いのちの写真と光の言葉
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
安心立命
2007-06-30 Sat 08:10
                                              『満月』
満月ー03
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
 

     安心立命

     安心とは
     心の安らぎ
     肉体ベースである限り
     安心立命は得られない

     肉体の中にあるのは
     自己保存
     安心立命は
     精神の中にしかない

     冷静は
     霊性に通じる
     心静かに
     すべてを見守る

     その時に
     的確な判断ができる
     不安や心配からスタートすれば
     結果も不安や心配

     始めに安心がなければ
     何をやっても
     結果は
     更なる不安と心配
     
     始めに安心がなければならない
     始めに心の安らぎがある時に
     結果も
     心の安らぐものとなる

     大切なのは
     結果ではない
     始めの心の状態
     それが終わりの心の状態を表す

     結果は
     始めからわかっている
     始めの通りの終わりとなる
     それ以外のことはない

     始めに想い描いたものが
     結果として現れる
     それが現実創造
     それ以上でも以下でもない

     始めに混乱があれば
     結果も混乱となる
     始めに心の安らぎがあれば
     結果も心の安らぐものとなる

     自分が播いた種を
     自分で刈り取るだけ
     極めてシンプル
     始めに結果はある


     自分のベースをどこに置くか
     肉体か
     それとも
     精神か

     霊性にベースを置き
     冷静に
     すべてをあたたかく見守る
     心安らかに

     それが安心立命につながる道
     始めに安心があれば
     終わりも安心がある
     それが心安らぐ道

                  日記 『無色透明』 より  全文は>>こちら

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
スポンサーサイト
別窓 | | コメント:2
意識の浄化
2007-06-29 Fri 07:28
                                              『誠蓮』
誠蓮ー3
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
 

     意識の浄化
     
     どんな生き方も
     自分しだい
     自分の選択しだい
     自分の人生

     自分の望むようにしなくて
     誰の人生?
     運命も
     宿命も

     ある
     けれども
     別に
     それに負けることはない

     運命も
     宿命も
     それを理解し
     活用する

     自分の人生は
     自分の望むようにクリエイトする
     運命や宿命に
     翻弄される必要はない

     無自覚のままに
     蓄積してきた
     記憶に
     振り回されない

     しっかりと
     主体性を持ち
     生きていく
     自分の人生を

     人のせいにして
     自己正当化しても
     何の役にもたたない
     被害者になり

     更に惨めになるだけ
     幸せから更に遠ざかるだけ
     幸せは
     そんなところにはない

     幸せは
     手放しきった時に
     向こうからやって来る
     情熱を注いだ先に

     幸せの方から
     挨拶に来る
     それを掴めば
     過去になる

     掴まないで
     ただ感謝して
     手放す
     周りに分かち合う

     自分の中から
     過去の不要なものが出て来たら
     みんな
     見守りの中で手放す

     良いも悪いもない
     過去に自分が掴んだもの
     もう必要のないもの
     みんな軽やかに手放す

     みんな手放して
     完了させる
     いつまでも
     過去にこだわっていても仕方がない

     過去は過去
     終わったこと
     完了させて
     先に進む

     真っ新(さら)の今と共に生きる
     新鮮に生きる
     さわやかに生きる
     今は

     常に
     ゼロ
     何もない
     過去にこだわらなければ

     今は
     常に
     新しい
     ただ

     記憶だけが
     古い
     それ以外は
     みんな新しい

     記憶は使うもの
     使われるのではなくて
     潜在意識も活用するもの
     振り回されるのではなくて

     しっかりと
     今の自分自身にフォーカスし
     生きる
     今を!

                日記 『無色透明』 より  全文は>>こちら


     7月デスクトップ用壁紙作成しました。
     ダウンロードは >>こちらからどうぞ

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
戦争の源 - 3 -
2007-06-28 Thu 11:33
                                               『光』
光ー46
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
 
     
   K-Communication №19 より 『戦争の源』 を
   三日間連載します。今日は三日目です。 
   ここから読まれる方は一日目からお読みになることをお薦めします。


   戦争の源 - 3 - 

   深く自分自身を見つめていくと、『自分』 と 『他人』 とに分けていることに
   気づきます。
   『私』 は常に自分の思うように生きることを欲します。
   それは同時に、『他人』 を自分の思うようにしたいということを意味します。
   お互いがそう思っていれば争いは避けられません。
   それは 『私』 自身が 『見る者』 と 『見られる者』 とに分裂し、
   『見る側の私』 が 『見られる側の私』 を常に支配しようとしているのに
   似てはいないでしょうか。
   個人も人間関係も、分離から、あらゆる葛藤が生じます。
   戦争がなくなるためには、この 『私』 自身の中の分離、そして自他の分離
   がなくならなければならないでしょう。
   分離があるところには必ず葛藤があります。
   『私』 の中の 『見る者』 と 『見られる者』 との葛藤、人間関係の中の
   『私』 と 『他人』 との葛藤、そして民族と民族、国家と国家、宗教と宗教・・・
   分離があるところ、葛藤は絶えません。
   その分離をもたらしている源は、一人一人の過去の条件づけとの一体化です。
   そして、その一体化こそが 『私』 の正体です。
   この 『私』 が、自分自身の中に分裂を引き起こし、人間関係の中に分裂を
   引き起こし、世界に分裂を引き起こしているのではないでしょうか。
   『私』 の中の分離、自他の分離、自分と宇宙との分離、それらの分離がある
   限り、真の平和はないのかもしれません。

   分離なき生こそが争いなき生であり、分離なき生こそが真実の生ではないで
   しょうか。
   そして、この ”分離がない” という状態が ”愛” というものではないでしょうか。
   全体から分離している 『私』 の存在そのものが戦争の源ではないでしょうか。

                  K-Communication №19(1991年 3月号) より
                                 >>K-Communication
           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
戦争の源 - 2 -
2007-06-27 Wed 12:14
                                     『愛子岳・光の放射』
愛子岳・光の放射ー11-nov
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
 
     
   K-Communication №19 より 『戦争の源』 を
   三日間連載します。今日は二日目です。 
   ここから読まれる方は一日目からお読みになることをお薦めします。


   戦争の源 - 2 - 

   本来、感情は快・不快の反応によって肉体の安全を維持しようとする
   機能でしょうが、そこに思考が関係することによって、肉体だけではなく 
   『私』 の安全についても感情が反応するようになります。
   過去の経験や知識を基に思考が造り上げた私の信念や信仰、
   主義主張や意見が否定される時、感情は敏感に不快の反応を示します。
   そうなると、不快のままでは居ても立ってもいられず、人は、肉体の
   場合にもそうするように、不快を解消しようという行動に移ります。
   それは不快感を一気に外に出す怒りとなったり、不快感を引き起こした
   相手に対する攻撃や非難となりがちです。

