いのちの写真と光の言葉
8月壁紙カレンダー
2007-07-31 Tue 10:47
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安定
2007-07-30 Mon 09:16
                                         『白谷川源流』
白谷川源流
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   T&F光のネットワーク News Letter より

   光のメモ - 3 -  『安定』                                                          
   人は将来の生活のことを考え出すと不安になる。
   なぜなら、誰一人として将来が保証されている人はいないから。
   いくらお金があっても、病気になるかもしれないし、交通事故に遭うかも
   しれない・・・・・・
   そこで、将来、食べていけるだろうか、仕事はうまくいくだろうか、身体は
   大丈夫だろうか、家族はみんな無事だろうか・・・と考え出すと、不安や
   心配が大津波のように押し寄せて来る。
   元々、この宇宙に保証などというものはどこにも存在しない。
   すべては絶えず変化している。
   変化していないものなどどこにもない。
   変化しているからこそ生命(いのち) であり、変化が止めば死である。
   実は、人は何の保証もない世界に生きている。
   にもかかわらず、人は保証を求める。
   なぜなら、安定したいから。
   不安定が怖いから・・・・・・

   しかし、いくら安定を求めても、そのようなものはどこにもない。
   すべてが動いている時に、自分だけが止まっていて、どうして安定が
   得られようか。
   同じリズムで自分も一緒に動く時にのみ、安定が生じる。
   周りとの調和の中にのみ安定がある。
   しかし、その安定は固定したものではなく、常に動いているものである。
   存在するのは一瞬一瞬の安定であり、変化の中にのみ安定がある。

   実は、自分というものも一定したものではない。
   それは思い込みであり、イメージである。
   真実は心も身体も常に変化している。
   すべては変化し、固定しているものなど一つとしてない。
   変化こそが創造宇宙の常態なのだ。
   安定を求めても、不安や心配がやってくるだけ。
   ただ変化と共に生きる時にのみ、安定が生まれる。

                  News Letter №18 『光のメモ』 (1998年) より
                                
           
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違和感
2007-07-29 Sun 10:34
                                            『水の線』
水の線
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   T&F光のネットワーク News Letter より

   光のメモ - 2 -  『違和感』

   自分の中に、歪みや捻(ねじ)れや違和感がある時・・・・・・
   それを何とかしよう、治そうとしないで、ただ一緒にいる。
   一緒にいて、その歪みや捻れや違和感の声を聞いてみる。
   そのまま受け入れ、そのまま優しく抱きしめ、その気持ちをわかろうとする。
   ただ、それだけで、歪みや捻れや違和感はほぐれ始める。
   それを否定したり、押し込めたりしないで、必要があって存在しているのだ
   から、それをそのまま認めてやる。
   そして、優しく包み込む。
   一緒にいて、よくよくその気持ちをわかってやる。
   そうしているだけで、変化が生じてくる。

   歪みや捻れや違和感があるということは、そこにエネルギーが足りて
   ないということ。
   愛情が足りてないということ。
   これまで無視してきたので、そこがエネルギー不足をきたしていると
   いうこと。
   だから、そこと一緒にいてエネルギーを充電してやると、自然にそこは
   ほぐれ始める。
   何とかしなければ、治そう ・ 治そうと焦ると、それは逆効果となる。
   なぜなら、何とかしよう、治そうという発想そのものが、既に歪みや捻れや
   違和感を問題視しているからである。
   それらはあってならないものという前提に立っている。
   そうすると、既に存在している歪みや捻れや違和感が否定され、
   自分の中で葛藤が生じてしまう。
   実際に存在している歪みや捻れや違和感と、それを否定しようとする
   表面意識 ― 自分の中でエネルギーが分裂し、ただでさえエネルギー
   不足をきたしている部分が更にエネルギー欠乏症になってしまう。
   そうではなくて、どうしてそのような歪みや捻れや違和感が生じているの
   かを、静かに心を澄まして聞いてみる。
   力づくでそれらのものを治してもらっても、効果は一時的で、やがてまた
   別のところに出たり、再発したりする。

   心の中の違和感も、身体の中の違和感も、よくよくその声に耳を傾けて
   やると、何もしなくても内側からほぐれてくる。
   外から何かをやってもらう必要はない。
   歪みや捻れや違和感をつくり出すエネルギーは、同時にそれをほぐす
   ことのできるエネルギーでもある。
   それを信頼すること。
   自分の心と自分の体への信頼 ― それがすべてを癒していく。
   自分自身への深い深い信頼は、同時に宇宙への深い信頼でもある。                                                                     
                  News Letter №18 『光のメモ』 (1998年) より
                                
           
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邪気
2007-07-27 Fri 08:07
                                        『大川の滝の虹』
大川の滝の虹ー01
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   T&F光のネットワーク News Letter より

   光のメモ - 1 -  『邪気』

   『邪気』 というのは、とどこおり ― 例えて言えば、流れていない淀んだ水。
   宇宙のエネルギーが絶えず自分の中を流れていないと邪気になってしまう。
   『自我』 というのも、実は邪気。
   宇宙と交流していない小さなエネルギーの塊。
   自分という狭い世界の中だけで自家中毒を起こしてしまっているエネルギー。
   逆に 『愛』 というのは、すべてと融合 (とけ) あい、ひとつになり、常に宇宙
   の源から溢れ出すもの。
   自分の中に邪気が溜まったと思ったら、動くこと。
   邪気とはエネルギーの停滞だから、まず身体を動かすこと。
   頭の中だけで、あれこれ考えていないで行動すること。
   そうするとエネルギーは流れる。
   特に自然と交流すると新鮮な生気が体内に流れ、リフレッシュされる。

   所有していればしているほど重たい。
   いろんなものが多ければ多いほど、空間は狭くなる。
   風通しが悪くなり、エネルギーは停滞する。
   できるだけ所有しないで、必要なものを必要な時に使えばいいだけ。
   実は、自我というのも所有 ― 過去の記憶との自己同一化。
   自己同一化した記憶が多ければ多いほど、心は窮屈になる。
   心の中に空間がなくなり、宇宙のエネルギーが流れにくくなる。
   手放して軽くなる ― そうすると、宇宙のエネルギーは風のように心の中を
   吹き抜ける。

   実は 『カルマ』 というのもエネルギーの停滞。
   エネルギーが固着したもの。
   まるで宇宙のエネルギーを堰き止めている堰のようなもの。
   それらも、こだわりやとらわれを手放せば、どんどん流れるようになる。
   カルマといえども、日常の癖の延長。
   何か強いインパクトがあり、繰り返しがあり、長い時間をかけてより強力に
   なったもの。
   作用 ・ 反作用 ― それの繰り返し ― パターン = それがカルマ。
   それに気づき、手放すこと。
   同じことを繰り返していてもしかたがない。
   いつもの自分から少し離れて自分自身を静かに見守ってみよう。
   そうすると何かが変わり始める。                    
                                                    
                 News Letter №18 『光のメモ』 (1998年) より
                                
           
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中心
2007-07-26 Thu 07:28
                                             『落の滝』
落の滝ー07
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   日記 『無色透明』 より

