いのちの写真と光の言葉
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意識の枠
2013-02-09 Sat 13:29

夕陽の光芒ー02-may_09


『人間の 枠を外せば 天の川 意識たゆとう 宇宙の海を』

意識というのは、まだまだ未知の領域。
人の意識は、次元を超える。
時間を超え、空間を超え、普段の意識の枠を破る。
日常の意識では理解できないような領域にまで入り込む。

人間の赤ちゃんがオオカミに育てられると、オオカミとなる。
遠吠えをし、四つん這いで走る。
もちろん人間の言葉は、しゃべれない。
意識は、完全にオオカミ。

「氏より育ち」
人は、育つ環境の影響を強く受ける。
それによって意識の枠が決まってくる。
日本で生まれ育った人とアメリカで生まれ育った人とでは、同じ日本人
でも意識の中身がまったく異なる。

人は、ある意味、環境の産物。
意識は、成長過程の環境の影響を強く受ける。
その育った環境を理解しないで比較しても、あまり意味はない。
しかし、そうだからといって、環境がすべてとも言えない。

同じ環境下でも、みんなが同じに育つわけではない。
それぞれ吸収するものは、異なる。
自分に必要なものを吸収して成長していく。
そこに個性の違いがある。

元々持っている先天的なものがある。
それに加えて環境がある。
「孟母三遷」の例えの通り、環境の影響は強い。
しかし、元々の素質の問題もある。

元々ある素質に必要な環境を与える。
そうなれば、その素質が伸びる。
素質を見極め、それに必要な環境を用意してあげる。
それが、親の役目。

人は、生まれる時代、周囲の環境、そういうものを配慮して生まれてくる。
しかし、計画通りに行くとは限らない。
あの世とこの世とは、違う。
すべてが予定通りに進んだら、なんの苦労もない。

この世に生まれてしまえば、先ずはこの世のことを学ばなければならない。
この世を生き抜くためのスキルを習得する必要がある。
物質を理解し、人間の社会構造を理解する必要がある。
先ずは、自分を生かすのが至上命題となる。

しかし、自分の命を生かすだけでは、あまり意味はない。
それでは、動物と変わらない。
動物でさえ必死に生きている。
それは必要条件であって、十分条件ではない。

自分の命を維持した上で、今生の目的を達成しなければならない。
それでこそ必要十分と言える。
ほとんどの人は、必要条件の段階で停滞している。
十分条件にまで至っていない。

生きるのが精一杯。
人生の意味や自分の使命などは、二の次。
それは、若い頃に一時的に思い悩む病だと思っている。
そんなことを考えていたら生き残れないと決めてかかっている。

動物と同じ次元で生きても、どれほどの意味があるだろうか。
意味がないとまでは言わないが、それだけでは不十分。
過去世のカルマをクリアーし、新しい可能性を開く。
自分の個性を活かして世の中に役に立つ。

ところが、生まれてしまうと周りの環境の影響を受け、いつの間にか
肉体人間に成り下がる。
本来持っている精神の高貴さを忘れてしまう。
過去世と同じように肉体の欲望に勝てない。
癖、傾向、パターン、つまりカルマに翻弄されてしまう。

環境を理解して、環境をマスターする。
環境をマスターして、環境を活用する。
環境を活用して、自分の望む世界を創造する。
それが、人が生きるということ。

ほとんどの人は、環境の理解の段階で留まっている。
環境を活用して自分の望む世界の創造にまでは至っていない。
なに?
自分が何を望んでいるのかがわからない?

