことが何よりも貴重なことのように思われます。
      なぜなら、それが様々な意識の層を統合し、トータルな生を可能にするからです。

   ☆ 解放のプロセスは時間のかかる過程ですが、それを見守る意識はその中で静
      かに育っていきます。
      『光のセミナー』 も 『Kコミ』 も心の解放のプロセスですが、その中で共通して最
      も大切なことは、見続けるということです。
      なぜなら、見ることこそが光そのものだからです。

      ”光” というのは ”照らす” こと ― つまり、見つめることです。
      見つめる時、意識の光が静かに光っています。
      その光に照らされて、事実が明らかになります。
      そこから理解が生まれます。

      見ることそのものが、あらゆる人に内在する光なのです。
      それがやがて真実の生へと導いていきます。  
      それは灯台の灯りのようなものです。
      人は見ることによって真実へと向かいます。
 
                   K-Communication №44 (1994年4月27日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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人生光(講)座より - 3
2008-11-19 Wed 19:16
                                     『マンモスの化石?』
マンモスの化石?-08-aug_08
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   K-Communication より

   人生光(講)座より - 3 

   《参加者のプロフィール ― 登場順》
   F : 古沢仁宏。K-commの編集・発行担当者。光のセミナーの主催者。
      (幽体離脱体験は無数にあるが、明確な過去世体験はない)
   A : 光のセミナーを受けてインドネシアのスマトラ島の過去世を思い出し、 突然
      インドネシア語を流暢に話し出した人。
   B : 十年前から、お釈迦様の時代の古代インド語やモーゼの時代のヘブライ語
      などが自然に口を突いて出てくるようになった人。
      (但し、言葉の意味は理解できない)
      この中で唯一K(Krishnamurti)を読んでいない。
   H : K-comm43号の 『光のセミナーより』 に登場した人。
      (* いのちの島=屋久島ではまだそのセミナー内容は掲載していません)
      子宮体験や出産体験と共に武士の過去世をビジョンで見ている。
      (その後の個人セッションではヨーロッパやアフリカの過去世も出た)
   S : K(Krishnamurti)は読んでいるが、光のセミナーには唯一未参加。
   G : Kコミの常連。光のセミナーには一回参加。


      *   *   *   *   *   * 

   (人生光(講)座より - 2 の続きです)
   A 死にたくないというよりも、怖いという感じ。
   F 即死じゃないんだ。
     槍とか刀だから即死にならないか・・・それは気の毒だね、息が絶えるまで。
   H 今の話ですけど、そういうのを考えていくと、こじつけのようにも思えてくるんだけ
     ど、でも、そういうふうに考えてみると、小さい時から孤立しようとする傾向がある
     というか、なんか大多数の方にはいたくないような気がするというか、常にそれと
     離れたところに自分を置こうとするというか、でも、そっちに行きたいんだけど行
     けないという感じで・・・あと、なんかガキ大将みたいなのがいるでしょう、そういう
     のが誰か小さい子をいじめているのがすごく嫌で、過剰な正義感でそれに対処
     しようとしたりとか、みんなでどこかへ行くような感じで遊びますよね。
     でも、そういう中へは入れないというか、そこからいつもはみ出ていて、そういう
     感じで徐々に大きくなったら、周りの人達に合わせようと思うんだけれども、合わ
     せられないというか、なんか一人浮いていて、すごくシラケていて、淋しいなとい
     う感じで・・・
   F 武士の過去世の時は追われていたんだよね。
     何から逃げてたの?
   H なんか・・・権力争いみたいな・・・
   F Gさん、どうですか、今の話を聞いてて?