   ところが、攻撃され非難された方も、そのままではもちろん不快なので、
   同様の反撃を試みます。
   そこから泥沼の争いが始まります。
   お互いの過去の違いが、違和感=不快感を生み出し、それが葛藤・争い
   をもたらします。
   一人一人の過去=人生=私。
   その 『私』 そのものが葛藤・争いの源ではないでしょうか。
   一人一人が 『私』 として生きている限り、この葛藤・争いから解放される
   ことは不可能でしょう。
   なぜなら、既に 『私』 の中に争いの芽があります。
   『私』 と 『あなた』 が全く同じことはあり得ません。
   『私』 は他の 『私』 とは違います。
   違うことによって必然的に、食い違い、違和感、不快感、葛藤、争いが
   生まれる基本構造があるのではないでしょうか。
   ですから、一人一人が 『私』 を主張する限り、一人一人が 『私』 として
   生きる限り、争いは絶えることがないでしょう。

   『私』 と 『あなた』 の違いは、争いを引き起こす本質的構造を持って
   います。
   普通、人はそのことを承知の上で、お互いに妥協しながら、あるいは長い
   ものに巻かれながら生きています。
   また一生を欲求不満や周りとの争いで送る人もいます。
   『私』 として生きる限り、そこにあるのは妥協か争いの生ではないでしょうか。
   それが現在の人類の悲しみでしょうか。
   『私』 であるが故の人類の悲しみです。

   人が 『私』 として人に出会っている時、そこに真の交流があるでしょうか?
   それは 『過去』 と 『過去』 との出会いであり、『今』 と 『今』 との出会い
   ではありません。
   イメージとイメージとの出会いでは、真の交流は起きません。
   今、この瞬間の真白な心で出会わない限り、深い感動はありません。

                       ・・・明日に続きます

                  K-Communication №19(1991年 3月号) より
                                 >>K-Communication
           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
戦争の源 - 1 -
2007-06-26 Tue 09:32
                                              『夕陽』
夕陽ー16-e-sun
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
 
     
   K-Communication №19 より 『戦争の源』 を
   今日から三日間連載します。 どうぞ続けてお読みください。


   戦争の源 - 1 - 

   1月に湾岸戦争が勃発し、世界は騒然としています。
   (*注:この文章は1991年のものです)
   戦争が始まってからしばらくして、ある人から戦争について
   『K-Comm』 に書いてほしいと言われました。
   しかし何を書いたらいいのか、全く何も浮かんではきませんでした。
   『K-Comm』 を読んでおられる方からも、なんとなく不安や心配の
   気配が伝わってきます。
   ミーティングでも戦争のことが話題になります。
   しかし、それでも戦争について書くことは、何も浮かんではきません
   でした。
   ところが、あることから人間関係のトラブルが生じ、それが思っても
   みなかった怒りの爆発を呼び起こしました。
   そこから、やっと戦争について書くことが浮かんできました。

   自己を主張し、それを通そうとすることが戦争の原形ではないで
   しょうか。
   自分の気に入らないことが起きると、感情的になり、力で自分を
   押し通そうとします。
   それをお互いがやり出すと争いが生じます。
   それが戦争の源ではないでしょうか。

   自己を主張する 『自己』 とは、過去の条件づけです。
   生まれてから今日までの一人一人の経験であり知識です。
   そして、それらに基づく信念や先入観や意見です。
   一人一人の条件づけが違うので、お互いが自己を主張する時、
   必ず葛藤が生じます。
   お互いが自分の過去から発信し行動する限り、必ず争いが起きる
   構造があります。
   自分の意見、主義主張、信念や信仰、思い込みなどを持ち込む限り、
   家庭においても、職場においても、友人関係やサークルにおいても、
   民族や国家関係においても、争いは避けることができないでしょう。

   暴力とは、自分の過去を押し通そうとすることではないでしょうか。
   ある過去が、他の過去を力で押さえ込もうとすることが暴力ではない
   でしょうか。
   そこから必然的に力と力の争いが生じます。
   この争いを防ぐ唯一の道は、一人一人がこの構造を理解し、
   注意深く日々の自分の反応を見つめることではないでしょうか。
   自分の過去が出てきた時に、信念と信念が、思い込みと思い込みが、
   条件づけと条件づけがそれぞれ異なるためにぶつかる時に、
   その場で、そのことに気づけるでしょうか・・・
   自分の過去が反応していること、自分の過去が異質の過去に反発
   していること、それが不愉快であり不満であるので感情が高ぶって
   いること・・・
   その不快感を一掃するために怒りを爆発させたり、相手を非難したり
   否定したり・・・
   それは、あくまで自分の過去に固執し、自分の過去を守ろうとして
   いることに気づけるでしょうか・・・

                       ・・・明日に続きます

                  K-Communication №19(1991年 3月号) より
                                 >>K-Communication
           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 夕陽 | コメント:0
あなたは世界である - 2 -
2007-06-25 Mon 06:50
                                         『森の中の沢』
森の中の沢-25
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
      

   あなたは世界である - 2 - 昨日の続きです

   過去に生きることが 『私』 の生であり、それは分裂と争いの生に他
   なりません。
   ただ、今、この瞬間に生きることだけが 『私』 から自由な分裂のない
   生です。
   それだけが地上に真の平和をもたらすでしょう。
   いかなる小手先の平和論も根本的な解決にはなりません。
   ただ、過去を清算して生きること、つまり、『私』 に別れを告げること
   だけが真の平和をもたらします。
   それには人類の一人一人が 『私』、自我、思考の性質を理解するしか
   ありません。
   それは一見気の遠くなるようなプロセスですが、ひとたび歯車が回り
   始めれば加速度がつくでしょう。
   一人が変われば、それが全人類に影響を及ぼします。
   それがいかなる平和論よりも最も根本的で最も確実な道ではないで
   しょうか。
   Kコミでやろうとしていることは、そういうことです。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 木霊の森 | コメント:0
あなたは世界である - 1 -
2007-06-24 Sun 02:27
                                       『森の中のミニ滝』
森の中のミニ滝-24
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №38 より 『あなたは世界である』 を
   今日、明日、二日間連載します。 どうぞ続けてお読みください。
   

   あなたは世界である - 1 -

   人類全体の中に55億の 『私』 がいます。
   (*注:この文章は1993年のものです)
   それぞれが全体から分離し、孤立した 『私』 として生きています。
   その 『私』 は自分の過去をベースとしており、その記憶がそれぞれ
   異なるため、他の 『私』 を差別し、争いが生じています。
   同じことが一人の中にも見られます。
   一人の中に多くの 『私』 がいて、それが 『観察する者』 と
   『観察される者』 とに分かれて、せめぎ合い、争い合っています。
   一人の中の多くの 『私』 は人類の中の多くの 『私』 と同じでは
   ないでしょうか。
   それはある特定の価値観や観念と一体化し、自分こそは絶対正しい
   と自己を主張し、お互いに争い合っています。
   それが一人の中にも、人類の中にも共通に見られるパターンです。

