いのちの写真と光の言葉
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イメージゲーム - 1
2007-09-30 Sun 11:45
                                         『可憐なキノコ』
可憐なキノコー13-oct
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   K-Communication より 
   
   イメージゲーム - 1

   人は注意の状態にあるとき、一切のイメージから自由です。
   ただ目の前の事実だけがあります。
   しかし少しでも注意がゆるむと、すぐ思考が動きだします。
   思考が動くと、すぐにイメージが形成されます。
   それに気づくと、また思考が止まります。
   そういうことを繰り返しているようです。

   注意の状態のとき、まわりの人達を見ていると、何とも間延びしたあたかも
   スローモーションのような波動の遅い思考で生きているのがよくわかります。
   しかし、その人達はそれに気づきません。
   その思考(自我)に浸りきっています。
   私(自我)そのもので生きています。
   しかし、それはとても鈍く、遅く、だるい運動なのです。
   まるで精妙さや繊細さのない注意力散漫な状態なのです。
   それはまるで、どんよりとした曇り空のようです。
   もちろん、自我で生きている当人は全く気づかないのですが、不注意のために
   多くのことを見落とし、ただ自分に関心のあることのみをキャッチしています。
   人と話をしていても、相手と一緒にいるというより、自分と一緒にいるだけです。
   自分との関係においてのみ、喜んだり悲しんだりしています。
   相手のことは本当には気にしていません。
   自分との関係においてのみ、相手のことも気にしているに過ぎないのです。
   そのような人間関係が展開しているのが、注意の状態の時は手に取るように
   わかります。

   注意の状態のとき、美人やスマートな女性を見ても心は動きません。
   その自己中心的で自己関心的な自我の鈍い波動が感じ取れてしまうため、
   百年の恋も醒めてしまうのです。
   恋は、自我の状態で、お互いに自分のイメージを相手に投影して楽しむゲーム
   です。
   ですから、イメージのない注意の状態では恋は成り立ちません。
   恋は、お互いが自我の状態で、フルにイメージを駆使して成り立つゲームなの
   です。
   人々は注意の状態よりも、甘くとろけるような恋のイメージを追い求めます。
   たとえそれが共同幻想であったとしても、いつかは醒める夢であったとしても、
   見果てぬ夢を追い続けるのです。
   なぜなら、人々にとっては、注意の状態よりハラハラドキドキ、一喜一憂の恋の
   ドラマの方がはるかに魅力的なのです。
   自分のことをどう思ってくれるか、相手のちょっとした仕草から様々に想像して
   楽しみます。
   それはすべてイメージなので、いつ果てるということもなく、そのたびに喜んだり
   不安になったり心配したりして恋のゲームは尽きることがありません。

   人々にとって、喜怒哀楽はなかなか捨て難いドラマです。
   そのドラマの主人公であることは、自分を中心に世界が動いていることだからです。
   一方、注意の状態には夢も希望もありません。
   しかし、人々は夢と希望が大好きなのです。
   それは自分自身が主人公と呼ばれるイメージドラマにほかなりません。
   未来に向かって明るく生きるというのは、なかなかすてきなイメージです。
   理想のために自分を顧みず献身するというのも、とても美しいイメージです。
   しかし、いずれも自分で作ったイメージの中で一人芝居をしているだけではない
   でしょうか。
   人々は、歌に酔い、踊りに我を忘れ、アイドルに陶酔し、スターにあこがれます。
   神に祈り、信仰に我を忘れ、因縁因果を恐れ、輪廻転生に救いを見出します。
   いずれも自分で作った自分のためのイメージです。
   人々はイメージという美酒に酔い、その心地よさに、この世の苦しみをほんの
   ひととき忘れるのでしょうか。

                           ・・・明日に続きます

                  K-Communication №5(1989年 12月号) より
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10月壁紙カレンダー
2007-09-29 Sat 10:55
   10月デスクトップ用壁紙カレンダー、作成いたしました。
   デスクトップの壁紙にお使いください。
   >>こちらからカレンダーページへ

   今日は、カレンダーのみアップです。
   文章がなくて、ちょっと淋しいですが、ごめんなさいね。
   カレンダーの写真、見ているだけでも癒されます。  
   よろしかったらご覧ください。
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信仰
2007-09-28 Fri 09:26
                                          『屋久杉の瘤』
屋久杉の瘤ー25-june
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   K-Communication より 
   
   信仰

   信仰している限り、神を信じている限り、救われることはない。
   それは、ただ思い込んでいるだけであり、自分の作ったイメージに浸って
   いるだけである。
   なぜなら、あなたの神と彼の神は違う。
   地上には、信仰している人と同じ数だけの神のイメージがある。
   それらは、みな幻想にすぎない。

   私は、今の私に耐えられない。
   だから、神にすがる、仏にすがる。
   救ってほしいから・・・
   ちょっと間違うと、共産主義に頼ったりもする。
   しかし、共に依存の構造に違いはない。
   いずれも、今の私が満たされていないから、何かにすがっているに過ぎない。

   しかし、神を信じている限り、信じている私がいる。
   どこまで行っても、私は消えない。
   惨めな、満たされていない私が、そこから離れたい私が、信じている限り
   つきまとう。
   どこまで行っても、信じているのは私。
   私が消えない限り、惨めな、満たされていない現実も消えない。

   それは信仰によっては、けして消えることはない。
   信仰ではなく、私自身を理解したとき、それは初めて消える。
   そのとき、何かにすがる、信仰するということは起きない。
   なぜなら、そうする必要もなく、そうする私もいない。
   全くそれらの外にある。
   信仰とは人間の営みである。
   悲惨な現実からの逃避である。
   真実は信仰の中にはない。
   真実は理解の中にある。  

                  K-Communication №3(1989年 10月号) より
                                  >>K-Communication
           
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Q&A - 2
2007-09-27 Thu 07:04
                                 『口之永良部島に沈む夕陽』
口之永良部島に沈む夕陽ー3007-june
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   K-Communication より 
   
   Q&A - 2 (昨日の続きです)

   次に、『ただ自我の反応と共にいるだけで、意識の変容が起きる』 ということですが。
   見るエネルギーが強いとき、あるいは、出てきた反応が弱いとき、そのようなときは、
   それこそ、一瞥するだけで、瞬間的にその反応は消えてしまいます。
   しかし、反応がとても強いとき(深くこだわっていたり、根深いとき)、それは少し見ら
   れたくらいではビクともしません。
   そんなとき、一人になって、その感情と一緒にいます。
   感情に触れ、自然に感情と溶け合います。
   そうすると、それがハートのあたりで、愛・感動に変わってしまうのです。
   泣き出してしまいたくなるぐらいの感動・・・
   なぜそうなるのかはわかりませんが、実際にそうなります。
   たぶん、感情が愛に触れられることによって愛に変わる、ような気がします。
   これはいくら説明しても、体験しないとわかっていただけないかもしれませんね。
   また、説明は、本人にとっては必要ではありません。
   事実があれば、それで十分なのです。
   この体験の後は、何が起きても怖くない、反応が出たらただ一緒にいればいい、
   そうすればそれは消えてしまう、愛に変わってしまう ― という感じで、とても楽に
   なりました。

   キーは、やはり見るエネルギーだと思います。
   これが強いと、気づいた一瞬のうちに反応は消えてしまいます。
   しかし、弱いと時間がかかります。
   何回も何回も見る必要があります。
   見るエネルギーを強める唯一の方法は、”見る” ことです。
   日々、自分自身を見つめている。
   一切、判断・解釈・言語化せずに・・・
   そして、Kの本を読む。
   見るエネルギーは見ることによってのみ育ちます。
   見ることが初めであり、見ることが終わりです。
   見るエネルギーが、全てをほどいていきます。
   全てを溶かしていきます。
   それが解放であり、自由です。
   それは、”私” にはコントロールすることができません。
   ”私” にできることは、ただ見ようと意図することだけです。
   そのとき、見るエネルギーが流れ始めるのです。
  
                  K-Communication №4(1989年 11月号) より
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Q&A - 1
2007-09-26 Wed 10:17
                                          『中秋の名月』
中秋の名月ーmoon-04
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   K-Communication より

   Q&A - 1

   これは、K - communication №3 『台風』 についての質問への回答です。
   『台風』 を読まれてから下の文章を読まれますと、より一層理解が深まります。
   『台風』 は  >>こちら


   [ Q ] 
   これは 『苦しみとともにある』 というのがテーマですね。
   K(Krishnamurti)の本にもたびたびでてくるのですが、ポイントは次のところです。
   『その時、言葉を超えた意識の変容が起きる。不思議なことだけれども、それは
   起きる』 というのも、必ず次のような反論がでると思います。
   『いや、私は ”怒り” と共にとどまったけれど、怒りはなくならなかった。』
   これに対して、どう答えたらいいのでしょう。
   『ただ自我の反応と共にいる』 だけで 『意識の変容が起きる』 というのは私には
   体験できませんし、理解できないのです。
   あなたの見方を教えてください。

