いのちの写真と光の言葉
6月27日早朝の虹
2006-06-30 Fri 09:56
虹ー11
  

   自我(エゴ)- 2

   「自分の思うようになってほしい ― だから自分でなんとかしようとする」
   「自分の期待するようになってほしい ― だからいつも結果を気にしている」
   「自分の望むとおりになってほしい ― だから将来のために今を犠牲にする」

   それらは全て自我の行為です。
   そして、同時に苦しみの行為でもあります。
   ”自分で”何とかしようとすると苦しくなります。
   大多数の人はそれで悩み苦しんでいます。
   そうではなく、環境と他人と自分とをよく観察し、理解するとき、
   自分で何とかしよう、自他を変えようとする必要は全くありません。
   理解の結果として自分の中から自然に出てくる行為をそのまま行えば
   いいだけです。
   結果を求めて行うのではなく、自分の心が今感じ、今真に望むことを、
   今すぐに行うだけです。

   「・・・何とかしよう」 「・・・変えたい」 という目的を持った恣意的(思考的な)
   行為ではなく、ただ理解から起きる純粋な行為があるだけです。
   ”自分で”何とかしようと力むと苦しいのですが、理解の結果としての自然な行為で
   あれば苦しくはありません。
 
                                  (明日に続きます)                           
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苔の雫
2006-06-29 Thu 07:54
苔ー16


   自我(エゴ)- 1

   人は先ず、問題を環境や他人という自分以外のせいにし、
   それを変えようとします。
   ところが、それが容易ではないとわかると、そこから逃避しようとします。
   しかし、いくら逃避しても問題が根本的には解決しないことに気づくと
   今度は自分のせいにして自分自身を変えようとします。
   いずれも自分が他(対象化した自分も含めて)に働きかけて変えようとする
   パターンです。
   そこで、自・他の葛藤が起きます。

   自分の思うように変えたいと思うところから全ての苦しみが始まります。
   他人を変えようとしても苦しいし、自分を変えようとしても苦しくなります。
   自分の思うようにしたいと思う限り、苦しみはつきまといます。
   自分の思うようにしたい ― それこそが自我(エゴ)です。
   そういう意識のゾーンにいる限り、お互いがそうですので、
   必ず苦しみがつきまとう構造になっています。

   この苦しみから抜け出る道は、その意識ゾーンから離れるしかありません。 
 
                                  (明日に続きます)                           
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木霊の森
2006-06-28 Wed 12:03
木霊の森-060616-01


   自覚 - 2

   自分の心こそが動揺や混乱、悩みや苦しみを造り出している元凶です。
   そのことが真に自覚されると、もうどうすることもできません。
   自分自身こそが問題なのですから、もはや自分自身が何かをするという
   ことは全くできなくなります。
   もうどうにも動けず、どうにもならない・・・
   ただ立ち止まって、黙するしかない・・・

   その時、問題を造り出すことが止みます。
   その時、問題そのものが消えます。
   自分が問題を造り出していたということが本当に自覚されれば、
   それによって問題を造り出す力が消えます。
   自分こそが問題そのものであったと深く自覚されれば、
   それが問題の終わりです。

   それだけが唯一の真の解決策です。
   自分自身が造り出している問題は、自分自身が造り出すことを止めるしか
   ありません。
   ただそれだけです。
   それ以外の方法は、まだ方法を実行している自分(問題の元凶)が
   働いているため新たな別の問題を造り出してしまいます。

   ただ心が静まるしかありません。
   心が静かであれば、即、問題はありません。
   心が静かであれば、即、満たされています。
   心が静かであるためには、自分こそが問題を造り出している元凶であると
   真に心の底から自覚することです。                             

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落(おとす)の滝
2006-06-27 Tue 11:43
落の滝ー3
  

   自覚 - 1

   自分の心が本当に落ち着いていないと外側に振り回されます。
   そして、落ち着いていない心は問題をすべて他のせいにしがちです。
   環境や他人(ひと)が悪いと思い、環境や他人を変えようとします。
   しかし、環境を変えても、自分自身が変わらない限り、
   また同じようなことが起きてきます。
   他人を変えようとしても、自分の望むようには変わってくれません。
   そこで、他人を恨み、社会を呪うということになります。
   しかし、外側のものは縁であって、因は自分自身にあります。

   ところが、そのことにやっと気づくと、今度は自分自身を変えようとします。
   変えるためにはどうすればいいか ― 様々な方法を模索し、
   いろいろと努力してみるのですが、他人と同じように自分自身も
   そう簡単には変わりません。

   自分自身を変えようともがけばもがく程、葛藤はつのり、努力すればする程、
   心は苦しくなってきます。
   そこには変えようとしている自分こそが変わるべき対象そのものであるという
   絶対矛盾が存在します。
   (Krishnamurtiが言う「観察者は観察されるものである」というパラドックスです)

   必要なことは、環境や他人や自分を変えようとすることではなく、
   深く自覚すること、はっきりと気づくことです。   
                                 (明日に続きます)     

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綿毛
2006-06-26 Mon 12:45
綿毛ー01
     

   自分ワールド - 2

   心豊かに生きることも、心貧しく生きることも、どちらでも可能。
   いろんなものをいーっぱい集めたいというのも、別に悪くはない。
   そうしたければ、そうすればいい。
   でも、いくら集めても、心は豊かにはならない。
   集めれば集めるほど、心は貧しくなる。
   金銭や物質の多少と、心の豊かさとはまったく関係がない。

   ある程度の物がなければ、やはり貧しい?
   日本では貧しくとも、アフリカや北朝鮮では豊かだ。
   現代では貧しくとも、江戸時代に比べれば超豊かだ。
   それらはすべて相対的。
   絶対的な基準はない。
   ただ自分が周りと比較して、豊かか貧しいかを決めているだけ。
   末期癌の人にとって、金銭や物質が何の意味があるだろうか。
   残された時間を、日々感謝をして、人生を味わって生きれたら、豊かだ。
   逆に、癌になった運命を呪い、不平不満で生きれば、貧しさの極みとなる。
   同じ状態でも、心一つでどうにでもなるのだ。

   末期癌であろうと極貧であろうと、心豊かに生きることはできる。
   西行や山頭火は、ほとんど何も持たずに野山を歩き、心豊かな歌や句を詠んだ。
   弘法大師空海も、身一つで全国を歩き回っている。
   何もなくても、心豊かに生きることは可能なのだ。

   末期癌であろうと健康であろうと、何ら変わらない。
   今この瞬間が満たされていれば、それがすべてだ。
   いつか満たされるだろう?
   という生き方では、永遠に満たされることはない。
   いつかは常に未来であり、現在になることはない。
   今、この瞬間。
   それしかない。
   今、ここで満たされているかどうか。
   ただそれだけなのだ。

