いのちの写真と光の言葉
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せせらぎ
2006-07-31 Mon 12:13
せせらぎ
  

   心・ハート・愛 - 2    (昨日の続きです)

   心とハートと愛の関係。
   必要なのは定義ではなくて、自分の中を整理することです。
   スッキリ、何の抵抗もなく生きていく。
   それが最もシンプルな生き方です。

   抵抗こそが自我です。
   それは思い込みであり、囚われであり、執着です。
   そういうものがない時、愛はストレートに流れます。
   自分の中の抵抗に気づき、それらのものを手放す。
   自分の中の恐怖や怒りや心の傷。
   引っかかっているものこそが、自我なのです。
   それがまた生まれ変わらせるのです。
   自分が引っかかるものに、惹きつけられるのです。
   引っかかるということは、それに執着しているということであり、
   囚われているということです。
   そういうものに気づき、直視し、手放す。

   何も持たない。
   サラサラと流れていく。
   必要なものは流れてくる。
   それを必要な間だけ拾って使う。
   そして、また流す。
   物も体も心も、全てそうです。

   何も持たない。
   軽やかに流れていく。
   その時に、心は全開になる。
   その時に、ハートも全開になる。
   その時に、愛は自然に溢れ出す。
                                             
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ミヤコグサ
2006-07-30 Sun 12:08
ミヤコグサー02
  

   心・ハート・愛 - 1   

   『心とはどういうものでしょうか』

   これは、意識場でしょう。
   感覚や感情や思考、気づきや洞察や直観、そして、愛。
   そのような様々な意識が現れるところ。
   意識のフィールド。
   意識の器ですね。

   いろんな意識が現れるので、心は一定していません。
   一喜一憂。
   喜怒哀楽。
   心はコロコロ変わります。
   ありとあらゆる意識が現れては消えていきます。
   その人にとって意識が現れるところ、それが心でしょうか。

   『ハートとはどういうものでしょうか』

   ハートは、愛の意識場。
   愛が現れるところですね。
   愛はハートを通して現れます。
   直接心から愛がほとばしり出るわけではありません。
   ハートを通して出る感じですね。
   ハートは、愛専用の出口です。
   愛以外にはありません。

   『愛とはどういうものでしょうか』

   愛は言葉を超えていますね。
   でも、できるだけ言葉で表現してみましょう。
   愛とは、生かすエネルギーです。
   全てを肯定し、育てるエネルギーです。
   プラスのエネルギーとも言えるし、ポジティブなエネルギーとも言えます。
   拡大させる、増大させるエネルギーとも言えます。
   もう少し大きく捉えれば、プラス・マイナスを超え、ポジティブ・ネガティブを超え、
   増減を超えた、全てをそのまま包み込み肯定するエネルギーとも言えます。
   無条件に生かすエネルギーですね。

   『心とハートと愛の関係はどういうものでしょうか』

   心は全ての意識が現れる意識場。
   ハートは愛専用の意識場。
   心が一番表面意識に近いところにあります。
   その奥にハート。
   だから、心が恐怖で閉じてしまうと、ハートは顔を出せません。
   ハートが現れないと、当然、愛も流れ出せません。
   恐怖がクリアーされ、心がオープンなる時、ハートが姿を見せます。
   そうすれば、状況に応じて愛は自然に流れ出します。
   いかに心を閉ざさないか。
   それが問われています。
   いかに心を開くか。
   それがポイントなのです。

   それはハートを開く以前の問題です。
   ハートに意識の中心を置き、ハートを開こうと努力します。
   しかし、心が恐怖のために閉じてしまっては、どうすることもできません。
   恐怖を理解し、克服することが必要条件となります。
   ハートに中心を置き、ハートから活動することは、ハートを活性化させ、
   ハートのエネルギー場を大きくします。
   その結果、愛は大きく溢れ出すようになります。
   しかし、恐怖があれば、愛は心から閉め出されてしまいます。
   恐怖を理解することが必要なのです。
   愛だけでは足りないのです。
   思考の理解とハートへのフォーカス。
   その両方が必要なのです。
                          (明日に続きます)

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光のショー
2006-07-29 Sat 12:33
光ー26
  
    
   事実 - 2   (昨日の続きです)
   
   マイナス思考を働かせれば『地獄』となりますが、
   逆にプラス思考を働かせれば『天国』となります。
   しかし、いずれも思考の解釈に過ぎません。
   常に『天国』を維持するためには、あらゆることを絶えずプラスに
   解釈する必要があり、そこには無理があります。
   いずれにしても思考が造り出す『天国』 と 『地獄』 であり、
   真実ではありません。

   そのことが生前に理解されなければ、死後もその思いは継続するに
   違いありません。
   肉体の死後、突然思考パターンが変化すると考えるのは不合理です。
   慣性の法則からも、死後も思考パターンは継続すると考える方が
   理にかなっているでしょう。
   それが霊界や幽界の『天国』 や 『地獄』 ではないでしょうか。
   自分の思考パターンに気づかない限り、この世でも、あの世でも
   同じことを繰返しているだけでしょう。
   それは真実の世界ではなく、思考の造り出す幻想の世界に
   他なりません。

   真実に生きることは事実と共に生きることです。
   その事実を解釈することも、名づけることもなく生きる時、
   時間がやみ、今という永遠に生きることになるのではないでしょうか。
   そこには、生きる意味を問う必要さえない厳然とした生そのものの
   尊厳が存在するのではないでしょうか。

                           K-Communication №34 より  


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シャクナゲのクラスター
2006-07-28 Fri 14:44
石楠花ー5
  
    
   事実 - 1
   
   現代人が陥っている思考の罠の一つの典型、それは、今・現在に
   生きていないで、常に次の瞬間のことを考えているということです。
   それは過去の記憶を基に未来のことを否定的に想定し、
   自ら思い悩んでいる姿です。
   それは自分自身が造り出す『地獄』に他なりません。
   そして、その自分が造り出した状況を『地獄』と名づけることにより、
   より一層自分自身を窮地に追い込んでいます。

   『地獄』 は 『地獄』と名づけることによってのみ存在します。
   『地獄』と名づけなければ『地獄』は一瞬のうちに消滅します。
   名づけることをしないで、瞬間・瞬間の事実と共に生きる時、
   悩みも苦しみもありません。
   そこにあるのは、ただ事実だけです。
   肉体的、生理的苦痛を別にすれば、心理的苦悩というものは、
   あくまで主観的なものであり、客観的・必然的に存在するものでは
   ありません。
   事実と共に生き、あれこれ思い悩むことをやめれば、
   心理的苦悩は一瞬のうちに一掃されます。

