いのちの写真と光の言葉
問題
2007-04-30 Mon 09:15
                                             『新緑』
新緑ー02
     
    
   問題

   誰かから何かを言われる
   すぐに動揺する
   それを黙って見ている
   静かに見つめている
   すると何が問題だろう?

   あわてて動揺を抑えようとしたり
   あれこれ次のことを考えたりせず
   ただ黙って見ている
   ただ静かに見つめている
   すると何が問題だろう?

   何が原因かを探ることもせず
   自他を責めることもせず
   ただ黙って見ている
   ただ静かに見つめている
   すると何が問題だろう?

   ただありのままの自分と共に在る
   それを変えようとせず 言い訳もせず
   ただ黙ってそこに踏みとどまる
   心理的な一切の働きなく
   ただ静かに共に在る
   すると何が問題だろう?

   別に問題はない

   ただ思考が動くときにのみ
   問題が生まれる
                  
                 K-Communication №14(1990年10月号) より
                               >>K-Communication

        
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批判と答え
2007-04-29 Sun 09:43
                                        『コバノタツナミ』
コバノタツナミー01


   批判と答え

   批判されたら すぐに反応しないで
   それはそれとして ただ受け止めておく

   もしすぐに反応すれば それは自分を守るための行為となる
   そうではない ただ静かに受け止めるだけの行為がある

   批判とは全く別の次元から出てくる答え
   それは批判を忘れている時 突然やって来る
   批判とはなんら直接的関係を持たない答え
   批判に対する反応ではない答えである

   批判されると すぐに様々な想いが湧いてくる
   それを相手にぶつけないで ただ静かに見ている

   ふと その人に対して 愛が溢れる時がある
   その時にのみ 正しい行為ができる

   待つこと 愛が溢れ出るのを待つこと
   批判にすぐに反応しないで 静かに見つめていること
   そのとき ふと 反応ではない答えが出てくる
                   
                 K-Communication №13(1990年8月号) より
                               >>K-Communication

        
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聞く心 - 4
2007-04-28 Sat 08:37
                                        『森の中の流れ』
森の中の流れ-22

    
   聞く心 - 4

   聞いて聞いて 聞きぬいて
   感じて感じて 感じぬいて
   初めて その人がわかる

   静かにじーっと聞き入るとき
   その人をそのまま感じることができる
   そのとき その人を批判する気持ちは起きない
   理解があれば批判はない
   理解からくる おのずからなる行為がある
   自然に 無理なく生れる行為

   そのとき その場に 調和がある
   そのとき その場に 平和がある
   慈しみにあふれた何かに満ちている
            
                 K-Communication №8(1990年3月号) より
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聞く心 - 3
2007-04-27 Fri 08:26
                                         『森の中の沢』
森の中の沢-21
  
    
   聞く心 - 3

   聞くとは 開くこと
   聞くとは 心を開くこと

   聞くとは 心を開いて
   相手のすべてを受け入れること
   良いも悪いも すべて受け止め
   暖かく包み込むこと

   聞くとは
   あふれるような慈しみで
   その人を抱きしめること
   その人が何を言おうと
   その人が何と言おうと
   ただただ包み込み
   ただただ受け入れること

   聞くとは
   それほど偉大なこと
   聞くとは
   それほど大きな愛
   受け止め 抱きしめ
   限りなく慈しむ

   聞くとは 限りない慈しみ
   聞くとは 測りしれない愛
   聞くとは 無条件の愛であった
             
                 K-Communication №8(1990年3月号) より
                               >>K-Communication

        
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聞く心 - 2
2007-04-26 Thu 09:21
                                           『倒木の橋』
倒木の橋-20

    
   聞く心 - 2

   聞くこと
   ただ聞くこと
   ただ徹底して聞くこと
   聞くことの中に理解がある

   判断や解釈なしに ただ聞く
   それは良い それは悪いと言わないで ただ黙って聞く
   そうすると 聞くことから理解が生れる
   それはなにも難しくはない ただ聞くこと

   ところが これが案外難しい
   聞きながら 絶えず判断している
   絶えず自分の物差しで測っている
   絶えず自分の基準で裁いている
   ただ黙って相手の話を聞いていない
   絶えず自分の中で思考が動く
   相手の言葉に 絶えず何かが反応する

   ただ黙って聞くのは なかなか難しい
   一切反応なしに聞きぬくのは以外と困難
   ただ静かに じーっと聞き入るのは
   案外すぐにはできないことである

   同意も否定もしないで ただ静かに聞くとき
   相手をそのまま理解することができる
   解釈している限り 自分流の理解でしかない
   静かに静かに聞くときのみ 相手を直に理解できる
   相手をそのまま感じるには 私を介入させてはいけない
   ただただ 耳を澄まして 相手に聞き入るしかない
   そのとき初めて その人自身を感じることができる
   そのとき 心からなる共感がわく

   聞くことは途方もないこと
   限りない深さを秘めたこと
   深く深く聞き入るとき
   果てしない深まりがある
   共感の果てしない深まりがある

   心を澄まして 静かに聞き入ってみよう
                   
                 K-Communication №8(1990年3月号) より
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聞く心 - 1
2007-04-25 Wed 11:32
                                           『森と沢』
森と沢ー19


   聞く心 - 1

   まだ早い
   まだ話し出すのは 早すぎる
   もう少し
   もう少し 聞いてみよう
   何を言いたいのか 何を意味しているのか
   勝手に解釈しないで 一切推測しないで
   ただ聞いてみよう

   その人に その人を 語らせよう
   その人が その人を 語ってくれる
   決して私が その人を語らないように
   決して私が その人を代弁しないように

   ただ静かに聞いていれば
   その人は 自ら心を開いてくれる
   こちらは 何も想像する必要はない
   ただ時々 わからないことを質問すれば
   その人が 自ら疑問に答えてくれる
   何も答えを教えてあげる必要はない
   ただその人に 聞けばいい
   その人が その人の答えを知っている

   早過ぎる
   話し出すのが 早過ぎる
   もっともっと 話を聞こう
   その人が心を開くのを じっと待とう
   その人は きっと自分から心を開く
   必要なのは じっと待つ心

   答えはその人の内にある 決してこちら側にはない
   こちらは ただ聞けばいい
   聞くことが理解すること それがその人を直接わかること
   決して自分で判断しない その人にその人を語らせる
   それが その人を自然にわかる道
   ただ虚心に聞けば 無理なく理解することができる
   何も難しいことはない
   判断し 解釈し 憶測するから 難しくなり間違ってしまう
   ただ黙って聞けば その人が その人を語ってくれる
   その時 おのずからなる理解が生れる

   必要なのは
   ただ 静かに聞く心
   その時 その人と共に居る
                        
      (今日から4日間、『聞く心』 を連載します。ぜひ続けてお読みください) 
                   
                 K-Communication №8(1990年3月号) より
                               >>K-Communication

        
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虹の屋久島
2007-04-24 Tue 08:52
                                              『虹』
虹ー22
 
    
   虹   
      
   虹を見ると、幸せな気分になる。
   虹は天と地の架け橋。
   見ている人の心の中にも虹が架かる。
   まるで天使が虹を伝って心の中にやって来るかのように・・・

   『虹見れば 心の中にも 虹架かる 虹の中には 天使が住まう』

                 >>日記 無色透明     全文は>>こちら

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見ること - 2
2007-04-23 Mon 12:12
                                            『苔の夢』
苔ー44
 
    
   見ること - 2

   ― 見ること - 1 ―

   見ること
   言葉では表現できないエネルギー
   自我を越えた・思考を越えたエネルギー
   自我は何もすることなく
   ただ見ることによって全てが成されていく
   まるで魔法の杖のよう
   しかるべきところへ・落ち着くべきところへ
   それは導いていく
   自我の意図や願望ではなく
   宇宙の秩序に基づいた状態へ自然に収まっていく
   一切意志を使わなくても
   ただ見ていれば 成るべくして成る
   一切心配なく 一切不安なく ただ見ている
   それは明らかに いつもの私=自我ではない
   その見るエネルギーが全てを調和へと変えていく
   決して 『私』 が変えるのではない
   見るという 全く 『私』 を含まないエネルギーが
   全てを宇宙の秩序へと導いていく
   私は意志を使わずに
   ただ気づいたままに生きていればいい


