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観察者
2007-05-23 Wed 09:57
                                             『ダンドク』
 ダンドクー01
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   観察者

   肉体を持って生きるということは、この顕在意識に全ての意識が
   統合されるということかもしれません。
   意識は一つであり多層であり・・・全体として見れば一つですが、
   各層を個々に見れば多層とも言えそうです。
   明らかに意識の次元があるとも言えれば、意識は一つであるとも
   言えます。
   とにかく、この顕在意識が見られ、混乱が消える時、統合された
   意識が実現するのかもしれません。

   1
   【観察者は観察される者である ― 葛藤の生】
   『私』 は 『私』 に気づけるでしょうか?
   観察者である 『私』 は、観察される者である 『私』 を、
   『私』 の先入観や偏見から解釈し、判断し、肯定し、否定し、抑圧し、
   コントロールしようとします。
   そこにあるのは観察者である 『私』 と観察される者である 『私』
   との絶えざる葛藤です。
   『私』 が二つに分かれ互いに争い合っています。
   (タバコをやめたいが、やめられない。etc.)
   自分で自分を何とかしようとしている限り ― 意志・作為・意図 ―
   葛藤は避けられません。

   2
   【観察者のいない気づき ― 『私』 の反応に気づく】
   観察者が観察するのではなく、ただ観察だけがある時、
   『私』 の条件づけに気づくことができます。
   そこには一切の解釈や判断はありません。
   ただ無言で見ていることの中から洞察が起きます。
   その洞察と同時に変化が生じます。
   自分で自分を何とかしようという作為が止む時、葛藤も止みます。
   この無作為(留まること・何もしないこと)が非自我の行為です。

   しかし、まだ不注意な時には条件づけによる反応が起きます。
   その反応に気づく時、そこには気づく意識と反応する 『私』 との
   二重性が存在します ― 気づくものと気づかれるもの、中身のない
   意識と(条件づけという)中身を持つ意識。
   それは恰も全体が部分に気づくかのようです。
   全体的な意識が反応を繰り返す 『私』 に気づきます。
   そこでは観察者である 『私』 による解釈や判断はありません
   (言葉はありません)が、なお 『私』 の反応に気づく、意識化する
   ということがおこなわれています。(言葉のない意識化)

   3
   【注意 ― 反応なき注意の炎】
   完全な注意の状態の時、条件づけによる反応は起きません。
   それは頭脳が完全に目覚めているということでしょうか。
   時としてそのような状態になることもありませすが、なかなか持続
   しません。
   有限な条件づけが全て見られ解消される時、自我の反応もなく、
   気づくということもない、統合された注意の状態が実現するのでしょうか・・・  
                                         
                    K-Communication №31(1992年 4・5月号) より
                                   >>K-Communication

           
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