   G 聞いてて、ちょっとお伺いしたいと思ったのは、そうやって解決しようとしている
     問題は、それが心理的問題になっているから解決したいということなのか、そ
     れとも過去世からきた問題そのものがあって、単に自分でつくりあげている心
     理的問題ではなくて実在する問題というか、どっちだろうという疑問が浮かんだ
     んですけど。
   F 基本的には心理的傾向でしょうね。
     過去世から引きずっている心理的な癖ですよ。  
     それを今生でもつくってしまったんですね。
     過去世の傾向を引きずって生まれてきているから、今生でも同じようなパター
     ンをつくってしまいがちなんですよ。
     それをクリアーにすればいいだけなんですけど、クリアーにする時に、過去世が
     出てきた方がよりクリアーにしやすいということなんでしょうね、出てくる人は。
     別に過去世が出てこなくてもクリアーにできる人もいると思うんですけど。
   G そうですか。
   F 基本的にはパターンですよ。
     こだわりや囚われ、それをいかに解放するか。
     だいたい過去世と同じようなことを繰り返すんですよね。 
     それは今生でも過去のパターンで反応を繰り返すのと全く同じことですよね。
     ただ、それが今生の過去か、それとも過去世の過去かという違いだけですね。
     今も過去のエネルギーパターンが生きているんですよ。
   A 失敗してみて、初めて気づくということはありますよね。  
     先程Hさんが言ったように、他人(ひと)にどう思われるだろうとか、それを冷静
     に見ていられればいいんだろうけど、それがスッとはできないですよね。
     すぐにできないから、いろいろやってみますよね。
     感情と動作を分けてみるとか、いろいろやっても、やっぱり駄目で、また出てき
     て、苦しいけど見ていて、またいろいろやってみて・・・
     そのうち、それがある日スパッと抜ける。努力じゃなくて。
     サラサラと知的に言われただけでは、とても納得できないですよね。
   F だから、やっぱりもう一回今生で実際にやってみて、本当に理解しようとしている
     んだよね。
     何回もやってみて、初めてその構造がわかるというか、過去世から何回もやって
     いるんだけど、それがはっきりと理解できるまで繰り返すんだね。
     でも、過去世を思い出すと、今生でもやってるし、過去世でもやってる、だから、
     それがより理解されやすくなるということだろうね。
     同じパターンをやってることが、過去世が出てくることによって、より一層際立つ
     ということでしょう。

   B 過去世を思い出さない方法で全部クリアーにはできないんですか。
   F 可能なんじゃないかな。
   B そうなんですか。
   F だって、みんながみんな過去世を思い出すわけではないし、大多数の人は過去
     世を思い出さないでしょう。
   B そうなんですけど。
   F 思い出さなくても、今の自分の心のパターンがはっきり見れて、はっきり理解で  
     きれば、それでいいんじゃないですか。
     それが見れないから、過去世まで持ち出して、はっきり見ようとしているんですよ。
   B そうなんですか。
   F 自分自身が見えて、自分自身が理解できれば、自分自身から自我から自由で
     しょう。
   B 私の場合、何回もそれを体験しても、なかなか消えないから、どうなっているんだ  
     ろうという気になるんです。
                             
                                    ・・・続きます
 
                   K-Communication №44 (1994年4月27日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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人生光(講)座より - 2
2008-11-17 Mon 10:42
                                  『巨大な屋久杉の切り株』
巨大な屋久杉の切り株ー21-aug_08
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   K-Communication より

   人生光(講)座より - 2 

   《参加者のプロフィール ― 登場順》
   F : 古沢仁宏。K-commの編集・発行担当者。光のセミナーの主催者。
      (幽体離脱体験は無数にあるが、明確な過去世体験はない)
   A : 光のセミナーを受けてインドネシアのスマトラ島の過去世を思い出し、 突然
      インドネシア語を流暢に話し出した人。
   B : 十年前から、お釈迦様の時代の古代インド語やモーゼの時代のヘブライ語
      などが自然に口を突いて出てくるようになった人。
      (但し、言葉の意味は理解できない)
      この中で唯一K(Krishnamurti)を読んでいない。
   H : K-comm43号の 『光のセミナーより』 に登場した人。
      (* いのちの島=屋久島ではまだそのセミナー内容は掲載していません)
      子宮体験や出産体験と共に武士の過去世をビジョンで見ている。
      (その後の個人セッションではヨーロッパやアフリカの過去世も出た)
   S : K(Krishnamurti)は読んでいるが、光のセミナーには唯一未参加。
   G : Kコミの常連。光のセミナーには一回参加。


