いのちの写真と光の言葉
夕陽の川
2006-08-31 Thu 11:13
夕陽の川
  

   傷つくということ - 2   (昨日の続きです)

   思い込みが外れた時、事実が、リアリティが見えるのかもしれません。
   それまでは自分の世界の中で生きているだけなのかもしれません。
   時々、思い込みを修正しながら・・・

   実は、自分の常識こそが「私」そのものなのですね。
   「私」というのは、いろんな思い込みの総体です。
   自分自身に対するイメージでもあり、自分の意見や考えでもあり、
   自分の容姿でもあるのですね。
   それは事実ではなくて、すべてイメージなのです。
   つまり、思い込みです。
   そう、人は思い込みでできあがっているのですよ。
   そんなバカな?
   自分の実体が思い込み?
   なんてことを言うの?
   ハイ、傷つきましたか。
   あなたの自分に対する思い込みと、まったく別のことを言われると
   傷つくのですね。
   あなたは自分がイメージの固まりだとは、露ほどにも思っていないでしょう。
   だから、そんなことを言われると傷つくのです。
   あなたのプライドが許さないのです。
   あなたは自分のことを思い込み以上の存在だと思っているのです。
   だから、思い込みと違うことを言われて傷ついているだけです。
   それが事実です。
   事実を見ましょう。

   私は神の子?
   私は永遠の魂?
   それもイメージではありませんか。
   それも思い込みではありませんか。
   あなたは本当に自分が神の子であることを自覚していますか。
   あなたは本当に自分が永遠の魂であることを知っていますか。
   誰かから聞いたとか、何かの本で読んだとか、そういうことではありませんか。
   真実わかっているのですか。

   もし本当にわかっているのなら、そのように生きていますか。
   神の子のように生きていますか。
   永遠の魂のように生きていますか。
   思い込みではなく、真実の人生を生きていますか。

                              (明日に続きます)
            
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夕陽の川上杉
2006-08-30 Wed 15:15
夕陽の川上杉


   傷つくということ - 1 

   プライドとは、過去の積み重ねでつくりあげてきた「私」を大切に
   しようとする自己防衛。
   そのプライド=「私」という安定を崩された時に、傷つくのですね。

   つまり、「私」というイメージ=思い込みが否定された時に、
   傷つくようですね。
   自分の思い込んでいる「私」と違うことを言われると、傷つくのですね。
   ところが、逆に思っている以上に評価されると、今度はプライドが
   くすぐられます。
   自分の持っている「私」のイメージに対して、
   どのように評価されるかによって、傷ついたり、有頂天になったり
   するのですね。
   つまり、外側の評価で自分の感情が左右されるということですね。
   基準は、「私」という自分の思い込みです。
   その思い込み以上であれば喜び、思い込み以下であれば
   悲しむのですね。
   傷つくとは、結局、自分に対する評価が極端に低かった
   ということでしょうか。
   予想を遙かに超えて低いと、ショックのあまり傷つくのですね。
   多少のことなら耐えられるのですが、あまりにも低いと限度を
   超えてしまう?
   どうも、それが傷つくということのようです。

   人は自分に対する「私」というイメージを持って、
   それなりに安定しているのですね。
   ところが、そのイメージを否定するようなことを言われると、
   その安定が崩れてしまいます。
   自分が自分でいられなくなってしまうのですね。
   これまでの安定した自分ではいられなくなってしまう。
   不安定になって、深く動揺することが傷つくということでしょうか。

   「私」=プライドというのは、自分にとって城のようなものでしょうか。
   そこに居座って世間と対峙しているのですね。
   だから、その城が落ちようとすると、必死で守ろうとするのですね。
   まるで城が自分自身でもあるかのように。
   それこそ最後の砦なのですね。


   人は自分の思い込みの人生を生きています。
   別の人はまた別の思い込みの人生を生きています。
   それぞれが自分の思い込みの人生を生きているのです。
   どこにふれあいがあるでしょうか。
   どこに心の交流があるでしょうか。
   人はみな自分の人生を生きているだけではありませんか。
   思い込みと思い込みの人生。
   どこに真実があるでしょうか。
   どこにリアリティがあるでしょうか。
                            (明日に続きます)
            
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ヤクシマシャクナゲ
2006-08-29 Tue 12:58
石楠花ー13-june
  

   内なる愛

   一人の淋しさから、個の孤独から、人は愛されることを求める。
   しかし、それが苦の始まりとなる。
   誰一人、望みどおりの愛を与え続けてくれる人はいない。

   愛 ― 唯一、人を心から満たすことのできる泉。
   宇宙の果てまで青い鳥を捜し求めても、
   愛の不死鳥を発見することはできないだろう。
   永遠に変わることのない愛は、ただ己の内にしか見出せない。
   それを発見し、それを生きることによってしか、
   愛に満たされる術(すべ)はない。
   外に求めている限り、いつまで経っても手の届かぬ青い鳥であろう。
   内を見つめることの中でのみ、人は不動の愛を発見する。

   救世主もマイトレーヤーもいらない。
   意識がそれら外のものに向いている限り、
   内なる愛を発見することはできない。
   静かに静かに自己に潜んでいく時にのみ、人は愛に出会う。

   愛に出会うことと、愛を生きることは同じではない。
   瞬間的に、人は内なる愛に出会うことができる。
   しかし、常に愛を生きることは限りなく難しい。

   愛を邪魔するもの(自我=思考)が理解されない限り、
   愛はそのまま現われることできない。
   それは、自我を通して脚色された愛となる。
   自我=思考が、その役割と限界を理解し、自ら静まる時にのみ、
   愛は静かに花開く。

   観念が外れた先で出会う愛こそが真実の愛である。
   愛はイメージでも信仰でもない。
   愛とは 『私』 がないことである。
   『私』 がないが故に全体とつながっている。
   全体とつながっているが故に即座の行為ができる。

   人は愛を生きる時にのみ、真の安らぎを感じることができる。
   内なる愛に生きるより他に、真に満たされる道はない。

                         K-Communication №13 より
   

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ヒメハギ
2006-08-28 Mon 13:41
ヒメハギー06-may
  