それは、環境のままに生きてきたから。
周りから言われるままに、良い子ブリッ子で生きてきたから。
自分自身を生きてこなかったから。
本当の自分を生きていないから。

地球を理解し、人間社会を理解し、自分自身を理解する。
真実に生きるためには、理解することがたくさんある。
多くの理解なしには、真に自分が望むことを実現することはできない。
この世を生きるというのは、なかなか大変。

この世を生きるスキルもいる。
しかし、スキルだけでは足りない。
本来の目的の自覚が必要。
真の自分自身を自覚する。

人は、意識の枠によって成り立っている。
それは、十二単(ひとえ)を着ているようなもの。
そういう枠を外していくと、人は本来の自由に至る。
何も枠がない状態。

究極は、空。
その途中に、魂やグループソウルがある。
個性や役割というものがある。
空をベースに個を生きる。

個を十全に生きるためには、理解が不可欠。
人生の理解、宇宙の理解、霊性の理解。
多次元のなかで、この三次元を生きる。
多くの意識の枠のなかで、全体と共に個を生きる。


『人間の 枠を超えれば 意識のみ 銀河と共に 星々を見る』





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螺旋
2012-12-27 Thu 22:32
満月ーmoon-05


月は、新月と満月を繰り返している。
循環と言えば、循環。
しかし、実際は、螺旋。
同じことの繰り返しではない。
陰が極まる時には、同時に次の陽が始まっている。
それは、同時並行で起きている。
ただ、それが見えないだけ。
みんなの目が陰に向いている時、その裏では既に陽が始まっている。




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新しい光
2012-11-15 Thu 11:10
  
  身体も感情も精神も光に還る時がきた。
  闇の時代に生きた身体を癒し、感情を癒し、精神を癒そう。
  それらのものをやさしく包んであげよう。
  新しい時代の光で。
  あなたの中で出番を待っている新しい光によって。

 

  朝陽ーrising-sun-7_11





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光の存在として
2012-10-08 Mon 09:18

  光の放射ー24-feb_08_11


今の自分の環境は、自分自身で選んでいるもの。
けっして強制されているものではない。
どこにも強制はない。
それなら・・・

被害者になる必要はない。
周りのせいで・・・
ということは、あり得ない。
自分が設定している環境なのだから。

自分が選んだ環境であれば、自分で気に入るように変更すればいいだけ。
部屋の模様替えのように。
自分の周りのありとあらゆる状況は、自分が選んでいるもの。
誰にも強制されてはいない。

もし強制されていると感じるのならば、もう一度選び直せばいい。
どうにでもなる。
自分の人生だから。
設定変更可能。

しかし、一般的には今の環境が自分にとってベストのことが多い。
たとえ厳しい環境だとしても、それが自分の魂磨きには必要ということ。
いやでいやでたまらないところに、実は宝ものが眠っている。
玉磨かずば光なし!

周りにもまれて、玉(魂)は輝きを増していく。
大切なことは、ネガティブにならないこと。
被害者になったり、他人(ひと)のせいにしない。
あの人さえいなかったら・・・

その人こそが、玉磨きに最も貢献している人かもしれない。
逃げ腰にならないこと。
常に前向きに挑戦し続ける。
周りに左右されない主体性を確立する。

主体性とは、もちろん霊的な主体性。
物質的な、この世的な主体性ではない。
魂としての主体性。
光り輝く玉(ぎょく)としての主体性。

目の前の事実から逃げない。
逃げ腰になる時、希望の光は消える。
逃げ腰になった途端、人生が暗転する。
常に前向きにチャレンジし続けるしかない。

選択肢は、ない!
後ろ向きという選択肢は存在しない。
あるのは、前向きだけ。
チャレンジのみ。

そもそも後ろ向きで歩いていたら、躓(つまづ)くに決まっている。
しっかりと前を向いて、真っ直ぐに生きていくのが一番安全。
その上、最短コース。
それなのに、なぜわざわざ後ろ向きに生きるのだろうか。

現実逃避。
逃げのパターン。
それは、子供の頃からの癖。
自分を守るための悲しい性。

しかし、それは自分を守ることにはならない。
単なる一時しのぎ。
それは、事態をますます困難にするだけ。
プレッシャーが増えるのみ。

目先の一時しのぎ。
それを繰り返してきた人生?
もしそうなら、根本的に改める必要がある。
けっして一時しのぎはしない!

