いのちの写真と光の言葉
6月壁紙カレンダー
2007-05-31 Thu 10:43
                                      『屋久島シャクナゲ』
石楠花ー13-june
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   6月デスクトップ用壁紙カレンダー、アップしました。
   お気に召したものがありましたら、お使いくださいませ。
   >>こちらからどうぞ

   明日は、満月ですね。
   日ごとに月のエネルギーが強くなっていくのを感じる今日この頃です。
   月のエネルギーが満ちる明日は、素晴らしいスライドショーをアップする
   予定です。
   どうぞ、ご覧になってくださいね。(*^_^*)

           
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真剣さ - 6 -
2007-05-30 Wed 06:29
                                            『鏡の海』
鏡の海ー27-aug
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   真剣さ - 6 - 

   昨日の続きです。
   ここから読まれた方は、真剣さ - 1 - から読まれることをお薦めします。
   

   「彼ですか」
   「ええ、『人は変わらなければならない』 と言っている彼です」
   「彼はどの次元から、そのような発言をしているのかということですか」
   「ええ、思考の結論からか、それとももっと深いところからか・・・」
   「難しいですね。でも、反発を受けるということは、それほど深くはないという
    ことでしょうか」
   「いや、一概にそうとも言えないでしょう。Kでさえ多くの反発を受けたようです
    から」
   「そうですね」
   「ただ言えることは、鳥は死ぬまで飛ぶことをやめないということです」
   「死ぬまで・・・」
   「ええ、鳥にとっては、飛ぶことをやめることは死ぬことを意味するのです」
   「きびしいですね」
   「鳥にとって飛ぶことは生きることなんです」
   「ええ・・・」
   「鳥が飛ぶことを切望するように真剣であるということは、生きることそのもの
   が真剣であるということではないでしょうか」
   「生きることそのものが・・・」
   「ええ、その真剣さは何かから出て来るものではなくて・・・」
   「ええ」
   「教祖とか、経典とか、神々とか・・・Kとか・・・何かによって出てくるのでは
    なくて、真剣さそのものがあるという・・・」
   「真剣さそのものがあるんですか」
   「ええ、対象がなくても真剣さがある。つまり、生きることそのものが真剣さ
   そのものであるという・・・」
   「つまり、生きることが即真剣さであるということですね」
   「そうです。何にも依存しない真剣さそのものが存在するということです」
   「それは、何かに真剣なのではなくて、生きること自体が真剣であるという
    ことでしょうか」
   「そうです。教えを広めようとか、自己実現をしようとか、困っている人を
    救おうとか、そのような目的を持った真剣さではないということですね」
   「そのような真剣さがあるのでしょうか」
   「鳥が飛ぶことを、川の水が流れることを切望するような真剣さとはそのよう
    なものではないでしょうか」
   「確かに鳥は考えて飛ぶわけではありませんし、川の水も目的を持って流れ
    ているわけではありませんね」
   「ええ、そこには思考による結論や目的は全くないでしょう」
   「それは、生が続く限り続くような真剣さということでしょうか・・・鳥が飛ぶのを
    やめる時が死ぬ時であるように・・・」
   「ええ、本当の真剣さというのは、やはり汲めども尽きぬものではないでしょうか」
   「まるで泉のようですね」
   「ええ、何か源泉とつながっているような感じですね・・・」
   「源泉ですか・・・」
   「ええ、すべてとつながったところから湧き出てくるような・・・」
   「それが本当の真剣さでしょうか・・・」
   「ええ、そんな気がします」
   「それは表面的な熱狂や一時的な熱中ではない真剣さということですね」
   「ええ、もっと深い、もっと静かな・・・」
   「静かな真剣さですか・・・」
   「ええ、静かな尽きることのない真剣さですね・・・」
                                         
                  K-Communication №25(1991年 10月号) より
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真剣さ - 5 -
2007-05-29 Tue 06:31
                                           『木霊の森』
木霊の森-13
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   真剣さ - 5 - 

   昨日の続きです。
   ここから読まれた方は、真剣さ - 1 - から読まれることをお薦めします。
   

   「それは自分が正しいと信じているものをやっている時に・・・」
   「あるいは、危機的状況において」
   「そうですね。必要に迫られて」
   「ところが、自分が正しいと信じていたものが間違っていたと気づいたり、
   危機的状況が過ぎ去ってしまえば、その真剣さは消えてしまいますね」
   「普通はそうですね」
   「でも、鳥は飛ぶことをやめません」
   「ええ、川の水も流れるのをやめたりはしません」
   「雨が降っても風が吹いても鳥は飛び立ちます」
   「本当にそうですね。では、そういう真剣さもあるということでしょうか」
   「そのような真剣さがあるのかもしれませんね」
   「それはどういうものなんでしょう?」
   「どういうものなんでしょうね」
   「・・・」
   「これが正しいと思う。これが真理だと確信する。布教の必要性を強く
    感じる ― それ故に真剣になる。このプロセスの中には ”動機” が
   ありませんか」
   「ええ、確かに動機がありますね。その真理を実現したいという、自己変革
    を達成したいという、Kの教えを普及したいというのも・・・」
   「ええ、それも動機には違いありませんね。そして、それらの動機は変わり
    得る・・・考えが変われば、その真剣さは何時でも消えてしまう可能性が
    あります」
   「そのとおりですね」
   「ということは、動機に基づいた真剣さには限界があるということでしょうか」
   「そうですね。そうなりますね」
   「それに何か対象がある真剣さというのも、すぐに変わってしまうのではない
    でしょうか」
   「この神さまからあの神さまへ・・・ですか」
   「そうです。思い込みや信仰に基づいた真剣さは不確かではないでしょうか」
   「それは思考が介在した真剣さは不安定であるということでしょうか」
   「そうですね。そのレベルの真剣さは思考によって裏打ちされていて、観念や
    思い込みや信仰から来る真剣さということですね・・・」
   「それは極めて不安定であると・・・」
   「ええ、その上、思考が造り出した目的や意図や方向性は人と人とを分断
    してしまいます」
   「例えそれがKに関係したことであっても?」
   「ええ、Kの教えが絶対だというところから出発すれば、必ず他とぶつかるで
    しょう」
   「それでは新興宗教の人達と何ら変わるところがないということですか」
   「そうです。そのレベルではKの教えの普及も新興宗教の布教もたいして違い
    はないでしょう」
   「いずれも思考のレベルということですね」
   「そうです。思考の次元、頭の次元、人と人とが分裂し対立する次元ですね」
   「そういう次元の真剣さというのは結局は戦争に辿り着くのかもしれませんね」
   「そうですね。お互いが自分の真剣さを主張し合えば最後は戦争よりないで
    しょう」
   「それが宗教戦争を含めた戦争の歴史ですね」
   「ええ、そのレベルの真剣さでは社会の根本的な変革は無理でしょうね」
   「思考の次元の真剣さでは何も解決しないということですね」
   「ええ、思考の次元では根本的な解決はあり得ませんね」
   「それはよ~くわかりました」 (笑い)
   「ところで、あなたの友人の場合はどうですか」
              
                 ・・・明日に続きます (K=Krishnamurtiです)
                                         
                  K-Communication №25(1991年 10月号) より
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真剣さ - 4 -
2007-05-28 Mon 01:58
                                          『シャクナゲ』
シャクナゲー13-may-a-m
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   真剣さ - 4 - 