   人類が多くの 『私』 に分かれて争っているように、一人の人間も
   多くの 『私』 (多くの『観察する者』 や 『観察される者』)に分かれて
   争っています。
   一人の意識構造は人類の意識構造のミニチュアであり、
   人類の意識構造は一人一人の意識構造の反映です。
   それは同じ構造に違いありません。
   まさに相似象です。

   「あなたは世界であり、世界はあなたである」 とKは語りましたが、
   まさに 『私』 は 『あなた』 であり、『あなた』 も 『私』 も人類で
   あり、人類は 『私』 であり 『あなた』 です。

   この過去をベースとした分離した意識が統合されない限り、地球に
   平和は訪れないでしょう。
   それは過去をベースにした思考の生から、今・この瞬間に生きる
   『内なる感受性』 の生に転換することを意味します。
   中東情勢を見ても明らかなように、どちらが悪いと過去を持ち出せば、
   いたずらに複雑に入りくんだ宗教戦争の過去に巻き込まれるだけです。
   ただ、今、この時に、共に平和に生きたいという気持ちを起点として、
   過去を白紙に戻して新たに平和共存の道を探るしかありません。
   過去に価値を置いて生きる限り、自分が正しいと主張し合うだけです。
   そこには平和共存の可能性は全くありません。

                 ・・・明日に続きます。(K=Krishnamurtiです)

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 木霊の森 | コメント:2
シャクナゲのスライドショー
2007-06-23 Sat 06:48
   数日、ヤクシマシャクナゲの写真をお届けしました。
   それでふと思い立って、HPにアップしてあったヤクシマシャクナゲの
   スライドショーをリニューアルしてみました。
   可憐なヤクシマシャクナゲのスライドショーを どうぞご覧ください。

   解像度1024×768以下の方はF11キーを押して画面を広げて
   見ていただくと、より一層美しく見ていただけます。
   別ウインドウで開きますので、スライドショーをやめたい場合は、
   ページを閉じてください。
   音楽が鳴りますので音量にご注意ください。

   それではこちらからどうぞ >>ヤクシマシャクナゲのスライドショー


  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
真の自由
2007-06-21 Thu 06:20
                                     『ヤクシマシャクナゲ』
シャクナゲー12
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   真の自由

   ある意味で、必然の宇宙の中で、自我だけが宇宙の流れに反した
   自由意志を持つかのように見えます。
   しかし、残念なことに、その自由意志は自我を生きる自由でしか
   ありません。
   それには自我を放棄する自由すらありません。
   なぜなら、そこにはまだ放棄しようとする自我が残っているからです。
   自我は思考が未熟な間だけ存続することを許される存在でしか
   ありません。
   思考が成熟する時、それは理解によって自然に消滅するでしょう。

   人が本当に真剣に生きる時、自我の自由意志は消えます。
   その時、真実に生きるしかなくなります。
   人は真剣になればなる程、自分自身に直面するようになります。
   なぜなら、それが真実の生き方だからです。
   ただ、それを遅らせる未熟さ故の自由があるだけです。
   その未熟さ故の自由が混乱の原因です。
   そして、その次元を超える時、人は必然の宇宙の中で、宇宙と共に
   真に自由に生きるようになるのではないでしょうか。

   一瞬一瞬新しく、より一層の調和へと向かう宇宙に対して、少しでも
   古いもので対処すれば必ずズレが生じます。
   それが無秩序、不調和です。
   ただ、この瞬間の宇宙の波動と共に毎瞬毎瞬新しく生きるしかありません。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:2
時間
2007-06-20 Wed 09:42
                                     『ヤクシマシャクナゲ』
シャクナゲー11
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   時間

   夜空の星々が瞬間瞬間またたいているように、宇宙そのものも
   瞬間瞬間息づいています。
   その現れが目に見える現象世界です。
   しかし、空である宇宙の本質から目に見える現象となって現れる
   までには時間がかかります。
   それが ”時間” というものの本質ではないでしょうか。
   それは恰も遠い遠い星の光が何億光年もかけて地球に届くような
   ものです。
   瞬間瞬間、宇宙は発現していますが、それが物質化するまでには
   時間がかかります。
   この次元差とも言えるズレ・タイムラグが世界に混乱をもたらして
   いる元凶ではないでしょうか。
   このタイムラグの中で記憶が生まれ、思考が発達し、混乱が発生
   しています。
   しかし、この混乱も時間の経過と共に思考が成熟し、
   思考エネルギー以上のものが現れるに従って本来の秩序に統合
   されていくでしょう。
   この混乱そのものが時間から生まれているために、この混乱も
   時間と共に終息します。
   それが ”周期” の真の意味ではないでしょうか。

   宇宙の本質が物質次元に顕現するには時間がかかるため、
   一時的に混乱と見える現象が生じています。
   人はそれを 「なぜ神がいるのなら、このような混乱や苦しみが
   あるのか」 と問います。
   意識は即、宇宙の本質の次元と同通することも可能ですが、
   それを物質次元に顕現することは容易なことではありません。
   この次元差、タイムラグが全ての問題を造り出しているのでは
   ないでしょうか。
   そういう意味では、この混乱は宇宙の現象化のプロセスと言える
   のかもしれません。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
不変
2007-06-19 Tue 09:06
                                     『ヤクシマシャクナゲ』
シャクナゲー09
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   不変

   肉体は一瞬として同じではありません。
   同様に自然も瞬間瞬間変化しています。
   この現象世界に普遍のものはなく、全ては無常の中にあります。
   しかし、この全ての現象を表しているもの、全てを生かしている生命は、
   たとえ形は違っても存続し続けています。

   花は咲き、やがて枯れていきますが、また翌年には花を咲かせます。
   形は移ろい過ぎていきますが、その形をつくる生命はあり続けます。
   同様のことが意識についても言えるのではないでしょうか。
   意識の中身は様々に変わりますが、意識そのものは常にあり続けて
   います。
   意識の内容は喜怒哀楽、一喜一憂、一時として同じではありません。
   思想や価値観や観念も変化します。
   しかし、たとえ中身は変わっても、意識そのものがあり続けるのは
   不変のことです。
   この意識・生命は目に見えないエネルギーであり、これこそが
   不生不滅、不垢不浄、不増不減のものではないでしょうか。
   それは変幻きわまりない無常の現象として現れますが、その無常を
   あらしめている不変の源です。
   それが色即是空、空即是色の意味ではないでしょうか。
   色とは変化きわまりない現象のことであり、空とはそれを生み出す
   エネルギー(意識・生命)のことです。
   エネルギーそのものには色はありません。
   それが現象化する時に初めて色彩を帯びます。
   そして、その色彩は無限です。
   元々無限のものが無限に変化して現れるのです。
   それが宇宙の現象化ということではないでしょうか。
   色と言い、空と言っても、本来一つのものであり、単に次元差から、
   目に見える現れ(色)と、目に見えない本質(空)に分類されているだけの
   ことです。
   エネルギーが形となって現れているか、未だ現れていないかの違いだけです。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
変化
2007-06-18 Mon 01:34
                                     『ヤクシマシャクナゲ』
シャクナゲー10
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   変化