   未来はない。
   常に今しかない。

   自分が創り出している自分の人生。
   心が創り出している今の現実。
   すべては自分しだいなのだ。
   自分ワールド。
   ただそれがあるだけなのだ。

   心しだいでどのようにでもなる。
   不思議な世界だ・・・
         
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永田岳と水田
2006-06-25 Sun 11:09
永田岳と水田
  

   自分ワールド - 1

   朝、久しぶりに水を汲みに行く。
   水場には小さな沢ガニがいた。
   水を汲んで、「ありがとう」と言う。
   「ありがとうございます」でもいいのだが、なんとなく「ありがとう」と
   口から出る。

   「ありがとう」でもいいし、「ありがとうございます」でもいい。
   あるいは、黙って帰ることもできる。
   いろんな対応があり得る。
   自分で創っている自分ワールド。

   何事につけ、「ありがとう」「ありがとうございます」という生き方もあれば、
   「儲かった」「得した」という生き方もある。
   別にどちらが良いというわけではない。
   どちらでもいいのだが、出てくる言葉や思いによって人生は変わってくる。
   「ありがとう」「ありがとうございます」という生き方は、心が安らぐ。
   心が安らぐために「ありがとう」「ありがとうございます」では本末転倒だ
   けれども、まあ、形から入るというやり方もないではない。
   言葉の波動によって、いつの間にか本心から「ありがとうございます」という
   心境になるのであれば、それもいいかもしれない。
   ただ、「ありがとうございます」と言い続けると良いことが起きるという理由
   だけでは、御利益信仰とあまり変わらない。
   それでは、「儲かった」「得した」と同じ心境。
   「儲かった」「得した」という心境では、奪い合いになってしまうので、
   本当はあまり儲かっても得してもいない。
   金銭や物質的には儲かったり得したりしているかもしれないが、
   失っているものも大きい。

   まず心の豊かさを失ってしまっている。
   「儲かった」「得した」では、心は貧しい。
   いつまで経っても満たされることはない。
   満たされない心が一番貧しいのだ。
   「ありがとう」「ありがとうございます」の方は豊かだ。
   心は既に満たされている。
   満たされているということが、心が一番豊かな状態なのだ。
   豊かさというのは、金銭や物質の多寡ではない。
   心が満たされているかどうか、ただそれだけなのだ。
   だから、自分で創り出している自分ワールドに他ならない。
   心が創り出している自分ワールド、それがすべてなのだ。
         
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ミヤコグサ
2006-06-24 Sat 12:57
ミヤコグサー01
  

   子育て - 2

   今の時代に生まれてくる子供は、潜在的には、お母さんよりも
   深く理解している子供が多いでしょう。
   だから、子供に癒してもらってもいいのですよ。
   お母さんは子供を大切に育てる。
   その結果、お母さんは子供に癒される。
   なんというすばらしいシステムでしょう。
   そういうふうになっているのです。
   だから、そのように生きればいいのですよ。

   もちろん、子供は親のものではありません。
   親は子供がその子らしく育つのをサポートするだけです。
   主役は子供の方です。
   親はあくまで下支えです。
   その子を尊重して、本来のその子らしく育つように環境を整えて
   あげてください。
   その子の可能性を摘み取らないように。
   その子の持っている可能性を花開かせることができるように助けて
   あげてください。
   子供といえども一個の独立した存在です。
   自分の思うように育てるなど以ての外です。
   その子の意向を尊重してあげてください。
   そうすることによって、母親も癒されるのですから。   
     
                    >>日記 無色透明   BBSより


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ヤクシマシャクナゲ
2006-06-23 Fri 08:34
石楠花ー4


   子育て - 1

   子供からいーっぱい愛をもらうといいよ。
   子供は無条件に愛をくれるよ。
   まさに天使だね。
   自分の子供時代のトラウマを、子どもに癒してもらうといい。
   いーっぱい癒してもらうといいよ。
   でも、自分が癒されるためには、心から大切に育てることだね。
   自分がしてもらいたかったように育ててあげることかな。
   そうすれば、子育てしながら母親も癒されるでしょう。
   子供に感謝しながら子育てするといいよね。
   母親を癒すために生まれてきてくれたのだから。
   すばらしきかな、子育て!
        
                    >>日記 無色透明   BBSより

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立神岩の眺め
2006-06-22 Thu 07:14
立神岩の眺めー01


   私

   「私」というのも、過去の記憶をベースに、あるイメージを抱いているんだね。
   「私」というイメージ。
   過去の無数の記憶のうちから、いつの間にかつくりあげた幻想。

   もし記憶がなかったら、「私」は存在するだろうか?
   「私」は誰なの?
   記憶がなければ「私」は特定できない。
   ただ意識があるだけだ。

   「私」は「私」というイメージだ。
   自分が自分について抱いているイメージ。
   可変的なイメージ。
   思い込み。
   他に「私」の実体はない。

   だから、「私」にこだわることもない。
   どんな「私」にでもなれる。
   最低の「私」と決めつける必要はない。
   最高の「私」と決めつけてもいい。
   何でも可能。
   「私」なしも可能。
   「私」なんかなくても生きていける。
   「私」がある時よりも楽に生きていける。
   「私」にとらわれる必要がないから。
   自由だ。
   昨日の「私」と今日の「私」は違う。
   風の吹くまま気の向くまま・・・
   自由だ。
   「私」がないと自由なのですよ。
   「私」があると「私」というイメージに縛られて不自由なんですね。
   「私」の利益を第一に考えなくてはならないし・・・
   それって疲れるんだよね。
   まあ、とっても軽くなるのは確かだね。
   時間をかけて、ゆっくりいきましょう。
      
                    >>日記 無色透明   BBSより

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露草
2006-06-21 Wed 11:20
露草ー03


   傷つく - 2

   自分の存在を否定されると、傷つく。
   それが傷つくことの基本パターンです。
   その傷つく「自分」の中身は、思い込み。
   自分がつくってきた思い込みワールド。
   それが自分です。
   その思い込みの自分が否定されると傷つく。
   まさに自分中心の世界です。
   自分が否定されると傷つく、ただそれだけの世界。
   愛の一欠片(ひとかけら)もありません。
   自分さえよければいい世界です。

   別にそれさえも否定する必要はありません。
   それはそれ。
   事実は事実。
   ただ、それを明確に自覚することです。
   深く自覚できたら、その世界から離れる。
   本来の自由な世界に戻る。
   ただそれだけです。

   相手の気持ちを受け止めるというスタンスはいいよね。
   ゆっくりと構えて、慌てないで、相手の気持ちをわかってあげるといい。
   そうすれば誤解は解ける。
   相手も自分の思い込みに気づく。
   相手も自分の思い込みから人を傷つけるようなことを行っている。
   相手も自分も同じ。
   思い込みと思い込みがぶつかりあっているだけ。
   まさに思い込みワールド。
   思い込みと思い込みが、傷つけあっているだけ。