   ― 見ること - 2 ―

   見るエネルギーとは
   全身で注意するとき
   全身全霊で注意するとき 溢れ出てくる
   それは自分自身が注意の炎と化すことである
   注意の炎に私はない

   それは単に冷静に見るだけのエネルギーではない
   それは溢れるような愛を伴う
   炎のようなエネルギーである
   全身全霊が愛の炎と化すのである

   見ることは純化の嵐であった          
            
                 K-Communication №13(1990年 8月号) より
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見ること
2007-04-22 Sun 10:47
                                           『雲の軌跡』
雲の軌跡ーcloud-15
  
    
   見ること

   1
   どういうエネルギーに接触するかによって、私たちの精神状態
   はちがってきます。
   恐怖のエネルギーに接触すれば恐怖が、喜びのエネルギーに
   接触すれば喜びが、それぞれ精神状態となって現れてきます。
   (多くは記憶の反応ですが)
   ある程度、私たちはそれらをコントロールすることも可能です。
   自分で意識的に選択、チェンジすることができます。
   しかし、これも一定の範囲内、自我の領域内の選択でしか
   ありません。
   恐怖のエネルギー状態を、瞬間的に別のエネルギー状態へ
   切り替えることは可能です。
   (気分転換、積極的に別のことを考える・・・いずれも恐怖から
   の逃避ですが・・・)
   しかし、それで恐怖自体が消えて無くなるわけではありません。
   恐怖は、やがてまた現われてきます。
   自己の内に、恐怖の種が在る限りは・・・

   2
   恐怖の種とは記憶です。(記憶が、いわゆるカルマです)
   恐怖の記憶が無ければ、恐怖は存在しません。
   私たちの中に蓄えられていた恐怖が、縁を得て表面化して
   くるのです。
   (目の前の現実が、過去の恐怖の体験と似たような状況に
   なってくると、自動的に過去の恐怖体験の記憶が蘇り、そして、
   また同じ結果になることを、私たちは恐れるのです)
   その時、その恐怖に直面できるか、それとも逃避するかで
   結果がちがってきます。
   直面し、直視し、一切こだわることなく、そのままにしておくこと
   ができれば、それは自然に消えていきます。

   一切何もすることなく、ただ、見、ただ、ふれるだけです。
   見られ、ふれられれば、それはおのずから消えていくのです。
   この見ること、ふれることが、理解です。
   一切の判断や解釈をすることなく、ただ無条件に、見、ふれる
   だけです。
   その時、恐怖が愛に変容するのです。
   逆に、その恐怖にこだわり、恐れたり逃避しようとすると、
   いつまでたっても、それは消えません。
   見ること以外の何をしても、けして、消えることはないのです。
   何かをすることは、その恐怖をつかむことです。
   その恐怖を手放すためには、何もしないこと、一切の行為を
   しないことです。
   ただ、見ることだけが必要なのです。

   恐怖から逃げようとして、信仰に走ったり、特殊な行法に励んだり、
   修行をしても何の効果もありません。
   それは、まだ、恐怖にこだわっていることであり、恐怖の外に
   一歩も出ていないのです。
   見ること以外に、何もする必要はないのです。
   見ることこそが、今、私たちが使用し得る最高のエネルギーなのです。
   それのみが、あらゆるこだわりを、あらゆる執着を、あらゆる
   カルマを解消し得るのです。
   高いお金は入りません。
   教祖に帰依する必要もありません。
   山に篭る必要もなく、日常生活の中でできることです。
   これこそが、何の無理もなく、何の危険性もなく、最も自然な、
   最も本来的な生き方なのです。

   見ることは生きることです。
   見ることこそは最高に真実に生きることなのです。
                      
                 K-Communication №2(1989年) より
                               >>K-Communication

        
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End(目的と結果) - 3 -
2007-04-21 Sat 09:49
                                           『木霊の森』
木霊の森ー19

    
   End(目的と結果) - 3 -  (昨日の続きです)

   人は環境によって条件づけられた欲望や願望を実現しようとして目的を
   持ちます。
   しかし、それは自分に努力を強いることであり、周りとの軋轢を生み出す
   ことです。
   人は自分自身の中の葛藤に疲れ果て、周りとの摩擦に自分をすり減らします。
   目的が達成されるにしろされないにしろ、そのような生は単に環境の奴隷で
   あるに過ぎないのではないでしょうか。
   目的は自我であり、目的 ― 結果のプロセスは自我実現以外のなにもの
   でもないでしょう。
   目的は結果であり、結果は目的です。
   それはあたかも鎖に繋がれた犬のように、自分が価値があると思い込んだ
   世界の中でグルグルと回っているだけではないでしょうか。
   それではいつまで経っても狭い自我というカテゴリーから自由になることは
   できないでしょう。
   それでは、いわゆる因果の輪の外に出ることはできないでしょう。

   では、因果=原因・結果の輪の外に出るにはどうしたらいいのでしょうか?
   それは目的を持たない、つまり結果を期待しないということでしょうか。
   目的を持ち結果を期待すれば、それは単なる自己イメージの実現に終って
   しまうでしょう。
   そうではなくて、真に自我の投影物ではないものに出会うためにはどうしたら
   いいのでしょうか?
   結果を期待せず、目的も持たず・・・それで一体何ができるのでしょうか・・・
   何かを目指し、何かを得ようとして行動することはできません。
   もしそうすれば、それは単に目指したものを獲得するに過ぎません。
   では、そうではない行動というものがあり得るのでしょうか?
   目的のない行動・・・結果を求めない行動・・・単なる行動・・・
   それは花が咲き、やがて枯れていくような・・・一切意志を使わない自然な
   行動ということでしょうか・・・
   雲が風のままに流されていくような・・・自分の目的や結果を追い求めない、
   無為自然な行動というものがあるのでしょうか・・・
   それは一人一人が自分で発見するしかありません。
   注意深く自分自身を見つめていく中で、そのような行動が自然に起きて
   くるようになるでしょうか・・・
   目的はイコール結果であり、それが内・外に葛藤をもたらしていることを
   明確にわかる時、それが真実の生ではないことがはっきりと自覚される時、
   人はどのように生きるのでしょうか・・・

   ― 『End』 最終日です。
      ここから読まれた方はぜひ通して読まれることをお薦めします ―
 
                   
                 K-Communication №21(1991年5月号) より
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End(目的と結果) - 2 -
2007-04-20 Fri 07:42
                                   『木霊の森の木霊たち』
木霊の森の木霊たちー17
    

   End(目的と結果) - 2 -  (昨日の続きです)

   それらの目的は、その人の価値づけです。
   その目的こそが、彼の中で最優先されるべき価値があるということです。
   そして、彼はその目的のために日々生きるようになります。
   その時彼は、彼自身をもその目的達成のための手段と見なします。
   目的達成のために、自分の欲望を抑圧し、無理な行為もしなければ
   なりません。
   彼は自分で設定した目的の奴隷になります。
   その時、目的が最優先で彼は二の次です。
   そうなると、彼の中で葛藤が起きます。
   また、目的が最優先され自分が犠牲になる時、彼は周りの人をも容易に
   犠牲にします。
   自分にとっての最大の価値を実現するために、彼は周りの人にも冷酷に
   なれます。
   たとえそれが世界平和や人類の福祉のためであったとしても・・・目的が
   高尚であればある程、目的は手段を正当化します。
   その目的が彼の中で価値が高ければ高い程、他のもの ― 自分や
   他人 ― は相対的に価値が低くなり、目的のための道具と化して
   いきます。
   それは明らかに思い込みです。
   それは各人の経験と知識に基づき思考によって造り出された観念です。
   目的は観念です。
   自分に都合の良い観念の体系です。
   当然それは各人で異なり、その目的が最優先される時、お互いの争いは
   避けられません。
   人が自分の目的を第一とする限り、地上から争いはなくならないでしょう。