   中心

   思考の次元は、思考しだいでどうにでもなる。
   思考の次元で右に行くか左に行くかの違いだけ。
   思考を超えなければ・・・

   極端になれば、躁(そう)や鬱(うつ)になってしまう。
   やはり、中道。
   バランス。
   調和。

   思考の次元を超えたラインと一本に繋がる。
   中心を貫くもの。
   それがあれば、ブレることはない。
   その中心ラインを見出すことだろうか。

   肉体次元や物質次元だけに囚われると、中心がブレてしまう。
   この世もあの世も、すべての次元を通して流れるエネルギーと共に
   生きることだろうか。
   この世だけに意識が向くと、生き方を間違えてしまう。
   永遠のいのちであることを忘却してしまう。

   思考を使って現実を創造する。
   思考はあくまでも道具。
   思考の次元がすべてではない。
   いのちを現すためのシステムに過ぎない。

   天・地・人。
   宇宙と地球と人。
   そのすべてを貫くもの。
   そこと一緒にいることだろうか。

   そうすれば間違うことはないだろう。
   全体が見えるだろう。
   近視眼になることもない。
   すべてと共に生きられる。

   何かに囚われたり、何かに執着すると、全体を見失う。
   体験し、味わい、理解して、進む。
   理解が深まるに連れて、意識は全体に広がり、全体と共に
   生きられるようになる。
   個々のものに囚われていると、全体が見えなくなる。

   個である自分もいる。
   それも大切。
   それと共に、他の存在も大切。
   すべてが大切。

   すべてと共に生きていく。
   部分に囚われることなく、全体と共に生きていく。
   個であり、同時に全体でもある。
   自・他であり、ひとつでもある。

   空にあって、色を生きる。
   色を楽しみ、色に囚われない。
   今ここは空であり、同時に色でもある。
   空にベースを置き、色を楽しむ。

               日記 『無色透明』 より  全文は >>こちら

           
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努力 or 理解 - 2 -
2007-07-25 Wed 06:39
                                 『苔むした岩間を流れる水』
木霊の森の水ーwater-05
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   K-Communication より

   努力 or 理解 - 2 -  (昨日の続きです)
   
   『では、努力もしないで、どうやって悟れるの?』 と、あなたは聞きたそうですが・・・
   この 『どうやって・・・』 という言葉の中に、既に方法や努力が含まれているのです。
   しかし、それは ”努力” の結果ではないのです。
   それは、”理解” の結果なのです。
   ”理解” こそが ”悟り” なのです。(realization)

   『でも、理解するためには努力が必要なんじゃないの?』
   と、あなたは聞くかもしれません。(本当に、私たちは努力が好きなのです!)
   しかし、理解は努力の結果ではないのです。
   理解は即座なのです。
   ただ、”見ること” ・ ”気づくこと” によって、理解は、即、起こるのです。

   それは、努力の結果ではありません。
   努力は必要ありません。
   ”見ること” ・ ”気づくこと” は、努力・意志の行為ではないのです。
   ここが、とても微妙なところなのですが・・・
   (言葉・論理で考えると、とても難しい。しかし、実際に体験すると、すぐちがいがわかる)
   それは、クリシュナムルティが強調する ”受動的” 気づきの状態なのです。
   受動的とは、努力や意志を使わないということです。
   つまり、努力・意志という自我のエネルギーの外にあるということです。
   受動的に見ている・気づいている状態と、努力して意識的に見ている事とでは、
   天と地程のちがいがあります。
   一方は、自我の外のエネルギーであり、他方は、自我のエネルギーなのです。

   努力して、意識的に見ているとき、そこには判断や解釈が伴います。
   (自分のことを誉めたり、責めたりするでしょう)
   しかし、受動的に見ているとき、そこには一切の判断・解釈はなく、ただ見ている・
   気づいているエネルギー状態があるだけです。

   もし、あなたが真理の道を進みたいのなら、悟るための ”努力” は一切必要なく、
   ただ、clearな透き通るような ”理解” が必要なのです。

   ----*----*----*----*----*----*----*----

   ☆ 理解というのは、努力よりもはるかに高度なエネルギーです。
      ただ、理解にも、直接の理解と、観念・概念を通しての (イメージを創って理解 
      する)、間接的理解があります。
      前者の場合は自我の外のエネルギーなのですが、後者の場合は努力と同じ
      自我の内のエネルギーなのです。                     
                                                    
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
                                 >>K-Communication
           
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別窓 | 木霊の森 | コメント:2
努力 or 理解 - 1 -
2007-07-24 Tue 08:35
                                           『蛇の口滝』
蛇の口滝ー04-aug
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   K-Communication より

   努力 or 理解 - 1 -

   悟りたい、キリストのようになりたい、仏陀のようになりたい・・・
   あなたは、そう思っていませんか。

   しかし、そう思っている限りは悟れない・・・ としたら、どうしましょう?

   『なぜ、悟れないの?』 と、あなたは聞くでしょう。
   それは、悟りたいと思っているとき、そこに、悟りたいと思っている 『私』 がいる
   からです。
   悟りとは、全体と一つになること、全体そのものであることですから、『私』 が
   いる限り、全体と 『私』 の分離があり、『私』 と全体は一つではないのです。
   『私』 が消えない限り、全体であること=悟り、はありえないのです。

   もうひとつあります。
   私たちは、まだ悟っていないから、悟りたいと思います。
   逆に言うと、悟りたいと思っている限りは、悟ってないともいえます。
   (もし、悟っちゃったら、悟りたいなんて思わないでしょ・・・)
   ですから、悟りたいという思いがある限りは、永遠に悟りの状態ではありません。
   つまり、悟りたいと思っている限りは、悟れないということです。
   悟りたいという思いが止まない限り、悟りの状態ではありません。
   わかりました・・・?

   私たちは、子供のころから、努力することはいいことだと教えられてきました。
   ですから、一生懸命努力して、悟ろうとします。
   しかし、努力するという ”意志” が働いている限り、絶対に悟れないと言ったら・・・
   また、あなたは驚きますか?
   でも、それは本当なのです。
   なぜなら、努力するという意志は、『私』 の意志であり、努力している限り、いつも
   『私』 がいて、『私』 の外には一歩たりとも出られないのです。
   努力という 『私』 の意志が止んだときに、初めて 『私』 の外=全体、へ出られる
   可能性が開かれるのです。

   『では、努力もしないで、どうやって悟れるの?』 と、あなたは聞きたそうですが・・・
                      
                              ・・・明日に続きます
                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
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BASHAR と Krishnamurti - 2 -
2007-07-23 Mon 06:24
                                           『夕雲の線』
夕雲の線
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   K-Communication より

   BASHAR と Krishnamurti - 2 - (昨日の続きです)