      *   *   *   *   *   * 

   (人生光(講)座より - 1 の続きです)
   F 交通事故の時は、生まれた時からその時点までの人生が全部見えたの?
   A 全部見えた。
     何てバカなことをやっているんだろうと思いながら。
     バイクで当たって倒れるまで、ほんと一分もないですよね。
     その時全部パーッと見えたんです。
   F バカなことやっているというのはどういう意味?
   A なんて無駄な時間を過ごしてきたんだろうって。
   F そういう気がしたんだ。
   A そういう気がしたんです。
   F 走馬灯で全部見て?
   A もっと有意義に過ごせないのかと。
   F 幽体離脱はどういう時なの?
   A クラブの部室で寝てたんですよ。
     ガバッと起きたら、なんか風景がいつもと違っていて、パッと後ろを見たら自分が
     寝てたんです。(笑)
     それが僕の唯一の幽体離脱体験なんです。
     それから結局そういうセクト活動の熱意も陰りが出て、なんか間違ったことをやっ
     ているんじゃないかという・・・それで止めて、というか、そこの組織が潰れてなくな
     ったんですけど。
   F へー、それは知らなかったね。 
     でも、だいたい同じようなことをやっているんだよね、過去世と。 
     でも、今回は違う生き方をしようというので、過去世が出てきて、それで本当に今
     の生き方が変わるというか、そういう意味だと思うね、過去世が出て来るのは。
     Bさんは何かありますか、今生と過去世との関係で。

   B いろんなものがゴチャゴチャしてて説明しにくいですね。
     とりあえずインドだけを取り上げて言うなら、ある程度影響はありますね。
     どこまで本当かわからないんだけど、例えば、私が生まれた時はお袋が身体が
     動かなくなっちゃうという体質だったし、インドの時は戦争でお袋が殺されたため
     に私が生まれたと言われたんです。
   F 殺されたショックで生まれたということ?
   B そうです。
     あとは犬が怖かったし・・・
   F 何か関係あるの?
   B インドで夜一人で山の中を歩いていた時に、狼に噛み殺されたと言われました。
   F お坊さんの時?
   B そうです。
     それが犬として、恐怖として残っているということです。
   F それは誰に言われたの?
   B 代官山の霊能者のLさんという人にです。
   F 彼女はわかるのかな?
   B 私の背後に映像が見えると言うんです。
   F ちなみにBさんの過去世というのは、インドのお釈迦様の時代に兵士をやってて、
     釈迦族が滅亡した戦争で殺され損なって、お釈迦様の弟子になって、お釈迦様 
     が亡くなった時には、その足下近くにいたんだそうです。
     でも、槍で刺されて死にそうになったのと、今生の喘息とは何か関係あるんでし
     ょう?
   B ちょうど胸のところを二ヶ所、だから時々痛みますよ。
   F 今でも?
   B はい、まだ。軽いですけどね。
   F へー、過去世のエネルギーが入ってくるから痛むのかなあ・・・?
   A 同じのありますよ。
     僕が刺されたのは腹(ここ)なんですけど、ここよく痛むんですよ。
   F ホントに?
   A ホント、ホント。

   H 僕も。(笑)
     僕も背中(このへん)から感じがあるんですけど。
   F 刺されたの?
   H 槍か刀かなんか・・・
   F それで痛いの?
   H すごい痛みじゃないけど、なんかチクチクするような時があって。
   S 食いすぎだよ。(爆笑)
   F Aさんは脱腸の件もあるんじゃない?
   A 下腹部(ここ)なんですよ。
   F 過去世で腸が飛び出したとか言ってなかった?
   A 最初の槍の一撃の後、メチャメチャにやられて腸が飛び出して、屋根を見ながら
     「死にたくない」 と・・・
   F 「死にたくない」 と思ったの?
   A 屋根を見ながら・・・「怖い」 という・・・
   F 死ぬのが怖い?
   A 怖いという・・・
   F すぐに死ななかったんだ?
   A 死にたくないというよりも、怖いという感じ。       
                          