   [ A ]
   Kをすすめた方と話をしました。
   『見ることをしてますか』 『一緒にとどまるということをしてますか』
   『落ち込んだとき、その落ち込みと一緒にいたら、なおさら落ち込んでしまって・・・』
   確かに、質問の中にもあるように 『怒りと共にとどまったけれど、怒りはなくならな
   かった』 というようなことも、あるのかもしれませんね。(その方が多い?)
   なぜ、一方は反応が消え、他方は逆に反応が強まるということが起きるのでしょうか。
   たぶん、前者は見る方にフォーカスが行っており、後者は反応の方にフォーカスが
   来ているのではないでしょうか。
   見ているつもりが、いつの間にか反応そのものに (怒りや落ち込みに) なってしま
   っているのです。(思考が働いて)
   それは見るエネルギーよりも、反応のエネルギーの方が強いから、反応に巻き込
   まれてしまうのではないでしょうか。
   その方には、Kの本を毎日読むこと、できる限り、いつも自分を見ていることをおす
   すめしました。
   それによって、見るエネルギーが培われると感じるからです。
   見ることによってのみ、見るエネルギーは育ちます。
   Kの本を読むことは自分自身を見ることです。
   そして、日常生活で、一切判断や解釈することなく、自分自身の反応を見ているな
   らば、見るエネルギーは徐々にあふれ出てくるのではないでしょうか。

   次に、『ただ自我の反応と共にいるだけで、意識の変容が起きる』 ということですが。    
                                ・・・明日に続きます    

                  K-Communication №4(1989年 11月号) より
                                  >>K-Communication
           
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2007-09-25 Tue 07:43
                                           『木霊の森』
木霊の森ーkodama-33
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   K-Communication より 

   イメージ - 3  (昨日の続きです)

   では次に、『別のイメージに変えるのではなく、一旦持ってしまったイメージを消す
   ことができるだろうか。』 ということですが ―
   それは、反応(イメージ)が出たときに、それに気づく、それしかないのではないで
   しょうか。
   普通は反応として出てこない限り、何がイメージとしてストックされているのかわか
   りません。
   ですから、それが出てきた時に気づいていくしかないように思います。
   それは、見られたときに消えます。
   あるいは、イメージとして持っていることに気づいたとき、一気には消えないまでも、
   それはその拘束力を弱めます。
   そして、何回も何回も見られるうちに、その影響力を失っていきます。
   それは見るエネルギーの強さに関係するのかもしれません。
   見るエネルギーが強ければ、一瞥しただけで消えることもあるでしょう。
   そうではなくて、何回か見るうちに段々と消えていくこともあるかもしれません。
   すべての条件付け、先入観、イメージが見られ、理解され、解消される必要がある
   のではないでしょうか。
   その時、真に自由になることができるように思います。

   条件付け(イメージの反応)は日常生活の中で自然に出てきます。
   それに気づけるかどうか、たえず注意深くあることができるかどうか、
   それがイメージから自由になれるかどうかのポイントになるように思います。
   目の前の現実を一切言語化しないで、ただ自分の反応に注意深く気づいている、
   内と外に注意深くあることがイメージからの自由ではないでしょうか。
         
                    K-Communication №4(1989年 11月号) より
                                    >>K-Communication
           
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2007-09-24 Mon 11:38
                                           『木霊の森』
木霊の森ーkodama-34
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   K-Communication より 

   イメージ - 2  (昨日の続きです)

   [ 問3 ] では、どうしたら一切のイメージを持たないことが可能だろうか。
          別のイメージに変えるのではなく、一旦持ってしまったイメージを
          消すことができるだろうか。

   上の問いに対して、次のような答えが送られてきました。

    ある人が、時折起こる腹痛に悩まされていました。
    そこで、彼はその原因について調べてみました。
    そして、それが、冷たい水を空腹時に飲むことだ ― ということに気づきました。
    その時、その人がこうたずねたとします。
    『ではどうしたら空腹時に冷たい水を飲まないようにすることが可能だろうか』
    この人、おかしいですね。

   確かに、ここに書かれてあるように、イメージを持たないためには、
   イメージの構造を理解するのが第一ではないでしょうか。
   本を読んで理解する。
   自分自身の日常生活を見て理解する。
   その理解があることによって、日常において注意深くなり、その結果、イメージが
   形成されにくくなる。
   注意深いとは、いつも自分自身に気づいているということです。
   つまり、”見ている”。
   それが唯一、イメージが形成されない状態ではないでしょうか。

   このことを、もう少し詳しく見てみますと・・・
   それは、言語化しないということです。
   ある状況があります。
   それを言語化しないならば、つまり、認識するとか断定するとかしないならば、
   それは記”憶”にはなりません。
   ただ、記”録” されるだけです。
   (認識・断定とは ― 好き・嫌い・良い・悪い・上手・下手・高い・安い、これはこう
   いうことだ・ああいうことだ ― すべて比較にもとづいています。絶対的ではなく
   相対的です。言語化というのは比較にもとづいているようです)

   記憶も記録も共に脳にストックされますが、記録のほうはただ事実のみが蓄積
   され、記憶は事実と共にそれにまつわる私の判断・解釈・感情もセットでしまわれ
   ているようです。
   そして、それを思い出すとき、一方は事実のみが、他方はその時の感情も一緒に
   よみがえってきます。
   私達は、普通、”私を通して” 経験しているため、ほとんどが記憶として蓄積されて
   います。
   そして、それが先入観、いわゆるイメージとなるわけです。

   このイメージ・記憶から自由であるためには、対象を言語化しないことです。
   言語化することは、過去の経験によって、今を定義することです。
   言語化することは、自分の解釈の仕方で事実をとらえることです。
   それは事実そのものではなく、”私を通した事実” なのです。
   私の色がついた事実であり、私の経験を通した事実の認識なのです。
   言語化するということ自体が、すでにその人特有の認識そのものなのです。
   ですから、同じことでも、人によって認識の仕方が違い、意見がわかれるというこ
   とがでてきます。
   つまり、ある対象に対するイメージは、人それぞれに異なります。
   しかし、もしそこに私の言葉が介入しないなら、つまり言語化しないなら、どうなる
   でしょう。
   そのときは、ただ事実のみが記録され、それが個個人で違うということは起きない
   のではないでしょうか。
   各人が、各人の経験(過去)によって、事実を認識するから、各人で違ったイメージ
   が定着するのです。
   もし言語化しなければ、ただ事実だけがあるのです。
   つまり、イメージはないのです。
   言語化というのが、イメージになるかならないかの鍵になるようです。
   ただ黙って見るとき、聞くとき、一切判断、解釈しないとき、それはイメージとはなり
   ません。
   感情的な反応が出たとき、それにすぐに気づき、それを言語化しないならば、
   それは記憶(イメージ)とはならないのです。

   では次に、『別のイメージに変えるのではなく、一旦持ってしまったイメージを消す
   ことができるだろうか。』 ということですが ―

                            ・・・明日に続きます
         
                  K-Communication №4(1989年 11月号) より
                                  >>K-Communication
           
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2007-09-23 Sun 05:38
                                           『木霊の森』
木霊の森ーkodama-35
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   K-Communication より 

   イメージ - 1

   ある人から、『君は間違っている』 『君は何もわかっていない』 と、散々ののしら
   れると、その人の印象が、自分のなかの相手を非難する感情と共に記憶される。

   次にその人に会った時、すぐに(自動的に)その時の記憶が蘇ってくる。
   マイナスのイメージと共に蘇ってくるので、嫌な感じ、暗い気分になってしまう。
   もちろん、相手を白紙で見るなどということは不可能で、前回の自分を非難した
   嫌なイメージでしか見れない。

   しかし、彼は、今回はとても好意的で、前回のことを詫びようとさえ思っていたの
   かもしれない。
   ところが、こちらの嫌な感情が伝わって、なかなか詫びれないうちに、私の方が
   溜まっていた感情をそのままぶつけてしまう。
   そこでまた、お互いの行き違いが生じる。
   そして次に会った時も、お互いに今回のマイナスイメージを持っており、どうしよう
   もない関係が深まるばかりである。
   まさに悪循環。

   [ 問1 ] では、この悪循環を断ち切るにはどうしたらいいか。

   たぶん、私は誰かに相談する。
   相談された人は、お互いの誤解を解くため骨折ってくれる。
   そして、やっとのことで、これまでのことはお互いの誤解であり、本当は共に相手
   に良かれと思ってしていたことだというのがわかる。
   ここまでなら世間にもよくある話である。(たまに?)
   これで本当にめでたしめでたしだったら、K(Krishnamurti)の出てくる幕はない。
   ところが実際には、これでハッピーエンドとはならないから難しい。

   彼が私に好意的であるということがわかった。
   すると今度は、彼に対してプラスのイメージを作ってしまう。
   つまり、何か重要な集まりがあれば、彼は必ず誘ってくれるに違いない。
   極秘情報も真っ先に教えてくれるだろう。
   彼は私を大切に扱ってくれるはずだ。
   ところが、彼がこの期待(イメージ)通りにやってくれるとは限らない。
   彼は彼のやり方で好意を示す。
   けして、こちらのイメージ通りにはやってくれない。
   そこでまた葛藤が起きる。
   『彼は本当に私のことを思ってくれているのだろうか?』
   期待が大きければ大きい程、落胆もはなはだしい。
   結局、マイナスのイメージを持っても、プラスのイメージを持っても、共に傷ついて
   しまう。
   心の葛藤から逃れられない。
   なんらかのイメージがある限り、私が傷つくことは避けられない。

   [ 問2 ] では、どうしたらいいのか。

   それは、イメージを持たないようにするしかない。
   イメージを持っている限り、必ず裏切られる。
   イメージは過去に基づいている。
   しかし、出会う相手は今の相手である。
   固定的な過去のイメージと、生きている現実の相手との間には、必然的にギャッ
   プが生じる構造がある。
   このギャップを防ぐには、一切のイメージを持たず、今、目の前の相手といるしか
   ない。