   バシャールは、人類が今のペースで観念を解放していったら、観念が無くなるのに
   後2000年はかかると言いました。
   そんなにノンビリしていられないので、今は、古い観念はそのまま使わないように
   して、新しい観念で生きるようにと示唆を与えます。
   後2000年とは、まさにアクエリアス時代の終わりの時です。
   つまり、アクエリアス時代というのは、観念 (自我) の解放の時代ということでは
   ないでしょうか。
   (確かに、全人類がそういう状態になるのには、そのくらいの時間が必要なのかも
   しれません)

   同様に、今は三次元から五次元へのシフトの時であり、クリシュナムルティは高度
   過ぎるということも友人からよく聞かされます。
   たぶん、そのとおりだと思うのですが、でも、目の前に最高の教えがあるのに、
   どうして次善のもので満足できるでしょう。
   クリシュナムルティの教えを真剣に実践すれば、それは本当に驚く程のスピードで
   解放されていきます。
   回り道のように思えても、自分自身を見続けることが、最も早く、最も安全に、
   そして最も確実に解放されていく道ではないでしょうか。

   しかし、確かにクリシュナムルティの教えは、今の私たちにとっては難しく、
   なかなか理解できないのも事実です。
   たぶん、人は、今、自分に最も合うものを、やりたくてやりたくてたまらないものを
   やるのが一番いいのでしょう。
   クリシュナムルティが最高だからといって、クリシュナムルティを押し付ける事は
   できません。
   また、実際、クリシュナムルティ以外でも、バシャールのように確かに解放するもの
   もあるのです。
   きっと、縁のある人に話し、その中で準備のできた人から、クリシュナムルティを
   学び始めるのでしょう。
   私たちにできることは、先ず、私たち自身がクリシュナムルティの教えを生きること、
   そして、縁ある人々に、クリシュナムルティの教えを、波動と共に伝えていくことでは
   ないでしょうか。                        
                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
                                 >>K-Communication
           
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BASHAR と Krishnamurti - 1 -
2007-07-22 Sun 01:55
                                            『夏の朝』
夏の朝
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   K-Communication より

   BASHAR と Krishnamurti - 1 -

   最近、一部の人々の間で、バシャールという宇宙存在が話題になっています。
   (*この文章は、1989年のものです)
   アメリカ人のダリル・アンカや、日本人の有吉綾子 (*現在の関野あやこさん)
   という人たちがチャネラーとなって、チャネリングしている存在ですが、聞いて
   みるとなかなか素晴らしく、私たちを相当解放してくれます。
   バシャールはバシャールで素晴らしいのですが、ここではクリシュナムルティ
   との違いをみてみることにしましょう。

   バシャールとクリシュナムルティとの決定的なちがいは、クリシュナムルティは
   私たちの観念自体を消し去ろうと (解放しようと) しているのに対し、バシャール
   は今持っている観念はそのままにしておいて、全く新しい宇宙的観念を私たち
   に提供しようとしていることです。
   そのために、イメージ誘導や、Q&Aを通して、さまざまなことを教えてくれます。
   その新しい観念 (見方・考え方) は、これまでの私たちの地上的観念とは全く
   ちがい、とても、とても自由です。
   古い観念が人をがんじがらめに縛っているのに比べると、新しい宇宙的観念は、
   はるかに自由であり、それは地上的に水平に見方を変えるというより、宇宙的に
   垂直に見方をシフトさせるという感じで、観念の次元のちがいを感じさせます。
   そのうえ、チャネリングセッションに出てみればわかることですが、かなり強烈な
   波動・エネルギーがあり、それも相まって、私たちを相当程度に解放してくれるの
   は確かです。

   しかし、クリシュナムルティは、観念そのものを解放しようとします。
   クリシュナムルティの世界は、観念無き世界であり、観念を超えた世界です。
   宇宙的観念でさえ、自由な観念でさえ、まだ自我の領域だというでしょう。

   たぶん、バシャールは、私たちを今いる次元より、より高い次元へ導こうとしている
   のでしょう。
   しかし、クリシュナムルティは、それよりもはるかな高みへ人類を導こうとしている
   のではないでしょうか。(だから、どちらが偉いというわけではありません。きっと、
   それぞれに役割がちがうのでしょう)

                            ・・・明日に続きます
                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
                                 >>K-Communication
           
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別窓 | 風景 | コメント:2
Space
2007-07-21 Sat 01:31
                                         『姫日扇水仙』
姫日扇水仙-01
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   K-Communication より

   Space

   5月27日(土)、クリシュナムルティの会のビデオ上映で、
   『クリシュナムルティとアンダーソン教授との対話』 の最終回(第18回) が
   放映されました。
   最終回にふさわしく、大変すばらしい内容でした。
   その中で、クリシュナムルティは、三種類のSpace について語りました。

   第一のSpace は、物理的な空間です。
   部屋の空間であり、山や花が存在するための空間です。

   第二のSpace は、自我 (私) の空間です。
   ここには、過去の経験や知識、さまざまな記憶がびっしりと詰まっています。
   ここの特徴は、閉じられている、限界がある、ということです。
   無限ではなく、ある一定量であり、それは増えたり減ったりしますが、どれだけ
   増えても、制限された、閉じられた空間でしかないということです。
   『私』 と 『あなた』 という境界を持つ閉じられた空間です。
   私たちは、普通この空間で 『私』 として生きています。

   第三のSpace は、これこそが、真の意味でのSpace なのですが、自我(私)
   の外の空間です。
   ここには、制限がありません。
   『私』 という限界、限定の外の空間です。
   ここは、全くの無制限であり、無限界です。
   この領域に 『愛』 や 『美』 といわれる宇宙の本質的なものが存在しています。
   そして、この領域から行為が為されるとき、そこには全く矛盾、間違いはなく、
   生きることが 『愛』 であり、『美』 であり、『真実』 であるという人生が出現します。
   それが、クリシュナムルティのいう制限なき自由の世界です。
   それこそが、自我からの解放であり、真の自由なのです。
                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
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依存 - 3 -
2007-07-20 Fri 06:34
                                        『木霊の森の緑』
木霊の森の緑-06
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   日記 『無色透明』 より

   依存 - 3 - (昨日の続きです)

   深い自分と共にあって、ゆっくりと生きる。
   周りの状況に振り回されないで、自分自身を生きる。
   しっかりグランディングできていれば、それは可能。
   いかに深く自分と共にあるか、ただそれだけ。

   絶えず自分に聞くことだろうか。
   いつも自分に問うことだろうか。
   常に自分を見守っていることだろうか。
   自分の本心を見失わないために・・・

   自分自身と共に、ゆっくり生きる。
   しっかり自分自身にグランディングして、自分を生きる。
   ゆったりと落ち着いて、自分自身を生ききる。
   すべては自分の内にある。

               日記 『無色透明』 より  全文は >>こちら

           
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依存 - 2 -
2007-07-19 Thu 05:56
                                      『切り株の転がる沢』
切り株の転がる沢-30
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   日記 『無色透明』 より

   依存 - 2 - (昨日の続きです)

   意識の表面的なところにいる限り、安定は望めない。
   それらは湖面のように、少しの風でも波立つ。
   表面意識はそのようにできている。
   刻々に変化するものをキャッチする必要がある。