   昨日の続きです。
   ここから読まれた方は、真剣さ - 1 - から読まれることをお薦めします。
   

   3
   「私の友人にとても真剣な人がいるんです。
    彼は『人は変わらなければならない』 『人が変わらなければ社会も
    変わらない』 とはっきり言うんです」
   「彼は真剣にKを学んでいるんですか」
   「ええ、そうです。彼に言わせると彼の真剣さは 『鳥が飛ぶことを、
    川の水が流れることを切望するようなもの』 なのだそうです」
   「そうですか。そんなに真剣なんですか」
   「ええ、でも、なぜか周囲からはいまいち認めてもらえなくて・・・
    逆に反発されたり・・・」
   「どうしてでしょう?」
   「どうしてなんでしょうね。彼に言わせると 『他の人はそれほど真剣
    ではない』 ということになるんですが・・・」
   「彼だけが真剣で、他の人は真剣ではない?」
   「そうらしいです。何かヘンですか」
   「いえ、ヘンではありませんが・・・新興宗教に熱中している人は皆真剣
    ですよね。自分のことさえ忘れて布教に走り回っています」
   「ええ、彼もKの教えを普及させたいようです」
   「では、新興宗教に真剣な人と彼の真剣さとの違いは何なのでしょうか」
   「ええ、私も彼にそのことを聞いてみたことがあるんですが・・・」
   「彼は何て答えました?」
   「彼等の教えとKの教えとでは、まるで中身が違うと・・・」
   「中身が違う?」
   「ええ、信仰や偶像崇拝は幻想に過ぎず、Kの教えにはそのようなものは
    一切ないと・・・」
   「確かにそうですよね」
   「それは宗教というより心理学に近いと・・・」
   「確かに私達から見ればそのとおりですが、しかし新興宗教の人たちから
    見れば、それが全く逆になる訳ですね。我が教祖の教えこそが最高で、
    他は皆邪教。とりわけ不信心なKに至っては邪教の極み・・・」
   「邪教の極み?」 (笑い)
   「まあ、それはそれとして、そもそも真剣さとは何なのでしょうね」
   「まあ、一般的に言えば一生懸命やるということでしょうか」
   「そうですね。普通には本気で全力でぶつかるという感じですね」
   「そういうイメージですね」
   「では、何に対して真剣なんでしょうか」
   「何に対して?」
   「ええ、または、どんな時に」
              
                  ・・・明日に続きます (K=Krishnamurtiです)

                                         
                  K-Communication №25(1991年 10月号) より
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真剣さ - 3 -
2007-05-27 Sun 01:53
                                    『愛子岳光バージョン』
愛子岳光バージョンー10-nov
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   真剣さ - 3 -  

   昨日の続きです。
   ここから読まれた方は、真剣さ - 1 - から読まれることをお薦めします。
   

   2
   「あなたはどうして他の人に指摘するんですか」
   「その人から指摘するようなことを感じるから・・・」
   「でも現実には、指摘された人は反発したりしていませんか」
   「ええ、そういう時もありますね」
   「どうしてそうなるのでしょう?」
   「どうしてでしょうね・・・?」
   「そこに何か意図はありませんか?」
   「意図?」
   「相手に気づかせたいとか、わからせたいとか・・・」
   「う・・・ん」
   「それがあると、相手は敏感にそれを感じて、反発したり心を
    閉ざしたりするのではないでしょうか」
   「微妙な問題ですね」
   「微妙ですが、心の奥に・・・」
   「気づかせてあげようという意図ですか・・・」
   「ええ、わかってほしいという意図・・・それは一見愛情のようにも
    聞こえるのですが、やはり、そこには微妙な 『私』 の主張が
    あるのではないでしょうか」
   「そうですか・・・」
   「私は知っている。私は正しい。だからわかってほしい、という微妙な
   自我の主張です」
   「うーん、でも、指摘されたり問い詰められたりすることによって、
    真剣に自分自身を見つめるということが起きることはありませんか」
   「それはあるでしょうね。でも、そこに意図があると相手は不自然な
    圧迫感や押しつけを感じて反発するのではないでしょうか」
   「そうですね。確かに真剣であればある程、反発されるということも
    ありますね」
   「そこですね。それは一見真剣さのように見えるんですが、やはり
    自我の主張ではないでしょうか」
   「難しいですね」
   「おおむね何かを強く信じている人は、それをわかってほしい時、
    極めて真剣でしょう?」
   「そうですね。押しつけを感じますね」
   「そういう真剣さというのは自我の主張とは思いませんか」
   「そうですね・・・ということは、意図がなくて、ただ指摘するだけで
    あればいいということでしょうか」
   「ええ、でも、できれば指摘よりも、問いかける、問うということの方が
    いいのではないでしょうか」
   「どうしてですか」
   「指摘はやはり相手にその準備ができていないと、むやみに反発を
    誘うだけですから」
   「そうですか・・・」
   「それに、指摘はややもすると上からという感じを与えがちですし・・・」
   「上から?知ったかぶりということですか」
   「ええ、まさに知ったかぶりです」
   「う~ん、難しいですね」
   「指摘するよりも問うことによって、その人が自分で気づく方が遥かに
    素晴らしいとは思いませんか」
   「それはそうですね」
   「それも意図的にではなく自然に問うことによって」
   「自我のない問いかけということですか」
   「ええ、自然なやさしさと共に・・・」
              
                    ・・・明日に続きます
                                         
                  K-Communication №25(1991年 10月号) より
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真剣さ - 2 -
2007-05-26 Sat 10:10
                                       『トローキーの滝』
トローキーの滝ー03-aug
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   真剣さ - 2 -  

   昨日の続きです。
   ここから読まれた方は、真剣さ - 1 - から読まれることをお薦めします。
   

   「知的理解と本当の理解とのギャップは一体何なのでしょう?」
   「そこなんですよ・・・」
   「それは頭だけでわかることと自分の全存在でわかることとの違いで
    しょうか」
   「そうかもしれませんね」
   「では、知的理解ではなくて、血となり肉となる理解には何が必要なの
    でしょうか」
   「何でしょう?」
   「それは私達が本当に真剣に、本当に全力でクリシュナムルティの理解に
    取り組むかどうかということでしょうか」
   「そうですね・・・」
   「頭だけで取り組むのか、それとも自分の全存在で取り組むのか・・・」
   「自分の全存在で真剣に、というのも頭ではわかるのですが・・・
    でも・・・実際には・・・その真剣さはどこから生まれて来るのでしょうか」
   「どこから生まれて来ると思いますか」
   「いやあ、わからないですね」
   「大変失礼ですが、あなたはこれまでクリシュナムルティに真剣に取り組んで
    こられましたか」
   「ええ、なんとなく・・・」
   「もしかしたら、クリシュナムルティは特別だ、と言うことによって、それを
    実践できない自分自身を正当化しているということはありませんか」
   「それは・・・」
   「真剣さというのは、やはり自分自身の問題として取り組むかどうかという
    ことではないでしょうか」
   「ええ・・・」
   「仮定の話とか、知的理論とか、評論家のような第三者的態度ではなくて、
    現実の、実際の自分自身の問題として取り組むかどうかということではないで
    しょうか」
   「そうですね・・・」
   「その時、自然に真剣さが沸いてくるのではないでしょうか」
   「ええ・・・」
   「あなた自身にとって、クリシュナムルティを理解することは本当に切実な問題
    ですか」
   「・・・」
              
                    ・・・明日に続きます
                                         
                  K-Communication №25(1991年 10月号) より
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真剣さ - 1 -
2007-05-25 Fri 10:31
                                           『小さな滝』
小さな滝-21-aug
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   今日からしばらく(一週間ほど) 『真剣さ』 を連載します。
   クリシュナムルティという文字に拘ることなく、ご自分のことに
   当てはめて読んでみてくださるのもいいかと思います。