   「非難しない」「正当化しない」 ということは、
   「抑圧しない」「屈しない」ということです。
   非難は抑圧につながり、正当化は、それを当然のこととして
   それに屈することにつながります。
   非難も正当化もせず、抑圧も屈することもない時、そこには
   何があるでしょうか。
   そこにあるのは、ただ事実と共に留まる、ただ事実を自覚して
   生きるということだけです。

   ところが、ただ事実を自覚しながら生きるということは、
   抑圧することよりも、屈することよりも遥かに難しいことです。
   不自然な状態と共にあり続けることは容易なことではありません。
   しかし、不自然であるが故に、それと共に留まっていれば変化が
   生じます。
   はっきりと自覚して留まっていれば、それだけすみやかに変化が
   起きます。
   ごまかさず、目を逸らさないで直視する時、変化が起きるしか
   ありません。
   執着、こだわり、囚われ、条件づけ、固定観念、習慣・・・
   そのような固定したものは、変化きわまりない生命現象に反する
   ために必ず摩擦を生じます。
   変化が常態である現実に対して、そのような固定したもので対処
   する時、必ず軋轢が生じます。
   その軋轢を抑圧せず、屈せず、それと共に留まる時、自然に変化
   が生まれます。
   現実が変化を促すのであって、自分から変化しようとする必要は
   全くありません。
   本当にその現実と共に留まれば、変化するしかないのです。
   そこから逃げているから変化が起きないだけです。
   固定したものは絶えず変化の危機にさらされています。
   宇宙の実相は変化であり、固定はそれに抵抗することであるため
   必ず摩擦が生じ、変化を促されます。
   そこで、作為的に何もしないで、ただそれと共に留まれば、
   条件づけも執着も必ず変化が生じます。
   人の作為だけが反発や抵抗や逃避を生み出し、それが変化を
   妨げます。
   ですから、作為が止めば全て変化します。
   全て自然にバランスの取れた状態へと向かいます。
   ただ、それを何もしないで見守っていられるかどうかです。
   そして、見守っていることが、空であるが故に摩擦が生じない
   唯一の道です。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:2
エネルギーの充実
2007-06-17 Sun 02:08
                                         『ハイビスカス』
ハイビスカスー01
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   エネルギーの充実

   緊張でもなく弛緩でもない、リラックスしながら、しかもテンションが
   高い、それが本当のエネルギーの充実感ではないでしょうか。
   それは、ただありのままの現実に踏み留まることからしか生まれ
   ません。
   たとえそれがどのような状況であれ、ただ現実と共にある。
   たとえそれが苦しくても、たとえそれが悲しくても、たとえどうする
   こともできなくても、その現実と共にある。
   その時初めてエネルギーが充実します。
   それによってその状況を超えていくことができます。
   エネルギーが充実することによってしか、思考に翻弄される
   低エネルギー状態を超えることはできません。
   低エネルギーであるからこそ、反応のとりこになって悩み苦しみます。
   そうするとますます低エネルギー状態になるという悪循環に陥ります。
   ただ無言で現実に踏み留まる時、初めてエネルギーが充実します。
   そして、エネルギーが充実する時、悩みや苦しみ自体が存在しません。
   その時、悩みや苦しみの次元にはいません。
   そのような状態が実現するきっかけは、いかなる状況であれ、
   その現実から目を逸らさないで、それと共に踏み留まるということでは
   ないでしょうか。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:2
怒り
2007-06-16 Sat 09:46
   
   『怒りなどの感情を ”見る” ということはどういうことでしょうか。』
   をアップし終えて、ハタと気づきました。
   LIGHT用に、”怒り” というページを作成してそのままお蔵に入って
   いたのを・・・
   
   今日は、お蔵からひっぱり出してきてサーバーアップしてみました。
   私の大好きな文章なのです。
   (大好きだから、LIGHTに選ぶのですが・・・)
   ぜひ、下のリンクから飛ばれてお読みください。
   心が静かに、深くなっていきます。
   私はどのように生きたいのだろうか・・・
   いつも自分に問いかけていたいと思います。

   click >>LIGHTより 霧の木霊の森 『383日目 - 怒り』

                      >>LIGHTはこちら

   *解像度800×600以下の方はきれいに表示されないかも
     しれません。申し訳ありません。


  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 木霊の森 | コメント:1
自問自答 - 6 -
2007-06-15 Fri 01:06
                                           『燃える山』
燃える山ー06-feb
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №38 より 『自問自答』 
   【質問】怒りなどの感情を ”見る” ということはどういうことでしょうか。
   を、四日間の連載でお送りしています。今日は四日目です。
   ここから読まれる方は 一日目から続けて読むことをお薦めします。
   

   自問自答 - 6 -

   感覚も感情も思考も必要です。
   しかし、それだけでは極めて不安定です。
   それが現実世界の混乱となって現れています。
   この混乱を終わらせるものは、見るエネルギーを軸としたトータルな
   バランス感覚です。
   それは物質次元を超えて宇宙次元とつながっています。
   感覚・感情・思考という物質次元のものに、それ以上のエネルギーを
   導入する時、初めて全てが宇宙的バランスで満たされます。

   全力で自分自身を見つめている時、それは全体で自分自身を包み
   込む感じです。
   そのように本当に真剣に自分自身を見つめていると、見ることは愛で
   あるというKの言葉がしみじみとわかります。
   全力で自分自身を見つめることは愛以外のなにものでもありません。
   怒りの感情が強くてなかなか消えない時、その感情と共にあると、
   それは怒りのエネルギーではないものに転化していきます。
   本当に深く見つめて留まっていれば、それは見るエネルギーと同化し、
   慈しみに変わります。
   見ることが全てを変えていきます。

                      (K-Krishnamurtiです)

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:2
自問自答 - 5 -
2007-06-14 Thu 08:42
                                     『天から海に降る光』
天から海に降る光ー03-feb
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №38 より 『自問自答』 
   【質問】怒りなどの感情を ”見る” ということはどういうことでしょうか。
   を、四日間連載します。今日は三日目です。
   ここから読まれる方は 一日目から続けて読むことをお薦めします。
   