   しかし、刻々に変化するものに囚われ、振り回されていたら身がもたない。
   それらのものを受け止め、しっかりと見極め、心静かに行動する。
   自分自身にグランディングできていれば、外のものに振り回されない。
   他の人を求めるということもない。

   自分自身にベースを置き、他の人とつきあう。
   それなしでは、相手に振り回されて自分を見失う。
   いかに自分自身にグランディングするか。
   自分自身を生ききるか。

   外に意識が向くから、心配や不安が襲ってくる。
   しっかりと自分自身にグランディングできていないから、恐れに負けてしまう。
   いついかなる時も自分自身と共にある。
   そうすれば、安定がある。

   安定しているとか、しっかりしてきたというのは、自分自身にグランディング
   できているということ。
   自分にグランディングできた程度に応じて安定する。
   いかに深く自分自身にグランディングするか。
   それに尽きる。

                 日記 『無色透明』 より  全文は >>こちら

           
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依存 - 1 -
2007-07-18 Wed 06:38
                                       『森から流れる水』
森から流れる水-29
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   日記 『無色透明』 より

   依存 - 1 -

   自分自身に深くグランディングできていないと、心はぐらつく。
   周りの状況に振り回される。
   そのため、心身は不安定となる。
   不安定にならないために・・・

   信念を持とうとする。
   あるいは、信仰にすがろうとする。
   または、主義主張に走ろうとする。
   いずれにしても、自分の外に拠り所を求める。

   しかし、信念も信仰も主義主張も、いずれも不動のものではない。
   やがて、現実とのギャップに心は揺れ動く。
   不安定にならないためにすがったものが、新たな不安定要素になる。
   いつまで経っても不安定は消えることはない。

   自分の外にすがっている限りは、振り回される。
   自分自身にグランディングしない限り、安定はない。
   信念も信仰も自分の内ではない。
   それらは自分の外にあるもの。

   自分の本心には、信念も信仰も主義主張もない。
   そういう思考的なものは一切ない。
   そういうものを超えて存在そのものがある。
   そこにグランディングする。

   自分の全存在にグランディングする。
   自分の全体性にグランディングする。
   そうすれば、不安定は消える。
   不動の安定がある。

                 日記 『無色透明』 より  全文は >>こちら

           
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色々
2007-07-17 Tue 09:55
                                           『海上の光』
光ー47
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     日記 『無色透明』 より

     色々   
  
     今日の屋久島は
     さわやかに晴れあがっている
     風も心地よく
     すばらしい天気

     不思議なことに
     天気がさわやかだと
     心もさわやかになる
     それも自分だけでなく・・・

     自然がさわやかだと
     人の心もさわやかになるのだろうか
     人の心も
     自然とリンクしているのだろうか

     しかし
     天気は変わる
     さわやかな日ばかりではない
     雨の降る日もある

     人の心も変わる
     いつもさわやかとは限らない
     むしろ
     さわやかな日は少ないかもしれない

     自然は
     変化することによって
     四季折々の
     美しさが現れる

     人の心も
     変化することによって
     多様性が生まれ
     深さが生まれる

     さわやかな日もいい
     でも
     毎日さわやかだったら
     さわやかさがわからない

     さわやかでない日があることによって
     さわやかさを実感できる
     さわやかさが強調される
     そういうもの

     いつもスッキリさわやかでは
     空の世界
     空っぽ
     何もない

     それでは
     この世の豊かさは体験できない
     だからこそ
     色の世界が創造された

     さわやかな日も
     さわやかでない日も
     雨の日も
     晴れの日もある

     四季が移り変わるように
     人の心も移り変わる
     すべてが変化し
     それが豊かさを生み出す

     生きているとは
     変化
     現実とは
     変化

     色の世界は
     変化の世界
     自然も心も
     いろいろ変わる

     いろいろとは
     色々
     色の世界の変化が
     色々

     何かあったら
     空を見上げるといい
     いろんなことが起きたら
     自然を見るといい

     すべては変化している
     心も変化している
     それが生きているということ
     変化こそが色の世界

     色の世界の移ろいを
     自然をながめ
     心をながめ
     じっくり味わう

     さわやかな日は
     さわやかに
     曇の日は
     曇のままに

     雨の日は
     雨と共に
     晴れた日は
     心晴れやかに

     自然と共に
     四季と共に
     色の世界を
     生きればいい

           
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詩と論文 - 2 -
2007-07-15 Sun 01:30
                                       『メリケン・ムグラ』
メリケン・ムグラー09-july
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   K-Communication より

   詩と論文 - 2 - 昨日の続きです

   * 思考を超えたエネルギーとは、Kの言う ”見るエネルギー” です。
   見るエネルギーを使うことによって、私たちは 『私』 の外に出る可能性  
   を持ちます。
   見ることの必要性を理解することによって、見るエネルギーは働き始めます。
   それは 『私』 が見るのではなく、見るエネルギー自体が自ら機能するのです。

   物理的なもの、技術的なものには思考を使い、心理的なもの、意識的な
   ものには、なぜ思考を使ってはいけないのでしょうか。
   それは、振動率 (バイブレーション) がちがうからです。
   物質と意識の振動率のちがい、スピードがちがうのです。
   物質の振動率 (スピード) には思考で対応できますが、意識の振動率
   (スピード) には思考では対応しきれないのです。
   意識の振動率 (スピード) には、思考の振動率 (スピード) を超えた部分が
   あるのです。
   思考は意識全体の中の感覚、感情、思考までを捉えることができるだけです。
   それ以上の部分は、思考では捉えることができません。
   ですから、思考は意識の一部 (物質レベル) を理解するための道具であり、  
   意識全体を理解するためには、思考よりも振動率 (スピード) の早い 
   ”見るエネルギー” を使う必要があるのです。
   物質的なものと心理的なものとのちがい、思考と見ることとのちがいは、 この
   振動率・スピードの差に他なりません。
   これは次元のちがいです。

   以上、もっともらしいことを言っていますが、頭から信用しない方がいいかも
   しれませんよ?
   自分で見ない限り、信じない方がいいですよ。

                K=クリシュナムルティです。
    
                  K-Communication №2(1989年 2号) より
                                 >>K-Communication
           
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詩と論文 - 1 -
2007-07-14 Sat 10:04
                                            『ハマユウ』
ハマユウー01
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   K-Communication より

   詩と論文 - 1 -

   詩には空間がある。
   短歌や俳句は空間に満ちている。
   論文には空間がない。
   論理と論理でつないでしまうので空間の余地がない。

   詩は空間の文学。
   できるだけ少ない言葉で、豊かな内容を表現しようとする。
   言葉が少なければ少ない程、空間は広がる。
   最小限の言葉で表現しようとすると、短歌や俳句となる。
   それらは空間に満ちている。
   なぜなら、規定した空間が最小限だから、残りは自由な空間なのである。

   論文は、こうはいかない。
   一つ一つの言葉を定義し限定しないと、混乱に陥ってしまう。
   誤解の余地が生じないよう、緻密な論理で構築するので、空間の余地も
   なくなってしまう。
   わずかにあるのは言語内の空間であり、言語外の空間はほとんどない。