   真剣さ - 1 -

   1.
   「クリシュナムルティは特別ではありませんか?」
   「え?」
   「私達はとても彼のようにはなれないと思います」
   「ええ・・・」
   「誰もがクリシュナムルティのようになる必要はないのではないで
   しょうか」
   「そうですね」
   「彼は特別なんですよ」
   「彼が特別だと言うことで、あなたは何をおっしゃりたいのですか」
   「ですから、誰もが彼のようにはなれないと・・・」
   「それは私達が彼が語ったようには変われないということでしょうか」
   「そうです。彼が語ったことがすぐ私達にできるとは限らないという
    ことです。」
   「それはどういうことですか」
   「彼は生まれた時から一度も自我を持ったことがないと言っているように、
    元々特別なんです。
    ですから、彼の感性から語られたことが、そのまま普通の私達に適用
    できるとは限らないということです」
   「確かに彼は特別かもしれませんが、彼が語ったことは普通の私達に
    向けて語られたのではありませんか」
   「ところが、彼にとっては容易なことが私達には難しすぎるということです」
   「どういうところが難しいのですか」
   「どういうところというよりも全てにわたってです」
   「そうですか・・・でも、確かに彼は特別かもしれませんが、それとは別に、
    彼が語ったことを理解するのは可能ではないでしょうか」
   「それを理解することは可能かもしれませんが、実際にそれを生きることは
    難しいのではないでしょうか」
   「理解することは可能でも、それを生きることは難しい?」
   「そうです。知的には理解できても、実際の変化が伴わないのです。
    それは本当にわかるということではないと思います」
   「では、知的理解と本当にわかることとの間に横たわっているものは何で
    しょうか」
   「何でしょうね」
              
                    ・・・明日に続きます
                                         
                  K-Communication №25(1991年 10月号) より
                                 >>K-Communication

           
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留まる
2007-05-24 Thu 12:12
                                        『ナワシロイチゴ』
ナワシロイチゴー02
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   留まる

   痛みや苦しみや悲しみと共に留まれば、それは癒されていきます。
   ただそれと共に留まっていれば何もしなくても自然に癒されていきます。
   共に留まるということが、即、ヒーリングのようです。
   ハートから慈しみのエネルギーがあふれ出します。
   本当に何もする必要はなく、ただ静かにそれと一緒に留まっていれば
   全ては癒されていきます。
   一切外に求める必要はなく、ただ静かに自分の全存在で留まっている
   だけで全ては癒されていきます。

   たぶんこのことは対人関係についても当てはまることではないでしょうか。
   相手を変えようとしなくても、心から相手と一緒にいれば、それだけで
   ヒーリング効果が生まれるようです。
   意識的に何かをする必要は全くなく、ただゆったりと落ち着いて
   相手の話を心から聞いていれば、自然にヒーリングが起きるのでは
   ないでしょうか。
   問題は、頭の中で思考がいろいろ考えたり、騒いだりすることです。
   それをやりだすと関係はできません。
   ただ一緒にいるということは、思考が全く動かないことを意味します。
   思考ではなく、自分の全存在で共にいる時、生の本質である、
   全てを生かす生命エネルギーが自他に流れ始めるようです。
   共に留まる、一緒にいるということは、愛を意味しているのではないで
   しょうか。 
                                         
                    K-Communication №33(1992年 7月号) より
                                   >>K-Communication

           
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観察者
2007-05-23 Wed 09:57
                                             『ダンドク』
 ダンドクー01
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   観察者

   肉体を持って生きるということは、この顕在意識に全ての意識が
   統合されるということかもしれません。
   意識は一つであり多層であり・・・全体として見れば一つですが、
   各層を個々に見れば多層とも言えそうです。
   明らかに意識の次元があるとも言えれば、意識は一つであるとも
   言えます。
   とにかく、この顕在意識が見られ、混乱が消える時、統合された
   意識が実現するのかもしれません。

   1
   【観察者は観察される者である ― 葛藤の生】
   『私』 は 『私』 に気づけるでしょうか?
   観察者である 『私』 は、観察される者である 『私』 を、
   『私』 の先入観や偏見から解釈し、判断し、肯定し、否定し、抑圧し、
   コントロールしようとします。
   そこにあるのは観察者である 『私』 と観察される者である 『私』
   との絶えざる葛藤です。
   『私』 が二つに分かれ互いに争い合っています。
   (タバコをやめたいが、やめられない。etc.)
   自分で自分を何とかしようとしている限り ― 意志・作為・意図 ―
   葛藤は避けられません。

   2
   【観察者のいない気づき ― 『私』 の反応に気づく】
   観察者が観察するのではなく、ただ観察だけがある時、
   『私』 の条件づけに気づくことができます。
   そこには一切の解釈や判断はありません。
   ただ無言で見ていることの中から洞察が起きます。
   その洞察と同時に変化が生じます。
   自分で自分を何とかしようという作為が止む時、葛藤も止みます。
   この無作為(留まること・何もしないこと)が非自我の行為です。

   しかし、まだ不注意な時には条件づけによる反応が起きます。
   その反応に気づく時、そこには気づく意識と反応する 『私』 との
   二重性が存在します ― 気づくものと気づかれるもの、中身のない
   意識と(条件づけという)中身を持つ意識。
   それは恰も全体が部分に気づくかのようです。
   全体的な意識が反応を繰り返す 『私』 に気づきます。
   そこでは観察者である 『私』 による解釈や判断はありません
   (言葉はありません)が、なお 『私』 の反応に気づく、意識化する
   ということがおこなわれています。(言葉のない意識化)

   3
   【注意 ― 反応なき注意の炎】
   完全な注意の状態の時、条件づけによる反応は起きません。
   それは頭脳が完全に目覚めているということでしょうか。
   時としてそのような状態になることもありませすが、なかなか持続
   しません。
   有限な条件づけが全て見られ解消される時、自我の反応もなく、
   気づくということもない、統合された注意の状態が実現するのでしょうか・・・  
                                         
                    K-Communication №31(1992年 4・5月号) より
                                   >>K-Communication

           
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条件づけ
2007-05-22 Tue 12:03
                                         『ハイビスカス』
ハイビスカスー16-june
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   条件づけ
    
   毛糸が目茶苦茶に絡まってしまいました。
   それを丁寧に一つ一つ解いていきます。
   最初は大変ですが、進むにつれてスピードがアップしてきます。
   そして、最終的に解き切ってしまうと、最初にあった絡まった塊は
   影も形もありません。
   そこにあるのは何の縺(もつ)れもない真直ぐな毛糸だけです。

   条件づけというのも、もしかしたら、この毛糸の塊のようなものなの
   かもしれません。
   丁寧に一つ一つ注意しながら解いていると、いつの間にか消えて
   なくなっているのかもしれません。
   ところが、縺れを一つ一つ丁寧に解いていたのでは時間がかかって
   しまいます。
   Kは即座と言いました。
   しかし、即座に縺れの塊を解けないのは誰の目にも明らかです。
   では、Kが語ったことは真実ではないのでしょうか?