                              (明日に続きます)

                        K-Communication №34 より  


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木霊の森
2006-07-27 Thu 12:23
木霊の森-20
  
    
   逃げないこと - 2

   人は、恐れから逃げるんだね。
   これから起きることが怖い、と思っている。
   でも、実際は起きてみないとわからない。
   思いが恐怖を生みだし、人をして逃げさせる。
   恐怖の現実に直面するだけのエネルギーがないんだね。
   勇気よりも恐怖の方が強いんだね。
   逃げれば逃げるほど、恐怖は強くなる。
   逆に、逃げなければ逃げないほど、勇気は強くなる。
   逃げないこと。
   恐怖に負けないこと。
   踏みとどまるんだよ。
   恐怖と一緒に踏みとどまるんだよ。
   恐怖に負けてはいけない。
   自分の持てるエネルギーを振り絞って、恐怖と対峙しなければならない。
   そして、恐怖に打ち勝たなければならない。
   恐怖に負けることが、どれだけ人生を無駄にしていることか。
   逃げても、いつかはまた同じことに直面しなければならないのだ。
   いつかはそれをクリアーしなければならないのだから。
   クリアーしない限り、前へは進めないのだ。
   逃げれば逃げるほど、壁は厚くなる。
   そうならば、最初から逃げないことだ。
   最初から逃げなければ、一番楽に突破できるのだ。
   一切逃げなければ、人生の最短コースを歩めるだろう。
   多くの人は逃げる。
   そのために同じことを幾たびも繰り返すことになる。
   真っ直ぐに進むか、行きつ戻りつジグザグに進むか、どちらでも可能だ。
   決めるのは、あなただ。

                      >>日記 無色透明 BBSより   


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朝のノアサガオ
2006-07-26 Wed 13:02
朝のノアサガオー11-july

 
   朝顔は
     今日の生命(いのち)を
       生きている
    
   ”逃げないこと”

   逃げないこと、とても大切なことだよね。
   逃げなければ、道はやがて開けるんだね。
   逃げても苦しいし、逃げなくても苦しい。
   同じ苦しいなら、逃げないで正面からぶつかる方がいいよね。
   逃げなければ、新しい道が開ける可能性があるもの。
   逃げている限り、道はどんどん狭くなるだけだ。

                      >>日記 無色透明 BBSより   


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紫陽花の雫
2006-07-25 Tue 12:39
紫陽花の雫ー14-june
 

   紫陽花の
     梅雨(あめ)が静かに
       降っている
    
   ”ハート”

   開いている 開いている
   花が開いているように 心が開いている

   すべてを受け入れ 一切排除せず
   良いも悪いもなく 好きも嫌いもなく
   ただ そのままに そのあるがままに

   私を責める人は 責めるままに
   私を誉める人は 誉めるままに
   そのままで ただ そのままで
   そっと包んでいられたら・・・

   鳥が 蝶が 鈴虫が
   飛んでいるのを見ているように
   鳴いているのを聞くように
   そのまま いっしょにいられたら

   開いている 開いている
   心が自然に開いている
   その時 すべてが語りかける
   花も木も 鳥も犬も あの人も

   表面で反応している私
   好き 嫌い 良い 悪い
   それらの奥に ずーっと奥に
   共通に流れる何か

   言葉の前の 言葉ではない
   感じる何か 

                K-Communication ナンバー5 より


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竹島に沈む夕陽
2006-07-24 Mon 14:27
15-竹島に沈む夕陽
  

   波動   

   自分が変われば、自分の周囲にいる人たちも変わってくる。
   不思議だよね。
   何もしなくても変わってくるんだね。
   波動がお互いに影響し合っているから、変化するんだね。
   実際は、身近にいる人だけでなく、人類全体の波動にも影響を
   与えているんだね。
   一人が変われば人類全体も変わる。
   みんな繋がっているから。
   同じエネルギーフィールドにいるから。
   連鎖反応が起きるんだね。
   すごい世界だよ。
   楽しいよ。
                           
                 >>日記 無色透明     >>コメント欄より



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木霊の森
2006-07-23 Sun 09:38
木霊の森ー060616-03

  
   透明な意識   

   森の中を歩いていると、余計な思考はほとんど起きない。
   注意深く周りや足元を見つめながら歩く。
   自然の美しさに見とれながら、ただ自然を愛でる。

   注意深さが、自我を追いやる。
   神社で参拝している時も、そんな感じだろうか。
   自分は脇に置いて、ただエネルギーを感じている。
   瞑想の時も同じ。
   何もなく、ただ意識だけがある。

   意識は極めてクリアー。
   余計な思考がクリアーな意識を曇らせているだけ。
   余計な思考がなければ、意識は青空のように澄み渡っている。
   本当に透き通るように何もない。
   ただ透明な意識があるだけ。

   自然の中に入っていると、意識はどんどん透明になっていく。
   自然には思考がない。
   自然の中にあるのは、いのち。
   すべてを生かすエネルギー。
   そのいのちを感じる。
   何とも言えない心地よさ。
   特に鳥の声の響きがすばらしい。
   花の香りも何とも言えない幸福感をもたらす。
   風の音も、沢のせせらぎも、心をやすらかにしてくれる。


   自我は、即、欲望という感じ。
   我欲。
   何でも自分のものにしたいという感覚。
   自分が握っていたいのだ。
   所有=自我。

   何もない意識もある。
   自我ではない意識もある。
   いろんな意識がある。
   それが人間存在。
   どの意識にフォーカスして生きるかということだろうか。
   自我の混乱した意識か、自我を超えたクリアーな意識か。
   どちらでも可能なのだが・・・

   落ち着いて、ゆっくりと自分を見極めるといい。
   落ち着いて、ゆっくりと見極めること自体が、クリアーな意識へ導く。
   深く穏やかな、やすらいだ意識。
   深い意識と共にあれば落ち着くし、表面の意識と共にあれば活気づく。
   どちらでも、その時その時の感覚で生きればいい。
   静かに無時間の時間が過ぎていく。
                           
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苔の雫と光
2006-07-22 Sat 13:37
苔ー33
  

   心配 - 3   (昨日の続きです)

   現実の危険があれば、対策を講じる。
   不安や心配におののいている場合ではない。
   しかるべき対応をする。
   できるだけのことはする。
   それしかできない。
   それ以上はどうにもならない。