   あるがまま

   『あるがまま』 というのは、自我我欲そのままの 『ありのまま』 とは違う。
   それも現実には違いないが、それとは違う 『あるがまま』 がある。
   それは思考や記憶の層よりも深く静かになっていく時に現われてくる。
   それは生まれてから今日までの条件づけが一切ない意識の状態である。
   静かに静かになっていく時、ただそのままの状態で安らぎが溢れてくる
   ところがある。
   そこには自他の区別のない愛が存在している。

   『あるがまま』 は、そのままで一切不足がない。
   溢れるような愛が全てを包んでいる。
   そこにある時、見栄や外聞や欲望などは全くなく、ただそのままで
   満たされている。

   人はどの深さで生きているだろうか?
   波立つ表面で生きているだろうか?
   それとも深い湖底の静謐の中で生きているだろうか?
   『あるがまま』 は湖底の静謐、『ありのまま』 は波立つ湖面。
   『あるがまま』 が 『ありのまま』になる時、
   湖底の静謐が湖面に浮かび上がる時、
   条件づけられ断片化された喧騒の生から、
   全体とつながった静かさの生に変わるだろうか。

   日常的に、その 『あるがまま』 で生きることが、
   何の無理もない安らぎに満ちた自然な生き方のように思われる。

                            K-Communication №13 より
   

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船と虹
2006-08-27 Sun 15:10
虹ー12
  

   悲しみ

   自分の顔の中に 悲しみがある
   長い長い間に 蓄積してきた悲しみである
   自分の顔を鏡でよーく見ると それがはっきりとわかる
   悲しさ 淋しさ 辛さ 恨み 妬み 憎しみ・・・
   それらのものが ぎっしりと詰っている

   それをじーっと見ていると 涙がにじんでくる
   そういう人生を生きてきた
   一人淋しく 辛く せつなく・・・
   そういうものがすべてプリントされている
   そういうものが まだ心の奥で密かに息づいている
   それらをクリアーしない限り 本当に自由になることはできない
   心から人を許すことはできない
   それがとてもよくわかる
   まだまだ自分の中に満たされない思いが 
   たくさんたくさん詰っている
   過去の満たされたかった思い そして満たされなかった思いが
   ヘドロのようにこびりついている
   暗く 淋しく 辛かった思いが圧縮されて 
   かたくなに固まってしまっている
   それが生きることをぎこちなくさせる

   それを見ていると 涙があふれてくる
   胸の中から 熱いものが込み上げてくる
   その熱いもので この冷たいものを すべて溶かし去らなければ
   ならない
   涙と共に すべて拭い去らなければならない
   そうしない限り この悲しみは いつまでも付いてくる
   そうしない限り 人を真に愛することはできない

   この悲しみは 私一人の悲しみではない
   人類共通の悲しみである
   あなたも あなたも あなたも・・・
   ほとんどの人が共有する悲しみである
   この悲しみを 消し去らなければならない
   すべての人の心から 消し去らなければならない
   そのとき 初めて笑顔がもどる
   作り笑いではない 真の笑顔が輝く

   悲しみは 慈しみを呼び起こす
   その悲しみが やがて愛に変わっていく
   もし それから逃げなければ・・・
   もし それを直視することができれば・・・
   もし それと共に留まることができるならば・・・
   そのとき 悲しみは愛に変わる
   すべての悲しみが すべて愛へと変わっていく
   人が悲しんだ分だけ 涙と共に愛へ変わる
   沈黙のなかで 愛が悲しみを抱きしめる

                        K-Communication №8 より
   

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朝陽 - 3 種子島の上の朝陽
2006-08-26 Sat 12:09
朝陽ー03-r
  

   記憶からの自由 - 3   (昨日の続きです)

   自分とは何か。
   『私』とは何か。
   何によってできているのか。

   それらが真に理解される時、自分からの自由がある。
   過去からの自由。
   記憶からの自由。
   反応からの自由がある。

   それらが理解されるまでは、過去に縛られ、記憶に翻弄され、
   反応のままに生きる人生となる。
   記憶は記憶。
   それが絶対ではない。
   単なる記憶。
   記憶と離れた意識というものもある。
   記憶のない意識。
   記憶以前の意識。
   記憶と自己同一化していない意識。
   思い込みのない意識。

   そういう意識がベースにあって、記憶を活用する。
   自己保存の本能と共に、それに支配されることなく生きる。
   自分というものの成り立ちを理解し、自分に振り回されないで生きる。
   感覚や感情や思考の性質を理解し、それらと共に生きる。
   記憶のメカニズムを理解し、記憶に翻弄されないように生きる。

   記憶からの解放。
   記憶からの分離。
   記憶の理解。
   記憶に左右される人生からの離脱。

   記憶依存。
   記憶ベースの生き方を問い直す必要がある。
   『私』とは、記憶なのだから。
   自分とは、記憶なのだから。

   記憶から離れた時に、何があるだろうか。
   それは自分で見出すしかない。
            
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朝陽 - 2
2006-08-25 Fri 11:40
朝陽ー02-r
  

   記憶からの自由 - 2   (昨日の続きです)

   自分とはイメージであり、思い込みだから、それを変更すればいいだけ。
   ポジティブな記憶だけを集めて、自分というものを創り上げてみる。
   ネガティブな記憶だけを集めて、自分というものをイメージしてみる。
   ポジティブな自分になったり、ネガティブな自分になったりする。
   普通はポジティブとネガティブをミックスして自分というものを創り上げる。
   その割合が人によって異なる。
   それによって、自分はポジティブな人間とかネガティブな人間とか思い込んでいる。
   その調合の割合を変えれば、自分というものも変わる。

   自我という実体はない。
   記憶の集合体。
   思い込みの集合体。
   その反応の集合体に他ならない。

   ベースに自己保存の本能というものはある。
   それに思考が絡まって、いろんなイメージを創り上げる。
   そのイメージの自分をベースに生きるようになる。
   「私はこうしたい」
   「私はこう思う」
   『私』の実体は不明のまま、『私』に翻弄される。
   『私』とは何だろう?