   もしかすると、Kは全く違うことを語ったのかもしれません。
   それは毛糸の塊を解くことではなくて、解き手になること!
   それなら最初から自由です。
   絡まった塊を気にせず、丁寧に一つ一つ注意深く見つめていけば
   いいだけです。

   条件づけから自由になるということは、条件づけを一つ一つ解いて
   いくということではなくて、条件づけられていない心の状態を発見する
   ということかもしれません。
   一つ一つの条件づけに気づいてそれらを一つ一つ解いていたのでは
   膨大な時間がかかってしまいます。
   そうではなくて、その条件づけに気づける心の状態そのものが、
   即、条件づけから自由な心なのかもしれません。
   そして、その心の次元は、実際には常に存在しているのかもしれません。
   ところが、私達は表層の意識で生を生きているために、ただそれに
   気づいていないだけなのかもしれません。        
                                         
                    K-Communication №31(1992年 4・5月号) より
                                  >>K-Communication

           
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2007-05-21 Mon 06:59
                                        『海に架かる虹』
虹ー23
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   光

   意識が輝いている
   意識が輝いている
   あたかも息づいているかのように
   意識が輝いている
   ある時は明るく ある時はぼんやりと
   意識活動に応じて輝いている

   意識は光である
   光はエネルギーの結集である
   エネルギーが結集される時
   意識は輝く

   全身全霊でその場にいる時
   意識は輝く
   ただそれだけが意識を輝かせる
   全てのエネルギーが結集される時
   意識は輝く
   そのための方法は方便である
   ただ今この場に全身全霊でいれば
   即 意識は輝く
   問われているのは生きる姿勢である
   安易に生きれば意識は輝かない
   ただ真剣に生きる時にのみ
   意識は輝く

   信念に 主義に 信仰に没頭しても
   意識は輝く
   但し 色のついた鈍い光として
   色が付いている分 光は弱まる
   色が強ければ強い程 光は弱まる
   信念も主義も信仰もない時
   意識は純粋に光り輝く
   その時 輝きは最も強い

   肉体の光 感情の光 思考の光がある
   しかし その奥に
   それらを輝かせている光がある
   その光で生きる時
   あなたは純粋な光である
   無色透明の光そのものである
                                                     
                    K-Communication №38(1993年 38号) より
                               >>K-Communication

           
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スライドショー『苔の神秘』
2007-05-20 Sun 01:37
                                       『虹色のクモの糸』
苔ー51
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   『苔の神秘』 スライドショー、リニューアルしました。
   幻想的、神秘の苔の世界、どうぞご覧くださいませ >>こちらからどうぞ

   音楽が鳴りますので、音量にご注意ください。
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   スライドショーをやめたい場合は、閉じるボタンをクリックしてください。
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意識の転換
2007-05-19 Sat 11:08
                                          『ハマアズキ』
ハマアズキー01
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   意識の転換

   人は宝石・服装・車・家と一体化する
      しかし それは自分自身ではない
   人は学歴・地位・名誉・財産と一体化する
      しかし それも自分自身ではない
   人は主義・主張・理想・思想と一体化する
      しかし それも自分自身ではない
   人は肉体・感覚・感情・思考と一体化する
      しかし それも自分自身ではない

   人は様々なものと一体化し 『私』 を造り出す
      しかし その全ては思い込みに過ぎない
   人は現象を自分自身と思い込み
      現象に振り回されて生きている
   人それぞれのイメージ
   人それぞれの一体化
      それは思考の為せる業(わざ)である
      それが人類の為せる業(ごう)である

   思考が極まる時 そのことへの洞察が生まれる
      そこから思考と意識との分離が起きる
   何ものとも一体化していない意識が芽生える
      それは物質をベースにした意識ではなく
      宇宙エネルギーに連なる意識である
   その時 地上に縛られていた意識が天空に開かれる
   その時 思考は主役から脇役へと移る

   『私』 というイメージの生から
       何ものでもなく
       ただ在る生への転換
   物質に翻弄される生から
      物質を超えて
      物質と共に生きる生への転換
   思考と一体化した生から
      思考の次元を超えた
      新しい生への転換
   意識の転換が始まっている                                                     
                    K-Communication №38(1993年 38号) より
                               >>K-Communication

           
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理解とは
2007-05-18 Fri 09:15
                                           『光降る川』
光降る川ー05-feb
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   ― 自問自答 ―
   
   【質問】 『理解』 とはどういうことでしょうか。

   理解とは、はっきりと見ることです。
   頭だけでわかるのは表面的な思考の理解に過ぎません。
   そうではなくて、思考と同時に、もっと深いところではっきりと
   見る必要があります。
   頭だけでわかっても変化は起きません。
   自分の全体でわかる時、初めて変化が起きます。
   頭だけで考えていると、思考の空回りが起きます。
   考えながら、同時に静かに見つめている時、はっきりと見えます。

   理解というのは、これまで複雑に絡まっていたものがほどける
   感覚です。
   それはその構造がはっきりと見抜かれることによってほどけます。
   はっきりと見抜くことが理解することです。
   そして、大切なことは、その見抜いたものを結論や知識として
   蓄積しないことです。
   蓄積すれば、それが条件づけとなり、反応として過去が顔を出す
   ようになります。
   そうではなく、ただ見抜くだけに留め、絶えず、今の現実を見つめ
   続けることです。
                                                     
                  K-Communication №39(1993年 39号) より
                               >>K-Communication

           
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虹のスライドショー
2007-05-17 Thu 02:24
                                     『屋久杉自然館の虹』
屋久杉自然館の虹
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   『虹の屋久島 Ⅳ』 スライドショー、アップしました。
   美しい屋久島の虹をご覧くださいませ。 >>こちらからどうぞ

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心とは - 2 -
2007-05-16 Wed 09:03
                                        『木霊の森の緑』
木霊の森の緑-30-jan
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   ― 自問自答 ―

   【質問】 心とはどういうものでしょうか。 - 2 -  (昨日の続きです)

   ただ、汚れのないもので見つめるしかありません。
   それが真の”見る”ということです。
   その見ることは一切の汚れがないが故に、見れば見る程、心は清まり、
   見れば見るほど、光が強まります。
   見ることは光そのものです。
   それが真実のものであり、真実であるが故に闇(条件づけ)を消して
   いきます。
   Kは即座と言いましたが、残念ながら、この曇りは厚く重く、そう簡単
   には取れそうもありません。
   一瞬、光を垣間見ても、またすぐに厚い雲に覆われてしまいます。
   やはり、一つずつ、見て、消して、少しずつ明るくしていくのが
   現実的なのかもしれません。
   ただし、これではKも指摘しているように時間がかかってしまいます。
   しかし、この構造が本当にわかれば、曇り(条件づけ)を瞬時に一掃
   することはできなくても、出てきた反応に翻弄されることは少なく
   なります。
   そして、反応を見て消すことが始まります。
   その時、これまで次々と条件づけを増殖させてきたものが反転し、
   減少に向かいます。
   それは方向がまるで違います。
   光に向かうのと闇に向かうのとの違いです。
   反応が出切るまでは注意の状態は持続しません。
   ですから、反応に気づいて、今、この瞬間に戻るしかありません。
   そうやっていると、次第に加速度がつきます。
   一方、見ることが光であると自覚されることによって、反応にそれほど
   囚われなくなります。
   そして、主体が反応から見るエネルギーの方へ徐々に移行していきます。
   最も大切なことは、この心の構造を本当に理解すること、自分自身の
   中ではっきりと見ることです。
   闇は光が当たらないから闇です。
   闇に光が当たる瞬間、闇は”即座に”消えます。
   光とは見ることです!

    シリーズ『自問自答』、次は”『理解』とはどういうことでしょうか ”ですが、
    その前に、明日は美しい 『虹の屋久島 Ⅳ』 のスライドショーをお届けします。
    お楽しみに★*♪。☆*♪*★*♪。☆

                                    
                    K-Communication №39(1993年 39号) より
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心とは
2007-05-15 Tue 09:03
                                      『豊かな水の流れ』
豊かな水の流れー29-jan
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   ― 自問自答 ―
   
   【質問】 心とはどういうものでしょうか。

   心は器、光の器です。
   また、それは受信機であり、発信機です。
   心は光を受け、光を発します。
   それは太陽に対する月のようなものです。
   心は光を映す鏡です。
   この鏡が曇ってしまうと、心も歪んでしまいます。
   心の記憶の層が、執着やこだわりや固定観念などの条件づけで
   すっかり覆われてしまうと、光はそこで屈折し、歪んだ形で外界を
   映すようになります。
   そして、その歪んだものを、また条件付けで受け止める時、
   より歪んだ反応が外界へ返っていきます。
   そこにあるのは果てしない悪循環です。
   そして、それらが全て記憶される時・・・
   それこそがまさに人類のカルマです。
   この悪循環の中でほとんどの人は反応の一生を終わります。
   (この構造に気づくこともなく・・・)