   いや、一つだけそれ以上のことがある。
   それは不安や心配や恐れを持たないこと。
   これがあると危険度は遙かに高くなる。
   これがないだけで危険度は格段に低くなる。
   不安や心配や恐れがないところに、災厄をもたらすのは
   至難の業。
   縁がなければ、結果はやって来れない。

   たとえ災厄がやって来たとしても、それを災厄と捉えなければ
   災厄にはならない。
   すべての現象を生かして使えば、何も問題はない。
   結局、不安も心配も恐れも必要はないのだ。
   起きてくることをそのまま受けとめ、それを生かして使う。
   それさえ明確ならば何も恐れるものはない。

   不安も心配も恐れもいらない。
   今、今の事実と共にいればいい。
   事実によけいなものをくっつけなければいいだけ。
   どうして事実に不安や心配や恐れをくっつけてしまうのだろうか。
   過去が甦るから?
   たぶん、それ以外に答はないだろう。
   なぜなら、正当な理由はどこにもないのだから。
   ただ過去の経験からネガティブに連想しているだけ。
   どこにも不安や心配や恐れの正当な理由はない。

   過去の繰り返しをしているだけ。
   今に生きていないだけ。
   自分のパターンに縛られているだけ。
   それに気がついていないだけ。
   それ以上でも以下でもない。

   そういう生き方をしたければ、無理に止めはしない。
   しかし、そういう生き方をしている限り、心のやすらぎはない。
   同時に混乱の世の中も終わることはない。
   これまで通り非苦の巷で生きるしかない。

   不安も心配も恐れもいらない。
   そういうものは何もいらない。
   事実に何も付け加えないで、事実と共に生きる。
   シンプルに生きる。
   それで十分事足りる。

   不安や心配や恐れと共に非苦の人生を生きるか。
   それらのものをすべて手放し、まったく別の人生を体験するか。
   どちらでも選択可能。
   時が来て、選択可能な時代となった。
   はたして、あなたはどちらを選ぶのだろうか。
   こちらは一切介入しない。
   選ぶのはあなた。
   あなたの人生だから。
   自分で決める自分の人生。
                           
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コケスミレ
2006-07-21 Fri 10:25
コケスミレー01
 
 
   心配 - 2   (昨日の続きです)

   不安や心配を手放すと、当然、楽に生きていける。
   未来のいろいろな危険性はある。
   それに対する準備をしたければしてもいい。
   でも、心配からするのではない。
   可能性を感じて、冷静に備える。
   不安や心配は必要ない。

   不安や心配があると、それが現実化してしまう。
   感情はいらない。
   事実としての可能性で準備すればいいだけ。
   冷静に淡々と。

   人類は長い永い間、不安や心配と共に生きてきた。
   不安や心配と一緒に生きることが心地よかった?
   不安や心配が現実化することによって、いろんなドラマを体験できた?
   不安や心配があるからこそ、ハラハラドキドキのドラマが経験できた?
   そういう意味では、人間ドラマにとって不安や心配はなくてはならないもの。
   ハラハラドキドキをもっと続けたければ、不安や心配は必需品。
   そんなに簡単に手放してはいけない。
   大切にいつまでも持っていなくては・・・

   この現象世界の混乱は、一人一人の心の中の混乱から生じている。
   不安や心配が混乱を創り出しているとも言える。
   不安や心配とは、恐れの代名詞。
   人類は恐れと共に、これまで生きてきた。
   その恐れが人類の悲惨な現実を創り出してきた。
   そのことがわかったら、不安や心配を手放す?
   手放すなんて・・・
   不安で、心配で、とてもそんなことはできない?
   それでは堂々巡りになってしまう。

   不安も心配も恐れも、すべて思考が創り出すもの。
   実体のあるものではない。
   それは架空の幻。
   思い込みによる幻想に過ぎない。
   そういうものを手放しても、何も問題はない。

   みんなが不安や心配や恐れを手放したら、世の中はどうなるだろうか。
   今とはまったく異なる世の中になるのは間違いない。
   不安も心配も恐れもない社会。
   思っただけで心がやすらぐ。

   都会に住んでいたら、とても安心できない?
   都会に住んでいて安心できない人が、田舎に住んだら安心できるだろうか。
   確かに都会の方が圧倒的に危険度は高い。
   しかし、田舎にいても交通事故や病気の危険がないわけではない。
   自然災害は都会よりも田舎の方が多い。
   どこにいても不安や心配の種を見つけ出そうとすれば、いくらでも
   見つかる。
   やはり本人しだいではないだろうか。
         
                             (明日に続きます) 
                  
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白谷雲水峡のなごり雪
2006-07-20 Thu 12:21
白谷雲水峡のなごり雪

  
   心配 - 1

   人の中には既にすべてのものが宿っている。
   愛もすべての人の中に宿っている。
   けれども、それが出てくる機会は限られる。
   なぜか?
   恐れが、それを阻(はば)んでいる。
   愛を素直に表現する勇気がない。
   そんな経験も少ない。
   だから、素直に表せない。
   でも、誰の中にもあるのは間違いない。

   表現し始めれば、どんどん出やすくなる。
   これまで目詰まりしていたものが外れ、スムーズに流れ出すようになる。
   恐れも減り、躊躇も減る。
   素直に出せば、何の問題もない。
   ブロックしているものは、恐れ、つまり、取り越し苦労。
   そんなことをしたら、どうなるだろう。
   周りの人は何と思うだろう。
   うまくいかなかったら、どうしよう。
   誤解されても困るし・・・

   心配し始めれば、心配の種は尽きない。
   心配をやめることはできないのだろうか。
   心配しても何の役にも立たないことはわかっている。
   にもかかわらず、すぐ心配する。
   それはパターン。
   単なるパターン。
   自分の中に刷り込まれているパターン。

   一切心配しないでも生きていける。
   むしろ心配などしない方が楽に生きていける。
   にもかかわらず、性懲りもなく心配する。
   そういうパターンにはまってしまっている。
   心配に安住している。
   心配の外に出ようとしない。

   心配している方が安全にきまっている。
   勇気を出して実行するより、心配して何もしない方が楽だ。
   楽なパターンを選択しているだけ?
   それによって、愛が自分から溢れるチャンスを逃している。

   自分最優先では愛の栓は閉まってしまう。
   保身第一では愛はほとばしれない。
   保身第一で心配だけしていれば、何も問題は起きない?
   亀さんスタイルで生きていれば、必要最小限の危険で済ませられる?
   でも、それでは人生のダイナミズムは味わえない。
   新しいことは何も体験できない。
   それでは何のために生まれてきたのかわからない。
   わざわざこの世に生まれてくる必要もない。