いつも正面から立ち向かう。
事実を直視する。
事実に負けない。
目を逸らさない。

逃げない。
後ろ向きにならない。
余計なことを考えない。
未来を恐れない。

今の事実と共に生きる。
今の事実だけを見つめる。
余計な心配や恐れを持ち込まない。
ネガティブな解釈をしない。

ネガティブパターン。
後ろ向きパターン。
一時しのぎパターン。
他人(ひと)のせいパターン。

自分のなかの思い癖に気づく。
発想パターンに気づく。
いつものネガティブ解釈に気づく。
他人(ひと)のせいにして自己正当化している自分に気づく。

いっさい他人(ひと)のせいにしない。
常に真っ正面から対峙する。
逃げない。
事実と向き合う。

そういう生き方をしていけば、人生はどんどん展開する。
自分の望むように展開していく。
周りに振り回される人生ではなくなる。
自分の人生を取り戻せる。

主体性を確立する。
周りに翻弄されない主体性。
常にチャレンジし続ける主体性。
前向きでポジティブな主体性。

それが、本来のあり方。
本来の魂の状態。
常に輝いている。
常に周りを照らしている。

光とは、そういう存在。
光が、後ろ向きではおかしい。
光が、ネガティブではおかしい。
光が、逃げ腰ではおかしい。

光は、光らしく。
光であるならば、光らしく生きないと。
そういうふうに生きていけば、光の存在となれる。
いや・・・

元々、光の存在。
それが、そのことを忘れて、光らしくない生き方をしているだけ。
光としてではなく、肉体人間として生きているだけ。
自分の本質を忘れ、物質環境に翻弄されているだけ。

大多数の人が、物質化した肉体人間として生きている。
本来の魂の輝きを忘却している。
自分の真実を見失っている。
でも、それはもう十分体験した。

本来の自分自身に戻る時。
光の自分自身を思い出す時。
光の存在として、自分を輝かせる時。
周りに翻弄されるのではなく、周りを光で照らす自分になる時。




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大日如来
2012-01-15 Sun 23:51
                                         『海と山と光と』
海と山と光とー12-m_12
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日記『無色透明』  2009年 ”1831日目 - 大日如来” より転載。

☆ 大日如来

大日如来は、すべての衆生を抱きしめている。
無限の慈愛で、無条件に抱擁している。
ただただ慈しみのエネルギーが、あふれている。
何も求めてはいない。

大日如来は、何もしゃべらない。
ただ静かに座っている。
尽きることのない慈愛で、すべてを見守っている。
大日如来に見守られ、衆生は生きている。

誰も見守ってくれる人はいない?
みんなに見捨てられた?
そんなことはない。
そんなことは、けっしてない。

この世の人が誰ひとり振り向かなくても、大日如来は常にやさしく見守っている。
見放すことはない。
いつも変わらぬ静かな慈愛のエネルギーを放っている。
すべての人を深く包み込み、限りなく慈しんでいる。

『透き通る 静けさのなか どこまでも 遍(あまね)く慈愛 満ち満ちている』



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光の誕生
2012-01-03 Tue 11:25
                                              『朝陽』
朝陽ーrising-sun-7_12
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☆ 光の誕生

『東雲(しののめ)の 光は強く 輝いて 遍(あまね)く地上 照らし始める』

すべての過去が一掃される。
すべてが今にフォーカスされる。
光に照らされ、今が前面に現れる。
過去や未来は、舞台の後ろに去っていく。

光のなかを光と共に歩む。
光は、今ここにある。
アセンションを待つこともない。
今ここは、常に光に満ちている。


   明けましておめでとうございます。
   光さらに増す2012年。
   皆様お一人お一人が光り輝き光放つ年となりますように。

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真の主体性
2011-12-24 Sat 01:57
                                           『光の屏風』
光の屏風ーight-16_11
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『真の主体性』

人は、周りから何か言われると反応する。
褒められても貶(けな)されても、感情が反応する。
反応してはいけないということはない。
しかし・・・

ひとこと言われる度に過敏に反応し、思考がフル回転するのもどんなものだろうか。
感情が掻き乱されて自分を見失っては、周りに翻弄されているとしか言いようがない。
常に心静かに聞いていることはできないのだろうか。
周りに左右されず、常に霊静でいることはできるのだろうか。

周りがどうであれ、自分は静かに輝いている。
何事にも心乱されることなく、霊静に対応する。
状況に対して適切に対処しながらも、主体性を奪われることはない。
そういうふうには生きられないのだろうか。

ほとんどの人は、周りしだい。
周りからの働きかけに、自分の思い込みが反応する。
よくよく観察すれば、反応しているのは思い込み。
いつものパターン。

周りも思い込み。
自分も思い込み。
思い込みと思い込みが反応し合っているだけ。
そんなことはない?