   自問自答 - 5 -

   以上のことを、また別の角度から探ってみます。
   感覚、感情、思考、見るエネルギーなどを図示すると下図のようになります。

          K-Com-38-01
          K-Com-38-02

   大多数の人は、上側の 『感覚 - 感情 - 思考』 の自我の三角形で
   生きています。
   この三角形の中で、感情と思考のバランスを取ることは至難の技です。
   バランスを取ろうとすればする程、バランスを取ろうとする思考が優位に
   なり、逆にアンバランスになります。
   結果的に感情は抑圧され、それが限界に達する時、感情を爆発させて
   いるのが殆どの人のパターンではないでしょうか。
   ある時は感情的になり、ある時は知的になり、人はこのアンバランスの
   中で必死にバランスを取ろうとします。
   そしてその度に、落胆したり、諦めたり、投げやりになったり、努力したり・・・
   を繰り返しています。
   この 『感覚 - 感情 - 思考』 の自我の三角形の中で生きている限り、
   バランスを取ることは不可能に近いことです。

   このアンバランスから抜け出る道は、下側の図のように、見るエネルギー
   を導入することです。
   この時、『感情 - 思考』 を結ぶ線と 『見るエネルギー - 感覚』 を結ぶ
   線とが交差する中心点で、初めて全てがバランスします。
   この中心点が 『内なる感受性』 の次元です。
   この地点で初めて、感情にも思考にも感覚にも片寄ることなく、しかも、
   いずれも無視することなく、そのどれにも気づき、全てを生かすことが
   できます。
   ここで初めて全てのバランスが整います。
   実際は、このように静止しているのではなく、『見るエネルギー - 感覚』
   を軸として高速で回転しているコマのようなものです。
   そして、それが高速で回転すればする程安定します。
   つまり、見るエネルギーが強ければ強い程安定します。
   見るエネルギーが弱いと、感情に片寄ったり思考に片寄ったりして
   左右に揺れがちです。
   この 『見るエネルギー - 感覚』 の線が仏教的に言えば、『中道』 と
   いうことではないでしょうか。
   それはどれにも片寄ることなく、全てを生かす ”中”心の”道”です。
   それは宇宙の根源につながる道です。

                  ・・・明日に続きます。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:2
美しさのふるさと
2007-06-13 Wed 11:14
   今日は、自問自答 - 5 - をお届けする予定でしたが、
   多忙と、少し意識がクリアーでないことと、ちょっと疲れと・・・(~_~;)

   ・・・で、すみませんが、緩和休憩させていただき、
   無色透明日記のエッセンスを編集しています 『LIGHT』 より、
   私が大好きなページを本日はアップさせていただきます。

   美しいヒメツルアリドオシの花と、優しさと愛と美しさ溢れる文章に、
   どうぞ、ひと時癒されてくださいませ。

   click >>LIGHTより ヒメツルアリドオシ 『美しさのふるさと』

                      >>LIGHTはこちら

   *解像度800×600以下の方はきれいに表示されないかも
     しれません。申し訳ありません。


  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
自問自答 - 4 -
2007-06-12 Tue 00:56
                                     『木霊の森の一番奥』
木霊の森の一番奥ー03-dec
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №38 より 『自問自答』 
   【質問】怒りなどの感情を ”見る” ということはどういうことでしょうか。
   を、四日間連載します。今日は二日目です。
   

   自問自答 - 4 -

   反応は条件づけや心の傷がある限り出続けます。
   反応が出た時に、その根まで見届けることができると、
   条件づけは外れます。
   それには、その反応の根を探っていくことによって条件づけを発見する 
   『探求の道』 と、その根が自然に浮かび上がって来るのを見守る 
   『気づきの道』 の二つがあるように思います。
   深く探っていくか、静かに浮かび上がってくるのを待つか・・・
   しかし、いずれにしても、反応を抑えてしまったのでは、反応が浮かび
   上がって来なくなり、反応を探ることも、反応の全貌を見ることもでき
   なくなります。
   また、反応に負けて反応そのものになってしまっても、反応を解明する
   ことはできません。
   反応を抑えても、反応に屈しても、条件づけを解消することは不可能です。
   ただ、反応を抑えず屈せず見守ることによって、条件づけから自由に
   なる道が開けます。
   それがKの言うフラワーリング、花開かせるということではないでしょうか。
   そして、これが怒りなどの感情を見るということでしょう。

   積極的に探っていっても、静かに見守っていても、注意深ければ、
   やがて条件づけの全貌が明らかになるでしょう。
   大切なことは、抑えず、屈せず見守ることです。
   反応に反応しないで見つめ続けることです。
   そのように、抑圧しないで、しかも屈しないで上手に解放してやると、
   これまで蓄積してきたあらゆる条件づけが解けていきます。
   そして、あらゆるカルマ(業) も消えていきます。
   それには時間がかかりますが、それが全部なくなるまで自由はないかと
   いえば、反応が出るという意味ではそうですが、出た反応に巻き込まれ
   ないという意味ではそうではありません。
   抑えず屈せずに見守っていれば、その状態が既に自由であるともいえます。
   抑えるか負けるかするから不自由です。

                  ・・・明日に続きます。(K=Krishnamurtiです)

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 木霊の森 | コメント:0
自問自答 - 3 -
2007-06-11 Mon 02:17
                                    『木霊の森の木霊たち』
木霊の森ー12
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №38 より 『自問自答』 
   【質問】怒りなどの感情を ”見る” ということはどういうことでしょうか。
   を、今日から四日間連載します
   

   自問自答 - 3 -

   【質問】怒りなどの感情を ”見る” ということはどういうことでしょうか。

   それは怒りを抑えることではありませんし、
   もちろん、怒りの感情に負けて怒りそのものになることでもありません。
   (この両者は普通に誰もがやっていることです)
   そうではなく、怒りを制圧することも、怒りに屈することもなく、
   怒りの感情と共にあって、怒りを見届けることです。
   怒りを抑えるのは 『観察する者』 であり、怒りそのものになるのは、
   『観察される者』 です。
   両者である限り、共に怒りに囚われており、怒りからの自由は
   ありません。
   この両者から離れて、怒りを観察できる時、初めて怒りから
   自由になる可能性が生まれます。

   怒りの感情が現れた時に、それを我慢するのでもなく、
   それに巻き込まれるのでもなく、ただその込み上げてくるものに
   気づき、見つめていると、それは自然に消えていきます。
   なぜなら、反応そのものは本来一瞬一瞬のものであり、
   持続するものではないからです。
   それがすぐに消えないのは、思考がブツブツ不満を言うからです。
   自分の固定観念や条件づけに反する事態が起きると、
   思考は反応し続けます。
   そこから感情が絶えず生産されます。
   本当に思考が動かない程に注意深ければ、最初に怒りが内側で
   起こった時に気づき、怒りに反応することなく、怒りが外側に現れる
   前に見られ、外側に現れることなくそのまま消えることが可能です。
   そこまで注意深くないと、次々に思考が反応し続け、
   反応が消えないという状態になります。
   しかし、実際は消えないのではなく、次々と思考が反応に反応して
   いるだけです。

   この思考の二次的反応が看破され、二次的反応が出なくなると、
   最初の反応は見られて消えていくようになります。
   それが反応の悪循環から抜け出す最初の一歩です。
   これができると、反応に反応して条件づけを更に強くするということが
   なくなり、逆に、全ての反応(条件づけ) が現れて消えていくように
   なります。