   この心の曇りが、K(Krishnamurti)的に言えば条件づけ、
   神道的に言えば穢(けがれ)、仏教的に言えば業です。
   これが、自我の部分の背後にある膨大な記憶の層です。
   この記憶の層から反応が生まれ、『私的思考』が発生します。
   この記憶の層の中味は、執着であり、偏見であり、心の傷であり、
   様々な欲望です。
   それらがヘドロのように、びっしりとこびりついています。
   この重く暗い記憶のために、それらの記憶が浄化されるまで
   輪廻転生が繰り返されます。
   本来、心は光の器です。
   それが『私的思考』によって、反光である闇を造り出してしまい
   ました。
   もちろん、それは仮のものであり、妄想の束なのですが、
   その妄想を何重にも蓄積してしまったために、光がストレートに
   透過できなくなってしまいました。
   そのため、この心の曇りを清めることが、その構造を明確に見抜く
   ことが、人類の第一の課題となってしまいました。
   (これがキリスト教的に言えば、『原罪』ということでしょうか)

   この曇りの部分を清めることができれば、光はストレートに歪みなく
   外に溢れ、外からも歪みのない光が返ってきます。
   その時に初めて適切な行為が生まれます。
   Kが言う「見ることは行うことである」ということが実現します。
   しかし、心が自らこの曇りを清めようとすれば、汚れた心で汚れた
   心を清めることになり、より一層汚れをひどくする結果になります。
   それが方法論の誤りです。
   それが『観察する者は観察される者である』ということでもあります。

                            ・・・明日に続きます
                                    
                    K-Communication №39(1993年 39号) より
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意識の構造 - 2
2007-05-14 Mon 09:22
                                    『木霊の森の水の流れ』
木霊の森の水の流れー26-jan
  写真をクリックしますと、1024サイズの大きな画面でご覧になれます。
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   ― 自問自答 ―
   
   【質問】 人の意識の構造はどうなっているのでしょうか。
                        (昨日の続きです)

   2.
   この理解のプロセスが『探求』と呼ばれるものです。
   それは『純粋思考』を使いながら『私的思考』の構造を探るものです。
   それは記憶をたどりながら、比較し、思考することによって、
   その構造を見ることです。
   もちろん、見る主体は、判断や解釈をする自我ではなく、
   見るエネルギーです。
   (『純粋思考』は道具であるために、『私』によっても『見るエネルギー』
   によっても使われます)
   そして、この探求の中で心が静かになる時、気づきや洞察が起きます。

   3.
   『気づき』とは自覚することです。
   自我、『私的思考』の動きを意識すること。
   それは探求と違って、思考を使うことなく意識するだけです。
   瞬間瞬間の気づきがあるだけの次元です。
   これは探求と違い、意識的にやることはできません。
   ただ、気づきの必要性を真に納得することから自然に起きるしか
   ありません。

   4.
   この気づきの奥に『注意』の次元があります。
   それは気づいているという自覚のない気づきです。
   見るエネルギーそのものの次元です。
   それは光を受け、光そのものとして輝いている次元です。
   真に瞬間瞬間で生きることができるのは注意の次元だけです。
   厳密に言えば、気づきの次元は一瞬後の次元です。
   見た瞬間というのは、言葉も名前も表現もなく、ただそのものが光の
   反射として存在するだけです。
   それを意識化するのは一瞬後です。
   本当の意味での瞬間瞬間の次元は、意識化されることのない、
   気づきの次元を超えた注意の次元です。
   その次元で初めて記憶を超えられます。

   以上のように、意識は多層から成り、それが人の中で一つとなって
   存在しています。
   ですから、意識は多層であるとも言えますし、意識は一つであるとも
   言えます。
   この意識の多層性は同時に宇宙の多次元性でもあり、同様に、
   宇宙は多次元であるとも、宇宙は一つであるとも言えます。

      明日は 『心とはどういうものでしょうか』 をアップします           
                                 
                    K-Communication №39(1993年 39号) より
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意識の構造
2007-05-13 Sun 07:32
                                        『木霊の森の奥』
木霊の森の奥ー27-jan
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   ― 自問自答 ―

   【質問】 人の意識の構造はどうなっているのでしょうか 

   一番外側に 『感覚』 があり、次に 『感情』、
   『思考』 (私的思考 - 自我 『私』、 純粋思考 - 科学・探求)
   『気づき』、そして、最後に(一番内側) 『注意』 があります。

   1.
   思考は、自我である『私的思考』と、科学や探求である『純粋思考』
   に分かれています。
   『私的思考』は自己の個人的条件づけから生まれるものです。
   一方、『純粋思考』は観察や実験などの客観的データに基づいて
   発生するものです。
   そこには『私的思考』に見られるような自己の利益の追求という
   視点は全くありません。
   『純粋思考』は単なる道具です。
   それは科学が平和のためにも戦争のためにも使われることからも
   明らかです。

   一方、『私的思考』は道具ではなく主体です。
   それは 『私』であり、自我です。
   それが世界中に混乱を撒き散らしている張本人です。
   この『私的思考』の背後には膨大な条件づけ群が記憶として蓄積
   されています。
   それが外側からの刺激に反応します。
   そして、その反応に対して、また条件づけから二次的反応が起きます。
   それがまた記憶として蓄積され、新たな条件づけとなり、
   それがまた反応を重ねるという悪循環が延々と続いていきます。
   この蓄積された条件づけの層が一人一人を全体から分離させ、
   不自由な人生を歩ませています。
   これがあるために、外界と『内なる感受性』が直接触れ合うことが
   妨げられ、人は表層の意識だけで生きるようになっています。
   この条件づけの層が看破される必要があります。
   それは自我よりも内側から自我を”見る”ことです。
   はっきりと見て理解することです。

                           ・・・明日に続きます
                                 
                    K-Communication №39(1993年 39号) より
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『私』の構造的問題点
2007-05-12 Sat 09:10
                                      『西部林道の紅葉』
西部林道の紅葉ー11-feb
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   ― 自問自答 ―

   【質問】 『私』 の構造的問題点とはどういうことでしょうか。

   『私』 は快を維持し、不快を避けようとします。
   ところが、各 『私』 が自己の狭い見地から自分の快のみを追求する
   ため、逆に、自分で自分の首を絞める結果になっています。
   それが戦争であり、環境破壊です。
   『私』は絶えず過去の経験と知識から行動しようとします。
   しかし、その記憶は常に限られており、決して全体であることは
   ありません。
   それ故、各 『私』 が勝手に生きる時、必然的に軋轢と混乱が生じる
   構造になっています。
   それが 『私』 の構造的な問題点です。
   人が全体の視点に立たない限り、人類に真の平和はありません。   

          ― 自問自答 ―
          明日、『人の意識の構造はどうなっているのでしょうか』 へ続きます

               
                    K-Communication №39(1993年 39号) より
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思考の限界
2007-05-11 Fri 11:57
                                      『時間のない世界』
時間のない世界ー18-feb
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   ― 自問自答 ―

   【質問】 思考の限界とはどういうことでしょうか。

   思考は道具です。
   理解するための道具です。
   しかし、それが個人の限られた経験と知識に依拠する時、
   主観的で歪んだ『私的思考』となります。
   それは偏見であり、固定観念であり、先入観です。
   それは不自由な思考です。

   一方、それが客観的観察と実験に依拠する時、それは科学、
   『純粋思考』となります。
   それは自由な思考です。
   しかしながら、その科学でさえ、過去のデータに依拠する以上、
   完全であることはできません。
   ニュートン物理学からアインシュタインの相対性原理へと変化
   していったように、科学は限られたデータに基づくものである以上、
   どこまでいっても一定の条件下での真理でしかありません。
   科学も進歩し、より正確に、より厳密に宇宙の構造を明らかに
   しつつありますが、しかし、それはどこまでいっても宇宙の無限を
   解明することはできません。
   なぜなら、科学は有限をベースにしているからです。