   この世に生を持つということは、新しいチャレンジをするということ。
   自分の中にある可能性を花開かせるということ。
   愛や叡智やいのちを輝かせてみるということ。
   それをしないのであれば、生きていても仕方がない。
   様々な経験をし、学び、成長し、楽しむ。
   この世とは、そのようなところ。

   心配するために生まれてきたのではない。
   でも、気づかないうちに心配している?
   ハイ、気づいてください。
   心配している自分に。
   そして、スパッと心配をやめてください。
   もし本当に心配が無意味だとわかったら。

   ぜひ心配のない人生を体験してみてください。
   心配はまったく必要ありません。
   一切なくても何も問題はありません。
   それでも心配?          
                (明日に続きます) 
                  
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苔の煌き
2006-07-19 Wed 12:56
苔ー32
 

   磁力 - 3    (昨日の続きです)

   無色透明の意識というのは、ハイアーセルフや魂の意識をも超えている。
   魂でさえ色がついている。
   そうでなかったら、個々の魂の違いがわからない。
   それぞれの魂の存在意義もない。
   魂にも、各自個性がある。
   各人格に個性があるように。

   各々の魂に元々固有の磁力があり、それに伴う経験も異なるので、
   個性ができる。
   それは人格と異ならない。
   意識の構造は、十重二十重(とえはたえ)の同心円。
   無色透明の意識から人格まで、波動の違いによって多層の同心球と
   なっている。

   その意識存在のすべてに、無色透明の意識が浸透している。
   生命のすべてに、いのちが浸透しているように。
   元の元の元は、ひとつ。
   多次元に存在するものは、波動のバリエーション。
   ひとつの波動が遅くなり、多様化したもの。

   肉体の中に人格意識が入っているように、人格意識の中に魂意識が
   入っている。
   その魂意識の中には、無色透明の意識が入っている。
   つまり、肉体の中には人格も魂も無色透明の意識も、すべて入っている
   ことになる。
   多層的に浸透し合っている。
   人という存在は、単純ではない。
   肉体意識を含めた幾つもの意識の層の総体。
   そのトータルが人間存在。

   生まれて来る赤ちゃんは、既に自分の磁力を持っている。
   親や周りにいる人は、その磁力に沿って育ててあげるといいだろう。
   自分の子供をこのように育てたいというのもいいが、子供には子供の
   プログラムがある。
   それを尊重するしかない。
   そのプログラムの達成をサポートするのが、親の役割ではないだろうか。
   子供の持つプログラムを信頼し、子供と共に生きることだろうか。
                
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ヤクスギランド
2006-07-18 Tue 09:53
ヤクスギランドー01
  

   磁力 - 2    (昨日の続きです)

   人の意識は、自分が持って生まれた磁力と、その時代の環境とによって
   形成される。
   磁力と時代と環境が出会う。
   その出会いの結果が、記憶として蓄積される。
   そのため、意識は時代と環境に条件づけられる。

   人の意識は自由ではない。
   まず自分自身の磁力。
   次に時代と環境の影響下にある。
   そのことに気づかない限り、人は持って生まれた磁力と時代と環境の
   産物に過ぎない。
   もう一度自分自身を見つめ直さない限り、人は条件づけられていることにも
   気づかず、一生を終わる。

   物質次元で生きていく中で、人は物質の虜になる。
   肉体ベースの自我に囚われ、自分に固執する。
   自分の周りに、ありとあらゆるものを寄せ集め、更に自我を強化する。
   自我に囚われる中で、本来の自分を見失う。
   過去の記憶に縛られ、やがて身動きが取れないようになる。
   今生のプログラムを完全に忘却する。

   このサイトで書き続けているのは、過去からの自由。
   条件づけられた意識からの自由。
   時代と環境に縛られた意識からの自由。
   それらを超えない限り、本来のプログラムは自覚されない。
   物質に拘束され、意識の自由はないに等しい。

                               (明日に続きます)
                 
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透明な水
2006-07-17 Mon 13:58
透明な水ーwater-18
  

   磁力 - 1      

   生まれ出た赤ちゃんは無色透明ではない。
   既に色がついている。
   赤ちゃんには、それぞれ個性がある。
   みんな同じではない。

   それは胎内でできたのだろうか。
   そうではなくて、胎内に入る前に準備されている。
   今生はどんな人生を生きるか。
   そのプログラムは、この世に来る前に計画される。
   生まれ出て来る時には、西洋占星術で言うような性質が既に潜在している。
   つまり、ある磁力を持って今生に誕生して来る。

   その磁力に引き寄せられて、周りでいろんな出来事が起きる。
   それを記憶していくことになる。
   結果的に、その人が持っている元々の磁力=今生のプログラムに応じた
   記憶が形成されていく。

   もちろん、今夜の夕食のおかずやデザートまではプログラムして来ない。
   最後の晩餐のような重要なものしか計画は立てない。
   日常的なものは、その時の状況に応じていろいろ変化する。
   どの程度まで計画してくるかは個人差がある。

   いずれにしても、幼少期には過去世に似た状況を再体験するような
   プログラムが多い。
   過去世といっても数え切れないほどの過去世がある。
   その中から今生と関わりの深い過去世を選んで、疑似再体験をする。
   それは今生でクリアーしなければならない課題の場合もあるし、
   今生で花開かせようとする才能の場合もある。
   生まれてくる時に、今生の目標を設定して来る。
   その計画に必要なものを幼少期に体験することになる。

   それら幼少期の体験をベースに、今生を生きていく。
   幼少期の体験によって、今生の人格の基本パターンが形成される。
   それが今生を生きていく上での意識の乗り物となる。
   もちろん、それは成長と共に変化する。
   しかし、基本的な人格のパターンは維持される場合が多い。
                   
                               (明日に続きます)   

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森に射す木漏れ日
2006-07-16 Sun 12:30
森に射す木漏れ日ー04-m
  

   主体 - 3     (昨日の続きです) 

   自分自身を見守ることによって、思考や記憶に支配されない主体が
   芽生える。
   見守る意識が育つ。
   それは思考や記憶の次元を超えている。
   主体が思考や記憶の次元からシフトする時、時代が変わる。
   戦争と悲惨の歴史が終わる。
   ハートベースの真の平和の時代が来る。

   それは一人一人の生き方にかかっている。
   メシアは現れない。
   一人一人がメシアになるしかない。
   一人一人が自分自身から自由になるしかない。
   自分を縛っているものは、自分以外にはいない。
   自分を縛っているものは、思考と記憶が編み上げた
   思い込みという縄。
   それが自分をガンジガラメにしているだけ。
   まさに自縄自縛(じじょうじばく)。