   そもそも目的を持つこと自体が、人の ”あるがまま” からの分離です。
   ある特定の目的を設定することそのものが、人の本然との分離を
   引き起こします。
   ”人” が何かの ”為” に生きることは、”偽”りの生ではないでしょうか。
   目的や価値観や観念を持つこと自体が不自然なのではないでしょうか。
   人が何かの為に生きることは、その何かによって自分自身を縛ることです。
   その時、人は自由ではありません。
   どのような目的も価値観も観念もない時にのみ、人は自由であることが
   できます。
   人が目的や価値観、観念などと一体化すれば、その時、人のあるがまま
   との分離が生じ、内的葛藤が生れます。
   それは同時に周りの人との分離をも発生させ、それが果てしない外的葛藤
   を呼び起こします。
 
                             ・・・明日に続きます

   (『End』 二日目です。ここから読まれた方はぜひ昨日から続けてお読みください)
 
                   
                 K-Communication №21(1991年5月号) より
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End(目的と結果) - 1 -
2007-04-19 Thu 09:19
                                       『木霊の森の木霊』
木霊の森の木霊ー16

    
   End(目的と結果) - 1 -

   英語の ”End” という単語は普通には 『終わり』 という意味ですが、
   その他に 『目的』 という意味や 『結果』 という意味もあります。
   一つの単語に 『目的』 と 『結果』 という対照的な意味があるのは
   面白いことです。
   それは目的が結果であること、つまり始まりが終りであることを表して
   いるのでしょうか?

   人は目指したものを獲得します。
   故に目的はイコール結果です。
   つまり、結果はもう始まる前からわかっています。
   目的が決まった時点で結果もほぼ決まります。
   目的から結果を得るまでに様々な紆余曲折があるかもしれませんが、
   結局は目的が結果を呼び寄せます。
   人は目的を持ち結果を得るために努力しますが、それは既に答えの
   分かった問題を解くようなものでしょうか。
   既に自分の内にある答えを、ただ外に追い求めているに過ぎないの
   でしょうか。
   それは自分の中にあるイメージを現実化する営みです。
   それはビルの青写真(設計図)から実際に様々な資材を使って現実の
   ビルを建設するようなものでしょうか。
   そこには設計した通りのビルが建つはずです。
   これが、大多数の人々が現実に行っていることではないでしょうか。
   それは悟りや修行・成就などについても全く同様に言えるのではないで
   しょうか。
   それは既に自分の中にある特定のイメージを実現しようとしているだけです。
   それは既に自分の知っているものであって、悟りや成就そのものでは
   ありません。
   それは過去の経験や知識を基に自分が造り出したイメージに過ぎません。
   結果は既に目的の内にあります。
   そこには何の新しいものもありません。

   では、そもそも目的とは何なのでしょうか?
   それは、ある人にとっては都合の良い状態の実現ということでしょうか。
   それとも、その人の願望や欲望ということでしょうか。
   なぜ人は目的というようなものを持つのでしょうか?
   会社などで、よく 「目的意識を持ちなさい!」 とハッパをかけられて
   ノルマ達成のために働かされます。
   それは、ある状態を達成するために自分自身を鼓舞する方法でしょうか。
   何かのために ― 私は頑張る。
   何かのために ― 私は生きる・・・
   それは、もし目的がなければ脇道にそれかねない自分を拘束するための
   手段でしょうか。
   それとも、方向性が何もないことが耐えられないので、自分をある軌道に
   乗せることでしょうか。
   あるいは、自分の生に意味づけや価値づけが欲しいということでしょうか・・・
   自分の成長のため、家族のため、会社のため、地域のため、日本のため、
   世界のため・・・
   人々の平等を実現するため、世界平和のため、地球環境を守るため、
   地上から飢餓をなくすため・・・
   人は様々な目的を持ち、そのために生きようとします。
 
                              ・・・明日に続きます

        (今日から3日間、『End』 を連載します。ぜひ続けてお読みください)
 
                   
                 K-Communication №21(1991年5月号) より
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屋久島の滝
2007-04-18 Wed 08:47
   屋久島ナチュラルヒーリングのHPに 『屋久島の滝』 のスライドショーを
   アップしました。
   今日は、こちらを訪問してくださる方にも、『屋久島の滝』 のスライドショーを
   お披露目させていただきます。(*^_^*)
   お時間がございましたら、ゆっくりご覧ください。
   音楽が流れます。音量にご注意ください。
   別ウインドウで開きます。
   スライドショーをやめたい時は、閉じるボタンをクリックしてください。

   >>屋久島の滝スライドショー


   3月11日にHPの方にアップしましたアニバーサリースライドショーの
   エンドレスバージョンも作成いたしました。
   よろしかったら、こちらもご覧ください。
   こちらも、音楽が流れますので音量にご注意ください。

   >>3月11日作成アニバーサリースライドショーエンドレスバージョン


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自然回帰 - 2 -
2007-04-17 Tue 09:37
                                          『木霊の森』
木霊の森ー04
  
    
   自然回帰 - 2 -  (昨日の続きです) 

   8
   例えば、子供の頃、男の子は泣いてはいけないと母親からいつも言われて
   いると、それはいつの間にか脳に記憶され、成長した後も素直に感激する
   ことを押えてしまうでしょうか?
   子供の頃から、大きくなったらかわいい花嫁さんになるように回りから言い
   聞かされて育つと、結婚できないことで劣等感を持つようになるでしょうか?
   一旦神や仏を信じてしまうと、信仰を捨てることは罰を受けるに値するという
   罪悪感を抱くようになるでしょうか?
   人は自分自身の条件づけの構造をどのようにして理解するでしょうか・・・

   9
   コップが濁る原因は土を入れ続けることです。
   それは見ていればすぐにわかります。
   吹き出物が出続けるのも、体に悪いものを入れ続けているからだという
   ことは、注意深く食べ物や生活態度を見ていれば気づきます。
   では、自分の条件づけに気づくにはどうしたらいいのでしょうか?
   それは自分の反応を注意深く見続けることでしょうか?
   その時、突然、解釈や判断ではない洞察・気づきが起きるでしょうか?
   ただ静かに自分自身の意識の動きを見極めることでしょうか・・・

   10
   コップが濁る原因は土を入れ続けることです。
   それに気づいたら、人は土を入れることを止めるでしょうか?
   吹き出物が出てくるのは体に悪い食べ物を入れたことだと気づいて、
   人は即座にそれを止めるでしょうか?
   意識の場合はどうでしょうか。
   自分自身の条件づけに気づくことが、即条件づけからの自由でしょうか?
   それは気づきの深さによるでしょうか・・・

   11
   非常に強く注意が働いている時、反応は起きるでしょうか?
   それは透明な水のような状態でしょうか?
   誰かが掻き回さない限り、水はいつまでも澄んだままです。
   反応は起きないのかもしれません。
   誰かとは・・・ ほかでもない私自身でしょうか?
   『私』 が静かにしていれば反応は一切起きないのでしょうか?
   それが ”見ている” 状態でしょうか?