   記憶ベース。
   過去ベース。
   思い込みベース。
   反応ベース。
   それ以外に『私』がいるだろうか。

   選択された記憶の中から、更に選択された自己イメージ。
   それは自己増殖する。
   自己イメージから、また記憶するようになる。
   自己イメージから、記憶を選択する。
   自己イメージが好む記憶のみが記憶される。

   自我とは記憶の集大成。
   自我とは過去の集大成。
   自我とは思い込みの集大成。
   自我とは反応の集大成。
  
                         (明日に続きます)
                      
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朝陽
2006-08-24 Thu 15:38
朝陽ー01-r
  

   記憶からの自由 - 1

   今夜は新月。
   新しいスタート。
   あなたは何をスタートさせるのだろうか。

   車の運転をする。
   周りの景色を一々覚えてはいない。
   特に通い慣れた道なら、何か目新しいものがない限り、
   ほとんど記憶には残らない。

   ところが、虹が出ている。
   車を止めて写真を撮る。
   それは明らかに記憶される。
   日常的なものは記憶に残らないが、インパクトの強いものは
   記憶に残る。

   人はすべてを記憶している訳ではない。
   選択して記憶している。
   その選択された記憶から、自分というイメージが形成される。
   自分というイメージは、無選択に決まったものではない。
   無意識あるいは意識的に選択されたものだ。

   選択したつもりはない?
   しかし、見たすべてが記憶されている訳ではない。
   同じ景色を見ても、同じ状況に出会っても、みんなが同じものを
   記憶するとは限らない。
   明らかに記憶内容は異なる。
   なぜなら、自分の見方と共に記憶されるから。
   記憶される対象も違えば、記憶の内容も異なる。
   それぞれが自分で選択している。

   自分で選択した記憶の中から、自分というイメージを創り上げる。
   それは事実からではなく、主観的記憶から創り上げられる。
   主観的な記憶から、更に主観的に選択されたもので自分という
   イメージができあがる。

   人生のいろいろな出来事の中から、自分のチョイスで記憶する。
   それらの中から、自分というイメージを創り上げる。
   自分とは、自分で創り上げたもの。
   ということは・・・
   いかようにも創り変えることができるということでもある。

                                   (明日に続きます)
                      
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揺れる夕陽
2006-08-23 Wed 15:30
夕陽ー04
  

   創造の花

   人は成長して何かに成るのではなく、元々内在するものが、
   この物質次元で花開くだけのことではないでしょうか。
   次々に次元の扉が開き、次々に可能性の花が開いていきます。
   その可能性とは宇宙の創造です。
   各次元が物質次元と接触する時、次々と物質次元で花を咲かせ
   ます。
   しかし、物質次元に飲み込まれてしまえば、それは物質的な花と
   なります。
   物質次元に屈することなく、物質次元と調和した時にのみ、
   この物質次元に素晴らしい創造の花を咲かせることができます。

   肉体感覚や感情に支配されず、思考に翻弄されず、それらと共に
   調和して生きることが真の創造的生き方ではないでしょうか。
                       
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夕陽のウインク
2006-08-22 Tue 11:38
夕陽ー02
  

   空

   今の無の空間が過去の条件づけを包んでいます。
   今、この瞬間は空です。
   しかし、過去も記憶として同時に、潜在的に存在しています。
   それが関係の中で反応します。
   反応は出てくる時に気づくしかありません。
   しかし、重要なのは反応ではなく、今の空です。
   この何の限定もない、限りない広がりが真実です。
                                        
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苔と光
2006-08-21 Mon 16:39
苔ー18
  

   自覚 - 2

   全ては自覚から始まり、自覚を超えていきます。
   自覚とは自分自身を見ることです。
   それによって、身体や心の不自然な部分が癒され、
   自我が消えていきます。  
   そして、見る部分だけになる時、
   見るものと見られるものとの分離が消滅します。
   その時、見るものも見られるものもない、
   自他の分離のない世界に溶け込んでいくのではないで
   しょうか。


   心と身体がリラックスする時、流れ来る愛のエネルギーが
   全てを癒していきます。
   人は何もすることはありません。
   見ることは理解であり、同時に、愛のエネルギーです。
                                        
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新芽たち
2006-08-20 Sun 14:16
新芽たちー30-a
  

   自覚

   自覚することがエネルギーが流れるきっかけになります。
   それは身体の傷も心の傷も同じです。
   心と身体の冷たく固くなっている部分を意識していると、
   やがてそこにエネルギーが集まり、暖かくなります。
   癒すのは『私』ではなく、エネルギーそのものです。
   身体の場合はそれを自然治癒力と呼びますが、
   心の場合も全てを生かす生命エネルギーが自然に癒していきます。
   身体の場合も、心の場合も、痛みや不自然さが自覚を促しますが、
   それをはっきりと意識するかどうかが、速やかなヒーリングに繋がる鍵に
   なります。
   ヒーリングは自覚すること、意識することによって早まります。
                                        
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木霊の森
2006-08-19 Sat 11:31
木霊の森ー21-july
  

   水 - 2  

   人は自然を大切にしてこなかった
   自然は荒廃し
   人の心も荒廃した
   人が自然を壊し
   自らの心までも壊してしまった

   美しい自然があるところに
   美しい心が芽生える
   美しい自然を見て
   人は美しく育つ
   汚れた自然の中では
   美しい心は育ちにくい

   浄めの水を汚(よご)してしまって
   何が人を浄めてくれるのだろうか
   美しい自然を汚(けが)してしまって
   何が人を癒してくれるのだろうか

   自然が壊れれば
   人の心身も壊れる
   自然が本来の姿をなくせば
   人も不自然になるしかない

   清い水が復活する時
   人の心も清くなる
   自然が本来の姿に戻る時
   人も本来の自分を取り戻す

   人は忘れてしまったのだ
   自然と共に生きることを
   美しい自然がいかにすばらしいかを

   水には自我がない
   黙ってすべてを浄めている
   透き通るように透明な水は
   ひたすらすべてを浄めている

   透明な水が
   透明な心を育てる
   無私の
   自我のない
   すべてのために生きる心を育てる
   水のように透き通った心を育てる
                                        
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木霊の森
2006-08-18 Fri 11:14
木霊の森ー22-july
  

   水 - 1  

   水はすべてを浄める
   自然にあっては川となり
   肉体にあっては血液となって
   すべてを浄めている

   人は水を使い
   体を浄め
   食べものを浄める
   水を使って食器を洗い
   衣服を洗う
   水によって
   すべてを洗い浄めている

   雨となった水は樹木を洗い
   川となった水は田畑を潤す
   海に至った水は海の生き物に餌を与える

   水には自我がない
   水は方円の器に随(したが)う
   汚れたところや入り組んだところを避けたりはしない
   ただ高きより低きに流れるだけ
   すべてを浄めながら流れるだけ