   その世界にいる限り、傷つくことは避けがたい。
   思い込みワールドから抜けない限り、安全はない。
   静かに見守る。
   見守りワールドには、心のやすらぎがある。
   傷つく心配もない。
   ただすべてを無条件に見守る。
   やさしく、あたたかく見守る。
   それは、まるで太陽のよう。
   太陽に雲はない。
   太陽に闇はない。
   太陽は傷つくことはない。
     
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白谷雲水峡の屋久杉の切り株
2006-06-20 Tue 09:30
白谷雲水峡の屋久杉の切り株


   傷つく

   傷つかないために、ありのままの自分を見ないようにしている。
   目を逸らして、他のことで気を紛らわす。
   自分を守るために、必死で生きている。
   それはそれでわかる気もする。
   それはそれでいいのかもしれない。
   でも、それではいつまで経っても傷つくことから自由にはなれない。
   一生、傷つかないように神経質になって生きていかなければならない。
   ところが、その状態こそが一番傷つきやすい状態なのだ。

   恐れていることは、現実化する。
   傷つかないように生きていると、必ず傷つく。
   常に潜在意識の中に傷つくことが引っかかっている限り、必ず傷つく。
   傷つくことから逃げている限り、必ず傷つくのだ。

   恐れていることを直視しない限り、傷つくことから逃れることはできない。
   逃げている限りは、常に恐れがつきまとう。
   恐れから自由になる唯一の方法は、直面すること。
   恐れているものを直視すること。
   そうすると、即座に、恐れは消える。
   なぜなら、恐れというのは幻想だから。
   単なる思い込みに過ぎないから。
   何も実体はないものだから、見られれば消えてしまうのだ。
   闇に光が当たれば即座に闇が消えるように、恐れを直視すれば
   恐れは即座に消えてしまう。

   見るのを恐れているから、恐れがあるだけなのだ。
   傷つくのを恐れるから、傷つくことが消えないのだ。
   傷つくことを恐れないで、直視しよう。
   そうすれば、永遠に傷つかなくなる。
   あなたの中から、傷つくということはなくなる。
   そのためには、自分自身を見つめることだ。
   暖かく、やさしく、自分を見守ればいい。
   幼子を抱きかかえる母のように、自分自身を見守ればいい。
   恐れないで直視する。
   その時、恐れは消える。
   
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白谷川の新緑
2006-06-19 Mon 09:38
白谷川の新緑


   不快

   「自分が快くない時は、自分に原因がある」
   確かにそのとおりなのだ。
   快くないのは、自分。
   相手ではない。
   快くないと感じているのは、自分。
   相手ではない。
   相手のどこかが、自分に引っかかるのだ。
   それは自分の中に引っかかるものがあるということ。
   相手の何かに自分の何かが反応するのだ。
   それは同質のもの?
   相手は自分の鏡?
   そういう場合も多い。

   ところが、相手の中にはないのに自分のフィルターを通して見ている
   ために出てくる反応というものもある。
   自分の潜在意識の中にあったトラウマなどが、
   何気ない相手の言動や所作に反応するのだ。
   思い過ごし?
   思い込み?
   事実は?

   事実は、自分が不快に感じているということ。
   相手の中に自分と同質のものがあろうとなかろうと、
   不快は自分の心の中から沸き出してきている。
   相手ではなく、自分の心の中から。
   つまり、状況によって自分の心の中から不快が沸き出すということ。
   自分が状況に左右されているということ。
   自分の心の状態を自分でキープできないということ。
   状況次第ということ。
   主体性は?

   周りに振り回されている?
   状況によって自分がどちらにでも動かされる?
   周りに反応しているだけの自分?
   状況に支配されている自分?
   自分って、いったい何?

   相手を責める前に、
   相手を批判する前に、
   もう一度自分自身を振り返った方がいいのかもしれない。
   何が相手に反応しているのか、何を相手に投影しているのか、
   自分の中の原因を探ってみた方がいいだろう。
   そうでなければ、いつまで経っても状況に振り回される自分がいるだけだ。
   そこには主体性の欠片(かけら)もない。
   ただ周りに自動的に反応する自分がいる。
   それではロボットとあまり変わりはない。
   あなたは周りに振り回される一生を送るつもりなのだろうか。
   それでも別に構わないが・・・。
   でも、それではあまりにも自分が惨めではないだろうか。
   せっかくの一生が、誰の人生だかわからない。
   
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羽神の滝
2006-06-18 Sun 13:51
羽神の滝ー01


   自他

   自力というのは、個人、色の側だよね。
   他力というのは、神にすべてをゆだねるということだから、
   全体とか空の側だよね。
   でも、元々は「ひとつ」なわけで、自分と神を分けている間は分離しているんだね。
   元々「ひとつ」なんだから、自力も他力もないんだよ。
   自力だ他力だと騒いでいる間は、まだ自他の分離があって、
   色即是空、空即是色ではないんだね。
   つまり、自他の差があるから、差取り(悟り)ではない。
   自他が消えた時に初めて「ひとつ」になれる。
   自他が消えて統合されるんだね。

   だから、神に祈ることも、神にゆだねることも必要ない。
   自分自身が神なんだから。
   自分が自分に祈ったり、ゆだねたりなんて、何かヘンでしょう?
   だったら自分でやればいいわけで。
   自も他もないんだよ。
   ただ静かにやればいいのよ。

   陰陽はあり続けるよ。
   それは宇宙の構成原理だから。
   陰陽によって動きが生じるわけだから。
   ただ、自他という自分の思い込みが消えるだけだよ。
   自他がなければ、自力も他力もないんだよ。
   自他力?
   「ひとつ」力?
   それだけなんだね。
   心静かに行動するということがあるだけ・・・

                      >>日記 無色透明      コメント欄より


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センリョウ
2006-06-17 Sat 12:14
センリョウー16-f


   メシア

   アセンションの情報自体は、これからもっと流れるでしょうが、
   信じるかどうかというのがありますからね。
   本当に気づけた人は、幸いですよね。
   まあ、どの程度の人が気づくか・・・
   でも、今回はメシアは現れないでしょう。
   偽メシアはたくさん出てくるでしょうが。
   一人一人が自分のメシアになるのですね。
   最終的に自分を救うことができるのは、自分しかいないわけですから。
   他力本願では救われないのですね。
   自力でやれるところまでやって、やがて自力が消えるところまでいったら、
   救われるかもしれない。
   最後まで自力だったら、これもまた救われないのですね。
   自力というのは、自分へのこだわりだから。
   自力と他力が融合するというか、共に消えるのですよ。
   自力も他力もなくなる。
   意識が統合されるというか、シフトするのですね。
   今回は、それを一人一人が体験するはずです。
   弥勒菩薩やマイトレーヤーは、もういらないのです。
   一人一人が自分で体験できるようにプログラムされていると思いますよ。
   メシアの時代は終わったのです。
   もう新しい時代なのですよ。

                      >>日記 無色透明      コメント欄より


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木霊の森
2006-06-16 Fri 13:35
木霊の森ー06