                                      ・・・続きます
 
                   K-Communication №44 (1994年4月27日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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人生光(講)座より - 1
2008-11-15 Sat 12:07
                                    『屋久杉の緑の切り株』
屋久杉の緑の切り株ー20-aug_08
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   K-Communication より

   K-Communication より、『人生光(講)座より』 を連載します。


   人生光(講)座より - 1

   《参加者のプロフィール ― 登場順》
   F : 古沢仁宏。K-commの編集・発行担当者。光のセミナーの主催者。
      (幽体離脱体験は無数にあるが、明確な過去世体験はない)
   A : 光のセミナーを受けてインドネシアのスマトラ島の過去世を思い出し、 突然
      インドネシア語を流暢に話し出した人。
   B : 十年前から、お釈迦様の時代の古代インド語やモーゼの時代のヘブライ語
      などが自然に口を突いて出てくるようになった人。
      (但し、言葉の意味は理解できない)
      この中で唯一K(Krishnamurti)を読んでいない。
   H : K-comm43号の 『光のセミナーより』 に登場した人。
      (* いのちの島=屋久島ではまだそのセミナー内容は掲載していません)
      子宮体験や出産体験と共に武士の過去世をビジョンで見ている。
      (その後の個人セッションではヨーロッパやアフリカの過去世も出た)
   S : K(Krishnamurti)は読んでいるが、光のセミナーには唯一未参加。
   G : Kコミの常連。光のセミナーには一回参加。

      *   *   *   *   *   * 

   F Aさんは、自分の幼少期と過去世との関係はどうですか。
   A 基本的にボーっとした子供だったんです。
     自分の知らない間に、いじめられっ子になっていた。
     見たビジョンが本当かどうかわからないんですけど、ボケっとしていたら槍で刺
     されて死んじゃってたという感じなんです。
     それで思い当たる節があるんです。
     ボケっとしてて事故を三回起こしているんです。
     なんかボーッとした独特の感じがあるんです。
     何も考えてない、眠っているというか・・・意識してない・・・
   F それは過去世から引きずっているものかな?
   A あと、怖いという記憶があるんです。
     ボケっとしてて怖いというのがすごく強く・・・
   F 怖い時にボケっとしてるの?
   A ボケっとしてて、いじめられて、怖い・・・
   F 何でボケっとしてるのかな?
     過去世の時もボケっとしていてやられたんでしょう?  
     それがどこに起因しているのか・・・?
   A ・・・カルト的性格・・・
   F どういう意味、カルト的性格というのは?
   A すごく思い当たる節があるんですよ。
     以前、過激派やってて、絶対正しいと思い込んで、ワーッとなって他が見えなく
     なるんですよ。
   F 過激派だったの?
   A そうです。
   F いつごろ?
   A 成田空港の建設当時。
   F 新左翼だったの?
   A そうです。
   F いくつごろ?
   A 19才の頃。
   F 大学生の頃?
   A 大学生。
   F へー、過激派だったの、知らなかった。
     あー、その傾向か・・・
   A たぶんそうです。
     ワーッとなって、そっちに走って他が見えなくなる。
     眠っている状態になる・・・
   F 過去世もそれだ!
   A 何かやってると思うんです。
   F 過去世も何かセクトでやってたのかな?
   A スマトラのミナンカパオの宗教というのは特殊な宗教で、土着の宗教とイスラム
     教が結合した宗教なんです。
     ところが、ジャワの方は純粋なイスラム教で、すごく対立していて、それで戦いが
     1812年にあったんです。
   F それをやってたんだ、Aさんは。
     過激派を今生でも過去世でもやってたんだ。
     あー、そうか、全部符号するじゃない。
   A 符号するんですよ。過激派のセクト活動をやっていた時は、「過去世?何を言っ
     てるんだ、バカヤロー。そんなことよりも現実の問題と戦え!」 と言っていたんだ
     と思いますね。
     それを止めたきっかけというのは、それを否定するような事件が19才の時に二
     つ起きたんです。
     一つは交通事故を起こして走馬灯現象が起きて、あと一つは幽体離脱。
   F 交通事故の時は、生まれた時からその時点までの人生が全部見えたの?          
                          