   屋久島の水は美しい
   山間(やまあい)から海辺まで
   すべての水が透き通っている
   本来の水が生きている

   美しい水を見ることによって
   人の心までが浄められる
   汚れた水を見て
   人の心は潤うだろうか
   日本のほとんどの川は
   本来の姿をなくしてしまった
   川が汚れれば
   人の心も汚れる
   人の心が汚れれば
   すべての自然が汚れてしまう

   人の心が不自然だから
   川も不自然になった
   人が本来の心をなくしてしまったから
   川も本来の姿をなくしてしまった
                                         
                 >>日記 無色透明 より    全文は >>こちら

   

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雛桔梗
2006-08-17 Thu 13:10
雛桔梗ー23-june
  

   可能性 - 2  (昨日の続きです)

   今は不可能に思えることも
   将来は可能になるかもしれない
   今はとんでもないように思えることが
   明日になれば事態が変わるかもしれない
   未来は不確定
   不確定なものは不確定なままにしておく
   けっして決めつけない
   自分の狭い人生経験で決めつけない
   あらゆる可能性を残しておく
   空白のままにしておく

   けっして諦めない
   けっして否定しない
   そのままにしておく
   可能性を含ませておく
   すべての種に花開く可能性が宿るように

   無理だと決め込まない
   できないと決めつけない
   そのままにしておく
   ニュートラルにしておく
   そうすれば可能性は残る
   否定すれば可能性が死ぬ
   自分が決めたことによって
   可能性の芽がつぶれる

   そのままにしておく
   ありのままにしておく
   色を付けない
   否定しない
   そうすれば自然に変わる
   自然に動く
   可能性の芽が出る

   無限の無限の
   可能性を殺さない
   無限の無限の
   可能性を残す
   すばらしい可能性に満ちた宇宙を
   そのままにしておく

   自分の運命を
   否定的に決めつけない
   運命の流れを見守る
   流れと共に進みながら
   流れを楽しむ
   無限の無限の可能性を楽しむ

   未来は不確定
   未来は可能性の銀河
   一瞬先は可能性の渦
   無限の無限の可能性
   無限の無限の可能性宇宙
                                          
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オオゴカヨウオウレン
2006-08-16 Wed 13:59
オオゴカヨウオウレンー05-may
  
   可能性 - 1

   可能性を残しておく
   できない
   それは無理だ
   とは言わない
   常に可能性を残しておく

   わからないことや
   難しいことは
   そのままにしておく
   けっして
   できないとは言わない
   今はわからない
   今は難しい
   でも先のことは何とも言えない

   できるわけがない
   絶対に無理だ
   とは言わない
   言ってしまえば
   そこですべてが終わる
   可能性がまったく消えてしまう
   だから
   可能性だけは残しておく
   常に
   いかなる時も
   未来は不確定

   否定的に確定させない
   もう無理と決めつけない
   今は難しい
   今はうまくいかない
   でも
   将来はわからない
   だから
   今はできないだけ
   今は難しいだけ

   今は無理でも
   今は考えられなくても
   可能性だけは残しておく
   常に可能性だけは残しておく
   なぜなら
   それが真実だから
   常にあらゆる可能性に満ちているから

   奇跡も起きる
   ミラクルもある
   人生はわからない
   けっして決めつけない
   残しておく
   あらゆる可能性を
   それが自由というもの      (明日に続きます)
                                           
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木霊の森の木霊たち
2006-08-15 Tue 12:46
木霊の森ー01-july
  

   無垢の愛 - 5

   無垢の愛というのは、所有することはできないんだね。
   それは生きものだから。
   所有すれば、それは死んだものになり、執着となる。
   もはやそれは無垢の愛ではない。
   所有しないで、ただそれを生きるしかない。
   無垢の愛が自然に発露するのを生きるしかない。
   全てが自然な行為なんだね。
   作為がない。
   作為があるところには、無垢の愛はない。
   無作為の時にのみ、無垢の愛はあり得る。
                                        
                 >>日記 無色透明      >>コメント欄より

   

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永田いなか浜よりの口之永良部島
2006-08-14 Mon 12:54
永田いなか浜ー03
  

   無垢の愛 - 4

   逃げない。
   目の前の不安や心配や恐れから逃げ出さない。
   それと一緒にいる。
   何も持たずに、ただそれと一緒にいる。
   自分を慰める道具を一切持たないで、裸で対峙する。
   自分の不安や心配や恐れを慰めてくれる、本や宗教や観念に依存しない。
   自分は神の子だから大丈夫、自分は輪廻転生するから大丈夫、
   自分は魂だから大丈夫、もうすぐアセンションが起きるから大丈夫、
   もうすぐメシアが現れるから大丈夫、ありとあらゆる安心させてくれるアイテムを
   放棄する。
   自分を支えてくれるものを何も持たない。
   ナッシング。

   自分さえない。
   信念や信条や信仰。
   主義や主張や概念。
   先入観や固定観念や偏見。
   全て思い込み。
   思い込みで築いた自分さえ持たない。
   何も持たない。
   空っぽ。

   全てのものを手放し、何も所有しないで生きていけるだろうか。
   不安や心配や恐れと共に生きていけるだろうか。
   もしそのように生きることができたら、その時、不安や心配や恐れは
   存在しないかもしれない。
   何もない。
   そう、不安や心配や恐れさえない世界。
   何もない。
   人間らしいものは何も残らない。
   人間らしいものが消えた先にあるのは・・・
   それは一人一人が実感するしかない。
   言葉で言えばイメージとなる。
   それは先入観となり、真実の体験を妨げる。

   何も持たずに生きることができるだろうか。
   何の保証もなく生きることができるだろうか。
   全てを剥(は)ぎ取られて裸で生きることができるだろうか。

   全てを捨てれば、パラダイスが保証される!
   それでは物々交換。
   ギブ・アンド・テイクの今の社会と何ら変わらない。
   そのパラダイスさえ怪しいものだが、信じる人は多い。
   しかし、それは自分の不安や心配や恐れからパラダイスへ逃避している
   だけのこと。
   何も根本的には解決していない。
   たぶん、そのパラダイスとやらにも、不安や心配や恐れはあるに違いない。
   なぜなら、全て持ち越しているのだから。
   何も本質的には解決されていないのだから。