本当にそうでなければ、すばらしい。
周りからの作用に対して、いつも静かに自分をキープしていられたら称賛に値する。
いつも霊静な自分自身でいることは、至難の業。
心は、この世的なことに翻弄されやすい。

自分自身の主体性は、どこからやってくるのだろうか。
今生の経験?
世間の常識や習慣?
マスコミの影響や親からの刷り込み?

自分自身のなかにあるものは、何だろうか。
真の主体性とは、何だろうか。
周りに影響されて右往左往するのが、真の主体性でないのは明らか。
そうではなくて、揺るぎないものがあるだろうか。

自分のなかに変わらぬものがあるだろうか。
魂の願いが息づいているだろうか。
それとも、あるのはこの世的な快楽だけだろうか。
地位や名誉や財産や肉体の悦楽だろうか。

周りに左右されない真の主体性は、魂からやってくる。
魂の願いが、この世における真の主体性。
この世に生れてきた目的。
この世で達成したい事々。

自分自身を観察すれば、あまりにも周りに左右されている自分を発見する。
真の主体性は希薄で、感情や思考が反応するばかり。
この世は、思い込みと思い込みがぶつかり合うところ。
魂レベルで生きている人は、極めて少ない。

魂の真の願いを生きる時、一喜一憂、喜怒哀楽はない。
それらは、この世的に生きる時に付随するもの。
この世のドラマを演じる時、味付けとして存在するだけ。
しかし、魂のドラマには、一喜一憂、喜怒哀楽はない。

ただひたすらな願いがある。
今生に生れてきた覚悟がある。
真に生きようとする情熱がある。
周りに影響されるのではなく、周りに影響を与えるエネルギーがある。

この世限りのドラマに未来はない。
魂のドラマが始まろうとしている。
真に生きることが始まろうとしている。
この世とあの世の区別のないドラマが始まろうとしている。

魂が、この世に影響を与える時がスタートしようとしている。
物質世界の影響下から抜け出し、物質次元を魂ナイズする時がきている。
魂が思い描くビジョンを現実化する時を迎えている。
時の流れが逆転する。

これまで物質に呑み込まれていた魂が、これからは物質を自由に使いこなす。
真の主体性が確立する。
周囲に翻弄される生から、周囲を創造する生へ変わる。
魂の望みを叶える時がきている。

主体性の根拠は、魂にある。
魂ベースが、これからの生き方。
肉体ベースは、もう過去のもの。
物質ベースは、既に終わっている。

意識を内に向ける時。
常に魂を意識して生きる時。
魂をこの世に表現して生きる時。
周りに影響されて生きる時代は終わった。



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光のバリエーション
2011-12-02 Fri 16:59
                                 『光の海 - やすらぎの世界』
光の海 - やすらぎの世界ー27-sep_11
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日記『無色透明』  2009年 ”1488日目 - 光のバリエーション” より転載。

『光のバリエーション』

九分九厘光であれば、一厘の闇は問題ではなくなる。
ところが・・・
一厘の闇の方にフォーカスしてしまうと、九分九厘も闇になってしまう。
実際は、九分九厘が光なのだが・・・

人の本質は、光。
中心部は、無色透明の光。
その光が、波紋のように広がっている。
外側に行くにつれて、だんだんと光の色が濃くなる。

それは、波動が遅くなるから。
物質化していくから。
一番外側は、かなり暗い。
そこにフォーカスすれば・・・

この世界は闇と錯覚するかもしれない。
光を自覚できないかもしれない。
しかし、本当は、その闇でさえも光でできている。
全宇宙に、光でできていないものなど存在しない。