   それは、あたかも、Kが言う、心理的なものと技術的なものとのちがいに
   似ている。

   論文とは思考である。
   過去の経験・知識・現実的なものの積み重ねの世界である。
   詩はそうではない。
   論理や理論の世界ではなく、直接理解する世界、共感の世界である。

   物理的なもの、科学技術的世界では、きちんと過去の知識を積み重ね
   ないと進歩はない。
   しかし、心理的な分野、意識の世界では、昨日の経験・知識を持っている
   限り、”死んだ心” になってしまう。
   昨日の目で見ている限り、今を理解することはできない。
   生きている感動はない。
   昨日の記憶を持たず、いつも新鮮な目で見ていなければならない。

   物理的なもの、技術的なものは、物質の世界である。
   物質の世界には、物質を扱う道具が必要である。
   それが ”思考” である。
   思考は物質を理解するための道具なのである。

   しかし、意識の領域において、物質の道具である思考を使おうとすると、
   混乱に陥ってしまう。
   思考は、あくまで物質を理解し、使いこなすための道具でしかない。
   意識の領域においては、思考を超えたエネルギー(*) を使わない限り、
   混乱は避けられない。

   正確に言うと、意識の領域の一部に (物質を理解するための道具である)
   思考がある。
   しかし、意識の領域は広大で、思考はそのほんの一部でしかない。
   この物質次元を理解する道具に過ぎない思考で、意識の全領域を理解し
   制御しようとすると、混乱が生じてくる。
   思考で意識を制御している限り、物質に巻き込まれ一人一人が分離し、
   混乱は避け難い。
   それが世界の現状である。

   思考は 『私』 をつくりだしている。
   『私』 は閉じられた狭い空間でしかない。
   あたかも論文のように、過去の知識がいっぱい詰まった、言葉でがんじ
   がらめの制御された空間である。

   今、私たちは、『私』 の外の広い自由な空間に目覚めようとしている。
   それは、あたかも詩のように、限定が少なく自由で開かれた状態である。
   詩にも必要最小限の言葉があるように、物質次元を扱う必要最小限の
   思考がありながらも、その思考をも含んだ、はるかに広大な空間に生きる
   のである。
   思考は物質次元の道具として使いこなしながら、それを超えた自由な空間
   に生きるのである。
   それは全体的な共有の空間であり、共感の空間である。   

           ・・・明日に続きます。 
           思考を超えたエネルギー(*) とは、Kの言う ”見るエネルギー” です。
           それについては、明日の続きをお読みください。
           K=クリシュナムルティです。

    
                  K-Communication №2(1989年 2号) より
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理解
2007-07-13 Fri 10:12
                                            『大和杉』
大和杉ーjuly-28
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   K-Communication より

   理解

   人から、『あの先生は素晴らしい』 『このシステムは最高だ』 と聞かされると、
   ふと、自分でもやってみたくなります。
   しかし、それが本当に素晴らしいのか、最高なのか、やってみないとわかり
   ません。
   ところが、実は、やってみても、なかなかわからないのです。
   なぜなら、はっきりとした結果が出るのに時間がかかる。
   あるいは、その結果を自分で確認する手段がないのです。
   結局、教えられるままに信じるしかありません。
   つまり、不安のまま続けるしかないのです。
   『この先生でいいのだろうか』 『このシステムは間違っていないだろうか?』
   自分で理解できないものをやっている限り、不安は絶えずつきまといます。
   他人に依存したり、システムに依存している限り、不安は、けして解消されません。

   不安から解放される唯一の方法は、理解することです。
   人に聞くのではなく、システムに依存するのではなく、自分の目で見、自分の
   耳で聞くことです。
   それのみが、唯一、人を不安から救いだします。
   唯一、人を安心立命へ導くのです。
   教祖やシステムが、神や仏が、わたしを救ってくれるという保証はどこにも
   ありません。
   ただ、わたしが自分で自分を救うしかないのです。

   まず、わたし自身を理解することが先決です。
   なぜ、わたしは先生やシステムに従おうとするのでしょう。
   なぜ、わたしの外に何かを求めたがるのでしょう。
   わたしの不安、わたしの依存を、まず、理解することです。

   わたし自身を理解することがすべての始まりです。
   わたしの中に、すべてが在るでしょう。
   宇宙の始まりも終わりも、人間の真実も神秘も。
   しかし、わたし以外に、それを、わたしに教えてくれる人はいないのです。

   わたしが始まりであり、理解することがすべてです。
                        
                  K-Communication №2(1989年 2号) より
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輪廻
2007-07-12 Thu 05:52
                                          『合歓の木』
合歓の木ー24-july
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   K-Communication より
     
   輪廻

   『K-Communication』 を出し始めた頃、友人が、『無料で発行するのは
   カルマの解消になるからとてもいいことだ』 と褒めてくれた。
   その時は、『どんなカルマがあるのだろう』 『それでは、よっぽど私の
   カルマは重いのだろうか』 と考えたりしたが、最近は、そのようなことは
   全く気にならなくなった。

   カルマがあろうとなかろうと、その行為が天に宝を積むことであろうと
   なかろうと、そんなことはもうどうでもいいのである。

   今度生まれ変わる時、素晴らしいところに生まれ変わるとか、輪廻から
   解脱できるとか、それらはすべて自我が考えることである。

   動機や目的がある限り、それが、いかに善意のものであれ、輪廻の輪
   から出ることはできない。
   原因があれば、必ず結果がある。
   輪廻の輪から出る唯一の方法は、動機 (原因) を持たないことである。
   たとえ、それが善意のものであれ、動機があれば因果はめぐる。
   そのような動機=思考の世界から離れることが、輪廻の外に出ること
   なのである。

   ----*----*----*----*----*----*----

   ☆ 『エッ、動機がなくて、人は行動できるの?』 ですって・・・
      花はどんな動機があって咲くのでしょう。
      鳥はどんな動機があって鳴くのでしょう。
      まして人においてや・・・ です。(なんだかキリストの言葉みたいですが?)