   思考は、限られた過去の経験と知識に基づく以上、決して全体で
   あることはできません。
   思考はどこまでいっても断片です。
   たとえ、それが客観的思考であれ、個人的先入観の全くない自由な
   思考であれ、思考が限られたデータを元に考えるものである以上、
   それは全体であることは決してできません。
   それが思考の限界です。
   また、それは過去に基づいて考えることであるため、今、この瞬間を
   生きることはできません。
   部分であり、過去である思考は、その本質を理解して適切に
   使わない限り、大変危険な道具になります。
   科学は私利私欲のために地球環境を破壊し、心理的思考は
   『私』というモンスターを造り出してしまいました。

   人類は、この思考という道具をまだ十分には理解できていません。
   逆に、思考に使われているありさまです。
   人は、まだ『私』の影響下にない『純粋思考』を日常生活の中で
   自由に使うことができません。
   科学者でさえ、一個人に戻る時、彼は『純粋思考』ではなく、
   自己の利益を第一とした『私的思考』で生きています。
   人は、自分がまだ『純粋思考』を完全には使いこなせていない
   ということを、『私的思考』に翻弄されているということを明確に
   自覚する必要があるのではないでしょうか。

   地球の環境破壊という科学の限界が見えるにつれ、
   人々は思考の限界に気づき始めています。
   思考はどこまでいっても全体ではありません。
   それが人類が理解しなければならないことです。
   人類は、これまで感覚、感情、思考という表層の意識で生きてきました。
   しかし、それでは人類としての生存が危うくなってきています。
   部分から全体へのシフトが無い限り、人類の新時代は訪れないでしょう。
                                    
                    K-Communication №39(1993年 39号) より
                               >>K-Communication

   今日から数日間、”自問自答”を連載します。
   以下、順次アップしてまいります。どうぞ続けてお読みください。
   *『私』の構造的問題点とはどういうことでしょうか
   *人の意識の構造はどうなっているのでしょうか
   *心とはどういうものでしょうか
   *『理解』とはどういうことでしょうか

   
           
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祈り - 3 -
2007-05-10 Thu 07:12
                                    『永田いなか浜の夕陽』
光-39
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   祈り - 3 -  (昨日の続きです)

   途中の段階の教えはたくさんあります。 
   それらは、すべて時間の教えです。
   それゆえに、段階や、成長があります。 
   私たちは、それらに惹かれます。
   なぜなら、私たちは自我で生きているため、自我(時間) の教えの方が
   身近でわかりやすいのです。
   クリシュナムルティの教えは、現時点では、最高のものであると感じます。
   最高であるが故に、もし、それを真剣に実践するなら、最も安全に、
   最も確実に、そして最も早く至るべき次元へ導かれて行くでしょう。
   それは、人類にとって最善の道なのです。 
   なぜなら、その自我を解放するエネルギーこそが、アクエリアス2000年の
   主なるエネルギーなのですから。

   『新しい教えは、新しい革袋に入れられる』
   それは、いつの時代も変わらぬことなのです。
   そして、新しい革袋は、私たちには馴染みにくく、私たちは使い慣れた
   古い革袋の方が使いやすいのです。 
   古い思考パターン、信仰、信念、主義主張・・・
   クリシュナムルティの教えは、まったく手垢がついていないために、
   つかみどころがありません。 
   古い観念では捕まえようがないのです。
   新しいエネルギーを使わない限り、古い自我のエネルギーでは捕らえる
   ことはできません。
   観念ではなく、概念化、論理化するのではなく、直接見て、直接事実に
   触れなければなりません。
   そのとき、思考を通してではない、直接に理解する、ダイレクトに
   事実そのものから理解するという新たな気づきが起きてくるのです。

   以上の話を、あなたは、信じる必要はありません。
   むしろ、信じない方がいい。 
   なぜなら、信じるというエネルギーは、うお座時代の古いエネルギーであり、
   信じたとたん、人は自由をなくしてしまうのですから。
   その時点で新たなものを理解することは、不可能になってしまいます。
   今は、ただ、クリシュナムルティの教えを実行してみること。
   ただ、自分自身を、見つめてみること (一切の判断なく)。
   そうすれば、クリシュナムルティの教えが、真実であるかどうか、
   自分で、直に、確かめることができるでしょう。
                                    
                    K-Communication №0(1989年) より
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祈り - 2 -
2007-05-09 Wed 08:54
                                         『天より降る光』
天より降る光ー20-d
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   祈り - 2 -  (昨日の続きです)

   祈りは実現します。 もし、次の条件が満たされるなら。
   1 自我が、祈りを否定するような想念を一切出さない。
   2 その祈りに対して、他の人から、否定的な、
     あるいは競合するような想念が出ていない。
   3 強く明確に祈り続ける。
   この3条件がそろえば、祈りは必ずと言っていいほど実現します。
   しかし、これは、なにも祈りに限ったことではなく、
   『ポジティブ・シンキング』や、『願望達成術』 の基本的原理です。 
   確かに、”想念はものを創る” のです。
   そして、祈りも想念と同様、その質は、自我我欲から人類愛まで
   千差万別なのです。
   しかし、いずれにしても、祈ったり想ったりしている”私” がいる限り、
   その私の外には一歩も出られないのが宿命です。 
   ちょうど、犬が自分の尻尾を追いかけまわしているように、
   私の世界の中でグルグル回っているだけなのです。
   そこには、真の意味での自由はありません。
   ”私” がある限り、そこは有限であり、無限・宇宙・神などとは
   程遠いのです。
   それが、いかに高級な祈りであったとしても・・・

   クリシュナムルティは、何かにつけてもそうなのですが、祈りの場合も
   段階に言及しません。
   低い段階から高い段階へ、自我が薄くなっていく過程・・・
   クリシュナムルティにとっては、自我があるかないかのどちらかなのです。
   途中の段階や、成長・時間というのを認めません。
   今、即座なのです。 時間の外なのです。
   時間の外にあるとは、即ち自我の外にあるということです。
   成長というのは、明らかに時間内の運動であり、それは、自我の中の
   運動です。
   成長の段階をとやかく言っても、いずれもまだ自我のうちにあり、
   クリシュナムルティのいう自我なき状態とは、次元が違うのです。

   しかし、実際には、途中の各段階は存在するように感じます。
   祈りに限らず、人の意識の段階として、それはあるように思います。
   では、なぜ、クリシュナムルティは、途中の段階に言及しないのでしょうか。
   それは、途中の段階の最高レベルでさえ、クリシュナムルティの述べる
   自我なき状態とは、次元が違うのです。
   非自我は、一段一段、階段を上っていける領域にはないのです。
   階段は、成長という時間であり、時間は自我なのです。
   非自我の状態へは、この自我の階段を通っては到達できないのです。 
   (到達しようと努力している”私” がいる限りは、非自我ではないのです)
   これまでとは全く違うエネルギーを使わない限り、自我から非自我への
   シフトは起きないのです。

   それは、時間ではなく、今、即座なのです。
   そこに、時間の次元(自我の領域)と、非時間の次元(非自我の領域)
   の違いがあります。
   それは、時間を通しては、けして、乗り越えることはできないのです。
   時間は必要なく、今、即座に可能なのです。
   それは、”見る” という非時間のエネルギーを使ったとき、初めて可能と
   なります。
   思考や、論理、観念は、時間の領域にあり、それらによっては、
   次元の壁を越えることはできないのです。
   クリシュナムルティは、人類を、この新しい次元に導くために出現しました。
   それが、アクエリアス時代の人類の進むべき方向であり、”煙なき炎” 
   ”透明な英知” の世界です。
   クリシュナムルティは、人類の真理の教えをすべて統合し、
   その次元をシフトさせて、新たな可能性を人類の前に切り開いたのです。