   その縄を解(ほど)くには、自分自身を理解するしかない。
   思考と記憶が中心になった自分という意識を深くわかるしかない。
   思い込みワールドでもがいている自分を深く深く理解する。
   それらが真に理解され、思考や記憶から自由になった時、
   新しい時代が始まる。
   今とは違う主体が確立する時、まったく異なる人生が展開する。
   それがこれからの楽しみ。

   記憶は意識のほんの小さな部分。
   思考も意識の一部。
   それらは必要に応じて活用するもの。
   間違っても使われるようなことがあってはならない。
   思考や記憶の奴隷になるのではなく、
   それらを使いこなす主体になる必要がある。

   それらを否定せず、それらを大きく包み込み、見守りながら
   生きる。
   必要に応じて使う。
   必要以上に使わない。
   けっしてそれらに支配されない。
   それらを超えた主体性を確立する。                           

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苔の雫
2006-07-15 Sat 11:43
苔ー31
  

   主体 - 2     (昨日の続きです) 

   記憶に支配されない。
   記憶の虜(とりこ)にならない。
   記憶は生かして使う。
   記憶は必要なツール。
   でも、記憶に振り回されない。
   それは過去のデーター。
   単なるデーター集。
   そんなものに振り回されても仕方がない。
   自分の主体性をしっかりと持つ。
   記憶に支配されないと明確に決める。

   自分の意識の中の一部に記憶の領域を保持する。
   しかし、記憶に意識のすべてを明け渡さない。
   正確に言うと、記憶を元にした思考に自分の意識を奪われない。
   思考の独り歩きをストップさせる。
   思考の暴走を許さない。
   しっかりと記憶と思考の役割を理解する。

   記憶も思考も生きるには必要なもの。
   しかし、それらがすべてではない。
   それは意識の中の一部。
   自分の主体を思考に置かない。
   思考を超えた意識の主体を確立する。
   思考や記憶は意識の一部に留める。

   大きな主体が小さな思考や記憶を包み込む。
   まるで同心球のように。
   大きな意識が小さな思考や記憶を見守る。
   思考や記憶を超えなければ、思考や記憶に使われる。
   主体であるべき意識が、従体になってしまう。

   しっかりしないと、妄想の中で自分を見失う。
   意識をクリアーに保つ。
   それには、まず自分自身の意識の動きを見守る必要がある。
   自分自身を理解しないことには、思考や記憶から自由になることはできない。
   なぜなら、「私」=自我とは思考や記憶に他ならないから。
   それが今の意識の主体になっているものだから。

   思考や記憶中心の主体から、それらを超えた主体に切り替わる必要がある。
   そうならない限り、いつまでも思考や記憶に振り回される。
   自由はどこにもない。
                             (明日に続きます)

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愛子岳
2006-07-14 Fri 12:36
愛子岳ー3
  

   主体 - 1    

   今に生きるということは、過去を忘れるということだろうか。
   しかし、過去を完全に忘れてしまえば、今に新鮮に出会えるけれども、
   同じ過ちを犯すことにもなりかねない。
   過去は記憶しておくべきか、それとも、完全に忘れるべきか・・・

   記憶しておかねば困ることもある。
   電車やバスの乗り方は記憶していないと、その都度聞かなければならない。
   お金の価値や使い方も記憶しておく必要がある。
   それ以外にも、ガスや水道や電気の使い方。
   時計や信号の見方、文字や車の運転・・・
   パソコンの使い方も記憶していないと、日記を読むことさえできなくなる。
   そういう意味では、記憶は必要ということになる。
   いくらコンピューターが発達しても、ある程度の記憶は自分の中に
   キープしておく必要がある。
   記憶なしでは生活できないと言っても過言ではない。

   では、何でもかんでも記憶していればいいかというと、そうとも言えない。
   過去の忌まわしい記憶を、いつまでも大事に持っていても仕方がない。
   屈辱の記憶も栄光の記憶も今を生きるのを妨げる。
   悲しみの記憶をいつまでも持ち続けていれば、幸せな人生にはならない。

   要は、事実としての記憶は問題ないが、
   自分の感情や思い込みが付加された記憶は人生の障害になり得る。
   評価され、解釈され、自我となった記憶はトラブルの元になる。
   それは自我の価値観を通過した記憶ということだろうか。
   事実を事実として記憶されたものは、特に問題はない。
   しかし、自我を通って記憶となったものは、今に白紙の状態で出会うことを
   妨げる。

   今を生きるためには記憶がいる。
   しかし、記憶に支配されてはいけない。
   過去の恐怖に支配されて、今を恐れても何の意味もない。
   事実を直視することを忘れ、事実を過去の目を通して見て恐れおののく。
   事実だけを見ればいい。
   恐れる必要はない。

   記憶されているものは似たような状況の時に思い出される。
   電車の切符を買う時には、それが役に立つ。
   その時は記憶は有効に機能する。
   ところが、過去に失敗したり、深く傷ついたり、事故に遭ったりすると、
   似たような状況になった時に、それが連想されて心が動揺し、
   同じような失敗を繰り返したりすることもある。
   その場合は、記憶は人生の妨害要因になる。
   また、以前に会った時にイヤな印象を持つと、
   次に会った時も以前の記憶で見てしまう。
   それは先入観や偏見となり、今の事実をありのままに見ることを妨げる。

   記憶は役に立つ場合もあれば、逆の場合もある。
   役に立つ記憶は保持しながら、役に立たない記憶には縛られないことは
   可能だろうか。   
                             (明日に続きます)

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羽神の滝
2006-07-13 Thu 09:50
羽神の滝ー02
  

   祈り - 3    (昨日の続きです)

   できるだけ相手を尊重する。
   相手の存在を、そのまま尊重する。
   自分の希望を押しつけない。
   自分の祈りを押しつけない。
   相手の生き方を尊重する。

   ただ相手と一緒にいる。
   ただ事態と一緒にいる。
   その時、どれだけ深く一緒にいられるかが問われる。
   どれだけ意識の深いレベルで一緒にいられるか。
   意識のどの次元で生きているか。
   日々の生き方が問われる。

   思いを超えた次元で、ただ一緒にいる。
   いかなる思いもなく、ただ一緒にいる。
   共に苦しみ、共に泣く。
   ただ涙がこぼれる。
   苦しんではいない。
   泣いてもいない。
   ただ涙がこぼれるだけ。

   色の世界の苦しみや悲しみと共にいる。
   空の世界の、それらを超えた次元と共にいる。
   共に苦しみ、共に悲しみ、それらを見守る。
   苦しみや悲しみの心は伝わる。
   それは涙となって頬を伝う。
   それでも静かに見守る。
   ただ見守る。
   思いを超えて見守る。

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エネルギースポット
2006-07-12 Wed 12:09
虹ー6
  

   祈り - 2    (昨日の続きです)

   祈りには、願いがある。
   その願いはどこから来るのだろう?
   自分の願望?
   愛?