   ☆ 客観的にいうと、無意識の内に為される善なる行為は、やはり、天に
      宝を積むことであり、それが真の善因となって、輪廻の輪から抜け出せる
      エネルギーとなるのです。
      しかし、意識的に為される善なる行為は (成就したい、悟りたい、解脱
      したい、可愛そうな人々を救いたい、キリストのため、神のため、社会の
      ため・・・)、目的や意図を持って為される限りまだ意志 (自我) の領域内
      にあり、けして、輪廻の輪から抜け出すことはできないのです。
      (まだ、善因善果の世界)
      (これが、マザーテレサとクリシュナムルティの次元の差です)

   ☆ 本当は、『天に宝を積む』 とは、自我以上のエネルギーを使うことによって、
      (無意識の善行) 使う度に、そのエネルギーが自分の内で増大していくことです。
      (蓄積されるのではなく、パイプが太くなる、より自由に流れるようになる)
      やがて、自分がそのエネルギーそのものになった時 (自我が消えた時)
      その時、人は輪廻の外に在るのです。
      (自我以上のエネルギーというのは、それ自身が善なのです)
                        
                  K-Communication №2(1989年 2号) より
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人体  - 2 -
2007-07-11 Wed 07:09
                                           『苔の宝石』
苔ー53
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     日記 『無色透明』 より

     人体  - 2 -  (昨日の続きです)

     宇宙はひとつ
     意識はひとつ
     ひとつの宇宙が
     ひとつのドラマを演じている
 
     人は
     宇宙という壮大なドラマの一翼を担っている
     ほんの小さなパートだが
     なくてはならないパート

     人は霊止(ひと)
     自分の役割のところに止まっているだけ
     自己同一化しているだけ
     今はそこにフォーカスしているだけ

     宇宙も
     意識も
     人体も
     すべて同じ

     全体はひとつ
     ひとつのいのち
     ひとつのいのちの躍動
     その多様性

     心臓も腎臓も
     手の指も足の指も
     どれが偉いということはない
     単なる役割分担

     目がなくても困るし
     耳がなくても困る
     すべてのパーツで
     ひとつ

     それぞれが
     それぞれの役割を果たし
     なおかつ
     一個の人体として機能している

     人は
     個である
     と同時に
     全体でもある

     個の意識であると共に
     宇宙意識そのものでもある
     宇宙意識が
     個々のパートと自己同一化しているに過ぎない

     個々のパートと自己同一化し
     その使命を担い
     その氏名となって生きているのが
     霊止(ひと)=人

     自己同一化を外せば
     宇宙意識
     自己同一化すれば
     個人

     人は
     個であり
     同時に
     全体でもある

     ひとつの意識は全体
     空
     一つの意識は個
     色

     人体は
     宇宙の縮図
     人体は
     意識の縮図

     何かわからないことがあったら
     人体を思い浮かべるといい
     人体こそが自分の縮図
     自分の鏡

     人体のように
     宇宙はできており
     人体のように
     意識はできている

     今は
     肉体に入っているので
     人体と共に
     人として生きる

     多くの器の
     一番外側にあるのが
     人体
     霊の器

     身は社(やしろ)
     心は神の分霊(わけみたま)
     人と自己同一化して
     人として生きているだけ

     自己同一化を外せば
     個は消え
     全体となり
     宇宙となる

     それが意識の本質であり
     神髄であり
     自分自身であり
     真実である

                  日記 『無色透明』 より  全文は>>こちら

           
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人体  - 1 -
2007-07-10 Tue 09:44
                                           『苔の宝石』
苔ー52
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     日記 『無色透明』 より

     人体  - 1 -

     人体は
     宇宙に似ている
     意識は
     人体に似ている

     宇宙には
     多くの星雲や島宇宙がある
     無数の星々がある
     その全体が宇宙

     人体には
     心臓や腎臓や
     多くの器官がある
     その全体が人体

     心臓には心臓の
     腎臓には腎臓の
     役割があり
     意識がある

     目や耳や口や鼻にも
     それぞれの
     役割があり
     意識がある

     心臓が停止しても
     髪の毛は伸び続け
     脳死の後も
     臓器はまだ生きている

     人が眠っている時も
     心臓は動き続け
     呼吸は続き
     肺も働いている

     消化器官も活動し
     消化吸収し
     体をリフレッシュさせ
     成長させる

     危険な状況になれば
     体は独りでに反応する
     目に何かが近づけば
     自然に瞼(まぶた)が閉じる

     人格とは別の
     体の意識がある
     器官ごとの意識があり
     細胞ごとの意識がある

     八百万(やおよろず)の神々には
     それぞれの使命がある
     それを
     命(みこと)と言う

     それぞれの使命とは
     この宇宙で果たすべき役割
     受け持ち
     担当パート

     人体で言えば
     心臓や腎臓
     目や耳や口や鼻・・・
     のようなもの

     命(みこと)とは
     神の命令
     神からの指令
     そこから名前が生まれた

     氏名とは使命
     その役割を表すもの
     神々の呼び名は
     ○○の命(みこと)

     その神々の末裔である人も
     また
     それぞれの使命を持っている
     使命のない人はいない

     神々の系譜
     霊統
     すべての人が
     何らかの霊統に属している

     何段階にも細分化された役割分担があり
     その末端を
     人は担っている
     神々の末裔として

     もちろん
     ほとんどの人は
     その自覚はない
     忘れてしまっている

     それでも
     目に見えない流れの中に
     無意識の中に
     霊的な流れは存在している

     人は生まれてくる時
     今生の目標を設定してくる
     自分の霊的系譜の中で
     自分の使命を決めてくる

     氏名とは
     本来
     その使命を表すもの
     それ以外に氏名の意味はない

     しかし
     そのようなことは忘れられ
     この世的な氏名がはびこり
     人は物質的に生きている

     あの世にも氏名はあり
     神々にも氏名があり
     すべてに
     使命に応じた氏名が与えられている

                       ・・・明日に続きます

                  日記 『無色透明』 より  全文は>>こちら

           
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笑いのエネルギー
2007-07-09 Mon 05:25
                                          『幸せコガネ』
幸せコガネー14-july
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   笑いのエネルギー

   笑いのエネルギーって とても軽いでしょ
   ほんとは カラッポなの
   本当の笑いはね
   軽いと上の方に浮かんでいくでしょ
   拡散するでしょ
   広がって 広がって 全宇宙に広がるの

   本当の笑いって こだわりがないの
   その瞬間 一切のこだわりがないの
   だから 制限が 一瞬だけど 外れるの
   自我の 外に出ちゃうの
   だから 笑っていると 一瞬
   すべてを忘れて スッキリするでしょ
   だから 本当の笑いって 解放なの

   もっと 笑うといいね
   心から
   カラ カラ カラって
   空(から) 空(から) 空(から)って
                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
                                 >>K-Communication
           
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客観化
2007-07-08 Sun 09:16
                                           『キケマン』
キケマンー05-july
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   客観化

   自我が解放されればされるほど、意識は客観的になる
   ものの見方も客観的になるし、表現も客観的になる
   すべてにおいて、『私』 が薄くなっていく。
   『私』 の中心から、たえず、ものを見ていたのが、だんだんと客観的に
   『私』 の感情をはさまずに、ただ事実だけを見るようになる。
   それと同時に、表現も 『私が・・・』 『私が・・・』 ではなく、ただ客観的に
   事実をありのまま述べるようになる。

   それでは 『生きている実感がない』 『面白くない』 という不安や先入観も
   以前にはあったが、現実は、そういう予想とはまるっきり逆で、自我の
   エネルギーを使わなければ使わない程、自然の美しさや、人の優しさが
   強く感じられるようになる。
   以前にあったドロドロとした感情から、自然で、透明な、スッキリとした感じ
   に変わってくる。