   12
   澄んだ湖があります。
   水が濁っていないので湖底が見えます。
   美しい湖底がそのまま湖面に浮かび上がります。
   意識が澄んでいると、湖底にある宇宙的英知や愛がそのまま湖面に
   浮かび上がってくるでしょうか?
   それが見ている状態でしょうか・・・

   13
   見ている状態では反応が起きないとすると、条件づけが解放されなくて
   逆に良くないのではないでしょうか?
   見ている状態が頻繁に起きるようになると、エネルギーレベルが上がり、
   反応という形ではない形で、条件づけが脳から直接的に解放されるように
   なるでしょうか・・・

   14
   私たちの意識は、湖底が厚いヘドロでおおわれているようなものでしょうか?
   記憶=条件づけというヘドロがべっとりと付着しているでしょうか?
   だから宇宙的英知も愛も表れないのでしょうか?
   しかし、水が澄んでいる時・反応に巻き込まれていない時、私たちは
   はっきりとそのヘドロを見ることができるでしょうか?
   しかし、反応に反応して水が濁っている時、湖底にヘドロがあることさえ
   気づかないのかも知れません。

   15
   吹き出物は体内の毒を対外に排除する作用です。
   体の英知は自然に不純物を体外に出そうとします。
   不純物をそれ以上体内に入れないように注意して見守っていれば、
   体は自然にきれいな元の健康な状態に戻ります。
   意識の場合も同じでしょうか?
   反応は不純物を体外に出そうとする働きでしょうか?
   反応に反応しないで、新たな不純物を入れないように注意しながら見守って
   いれば、体と同様、自然に元の健康的な意識に戻るのでしょうか・・・

   16
   ただ見つめていると、不自然なものは浮かび上がり、そして消えていく
   のでしょうか?
   浮かび上がったものに(反応に)、一切関わらず(反応せず)、ただ見つめて
   いれば、条件づけは自然に消えていくのでしょうか?
   いつも見つめているだけなら、意識はいつも澄んだままでしょうか?
   そして、澄んだ目には、湖底を見るように自分自身の条件づけの構造が
   見えてくるでしょうか?
   はっきりと見られることが条件づけの終りでしょうか?
   はっきりと条件づけが見られた時、人はもう二度と同じ罠にはかからないで
   しょうか・・・

   17
   すべては調和へと向かっているのでしょうか?
   意識の不純物としての条件づけは、静かに見つめていれば自然に外れて
   いくのでしょうか?
   ただ自我だけがそれを邪魔しているのでしょうか?
   自我が静まり、ただ見つめていれば、すべては本然へと自然に回帰していく
   のでしょうか・・・

            (これは自問自答であり、何らの結論ではありません)                                                 
                 K-Communication №10(1990年5月号) より
                               >>K-Communication

        
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自然回帰 - 1-
2007-04-16 Mon 11:43
                                          『木霊の森』
木霊の森ー17

    
   自然回帰 - 1 -

   1
   水の入ったコップに、一握りの土を入れます。
   それを何かで掻き回すと、水は濁ってしまいます。
   一旦濁ってしまった水を、元のきれいな水に戻すにはどうしたらいい
   のでしょうか?
   もし透明にしようとしてコップを掻き回せば、水はより一層濁ってしまう
   でしょう。
   では、私たちにできることは何でしょうか?
   ただ土と水とが自然に分離するのを待つことだけでしょうか・・・

   2
   吹き出物が体にできたとします。
   これを治すにはどうしたらいいでしょうか?
   もし掻きむしったりすれば、いつまで経っても治ることはないでしょう。
   逆に一層ひどくなってしまうことでしょう。
   では、私たちにできることは一体何でしょうか?
   ただ生命力・自然治癒力によって治るのを待つことだけでしょうか・・・

   3
   では、意識の場合はどうでしょうか?
   怒り・憎しみ・嫉妬・恐怖など、さまざまな反応が出てきます。
   その時、もし私たちが何かをすれば・・・ 
   それはコップの水を掻き回すことや吹き出物を掻きむしることと同じことで
   しょうか?
   反応が出た時、吹き出物が痒くて仕方がないように、何もしないでいること
   は耐え難いことかもしれません。
   ですから、せっかくカサブタができ、もう一息で治るという時に、
   掻きむしってまた悪化させてしまうのと同じようなことをするのでしょうか?
   反応に反応して泥沼にはまる悪循環に落ち込んでしまっているのでしょうか・・・

   4
   ただ何もしないで待つ時、水は清まり、吹き出物も自然に治ってきます。
   ただ何もしないで見ていれば、反応もひとりでに静まるのでしょうか?
   ただ何もしないで見ているとは、反応に反応しない=巻き込まれないと
   いうことでしょうか?
   ただ見ていることは、反応とは別の次元に意識のポイントがあり、
   そこから見ているということでしょうか?
   それは思考・感情・感覚を全体的に包み込むような全的な意識の状態で
   しょうか?
   反応・思考の渦に巻き込まれず、別の次元から静かに見ている時、
   一旦起こった反応は自然に静まるということでしょうか?

   5
   風邪を引いて熱が出た時、薬などで下げないで自然に熱を出しきって
   やると、体内の毒素が熱で焼き尽くされ、身体は何年分も若返ると
   言われています。
   (風邪から回復した時、まるで台風一過のように体がスッキリした体験は
   ありませんか)
   反応が出てきた時も、何もしないで、それを出しきらせてあげると、
   これまで溜まっていたこだわりやシコリが、そのまま抜けていくでしょうか?
   風邪から回復した時と同じように、意識がスッキリするでしょうか?
   (怒りが爆発した後や思いっきり泣いた後、言いたいことを言った後など、
   人はスッキリした顔をしていないでしょうか・・・)

   6
   コップの濁りは静かに待っていれば自然に澄んできます。
   ところが、やっと澄んできたところに、また一握りの土を入れるとどうなる
   でしょう?
   吹き出物も一つが終ったと思うとまた次のが出てきます。
   それは、身体に悪いものを入れ続けているからでしょうか?
   もしそうなら、土を入れ続けるのと同様に、体に悪いものを入れるのも
   止めねばなりません。
   それをしない限り、ただ待っているだけでは、一つが終ってもまた次が出て
   きて果てしがありません。

   7
   意識の場合はどうでしょうか。
   反応に反応して新たな条件づけを作っていないでしょうか?
   外からの情報を思い込んだり・信じ込んだりして、それが新たな条件づけに
   なっていないでしょうか?
   現実を過去の記憶から解釈することは新たな条件づけにならないでしょうか?
   では、新たな条件づけを作らないためにはどうしたらいいのでしょうか?
   それは条件づけの構造を深く理解することでしょうか・・・
 
                              ・・・明日に続きます 
                   
                 K-Communication №10(1990年5月号) より
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質問と返事
2007-04-15 Sun 11:49
                                         『夕映えの海』
夕映えの海ー28-feb-blog
 
   
   質問と返事  
   
   質問 :
   機会があれば、呼吸と注意についてお話してくれませんか。
   最近、特に思うのですが、自分を見失わないように自分の呼吸に
   注意することがあります。
   誰かが深い理解が深い呼吸となる、と書いてありましたが、
   それはよく解るのですが、方法論や修行にならないようにと言われる
   のは解るのですが、どうしても思考が回り出すと、終えようとしない
   自分に見切りをつけて、呼吸に意識をやると止まったり、乱れていたり
   します。
   それを整えることに意識を置いてやると思考が止みます。
   生きるリズムが合うのでしょうか?