   [ 問3 ] では、どうしたら一切のイメージを持たないことが可能だろうか。
          別のイメージに変えるのではなく、一旦持ってしまったイメージを
          消すことができるだろうか。

                  ・・・明日に続きます。
                  [ 問3 ]、皆様も考えて”見て”くださいね☆ ぴあの

         
                  K-Communication №3(1989年 10月号) より
                                  >>K-Communication
           
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見ることは感じること - 2
2007-09-22 Sat 07:25
                                           『黄色い花』
黄色い花ー2907-june
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   K-Communication より 

   見ることは感じること - 2  (昨日の続きです)

   見ることの中には、判断・解釈・分析、そのような一切の思考はありません。
   それは思考を越えた状態、思考の外の状態です。
   それは花を見て、そのエネルギーを感じることであり、一切言語化しないことです。
   言葉にすること自体が、既に判断であり、解釈です。
   そうではなくて、ただ見、感じるだけです。
   そこに ”私” はなく、ただ感受性があるだけです。
   それは自分自身の反応を見る場合も同じです。
   一切、判断、解釈、言語化しないで、ただ感じている、気づいているだけです。
   ですから、そこに ”怒り” や ”悲しみ” があったとしても、それを名付けなければ、
   ただ感情の”ある状態”があるだけです。
   それを ”怒り” や ”悲しみ” と認識しているのは自我であり、もし名付けないなら、
   そこには、ただ ”ある状態を感じているだけ” があります。
   それが、”見ている”、”気づいている” ということではないでしょうか。

   自我のレベルの反応、”怒り・憎しみ・ねたみ・恨み・悲しみ・喜び・・・” それらを名付
   けることなく、ただ感じています。
   気づいています。
   それと同時に、外のもの、花や鳥や空の雲・・・それらも名付けることなくただ感じて
   います。
   内と外に、ただ感じている・気づいている状態があります。
   一切言葉はありません。
   一切解釈はありません。
   ただそのもの自体を感じているだけです。
   それは、普段私達がいる自我の状態とは少し違うのではないでしょうか。
   Kは、その沈黙の時は、一瞬、一秒でもいいと言います。
   その時の十分な体験が自我からの自由をもたらすと言うのです。
   確かに、言語化しない状態、ただ感受性だけの状態は、今までの意識状態とは全く
   違うような気がします。
   外を歩いていても、木や花が微笑みかけ語るように感じられ、鳥や犬も親しげです。
   これまで生きてきた自我のフィールドとは何かが違います。
   そこには思考では絶対に感じ取れない空間があるのです。
   何か自我とは全く違う次元に生きている状態があるのです。
   それは一切言語化しないで、静かに見ている、感じている時、出現するのではない
   でしょうか。
         
                  K-Communication №5(1989年 12月号) より
                                  >>K-Communication
           
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見ることは感じること - 1
2007-09-21 Fri 09:48
                                            『ランタナ』
ランタナー2707-june
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   K-Communication より 

   見ることは感じること - 1

   花を見ます。
   見た瞬間、何か感じるものがあります。
   花の持つエネルギー、色の輝き、美と呼ばれるものを直感します。
   そして、次の瞬間、『ああー なんて美しいんだろう!』 と言葉がでます。
   最初、花を見た瞬間、言語化する前、それはK(Krishnamurti)が言う思考と思考
   の合間、時間を越えた沈黙の時ではないでしょうか。
   初めに、ただエネルギーを感じます。
   そして、それを言葉で認識するとき自意識となります。
   言語化する前の、ただエネルギーそのものを感じているとき、そこには、ただ感じ
   るという行為があるだけです。
   それは ”私” が感じているのではなく、ただ感じている状態があるだけです。
   それがKの言う ”見ること” ではないでしょうか。

   それは ”私” が見ているわけではありません。
   ”私が見ている” というのは言語化していることです。
   『美しい・・・赤い色が・・・』 それは、認識であり、解釈であり、判断です。
   そこには個人差が出てきます。
   各個人の過去を基に認識し、判断し、解釈しますから、ある人にとっては ”美しく”
   別の人にとっては ”まあまあ” で、他の人にとっては ”美しくない” かもしれません。
   しかし、言語化する前の、ただ花のエネルギーを感じているだけの時、そのような
   違いがはたしてあるのでしょうか。
   そこには、美しいも、まあまあも、美しくないもなく、ただ花があるだけではないで
   しょうか。
   それを、人の認識・判断・解釈が歪めることによって、美しい花や、まあまあの花、
   美しくない花にしてしまっているのではないでしょうか。
   事実はその花があるだけなのに、認識や判断、解釈をすることによって、人々が
   幾種類もの花々をそのまわりに作りだしてしまうのではないでしょうか。

   K が指摘するのは、事実に自我が介入し、”私” 固有の見方で事実を歪めてしま
   うということではないでしょうか。
   私固有の見方をすることによって、いくつもの見方、観念、思想ができ上がってし
   まいます。
   それが分離や争いをもたらす原因になるのではないでしょうか。
   花だけであれば、たいしたことにはならないでしょうが、この世のあらゆる事象を
   人それぞれが独自に認識し、判断し、解釈した時、はたしてどういうことになるで
   しょう。
   そして、それが今、現実に世界の中で起きていることではないでしょうか。
   だから、このような混乱と分離と争いに満ちた世界が存在しているのではないで
   しょうか。

   争いは、思考の持つ二重性からくるものかもしれません。
   思考は比較に基づいています。
   『美しい・醜い、好き・嫌い、良い・悪い、高い・低い・・・』 すべて相対的です。
   ですから、思考を使う以上、比較=判断=自我の介入が避けられないのかもしれ
   ません。
   つまり、思考を使う以上、葛藤・争いは避け難いということです。
   絶対的なものは思考の中にはないのではないでしょうか。
   相対的であるが故に、論争が起き、争いに発展するのではないでしょうか。
   そして、私が思考を基盤にしている以上、絶対的なものに巡り合うことは不可能で
   はないでしょうか。
   思考という相対的なものに依存している以上、”絶対” というものには ”絶対” 触れ
   ることができないのではないでしょうか。
   絶対的なものは思考を越え、言葉の次元を超えているでしょう。
   それはたぶん直接的に体験するしかないでしょう。
   そのためには、思考ではない何か他のものが必要ではないでしょうか。
   それは ”見ること” ではないでしょうか。

                           ・・・明日に続きます
         
                  K-Communication №5(1989年 12月号) より
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肯定は否定 否定は肯定
2007-09-20 Thu 08:36
                                        『大川の滝の虹』
大川の滝の虹ー19-feb
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   K-Communication より  

   肯定は否定 否定は肯定

   K(Krishnamurti)は一切肯定的な物言いをしない
   否定 否定 否定である
   なぜKは肯定的表現をしないのか

   それは 肯定的表現をすれば
   思考の解釈になってしまうからである
   宇宙はこういうものだ
   人生の目的は・・・
   真実は・・・
   これらは いずれも頭の解釈にすぎない
   言語化したとたん それは真実ではなくなる
   真実は言語化できない
   真実は真実そのものであり
   言葉を超えている

   言語化されたものは
   真実のイメージにすぎない
   真実が言葉に翻訳されたものである
   それは けして 真実そのものではない
   だからKは 真実を肯定的に述べることをしない
   もし それをすれば
   人々は その言語化されたイメージを
   真実だと思い込むにちがいない

   真実は言葉の中にはない
   真実は 直に 体験されねばならない
   直に ふれるしかない
   言語化されたものは 真実ではない
   本の上にあふれる 『真実』 は真実ではない
   真実を言語化すれば
   あたかも 言葉の 『花』 に香りや美しさが無いように
   真実は生命の無いものになってしまう
   香りや美しさの無い花は花ではない

   結局 人は 真実を自分で直に体験するしかない
   それには 真実でないものを否定するしかない
   真実でないものから 真実はけして生まれない
   真実は 真実でないものが存在しない時にのみ 在る

   真実の肯定は真実の否定 非真実の否定は真実の肯定
                                
                  K-Communication №2(1989年 2号) より
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受動的気づきの状態 - 2
2007-09-19 Wed 08:04
                                              『夕陽』
夕陽ー10-dec
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   K-Communication より
  
   受動的気づきの状態 - 2 (昨日の続きです) 
   ― A state of passive awareness ―

   また、別の言い方をすれば、前者は意志(自我)の方にフォーカスが行って
   おり、後者は気づいているエネルギーの方にフォーカスが行っているとも
   言えるかもしれません。
   実際は、見ているエネルギーの方が意志(自我)を全体的に包んでいるという
   感じがあります。
   それは、意識のどんな微妙な反応も感じてしまうような、透明で精妙な限界と
   いうもののない全体的エネルギーなのです。

   以上の経過の中で、最も重要なことは、意識的に見始める時に、けして、
   判断・解釈・言語化をしないということです。
   それをやっている限り、自我の外に出ることはできません。
   つまり、受動的気づきの状態は、けして起きないのです。
   ただ、黙って事実と共にある時に、言葉では言い表せない気づきが突然やっ
   てきます。
   パッと何かを感じるのです。
   即座にわかってしまうのです。
   それは自我では説明できない不思議なことです。
   キーになるのは、言語化せずに、ただ、事実と共にとどまれるかどうかという
   ことです。