   そして、意識が客観的になってくると共に、物事がよく見えるようになる。
   それは、外側のこと、自然・人・因果関係もそうだが、自分自身の内側も、
   意識の動きがとてもよくわかるようになる。
   また、客観化というのは、同時に、意識が静かになることでもある。
   いつも平静で、客観的に見ていられるから、物事がはっきり見えるとも
   いえる。
   主観が入れば入る程、物事は正確に見えにくくなる。
   『私』 という色付きのフィルターを通して見るのだから当然である。
   『私』 という色付きのフィルターを通して見ないとき、事実をありのままに、
   それ故、正確に、深く見ることができる。

   クリシュナムルティの本を読み始めた頃、クリシュナムルティが自分のことを、
   『人は・・・』 とか、『彼は・・・』 というのに違和感を覚えたが、今になって見ると、
   クリシュナムルティの中に 『私』 という感覚が全く無いことの表れ以外の何物
   でもないというのがとてもよくわかる。
   確かに、『私は・・・』 とか、『私が・・・』 というような言い方を日常使っていると、
   『私』 を強化するのがはっきり感じられる。
   逆に、自分のことを 『○○さん』 とか、『○○氏』 と客観的に言ったり、
   書いたりしてみると、意識が透明で客観的になるのがよくわかる。

   自我が解放されればされる程、意識は客観化してくる。
   逆に、意識の客観化というのが、解放の一つのバロメーターになるのかも
   しれない。
                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
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透明感
2007-07-07 Sat 10:52
                                      『ヒメツルアリドオシ』
ヒメツルアリドオシー29-july
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   透明感
   
   悩みごとが いつもある人
   何も無いと さみしいから
   心配して 楽しんでいる

   何も無くて 心がカラッポなのが
   居ても立ってもいられないから
   楽しい事や心配事で
   心の空白を満たそうとする
   一方はポジティブに 他方はネガティブに

   テレビ 週刊誌 野球 テニス マージャン
   ファッション SEX カルチャーセンター
   政治 金儲け 社会運動 そして 極め付けは宗教

   何も無いことが 不安でたまらないから
   次から次へと 楽しみを求める
   心のよりどころを探す
   すがる・・・

   まるで 子供がオモチャに
   しばらく 我を忘れるように
   飽きるまで・・・

   何も無いことが
   心がカラッポなのが
   どんなにスバラシイか

   それに気づき始めると
   楽しみや心配より
   空白の方が
   はるかに はるかに スバラシクなる

   本当は カラッポなので
   スバラシイという感じさえ無い
   ただ ただ 透き通るような 透明感

   この透明感と共に 愛は自然に湧き出てくる
                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
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解放 - 2 -
2007-07-06 Fri 06:12
                                     『羽神の滝に射す光』
羽神の滝に射す光ー12-may_07
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   解放 - 2 -  (昨日の続きです)
   
   一つ一つの囚われ (自分の中の観念) に気づいていくことによって、
   一つ一つ自己限定が外れていきます。
   一つ一つ自己限定が外れていくと、その分だけ ”縛り” が解けて自由に
   なります。
   もしかすると、『私』 というのは、この自己限定そのものなのかもしれません。
   『私』 という意識は、ものごとを制限する、一定の見方・観念・先入観の
   寄せ集めで、それが私たちの人生を狭めているのかもしれないのです。
   本当は、そういう 『私』 (観念) が一切ないときに、私たちは自由なのかも
   しれません。
   『私』 という意識は、あらゆるものを 『こうだ』、『こうあるべきだ』 ときめつけ
   ている観念=自己限定に過ぎないのかもしれないのです。

   この 『私』 の中身・自己限定に、一つ一つ気づいていくことが、真の解放では
   ないでしょうか。
   ちょっとむずかしくなりましたが、要は、自分を制限している 『観念』 に一つ
   一つ気づいていくということです。
   それは、けして、むずかしいことではありません。
   逆に、それはとてもシンプルで、素敵なことです。
   きっと、心の深いところでは、私たちの誰もが望んでいることではないでしょうか。
   なぜなら、それは、これまでの囚われを外して、ありのままの自分に戻ることに
   ほかならないからです。
   『私』 という狭い制限をとって、自由という無限の翼をつけるのです。

   『人を愛さなければ・・・』、『人に親切にしなければ・・・』
   そのように、かたくなに考える必要はないのです。
   『私』 という観念が消えていけば、愛はおのずから現れてくるのです。
   自由になれば、愛はそこにあるのです。

   自由であるということが、いかに素晴らしいか、あなたは既に知っているのです。
   私たちは、ただその道を真直に進んでいけばいいのです。
   一切の観念、一切の先入観、一切の 『私』 が無ければ、いつも心は澄み切って
   清々しい。
   どこまでも透き通った、はるかな ”空”。

      自由であるということは 制限が無いということ
      自由であるということは 無限であるということ
      かぎりなき自由 はてしなき宇宙
      そう!自由は宇宙なのです
      自由であるということは 即 宇宙であるということです
      自由 = 無限 = 宇宙
      はてしなき はてきなき宇宙
      限りなき 限りなき宇宙
      自由も はてしなく 限りない
      だから 完き自由があるところ 人は宇宙とひとつなのです                        
                  K-Communication №1(1989年 1号) より
                                 >>K-Communication
           
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解放 - 1 -
2007-07-05 Thu 09:43
                                            『落の滝』
落の滝ー06
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   解放 - 1 -

   今まで、『こうでなければいけない』、『こうあるべきだ』、『こうにちがいない』
   と、かたくなに思い込んでいたものが、フト、『もしかしたら、こうでなくても
   いいのかもしれない?・・・それは自分だけの思い込みだったんだ!』 と、
   気づいたときの、あの目からウロコが落ちるような感覚を、誰もが一度は
   経験したことがあるでしょう。
   狭い小さな自分の制限が一つ外れたときに感じる、あの解放感はなんとも
   いえないものです。
   それこそ、まさに ”自由” です。

   今、私たちは、このような思い込み、先入観、偏見・・・
   これらのものから解放されるときにきているのではないでしょうか。
   これまでの狭い見方、特定方向からだけの捉え方、一定の解釈、
   パターン化した反応、無自覚なまま繰り返してきた様々に条件づけられ
   た行為・・・
   それらのものを、一つ一つ見て、理解して、その囚われから自由になる時
   がきているのです。

   この自分の囚われに ”気づく” ことが、この囚われからの解放であり、
   気づく度にその制限が解けてその分だけ自由になります。
   しかし、本当は、『こういうものだ』、『こうあるべきだ』 と決め込んでいる
   こと自体が制限に他なりません。
   つまり、私たちの中にある観念 (物の見方) そのものが制限なのです。
   観念は、これまでの人生経験の中で、私たちがつくってきた物の見方・
   解釈ですが、もしかしたら、この観念こそが、私たちの人生を制限している
   張本人なのかもしれないのです。

   もし、一切の観念が無かったら、私たちはどうするのでしょう?
   そのとき、私たちは、ただ事実に直面するしかありません。
   ただ、事実から学ぶしかないのです。
   そのとき、一切の思い込みはなく、ただ、事実をありのままに受け止める
   ことができます。

                          ・・・明日に続きます  

                  K-Communication №1(1989年 1号) より
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折々に - 3 -
2007-07-04 Wed 06:46
                                        『木霊の森の水』
木霊の森の水ーwater-05
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   K-Communication №19 より 『折々に』 を連載しています。

   折々に - 3 -

   『依存』

   なぜKは、最後に 「誰も変わった人はいなかった」 と言ったのだろうか?
   それは、彼が生きていた間は、みんなが彼に依存していたということでは
   ないだろうか?
   依存していたから、誰も変わらなかった・・・
   依存がある限り、完全な自由はない・・・
   では、Kが亡くなった今、変化の可能性は高くなっただろうか?
   しかし、今、人は彼の本やビデオに依存してはいないだろうか?
   彼の言葉の中に答えを求めてはいないだろうか?
   人は、自分で真実を発見しようとしているだろうか?
   もし、彼の本やビデオの中から真実を発見しようとすれば、それは依存に
   他ならない。
   日々の生活の中で、自分で真実を発見しようとする姿勢があるだろうか?