人は、光。
光のグラデーション。
色の付いた部分が、個性。
それは、過去の経験の賜(たまもの)。

その色彩は、傾向であり、得意分野であり、役割分担。
これまでの宇宙創造の結果、身に付けたもの。
個別化した光のノウハウみたいなもの。
人で言えば、技術や言語や知識などなど。

魂的に言えば、叡智ということだろうか。
宇宙的な経験。
そういうものが、色彩の構成要素。
宇宙経験によって、それぞれの光の色が違っている。

それは、星々のようなもの。
星々は、みんな色彩が異なる。
それぞれの光で輝いている。
人も、星々と似たようなもの。

今生でも、多くの経験を経て個性が形作られる。
魂もグループソウルも同じ。
宇宙自体が、同じ構造。
何層にも何層にも渡る光のグラデーション。

その一番外側に、今生の個性がある。
その個性が一厘の闇にフォーカスすれば、九分九厘の光までもが闇に見えてしまう。
お先真っ暗!
一寸先は、闇。

それは、外側を見ているから。
自分の内を見ていないから。
夜空の星々も、外を見れば、ほとんど闇に見える。
しかし、自分自身を見れば、光り輝いている。

人は自分を見ないで、外側ばかり気にしている。
だから、闇しか見えない。
自身の光が見えない。
この世は闇だと思い込んでいる。

この世は闇だから、神にすがって身の安全を図ろうとする。
あるいは、たくさんの物を所有して安心しようとする。
しかし、いくら神にすがっても、いくら物を所有しても、根本的な解決にはならない。
不安な心は、けっして消えることはない。

神や教祖にすがることによって、自分は安全だと思い込んでいるだけ。
たくさんの物を所有することで、身の安全が保障されると思い込んでいるだけ。
正確に言うと、必死にそのように思い込もうとしているだけ。
しかし、実際は・・・

心のなかには、常に一抹の不安がある。
これでいいのだろうか。
これで大丈夫だろうか。
本当に信じていいのだろうか。

この世限りの物質的な人は、物に依存する。
物をたくさん所有することで、身の安全を確保しようとする。
精神的な人は、神々や教祖にすがる。
今風な人は、チャネリングや宇宙情報にすがる。

自分のハイアーセルフや魂にすがる人もいる。
いずれにしても、何かにすがっていることに変わりはない。
どうしてすがったりするのだろうか。
どうして神頼みなどするのだろうか。

それは、外を見ているから。
自分の内を見ていないから。
一厘の闇を見ているから。
九分九厘の光を見ていないから。

外側を見ている限り、どこまでも闇が続く。
その闇のなかに光の世界を創造するのが、宇宙創造。
つまり、現実創造。
それには・・・

自分自身が光であるという自覚がいる。
自分が光でなかったら、光の世界は創れない。
自分が闇であったら、闇の世界しか創れない。
だから、何よりも大切なことは、自分が光であることに目覚めること。

内なるものを外に現わす。
それが、宇宙創造。
現実創造。
それが、この宇宙の創造原理。

にもかかわらず、自分を一厘の闇と思い込んで、人を支配し、物を所有しようとする。
自分が九分九厘の光であれば、何もいらない。
必要なものは、すべて創造すればいい。
光なのだから、光で何でも創造できる。

この世のものは、すべて光でできている。
いや、宇宙全体が、すべて光でできている。
ただその波動が違うだけ。
根本材料は、すべて光。

その波動が遅くなると、変化も遅くなる。
そのため、創るのにも時間がかかる。
その代わり、いったん創ったら、長い時間、その形状がキープされる。
それが、この物質次元。