   自分

   本当の自分と向き合うのが怖いということもあるよね。
   本当の自分に気づいたら、もうウソの自分では生きれない・・・
   ウソの自分で生きてみて、本当の自分で生きたくなったら、
   本当の自分に戻ってもいい。
   ウソの自分も自分。
   それもまた人生経験。
   でも、深さが違う。
   満たされ度が違う。
   心のやすらぎも違うかな・・・

                      >>日記 無色透明      コメント欄より


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苔と光
2006-06-15 Thu 11:40
苔ー29


   ビジョン - 2

   ビジョンがあってもいい。
   それが魂のビジョンであれば。
   それが生まれてくる前のビジョンであれば。
   今生だけのビジョンでなければ。

   魂のビジョンであれば、生まれてくる前のビジョンであれば、
   それは源につながっている。
   それは宇宙の流れにつながっている。
   元の元から来た流れだ。
   その流れに乗る時、物事はスムーズに流れる。
   何事も自然に実現する。
   それが宇宙の流れだから。

   三次元、物質次元の狭い経験から創りだした自分のビジョンで生きるか、
   それとも、生まれてくる前に創ってきた本来のビジョンで生きるか、
   いずれも可能だ。
   どちらを選ぶかによって、人生は大きく変わってくる。

   あなたの人生だ。
   あなたが決めることだ。

   静かに 静かに 自分自身と一緒にいる
   静かに 静かに 自分自身を感じる
   自分自身・・・
   自分自身・・・
   これが自分自身
   これが本来の自分自身
   裡から感動が湧き上がってくる
   これが自分自身
   感動の源
   すべての源
   そこには自分はいない
   ただ感動があるだけ
   私はいないのだ

   何もない
   何もない
   ただ感動がある
   ハートが感動している
   ただそれだけ
   それだけ・・・

   何もなくても
   何もほしくない
   何もなくても
   何もいらない
   すべてがあるから

   ただハートが感動に打ち震えているだけ・・・

                      >>無色透明 より    全文は >>こちら


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木霊の森
2006-06-14 Wed 02:41
木霊の森ー22-1


   ビジョン - 1

   人それぞれにビジョンがある。
   それは今生で創ったビジョン?
   それとも、生まれてくる前に創ったビジョン?
   今生のビジョンと生まれてくる前に創ったビジョンが一致すれば、
   それは100%実現する。
   今生のビジョンを持ってなくても、自分の人生の流れに沿って生きていれば、
   生まれてくる前に創ったビジョンがそのまま実現する。
   もし、今生のビジョンと生まれてくる前に創ったビジョンが一致しなかったら?
   さて、これは難しい。

   願望実現法というのが、巷には氾濫している。
   もし、その願望が生まれてくる前のビジョンに近いものであれば、
   それはスムーズに実現するだろう。
   でも、まったく懸け離れていたら?
   なかなか実現は難しい。
   それでも念力で力まかせに実現させたら?
   欲望は実現するだろうが、今生の目的は達成されないだろう。

   それでも、その人生は間違いだったということではない。
   あくまで人生の主導権は、今の意識にある。
   今生の目的は達成できなかったけれども、それなりの人生を体験したのだ。
   でも、魂は悲しんでいるかもしれない。
   今生の目的が達成できなかったわけだから。
   そのために送り出したのに・・・

   自分自身と一緒にいて、自分の中をよーく感じてみる。
   本当は自分は何をしたいのか。
   今生で何をしたいのか。
   今、何をしたいのか。

   深く自分の中を感じられたら、きっとそれが生まれてくる前に自分が計画したことだろう。
   本当は、それをやりたいに決まっている。
   そのために生まれてきたのだから。
   だから、自分と一緒にいて、自分をよーく感じてみよう。

   物質に踊らされ、肉体に翻弄され、自分の魂の声を忘れる。
   この世の富を求め、この世だけで通用する名声を欲しがる。
   欲望のままに人生を終え、残るものは何だろうか。
   残るものは、虚しさだけだ。
   あの世へ帰って自分を振り返って見て、感じるものは慚愧の念だけだ。
   何のために生まれたのか・・・

   それもまた人生ではあるけれど・・・
   自我の、エゴの人生だ。
   それもまた否定するものではないけれど・・・
   でも、なにかさびしい。

   人生のビジョンを持つ生き方もある。
   ビジョンに向かって、いきいきと生きる。
   それも悪くはない。
   夢があって、楽しそう。

   でも、ビジョンを持たない生き方もある。
   何のビジョンもなく、生きる。
   ただ生きる。

   キリスト教的に言えば、神の御心のままに。
   神道的に言えば、惟神(かむながら)。
   道教では、無為自然。
   仏教では、空。

   いずれも恣意をはさまず、ただ宇宙の心のままに生きる。
   それは、小さな自我のビジョンを生きるのではなく、元の元のビジョンを生きる生き方。
   それが自分の源、元々の生き方。
   本来の生き方とも言える。         (明日に続きます)

                      >>無色透明 より    全文は >>こちら


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ヤクシマシャクナゲ
2006-06-13 Tue 09:46
石楠花ー3


   苦しみ  

   苦しみとは何だろう?
   苦しいとはどういうことだろうか
   事実がある
   その事実が自分にとって都合が悪いということだろうか
   自分の立場が危ういとか
   自分の思うようにならないとか
   自分にとって厳しいとか
   その時
   人は悩み もがき 嘆き
   苦しむのだろうか

   ただ事実がある
   でも 
   その事実は受け入れがたい
   だから苦しむのだろうか
   受け入れてしまえば
   苦しみは終わるのだろうか
   耐えがたい仕打ち?
   受け入れがたい屈辱?
   絶対許せない行為?
   そういう時に
   人は苦しむのだろうか

   苦しみとは何だろう?
   人はなぜ苦しむのだろうか
   事実がある
   その事実を受け入れられないということだろうか
   それは先入観であり
   固定観念であり偏見だろうか
   つまり思い込みだろうか
   こうあるべきだ
   こうでなければならない
   と思っているのに
   事実はそうではない
   その時
   人は苦しむのだろうか

   自分が思っているとおりに事が運ばない
   自分の予想と反したことが起きる
   その時
   人は苦しむのだろうか
   自分の将来を憂い
   暗い未来を予想して
   人は苦しむのだろうか

   それらはすべて思考の為せる技だろうか
   あれこれ思い悩むことによって
   苦しみが生じているのだろうか
   思い悩まなければ
   苦しみはないのだろうか

   苦しみの原因は何だろう?
   思いだろうか
   あれこれ先のことを心配するからだろうか
   あれこれ昔のことを悔いるからだろうか
   ああしなければよかった
   こうしとけばよかった
   これからどうなるのだろう
   この先大丈夫だろうか

   考えれば
   悩みは尽きない
   苦しみは
   いや増すばかり
   では考えなければいいのだろうか
   ただ事実と共に生きれば・・・

   必要以上に考えない
   余計なことは考えない
   先のことを思い煩わない
   わからないことは考えない
   ただ目の前の事実と共に生きる
   そのように生きれば・・・