   クリシュナムルティから入って、クリシュナムルティを越える?
   クリシュナムルティから入って、クリシュナムルティを捨てる?
   Kへの依存がある限り自由はない!
   Kを学びながらも、Kにこだわらない自由な心がないと、他の宗教団体と
   何ら変わらない。
   それでは互いの衝突を生み、世間の宗教対立と同じになってしまう。
   Kへの依存、Kへのこだわり、それらを越えた自由・・・
   Kが真に伝えたかったものも、それではないだろうか・・・
   自由に何ものにも縛られることなく真理を探る・・・
   そこに自由がある!真の自由がある!初めにあったものが真理であった!
   何ものにも拘束されない自由な心こそが、真理そのものであった・・・

   『光』

   ただ思考の迷盲がトータルなエネルギーによって見られる時、その幻想に
   光が当てられる時、闇は一瞬に消える。
   それをもたらすことができるのは、静寂のうちに存在する内なる光だけである。
   それをKは、”見ること” と言った。
   この内に輝く光が、その実在の光 (無量寿光) が、言葉や比喩としてではなく、
   実際に実感されるだろうか?
   それが実感されない限り、それは単なる想像の域を出ないだろう。
   ただ静かに見ている状態そのものが光である。
   深く静かにトータルに見ている・・・その状態そのものが自我・思考ではない。
   それは光そのものであり、それが瞑想である。

                  K-Communication №19(1991年 3月号) より
                                 >>K-Communication
           
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折々に - 2 -
2007-07-03 Tue 02:31
                                              『清水』
清水ー25-aug
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   K-Communication №19 より 『折々に』 を連載しています。

   折々に - 2 -

   『深み』

   話が横へ横へとどんどん広がっていく人は、意識の表層にいる人が多い。
   次々に言葉が出てくるけれども深みがない。
   それは混乱しているに過ぎない。
   言葉少なに静かに見つめる時、洞察はより深くなる。
   横に広がるのではなく、深く深く本質に迫る時、内面的変化が起きる。

   『知恵の木の実』

   聖書にある、アダムとイブが知恵の木の実を食べることによって、エデンの
   園を追放されるという話は、人類が心理的思考によって 『私』 という幻想
   を造り出し、天性を見失うということを象徴しているのだろうか・・・

   『永遠の今』

   瞬間・瞬間と言っても、瞬間という一区切りがある訳ではない。
   区切りなど、どこにもない。
   始まりも終わりもない。
   時間は、ない。
   時間は、記憶に基づく思考の産物。
   実際は、無始無終の今があるだけ。

   『呼吸』

   意識が深くなれば、自然に呼吸も深くなる。
   呼吸を深くするための方法はいらない。
   方法は形から入る世界。
   それは常に形式化、形骸化の危険性を伴う。
   形として外に現れたものの奥にある、その心がわからない限り、
   それは必ず形骸化する。
   それが努力を強い、葛藤をもたらし、修行を必要とさせる。
   深い理解があるところ、努力や修行は存在しない。
   自我による努力や修行が行われている限り、深い理解はありえない。
   自我の奥に、努力や意志の働かないところに、そのままで満たされている
   空間がある。
   その空間に理解はある。
   心が静かであれば、呼吸も静かである。

                  K-Communication №19(1991年 3月号) より
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折々に - 1 -
2007-07-02 Mon 03:04
                                           『鈴河大滝』
鈴河大滝ー09-aug
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   K-Communication №19 より 『折々に』 を連載します。

   折々に - 1 -

   『思考』

   思考は春の気配を感じることができるだろうか?
   答えは、もちろん 『ノー』 である。
   思考は直接感じることはできない。
   思考にできることは、過去のデータ (経験・知識=記憶) をいろいろ
   組み合わせること=考えること・想像することだけである。
   思考とは頭の中で抽象的に考えることであり、直接物事に触れることは
   できない。
   それはあくまで間接的理解であり、決して直接的理解ではない。
   思考で理解するとは、言葉を使い、理論的に、概念的にわかるということ
   である。
   それはリアリティそのものではなく、イメージとしてわかるということである。
   思考は過去 (経験・知識) によって物事を理解するという性質上、
   ”今” のものを直接理解することはできない。

   『トータル』

   では、今のリアリティを直接理解するとはどういうことだろうか?
   それは、例えば日光東照宮の話を人から百回聞いて、わかった ”つもり”
   になることと、実際に一目自分の目で見て直接わかることとの違いのよう
   なものだろうか?(百聞は一見に如かず)
   一方はイメージであり、他方はリアリティである。
   では、春の気配を感じるのは何だろうか?
   それは五感だろうか?感情だろうか?それとも思考だろうか?
   たぶん、それらの何れでもなく、それらを越えたトータルな感覚というもの
   ではないだろうか?
   それが内に静かさを秘めた ”見ている状態” ではないだろうか。
   その時、思考は全く動かず、眼前にリアリティがありありと存在する。

                  K-Communication №19(1991年 3月号) より
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命(みこと)
2007-07-01 Sun 01:50
                                           『ハマユウ』
ハマユウー02
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     命(みこと)

     自分 自分 自分・・・
     自分を極めていくと
     やがて
     自分は消える

     自分は消えて
     自分の素(もと)になる
     自分ができる以前
     自分が存在する以前

     その自分がない状態で
     自分を生きる
     個性のない意識で
     個性を生きる

     空の意識で
     色を生きる
     無色透明で
     極色彩を生きる

     自分を極めると
     自分は消える
     自分が消えた状態で
     自分を生きる

     そうすると
     自分にこだわることなく
     ただ個性を生きられる
     自分はなく
     個性がある

     自分はなく
     役割がある
     この宇宙における役割
     それが命(みこと)
     おのが使命

     それぞれが
     それぞれの命
     使命を持つ
     それぞれが
     それぞれの命を生きる

     自分ではなく
     ただ命がある
     その役割を楽しく果たす
     お互いが互いの命を果たす時
     宇宙は豊かに調和する

     『お互いが 互いの命 果たす時 宇宙は豊かに 調和を示す』

                        日記 『無色透明』 より  

           
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