                      ・・・明日に続きます。

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 木霊の森 | コメント:2
自問自答 - 2 -
2007-06-10 Sun 01:27
                                    『霧のもののけ姫の森』
霧のもののけ姫の森ー31-jan
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №38 より 『自問自答』 
    【質問】条件づけられている私が、条件づけなしに見ることができるので
   しょうか  ― 昨日の続きです。
   

   自問自答 - 2 -

   以上のことを次のように整理してみました。
   ①『条件づけられている私』 が 『条件づけられている私』 を見ている場合。
   つまり、『観察する者』 が 『観察される者』 を見ている場合です。
   それは、ある思考の断片が別の思考の断片を見ているということです。
   そこには見る側にも、見られる側と同じように、非難や正当化、判断や解釈
   などの思考過程が働いています。
   そこにあるのは自己分裂した思考の葛藤の構造です。
   『観察する者』 = 『観察される者』 です。
   それは共に条件づけられており、条件づけなしにありのままを見ることは
   できません。

   ②条件づけられていない 『内なる感受性』 が 『条件づけられている私』 
   を見ている場合。
   この場合、見る側には非難や正当化、判断や解釈などの思考作用は全く
   ありません。
   ただ、見られる側(『条件づけられている私』)の反応に ”気づく” という
   ことがあるだけです。

   ③『観察される者』(『条件づけられている私』)もなく、ただ 『観察』 だけが
   ある場合。
   ②では 『観察する者としての私』 はありませんが、まだ 『観察される者と
   しての私』 が存在します。
   ここではそれさえもなく、ただ 『観察』 があるだけです。
   つまり、『私』 の反応もないため、それに気づくということもありません。
   『見る者』 も 『見られる者』 も存在せず、見ることと見られることの分離、
   自他の分離が完全に消滅し、ただ周りを照らす光だけがあります。
   それは 『観察』 を超えて 『観照』 の次元です。

   以上のように、同一平面で見る限り、『条件づけられている私』 が
   その条件づけなしに見るということは不可能ですが、立体的に見る時、
   初めて別の次元の全く条件づけられていない 『内なる感受性』 が
   『条件づけられている私』 を条件づけなしに見ることが可能になります。
   非難、正当化、判断、解釈、一体化、逃避、その他何をしても、
   作為的な行為は全て思考の行為であり、条件づけられた行為です。
   ただ、無選択に気づくこと、見守ることだけが、つまり無作為の行為のみが
   条件づけられていない行為です。
   それは条件づけられた思考、『私』、自我の行為ではなく、条件づけられて
   いない 『内なる感受性』 の行為です。
   そして、それは無作為であるが故に自然に起きるしかありません。
   本当に見ることの必要性がわかった時、それは自然に働き始めることで
   しょう。

   自問自答、明日に続きます。次は、
   【質問】怒りなどの感情を ”見る” ということはどういうことでしょうか
   を連載します。


                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
自問自答 - 1 -
2007-06-09 Sat 01:09
                                        『霧の木霊の森』
霧の木霊の森ー28-jan
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №38 より 『自問自答』 
    【質問】条件づけられている私が、条件づけなしに見ることができるので
   しょうか 【質問】怒りなどの感情を”見る”ということはどういうことでしょうか
   を連載します。
   

   自問自答 - 1 -

   【質問】
   条件づけられている私が、条件づけなしに見ることができるのでしょうか。

   まさにKの教えの核心に迫る質問ですね。
   条件づけられている私が、条件づけられているにもかかわらず、
   条件づけなしに見ることができるか・・・
   これは平面的に見る限り明らかに矛盾しています。
   普通に考えれば、条件づけられている私は、条件づけを通してしか
   見ることができないに決まっています。
   しかし、Kは条件づけなしに見なさいと言います。
   しかし、条件づけられている私は、条件づけなしに見ることはできない
   でしょう。
   なぜなら、『私』 は条件づけられているからです。
   そして、この 『私』 が見る時、『観察する者は観察される者である』
   というKの有名な言葉が当てはまります。
   それは一般的に誰もがやっている、非難や正当化、判断や解釈と
   共に見る、条件づけのままに自己中心的に見るということに他なりません。
   そういう意味では、条件づけられている 『私』 は条件づけなしに見る
   ことは ”できない” と言えるのではないでしょうか。

   では、私達は永久に条件づけなしにありのままを見ることはできない
   のでしょうか。
   (Kはその重要性を強調したのですが・・・)
   それは条件づけられている 『私』 が見るのではなく、『ただ見る』 という
   ことがあるだけです。
   『私』 が観察するのではなく、ただ 『観察』 があるだけです。
   そこには 『観察される者』 としての条件づけられている 『私』 は存在
   しますが、『観察する者』 としての条件づけられている 『私』 は存在
   しません。
   そこにあるのは、『観察される者としての私』 と 『観察』 だけであって、
   『観察する者としての私』 はいないということです。
   それは、条件づけられている 『私』 を、条件づけられていない 
   『内なる感受性』 が観察しているということです。

                     ・・・明日に続きます (K=Krishnamurtiです)

                  K-Communication №38(1993年 38号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 木霊の森 | コメント:0
自我を超えた意識
2007-06-08 Fri 02:30
                                    『キョウチクトウの開花』
キョウチクトウの開花
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №41、編集便りからの文章を連載しています。
   今日は最終日です
   

   自我を超えた意識

   自我という家がある。
   その屋根の瓦をおろし、壁を壊して柱を取り除く時、家は跡形もなく
   消えてしまう。
   そこに残るのは裸の自分自身だけ。
   人は自我という家に囚われ、身動きできなくなり、自由をなくしている。
   その家はイメージであり、自分自身で造りあげた幻に他ならない。
   それは全て後天的に造られたものであり、潜在意識に蓄積されている
   ものである。
   それを外していく時、自我は跡形もなく消えていく。
   自我は消えても意識は残る。
   『私』 という狭い枠を超えた意識がそこにある ― 
   一かけらの思考も感情もない意識があります。
   それは冴え冴えと透き通り、澄み切っています。
   徐々に人間からテイク・オフし始めています。
   もう行き着く先は見えていますが、まだそれが完全に定着しません。
   自我の生とは全く異なる生が開けようとしています。

   個性はあっていい。
   しかし、それが自分自身ではない。
   肉体が一人一人違うように、個性も一人一人異なる。
   しかし、それは自分そのものではない。
   個性が肉体を通して表現されるように、個性を通して表現される
   ものがある。
   それが自我を超えた意識。
   自我とは、想いと同化している意識。
   あらゆる想いと自己同一化しているのが 『私』。
   そうではなく、想いを想いとしてはっきりと自覚している意識。
   透明な意識が、個性を通し、肉体を通し、地上に現れる。
   響き、響き、宇宙と響き合う意識が。