   いかなる保証も、いかなる見返りも欲しないで、全てを手放すことができる
   だろうか。
   当然、その時は自分というものは死ぬ。
   精神的に存在しなくなる。
   そこまでできるだろうか。
   究極は、それが問われる。
                                        
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龍の舞い
2006-08-13 Sun 12:40
龍の舞い
  

   無垢の愛 - 3   (昨日の続きです)

   なぜ?
   そこは安住の地。
   自分が守られているところ。
   高い壁を造り、外敵を遮断してあるところ。
   自分のベース。
   自我の源。
   最後の砦。
  
   道は遠い。
   果てしなく遠い。
   気が遠くなりそうだ。
   自我のジャングルに一歩足を踏み入れると、そこは複雑に入り組んだ思いや
   感情の迷路。
   それらのジャングルを整理し、見通しのよいものに変えることが、はたしてできるの
   だろうか。
   できるという保証はない。
   しかし、できないという保証もない。
   いかなる保証もない。

   人は安全の保証を欲しがる。
   しかし、この世に絶対安全などというものがあるだろうか。
   全ては変化している。
   変化しているものに絶対はない。
   どこにも保証はない。
   それが事実。
   その事実と共に生きていくことができるだろうか。

   不安?
   心配?
   恐れ?
   そういう気持ちが沸き上がる。
   それもまた否定することはない。
   それらのものを無理に抑えても、歪んだ形で別のところから吹き出すだけ。
   ただ事実と共にいる。
   不安や心配や恐れと共にいる。
   それができるだろうか。

   この世は何の保証もない。
   そういう事実と共にいることができるだろうか。
   そのような現実から目を背けないで、事実と共にいることができるだろうか。
   不安や心配や恐れをなんとかしようとせず、ただそれらと共に留まる・・・

   不安や心配や恐れをなくすために、お金を貯め、人脈をつくり、新興宗教に入る。
   精神世界の本を読み漁り、バカ高いセミナーへ出席する。
   不安や心配や恐れをなくすために、ありとあらゆることに手を出す。
   それによって、一時的に不安や心配や恐れがなくなることがあるかもしれない。
   しかし、それは長続きはしない。

   大丈夫だよと何度も自分に言い聞かせる。
   何かを信じ込み、自分を安心させる。
   メシアが現れる、アセンションが起きる、生まれ変わりがある・・・
   それらは、みな思い込み。
   思い込みによって自分を安心させようとする。
   しかし、それはただ蓋(ふた)をしているだけ。

   元々は自分の不安や心配や恐れと一緒にいれなかっただけ。
   それで外に救いを求めただけ。
   外で発見したものを自分の不安や心配や恐れの上に覆い被せただけ。
   実体は何も変わってはいない。
   ただ蓋をして、怖いものから目を逸らしているだけ・・・

   事実を直視する。
   事実と共にいる。
   それができるかどうか。
   ただ、それだけなのだ。           (明日に続きます)
                                        
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滝壺の虹
2006-08-12 Sat 12:37
滝壺の虹ー21-d
  

   無垢の愛 - 2   (昨日の続きです)

   信じれば、危なくなる。
   疑えば、怪しくなる。
   信じることも疑うことも先入観となる。
   最初から先入観を持って見れば、ありのままの事実は見えない。
   信じることも疑うことも必要はない。
   ただ白紙の状態で事に臨めばいい。
   その時だけ、ありのままの事実が見える可能性がある。

   お釈迦様やイエス・キリストに会った人は、みながみな無垢の愛を感じる
   ことができただろうか。
   残念ながら、歴史的事実は、そうではないことを告げている。
   目の前に無垢の愛があったとしても、それを感じられるとは限らない。
   先入観をもってまみえれば、無垢の愛はないに等しい。
   固定観念や偏見がある限り、無垢の愛は感じられない。
   心が閉じていれば、無垢の愛といえども届かない。

   それは無垢の愛に限ったことではない。
   全てについて言えること。
   一切の先入観を外して、ただ事実と共にいる。
   白紙の状態。
   ゼロの状態。
   ニュートラルな状態。
   その時にのみ、真実が見える。

   何もない。
   空っぽ。
   何も所有していない。
   つまり、「私」がない。
   その時にだけ、ありのままの事実が知覚できる。
   そうでない限り、全ては自我を通した認識となる。
   つまり、自分ワールド。
   思い込みワールド。

   思い込みワールドに住んでいる限り、真実はわからない。
   全て自分の都合のいいように解釈しているだけ。
   解釈、判断、認識、全てが主観=自分ワールド。
   そこには客観の欠片(かけら)すらない。
   自分流に受け止め、自分流に解釈し、自分流に判断し、自分流に
   決断する。
   お互いが自分の世界に住んでいる限り、真に交わることはない。
   一人一人が自分ワールドという孤独な城に居住しているに過ぎない。

   何が真実かを見極めるためには、自分ワールドの外に出るしかない。
   一切の判断や解釈をやめ、ただ黙って見守る。
   事実を見極める。
   それは簡単な道ではない。
   すぐに思考が動く。
   すぐに、いつものように現実を自分ワールドに引き込もうとする。
   自分ワールドに安住し、自分ワールドから出ようとはしない。
   なぜ?           
                    (明日に続きます)
                                
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木霊の森のミニ滝
2006-08-11 Fri 12:33
木霊の森ー05
  

   無垢の愛 - 1

   人類史の大半は、支配とコントロールの歴史と言えなくもない。
   自己保存の本能から、相手を支配しようとする。
   自分の安全を確保するために、相手をコントロールしようとする。
   それは単純に力で抑えつける場合もあれば、
   下手に出て気づかれないようにコントロールする場合もある。
   それは種族間、国家間、グループ間を問わない。
   多くの人間関係も、この範疇に入る。

   人は自分を守るために、周りを支配しようとする。
   それは男女間の駆け引きでも見られる。
   相手を自分のものにしたいという思いは強い。
   最初は純粋な恋愛も、やがてコントロールゲームになる場合が多い。
   自分のものにするために、あの手この手が駆使される。
   甘えてみたり、すねてみたり、引いてみたり、押してみたり・・・
   恋の手練手管には事欠かない。
   それもこれも全て自分のものにしたいから。
   支配したいからに他ならない。