   もう一つ、とても大切だと思うことは、毎日、K(Krishnamurti)の本を読むことです。
   Kの本を読むことは、自分自身を見つめることです。
   それは見る訓練であり、その中で、見る目(芽) が育つのです。
   見るエネルギーが増大するのです。
   日常生活の中で見ることは最も大切なことですが、ややもすると、私達は忙しさ
   に追われ、見ることを忘れがちになってしまいます。
   しかし、そういう場合でも、毎日Kを読み続けていれば、知らないうちに見るエネ
   ルギーは育ち続けます。
   それが、やがて受動的気づきの状態へとつながって行きます。

   以上は、あくまで個人的体験を通して見た、受動的気づきの状態についての
   一つの記述でしかありません。
   もしかしたら、間違っているかもしれません。
   いずれにせよ、人は、その真実を ”自らを通して” 発見するしかありません。
   ただ、受動的気づきの状態というのが、とてもわかりにくいという声をよく聞くので、
   何かの参考になればと思ってまとめてみました。
                                
                  K-Communication №3(1989年 10月号) より
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受動的気づきの状態 - 1
2007-09-18 Tue 10:24
                                           『光の噴火』
光の噴火ー12-oct
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   K-Communication より
  
   受動的気づきの状態 - 1
   ― A state of passive awareness ―

   受動的気づきの状態はどのようにして起きるのでしょうか。
   ある人の体験を踏まえながら、一緒に見てみたいと思います。

   先ず、見ることの必要性に気づくことから、すべてが始まります。
   それは普通、K(Krishnamurti) の本を読むことがきっかけになるようです。
   次に、『では、見てみよう』 と、”意識的に見ること” をスタートさせます。
   先ず、花や鳥など外部のものを見つめ、それから、自分自身の反応を
   見ようとします。
   しかし、初めのうちは、見ると同時に、すぐ、判断したり、解釈したり、
   言語化したりしてしまいます。
   それでは、別の自我が他の自我を見ているに過ぎません。
   そこには、見る者と見られるものの分離があります。

   これではいけないと、今度は、一切、判断・解釈・言語化しないで、
   ただ見ることだけをしようとします。
   ところが、ただ見ることだけがなかなかできません。
   すぐに思考が働いてしまいます。
   しかし、そういう意識的に見るということを続けているうちに、ある時、
   ふと、一瞬ですが、ハッと何かに気づくことが起きます。
   それを確認したくて、すぐ言語化してしまうのですが、もうその時は
   気づきの状態ではありません。
   でも、その一瞬前は、言語化できない気づきそのものなのです。

   やがて、そのような一瞬の気づきが、だんだんと増えてきます。
   そのうち、意識的に見ようとしなくても、気づきが起きるようになります。
   だんだんと、無意識のうちに、見ている・気づいているという状態が増え
   てきます。
   ついには、全く意識しないのに、いつも見ているエネルギーが存在して
   いるという状態になります。
   何をやっていようと、それとは別に、絶えず、見ている・気づいている
   エネルギーがあるのです。
   すべてを、絶えず、見ている・気づいているのです。
   一切、判断や解釈・言語化することなく、ただ、見ている・気づいている
   だけのエネルギーです。
   無意識に、いつも見ている・気づいている、これが受動的気づきの状態
   です。

   現実に対する反応は起きますが、その直後に、その反応に気づきます。
   ほとんど反応と同時に気づいている状態です。
   (もっと進めば、きっと、反応さえ起きなくなるでしょう)
   いつも見るエネルギーの高い静かなバイブレーションと共にあります。
   といって、意識的に見ようとする時の、あの緊張感があるわけではありま
   せん。
   むしろ、それはリラックスしています。
   意識的に見ようとする時には、見ようとする意志(自我)が働いていますが、
   受動的気づきの状態では、意志は一切働いていません。
   それは積極的に見ているのではなく、受動的に気づいているのです。
   あたかも、男性原理と女性原理の違いのように、一方は攻撃的であり、
   他方は受け身なのです。

                         ・・・明日に続きます
         
                  K-Communication №3(1989年 10月号) より
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批判
2007-09-17 Mon 07:01
                                        『シラサギの群』
しらさぎの群ー1707-june
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   K-Communication より
  
   批判

   人を批判するのは、あるイメージがあって、それと、その人が違っている時
   である。
   『こうあるべきだ』 『そうあるはずだ』
   『こういうことをしてはいけない』 『そういうことはけしてない』
   ・・・
   そういうイメージ(先入観)がなかったら、ひとを批判するということは起きない。
   イメージと現実のその人が異なる時に、批判が始まる。
   イメージや基準を持たずに、人をあるがままに見ている時、批判はどこからも
   起きてこない。
   イメージや基準があるが故に、批判がある。
   イメージや基準がなければ、批判もない。
   ただ、あるがままのその人がいるだけである。                 
                        
                 K-Communication №3(1989年 10月号) より
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苔の森の木霊たち
2007-09-16 Sun 06:10
                                     『苔の森の木霊たち』
苔の森の木霊たちー12-feb
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   今日は写真のみアップです。ごめんなさい。
   下の文章は、この写真が屋久島ナチュラルヒーリングのトップページに
   アップされたときの、掲示板でのkimiさんコメントです。   ぴあの

  
   ここは木霊の森です。
   木霊の森の中でも最も苔が美しいところ。
   足の踏み場もないほど苔がびっしり生えています。
   ここは立ち入り禁止です。
   別に誰が決めたわけでもありませんが、自然にそうなりました。
   それほど苔の美しいところです。
        
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生命(いのち) の世界へ
2007-09-15 Sat 05:48
                                           『木霊の森』
木霊の森ー30-nov
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   K-Communication より
  
   2 生命(いのち) の世界へ (昨日の続きです) 

   感動するのは生命であり
   行動するのも生命である

   バラに限らず、子供や夫、妻、友人・・・ あらゆるものに対しても同様である。
   その時その時の生命を感じずに何が理解できるだろうか。
   その時その時の生命を感じた時に、初めて私たちは感動する。
   イメージの中、観念の中に感動はない。
   生きる喜び、生の躍動感はない。

   自分自身についても同様である。
   本を読んでわかったつもりになっても、直接自分自身にふれない限り、真に
   理解したことにはならない。
   なぜなら、いくら頭でわかっても、それが行動へと結びつかない。
   『頭ではわかるけど・・・ でも・・・』 の世界である。
   理解と行動が分離している限り、それは真にわかったことではない。
   真にわかるとは、理解が即行為となることである。
   見て、理解して、行為する、それは一つのことでしかない。
   それが真の理解である。

   私たちが思考の世界に住んでいる限り、理解と行為との間に分離がある。
   なぜなら、事実と行為との間に思考が介在するため、事実が直接行為とふれ
   あえないのである。
   思考が造りあげたものは抽象観念にすぎない。
   だから生命が無い。
   生命が無いものは即行為と結びつかない。
   なぜなら、行為は生命であり、生命は生命を理解したとき、生命とふれあった
   とき、おのずから生命が生命に反応して、それが即行為となるのである。
   感動するのは生命であり、行動するのも生命である。
   今、私たちは思考を超えて、生命の世界へ、直接、宇宙や真実にふれる時に
   きているのではないだろうか。                      
                        
                 K-Communication №2(1989年 2号) より
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思考を超えた世界へ
2007-09-14 Fri 08:15
                                           『木霊の森』
木霊の森ー29-nov
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   K-Communication より
  
   1 思考を超えた世界へ

   『そう思いますか』 『思いませんか』 の世界から
   『わかりますか』 『感じますか』 の世界へ

   思考の世界には、『そう思う』 『そう思わない』 という、はてしない議論がある。
   いろんな事象を寄せ集め、それを論理で構築し、概念化して、わかったと思う
   世界である。
   だから、同じ対象を見ても、論理の組み立て方が違えば、でてくる結論も違っ
   てくる。
   一つの解釈、一つのイメージ、主義・主張、信念、信仰の世界である。
  
   いずれも頭で造りあげた抽象観念にすぎない。
   思考を超えた世界とは、頭で思う、考えるのではなく、直接対象からわかる、
   直接感じる世界である。
   事実を頭の中で組み立て直して解釈するのではなく、直接事実そのものから
   理解するのである。
   そこには、何の理由も、論理も、思考もない。
   思考を通さずに、直接対象から、理解へとつなげるのである。
   対象が自らを明かす、直接対象とふれあう世界である。

   それは、わかるからわかる、としか言いようのない世界である。
   私と対象との間に思考が介在しないから、何の解釈の必要もなく、そのまま
   わかってしまうのである。
   わからないのは、自分が濁っているからである。
   自分の中に観念がいっぱい詰まっているから、事実を見た時、すぐにその
   観念が反応してしまい、事実がありのままに、スーッと入ってこないのである。

   例えば、きれいな花を見ても、『あ、バラが咲いている』 で終わってしまう。
   バラを見たとたん、記憶の中にある過去のバラのイメージが反応して、それで
   目の前のバラをわかったような気になってしまうのである。
   既成のイメージを、眼の前の世界に一つしかないバラの花に重ねて、わかった
   つもりになるのである。
   そのバラは、その時、その場にしか存在せず、他のどんなバラとも違い、
   その時だけの色彩や香りを持っているのである。
   その時だけの、瞬間、瞬間の生命を持っているのである。
   しかし、私たちは、その瞬間の生命を味わおうとはせずに、過去のイメージで
   そのバラを見てしまい、みすみす感動するチャンスをなくしてしまうのである。
   バラに対する一切の先入観をはずして見ない限り、真にそのバラを理解する
   ことはできない。
   バラと私との間に、過去のバラのイメージがある限り、直接そのバラにふれる
   ことはできない。
                      