                                        ・・・続きます
 
                   K-Communication №44 (1994年4月27日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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編集便り - 7
2008-11-13 Thu 14:14
                                        『緑と白の世界』
緑と白の世界ー22-aug_08
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   K-Communication より

   編集便り - 7

   先日、ある人の意識の奥を探っていった時に、不思議なことに出会いました。
   心の中を奥へ奥へと探っていくと、流動的な宇宙の創造原理とでもいうようなものに
   ぶつかりました。
   一方、頭の中心部を奥へ奥へと探っていくと、幾何学的ともいえる宇宙の秩序に出
   会いました。
   一方は動的であり、他方は静的です。
   しかも、この二つが一つのペアというか、陰陽のようなワンセットなのです。
   まさに宇宙は流動しつつ秩序正しいのです。


   自分自身の実感としては、ハートはどこまでも暖かく、愛が渦巻いているという感じ
   ですが、頭の中心部は限りなくクリアーで、どこまでも透き通っており、果てしなく
   透明な世界が広がっているという感じです。
   まったく異質のものが自分の中に同時に存在しています。

                   K-Communication №43 (1994年3月3日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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別窓 | 木霊の森 | コメント:2
編集便り - 6
2008-11-11 Tue 12:06
                                  『巨大な屋久杉の切り株』
巨大な屋久杉の切り株ー21-aug_08
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   K-Communication より

   編集便り - 6

   最近は、待つことだなあとつくづく感じています。
   『気づきの集い』 や 『Kコミの集い』 に何度も参加しながら、「頭ではわかっている
   んだけど・・・」 と、今ひとつ変化の起きなかった人が、『光のセミナー』 に参加し始
   めてから、はっきりと変化が見え始めました。
   人それぞれに合うものがあり、タイミングもあるのでしょう。
   一つのアプローチで変化しなくても、別の角度から取り組めば変わることもあるよう
   です。
   長い目で見守ることだなあと、つくづく感じています。


   最近、光のセミナーや個人セッションで、今生に深い影響を与えている過去世が出
   始めています。
   K(Krishnamurti)を読んでいる方の中には 『過去世』 という言葉に拒絶反応を示す
   方もあるかもしれませんが、現実に目(ま)の当たりにすると、逆に否定する方が固
   定観念や先入観ではないかとさえ感じられます。
   それは今の自分が(今生の)過去の結果であり、過去に深く条件づけられているの
   と同じことです。
   過去世で深く心に残ったものが今生に強く影響を与えています。
   それは今の性格や行動パターンと過去世のそれとが符号することによって納得が
   いきます。 

   普通、過去世とか前世とかは自分ではわからず、チャネラーや霊媒や超能力者に
   聞いて教えてもらうわけですが、光のセミナーの場合は自分ではっきりとビジョンで
   見ることができます。
   それが根本的に他とは違うところです。
   自分ではっきりと見れれば、心から納得がいき、今の自分自身に変化が生じます。
   原因が今生ではなく過去世にあるため、そこまで遡らないと本当には納得できない
   ものもあるようです。
   自分自身を見る=理解するということが、今生だけではなく過去世にまで範囲が広
   がってきました。


   光のセミナーを受けたAさんに明確に過去世が蘇ってきました。
   セミナーの中で過去世のビジョンが幾つか見えたのですが、当日は空想に決まって
   いると頭から疑ってかかったそうです・・・ ところが、翌日、自宅で皿を洗っていると、
   突然、「私はなぜ殺されたんだ!」 という激しい感情と共に、急に泣き出し、当時の
   ビジョンが鮮明に蘇ってきたそうです。
   奥さん(Aさんより一週間前にセミナー受講)と図書館に行って調べた結果、ビジョン
   で見たのと同じ建物が発見され、19世紀にインドネシアのスマトラ島に住んでいた
   ことが判明したそうです。
   当時のミナンカパオ語もポンポン飛び出し始め、電話で現地の人のように流暢に話
   し出されたのには、こちらも面食らってしまいました。