                  K-Communication №41(1993年 41号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
意識のポイント
2007-06-07 Thu 02:22
                                      『西部林道の海岸』
西部林道の海岸ー21-feb
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №41、編集便りからの文章を、四日間連載します。
   今日は三日目です
   

   意識のポイント

   初めに思考や感情の全くない意識状態があって、次に、何か外界の音を
   聞いて連想が浮かんできます。
   そこで初めて、最初の意識状態が全く思考・感情のない意識であったと
   気づきます。
   全く思考や感情のない意識に、外側からの刺激によって様々な連想が
   浮かんできます。
   それが手に取るようにわかります。
   その想いや連想にのめり込んでしまえば思考の次元に入り込んでしまい
   ますが、ただそれに気づいているだけであれば意識は透明です。
   二次的反応がなく、一時的反応だけであれば、はっきりとそれを見守る
   ことができます。
   それは静かな湖に一陣の風が吹いて水面に波紋が広がっていくような
   ものでしょうか。
   波紋があるのは水面だけで、湖底は静かです。
   しかし、意識のポイントが水面にあれば、意識は波に翻弄されます。
   一方、意識のポイントが湖底にあれば、静かさの中で波紋を見守る
   ことができます。
   つまり、意識のポイントがどこにあるかということが全てです。

   ①意識のポイントが水面にあれば、意識は波紋(反応) そのものです。
   ②意識のポイントが水中にあれば、一瞬、波(反応) にのまれ、直後に
     気づくでしょう。
   ③意識のポイントが湖底にあれば、同時に全ての動きに気づいていること
     が可能です。

   意識のポイントが心の底にないと、反応と ”同時に” 気づいていることは
   不可能です。
   普通は、心の表面に波紋が起きると、一瞬、そちらに注意が逸れ、
   その瞬間、波にのまれ、気づきは反応の ”直後” になります。
   それでも、直後に気づければ意識のポイントはかなり深い方で、
   もっと浅ければ、しばらく波に翻弄された後でハタと気づくでしょう。
   それでさえ、全く気づかない自我そのものとは比較にさえなりません。

   別の表現をすれば ― 外界からの刺激を、どの深さで受け止めるかに
   かかっています。
   『内なる感受性』 で受け止められれば、全体的に対応することが可能
   ですが、感情レベル、思考レベルで受け止めれば、条件づけで受け止める
   ことになり、断片的な反応となってしまうでしょう。
   どれだけ深いところで受け止めるかによって、どれだけ広がりを持った行動
   ができるかが決まります。

                  K-Communication №41(1993年 41号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 風景 | コメント:0
視線・意識
2007-06-06 Wed 08:16
                                   『ヤクスギランドのミニ滝』
ヤクスギランドのミニ滝ー14-aug
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №41、編集便りからの文章を、四日間連載します。
   今日は二日目です
   

   『視線』         

   『見る』 ということは、人生のドラマの主人公であると同時に観客でもあるという
   ことかもしれません。
   ドラマの主人公になりきれば、一喜一憂・喜怒哀楽の人生ドラマにのめり込んで
   しまいます。
   それと同時に、冷静に見つめる観客の視線が必要なのではないでしょうか。
   しかし、もしこの観客がドラマを批判したり、評価したりすれば、ドラマの主人公と
   何ら異なるところはありません。
   その時、観客は観察者となり、『私』 となります。
   必要なのは観察者ではなく、黙って見つめている視線なのです。
   人生ドラマの主人公になりきっているから、泣いたり、笑ったり、心配したり、
   悩んだりします。
   観客であれば一歩離れて見ることもできるでしょう。
   この先どうなるのか、楽しみながら人生を味わうことも可能かもしれません。
   自分の人生がどのように展開していくのか、それを静かにながめている視線は
   自我を越えたものです。

   『意識』

   以前、幽体離脱を頻繁にしていた頃、肉体の外にあった時の意識の状態を
   今でも覚えています。
   「もっと高く飛翔したい」 とか一瞬でも思考が動くと、即座に肉体に逆戻りしました。
   つまり、それは思考のない意識状態でした。
   といって、自分自身でないわけではありません。
   周りの状況は顕在意識よりもはっきりとわかります。
   しかし、思考はなく、肉体の中にいる時よりも遥かに鮮明な意識でした。
   その意識が、今、肉体の中にいたままで実現しようとしているのを感じます。
   思考はない、しかし、意識はある。
   思考は動かない、しかし、はっきりとわかる。
   それは極めてクリアーな意識です。
   自我ではありませんが、自分に違いはありません。
   それは誰にでも常に存在するのですが、思考と自己同一化しているために明確に
   意識されにくいだけです。
   それはまさに、気づいている、目覚めているという意識です。

                  K-Communication №41(1993年 41号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
真空・How
2007-06-05 Tue 10:07
                                          『不思議な雲』
不思議な雲ー10-feb
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   K-Communication №41、編集便りからの文章を、四日間連載します。   
         
   『真空』 

   頭脳を真空にしてやると、脳はひとりでに動き始めます。
   脳が自分で自分の秩序を回復しようとしているかのようです。
   不思議なことに、脳が動くにつれ、心が自由になってきました。
   真空の状態というのは全ての生命の源です。
   ですから、頭脳を真空にしてやると、生命現象が活性化し、本来の健全な
   秩序に戻ろうとし始めます。
   それは頭脳に限らず、身体も、心も同じことです。
   真空の状態とは、思考・感情のない状態です。
   最近は、そのような状態を容易に実現することができるようになりました。
   それは思考・感情を無理に抑え込むのではなく、力を抜くというか、それに
   力を与えない状態です。
   プラスでもなくマイナスでもなく、無作為というかゼロというか、ニュートラル
   な意識の状態です。
   脳が動くことによる衝動(振動) が脊髄を通ってハートにまで響き始めて
   います。
   やがて全身に解放が波及することでしょう。

   『How』

   「では、どうすればいいのですか」 と、よく聞かれます。
   しかし、その発想自体が思考の産物です。
   思考で受け止める人のみが、そのような質問をします。
   かつては自分もそうでした。
   必ず、「では、どうすればいいんですか。具体的な方法を教えてください」 と
   迫りました。
   しかし、それこそが思考のパターンです。
   「どうすれば」 ではなく、ありのままの事実をはっきりと自覚すること。
   自分自身を直視し、その現実を深く深く受け止めること。
   沈黙と共に受け止めることによって初めて変化が起きます。
   はっきりと自覚することが自分自身と囚われとの分離を促進します。
   「どうする」 必要もなく、自分のありのままを、ただはっきりと自覚する、
   はっきりと見るだけで十分なのです。
   はっきりと自覚し、見るだけにとどめることが、「どうにかしよう」 「何とかしよう」
   という自我・思考のパターンを超えています。
   ただはっきりと自覚することは、自我・思考の生とは異なる生き方なのです。