   返事 :
   Tさんへ
   呼吸法について、いろいろ聞かれることがあります。
   でも、正直、呼吸法というものを本格的にやったことがないので
   詳しいことはわかりません。
   ただ自分の体験を通して言えることは、別段呼吸法をやらなくても、
   意識が静まってくれば呼吸も静かになり、意識が深くなれば呼吸も
   深くなるということです。
   それは不思議なくらいです。
   それまでの普通の呼吸がピタリと深~い呼吸に変わります。
   たぶん、呼吸に意識を持っていくことによっても思考は静まるでしょう。
   しかし、それは結果から原因を変えるようなものではないでしょうか?
   それを続けていけば呼吸法に依存する危険が発生しないでしょうか。
   意識が呼吸に支配されれば本末転倒です。
   確かに、呼吸と意識は同時だと思います。
   興奮すれば呼吸は激しくなります。
   しかし、意識を呼吸で静めることは、子供がオモチャに夢中になって
   一時的に静かになるように、ただ思考から意識がそれただけではない
   でしょうか。
   それではまた、いつの日か思考は暴れ出すでしょう。

   思考がグルグル空回りしてどうにもならない時は、どうにもならない
   ままでいたらどうでしょうか?
   それを何とかしようとしないで、そのままでその空回りを見つめるのです。
   徹底的に空回りとひとつになって見つめるのです。
   もしそれができれば、空回りする思考から見つめるほうにポイントが移り、
   思考は静かになるでしょう。
   静かにしようと努力しないで、静かでない思考と共にとどまる、すると
   不思議に思考は静かになります。
   思考が乱れた時に呼吸法を使えば一時的に静めることはできるかも
   しれません。
   が、それでは根本的解決にはならないでしょう。
   そうではなくて、その思考の乱れと共にとどまる時、思考ではない
   エネルギーが流れ込んでくるように思います。
   それが人の意識を変えていくのではないでしょうか・・・   
                   
               K-Communication №21(1991年5月号) より
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   >>無色透明

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別窓 | 風景 | コメント:2
スライドショー
2007-04-14 Sat 06:23
   いつも ”いのちの島=屋久島” に訪問してくださって
   ありがとうございます。<(_ _)>

   いのちの島=屋久島も、昨日で500エントリーを迎えました。
   今日は、これまでの500エントリーの中から選んだ写真と文章を、
   美しいスライドショーにしてみましたので、ぜひご覧ください☆

   *音楽が流れます。
     音量にご注意ください。
     音楽はwma形式です。
     wma形式は、パソコンの設定によっては音が出ない
     可能性があります。
     その場合、掲示板に音が出ない旨を書いていただくと、
     私のわかる範囲で音の出る設定の説明をさせていただきます。
     >>掲示板はこちらです

   スライドショーが終了しますと、自動的にこのサイトへ戻ってまいります。
   ゆったりご覧になっていただけるとうれしく思います。
   それでは、屋久島のいのちの写真と光の言葉のスライドショー 
   >>こちらをクリックしてお入りください

   追記
   接続環境の問題で、画像のDLに時間がかかる方のために
   スライドショーのエンドレスバージョンを追加作成いたしました。
   こちらのバージョンはエンドレスで再生されますので、
   スライドショーを終わりたい方は、戻るボタンをクリックして
   このページへお戻りください。
   >>スライドショーエンドレスバージョン

   いただいたコメントへのお返事がまだできていません。
   今夜遅くになります。
   すみません。しばらくお待ちください。<(_ _)>


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真の自由
2007-04-13 Fri 08:36
                                        『夕陽の上の雲』
夕陽の上の雲ー05-e-sun
    
   真の自由
  
   M さんへの手紙 - 2 -  (昨日の続きです) 

   あなたは、「クリシュナムルティを学ぶことによって、躁鬱病が良くなる
   ことを信じたい」 とおっしゃいました。
   「信じることは、より回復を早める」 ともおっしゃいました。
   はたして、そうでしょうか?
   確かに、クリシュナムルティを学べば良くなると信じ込めば、一時的
   には回復したかのように感じられることがあるかもしれません。
   しかし、それは本当に回復したのでしょうか?
   肯定的なことを信じれば肯定的な結果が、否定的なことを信じれば
   否定的な結果が出る ― ― それは事実かもしれません。
   しかし、それは信じたことの結果でしかないのもまた事実です。
   つまり、それは信じること・イメージすること・想うことによって造り
   出されたものに過ぎないのです。
   ですから、信じることをやめれば、イメージすることを中止すれば、
   あるいは、逆のことを信じれば、別のイメージを作れば、それらは
   終ってしまうのです。
   それは想うことが造り出した幻想ではないでしょうか。
   肯定的な想いも否定的な想いも、いずれも思考の次元にあり、
   コインの裏表に過ぎません。
   それはどちらにも変わり得る同一平面にあり、何時また病気になるかも
   しれないのです。

   そうではない、完全にそのような不安定な次元とは別の回復は
   ないでしょうか。
   信じたり、イメージしたり、何かを意志的にすることによらない全快です。
   それは躁鬱病のメカニズムを、あなたが深いところで理解された時に
   実現するのかもしれません。
   過去を悔やみ、未来を心配し、思い悩むことが不安や恐怖を造り出し、
   それが度重なることによって思考が自縄自縛に陥り、どんどん空回り
   していきます。
   それが慢性的になり、常態化すると医者は鬱病と名付けるのです。
   逆に楽観的な想いやイメージが異常に増幅されると躁状態と名付け
   られるのではないでしょうか。
   いずれも思考が造り出す両極端の状態です。
   それは思考が自分で造り出した幻想の中で、自ら溺れている状態に
   他なりません。
   信じることも、肯定的なイメージを持つことも、またその逆も必要ないで
   しょう。
   必要なことは、ただ静かに自分自身の状態を見つめ、理解することで
   はないでしょうか。
   躁鬱病を理解することが、躁鬱病からの自由ではないでしょうか。
   
                      
   「病む時は病むがよくござそうろう。死ぬ時は死ぬがよくござそうろう。
   これ病死より救わるる妙薬にてござそうろう」 という良寛和尚の言葉を
   読んで、躁鬱病から回復した人の話を、あなたからお聞きしました。
   それは、もしかすると、自分で何とかしようという思いがある限り、
   病気の世界から真に抜け出ることはできないということを示しているの
   かもしれません。
   なぜなら、病気を造り出したのは思考であり、それを治そうとしているのも、
   また同じ思考に他ならないからです。
   ただ思考が見られ、理解され、静まる時にのみ、病気からの自由が
   あるのではないでしょうか。
   これはあなたに限ったことではなく、多かれ少なかれ、健康な人にも
   言えることでしょう。
   思考が異常に空回りすれば、誰でも躁鬱病になる可能性があります。
   心理的な問題は、あなたも私も本質的には同じではないでしょうか。

   ただ静かに注意深く自分自身を見つめていることが、真の自由では
   ないでしょうか。                           

              K-Communication №14(1990年10月号) より
                            >>K-Communication
    
   ☆ぴあの編集後記
   この文章(Mさんへの手紙)をアップに選ぶにあたって、すべての人に
   ”躁鬱病” というところを、”日々の自分の過去から来る根強いイメージ
   や自己限定” に当てはめて読んでいただきたい と思いました。
   ここから読まれた方は、ぜひ昨日の文章から続けてお読みください。
         
   
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無限定
2007-04-12 Thu 10:53
                                        『尾之間の夕陽』
尾之間の夕陽ー01-e-sun
     
   無限定
  
   M さんへの手紙 - 1 -

   あなたは、いつも自己紹介の時 「私は躁鬱病で・・・」 と話されます。
   それは事実を包み隠さずありのままに話している勇気あることの
   ようにも聞こえますが・・・
   はたして、どうでしょうか?
   それは、もしかしたら自己限定になっていないでしょうか?
   あなたは、それは事実であるとおっしゃるかもしれません。
   が、本当にそうでしょうか?
   あなたが躁鬱病で通院しておられるのは事実です。
   しかし、今、この瞬間、あなたは躁鬱病でしょうか?
   あなたが 「私は躁鬱病で・・・」 とおっしゃる時、あなたは過去を今に
   持ち込んでいないでしょうか。
   それは一瞬前までは事実であったかもしれませんが、今は、もう
   過去になっています。
   「今も躁鬱病です」 と、あなたはおっしゃりたいかもしれませんが、
   でも、本当にそうでしょうか?
   それはあくまで過去の記憶ではありませんか。
   今、この一瞬は過去ではありません。
   過去とは全く違う瞬間です。
   あなたが過去に別れを告げ、今に生きる時、そこに何があるでしょうか?
   はたして躁鬱病があるでしょうか?
   全ての過去を取り除いてしまった ”今” には、いったい何が残って
   いるでしょうか?
   何もありません!
   ”今” ― ― それは空白です。
   この真の存在次元には何もないのです。