                      ・・・明日に続きます   

                 K-Communication №2(1989年 2号) より
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ひとみ
2007-09-13 Thu 06:00
                                           『木霊の森』
木霊の森ー27-july_07
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   K-Communication より

   ひとみ

   新鮮な緑を見れば 瞳は緑色になる
   透き通る青空を見れば 瞳は青色になる
   木々のそよぎ 鳥の羽ばたき
   瞳の中に 自然がある
   瞳の中に 自然の美が宿っている

   思考が働かなければ
   緑や青空の中に 美がそのまま存在する
   しかし 一瞬後 『私』 がそれに気づく
   そして言う 『なんて、うつくしいんだろう』
   そこで 美は終ってしまう
   そこから 美の所有が始まる
   美の自己化である
   認識すること=言語化することが 即ち 所有である
   それが記憶となる
   『私』 の記憶  『私』 の所有物
   それが 『私』 を形作る

   美は一瞬前の 言葉の前の
   緑や青空の中にある
   言語化したとたん それは死ぬ
   美は言葉や解説を越えている
   美は 思考の外に 沈黙の中に
   それ自体として 息づいている
                        
                 K-Communication №3(1989年 10月号) より
                                 >>K-Communication
           
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別窓 | 木霊の森 | コメント:4
2007-09-12 Wed 05:54
                                           『癒しの水』
癒しの水ー11-aug_07
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   K-Communication より

   水

   水は あらゆるものを浄める
   自らは汚れながらも ふれあうものを浄化していく
   そして やがて また 自らも浄まっていく
   一定の場所に留まることなく 流れるが故に
   自らを浄くたもつことができる

   水は かたちを持たない
   かたちがないから
   どこへでも行ける
   行った先のかたちになって
   浄めている

   水は すべての生あるものを育む
   自らを与えることによって すべての生命を生かす
   水は 雨になり 川になり 海になり 雲になる
   一瞬もとどこおることなく流れながら
   すべての生命を生かしている

   サラサラとながれている
   透明な 透明な感覚
   ただ 流れている
   すべてを生かし 浄めながら 流れている
   私なく 執われなく 澱みなく
   ただ 自然のままに
   宇宙とともに流れている
                        
                   K-Communication №0(1989年 10月号) より
                                 >>K-Communication
           
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別窓 | 木霊の森 | コメント:4
石頭
2007-09-11 Tue 09:28
                                            『入道雲』
入道雲ー07-july_07
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   K-Communication より

   石頭

   あの人は石頭、考え方が固くて・・・と、よく言うけれど、これホントの話?
   自我が強いと、脳が固いこと、固いこと、まるでコンクリートで固めたみたい。
   わからず屋!、と、つい言ってしまいたくなる?

   自由な人は柔らかい。
   ホントに脳が柔らかい。
   だから対応も柔軟。
   それが極まると愛になる。
   愛には角がなく、すべてを包んでしまう。
   石頭は固いから、いつもまわりとカチンカチンぶつかっている。(それも可愛い?)

   余計な記憶が詰まってないと、脳は柔らかい。
   生命が生き生きと溢れ、赤ちゃんのように柔らかい。
   余計な記憶(心配、取り越し苦労、憎しみ、恨み、ねたみ、怒り・・・その他、ありと
   あらゆる心理的記憶) が一杯詰まっている脳は固い。
   がんじがらめで、ちっとも自由がない。

   年齢に関係なく、先入観や意見が一杯詰まっていると、コチンコチンの堅物と
   呼ばれる。
   主義主張や信念・信仰がないと、脳はカラッポで柔らかい。
   本当に脳の中身が柔らかい。
   多分、脳の組織レベルの質が違う。
   見たことはないけれど、そんな感じがある。

   まわりの人をよく見てごらん。
   石頭の人と、頭の柔らかい人。
   自由な人と不自由な人。
   脳が柔らかくて自由な人は、広がりがある。
   脳が固くて不自由な人は、狭い、小さい、こだわってる。

   自我が解放されていくと、脳もやわらかくなる。
   心理的な記憶が消えていく。
   カチンカチンとまわりとぶつからなくなる。
   それでいて、曖昧ではなく、明晰である。

   石頭である限り、自由はない。
   からっぽの頭が必要である。
                        
                   K-Communication №3(1989年 10月号) より
                                 >>K-Communication
           
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別窓 | 風景 | コメント:2
縁 - 2
2007-09-10 Mon 07:05
                                         『岸の向こう側』
岸の向こう側ー16-feb
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     日記 『無色透明』 より

     縁 - 2  (昨日の続きです)

     現実の源は
     想い
     その想いは
     縁によって生じる

     しかし
     その想いはコントロール可能
     よく観察し理解すれば
     振り回されることはなくなる

     理解するまでは
     縁によって自動的に想いが反応する
     反応した想いは
     そのまま現実化していく

     無意識のままに現実が展開していく
     自分の意志とは離れたところで現実ができあがる
     無自覚の創造
     心当たりのない現実

     心当たりの現実にするためには
     すべての想いに注意を払うしかない
     無意識に想いが展開するのに気をつけるしかない
     自分の人生が無意識の人生にならないように

     無自覚のままでは
     現実は変わりようがない
     明確に自覚することによって
     現実は変わる

     自分の想いをはっきりと自覚する
     それなしでは今の現実が続くだけ
     無自覚の想いによる自動的な展開が続いていくだけ
     カルマという名の縁が独りでに回っていくだけ

     無自覚とは無明
     光なき闇
     自分が見えていない人生
     縁のままに振り回される人生

     縁によって生じる自分の想いを自覚する
     自覚されれば無自覚の展開は止まる
     闇の人生は終わる
     運命に翻弄される人生は終止符を打つ

     自分が自分の運命の担い手となる
     自分の人生が自分のものになる
     縁を大切に生きれるようになる
     想いを大切に生きれるようになる

     現実は自分の想いの反映
     現実は自分の想いの結果
     その現実を変えたかったら
     想いを変えるしかない

     想いを変えるには
     自分の想いを理解するしかない
     自分の想いを理解するには
     自分の想いを自覚するしかない

     パターンのままに振り回されない
     しっかりと自分の想いを自覚して生きる
     無意識のまま想いを展開させない
     無自覚のままに想いに翻弄されない

     自分の想いが自覚されるようになれば
     想いはやがて収斂していく
     勝手に動き回ることがなくなる
     しっかりと自覚された想いとなる

     そうなれば
     運命に翻弄されることも少なくなる
     それでも
     過去からの縁でいろいろなことが起きてくる

     その時に
     自分の想いに注意を払う
     そうすれば
     無自覚の展開を防げる

     厳しく自分の想いに注意し
     自分の現実に注意する
     そうすれば
     人生をもう一度自分に取り戻せる

     ゆっくり
     注意深く
     生きることだろうか
     想いを自覚しながら 

     『膨大な 縁の結果が ここにある 想い見守り 縁を極める』      
 

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別窓 | 木霊の森 | コメント:2
縁 - 1
2007-09-09 Sun 06:23
                                    『木霊の森の木霊たち』
木霊の森の木霊たちー13-feb
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     日記 『無色透明』 より

     縁 - 1

     縁により
     すべては展開していく
     お互いが関わることによって
     想いが生じる

     その想いから
     現実が展開していく
     その現実から
     また想いが生じる

     その繰り返しの中で
     多くの出会いと
     数え切れない想いの中で
     複雑に絡み合った現実が展開していく

     なぜこのような現実になるのか
     もう自分でもわからない
     複雑過ぎて
     解明できない

     訳のわからない現実が
     目の前に押し寄せる
     その現実に圧倒されて
     人生が見えなくなる

     五里霧中
     試行錯誤
     人生の意味を求め
     彷徨い歩く

     縁を手繰っていく
     源へ近づけば近づくほど
     縁はシンプルになる
     すべての始まりに還る

     すべての始まりは何?
     元の元は何?
     源は何?
     スタートはどこ?