                          ・・・明日に続きます 
                 
                    K-Communication №0(1989年) より
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祈り - 1 -
2007-05-08 Tue 08:20
                                     『木霊の森に射す光』
光ー44
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   祈り - 1 -

   『祈り』にも、いろいろな段階があるようです。
   1 自己の利益のためだけに祈る段階
   2 家族や知人のために祈る段階
   3 住む町や国、不幸な人々のために祈る段階
   4 全人類のために祈る段階
   しかし、いずれにせよ、そこには、まだ、自我があります。
   なぜなら、祈っている私がいます。
   そして、言語化しない、
   5 沈黙の祈り、と呼ばれる段階があります。
   しかし、そこにも、微妙ではありますが、意志・自我があるようです。
   そして、最後は、クリシュナムルティのような、
   6 祈りなき段階です。
   この祈りの各段階は、自我が、徐々に、薄くなっていく過程のようにも
   みえます。
   自我が消えたとき、祈りも、また、消えます。
   祈る主体が消えてしまうからです。

   しかし、イエス・キリストは、最後の最後まで、神に祈っていたと伝え
   られています。
   なぜでしょうか・・・
   イエス・キリストは、神への信仰によって、人類の愛を高めるという
   使命を持っていたように感じます。 
   それゆえに、人類に、信仰を通して、愛を芽生えさせるという道を
   教えました。
   クリシュナムルティは、自我の壁を取り外すことによって、イエス・キリスト
   によって芽生えさせられた愛を、一気に花咲かせる道を示しました。
   クリシュナムルティは、イエス・キリスト、仏陀をふまえて、出てきています。
   (クリシュナムルティの中に、イエス・キリスト、仏陀を強く感じます)
   そして、どちらが偉いということではなく、時代、時代に人類に示される真理は、
   それ以前のすべての経験をふまえ、その時代に、最もふさわしい形で開示
   されます。
   最後まで、神に祈っていたイエス・キリストの段階から、クリシュナムルティの
   祈りなき段階へ、時代は進んだのではないでしょうか。
   信仰を通して愛を高める段階から、
   理解を通して愛を高める(解放する)段階へ。
   依存から、自立へ。 
   時代は変わったのではないでしょうか。

   新しい時代は、たとえ不幸な人を見ても、祈りではなく、
   ただ、愛のエネルギーが相手へ流れていくのではないでしょうか。 
   ただ、相手と共にいることによって・・・
   水が高きから低きへ自然に流れるように、愛のエネルギーは自然に流れ
   出すのです。
   祈りという形式ではなく、ただ、愛があふれるにまかせておけば、
   愛は、そのときに最もふさわしい形で表現されるでしょう。
   私たちにできることは、積極的に愛そうと努力することではなく 
   (そこには、意志、自我、葛藤があります)、ただ、自我を見つめ、理解し、
   解放することにより、愛があふれだす状況を準備することではないでしょうか。
   もちろん、クリシュナムルティが、時々『愛しなさい』 と単純に言うように、
   自然に無理なく愛せれば、何の問題もありません。
   しかし、自我があるために、それがなかなかできないから、まず、自我を理解し、
   解放しようとするのです。
   自我の壁が崩れさえすれば、愛はおのずからあふれだすのです。

                             ・・・明日に続きます
         
                      K-Communication №0(1989年) より
                                 >>K-Communication

        
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祈り - 序章 -
2007-05-07 Mon 11:08
                                          『苔の宝石』
苔の宝石ー07-jan
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   祈り - 序章 - (5月11日 Kの誕生日)

   一日中雨の降りしきる中、16人の方がお集まりいただきありがとうござい
   ました。
   熱心に9時過ぎまで話合いましたが、ちょっと時間切れに終わったようです。
   その中で『祈りは自我か』 ということが話題になりました。
   自分のためではなく他人のために祈るとき、不幸な人を見て自然に
   祈らずにはいられないとき、それは、自我ではないという意見が多かった
   のですが・・・

   今、一人になって感じるのは・・・ 祈りには祈っている私がいます。
   私の意志が働いています。
   祈っている人と祈る対象との分離があります。 
   私と神の分離です。
   この分離こそが、『私』の本質であり、自我の本質ではないでしょうか。
   私と神、私とあなた、私と私以外のすべて・・・ 
   そして、この『私』 こそがあらゆる問題の元凶なのです。
   静かに自分自身を見つめてみると・・・ やはり、祈りの中に私の願望を
   感じます。
   『こうあってほしい』、『・・・・になってほしい』、その内容が善かれ悪しかれ、
   そこには、あるべき姿・理想・自分のイメージの投影があります。
   『健康であることは良いことだ』、 『貧しいことは良くないことだ』、だから、
   『健康で豊かになってほしい』。
   その現実を認めるのではなく、それを私の理想・あるべき姿に変えたい。
   ありのままの現実ではなく、人を変えたい、変わってほしいと願うことじたいが、
   私が、人に私の思うようであってほしいという願望ではないでしょうか。 
   それは、私が人を私の思うように支配・所有したいということではないでしょうか。

   祈りの内容が、たとえ善意に満ちたものでも、その善意じたいが私の善意で
   しかなく(私が善・正しいと思っている観念・イメージにしかすぎず)、 それは
   他人のものとは当然違い、ひとつの主義・主張とさえ言えばいえるのではない
   でしょうか。
   極端にいえば、祈りは私の主義・主張を他人に押しつけることにならないで
   しょうか。
   人のありのままの状態に、私の主義・主張(こうあるべきだ・そうあってほしい) 
   を押しつける訳です。 
   主義・主張は人それぞれに違い、それ故に争いも起きます。
   人は、それぞれ自分の人生を自分で生きています。 
   そこに、むやみに干渉することは慎むべきではないでしょうか。
   どうかもう一度、自分の中をよーくのぞいてみてください。 
                 
                   K-Communication №0(1989年) より
                                 >>K-Communication

     今日からしばらく、この『祈り』について連載します。 
     (祈りの段階、新しい時代の愛、自我の領域と非自我の領域について)
     どうぞ続けてお読みください。

        

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真空
2007-05-06 Sun 09:24
                                           『千尋の滝』
千尋の滝ー01
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   真空

   ものすごい嵐が来る
   それが止むと 全き静けさが来る
   それが台風の目である
   それまでの大荒れが まるで嘘のように静かになる
   シーンと静まり返る

   台風の中心は台風の目である
   台風の目には何もない
   ただ静かな空間があるだけである
   しかし この空間が全てを支えている
   この空間こそが台風の源である

   初めも終りもないもの それが真空である
   その真空から全てが始まり
   その真空へ全てが帰っていく

   限りないエネルギーを秘めた源
   一切の有なき無
   その中に全てを含む空
   そこから全てが生れ
   その中に全てがある

   台風は宇宙の成り立ちのミニチュアに過ぎない
   渦巻くダイナミックな有限の世界の中心に
   限りない静かさを秘めた無限の空間がある
   全ての源であり 全てを包含する空間である

   人の意識も同様である
   日常の活動的な意識の奥に
   それを在らしめている空間がある
   そこには何もなく ただエネルギーが満ちている
   全てを包み 全てに浸透し 全てを生かす
   それが真空である   
               
                 K-Communication №15(1990年11月号) より
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天国と地獄
2007-05-05 Sat 08:10
                                   『口之永良部島の夕陽』
口之永良部島の夕陽ー14-e-sun
 