   思い込みや先入観
   固定観念や偏見を
   転換する
   目の前の事実をベースに生きる
   思い込みや固定観念をベースに生きない
   先入観や偏見を前提にしない
   それらのものが事実と合わなければ
   それらのものを手放す
   思い込みではなく
   事実と共に生きる
   前提がなくなれば
   苦しみも消える
   ただ事実だけが残る

   思い込みや固定観念
   先入観や偏見
   それらと共に生きようとすると
   苦しみが付きまとう
   ただ目の前の事実と共に生きれば
   苦しみはない

   ただ事実があるだけ
   それを苦しいと思うこと自体が
   苦しみ
   それ以外に苦しみはない
   苦しみは自分がつくっているもの
   客観的苦しみというものはない
   苦しみは常に主観的なもの
   自分がつくりだしているに過ぎない

   目の前の事象を苦しみと捉えると
   苦しみになる
   目の前の事象を単なる事実と捉えれば
   苦しみはない
   苦しみとは思いがつくりだす幻想
   苦しみの実体はない
   ただそれを苦しみと思っているだけ
   思い込み
   それが苦しみの実体
   思いが紡ぎ出す幻
   それが苦しみというもの

   『現実を 苦しみとして 捉えれば 苦しみとなる ただの事実が』

                        >>無色透明 より


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睡蓮
2006-06-12 Mon 11:55
睡蓮ー03


   信じること - 2  (昨日の続きです)

   絶対に裏切られないもの。
   それは信じることの必要のないもの。
   信じる・信じないの次元を超えたもの。
   比較・相対の思考の次元を超えたもの。
   そこでは、既に信じるという行為そのものが存在しない。
   なぜなら、信じる必要がないから。
   誰の目にも明らかなものは、信じる意味がない。

   信じる・信じないという次元は、不明瞭な世界。
   はっきりしないから、信じようとする。
   あるいは、はっきりしないから、信じることを躊躇(ためら)う。
   明確であれば、何も信じる必要はない。
   信じなくてもクリアーに生きていける。

   要は、そのようなクリアーな意識で生きることではないだろうか。
   何事も明確に見えるクリアーな意識であれば、信じる必要はまったくない。
   意識が曖昧だから、信じようとするだけ。
   意識が明晰ならば、何も信じる必要はない。

   そもそも信じるというのは、自分に自信がなくて、何かに寄りかかろうとする
   行為ではないだろうか。
   信じれば救われる?
   だから、信じようとする?
   救いを求める弱い心?
   自分の足だけでは立っていられない弱い意識?
   だからこそ、救いを求める?

   しかし、その救いは弱い意識が想定した範囲内のもの。
   弱い意識は必死に縋(すが)ろうとするが、ガラスのように繊細な想定範囲は
   すぐに破られてしまう。
   疑いが生じ、やがて裏切られたという気持ちに変わる。
   信じたものに裏切られるのに、そんなに時間はかからない。

   何ものにも裏切られない生き方。
   それは何も信じないこと。
   何も信じないで、クリアーに生きること。
   裏切られるのが怖いから信じないのではなく、信じる必要がないから信じない。
   そういう選択肢もある。
   ある次元まで行けば、そういう選択肢しかない。
   信じる・信じないの次元を抜ければ、信念や信仰は無用の長物。
   ただ事実と共に生きればいいだけ。

   いつまでも信じる・信じないという曖昧な思考の次元にいないで、
   スッキリさわやか、クリアーな次元で生きればいい。
   自分を理解すれば、その空間が待っている。
   いつまでも泥沼の中で生きていたい?
   それとも、泥沼から咲く蓮の花になる?

   『泥沼を 抜けて花咲く 蓮の花 地上の穢(けが)れ 残すことなし』

                      >>無色透明 より    全文は >>こちら


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ヤクスギランド ヘビの木
2006-06-11 Sun 11:26
ヘビの木

   
   信じること - 1

   信じると裏切られるは、一対。
   信じることがなければ、裏切られることもない。
   信じるが表で、裏切るが裏?

   裏切られるのは、自分の思い込み。
   裏切られるとは、想定外ということ。
   想定内では、裏切られないことになっていた。
   しかし、結果は想定外。
   そこで、裏切られたと言って相手を非難する。
   しかし、相手が裏切ったわけではない。
   相手は自由に行動しただけ。
   こちらが勝手に相手の動きを想定しただけ。
   それが見事に外れたというだけのこと。

   それは相手のせいではなく、まさに自業自得。
   自分の想定ミス。
   にもかかわらず、普通は相手を責める。
   相手のせいで自分が被害をこうむったかのように主張する。
   その時、自分の想定ミスは棚上げされている。

   何度か裏切られる経験をすると、今度は裏切られるのが怖くなり、
   誰も信じないようになる。
   これ以上傷つくのがいやなので、自ら信じることを封印する。
   でも、人を信じることができないと、さびしい。
   結果、心が揺れ動く。
   信じたいけど、信じられない。
   信じれば裏切られそうで、もう一歩深く踏み込めない。
   それが、あらゆる人間関係に影を投げかける。

   信じても裏切られないものはないのだろうか。
   それは永遠の真理だろうか。
   人は信じても裏切られないものを求めて旅に出る。
   精神世界という旅へ。
   しかし、そこにも信じれば救われるという世界が広がっている。
   救世主やメシアを信じる。
   グルや教義を信じる。
   生まれ変わりや永遠の魂を信じる。
   天国や自己の成長を信じる。
   それらを信じれば本当に救われるのだろうか。

   救われる場合もある。
   但し、それが永続するという保証はない。
   いつ裏切られるかもしれない。
   なぜなら、信じることと裏切られることは表裏一体だから。
   それは精神世界も一般世界も変わらない。
   自分の想定外のことが起きれば、いつでも裏切られる。
   自分が想定した時点で、裏切られる準備をして待っているようなもの。
   いつでも裏切られるスタンバイ状態。

   相手は裏切ろうとは思っていない。
   しかし、こちらの想定外のことをすると、裏切ったと見なされる。
   それは精神世界、一般世界を問わない。
   なにしろ信じる・裏切るの世界は、信じた人の想定範囲にかかっている。
   その想定範囲が狭ければ、すぐに裏切られる。
   想定範囲が広ければ、裏切られるのに時間の余裕がある。
   ホリエモンは拘置所に入ることを想定していただろうか。
   もし想定していれば問題はないが、想定していなければ、
   世間に裏切られたと思っているだろうか・・・

   信じれば、裏切られる!
   場合が多い。
   それは自分の狭い了見で信じるから。
   想定範囲がこれまでの自分の人生に限定されているから。
   人は自分の経験を通して物事を見ている。
   結果、自分の過去からしか想定できない。
   だから、不確定な未来に、すぐに裏切られてしまう。
   未来は過去の繰り返しではない。
   未来は常に想定外のことに満ちている。
   信じた途端、同時に裏切られる高いリスクを背負うことになる。

   それでも、信じる?
   それとも、信じることをやめる?