     元の元から
     数え切れないほどの縁を経て
     今がある
     もう複雑過ぎて訳がわからない

     末端から源を見ても
     何も見えない
     何もわからない
     どこが源かさえわからない

     しかし
     すべては縁によって展開する
     ありとあらゆる関わりによって
     すべては展開していく

     それが宇宙の有り様
     それが創造宇宙
     我々が住むところ
     この現実世界

     縁を理解するには
     縁を注意深く観察するしかない
     どのような仕組みで物事が展開していくか
     科学者の目で見つめるしかない

     偶然はない
     すべては縁
     縁によって成り立つ
     縁から新たな展開が生まれる

     その展開に注意することだろうか
     どのような想いが湧くか
     その想いがどのように展開していくか
     注意深く見つめることだろうか

     自分の想いが
     自分の現実を創る
     縁を得て湧き出す自分の想いが
     自分の現実を創り出す

     注意すべし
     自分の想い
     日々の想い
     今の想い

     その想いの集大成が
     今の現実
     縁により巡り巡った結果
     想いが展開した結果

                  ・・・明日に続きます


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結実する想い
2007-09-08 Sat 06:52
                                              『睡蓮』
睡蓮ー21-oct
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     日記 『無色透明』 より

     結実する想い

     人の想いは時空を超える
     時間空間を超えて現実となって結実する
     過去世の強い想いが
     今生で現実となる

     人の想いが現実を創る
     想いが現実を創造する
     想い以外に現実を創り出すものはない
     想いが創る現実世界

     過去世で相思相愛であるにもかかわらず
     結ばれなかった男女は
     来世で結ばれることを誓う
     やがて生まれ変わる時・・・

     二人は過去世と似たような状況の中で出会う
     プアーであればプアーな中で
     リッチであればリッチな中で
     過去世と少しだけ設定を変えて出会う

     しかし・・・
     過去世と決定的に違うところがある
     二人は結ばれる
     困難を乗り越えて結ばれる

     二人の想いが強ければ強いほど
     二人は確実に出会い
     間違いなく結ばれる
     想いが現実を創る

     幾百年
     幾千年
     離れていても
     想いは変わらない

     幾千年の時を経て
     想いは結実する
     願いは叶う
     誓いは実を結ぶ

     想いが創り出す現実
     自分の想いを目の当たりにする現実
     ここは想いを形に現すところ
     形にして味わうところ

     いかなる想いであれ
     やがて現実化する
     恨みや憎しみも
     やがて現実となって目の前に現れる

     目の前の現実は
     自分の想いの結果
     過去世からの想いの集大成
     それが今の自分の現実

     その現実を嘆いても
     何も始まらない
     ただ理解すること
     この現実の成り立ちを

     ゆったりと自分の現実を味わってみるといい
     自分が創り出している自分の現実
     それ以外の何ものでもない現実
     それを心から味わうことだろうか

     味わい尽くし
     感じ尽くし
     体験し尽くす
     何も残さない

     想いを残せば
     その想いが輪廻する
     想い残しがあれば
     想いは果てしなく回り続ける

     それは争いのカルマとなり
     憎しみのカルマとなり
     悲しみのカルマとなり
     苦しみのカルマとなる

     想いを理解し
     想いを超える
     想いに振り回されず
     想いを自由に使いこなす

     次々と体験し
     深く味わい
     感謝し
     完了させて次へ進む

     宇宙は果てしなく
     創造も果てしない
     時空を超え
     創造世界を生きていく

     『輪廻する 想いを見つめ 理解して 想いを超えて 輪廻を超える』

           
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只管打座
2007-09-07 Fri 08:26
                                           『集団飛行』
集団飛行ー1607-june
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     日記 『無色透明』 より

     只管打座 (しかんたざ)

     只管打座
     禅の言葉
     ただ座る
     何も考えずに座る

     悟りたいとか
     すばらしい体験をしたいとか
     そういうことを一切思わずに座る
     ひたすら座る

     無念無想
     いかなる念も想いもない
     無念無想になりたいとか
     そういうことも一切ない

     目的や意図があれば
     無念無想ではない
     どのような想いがあっても
     只管打座とはならない

     ただ座る
     何も考えずに座る
     座ろうともせずに座る
     自然に座る

     意図は自我
     悟りたいも
     超越体験をしたいも
     自我そのもの

     別に自我が悪いわけではない
     目標を設定し
     達成する
     自我の喜び

     それも悪くはない
     しかし
     悟りたいという目標を持つと
     悟れない

     悟りたいという想いがある間は
     悟れない
     なぜなら
     まだ想いの世界にいるから

     想いの世界は自分の世界
     自分がつくりだしているだけの世界
     自分で自分の尻尾を追いかけ回している犬
     と変わらない

     想いの世界を超え
     ただ心が落ち着く
     何の理由もなく心が落ち着く
     座る必要もなく心が落ち着く

     座ってもいいし
     座らなくてもいい
     それが只管打座
     ただ座るだけ

     目的も消え
     努力も消え
     超越体験願望も消え
     悟りたいも消える

     すべての欲望が消え
     すべての意図が消え
     すべての目標が消え
     自我が消える

     その時に
     只管打座があり
     無念無想があり
     想いを超えた世界がある

     自我で努力するのもいい
     一生懸命頑張って達成するのもいい
     思い通りの人生を創造するのもいい
     人生の主役になりきるのもいい

     それらすべてを体験して
     ただ座るのもいい
     心が静まって
     ただ座っているのもいい 

           
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セッションレポート №4 メモ - 4
2007-09-06 Thu 08:07
                                        『緑と白の世界』
緑と白の世界ー04-apr
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   光のセッションレポートより

   セッションレポート№4を通して学べることをまとめた、kimiさんのメモを
   連載しています。今日はメモの四日目、最終日です。
   メモに関連するレポートの内容部分を、『参照』 としてリンクを張りましたので、
   再度レポートを読まれると、よりいっそうの理解に繋がるかと思います。
   *参照へのリンクは別ウインドウで開きます。このページへ戻られる場合は、
     閉じるボタンでウインドウを閉じてください。
   *セッションレポートをお読みになっていない方は、ブログ右サイドにあります、
     ”Recent Entries” から、読むことができます。
     お読みになりたいエントリーを選び、クリックしてください。


   セッションレポート №4 メモ - 4

   ☆ ”恐れ” も自分の中のこだわりです。
   それも感情の一つと割りきって、簡単に捨ててみてはいかがでしょうか。
   ”恐れ” というのは、これまで強いインパクトで人の心の中を占めてきたのですが、
   もう時代のエネルギーがアップしていますので、わりと楽に手放せるようになって
   きています。
   深い深い因縁と強く思い込んできたものも、意外と楽に手放せる時代になってき
   ているのです。
   あとは、あなたが手放すことを決めるかどうか ― ただそれだけなのです。

   ☆ 「苦しい冬も楽しい冬もない。それはすべて意識のつくりだすもの」
   苦しくしたり楽しくしたりしているのは一人一人の意識のありようです。
   自分の心の中で苦しみを手放せば、即座に苦しみはなくなります。
   ただそれだけのことです。
   移ろいゆくものに意識をとらわれないで、それをゆっくりとながめていましょう。
   流れるものと一緒に自分も流れていると、だんだん自分というこだわりも溶けて
   いきます。
   ただその時、その時のひらめきで行動できるようになっていきます。

   ☆ 何次元へ行っても実在するのは ”今、ここ” だけです。この瞬間にすべてが
   あります。だから、外のアセンションを待たなくても、今、ここでアセンションは可能
   です。
   しかし、この三次元を十分に堪能するために、みんなで期限を決めてアセンション
   しようとしているのです。
   今、この瞬間に、すべての次元が同時に存在します。
   にもかかわらず、それらの次元をシャットアウトしてきたのは、まさにこの三次元に
   集中するためでした。
   しかし、それももう十分に堪能したので、そろそろ本来の自分自身へ戻ろうとして
   います。
   アセンションというのは、ただそれだけのことです。
   アセンション、アセンションと騒ぐほどのことではありません。
   まして、自分一人取り残されるのではないか、などと心配するのは、まだ三次元の
   波動にどっぷりとはまっている証拠です。

   人類は、みんなでワイワイ大騒ぎしながらアセンションするのが大好きなのです。
   (要するに、お祭り好き?)
   ― そういうふうにアセンションをとらえると、超・楽でしょう?
   ただ、本来の宇宙的な、多次元的な自分自身に戻るだけ ― それがアセンション
   の真の意味です。
   だから、この三次元もアセンションも、共に楽しみましょう!
   今、ここ、この瞬間しかないのですから ― 真実(リアリティ)は。

     上の三つのメモに関する参照レポートは 
     >> こちら  >>こちら  >>こちら
                       
                     光のセッションレポート №4 メモより (1998年)                                 
   ♪ぴあの編集後記
   長いセッションレポートとメモ、お読みいただきありがとうございました。
   連載前は、こういう長いセッションレポートが皆様に受け入れていただけるのか、
   毎日読みに来ていただけるのか、そういう不安が若干ありましたが、連載期間中、
   今まで以上の多くのアクセスがあり、皆様の熱意のエネルギーを感じ、私の中で
   そのエネルギーを大きな応援エネルギーに代えさせていただくことができました。
   このようなセッションレポート、まだまだありますので、また折にふれてご紹介して
   まいりたいと思います。
   さしあたり、連載が終わってほっとしていて、明日から何をアップするか決めてい
   ません。(汗)
   内容の濃いものを十日以上連載していたので、ちょっと緩和休憩、リラックスして
   読めるものを掲載したい気分ですが・・・ 今日、これから考えます。(*^_^*)


           
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別窓 | 木霊の森 | コメント:4
セッションレポート №4 メモ - 3
2007-09-05 Wed 08:48
                                           『緑の世界』
緑の世界ーkodama-32
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   光のセッションレポートより

   セッションレポート№4を通して学べることをまとめた、kimiさんのメモを
   連載しています。今日はメモの三日目です。
   メモに関連するレポートの内容部分を、『参照』 としてリンクを張りましたので、
   再度レポートを読まれると、よりいっそうの理解に繋がるかと思います。
   *参照へのリンクは別ウインドウで開きます。このページへ戻られる場合は、
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   *セッションレポートをお読みになっていない方は、ブログ右サイドにあります、
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   セッションレポート №4 メモ - 3

   ☆ こだわりが外れると、三次元も五次元も九次元も関係なくなります。
   次元は便宜的に分けているからあるだけのもので、そういう見方をやめると、
   一つの宇宙があるだけです。
   まるで地球上の国境と同じです。
   本当はどこにも境界線などないのですが、人が勝手に決めただけのことです。