   あなたが「私は躁鬱病で・・・」とおっしゃる時、それは過去の記憶を
   持ち込んで、”今” を規定しているのではないでしょうか。
   過去が過去のままに置かれ、”今” に持ち込まれない時、 ”今” は
   純粋に空白です。
   その時、過去である 『私』 もありません。
   ”今” この一瞬に 『私』 はないのです。
   『私』 は過去であり、過去が ”今” に持ち越される時にだけ 
   『私』 が存在します。
   人が ”今” に生きる時、『私』 はなく、ただ存在だけがあります。

   しかし、それでも躁鬱状態というのは、事実として ”今” もある、と
   おっしゃるかもしれません。
   しかし、意識は一瞬一瞬変わります。
   その変化する意識を、なぜ過去の病名で規定してしまうのでしょうか。
   名付ければ、それは躁鬱病になってしまいますが、
   もし名付けなければただ一瞬一瞬の意識の変化があるだけです。
   名付けることは、過去によって ”今” を規定することです。
   それは限定であり、事実ではありません。
   過去と全く同じ意識の瞬間などあり得ないのです。
   それなのに、なぜ、あなたは過去と同じ病名を ”今” に付けるので
   しょうか。
   ”今” は ”今” のままに、名付けることなく、限定することなく、
   そのままに置かれる時、そこに無限定の空間が生れます。
   そこには、”躁鬱病” はありません。
   そこにはただ空間 ― ― 仏教的に言えば ”空” があるだけです。
   あなたが 「私は躁鬱病で・・・」 と言い続ける限り、あなたは躁鬱病で
   あリ続けることでしょう。
   そう言うこと自体が躁鬱病を強化し続けます。
   あなたがそう言う度に、躁鬱病であるという自己イメージは
   増殖し続けるのです。
   あなたが 「私は躁鬱病で・・・」 という自己限定を止める時、
   目の前に自由な空間が広がるでしょう。
   真に ”今” を生きるとは、自己限定の一切ない ”空” を生きると
   いうことではないでしょうか。
   それは過去に決別するということです。
   ”今” は一瞬であり、永遠です。
   ”今” は ”空” 以外のなにものでもありません。

                             ・・・明日に続きます  

              K-Communication №14(1990年10月号) より
                            >>K-Communication
    
   ☆ぴあの編集後記
   この文章(Mさんへの手紙)をアップに選ぶにあたって、すべての人に
   ”躁鬱病” というところを、”日々の自分の過去から来る根強いイメージ
   や自己限定” に当てはめて読んでいただきたい と思いました。
   この文章は明日に続きますので、ぜひ続けてお読みください。
         
   
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台風
2007-04-11 Wed 10:08
                                          『早朝の虹』
虹ー21
 
      
   台風

   普段、生活していると、時々、現実からの大きな挑戦がやってくる。
   自我にとっては、まるで台風のように心の中が荒れ狂う。
   とても耐え難いことを言われたり、恥ずかしめられたりすると、
   自分自身を否定されたように感じて、悩み、苦しみ、恨み、哀しむ。
   それは、自我にとって、存亡を賭けた戦いとなる。

   普通、私たちは、台風から家を守るように、必死で自分自身を守ろうとする。
   まず、相手を攻撃してみたり、とても歯がたちそうにないと、自分の殻に
   閉じこもったり・・・
   あるいは、他人や、社会や、政治のせいにしたり・・・
   それでも耐えられないと、救いを求めて宗教へ走ったりもする。
   そうやって、何とか自分を守ろう、立て直そうと必死にもがく。
   しかし、ただ何もすることなく、その挑戦と共にいるということはしない。

   自分のなかの条件付が、挑戦に対してどんどんオートマチックに反応する。
   相手が自分を非難すれば、まず相手を否定し自分を肯定しようとする。
   あるいは、そうなった自分に言い訳を見つけ、何とか弁護しようとする。
   または、どうせ私はダメなのよと居直ってしまう。
   ダメなことで自分を正当化する。
   いずれにしても、挑戦に対し、何らかの言葉で自分を納得させようとする。
   あの人が悪いから、私が悪いから、社会が悪いから・・・
   それらの言葉で、何とか自分自身を維持しようとするのである。
   しかし、それらは、思考が自分を正当化しているに過ぎない。
   自分を正当化している限り、自分のなかの条件付は消えることはない。
   条件付がある限り、現実からの挑戦は繰り返しやってくる。

   挑戦を真直に受け止めることは、言い訳をしないことである。
   一切言語化せず、ただその挑戦と共にとどまる。
   自分のなかの反応を黙って見ている。
   不安、悲しみ・苦しみ、悩み、ねたみ、怒り、恨み・・・それらと共にいる。
   一切、自我で言い訳や解釈をしないで、ただ自我の反応と共にいる。
   その時、言葉を越えた意識の変容が起きる。
   不思議なことだけれども、それは起きる。
   何もすることなく、ただ自己の反応と共にいるだけである。
   その時、台風のように荒れ狂っていた自我の反応は、一転、ウソのように
   静かになる。
   まさに台風一過である。

   現実の挑戦は台風。
   いつやって来るかわからない。
   やって来ると、大雨、大風、私のなかは暴風雨。
   でも、一切私を守ろうとせず、ただ台風と共にとどまれば、
   それはいつの間にか過ぎ去ってしまう。
   その後に、さやわかな青空を残して・・・
   まさに、台風一過のように。

              K-Communication №3(1989年10月号) より
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今に生きれば
2007-04-10 Tue 09:10
                                            『苔の雫』
苔ー46
   
   
   今に生きれば

   私達は先のことを心配する。
   『どうなるんだろう』 
   『何かまずいことが起きはしないだろうか』
   何か未知のことに直面する時、必ず不安が付きまとう。
   (本当は、一瞬先はすべて未知・・・だから心配しだすときりがない)

   しかし、心配すれば心配する程疲れてしまう。
   未来が始まる前に、心配で疲れきっている。
   私達は心配するから、よけい年を取る。
   心配でエネルギーをロスしてしまう。
   心配しても未来が変わる訳ではないのに(それはわかっているのに?) 
   どういう訳か心配する。
   安定が少しでも脅かされそうだと、すぐ心配の方に思考が働いてしまう。
   過去を悔いることも同じである。
   過去は終ってしまっていて、いまさらどうにもならないのに盛んに悔いる。
   これもエネルギーロスで疲れてしまう。

   未来のことを心配することなく、今と共にいれば、そのうち未来は厭でも
   やって来る。
   その時、心配したければすればいい。
   しかし、実際は、その時は ”今” になっているので、心配することは
   できない。
   心配は先のことしかできない。
   今を心配することはできない。
   心配とは先のことを想い描いて不安になることである。

   なにも先のことまで、今心配する必要はない。
   第一、心配するような事態は、今思考が想い描いているだけで現実化
   するかどうかわからない。
   私達はどうなるかわからない未来のことを、一人想像して心配する。

   今に生きれば、今にすべてのエネルギーがフォーカスされる。
   未来や過去に生きれば(想い描けば)、それだけ今のエネルギーが
   逃げていく。
   未来のことや過去のことを一切考えることなく、ただ今だけに生きる。
   そうすれば、ただ現実だけがある。
   思考で想像している未来や、記憶でしかない過去は実際には存在しない。

   未来のことを想い描くことは、現実からの逃避である。
   真剣に生きるとき、人は、今、目の前の現実に生きるしかない。
   未来や過去は幻想でしかない。

   今に生きるとき、不安や心配はない。
   それらは、ただ思考が造りだしているものに過ぎない。
   思考が過去の記憶をもとに、否定的な未来を想像して、一人で不安に
   なっているだけである。
   先のことを考えなければ心配はない。
   一切の想像なく、ただ今に生きれば、そのとき一切の不安や心配もない。
   それが真実に生きるということではないだろうか。
               
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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明晰さ
2007-04-09 Mon 06:51
                                           『安房の虹』
安房の虹ー04-sep