   絶対に裏切られることのないものがある!
   と言ったら、信じる?
   もう何も信じない?      (明日に続きます)

                      >>無色透明 より    全文は >>こちら


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熱帯睡蓮
2006-06-10 Sat 11:13
熱帯睡蓮ー1


   ポジティブ - 2 (絶対的ポジティブ)

   一方、絶対的なポジティブというのも存在する。
   それはネガティブを前提としないポジティブである。
   故に、絶対的なポジティブなのだ。
   不動のポジティブ。
   揺らぐことのないポジティブ。
   ネガティブに反転することのないポジティブ。
   それは理解から生まれる。
   人生の理解から生まれる。
   深い人生の洞察から生まれるのだ。
   前向きに生きるしかない。
   他に選択の余地はない。
   それが真に理解された時、人は絶対的なポジティブになる。
   後退はない。
   前進あるのみ。
   それが人生だ。
   前を向いて生きるしかない。
   後退はあり得ない。
   無限の未来に向かって進むのみ。
   実際は、前も後ろもない。
   ただ、今を生きるのみ。
   生きる姿勢なのだ。
   真剣に生きることだ。
   前とか後ろというのは喩え。
   生きる姿勢だ。
   エネルギーのほとばしりだ。
   萎縮していないということ。
   静かに活性化しているということ。
   絶対的なポジティブ。
   消えることのない炎。
   煌めき続ける光。

                      >>無色透明 より    全文は >>こちら


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朝陽
2006-06-09 Fri 12:28
朝陽ー04-r


   ポジティブ - 1 (相対的ポジティブ)

   ポジティブという言葉にも二種類の意味がある。
   一つは相対的なポジティブ。
   もう一つは絶対的なポジティブ。
   人は常に前向きに生きるしかない。
   過去の教訓を生かして、前を向いて生きるしかないのだ。   
   それは絶対的なポジティブ。
   他に選択肢はない。
   それが本来の生きる道だ。
   だから、絶対的なポジティブ。
   人の生き方としての道。

   もう一つの相対的なポジティブは、功利的なポジティブ。
   便宜的というか、自分に都合がいいから、自分にとってプラスになるから、
   ポジティブに考える。
   もしネガティブに考えた方が自分にとって得であれば、きっとそうするであろう
   日和見主義的なポジティブ。
   あなたにとって得だから、リッチになれるし欲望は何でもかなうから、
   ポジティブに考えましょう、というポジティブシンキング。
   それはネガティブに考えると、自分にとって不利になるから、
   ポジティブに考えましょうという、極めて功利的な考え方。
   自己中心的というか、自分の利益を第一に考えた生き方。
   それはネガティブあってのポジティブ。
   ネガティブではだめだから、ポジティブに考えましょうという相対的な
   ポジティブ。
   そういう意味でのポジティブシンキングには、かなり無理がある。
   自分にとっては悲劇としか思えない現実を、無理してポジティブに考える
   必要がある。
   ポジティブに考えることによって自分の未来がバラ色になるならと、
   ギブ・アンド・テイクみたいな、取引関係のポジティブ。
   それは本当の意味でのポジティブではない。
   絶対的なポジティブではない。
   揺れ動くポジティブ。

   「これでいいのだろうか」
   「本当にこれで大丈夫だろうか」
   常に不安がつきまとう。
   故に、なかなか真のポジティブになりきれない。
   常に疑問を伴い、完全なポジティブにはほど遠い。
   それ故、思ったような結果が出ない。
   一抹の疑念でもあれば、想いは現実化しない。
   逆に、疑念の方が強ければ、疑念の方が現実化してしまう。
   これがポジティブシンキングの陥りやすい落とし穴。
   多くの人がここのところで行き詰まってしまう。
   ポジティブシンキングで成功する人は少ない。
   最後まで全うできないのだ。
   途中で疑念の方が大きく心を占めてしまう。
   それではネガティブシンキングだ。
   相対的なポジティブシンキングは、その裏にネガティブシンキングを
   隠し持っている。

   ポジティブとネガティブは表裏一体なのだ。
   一歩間違えば、すぐにネガティブにひっくり返るのが相対的な
   ポジティブである。
   相対的なポジティブは、ネガティブの否定の上に成り立っている以上、
   常にネガティブをはらんでいるのだ。
   つまり、ネガティブあってのポジティブなのだ。
   ポジティブだけでは存在できないのだ。
   それが相対的なポジティブシンキングの限界である。
   ある時はポジティブであり、別の時はネガティブに反転する。
   相対的なポジティブの宿命である。       (明日に続きます)

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ミヤコグサ
2006-06-08 Thu 13:12
ミヤコグサー04


   主体性 - 2

   この世はコントロール不能、この世はままならないと思い込んでいる状態と、
   この世は自分しだいと思い込んでいる状態。
   その差は歴然としている。
   前者はまるで主体性がない。
   まだ主体性が本当には確立されていない。
   後者は少なくとも主体的に生きようとしている。
   エネルギー状態がまるで違うのだ。
   前者は運命の波に翻弄される笹舟。
   後者は怒濤渦巻く大海に向かって出航する梵天丸。
   そう、紀伊国屋文左衛門が命懸けで嵐の海へ漕ぎ出したミカン船。
   結果は歴然。

   チャレンジするかしないか。
   どちらでも可能。
   でも、一生、いや、死んだ後々までも運命に翻弄されたいのだろうか。
   訳のわからないものに支配されたいのだろうか。
   もうそろそろ目覚めてもいい頃ではないだろうか。
   本来の自分の力に。
   本来持っている無限の可能性に。
   そういう時代が刻々と近づいている。

   真の主体性が確立されればされるほど、人は宇宙に近づく。
   自分が宇宙とそっくりであることに気づく。
   宇宙の創造が、自分の創造と何ら変わらないことに気づく。
   宇宙が創造するように自分も創造していることに気づく。
   何のことはない。
   宇宙も自分も同じなのだ。
   宇宙がすべてを包み込み、すべてを創造しているように、
   自分もすべてを包み込み、すべてを創造している。
   自分ワールドを創造しているのだ。
   それは宇宙ワールドと然(さ)したる違いはない。

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屋久島灯台
2006-06-07 Wed 14:33
屋久島灯台ー31-j


   主体性 - 1

   この世はコントロール不能?
   この世はままならない?
   そう思ってしまえば、人生はそのように展開する。
   自分の信じるとおりの人生が目の前に繰り広げられる。
   生まれてこの方、自分の望むとおりになったことよりも、
   自分の望むとおりにならなかったことの方が圧倒的に多いかもしれない。
   そのため、多くの人が人生はコントロール不能と思い込んでしまって
   いるのではないだろうか。
   また、成長する過程で、
   「人生は苦しいことばかり」「人生はなかなか思うとおりにならない」
   という無意識の刷り込みが周りからなされたかもしれない。
   なにしろ、人生はままならないと思っている人の方が圧倒的に多いのだから。