物質次元で生きれば、意識の波動も遅くなる。
やがて、自分を物質と錯覚してしまう。
波動が遅いので、思い込みは持続する。
一厘の闇が、九分九厘の光を支配する。

しかし、人は物質と同じ波動に非ず。
確かに、肉体は物質と似たような波動。
しかし、肉体のなかには遥かに高い波動が内在している。
それは、意識。

意識も、いろんな波動がある。
いろんな光のバリエーションでできている。
感覚や感情や思考や直観・・・
無色透明まで続く光のバリエーション。

しかし、物質も肉体も意識も、根本は光によってできている。
ただ波動の違いだけ。
その波動の違いが、創造宇宙。
いろんなバリエーションを楽しむ世界。

それは、神の遊び場。
神遊び。
リーラ。
それが、創造宇宙。

意識を内側に向ければ、そういうことがわかってくる。
意識が外側に向いている限り、闇しか見えない。
時々、星々のような光が見えるだけ。
しかし、その光は、すぐに消えてしまう。

内側に目を向ければ、光は常にある。
眩しいほどの光が、常時存在している。
なぜなら、自分自身が光だから。
光が、自分自身だから。

宇宙は、光のバリエーション。
人も、光のバリエーション。
すべては、光のバリエーション。
まるで花火大会・・・

『外側を 見ている限り 光なし 光は内に 在りて在るもの』



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難病
2011-11-23 Wed 00:50
                                           『黄金の海』
黄金の海ー04-feb_11
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日記『無色透明』  2008年 ”1385日目 - 難病” より転載。

『難病』

難病に罹れば、普通は悲しむものと相場が決まっている。
それが、今の人類の共通無意識。
悲しむことは、執着すること。
悲しむことは、所有を長引かせたいという願い・・・

自分のものが奪われる悲しみ。
所有するが故に生じる悲しみ。
不治の病は、そんな所有の思い込みを粉々に打ち砕く。
無常が宇宙の定法であることを、いやというほど思い知らされる。

所有しなければ、何の悲しみもない。
所有するが故に、愛着が生まれる。
愛着は執着となり、苦しみや悲しみを生み出す。
それが、これまでの一般的な人生。

しかし、現実は、非情。
現実は、人間の情に左右されない。
変化こそが、宇宙の法。
それが、いのちというもの。

難病であること。
不治の病であること。
いつまでも一緒にいられないこと。
いつ別れが来るかわからないこと。

それは、悲しいことだろうか。
それとも、何かに目覚めるきっかけだろうか。
漫然と何十年生きても、あまり意味はない。
人生は、量ではない。

いかに真剣に生きるか。
いかに充実して生きるか。
人生は、質。
その生き方にかかっている。

不治の病を持つものが身近にいるということは、人を真剣にさせる。
瞬間・瞬間が、いかに貴重かを教えてくれる。
人は、難病によって真剣に生きるようになる。
本人も周りも・・・

病気は、目覚めるための起爆剤。
真実に気づくためのショック療法。
嘆いたり悲しんだりしている場合ではない。
真剣に生きる時なのだ。

これまで眠っていた愛を、目いっぱい降り注ぐ時でもある。
愛するものが病む時に、自然に愛はあふれ出す。
その愛を、瞬間・瞬間爆発させること。
愛を生きることなのだ。

そうすれば、病は人を救う。
病が、人を生き返らせる。
病が、人を目覚めさせる。
病は、真理への扉となる。

あらゆる困難は、気づきや目覚めるためのきっかけ。
すべてをポジティブに捉えることだろうか。
ネガティブに捉えないことだろうか。
前を向いて生きることだろうか。

難病は、人の愛を呼び覚ます。
不治の病は、人を真剣に生きさせる。
困難は、人生を見つめ直させる。
何も恐れることはない。

真正面から対峙して、真剣に生きる。
それしかない。
それが唯一の対処法。
けっして逃げない。

逃げれば、逃避の人生となる。
一生後ろ向きの人生になってしまう。
暗く重たい重荷を背負って生きることになる。
そんな人生を生きたいだろうか・・・

どんな状況でも誠心誠意生きることだろうか。
全力で生きることだろうか。
真剣に生きることだろうか。
そうすれば、道は開ける。

愛の花が咲く。
魂の交流が起きる。
時間が止まる。
宇宙に抱かれる。

難病の人やペットがいたら、最大の愛を注ぐことだろうか。
そうすれば、その難病が活きる。
難病になった甲斐がある。
赤ちゃんや幼児は、両親のために自らの心身を不自由にすることすらある。