   もちろん、もっと純粋な恋愛もあるだろう。
   しかし、恋愛は執着に変わりやすい。
   最初は純粋にエネルギー的に惹かれ合う。
   ところが、時間が経つにつれて、そこに思考が介入する。
   思考は、変わることのない愛を要求する。
   そこから苦しみが始まる。
   この世に変わらぬものはない。
   魅力は失せ、情熱もやがて弱まる。
   いつも一緒にいれば、そのうちに飽きてしまう。
   熱はいつかは冷める。
   その後は夫婦間の駆け引き。
   別のコントロールゲームとなる。

   人類史、そして世界の現状も、支配・被支配のコントロールゲームに
   他ならない。
   それは国家間に限らない。
   家族の中も男女の間も、さして変わりはない。
   人間関係全般がそうとも言える。
   なぜなら、自己保存の本能と思考がドッキングし、自分最優先が今の世の
   パターン。
   自分優先主義がまかり通る限り、世界は変わらない。
   それは社会の隅々にまで浸透している。

   では、無垢の愛は存在しないのだろうか。
   「愛」という名のスターは輩出している。
   にもかかわらず、無垢の愛はあり得ないのだろうか。
   kimiさんの愛は無垢の愛?
   はたしてどうだろう?

   まず、kimiさんの愛は無垢の愛と信じてみる。
   そうすると救われるだろうか。
   もし無垢の愛でない時は、妄信・狂信となって人生を狂わせるかもしれない。
   自分だけでなく、多くの人に迷惑をかけることになるかもしれない。
   では、最初から疑ってかかることにしよう。
   しかし、もし無垢の愛であった場合、疑うことによって、それがわからなくなって
   しまう恐れはないだろうか。
   色眼鏡で見れば、透明な愛も色が着いた歪んだものに見えてしまう。
   では、どうすればいいのだろうか。

                            (明日に続きます)
                                        
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永田いなか浜
2006-08-10 Thu 13:23
永田いなか浜ー01
  

   クリアー

   今日は、とびきり冷静だ。
   そして、理性的。
   ということは、クリアー。
   極めてクリアー。
   何も問題なし。
   クリアーであれば何も問題なし。
   問題は自分がつくるもの。
   客観的な問題など、どこにも存在しない。
   ある人にとっては問題でも、別の人にとっては問題ではない。
   問題は、すべて主観的。
   だから、極めて個人的。
   つまり、問題だと思うから問題なだけだ。

   ただ、冷静に対応すればいいだけ。
   それしかない。
   冷静に、クリアーに、一つ一つやっていくしかない。
   落ち着いて、ゆったりとした気分でやれば、問題はない。
   焦れば、問題のないところにも問題が生まれる。
   落ち着いて、ゆったりと、冷静に・・・
   しっかりと自分自身にグランディングして。
   常に自分自身であること。
   自分を見失わないこと。
   そうすれば、何が起きても冷静に対応できる。
   冷静であれば、解決できない問題はない。
   たとえ解決できなくても、それは問題ではない。
   冷静であれば、問題はないのだ。
   問題そのものが存在しないのだ。
   問題は心の乱れ。
   心が乱れたところに問題は生じる。
   心がクリアーならば、問題そのものが存在しない。
   クリアーとは、何もないこと。
   空っぽ。
   だから、問題も存在しない。
   何も存在しない。
   日本晴れのように、果てしなくクリアー。

   冷静に、落ち着いて、ゆったりと、対応する。
   それでOK。
   何も問題はない。
   日々、白紙であれば、何も問題はない。
   心がクリアーであれば、何も問題はないのだ。
                                         
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睡蓮
2006-08-09 Wed 12:55
睡蓮ー04
  

   大和心 - 2   (昨日の続きです)

   罪を憎んで人を憎まず、というやつだね。
   人がやったことではあるけど、間違いを犯さない人なんていないものね。
   みんな試行錯誤だ。
   みんないろんな体験をしているだけだ。
   役割と言えば、言えなくもないよね。
   だから、自分の生き方を省みて、改めたら、また新たに出発させるんだね。
   過去は問わない。
   日々新たなり。
   神道は古いと思われがちだけれども、意外と新しかったりしてね。
   これから神道が甦るんだよ。
   形式だけの神社神道ではなくて、本当の神道がね。
   日本の古(いにしえ)からある真の神道が。
   真道だね。
   神の道であり、真実の道でもあるんだね。

   これから大和心が世界を統合していくんだよ。
   ズタズタに分裂した世界を救うものは、大きな和の心だ。
   正邪善悪を峻別する偏狭な心ではないんだね。
   ゆったりと構えて、長い目で見守って、大きな心で生きていけるといいね。
   それは、自分に対しても、他の人に対してもね。
   自他も含めて大きく包み込むんだね。
   自他、善悪、正邪、苦楽、損得、優劣、美醜、幸不幸、成功失敗、霊肉、
   陰陽・・・
   それらすべてを抱(いだ)きまいらせ、大きく包み込むんだよ。
   その時に、二つに分かれて対立していたものが、一つに統合されるんだね。
   一つは、ひとつだ。
   二つに見えたものも、じつはひとつだったんだね。
   ひとつの中の表と裏。
   陰と陽とに別れていただけなのさ。
   和というのは、環(わ)でもあるんだね。
   一つの円でもある。
                                        
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緑の世界
2006-08-08 Tue 12:24
緑の世界ー19-july
  

   大和心 - 1

   「やまと」という言葉があるよね。
   「大和」と書くんだけど。
   大きな和だね。
   大和と小和の違いは、
   小和の方は、仲間内だけの和なんだね。
   大和の方は、敵も含めた和なんだよ。
   神道的には、「善悪抱(いだ)きまいらせ・・・」と言うんだね。
   一神教だと、悪を退治して善だけの世界をつくろうとするわけだけど、
   日本神道は八百万(やおよろず)の神様だからね。
   善悪併せ呑むんだね。
   清濁併せ呑むとも言うけど。
   善悪、正邪があるから、この地上はドラマチックなわけだよね。
   どちらか一方だけだったら、これほど盛り上がりはしないでしょう。
   もう少し平淡なドラマになりそうだよね。
   やはり、正義と悪のそれぞれの役割があって、
   最後の最後に正義が勝つことによって、ドラマは最高潮を迎えるわけで。
   日本神道の場合は、最後に悪を退治するのではなくて、悪に改心させるんだね。
   それが大和心なんだ。
   けっして殺したりはしない。
   それが西洋と違うところだね。
   悪の存在も、役割として認められているんだね。
   ドラマが終わったら、みんな仲良く楽しく暮らすんだよ。
   いつまでも許さないということはない。
   瞬間瞬間といえば、そうだよね。
   過去の恨みは水に流す。
   水に流せば、すべて新鮮だ。    (明日に続きます)
                                         