   Aさんはモスクで祈っている時、突然、槍で刺されて殺されました。
   それが鮮明に蘇ってきたようです。
   セミナーのあと10日間は大混乱をきたし、自分の中に二つの人格があるように感
   じられたそうですが、その後は極めてクリアーになり、子供の時のように全てが新鮮
   に見えるようになったとのことです。
   気がつくと、子供の頃から根深くあった言い知れぬ不安や心配(殺された時の記憶
   ?)が一掃されていたとのことです。

   セミナーの二週間後に会ってみると、まるで別人のような感じがしました。
   当時の人格のエネルギーが入って、これまでよりも逞しくなられた感じで、顔付きも
   当時の人にだいぶ似てきました。
   (「日本語がうまいですね」 と外国人に間違われたそうです)

   Aさんはセミナーに一回参加しただけで過去世が出てしまいましたが、誰もがすぐ
   に過去世が出るというわけではありません。
   準備ができたというか、解放して自由になる時が来た人から自然に出て来るようで
   す。
   しかし、過去世はそれ自体に価値があるというものではなく、あくまで内なる真実が
   出て来るための解放のプロセスに過ぎません。

                   K-Communication №43 (1994年3月3日発行) より
                                    >>K-Communication

      
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2008-11-09 Sun 11:47
                                          『海に降る雨』
海に降る雨ー19-aug_08
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   K-Communication より

   編集便り - 5

   小さな子供を観察していると、なにかふあふあしていて、あまり現実感がありません。
   足が地に着いていないというか、まるでファンタジーの世界で生きているかのようで
   す。
   ところが、よく観察していると、大人もこれとあまり変わらないのかもしれません。
   さすがにファンタジーということはありませんが、観念や価値観やイメージの中で生
   きており、真にリアリティに生きている人は少ないようです。
   「こうあるべきだ」 「こうでなければならない」 という、自分が想定した観念の世界で
   生きており、その中で自分がどう思われるかということばかり気にして生きています。
   では、リアリティに生きるとはどういうことでしょうか。

   人は先ず環境との出会いの中で様々な体験をし、それを記憶して自分自身をつくっ
   ていきます。
   しかし、それだけでは、ある意味で環境の産物でしかありません。
   人はもう一度自分が育ってきたプロセスを振り返り、自分自身の条件づけを理解し、
   その軛(くびき)から自由にならなければなりません。
   その時に初めて、環境の産物ではない本当の自分に出会えます。
   そこから、それまでの様々な人生経験を生かして生きる生が始まります。
   それまでは基本的に条件づけの奴隷です。

   人はリ・バース(再生)しなければなりません。
   条件づけの自分がいったん死んで、環境の結果ではない真の自己が蘇る必要があ
   ります。
   それがいわゆる 『磔』 や 『復活』 の意味でしょう。
   そこから真実の生が始まります。
   条件づけを超えた意識が主体性を持って環境の中で生きる生です。

   条件づけ=観念や価値観やイメージの次元を超えなければ、人はリアリティに生き
   ることはできません。
   成長する中で造り上げてきた思考や感情のパターンを超えた時、リアリティが存在
   します。
   そして、真実の自己で現実を生きることこそが真の人生というものではないでしょう
   か。

                   K-Communication №43 (1994年3月3日発行) より
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編集便り - 4
2008-11-07 Fri 15:17
                                           『蔓アート』
蔓アートー09-aug_08
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   K-Communication より

   編集便り - 4

   『花のセミナー』 (女性のためのセミナー) で、子供の 「赤ちゃん返り」 について話
   し合いました。
   どうしても下の子に注意がいってしまうため、上の子が疎外感を感じて、何でも下
   の子の真似をしたがる現象が出たとのことです。