   こだわりを外していくと、二つというものの見方そのものが存在しなくなります。
   すべては一つであり、「あなたは私」 なのです。
   それが次の世代では ”自明の理” となるようです。
   その ”自明の理” を曇らせているものは、個々に分離した肉体と自己同一化
   している人の意識です。
   自分を肉体だと思っているために、一つの宇宙から分離し、お互いに争ったり
   しているのです。
   今の地球では目隠しゲームが流行(はや)っています。
   自分の源から離れ、肉体という目隠しをして、手探りで真理を発見するという
   ゲームです。
   しかし、それも残り時間わずかとなってきました。
   最近は目隠しを外す人が増え、わざわざ目隠しを外させるために古沢仁宏の
   ようなおせっかいな人まで出る御時世(しまつ)です。

   ☆九次元と言われると、今の地球では 「すごい!」 とつい思ってしまいますが、
   「あなたの中の愛」 と言われると、確かにホッとするものがあります。
   次元の上昇は何の意味もないと九次元の存在は言い切っています。
   「愛が満ちること、それのみ」 「宇宙はその方向へ向かっている」 と。
   愛の方向 ― その方向性さえ確立すれば、あとはゆったりと構えていても
   よさそうです。
   決意というのは、自我で 「何がなんでもやり抜くゾー!」 と決めるものではなく、
   「ふと ”ゆらめき” のごとくに」 決めるものです。
   あっさりと 「そうか、そうだったのか」 という感じで決めると、深いレベルで働き
   出します。
   そして、いったん決めたら、決めたことにもとらわれないで、のびやかに生きて
   いきましょう。
   それで十分なのです。
   愛だ、愛だと、愛に愛着するのではなく、愛にもとらわれることなく、自然に愛の
   方向へ流れていけばいいのです。
   決めれば自然にそうなっていくのです!

     上の二つのメモに関する参照レポートは 
     >> こちら  >>こちら  >>こちら

                                ・・・明日に続きます
                       
                     光のセッションレポート №4 メモより (1998年)
                                
           
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セッションレポート №4 メモ - 2
2007-09-04 Tue 07:51
                                『竜神の滝・滝壺バージョン』
竜神の滝・滝壺バージョンー0707-june
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   光のセッションレポートより

   セッションレポート№4を通して学べることをまとめた、kimiさんのメモを
   連載しています。今日はメモの二日目です。
   メモに関連するレポートの内容部分を、『参照』 としてリンクを張りましたので、
   再度レポートを読まれると、よりいっそうの理解に繋がるかと思います。
   *参照へのリンクは別ウインドウで開きます。このページへ戻られる場合は、
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   セッションレポート №4 メモ - 2

   ☆ 憎しみなどのこだわりは、時間が経てば具体的なものは薄れていきますが、
   ただ心の癖というかパターンというか、愛着として意識の中に残り続けるようです。
   それが波動共鳴を起こし、心の中に外側からの妨害を呼び込んでしまいます。
   しかし、それも本人がそのことに気づいて、はっきりともういらないと決めれば、
   それで終わってしまいます。
   どのようなとらわれも、どのようなこだわりも、自分ではっきりと自覚して、手放そう
   と決意すれば、それで終了してしまうのです。
   本当は実に簡単なことなのです。
   それを簡単にさせないのは、簡単に取れるはずがないという思い込みです。
   しかし、時代が変わったのです。
   いつまでも重たいものを引きずって生きていく時代ではありません。
   自分のパターン、心の癖に気づこうと決め、それに気づいたらあっさりと手放して
   みましょう。
   それですべてが終わります。
   いつまでも愛着にこだわっている時代ではありません。
   愛着というのは魚座の特徴でしたが、もう水瓶座の時代なのです。
   さわやかに、軽やかに生きる時代なのです。 

   ☆ 今回、初めて 「アセンションはありません」 という言葉が出てきました。
   しかし、それと同時に 「アセンションは意識の中に起こることであって、物理的な
   次元では何も起こりません」 という言葉もありました。
   『再び来る春』 というのが、どうもアセンションのようですが、ここで強調されている
   のは、外側のアセンションに気を取られるのではなくて、自分の内側を見つめる
   ことです。
   自分の内側にこそアセンションが起き、それに対応して外側の世界も存在します。
   意識が外に向くと意識の変容は起きません。
   外からのアセンション情報に振り回されると、自分を見失うことになりがちです。
   自分の心の動きをよ~く見守って、静かに周りの変化を観察していましょう。
   その時に気づきは起きます。

   内側の重たいものを手放すこと ― それがアセンションにつながります。
   自分が重たくて、どうして次元上昇などできるでしょうか。
   自分が軽くなること ― それが飛翔(シフト)の条件なのです。
   (後日、Tさんから送られてきたファックスによると、終末などはなく、あれッと思っ
   たら 再び来る春 ― 歓喜(よろこび)に満ちた時代 ― に移行している、と
   九次元の存在は言っているそうです) 

   >>上の二つのメモに関する参照レポートはこちら

                                ・・・明日に続きます
                       
                     光のセッションレポート №4 メモより (1998年)
                                
           
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セッションレポート №4 メモ - 1
2007-09-03 Mon 10:39
                               『竜神の滝・大増水バージョン』
竜神の滝ー0607-june
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   光のセッションレポートより

   今日から、昨日まで連載していました ”セッションレポート№4” から、
   このセッションを通して学べることをまとめた、kimiさんのメモを連載します。
   メモに関連するレポートの内容部分を、『参照』 としてリンクを張りましたので、
   再度レポートを読まれると、よりいっそうの理解に繋がるかと思います。
   (リンクは別ウインドウで開きます。このページへ戻られる場合は、閉じるボタン
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   セッションレポート №4 メモ - 1

   ☆ このセッションは、まるで禅問答のようなところもありますが、それ以上に
   示唆に富んでいるところも見受けられます。
   その中から今の自分にとって必要なところに気づいていただければ、それでOK
   です。
   今のあなたにとって何かハッと気づく部分(ところ)があればいいのですが・・・

   ☆ このセッションでは、『九次元の存在』 とか 『魂の親』 と名乗る存在が出て
   きましたが、それぞれに声の感じが違っていました。
   前者は男性的で、後者は女性的でした。
   それがどういう存在かと詮索するのもいいのですが、それよりも、その内容が
   自分にとって何か気づきをもたらしてくれるかどうか ― それを重視した方が
   いいように思います。

   ☆ 後日、Tさんから届いたファックスによれば、集合意識というのは 
   「エッセンスのまとまり」 と九次元の存在は言っているそうです。 >>参照
   一人一人の意識の中にエッセンスがあり、その周りをいろんな想念がまとわり
   ついている。そのエッセンスの部分からの情報というのが、今回のセッションの
   内容だったようです。
   また、黒が根本で、黒からすべてが生まれるというのは巴(ともえ)の図がそれ
   を示しているらしいとのことでした。 >>参照

   ☆ この方は59歳ですが、年齢は関係ありません。
   若い人も、お年を召した方も、気づいた時から新しい人生が始まります。
   気づくのに早い遅いはありません。
   気づいた時がベストのタイミングなのです。
   気づいたら、即、生き方を変えればいいのです。
   意識することによって人生が変わるスピードが速さを増しています。
   思いが現実化する速度がものすごく加速しているのです。
   あなたの意識の持ち方が、あなたの人生を決めていきます。猛スピードで!
   (Tさんが気づき、目覚められることによって、50~60代の人々の目覚めが加速
   されることでしょう)

   ☆ こだわることによって停滞が生じます。
   人生は流れるフイルムのようなものなのに、人はその一コマにとらわれてしま
   います。
   そして、自分が執着(とら)われたものに、いつの間にか自分が囚われているの
   です。
   特に悪や罪の意識にとらわれると、それで身動きができなくなってしまいます。
   本来、人を縛るものなど何もないのですが、ただ自分の意識が気がつかないうち
   に自分を縛っているのです。
   しかし、その悪とか罪という意識も成長する過程で植え付けられたもので、実際
   に実在するものではありません。
   それらは世間の常識や道徳や社会通念などによって、無意識のうちに自分の中
   に染み込んでしまったものです。
   すべては両親や周りにいた人々や教育の結果なのです。
   つまり人は成長過程でつくりあげた自分の観念で自分を縛っているだけなのです。
   それが条件づけの世界です。
   そういうものに気がついて外していかない限り、真の自由はありません。
   長い永い時を経て、今、人類はその幻想のベールを剥そうとしています。
   これから目から鱗が落ちるように、それらのものが抜け落ちて自由になっていくで
   しょう。
   そのために、このような個人セッションも生まれています。

                               ・・・明日に続きます
                       
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セッションレポート №4 - 8
2007-09-02 Sun 07:32
                                       『木霊の森の流れ』
木霊の森の流れー05-apr
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   光のセッションレポートより

   光のセッションレポート№4からの内容を連載してお届けしています。
   今日は八日目です。
   このセッションレポートをここからはじめて読まれる方は、
   ”光のセッションレポート №4 - 1” から読まれることをお勧めします。
   ブログ右サイドにあります、”Recent Entries” から、お読みになりたい
   エントリーを選び、クリックしてください。
   文中の、T は、Tさん (59才 女性) F は、古沢仁宏=kimiさん です。