   大多数の人が被害者をやってきた。
   だからこそ、メロドラマが存在し得た。
   悲劇のヒロインが存在するためには、人生はコントロール不能でなければ
   ならない。
   人生がコントロール可能であれば、誰も好きこのんで悲劇のヒロインは
   やらない。
   みんなハッピーエンドで終わってしまう。
   それでは面白くもおかしくもない。
   そこで、人生は思い通りにいかないことにして、被害者や加害者を創作して、
   ドラマが始まる。
   その方が圧倒的に面白いのだ。
   みんな面白い方に参加する。
   ただそれだけのこと。
   面白いドラマに参加して夢中になっているうちに、本気でコントロール不能と
   思い込んでしまったのだ。
   そう思い込まないことには、自分が悲劇のヒロインにはなれなかった。
   人生の数奇な運命に弄(もてあそ)ばれるヒーローやヒロイン。
   それはみんなの憧れであり、望みなのだ。
   そういう集合意識が、コントロール不能という世界を創り出してきた。

   でも、もうその魔法は解けようとしている。
   集団思い込みは終わろうとしている。
   みんなが自分の思い込みに気づき始めているのだ。
   本来のコントロール可能ということに目覚めつつある。
   時代が転換しようとしている。
   運命に翻弄される時代から、運命を切り開く時代へ。

   この世はままならない。
   この世はコントロール不能。
   という思い込みを外せるだろうか。
   この世は自分の思うとおりに展開する。
   この世は自分の望むとおりに創造できる。
   そのように転換できるだろうか。

   この世は自分しだいというのも、それが真に実感されるまでは別の思い込みに
   過ぎない。
   でも、コントロール不能よりも、遙かに自由度のある思い込みだ。
   実際に実践して、本当に理解された時に、それは思い込みではなくて、
   自分にとっての真実となる。    (明日に続きます)

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海から上がる虹
2006-06-06 Tue 11:58
虹ー10-海から上がる虹


   第四チャクラ - 2

   ハートの奥には魂も宿っている。
   ハートのチャクラが開くことは、自分の深い意識が開くことでもある。
   今生だけの意識ではなく、過去や未来の意識も開く。
   魂の中に存在する永遠の意識が開く。
   地上で輪廻転生してきた記憶が甦る。
   今だけの人生は終わる。

   第四チャクラは、次の時代のチャクラ。
   アセンションした後は、ここがベースチャクラとなる。
   ハートを中心とした愛の世界が花開く。
   それはそんなに遠い未来ではない。
   今はハートを開くために、宇宙からいろんなエネルギーが来ている。
   それによってハートが開く人もたくさん出始めている。
   ハートの時代は近づいている。

   静かに静かに思考を見守っているといい。
   思考に翻弄されないで、思考を見守る。
   そして、ハートで行動する。
   ハートの感じを大切にする。
   ハートが喜んでいるか、悲しんでいるか。
   その感覚を尊重する。

   選択するのは自分自身。
   しかし、ハートの感覚を大切にしていると、やがてハートのエネルギーが
   自分に満ちる。
   そうなれば、自然にハートをベースに行動するようになる。
   それが新しい時代の生き方となる。
   アセンションするには、それが必要条件になる。
   思考に翻弄されなくなれば、必要十分条件となる。

   急ぐことはない。
   ゆっくり自分のペースでやればいい。
   自分自身を見守りつつやればいい。
   こちらも一緒に見守っているから・・・

   『天と地を つなぐ柱は 真っ直ぐの 一筋の道 迷うことなし』

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コナスビ
2006-06-05 Mon 14:45
コナスビー1-2


   第四チャクラ - 1

   第一チャクラは、生命のチャクラ。
   第二チャクラは、感情のチャクラ。
   第三チャクラは、思考のチャクラ。
   今の人類は、ここまで使っている。
   しかし、まだ第三チャクラの使い方を完全にマスターできているとは言い難い。
   その証拠に、思考がつくり出した自我という幻に翻弄されている。
   自我と自我がぶつかり合って、争いが絶えない。

   科学や技術の分野においては、思考はすばらしい働きをしている。
   今のコンピューター社会は思考の産物だ。
   思考なくして今の社会はあり得ない。
   それは問題ない。
   問題なのは、私的思考。
   主観的、精神的思考の分野だ。
   こちらは、はなはだ心もとない。

   まだ思考がつくり出す恐怖や不安に駆られる人も多い。
   考えすぎて苦しんだり自殺する人も後を絶たない。
   人類は思考に支配されていると言っても過言ではない。
   けっして思考を自由に使いこなしてはいない。
   科学技術の分野では思考を縦横に使っている。
   しかし、私的・主観的分野では思考に翻弄されている。
   思考に支配され、思考に使われ、本来の自分を見失っている。
   今の人類は、まだまだ思考を完全に使える状態とは言えない。
   未熟としか言いようがない。

   では、思考を成熟させるにはどうすればいいのだろうか。
   それは、思考を見守ること。
   注意深く見守って、思考の働きを理解すること。
   真に理解されれば、思考に翻弄されることもなくなる。
   よくよく注意深く見守る必要がある。

   思考が成熟に近づくと、第四チャクラが活性化し始める。
   第四チャクラは、ハートのチャクラ。
   それは愛のチャクラであり、魂のチャクラでもある。
   人体内の七つのチャクラの中心に位置し、上下三つのチャクラを繋ぎ合わせる
   役目も担っている。
   調和、バランス。
   天と地を繋ぐものであり、調和させるもの。

   上の三つのチャクラが持つ宇宙的エネルギーと下の三つのチャクラが持つ
   地上的エネルギーを結び合わせ、調和させる。
   愛とは、結びつける力。
   一つに統合するエネルギー。
   ハートのチャクラが開けば、愛があふれる。
   すべてが愛おしくなる。
   すべてが愛に満ちているのがわかる。
   それは自分の中にあるものであり、自分の外にあるものでもある。
   愛が愛に共感する。
   愛と愛が共振する。
   ハートのチャクラが開ききれば、愛の世界となる。   (明日に続きます)

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愛子岳
2006-06-04 Sun 07:47
愛子岳ー2


   宇宙の心 - 3

   善も悪も、美も醜も、好きも嫌いも、快も不快も、
   みんな抱き参らせというのは、大和心。
   大きな和の心。
   和とは、輪であり、環でもある。
   みんなが手をつないで円になっている姿。
   実は、みんなが一つの環。
   「ひとつ」
   相対的なものは、一つのものが幾つにも分かれた姿。
   それは色の世界。
   色の世界の有り様(よう)。
   でも、それらすべては空の世界では一つのもの。
   「ひとつ」
   その色の世界のすべてを包容しているのが、宇宙の心。
   そのすべてを生かし存在させているのが、宇宙の心。
   その宇宙の心が、抱き参らせ。
   まるで赤子を抱くような心。
   それこそが大和心。