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光る海
2006-08-07 Mon 12:50
光る海
  

   意識 - 3  

  (昨日の続きです。ここから読まれた方はぜひ一昨日の ”意識 - 1” から続け
   て読まれることをお薦めします)

                       
   器は重なっている。
   精妙な響きが粗雑な響きの中に重なっている。
   肉体も幽体も霊体も神体も、みんな重なっている。
   喩えて言えば、肉体細胞は分子でできており、分子は原子でできており、
   原子は素粒子でできているみたいなものだ。
   一つの細胞の中に分子も原子も素粒子も同時に存在している。
   精妙なものが粗雑なものの中に無限に存在している。
   波動の違いだ。
   宇宙というひとつの響きの中に、無数の響きが同時に存在している。
   宇宙空間に、周波数の違う無数の電波が飛び交っているようなものだ。
   ひとつの意識領域の中に、無数の波動領域があり、無数の次元が存在する。
   それらは、ひとつの意識の中に同時に存在する。
   人の中にもすべての意識領域が同時に存在している。
   その中から、人は概(おおむ)ね肉体や幽体や霊体の波動領域にフォーカス
   して生きている。
   フォーカスの範囲が狭い。
   ひとつの意識にフォーカスすることも可能だけれども、そのような人はほとんど
   いない。
   どうしても自分が生まれ育った環境に制約されてしまう。
   たまに、内在する魂の意識が更なるフォーカスを促すこともある。
   あるいは、縁のある人によって、意識の拡大を促されることもある。
   それらによって、人は徐々に目覚めていく。
   更なる意識の拡大・・・。
   フォーカスが広くなるにつれて、制約が外れていく。
   ひとつの意識にまで拡大されれば、何の制約もない。
   意識のフォーカスは狭められ、極限まで行くと、今度は拡大に転じる。
   今という時代は、その転換点なのだ。
                                          
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栗生のタイドプール
2006-08-06 Sun 12:23
栗生のタイドプール-01
  

   意識 - 2  
   (昨日の続きです。ここから読まれる方はぜひ昨日の ”意識 - 1” から続けて
    お読みになることをお薦めします)

                       
   ひとつの意識が波動を落とすことによって、幾つもの次元を創造し、
   そこに幾つもの器を創造する。
   まるで天地創造だ。
   土で創られた器に神の息吹が吹き込まれることによって、人が誕生する
   みたいなものだ。
   ところが、波動が落ちた器に入るひとつの意識は、その落ちた波動の制約
   を受ける。
   そこで、その波動や器にみあった意識が生まれる。
   次々と次元が創造され、次々とその次元にふさわしい器が創造される。
   器から器が創造され、器は重なっていく。
   器の意識も重なっていく。
   喩えて言えば、十二単を着ているひとつの意識みたいなものだろうか。
   裸の時に比べて自由に動くことはできない。
   十二枚の器によって制限されるのである。
   その器のフィルターによって、ひとつの意識はどんどん希薄になる。
   やがて、自分がひとつであったことすら忘れてしまう。
   実際に、人は自分の本性を忘れている。
   たくさんの器を着ているが故に、忘れてしまったのだ。
   なかなか喩えで話すのは難しい。
   三次元の言葉で、三次元の思考で、多次元のことを理解するのは限界が
   ある。
   書く方も疲れてしまう。

   要は、ひとつの意識は、今ここにもある。
   けれども、様々な器の制約の下、その意識は忘れられているということ。
   ひとつの意識=空が、たくさんの器=色を創り、その中に入って様々な
   体験をしている。
   人は、色であり空なのだ。
   空はひとつだけれども、色の器の方は多層的に重なっている。
   そして、その器のそれぞれには、それぞれの器にみあった意識がある。
   ひとつの意識が器の制約下で幾つもの意識になっている。
   それが何層にも重なっている。
   ひとつの意識が、各次元の器の制約下で創りあげた意識。
   人の意識や魂の意識や、個性的な意識ができあがっている。
   ひとつの意識が中心を貫いているけども、その周りには各次元にみあった、
   それぞれの器の意識もある。
   すべての次元、すべての器、すべての意識が、同時に存在している。
   宇宙の万華鏡だ。
   色即是空、空即是色の世界だ。
   人は、空であり色でもある。
   人は、ひとつの意識でもあり、多くの意識の集合体でもある。
   人は、ひとつ器でもあり、多くの器の重なりでもある。
 
                              (明日に続きます)
                        
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苔の雫
2006-08-05 Sat 15:25
苔ー34
  

   意識 - 1   

   意識は、ひとつ。
   元の元は、ひとつだ。
   それが幾つにも無数に別れているように見える。
   少なくとも、今の人間には、ひとつの意識とは映っていない。
   人は自分のことを、個々別々の存在だと思っている。
   このギャップは何だろう?
   ひとつの意識から人の意識になるまでの間に、問題がありそうだ。
   何がひとつという意識を感じるのを妨げているのだろうか。
   距離か。
   次元の違いか。
   波動の差か。
   ひとつの意識と人の意識の間に、妨げる何かがある。
   それは何だろう?