   愛自体には方向性はない。
   相手と一緒にいれば、自然に相手に流れる。
   何もしなくても相手と一緒にいることによって、愛の方向性が決まる。
   愛のエネルギーは癒し。
   無条件の癒し。
   何の願望もない。
   自我の入る余地はない。
   ただ純粋な愛が流れるだけ。

   本当に深く人と居切れるだろうか。
   自分の思いの混じらない純粋な愛が流れるほど、相手と一緒に居切れる
   だろうか。
   目の前の現象に目を背(そむ)けないで、その現象と共に居切れるだろうか。
   目の前の事実から逃げないで、事実と共に居切れるだろうか。
   どんな悲惨な現実でも、どんな苦しい状況でも、それらと共に居切ることが
   できるだろうか。

   安易な祈りに逃げないで、事実と共に居切る。
   それができるだろうか。
   できれば、人生が変わるかもしれない。
   思いの次元から自由になれるかもしれない。

   思いを超え、ただ静かに一緒にいる。
   深い深い静けさの中で、共にある。
   その時、思いを超えた次元から別のエネルギーが届く。
   その時、必要であれば必要な変化が起きる。
   自我の判断を超えた変化が・・・

   自我で判断し、祈る。
   一歩間違うと、欲望の祈りとなる危険を孕(はら)んでいる。
   もし祈るのならば、自分自身をよーく見つめながら祈るといい。
   それが意識のどのレベルから来ている祈りか・・・
   自我ではないという思い込みに注意しながら・・・
  
                             (明日に続きます)

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夏の朝
2006-07-11 Tue 12:40
朝陽ー09-r
  

   祈り - 1

   必死の祈りが実現したという話は、たまに聞く。
   自分の命と引き替えに子供の命をお守りくださいという母の必死の祈りは、
   聞き届けられることもある。
   しかし、いつも聞き届けられるとは限らない。
   子供が自ら死を選べば、母親の願いは虚しく消えるしかない。
   子供にとっては、それで十分。
   母親も子供を亡くした体験を今生ではすると潜在意識で決めている場合もある。
   悲惨な現実が、必ずしも悪いということではない。
   必要があって、そのような現実を引き起こしている場合もある。

   交通事故によって、これまでの生き方を見直す機会に恵まれる。
   重病になって、生きていることのすばらしさに目覚める。
   障害児が生まれることによって、何が大切なのかに気づく。
   一般的に悪いと思われていることが、必ずしも悪いわけではない。
   現象の利害得失だけでは推し量れないものがある。

   「人生万事塞翁が馬」という諺もある。
   何が吉となるかわからない。
   表面の浅はかな気持で判断すると、大きな過ちを犯すこともあり得る。

   ただ事実と共に留まる。
   事実と一緒にいる。
   事実を直視する。
   事実から逃げない。
   事実と居切る。

   相手は苦しいだろう。
   早く楽になってほしい。
   楽にしてくださいと祈る。
   それも悪くはない。
   でも、もう少し深く相手と一緒にいることはできないだろうか。
   どうしてこんなに苦しんでいるのか。
   もっと深く感じることはできないだろうか。
   相手と一緒に居切ることによって、相手の状態を更に深く感じることは
   できないだろうか。

   本当に相手と一緒に居切れたら、相手の状態が手に取るようにわかる。
   それと同時に、こちらから相手へエネルギーが流れる。
   何もしなくても、一緒にいるだけでエネルギーが流れる。
   祈るまでもなく・・・        
                             (明日に続きます)

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山頂から吹き上げる雲
2006-07-10 Mon 11:40
雲ー24
  

   瞑想とは

   瞑想とは
   すべての相対が止んだところ
   動きのない世界
   絶対の静寂

   成長を求める心
   永遠を求める心
   悟りを求める心
   それらの心が止んだところ

   あらゆる心の動きが止み
   あらゆる思いが止み
   すべてが静まるところ

   正邪 善悪 美醜 優劣
   それらすべての比較が止み
   相対・比較のない世界

   それはまるで宇宙空間のようなスペース
   すべての星々を包み込み
   在らしめている空間
   良いも悪いもなく
   無条件にすべてを見守っている空間

   色と同時に存在するところ
   色と別の空間があるわけではない
   すべての色に浸透し
   すべての色を包み込んでいる空間

   瞑想とは
   日常から分離したものではない
   日常と共にあるもの
   日常に浸透し日常と共に生きるもの

   ゆっくりとすべてを包み
   見守りながら生きていく
   それが真の瞑想


   『刻々に 形を変えて 動く雲 見守る空は 変わることなし』

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苔の光と雫
2006-07-09 Sun 10:44
苔-30
  

   瞑想 - 3  (昨日の続きです)

   何も難しいことはない。
   気張ってやることもない。
   瞑想とは、リラックス。
   緊張の逆。
   頑張ろうとすれば緊張する。
   楽にやることだ。

   自分と一緒にいて、どんどんリラックスしていく。
   自分自身をどんどんゆるめていく。
   静かに見守りながら。
   ただただ自分自身と一緒にいる。
   ゆっくり背中や後頭部の方から自分を見守る感じ。
   意識を背後の方へ持っていく。

   最初から長くやることはない。
   短めで持続する方がいい。
   だんだんやり方がわかってくる。
   決められた時間帯というものもない。
   静かな時間であれば何時でもいい。
   ただ時間帯によって感じるものは違ってくる。
   時間帯のエネルギーというものがあるから、自分で注意して
   みるといいだろう。

   以上だけれども、基本は自分自身と一緒にいるということ。
   それは瞑想中も日常生活も変わらない。
   静かに自分自身を見守っている。
   それが大原則。

   ゆっくり、楽にやればいい。
   瞑想は集中ではない。
   集中は緊張。
   緊張していては、潜在意識はほぐれない。
   潜在意識がほぐれなければ、その奥にあるものは出て来ない。
   背骨を真っ直ぐにして、後は楽に自分自身を見守っていればいい。