   セッションレポート №4 - 8 

F DNAは今は二重螺旋だけれども、本来は十二螺旋だったという話もあるん
  ですが、そのへんはどうなのでしょう?
T そのようなことを、この人に話させたくありません。なぜならば、曖昧な言葉に
  終始するからです。
  本来は記憶の中にちゃんとあるのですが・・・
F 現在のこの人の脳の中に的確に表現できる言葉がないということですか。
T この人は、もっともっと飛んでいる人です。
F 飛んでいるというと?
T 非常に古い魂です。地球ではなくて、宇宙的に。
F Tさんがですか。
T はい、そうです。
  すごく古くて、表現するとしたら気違い的な表現になります。
F 気違い?
T 古いのに幼く見えるのは地球の経験が浅いからです。
F そうなんだ。
  先程の魂の親というのは、どういう意味なんですか。
  ハイアーセルフとは違うんですか。
T モナドでもありません。
F モナド?
  そうとう高次のエネルギー体なのかな。
T 誰にでもいます。
F 元々の光というのは透明なんですか。
T 透明ということではなくて、一切を含んだ色です。
F でも、一切を含むと透明になるんじゃないかな?
  白くなるのかな?
T 色と透明は違うでしょう。
F 一切を含んだ色というのは何色なんですか。
T あなた方の言う白です。
F この世的に言えば白に近いのかな?
T 白と黒。
F 光と闇とは、また違うんですか。
T 根源の色は黒。
F 黒・・・ 黒い光なの?
T 黒というのは色で、光は光です。ですから、光と色とは違います。
F 光になる以前の根源ということ?光が出る前?
  ・・・三次元の色を全部混ぜると黒になるのかな?
  光を集めると白になる?
T わりといい線いってると伝えておきましょう。
F 何なの? もうちょっとはっきり伝えてほしいな。
T 学術的なことは、ちょっと置いておいて、この人の未来について少し補足した
  いことがあります。
F はい。では、お願いします。
T 私達は、この者を導いているのであるが、導いているのではない。
  それはレトリックではなくて、実相なのだ。
  人々は、このように自分に導かれ、自分で歩いていくのだから、あまりあれこ
  れ子供のことを詮索しないでください。
  あの人にはあの人の生き方があり、それがあなたの心配の種になるからと
  いって、クチャクチャ言ってはいけません。
  すべてブラインドを降ろし、こう言って祈りなさい。
  「私は愛だから、愛きり発していない。心配は愛ではないから、私は発しない」
  それだけです。
  そして、日常生活の常識的なことはきちんとやらせてください。
  それをを淡々とこなしていくことが、あなた方親子の魂の成長となります。
  あえてビジョンをつくることもいらないし、それは経験というものがビジョンの親
  だからです。
  経験もなしにビジョンを描こうとしてもできない。
  イメージはわざとらしく自分の意に反したことを描くかもしれないので、わざと
  らしいことはしないでください。
  ただ愛でありたいと思ってください。そうすれば自然にわかってきます。
  もう時がない。三次元的に時がないと言ったけれども、それは一つの警告で
  あって、ボサボサするな、しっかりやれということです。
  もうこのような機会はないと思いますので、はっきりと言っておきますが、私達
  の世界は、今、ここだけなのです。
  未来はないように、過去もないのです。
  ただそう思って、ただこの瞬間において最善を尽くす発信体であるということに
  命懸けで取り組んでください。
  そうすればすべてがうまくいきます。
  もう精神世界の巡り歩きをしている時でもないし、また、その必要もなくなる。
  あなたは私の子であり、私はあなたなのですから。
  もうふるさとはここにあるのだと、しっかり思ってください。
  もうここに来ることのないあなたであるけれども、古沢さんとの深い美しい縁に
  よって、ここに来れたことを私共も大変に喜んでおります。

  (光のエネルギーを充電して終了)
                             ・・・明日に続きます
                       
                      光のセッションレポート №4 より (1998年)
                                
           
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セッションレポート №4 - 7
2007-09-01 Sat 09:11
                                        『紅いりんご椿』
紅いりんご椿ー07-apr
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   光のセッションレポートより

   光のセッションレポート№4からの内容を連載してお届けしています。
   今日は七日目です。
   このセッションレポートをここからはじめて読まれる方は、
   ”光のセッションレポート №4 - 1” から読まれることをお勧めします。
   ブログ右サイドにあります、”Recent Entries” から、お読みになりたい
   エントリーを選び、クリックしてください。
   文中の、T は、Tさん (59才 女性) F は、古沢仁宏=kimiさん です。


   セッションレポート №4 - 7  

   T もう来ない春ということについて考えた時、どんな気がしますか。
     置き去りにされる人々という考えについて、古沢さんはどう思いますか。
   F う~ん。自分の選択なのかな?
   T 選択しきれない人々という考えがありますか。
   F 選択しきれない人々?
     ・・・選択する自由がないということかな?
   T 我々は不可解な人々と言っているんですけど、そういう一群の人々がいます。
     そういう人は思考にまとまりがありません。
     そういう思考にまとまりがない人々が、これから増えてくるから御用心。
     その御用心という意味は・・・選択肢がない人々というのは常にいないわけで、
     誰にでも平等に選択肢というものは与えられているわけだけれども、思考に
     まとまりがないから、まるでそこに選択肢がないかのように感じるだけです。
     そういう人々がこれから増えてくるから、このセッションにおいて意図を明確に
     してほしいという我々の希望を伝えておきます。
   F 意図を明確にするというと?
   T 明確な意図というのは、いつも一つの方向を指し示すわけだから、洗脳という
     ふうに取られがちだけれども、洗脳ではなくて、古沢さんがこれだと思う方向に
     引っ張っていってほしいと言うと、あからさまになり過ぎるのだけれども、指し
     示してほしい。
     つまり、誰でも理想というものがあるのだから、お好きな方向に、ここでのセッ
     ションの光というか、エネルギーを使ってください。
     心の底にあるもの、あえて言えば澱みだが、そういうものをなくして、もっと明澄
     な心構えになってほしい。
     あなたが濁っているという意味に取られると困るのだけれども、言葉のあやだ
     から許してほしい。
   F 迷いがないということかな?
   T 迷いではなくて、もう少し一歩踏み込んだ明晰さ。
   F 方向性をはっきりと指し示しなさいということかな?
   T 明確に打ち出してほしいと言ってるんです。
     この光のセッションは何のためにあって、どういう方向性でもって受けるか、
     要するに気構えと言い換えることができるかもしれないですけど、そういうこと
     を受けに来る人に示してほしいんです。
   F 自分自身を理解するということではダメなんですか。
   T 自分自身を理解するんだけれども、そういうことすらわからなくなって、もう
     グチャグチャになっている。そういう人が来ます。思考がもうグチャグチャです。
   F 自分自身を理解して、自分の深い意識とつながるというのがセッションの
     基本的な目的だと思うんですけど。
   T だから、その糸口をつけてやってほしいのです。
   F わかりました。
     では、もう少しはっきりと伝えることにしましょう。
   T 伝えるのをエネルギーでもやってください。
   F わかりました。そうしましょう。
   T あなたには意図的なエネルギーの使い方に対する反発があるんだけれども、
     今は少し減ってますね。
   F そう?
   T そういう反発が昔あったはずです。
     だから、自由ということを、それは精神の自由に通じるから、とても重要視して
     きた人です。
   F そうですね。
   T けれども少し修正してほしいのです。
     ちょっとだけ、ちょっぴりだけでいいですから。
     今までは漠然としていても大丈夫な人達だったのですが、わりと下地ができて
     いるというか、受け入れやすい人達だったのですが、これからは好奇心に駆ら
     れて来るような人が増えます。
   F そうなんだ。
   T 「どんなものなんだろう?」 とか、今までの人達が持っていたような下地なしで
     やって来ます。
   F わかりました。
   T ちょっと流れをつけてあげるくらいの気持ちでいてください。
   F よく質問されるんですけど、光のセミナーや光のセッションで使う光というのは
     どういう光なんですかと聞かれるんですけど、それはどういうふうに説明したら
     いいんでしょうか。
   T あなたは、どういう光だと思っているんですか。
   F よくわかりません、自分では。
   T どうして自分に光が来るんですかと質問してみてください。
   F それを聞こうと思っていたんだけど。
   T 自分に聞いてください。
   F ・・・それは、そうしたいからじゃないかな。
   T そうしたいと思ったのは、どうしてそうしたいと思ったのでしょう。
   F う~ん。自分自身が光だからじゃないの。
   T 光だということをどうして知っているんでしょう?
   F 自分が光だからじゃないの。
   T あなたの手は光っていますか、今?
   F 別に光ってないけど。
   T では、どうして光だとわかるんですか。
   F う~ん。
   T それは記憶でしょう。
   F そうでしょうね、きっと、光だという。
   T 記憶がなぜあるんでしょう?
   F だって、元々光だからじゃないんですか。
   T 正解です。
     だから、それを教えてやってほしいんです。光だなんて誰も思ってないわけ
     だから。それなのに光だと知っている。そういう記憶が我々の中にある。
     それをたどっていくとDNAというものに突き当たる。
     そのDNAを作ったのは誰か?
     この宇宙の奥の奥を訪ねていく気持ち ― それをけっして霊的というような
     曖昧な印象を与える言葉ではなくて、今の科学でも十分に推測し得るものと
     して話してほしいのです。

                             ・・・明日に続きます
                       
                      光のセッションレポート №4 より (1998年)
                                
           
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