   上の子も親の愛情をほしがって、下の子と同じことをやろうとします・・・そのへんの
   ことを話し合った後で二人の子供と一緒に食事に出かけました。
   すると、お母さんの上の子に対する態度が、これまでとは少し違っていました。
   上の子の気持ちを汲んであげるというか、大切にしているというか・・・別に、こうし
   た方がいいというような方法論は一切話し合わなかったのですが ― 
   ただ、上の子が疎外感を味わっていると、お母さんが強く自覚しただけなのですが
   ― ただそれだけのことで、即、態度に変化が現れました。
   何も具体的な方法は話さなくても、本当に自覚されれば、即、変わります。
   方法ではなく、自覚です。
   その深さです。

   方法にこだわれば不自由になり、応用も効きません。
   その上、何といっても作為的で欺瞞的です。
   (それは結果的に自我を強めます)

   そうではなく、深い理解がある時、その場に応じた自由で適切な行為が自然に生ま
   れます。

                   K-Communication №43 (1994年3月3日発行) より
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編集便り - 3
2008-11-04 Tue 06:19
                                        『霧の木霊の森』
霧の木霊の森ー10-aug_08
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   K-Communication より

   編集便り - 3

   人は先ず、問題を環境や他人という自分以外のせいにし、それを変えようとします。
   ところが、それが容易ではないとわかると、そこから逃避しようとします。
   しかし、いくら逃避しても問題が根本的には解決しないことに気づくと今度は自分の
   せいにして自分自身を変えようとします。
   いずれも自分が他(対象化した自分も含めて)に働きかけて変えようとするパターン
   です。
   そこで、自・他の葛藤が起きます。

   自分の思うように変えたいと思うところから全ての苦しみが始まります。
   他人を変えようとしても苦しいし、自分を変えようとしても苦しくなります。
   自分の思うようにしたいと思う限り、苦しみはつきまといます。
   自分の思うようにしたい ― それこそが自我(エゴ)です。
   そういう意識のゾーンにいる限り、お互いがそうですので、必ず苦しみがつきまとう
   構造になっています。

   この苦しみから抜け出る道は、その意識ゾーンから離れるしかありません。

   「自分の思うようになってほしい ― だから自分でなんとかしようとする」
   「自分の期待するようになってほしい ― だからいつも結果を気にしている」
   「自分の望むとおりになってほしい ― だから将来のために今を犠牲にする」

   それらは全て自我の行為です。
   そして、同時に苦しみの行為でもあります。
   ”自分で”何とかしようとすると苦しくなります。
   大多数の人はそれで悩み苦しんでいます。
   そうではなく、環境と他人と自分とをよく観察し、理解するとき、自分で何とかしよう、
   自他を変えようとする必要は全くありません。
   理解の結果として自分の中から自然に出てくる行為をそのまま行えばいいだけで
   す。
   結果を求めて行うのではなく、自分の心が今感じ、今真に望むことを、今すぐに行
   うだけです。

   「・・・何とかしよう」 「・・・変えたい」 という目的を持った恣意的 (思考的な )行為
   ではなく、ただ理解から起きる純粋な行為があるだけです。
   ”自分で”何とかしようと力むと苦しいのですが、理解の結果としての自然な行為で
   あれば苦しくはありません。

   一見、好ましくないと思われる結果が出ても、それを変えようとするのではなく、
   ありのままの事実をそのまま受け止めて、それと共に生きるしかありません。
   自分の欲するように変えようとするのではなく、それをよく観察し、見守り、理解すれ
   ば、行為はおのずと起きてきます。
   それこそが非自我の行為です。
   自分で何とかしようと思っている限りは自我の行為です。
   ただ観察し、見守り、理解すれば、何もしなくても行為は自然に起きてきます。
   そして、結果も一番ふさわしいようになります。
   なぜなら、非自我の領域から為された行為は同じ次元の結果をもたらすからです。
   それのみが真に満足のいく結果となります。