   明晰さ

   混乱している人間のみが、信じたり、行法に励んだりする。
   明晰な人間は、けしてそのようなことはしない。
   なぜなら、明晰さのなかに秩序があり、秩序があるとき、
   外に何かを求めるということはない。
   明晰であること自体が秩序であり、秩序があるとき、
   人は何ものも求めたりはしない。

   私たちの頭脳は明晰ではない。
   幾多の過去、百千万の昨日に条件付けられている。
   まるで磨りガラスを通して外を見るように、混乱し濁っている。
   だから、今の現実をリアルにとらえることができない。
   どうしても、過去のイメージや観念・先入観を通して、現実を
   見てしまう。

   明晰であるということは、カラッポであるということ。
   幾多の過去から自由で、今この瞬間だけにあるということ。
   そのとき、頭脳は透き通るように透明であり、
   心には何の引っ掛かりもない。
   そのようなとき、何かを信じるとか、行法を行うとか、
   そのようなことは一切起きない。
   そういう世界とは全く別の世界にある。
   自我を越えた秩序がそこにある。
   それは何ものも求めたりはしない。
               
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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人類にとっての秋(いま)
2007-04-08 Sun 12:08
                                         『自宅前の虹』
自宅前の虹ー07-sep
 

   人類にとっての秋(いま)

   成長は蓄積過程・・・努力の結果
   解放は排除過程・・・理解の結果

   たくさんたくさん詰め込んで、私たちは成長してきた。
   でも、あまりに詰め込み過ぎて、それらに縛られている。
   いろんなことがあり過ぎて、混乱している。
   延々と蓄積してきた結果が今の私。
   ちょっと重たい? ちょっと疲れてる?
   一生懸命努力してきたのに・・・本当に心のそこから幸せだろうか。
   必死で苦しみや悲しみに耐えてきたのに・・・生き生きと輝いて
   いるだろうか。
   人類の悲惨が私の悲惨。人類の苦しみが私の苦しみ。
   それは、けして個人的な私だけの苦しみではない。
   人類に共通の苦しみである。
   努力してきた結果=蓄積してきた結果=それが今の私=
   私たち人類=その悲惨な現実。
   物も蓄積してきた。知識も蓄積してきた。
   みんなみんな蓄積してきた。
   でも・・・ いくら蓄積しても、ちっとも幸せにはならない。
   まるで青い鳥を捜しているみたい・・・
   いくら捜しても、どこを捜しても、青い鳥の姿は見えない。

   もしかしたら、青い鳥は最初から、
   身近なところにいたのかもしれない。
   何も蓄積しなくても・・・
   今、それに気づく時。
   これまでの蓄積の人生が排除に変わる時。
   延々と努力してきたものが理解に変わる時。
   これまで蓄積してきたものを、一つ一つ、見て、理解して、
   その囚われから自由になる時。
   背負ってきた重荷を、一つ一つ降ろして身軽になる時。
   努力や忍耐ではなく、ただ、見て、理解する。
   理解は自由。
   理解は解放。
   蓄積してきたものを、理解し、解放する・・・
   その時、初めて自由がわかる。
   私たちは自由を知らない。
   生れながらに条件付けられて育ってきた。
   無条件にあらゆるものを受け入れて成長してきた。
   今、改めて、自分自身を見つめ直さない限り、
   自由になることはできない。
   現実の生活の中で、自分自身の反応に気づき、
   自分の条件付を理解する。
   それ以外に、自由になる道はない。

   これまでの何十年、私が生きてきた人生が 『私』。
   私の蓄積の結果が、今の 『私』
   この 『私』 がある限り、自由はない。
   『私』 は過去・蓄積の結果・閉じられた限界のある円。
   この 『私』 が崩れていく時、『私』 ではないものに気づく。
   それは 『私』 とは 『別の私』 ではない。
   もはや『私』 はいない。
   何もない、『私』 がないという状態。
   『私』 という制限が消えた時、そこに宇宙がある。
   青い鳥は、もともと、そこに住んでいる。
   今、私たち人類は、蓄積から排除へ、努力から理解へ、
   成長から解放へ、知識から英知へ・・・
   そういう転換点に来ている。
   それが、人類にとっての秋(いま)である。
               
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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逃避と葛藤 - 2 -
2007-04-07 Sat 07:10
                                  『カラフルな蜘蛛の糸 - 2』
カラフルな蜘蛛の糸ー09-sep
 

   逃避と葛藤 - 2 -   (昨日の続きです) 
 
   反応(感情)を何とかしようとするのは私。
   しかし、その私は、実は反応(感情)そのもの。
   反応と別の私など、どこにもいない。
   反応が、即、私である。
   だから、私が反応を何とかしようとする時、
   同じものが二つに分裂して、お互いに争いあうことになる。
   だから、果てしない葛藤となる。
   私が私を抑圧する?
   一方の私が他方の私を抑圧する。
   しかし、抑圧した私も抑圧された私も同じ私である。
   抑圧する私も、抑圧される私と同じ反応をする私なのである。
   いくら抑圧しても、反応する私は変わらない。
   そこには、ただ、無意味な果てしない葛藤があるだけである。
   自我の中で分離した二つの私の果てしない葛藤。

   この葛藤から自由であるのは、私の感情を私が何とかしようと
   思わない時だけである。
   ただ、感情が出てくるにまかせているしかない。
   それを見ているしかない。
   自我の反応から逃避しない時(抑圧しようとか、コントロール
   しようとか思わない時)、ただ、自我の反応と共にとどまるとき、
   そこには一切、葛藤がない。

   その時、現実が次々と挑戦してきて、自我の反応が次々と
   起きるかもしれない。
   しかし、その度に、ただ黙って見ていることができれば、
   それらは自然と消えていく。
   自我、記憶、条件付け、それらはおのずから解消されていく。
   現実がそれらをいつの間にかほどいてくれる。
   現実から、それらをいつの間にか身に付けてしまったように。

   私たちは何もすることはない。
   ただ現実生活の中で、自我の反応を見ているだけで十分である。
               
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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逃避と葛藤 - 1 -
2007-04-06 Fri 11:18
                                    『カラフルな蜘蛛の糸』
カラフルな蜘蛛の糸ー01-05-nov


   逃避と葛藤 - 1 -

   目の前の屈辱的な現実に、ただ、とどまっていられるだろうか。
   例えば、あなたがバカにされたとしよう。
   その時、あなたはどうするだろう。
   怒り、憎しみ、恨み、そういう感情が吹き出すだろうか。
   あるいは、相手を否定し、自分のイメージを守ろうとするだろうか。

   一切反応が起きなければ、何の問題もない。
   しかし、大多数の私たちは、多かれ少なかれ、なにがしかの
   反応が起きる。
   その反応(感情)と共にとどまっていられるだろうか。
   ただ黙って、その感情を見ていることができるだろうか。
   感情は、次から次に、新たな感情を生み出すかもしれない。
   それでも、黙ってそれに気づいていられるだろうか。
   それを止めようとも、コントロールしようともしないで・・・

   もし、そうできたら、それはいつの間にか静かになる。
   しかし、もし、それらの感情を抑圧したり、コントロールしようと
   したらどうなるだろう。
   それは果てしない葛藤の始まりとなる。
   抑圧すれば抑圧する程、その感情を強めてしまう。
   コントロールしようとすればする程、その感情に左右される。
   ただ、その感情を見ている、気づいているより他に方法はない。
   他のどんなことをしても、その感情を強めるか、一時的に忘れるか
   するだけである。

   反応と共にとどまっていられるかどうか。
   恨み、憎しみ、ねたみ、怒り、恐れ、淋しさ、悲しさ、屈辱感・・・
   何もせずに、それらと共にとどまっていられるだろうか。
   居たたまれずに、それらを何とかしようとしたりしないだろうか。
   何とかしようとするあらゆる行為は逃避である。
   目の前の自分の感情からの逃避。
   逃避すればする程、問題を複雑にする。
   それは、新たな問題を付け加える。

                       ・・・明日に続きます
  
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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直面すること - 2 -
2007-04-05 Thu 09:27
                                           『苔の雫』
苔ー50
   