   もっと身近でわかりやすく言うと、見守るということ。
   すべてを暖かく見守る。
   すべてを包み込んで、やさしく見守る。
   それが大和心であり、宇宙の心。

   この世の現実がどんなに悲惨でも、けっして宇宙の心は冷たく見放してはいない。
   悲嘆や苦悩や愛憎・・・そのすべてを暖かく見守っている。
   それは間違いない。
   なぜなら、すべての人のハートは暖かいから。
   ハートが閉じている人もいるけれども、開けば暖かい。
   今はその人は孤独という体験をしているだけ。
   それさえも宇宙の心は無条件に暖かく見守っている。
   ゆっくり、すべてを暖かく見守りながら生きていこう。

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三島村に沈む夕陽
2006-06-03 Sat 14:00
三島村に沈む夕陽ー06-e


   宇宙の心 - 2

   本来、人は三次元だけの存在ではない。
   それを三次元だけの存在だと思い込んでいるのだ。
   そのために、限られた資源だと思って争い合う。
   ところが、実際は三次元だけの存在ではない。
   そのことが自覚されると、限られた資源という認識も変わってくる。
   自分の意識が限られているので、資源も限られているように感じるのだ。
   意識が三次元に限定されているので、資源も限定されているように思えるのだ。
   人が本来の多次元的存在に目覚めれば、けっして資源は限られていない。

   宇宙は無限。
   当然、エネルギーも無限。
   無限のエネルギーを活用すればいいだけの話。
   それが意識が三次元に限定されているので、狭いコップの中で争い合うことになる。

   限定を外す。
   自己限定を外す。
   三次元の肉体存在だという自己限定を外せば、人は本来の自由に戻れる。
   そうすれば、また別の道が開ける。
   人はスピリチュアルな多次元存在なのだ。

   あらゆる次元
   あらゆる空間
   あらゆる波動を
   静かに見守る

   善も悪も
   美も醜も
   好きも嫌いも
   快も不快も
   すべてのすべてを
   無条件に包み込んで
   暖かく見守る

   それが宇宙の心
   すべてを存在させている「ひとつ」の心

   それと同じ心が
   誰の中にもある
   自分の中の
   善も悪も
   美も醜も
   好きも嫌いも
   快も不快も
   すべてまとめて包み込み
   ただ静かに見守る

   自分の中のすべてを暖かく見守れたら
   他の人のすべても暖かく見守れる
   他の人のすべてを暖かく見守れたら
   宇宙のすべてを暖かく見守れる
   それが宇宙の心
   誰の中にも生きている宇宙の心    (明日に続きます)
 
                      >>無色透明 より    全文は >>こちら


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安房の海に架かる虹
2006-06-02 Fri 14:53
安房の海に架かる虹ー15-f


   宇宙の心 - 1

   自分の思いと相手の思いが違う時にどうするか。
   正直にお互いが自分の思いを出し合うのが一番早道かもしれない。
   そういう間柄であれば、何も問題はない。
   極力、話し合うことだ。
   お互いが相手の気持ちをわかり合えれば、きっと解決の道が見つかるだろう。

   では、率直に話し合えない場合はどうするか。
   普通は、そういう場合が圧倒的に多いだろう。
   「ただ愛したい・・・」と心の中で呪文のように唱える?
   それも悪くはない。
   それで心の中の戦争が収まり、相手を理解しようという気持ちが生まれるのなら、
   そう捨てたものでもない。
   でも、愛したいということは、愛していないということの裏返しでもある。
   同じ唱えるなら「愛したい」より「愛しています」の方がいいかもしれない。

   でも、それでは自分を洗脳しているような気分になるのだったら、
   別の道もあるのかもしれない。
   それは、「抱(いだ)き参らせ」という道。
   具体的に言うと、自分の言い分も相手の言い分も、共にそのまま受け止めると
   いうこと。
   両方同時に受容する。
   両方が相矛盾しているようなものでも、そのまま受け止める。
   善も悪も、美も醜も、好きも嫌いも、快も不快も、みんなまとめて受け止める。
   なぜなら、それらのものは二つで一つのものだから。
   陰陽、+-、いずれも二つでワンパック。
   善も悪も、美も醜も、好きも嫌いも、快も不快も、みんな二つで一つ。
   片方がなければ、もう片方も存在しない。
   この世はおしなべて相対の世界。
   二つでワンパックの世界。
   そういう視点で物事を捉えると、あまり対立は起きない。
   同じ目線で捉えるから、二律背反になってしまう。

   両方を一緒に見る視点というのは、例えて言えば、三角形の頂点から
   見ているようなもの。
   同じ目線というのは、底辺の両端。
   それは三次元という同じ次元。
   三次元は相対界であるために、どうしても対立が生じやすい。
   それを別の次元から見ると、全体の仕組みがよくわかる。
   つまり、三角形の頂点から見るということ。
   三次元の相対立するものを両方とも抱き参らせ、見守る。
   そうすると、何かが違ってくる。

   三次元の同じ平面で生きているから対立が起きる。
   立体の中で生きれば、物事が違って見える。
   そこから自ずと異なる解決の道が現れる。   (明日に続きます)
 
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サクラツツジ
2006-06-01 Thu 15:43
サクラツツジー03


   真実を生きる - 2

   もし何かを信じたければ、自分自身を信じることだ。
   自分の外側の何かではなくて、自分自身を信じることだ。
   そうすれば、本当に救われる。
   まさに、信じるものは救われる。

   外にあるものを信じている限り、救われることはない。
   一時的に救われたように思う時があるかもしれないが、それは永続しない。
   なぜなら、それは思い込みだから。
   思い込みは、現実との間に摩擦を生じる。
   現実と思い込みの間には必ずズレが生じてしまう。

   もし何かを信じたければ、自分自身を信じることだ。
   そうすれば、裏切られることはない。
   自分自身を信じる時にだけ、救われる可能性がある。
   ただただ信じ切る。
   自分をどこまでも信じ切ることができれば、必ず救われる。
   自分自身は、けっして自分自身を裏切らない。

   あなたを救うのは、あなた自身だ。
   人を救うのは、その人自身だ。
   だから、他の人を救ってあげる必要はない。
   ただ、自分で自分を救うことができるのを伝えてあげればいいだけだ。
   あるいは、そう信じて、暖かく見守ってあげることだ。

   最終的に自分を救うことができるのは、自分自身だけだ。
   他の人は、あなたを救うことはできない。
   だから、メシアが来るのを待っていてもしかたがない。
   メシアが来ようと来まいと、自分を救うのは自分自身なのだ。
   自分をおいて他に自分を救える人はいない。

   ただ自分自身を信じ切る。
   自分自身の真実を生きる。
   誰にも頼らないで、自分自身を信じて、自分の道を生きる。
   自分の深い深い望みに耳を澄ませ、その願いを生きる。
   その時、道は自ずから開ける。

   自分の真実を生きる。
   それが唯一無二の道。
   他に道はない。
  
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