   ゆっくり、楽にというのも、日常生活と異ならない。
   瞑想と日常生活というのは別々のものではない。
   基本的に違わない。
   生きるスタンス。
   静かに自分自身を見守りながら生きる。
   それが次の時代の生き方。

   自我オンリーの生き方から、”個であり全体であり”という生き方へ
   シフトするためのスタンス。
   まず自分自身を見守る。
   自分自身を見守ることによって、意識のポイントが自我から
   見守る方へシフトしていく。

   瞑想も日常生活も同じ。
   見守ることによって自我を超えていく。
   瞑想は、それを集中的にやるだけのこと。
   日常生活でも必要なこと。
   両方やれば相乗効果がある。
   より早く潜在意識が浄化される。
   それは、人生を楽に生きれるということを意味する。

   生きるスタンス=見守りスタンス。
   瞑想も日常生活も変わらない。
   見守り続けていくしかない。
   その先に真実の自分自身が待っている。
   
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朝陽のジェット
2006-07-08 Sat 07:20
朝陽のジェットー23-m
  

   瞑想 - 2  (昨日の続きです)

   静かなところで、一人座る。
   座布団でもイスでもかまわない。
   自分自身と一緒にいる。
   自分の中から、いろんな思いが浮かんでくる。
   それを静かに見守る。

   一切、判断も解釈もしない。
   ただ出て来るものを静かに見守る。
   見守ること以外は何もしない。
   それが瞑想。

   最初は、5~10分ぐらいから始めればいい。
   長ければいいというものでもない。
   気がついたら眠っていたということもあるかもしれない。
   眠り込むほど長くやらないことだろうか。
   短めに背骨を延ばして座ればいい。

   無念無想になるということは、当分期待しない方がいい。
   普通は、表面意識が静かになれば、潜在意識の中に溜まって
   いたものがどんどん出てくる。
   それは果てしないほど出て来る。
   しばらくは、それを見守るしかない。
   それが何年続くか、何十年か何生か、なんとも言えない。
   それは個人差があるので、短くて済む人もあるかもしれない。
   今生は出続ける人もあるかもしれない。
   やってみなければわからない。

   何も保証のない世界。
   一人一人の人生が異なるように、潜在意識の中にあるものも異なる。
   その量も質も異なる。
   それは自分自身で確かめるしかない。

   いずれにしても、静かに自分自身と一緒にいる。
   そうすることによって、これまで溜め込んでいたものが解放される。
   解放されるにつれて、普通は楽になる。
   しかし、出て来るものに囚われれば、苦しくなることもある。
   そこで瞑想をやめてしまえば、苦しみが続くことになる。

   パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
   箱を開けるまでは、なんとか誤魔化して生きていくことができた。
   でも、パンドラの箱の中身を見てしまうと、恐怖に襲われる。
   瞑想を始めるなら、自分の中にあるものを洗いざらい直視し、
   すべてクリアーにするくらいの覚悟はいるかもしれない。
   その覚悟がないのなら、最初からやらない方がいい。
   やらなくても、日常生活の中で、いやでも出て来るから・・・

   瞑想というのは、座ってやるだけのものでもない。
   日常生活も、基本的に瞑想と変わらない。
   いろいろな状況(縁)にふれ、潜在意識に溜まっていたものが
   反応として出て来る。
   瞑想しようとしまいと、出て来ることに違いはない。
   出てきた時に、反応に呑み込まれて更に潜在意識の蓄積物を
   増やすか、それとも、その反応を見切って、囚われから解放
   されるか。
   それは基本的に瞑想と変わらない。

   日常生活でも出てくる反応を、瞑想の中でも出しているだけのこと。
   瞑想の中で出していけば、それだけ日常生活のトラブルが防げる。
   瞑想の中で潜在意識が解放されれば、日常生活は楽になる。
   瞑想中の見守る意識は日常生活でも持続するようになる。
   やがて、常住坐臥が瞑想となる。
                                
                              (明日に続きます)
     
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カタバミ
2006-07-07 Fri 12:11
カタバミー01


   瞑想 - 1

   そもそも瞑想とは何だろう?
   瞑想というと、座禅を思い浮かべる人も多いだろう。
   最近はスポーツ選手のメンタルトレーニングでも瞑想とかを用いる。
   瞑想にもいろいろあるのだろうか・・・

   自分自身の中に、宇宙の始まりも終わりもある。
   自分自身の中に、すべてのすべてがある。
   愛も光もいのちも、自分自身の中に満ちている。
   宇宙の本質が自分自身の中にある。
   そのことを真にわかるための方法が瞑想なのかもしれない。

   つまり、瞑想とは、自分自身を深くわかること。
   深く、深く、自分の本質を実感すること。
   それが瞑想ということではないだろうか。

   自分自身を深くわかるには、自分自身と一緒にいなければならない。
   自分自身を深く、深く感じていかなければならない。
   そのプロセスが瞑想とも言える。

   それは自分自身とひとつになる道。
   真の自分自身へ還る道。
   真の自分を自覚する道。

   瞑想は難しくはない。
   ただ自分自身と一緒にいればいいだけ。
   深く、深く一緒にいればいいだけ。
   自分の中に深く入り、自分自身を体験する。
   自分の奥の奥は、宇宙に繋がっている。
   そこは自他の分離のない世界。
   無限の無限の世界。

   瞑想のための方法は、たくさんある。
   ヨガ、仏教、道教、他の宗教にもある。
   オーソドックスなもの以外でも、瞑想法の本はたくさん出ている。
   しかし、基本を間違えないことだろうか。

   超能力や神秘体験をめざす瞑想は、自我を強化してしまう。
   瞑想は、自我からの自由を意味するとは限らない。
   最初の目的を間違えれば、深い闇の世界に入り込むこともあり得る。
   最初の一歩が、最後の一歩。
   自分自身を深く深くわかるというベースを忘れないことだろうか。

   ロウソクの炎を見つめたり、呼吸に意識を集中したり、マントラを唱えたり、
   イメージを思い浮かべたり、音楽に集中したり・・・
   瞑想のためのメソッドはたくさんある。
   しかし、メソッドを実行すると、テクニックに気を取られ、
   瞑想そのものが表面的なもので終わりやすい。
   意識が外に向くので、深く内面に入れなくなる可能性が高い。

   足を組むとか目を半眼にするとか、形式に囚われると目的を忘れてしまう。
   背骨が真っ直ぐであれば、後のことは自由でいい。
   静かに目をつぶって自分自身と一緒にいる。
   但し、途中で誰かが邪魔することのないように、事前に話しておく必要がある。
                                 