                  K-Communication №41(1993年 41号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
真実
2007-06-04 Mon 04:05
                                          『夕映えの海』
夕映えの海ー28-feb
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   今日は、”気づきの広場”(K-Communication45号)の対話からの抜粋、
   私の大好きな一部分をお届けします。 『』 が、kimiさんの会話です。


   真実

   「一日も早く人間が人類として目覚めればいいなというのが宇宙の意志
   なのかもしれませんよね」
   『早く目覚めればいいな、なんて思ってるかな?宇宙の意志が。
   そんな人間臭いことは思ってないと思うけど』
   「なるようにしか宇宙は動いていかないんだろうし、それを一人の人間が
   推し量れるものではないでしょうけれど」
   『こうしたいとか、ああしたいとか、宇宙は思ってないと思う。
   現実の苦しみとか悲しみとか、あらゆる悲惨や混乱を含めて、
   全てを存在せしめている・・・ 
   宇宙は全てを包み込み、全てを在らしめている・・・
   早く目覚めてほしいとか、そういうことは思ってないと思う・・・
   それだったら、元々こういう宇宙は創らないでしょう。それを超えて、
   ただ全てを在らしめている・・・ 
   それが計り知れない慈しみではないかなあ・・・』
   「そうですね」
   『苦しみも、悲しみも、全て存在させて、全て在らしめて・・・全てを無言の
   うちに抱きしめている・・・それがもう計り知れない偉大な愛というか・・・
   もう人知では計り知れないものだと思う・・・』
   「・・・」
   『天は、目覚めようとしている人にも、全くその気配のない人にも、等しく
   陽光を降り注ぎ、雨を降らせていますよね』
   「その中で人間は造られた構造の中に、」
   『その中で人間は自らのベストを尽くすんですよ。極力、自分の真実で
   生きること、自分の心にいかに正直に生きるかということですよね』
   「なにを思い煩うや、ですよね」
   『思い煩う必要はないよね。自分の中の真実で生きればいいだけだから。
   それが最終的にはアートマンとかブラフマンにつながっていくわけでしょう。
   でも、その真実がわからないから思い煩うのかもしれないですね』
   「生老病死というのがあるのも、思い煩う必要はないということですかね」
   『思い煩ってもいいし、思い煩わなくてもいい。
   思い煩うというのは、どうして生老病死があるのかということに疑問を抱いて、
   深く探求してみるという意味でね。
   もしそういうものに囚われないという境地であれば、一切思い煩う必要は
   ないですよね。
   でも、生老病死の本当の意味がわからなくて、ただそういうものには囚われ
   なくていいんだというのは観念でしょう。
   単なる思い込みですよね。
   本当に理解できれば、自然に囚われませんよね』
      
                  K-Communication №45(1994年 45号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 風景 | コメント:0
自由な心
2007-06-03 Sun 05:27
                                             『光る海』
光る海ー31-july
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   自由な心

   一切規定しない、何も定義しない ― ただありのままの事実と
   共に、そのもの自体を感じていく・・・
   言葉で定義するとたん、自由でなくなってしまいます。
   何かを理論化すると、即座に流動性が失われてしまいます。
   一瞬として停まることのない宇宙を規定するところに矛盾が
   生じます。

   何も決めつけないで、目の前の事実と共にあることが本当の
   自由のように感じます。
   「バランス」 や 「調和」 という言葉も、それを定義してしまうと、
   その途端に死んだものとなります。
   刻々にバランスをとり、調和していくしかありません。
   偏っていることを感じたら、即、バランスをとるしかないのです。
   それを瞬間・瞬間やっていくしかないのです。
   瞬間・瞬間、自分の自由な心でバランスを感じていくしかないのです。
   そういう自由な心だけが貴重なのです。
   どのような固定観念も、ものの見方も必要なく、ただ真新(まっさら)
   のしなやかな心が必要なだけです。

   ですから、本やこのような文章も決して記憶(おぼえ)ようとして読む
   必要は全くありません。
   ただスーッと読んで、何か気づくことがあればいいだけです。
   自分の心の中の何かが目覚めればそれでいいのです。
   真実は内にあり、外のものはそれを引き出すきっかけに過ぎません。
   あらゆる情報、あらゆる出会いは、自分の中の真実が現れてくる
   ための縁でしかありません。
   ですから、読んだ内容や気づいた内容を覚えておく必要は全くない
   のです。
   大切なのは記憶ではなく、それによって囚われが外れ、心が自由に
   なることです。
   記憶してしまうと、それに縛られ不自由になります。
   そうではなくて、すぐに忘れてしまう方が自由です。
      
                  K-Communication №47(1994年 47号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 風景 | コメント:0
静けさ
2007-06-02 Sat 12:15
                                           『夕陽の色』
夕陽の色ー13-e-sun
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   静けさ

   静かに見つめていること
   そうすれば 自分自身が見えてくる
   周りの状況もはっきりしてくる
   静かに見つめていれば
   自然に為すべきこともわかってくる
   何もしなくても ただ静かに見つめていれば
   自(おのずか)ら叡智が湧いてくる
   努力することも 頑張ることも必要ない
   ただ静かに見つめていれば
   その静けさの中に 真理が宿っている
   方法は何もない
   方法を講じることは
   その静けさを妨げる行為でしかない
   ただ静かに見つめているしかない
   それ以外は全て方便
   ただ静かに見つめていること
   それが究極の方法であり 真実そのものである
   静けさの中に真理が宿る

   静かにKの本を読み
   静かに自分自身を見守る
   そうすれば 静けさが自分自身に浸透してくる
   やがて自分自身が静けさそのものとなる
   静かに物事を見つめ 静かに行動し
   心静かに生きること
   それが真実の生き方
   ただ静かに見つめる
   その深まりだけが真実である

                     (K=Krishnamurtiです)         
                  K-Communication №46(1994年 46号) より
                                 >>K-Communication

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | 夕陽 | コメント:0
睡蓮のスライドショー
2007-06-01 Fri 00:33
                                              『睡蓮』
睡蓮ー03
 写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
 ぜひ大きな画面でご覧ください。↑click
   

   
   屋久島の睡蓮と蓮のスライドショー アップしました。
   美しいです。
   ぜひご覧くださいませ。 >>こちらからどうぞ
   *音楽が流れますので音量にご注意ください。

           
  ブログタグ1  
ブログランキングに登録しています。
写真と文章をご覧になって、より多くの方に紹介したいと思われたら、
愛のクリックをお願いします。ありがとうございます。 



   屋久島の大自然のエネルギーに包まれる本家サイト
   『屋久島ナチュラルヒーリング』も あわせてぜひご覧くださいませ。

   >>屋久島ナチュラルヒーリング

   日記 
   >>無色透明

   K-Communication
   >>Kimi's Early Writings
     
別窓 | | コメント:0
| いのちの島=屋久島 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。