   現象(環境や他人や自分)を自分の欲するように変えようとするのではなく、それら
   をよく観察し、深く理解することが最も必要なことです。
   変えようとする限り苦しみはなくなりません。
   真に理解され、そこから行為が生まれる時にのみ、現象は根本的に変化していき
   ます。
   表面の現象を変えようともがくのではなく、それを観察し、 その本質を理解すること
   です。

                   K-Communication №43 (1994年3月3日発行) より
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別窓 | 木霊の森 | コメント:4
編集便り - 2
2008-11-01 Sat 09:59
                                    『リュウジン系ヤクゴン』
リュウジン系ヤクゴンー07-aug_08
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   K-Communication より

   編集便り - 2

   心が落ち着いている時には問題はありません。
   問題は心が動揺している時にのみ存在します。
   心が落ち着いている時には、たとえトラブルが起きても冷静に対処することができ
   ます。
   そして、冷静に対応できれば、それは問題とはなりません。
   たとえその場で解決できなくても、静かに注意しながら見守ることができます。
   ところが、心が動揺していると、あれこれ心配したり、不安になったり、妄想を働か
   せたりして、ますます混乱にのめり込んでいきます。
   それはまるで自ら問題を造り出しているかのようです。

   ポイントは、心が落ち着いているかどうかということだけです。
   心が穏やかであれば何の問題もありません。
   実は、本来、問題そのものが存在しないのです。
   問題は全て心の産物です。
   問題とは自我が自分の存在を確認するために造り出す自我の存在証明に他なり
   ません。
   それは自我にとっての生甲斐なのです。

   心が静かであれば問題はありません。
   心が静かであれば心は満たされています。
   ただ、それだけです。
   実にシンプルです。

   自分の心が本当に落ち着いていないと外側に振り回されます。
   そして、落ち着いていない心は問題をすべて他のせいにしがちです。
   環境や他人(ひと)が悪いと思い、環境や他人を変えようとします。
   しかし、環境を変えても、自分自身が変わらない限り、また同じようなことが起きて
   きます。
   他人を変えようとしても、自分の望むようには変わってくれません。
   そこで、他人を恨み、社会を呪うということになります。
   しかし、外側のものは縁であって、因は自分自身にあります。

   ところが、そのことにやっと気づくと、今度は自分自身を変えようとします。
   変えるためにはどうすればいいか ― 様々な方法を模索し、いろいろと努力して
   みるのですが、他人と同じように自分自身もそう簡単には変わりません。

   自分自身を変えようともがけばもがく程、葛藤はつのり、努力すればする程、心は
   苦しくなってきます。
   そこには変えようとしている自分こそが変わるべき対象そのものであるという絶対
   矛盾が存在します。
   (Krishnamurtiが言う「観察者は観察されるものである」というパラドックスです)

   必要なことは、環境や他人や自分を変えようとすることではなく、深く自覚すること、
   はっきりと気づくことです。  

   自分の心こそが動揺や混乱、悩みや苦しみを造り出している元凶です。
   そのことが真に自覚されると、もうどうすることもできません。
   自分自身こそが問題なのですから、もはや自分自身が何かをするということは全く
   できなくなります。
   もうどうにも動けず、どうにもならない・・・
   ただ立ち止まって、黙するしかない・・・

   その時、問題を造り出すことが止みます。
   その時、問題そのものが消えます。
   自分が問題を造り出していたということが本当に自覚されれば、それによって問題
   を造り出す力が消えます。
   自分こそが問題そのものであったと深く自覚されれば、それが問題の終わりです。

   それだけが唯一の真の解決策です。
   自分自身が造り出している問題は、自分自身が造り出すことを止めるしかありませ
   ん。
   ただそれだけです。
   それ以外の方法は、まだ方法を実行している自分 (問題の元凶) が働いているた
   め新たな別の問題を造り出してしまいます。

   ただ心が静まるしかありません。
   心が静かであれば、即、問題はありません。
   心が静かであれば、即、満たされています。
   心が静かであるためには、自分こそが問題を造り出している元凶であると真に心
   の底から自覚することです。 

                   K-Communication №43 (1994年3月3日発行) より
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