   直面すること - 2 -   (昨日の続きです)

   様々な反応が起きた時 それと一緒にいる
   怒りの時も 哀しみの時も けして目をそらさない
   そうすれば それは別のものに変容する 何かに変わってしまう
   直視すること 直面すること けして逃げないこと
   その時 言葉では表現できない変容が起きる

   直面するには エネルギーがいる 勇気がいる
   エネルギーがないと直面できない 直面するのが怖い
   しかし 怖がっている限り それは逃避でしかない
   問題に直面しない限り けして解決されることはない
   自分を捨てるぐらいの覚悟がないと 恐怖には直面できない
   しかし 直面できた時 初めて 変容が起きる

   小さいことから 身近なことから 日常のありふれたことから
   一つ一つ見ていくことである
   一切判断せず そんな自分を責めないで ただ 優しく包んで
   あげること
   ただ 静かに ありのままの自分と一緒にいる
   何もすることなく その問題と一緒にいる
   反応し 苦しみ 悩んでいるエネルギーと共に そのままとどまる
   その時 苦しみのエネルギーは別のものへと変容していく
   見られることにより 触れられることにより 別のものへと変わっていく

   ただ 直面できるかどうか それがすべてである
   一切の知識はいらない それは何の役にもたたない
   ただ 直面できるかどうか
   逃げている限り 私たちに救いはない  
                  
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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直面すること - 1 -
2007-04-04 Wed 08:13
                                            『苔の雫』
苔ー49
 

   直面すること - 1 -

   何もなくて ただ あるという状態
   自分が何者でもなくて ただ あるという状態
   自分自身の中の 現実に対する様々な反応を 
   ただ 気づいている状態
   現実そのものに のめり込んでいるのではなく 
   ただ 気づいている状態
   思考ではなく 思考を越えた 存在そのものの状態
   自我の反応全体を 包み込んで 気づいている状態

   自我の反応が起きると それに気づく
   あたかも 風のない湖面に 石が一個投げ込まれたように
   波紋が起きる 波紋を感じる
   そして そのまま見ている 波紋が消えるまで
   何もしなければ 波紋は自然に消える
   しかし 石を取り出そうとしたり 波紋を止めようとすると
   なおさら 波紋は大きくなる
   何かをすればするほど 波紋はとめどなく広がっていく

   ただ 波紋を見ている 自分自身の反応を見ている
   気づかないうちに これまでの人生の中で作ってしまった条件付け
   それが 現実の挑戦に反応する様を 静かに見ている
   ある時は楽しく ある時は苦痛に満ち 一喜一憂 喜怒哀楽
   様々に反応する私
   その私の反応に ただ 気づいている
   一切 良いも悪いも言わず 一切 判断せず ただ 黙って見ている
 
                               ・・・明日に続きます
  
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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『私』 の成立 - 2 -
2007-04-03 Tue 10:24
                                           『木霊の森』
木霊の森-15
 

   『私』 の成立 - 2 -  (昨日の続きです)

   こう言ったら、他の人は 『私』 のことを何と思うだろう。
   『私』 は、あの人にどのように思われているだろうか。
   こんなことをしたら 『私』 はみんなから嫌われてしまわないだろうか・・・
   『私』 ができると、絶えず 『私』 を意識しているようになる。
   小さな子供は、けしてこのような意識を持っていない。
   『私』 は、あらゆる場合に意識の片隅に絶えずあるようになる。
   その時 『私』 は自由ではなくなる。
   『私』 という牢獄に閉じ込められてしまっている。

   『私』 は他との関係によって生じる。
   他と比較することによって 『私』 が生れる。
   もし他がなければ 『私』 もない。
   自他は同時存在であって、けして一方だけで存在することはできない。
   つまり、『私』 は絶対的なものではなく、相対的なものである。
   比較によって生じたイメージに過ぎない。
   しかし、いったん 『私』 のイメージができてしまうと、
   あたかも 『私』という実体があるかのように思い込んでしまう。

   『私』 が考え、『私』 が行動する。
   すべてが 『私』 を中心になされる。
   『私』 が世界の中心となり、『私』 なしでは世界も無いに等しい。
   『私』 以上に価値のあるものは存在せず、
   すべてが 『私』 のために存在する。
   『私』 が幸せにならないなら、『私』 以外のすべての人の幸せは
   ほとんど意味がない。
   『私』 の重要性が極まれば、永遠の『私』=『魂』 を作りだす。
   死後も 『私』 が重要なのである。
   『私』 の絶対化。
   『私』 は『神』である。

   この 『私』 を維持するために、他と様々な争いが生じる。
   それが 『私の人生』 となる。
   これが世界の現状である。
   『私』 という幻想を持つが故の人類の悲劇である。
  
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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『私』 の成立
2007-04-02 Mon 11:54
                                           『木霊の森』
木霊の森ー14
 

   『私』 の成立

   赤ちゃんや小さい子供には 『私』 という自覚はない。
   自然な本能や感覚・感情はある。
   しかし、自他を分離するものとしての 『私』 はない。
   『私』 は自分自身について持っているイメージである。
   イメージ形成力ができるまで 『私』 を持つことはできない。
   イメージを作るのは思考である。
   ある程度の思考力がないと 『私』 はあり得ない。

   記憶は生れた時から働いているが、ある程度記憶が蓄積されないと、
   記憶の反応としての思考は本格的に機能し得ない。
   なぜなら、記憶の絶対量が足りないと思考のベースである比較が
   できない。
   比較し、類推しないと思考力は発達しない。

   小さい子供は思考力が発達しているようには見えない。
   記憶の絶対量が少ないため、思考にもおのずから限界がある。
   子供はすべての体験をそのまま記憶として蓄積していく。
   それと共に、記憶の反応としての思考力も叙々に発達していく。
   やがて自分と他人との違いをいろんなことで感じるようになる。
   外見・受け止め方・反応の仕方・行動パターン・・・
   まわりからも 『あなたは良い子、あの子は悪い子』 と、自他を区別
   させるような言い方が絶えずなされる。

   思考力が発達すると共に、事実としての自他の違いから、
   いつの間にか 『私』 のイメージを持つようになる。
   『あの子はああいう子だ、私はこういうものだ、私とあの子は違う』
   それが 『私』 の始まりである。

   一人一人の外見や反応の違いは事実である。
   しかし、それをあるイメージに固定化し自他を区別する時(意識する時)、
   『私』 が生まれる。
   初めはぼんやりと、やがてはっきりと・・・
   そして、いったん 『私』 のイメージが確立されると、それはひとり歩き
   を始める。
   すべては 『私』 を中心に体験され、記憶される。
   それらが蓄積されることにより 『私』 はますます強固になる。
   『私』 は定着し永続化するようになる。
 
                     ・・・明日に続きます
  
              K-Communication №3(1989年10月号) より
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白紙の器
2007-04-01 Sun 11:08
                                    『立神岩から見える海』
tatigamiiwa-02
  

   白紙の器 

   今を過去に支配させない。
   今が過去に支配されると、人生は重苦しくなる。
   楽しさは消え、夢も希望もなくなってしまう。
   過去はあくまで参考として活用するだけ。

   今ここには何もない。
   白紙。
   ただ学びがあり、気づきがある。
   ただ喜びがあり、楽しさがある。

   今ここには、何も問題はない。
   問題は、過去のもの。
   脇に置いておく。
   ベースは、白紙。

   大きな白紙の中のほんの一部に過去がある。
   片隅の方に記憶がある。
   心の傷も心の痛みも、片隅にあるだけ。
   すべては白紙という大きな器の中にある。

   その白紙の器をベースにして生きる。
   間違っても、片隅の心の傷や痛みをベースとしない。
   過去や経験を自分の依って立つ土台とはしない。
   基本は、今ここ。

   今ここは、大きな白紙。
   無限の可能性と、無限のキャパシティを持っている。
   自分が限定しなければ・・・
   すべては自分の切り取りしだい。
  
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