   天国と地獄

   天国と言い 地獄と言う
   本によれば 幽界・霊界に天国も地獄もあるという
   しかし それは誰にとっての天国であり 誰にとっての地獄であろうか
   もし『私』がなければ はたして天国や地獄があるだろうか
   それは『私』にとっての天国であり 『私』にとっての地獄ではないだろうか
   『私』 が天国と感じ 『私』が地獄と感じているのではないだろうか
   天国も地獄も まだ 『私』にこだわっている世界であり
   まだ『私』に縛られている世界ではないだろうか
   だから また生まれ変わる?
   まだ 輪廻転生の輪の中にいる?
   『私』がある限り その輪の中を永遠に周り続ける・・・

   天国と言い 地獄と言うも
   これらすべては地上の意識の延長であり
   『私』がすべてを造り出しているのではないだろうか
   だから『私』が消えるとき 同時に 天国も地獄も消える
   そのとき初めて 天国や地獄という幻想ではない
   真なるものが姿を現すのかもしれない
   目の前に 『私』の意識では全く理解できない何かが
   広がっているのかもしれない
                  
                 K-Communication №7(1990年2月号) より
                               >>K-Communication

        
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最近感じること - 3
2007-05-04 Fri 10:19
                                         『サクラツツジ』
サクラツツジー04


   最近感じること - 3  (昨日の続きです)
   
   ☆ 人間の器=人間の理解。
      人の器というものは、どれだけ自分自身=人間そのものを
      理解しているか、ということ。

   ☆ 気づいてみれば、夢はみんな思考の活動だった。
      思考が一人で、自動的に働いているだけ。
      それが夢だった。
      日常においても、思考が勝手に動くことの何と多いことか。
      思考を使っているのではなく、思考に使われている。
      思考が至高の存在となっている。 
      思考がない静かな時、本当にありのままで緊張がない時、
      脳はリラックスして、独自の動き・再生を始める。
      脳を含めた全体がリフレッシュされる。
      心も体も溶けていき、自我ではないエネルギーがすべてを甦らせる。

   ☆ 思考の最高の形態は、思考が思考の限界を自ら悟ること。
      それは思考が研ぎ澄まされ、純化された時に起きる。

   ☆ 思考を使って考えていると、しばしば混乱する。
      しかし、明晰さから見ている時、一切の混乱はない。
      ただ素直に、ありのままに、それを言葉を使って表現することも
      部分的にはできる。

   ☆ 精神は無限。
      思考は有限。
      思考は精神のほんの一部。
      有限な思考で無限の宇宙を推し測ることはできない。
      『私』 の外に、自由な無限の空間がある。

   ☆ 見ること・注意・洞察・感受性・・・
      宇宙のエネルギーを感じて、その場に最もふさわしいことが
      自然に為されていく・・・
      どこまで ”sensitive” になれるか、どこまで深くあらゆるものを
      感じられるか・・・
      人を、宇宙を洞察できるか・・・
      それはすべて見ること、注意のエネルギー。
      それだけ、それがすべて、他に何もない。
      固定的な真理というようなものがある訳ではない。
      瞬間・瞬間の感受性、見ること、宇宙のエネルギーそのもので
      あること。
      そこには無限の深さがある。
                  
                 K-Communication №6(1990年1月号) より
                               >>K-Communication

        
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最近感じること - 2
2007-05-03 Thu 08:27
                                          『新緑と山桜』
新緑と山桜


   最近感じること - 2  (昨日の続きです)
   
   ☆ コミュニケーションはふれあい。
      自分の意見を持っていると、自分とふれあっているだけ。
      空っぽでないと人とふれあえない。

   ☆ 差別しない・区別しないというのは、断定しないこと。 
      人を断定しない時、決めつけない時、差別・区別もない。
      その時、あなたも私もない。

   ☆ あなたと私という分離があるところに愛はない。
      なぜなら愛は全体だから。
      一切の分離がない状態だから。

   ☆ 一番楽な生き方は、私心なしで生きること。
      こんなに楽な生き方はない。
      こんなに気持の良い生き方はない。
      しかし、これがなかなかできないから人は苦悩している。
      しかし、『私心なしで生きよう』 と決意しても、それはできない。
      そこには既に”私”の意志が働いている。
      ただ事実として、私心なく生きている状態が実現している必要がある。

   ☆ 自由ということの真の意味は、自分自身から自由であるということ。
      心理的には、自分以外に自分を縛っているものはない。 
      自分で自分を縛っている。
      自分が何かを思い込んで、それが自分を縛っている。
      それ以外に何もない。 
      自分自身の思い込みが外れていけば、何も縛るものはない。

   ☆ 気づくということは、明るさ。
      パッと燈りが灯るような・・・
      そのたびに無明の闇が少しずつ明るくなる。
      英語では悟りのことを 『enlightenment』(語源:明るくする)とも言う。
      闇に気づけば光が射す!

   ☆ 悲願は=彼岸。
      人類の真の願いは、心の奥の奥の願いは、やはり自由になること。
      悲しみの岸から自由の岸へ行くことの願い=悲願。
      慈悲と言い、悲願と言う。
      悲しみを慈しむ悟った人と、悲しみから自由になりたい衆生。
      しかし、この人類の悲しみこそが、やはり、人類を彼岸へと向かわせる
      原動力となるのだろうか・・・

                        ・・・明日に続きます
                  
                 K-Communication №6(1990年1月号) より
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最近感じること - 1
2007-05-02 Wed 08:39
                                             『山桜』
山桜ー02


   最近感じること - 1  
   
   ☆ 瞬間・瞬間、それはキラキラ輝く宝石のよう!

   ☆ これまでのとらわれが崩れていく。
      音を立てて崩れていく。
      ガラガラを雪崩を打って崩れていく。
      すべて、総てが壊れていく。
      すべて、全てが消えていく。
      愛がすべてを溶かしていく。

   ☆ 『私』 とは、抵抗、こだわり。
      それが世界と摩擦を起こす。
      それが人生の苦悩となる。
      その一つ一つのこだわりに気づく、
      するとスッキリする。
      エネルギーがスムーズに流れる。
      宇宙のエネルギーが自然に流れて行く。
      ただそれだけ。
      それがすべて。

   ☆ 人は意識が深まれば深まる程、潤ってくる。
      意識の表面的なところは乾いて(渇いて)おり、
      機械的であり、優しさがない。
      あっても、それは自己中心的な優しさでしかない。
      意識が深まるにつれ、優しさや愛がにじみ出てくる。
      やがて、愛の水脈にたどり着く。

   ☆ 観念に依存している限り、真実を感じることはできない。
      真実を観念が邪魔してしまう。

   ☆ 大切なことは、入れないで外していくこと。
      知識・概念を一杯詰め込まないで、これまでつくってきた
      観念・こだわりに気づき、外していくこと。
      それら一切のものが無い時、人は真に自由。

   ☆ なぜ、教えてもらおうとするのだろうか?
      それは、ただ頭で納得するだけなのに。
      自分で発見した時にのみ、解放が起きるのに。

   ☆ 最高の存在というのは、ただ教えることはしない。
      その人が気づくようにさせる。
      一切、他に依存させない。

   ☆ 見ることは、何にも依存しないこと。
      あらゆる行法・修行・システム・師・・・
      一切、何かを保証してくれるものに依存しないこと。
      不安定と共にいられる時、そこに安定がある。
      宇宙がある。

   ☆ 祈れば祈るほど、自我を強めてしまう。 
      自我の核が硬くなる。

   ☆ 自分の問題がすべて解決したら、人は何も信じる必要はない。
      問題がない人は何も信じない。
      赤ん坊や小さい子供が、自然な状態で(親に強制されないで)
      何かを信仰しているだろうか?

   ☆ 小さい子供は、ただ見る。
      大人は自分のことを絶えず気にしながら見る。
      つまり、自分を通して見る。
      前者は記録され、後者は記憶される。

                           ・・・明日に続きます
                  
                 K-Communication №6(1990年1月号) より
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