周りの人の愛を甦らせるために、自らを犠牲にする。
それは、愛の行為以外の何ものでもない。
嘆いている場合ではない。
あふれるような愛で報いる時なのだ。

愛は、愛を生む。
愛は、愛を目覚めさせる。
困難は、愛が生まれるためのもの。
愛が花開く前触れ・・・


『難病が 愛の糸口 開く時 すべて光へ 収斂していく』


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次の主体
2011-10-30 Sun 23:34
                                 『澄み切った川の木漏れ日』
澄み切った川の木漏れ日ー08-sep_07_11
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日記『無色透明』  2008年 ”1157日目 - 次の主体” より転載。

『次の主体』

自我は、やがて終焉(しゅうえん)する。
終わりの時を迎える。
それも、そう遠くない時期に。
では、自我が終わったら、どうなるのだろう?

自我に代わる主体は、何?
今の人類の主体は、自我。
つまり、思考。
人は、思考ベースで生きている。

別に思考が終わるわけではない。
思考は、感覚や感情と同じように存続する。
ただ、思考に振り回されるということはなくなる。
思考を使いこなすようになる。

思考の次に来るものは?
自我ではない主体は?
それは、言葉で説明するのは難しい。
基本的には、実感するしかない。

それは、思考が止んだ状態。
思考に判断の基準を置かない状態。
思考ベースではなく、静かさベース。
思考が止んだ静かさのなかで、意思決定がなされる。

過去のデータベースではない。
今ベース。
今、目の前の状況から、すべてが始まる。
過去は、あくまで参考程度。

意識は、今にきっちりとフォーカスされる。
過去を悔いたり、過去のノスタルジーに耽ったりはしない。
今にすべてがフォーカスされる。
今ここに、すべての意識が結集される。

感覚や感情に振り回されることもない。
トラウマや心の傷に左右されることもない。
過去の習慣や思いのパターンに翻弄されることもない。
今、今にフォーカスされる。

そういう自我を超えた意識の時代が、やがて来る。
自我が主体の座を降り、新しい意識が主体の座に上(のぼ)る。
そういう時代になれば、もう争いはない。
戦争など、過去の遺物以外の何ものでもなくなる。

今の時代が、お伽噺のように感じられる。
本気で自我になりきり、個として生きた時代が懐かしくなる。
それは、既にセピア色の思い出。
遠い遠い人類のファンタジー。

そう思える時代が、やがて来るだろう。
今は、転換期。
自我から、次の主体への転換期。
私利私欲から離脱する時。

自己中心。
自己保存。
自我我欲。
自我ベースの人生が終わる。

もちろん、自意識はある。
しかし、もはや自己中心的な自我ではない。
個であり全体でありという意識。
共に生きる意識。

静かに見守る意識。
静かに気づく意識。
静かに己がやるべきことがわかる意識。
静かに全体を感じることのできる意識。

自我の喧騒は終わる。
思考の騒がしさが終焉する。
静かな意識が芽生える。
どこまでも浸透する意識が育つ。

その意識が、これからの主体となる。
静かな意識。
思考が空回りしていない意識。
思考に振り回されない意識。

静かさのなかで、すべてが行われていく。
静かさのなかで、次々に事が運んで行く。
トラブルはない。
躊躇もない。

ただ静かに見守り、行動に移す。
その間に思考は介在しない。
思考を超えた意思決定がなされる。
静かな意識のなかで次の行動が決まる。

人類の意識は、これからそのような方向へ向かう。
自我の終焉。
それが現実のものとなる。
遠い将来のことではない。

新しい時代が幕を開ける。
新しい意識の時代がやって来る。
自我を超えた時代が花開く。
もう蕾がほころび始めている。



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アリンコ
2011-09-30 Fri 23:04
                                           『木漏れ日』
木漏れ日ー14-nov_10_11
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『アリンコ』