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高速船トッピー
2006-07-06 Thu 11:36
高速船トッピーー12-d


   自覚

   パニックになった時に冷静になる方法?
   そんなの簡単ですよ。
   一生懸命バニクルこと。
   要は、自分がパニクっていると自覚することですよ。
   目一杯パニクったら、いい加減自分のバカさかげんが見えて、
   冷静になるんじゃないの?
   なにはともあれ、キーワードは自覚するということなのですよ。
   自分の状態が明確に意識できれば、的確な対応もできるというものでしょう。
   自分の状態が把握できないと、何もできないのです。
   だから、逆にパニクった時は目一杯パニクって、
   自分の状態を明確に意識するんですね。
   パニクっている自分に負けないくらいの自覚力が必要なのですよ。
   つまり、自覚した途端、冷静に戻れるほどの意識力。
   それは普段から明確に自覚することを意識的にやることによって育つのですね。   
  
                      >>屋久島ナチュラルヒーリング  BBSより 



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硫黄島
2006-07-05 Wed 10:11
硫黄島ー13-o


   迷路

   心が迷路に入ったらどうする?
   あわてないことだね。
   山で遭難した時と同じだよ。
   冷静であれば、助かるよ。
   あわてたり焦ったりすると、さらに深みにはまるよね。
   静かに時を待つということも大事かな。
   一晩ぐらい野宿する覚悟があるといいかもね。
   まあ、助かるものだったら、助かる。
   助からないものだったら、あきらめるんだね。
   そんな感じでいれば、大丈夫だよ。
   迷路にいる時は、迷路をよーく体験してください。
   冷静に迷路を体験するんだよ。
   そうすれば、迷路から抜けられるよ。
   迷路というのは、本当は心が迷っているだけなんだね。
   心が静かに落ち着けば、迷路も消えるんだよ。
   腹を据えて迷路を体験してください。
      
                      >>屋久島ナチュラルヒーリング  BBSより 


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苔の光
2006-07-04 Tue 07:51
苔-17


   所有 - 2

   悟りとは、差を取り払うこと。
   差とは、識別であり判断。
   識別や判断は色の世界。
   悟りとは、有限の色の世界から抜け出ること。
   差のない世界に飛び出すこと。
   有限のものを所有しないこと。
   何も所有しないこと。

   何も所有しない時に初めて、差がなくなる。
   何もない。
   すべてがある。
   色ではなく、空の世界に入る。

   空の世界には所有はない。
   なぜなら、すべてのすべてだから。
   所有すれば色の世界になる。
   何も所有しない。
   だからこそ、分離がない。

   所有することは、分離すること。
   無限の宇宙から一部を切り取ること。
   それを自分だと思い込むこと。
   無限から有限になること。
   空の世界を忘れて、色の世界に埋没すること。
   所有とは、所有したつもりが所有されること。
   色の世界の虜になること。
   色の世界の囚われ人になること。

   何も所有しないということは、自己限定を外すこと。
   何かを所有することは、自己を限定すること。
   所有することは豊かなのではなく、無限から自分を切り離すこと。

   頭が空っぽの時にだけ、この宇宙のすばらしさがわかる。
   何も所有しない時にだけ、この無限の恵がわかる。
   所有すれば、所有しただけの喜び。
   それは限定され制限された喜び。
   自分で枠をはめた喜び。

   無限の無限の限りない喜びは、所有することによって消え去る。
   無限の喜びは、何も所有しない時にだけある。
   所有すれば、限られた喜び。
   所有しなければ、限りない喜び。
      
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碧い水
2006-07-03 Mon 14:36
碧い水ー17-may


   所有 - 1

   これまでの世の中は、富を持つ者、高い地位のある者、
   権力のある者、知識のある者が尊重されてきた。
   つまり、多くを持つ者。
   多くを持てば持つほど、偉いと思われてきた。
   しかし、いくら多くを所有しても、持てるものは限られている。
   それは有限の色の世界の一部を持ったに過ぎない。
   いくらたくさん持っても、有限の世界の外には出れない。

   自我とは、所有。
   価値観やプライドや心の傷や自己イメージ・・・
   それらの総体が「私」。
   つまり、自分が精神的に所有しているもの。
   成長とは、所有の拡大。
   経験、ものの見方、価値観、判断力、それらの能力の向上・・・
   自分という枠の拡大。

   しかし、そのいずれもが有限なものの拡大。
   有限の色の中での拡大。
   いくら拡大しても、有限という枠の外には出られない。
   所有できるものは、色。
   色は有限。
   所有=色という枠の中にいる限り、いくら所有しても有限の中。

   所有というのは、所詮、コップの中の嵐。
   有限というコップの中で右往左往しているだけ。
   限られたパイを取り合っているだけ。
   所有というのは、所詮、制限。
   所有するが故に、その所有したものに限定される。
   つまり、制限される。

   所有すること自体が、制限を自分に課すこと。
   所有とは、制限。
   多くの富を所有したつもりが、有限の富に縛られているだけ。
   所有することによって、無限から遠ざかる。

   悟りとは、差を取り払うこと。
   差とは、識別であり判断。
   識別や判断は色の世界。
   悟りとは、有限の色の世界から抜け出ること。
   差のない世界に飛び出すこと。
   有限のものを所有しないこと。
   何も所有しないこと。         (明日に続きます)
        
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ジシバリ
2006-07-02 Sun 05:06
ジシバリー01


   後悔

   「もっと早く気づいていれば、人生が違っていたかもしれない・・・」
   とは、いったい誰が言っているのでしょうか。

   それは現実と仮定との比較から生まれるのでしょうか。
   それとも、現実をありのままに認めたくない思考のいたずらでしょうか。
   あるいは、今よりもっと豊かに生きたかった自我の後悔でしょうか。

   大切なのは今であり、今の事実と共に生きるということです。
   今を十二分に生き切れていれば、たぶん過去に対する後悔が
   生まれてくる余地は全くないでしょう。
   なぜなら、後悔している時は必ず今ではなく過去に目が向いている
   からです。

   今を十全に生き切っていない時にのみ、後悔は存在します。
   今この瞬間を生きることが全てであり、過去や未来に意識が向かう時、
   幻想や妄想が生まれます。
   その時、リアリティからの分離が起きます。
   ただ愕然として、そのまま無言で留まるところから、変化が生まれるのでは
   ないでしょうか。
   後悔や羨望では従来と同じパターンに逆戻りです。
   ただ沈黙だけが変化をもたらすように思われるのですが・・・
                           
                           K-Communication №44より                    

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