   人は、喩(たとえ)えて言えば、重箱のような存在だ。
   何層にも器が重なっている。
   その中の一つの器にすぎない。
   上にも下にも器がある。
   上には幽体や霊体や神体の器、下には肉体や各臓器や細胞という器。
   上下の意識を併せ持ちながら多重的に存在している。
   それらの意識をどこまで自覚できているかは、人によって異なる。
   自分を肉体存在だと思っている人もいる。
   自分を霊的な存在だと思っている人もいる。

   器とは何か?
   それはエネルギー場だろう。
   肉体という器に霊が宿る、みたいなものだ。
   ところが、肉体に霊が宿ると、肉体の制約を受ける。
   霊そのものとしては活動できなくなる。
   自由に飛べないし、思ったことはすぐには実現しない。
   器によって制限されるのである。
   波動の違いによって制限されると言ってもいい。
   生まれた時から肉体と共に成長する中で、自分を肉体だと錯覚してしまう。
   霊は肉体という器の制約下にある。
   故に、ひとつという意識を忘れてしまう。
   地上に誕生した途端、忘却の水を飲むことになる。
   それでも、まだ幼い頃は朧気(おぼろげ)にでも霊的な意識が残っている。
   しかし、思春期を過ぎる頃になると、立派な「私」に変身している。
   それがこれまでの一般的なパターンだった。
   ひとつの意識を忘れさせるものは、自分が入る器のせいだ。
   ひとつの意識は、入る器によって制約を受ける。
   それによって、だんだんとひとつの意識は薄れていく。
   人間まで来ると、もう遠い記憶だ。
 
                              (明日に続きます)
                        
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緑の水
2006-08-04 Fri 11:45
緑の水ー01
  

   三次元の疑問   (カルマの四日目です)

   なに?
   三次元の疑問?
   時間領域にいりゃぁ、いろいろ疑問もわかーな。
   時間の外に出りゃぁ、疑問のひとかけらもありゃぁしねえ。
   アガスティアの葉?
   ハー?てなもんよ。
   そんなもん気にするこたぁねぇ。
   みんなきっちり決まってた日にゃぁ、朝寝坊もできやしねぇ。
   巡り巡って仇に出会ったならば、お礼を言って、切られるしかねぇだろう。
   「かたじけない、カルマを切ってくださるか」ってな。
   そうすりゃ相手だって、ちったぁ考えるだろう。
   「待てよ、何か変だ・・・?」
   そこでカルマが変わるわけよ。
   時間の領域に時間外のエネルギーを持ってくりゃぁ、カルマも変わろうって
   もんじゃねぇか。
   「一抜けた!」って誰かが言やぁ、ゲームは終わるか、残ったやつでやるしか
   ねぇだろう。
   そんなもんよ。
   何も気にするこっぁねぇ。
   さっさと抜けちまいな。
   それが自由ってもんだ。
      
                      >>屋久島ナチュラルヒーリング  BBSより 

   ☆ぴあの編集後記・・・
   8月1日に書きましたとおり、今日が四日。予告の日?ですね・・・o(-_-;*)
   日記で『カルマはない』 と書かれたkimiさん、そして昨日ここにアップしたその
   当時のHPでのkimiさんのコメントに対して、素朴な?三次元疑問がわいた
   私が書いたことに答えてくださったのが上の文章です。
   kimiさん突然、江戸っ子になられて・・・((((;_△_)ゴロリン(謎)

   私の三次元疑問コメントは以下のとおりでした。↓

     日記の方にも関連したことを書かれてありましたが
     カルマもない、ということ、よ~くわかりました。

     ところでですが、よ~くわかったのですが、
     kimiさんの書かれてあることは なるほど~! と
     とても納得して感動している私なのですが、
     まだまだ 三次元的な考え方から抜けられなく疑問に思ってしまうことが・・・

     意識がいろんな意識を作りあげている とすると
     今この三次元でのしがらみは すべて自分で作りあげているもの(?)
     それでは、自分が空っぽになった時 すべてのカルマから解き放たれた(?)時
     周りの関係する人たちへの影響はどうなりますか?
     たとえば、一緒にこのカルマを解消しようね と約束して生まれてきたとして
     その約束した相手 とか・・・
     それから アガスティアの葉 とか、アカシックレコード と言われるものは・・・
     それらにはとても不自由を感じますが・・・
     どうなりますか?

   kimiさんの江戸っ子コメントを読んで、すごーく納得できた私なのでした。(-_-)


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木霊の森
2006-08-03 Thu 13:49
木霊の森-04
  

   空即色々  (カルマの三日目です)

   確かに物質に執着している人と一緒にいると、こちらまで重たくなって
   くるよね。
   やはり波動は交流しているわけで、お互いに影響を受け合うんだね。
   まあ、心が硬いというか、不自由な生き方をしているんだね。
   自分で自分を制限している。
   自縄自縛だけど、本人が気づくまでは、その世界だね。
   本当に自分がつくっている世界なんだね。
   意識の世界はみんなそうだよ。
   どちらにでも、何にでも可能なんだ。
   みんな自分が作り上げている世界なんだから。
   空っぽの意識がいろんな意識を作り上げている。
   まさに、空即是色なんだね。
   無色透明だから、いろんな色に染まるんだ。
   それこそ自由自在。
   みんな何かに成りきってやっているものね。
   本来、無色透明の意識だ。
   いろんな色になって楽しんでる。
   それが宇宙かな。
      
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夕陽に光るジェット
2006-08-02 Wed 12:31
夕陽に光るジェットー14-m

  
   カルマ - 2   (昨日の続きです)

   本来は、人は完全な自由の状態なんだよ。
   それが、遅い波動領域にフォーカスしているために、いろいろ不自由なんだね。
   だって、肉体は鍛えたからって、今日・明日には強くならないものね。
   この次元は時間がかかるんだ。
   そういう次元に意識が埋没していると、意識の自由はないんだね。
   完璧にカルマに左右されてしまう。
   しかし、本当はカルマに左右される必要はないんだよ。
   それには意識のスピードを上げる必要があるよね。
   意識を精妙にする必要があるかな。
   本来、今すぐでも空っぽで自由なんだけど、長い間遅い波動に合わせてきたので、
   すぐには本来の状態に戻れなくなってしまったんだね。
   でも、真実は、今、即、フリーなんだ。
   気づけば、完全な自由なんだよ。
   何も難しいことはない。
   どんな修行もいらない。
   ただ、今、即、空っぽだ。
   意識は空っぽだ。

   空っぽの純粋な意識が、肉体感覚や感情や思考を楽しんでいるのさ。
   この三次元の物質世界を楽しんでいるんだよ。
   色即是空の空。
   意識は空っぽだ。
   空っぽの中に、すべての色があるんだね。
   空っぽであれば、いろんなことが体験できる。
   そして、また即、ゼロにリセットすることもできる。
   何でも可能だ。
   意識は、即、自由。
   完璧な自由。
                        
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