魂サイドから人間を見ると、どんな感じがするだろうか。
昨日、アリンコのことを書いて、なんとなく似ているかなと思った。
人間の視点からアリンコを見ると、とても小さく見える。
しゃがまなければ見えないくらいだ。
人間から見ると、アリンコはほとんど二次元の平面を歩いているかのように見える。
人間の感覚とは、まったく次元が異なる感じがする。
人間と魂との関係も、こんな感じではないだろうか。

人間の視点からアリンコを見ていると、行く手に障害物があるのがわかる。
でも、アリンコにはわからない。
そのまま行ったら危ないよ、と叫びたくなる。
でも、アリンコにはその声は届かない。
アリンコは自分のペースで進んでいく。
そして、その障害物の前で立ち止まり、躊躇している。
行くべきか、行かざるべきか・・・

人間の視点から見ていると、そこは右へ行った方がいいよ、と言いたくなる。
でも、アリンコは左へ行ってしまう。
魂も同じような思いで人間を眺めているのだろうか。
そっちへ行ったら苦労するのがわかっていても、どうすることもできない。
テレパシーを送っても、人間はキャッチしてくれない。

たまには、なんとなく閃いて右へ行くこともある。
しかし、物質次元にのめり込んでいると、魂の信号をキャッチすることはできない。
ただ目先の欲に囚われ、物質的富を追い求める。
スピリチュアルに生きることは忘却の彼方。
この世に生まれてきた目的も思い出せない。

魂サイドから見ると、人間は物質次元の代理人。
魂代表。
魂の全権を委任され、この物質次元で魂の表現をするために派遣される。
天にあるごとく、地にも調和された世界を創り出すのだ。
そのためには、まず物質次元の体験をして、物質の特徴を学ぶ必要がある。
ところが、その過程で物質次元の魅力に囚われてしまうのだ。
思わぬ肉体の快楽に溺れてしまう。
物質の悦楽に酔ってしまうのだ。
肉体も物質も悪くはない。
いや、最高かもしれない。
スピリチュアルよりも波動が遅い分、確実に実感できる。
そのため、物質世界を体験している途中で、物質世界にはまってしまうのだ。

まあ、いいか。
と、魂は思っているだろうか?
少なくとも短期的な視点で見ていないことだけは確かだ。
何回も何回も輪廻転生させて、物質次元を学んでいる。
アリンコを取っ替え引っ替えして、この世というものを学習しているのだ。
そして、やがてこの世に地上天国を創りたいと思っている。
天を写したような地上にしたいのだ。
つまり、宇宙の源の意志を反映したような地上だ。

ただ、そこに至るまでに紆余曲折がある。
三次元のドラマが展開している。
魂代表を何回送っても、物質の魅力に呑み込まれてしまう。
それでも別のアリンコを創造して送り出すのが魂の役目だ。
これまでの地上での経験を踏まえ、更に強力バージョンにして地上に
送り出す。
それを延々と魂はやってきた。

そして、最後の切り札が、あなたかもしれない。
魂の最終代表バージョン。
これで決めてくれよ!
魂の声が聞こえる。

あまりにも代表アリンコが無茶をすると、時に交通事故に遭わせたり、
病気にしたりして、自分自身を見つめる時間を持たせる。
もう一度、この世に生まれてきた目的を再確認させるために、敢えて
苦難と呼ばれることも魂は選ぶ。
魂にとっては、物質的富など何の価値もない。
ひたすら物質次元を学び、宇宙の調和を物質次元に実現してほしいだけだ。
だから、そのための多少の苦難には目をつぶることもある。
大切なのは物質的満足ではなくて、スピリチュアルと物質の調和なのだ。
スピリチュアルのごとく物質次元を創造することなのだ。

魂にとっては、アリンコは小指の先よりも小さい。
でも、小指の先が傷ついても、痛みに変わりはない。
本当に祈るような気持ちで、アリンコを見守っているのだ。
生まれてきた目的を思い出し、成就してほしい。
それがこれまでの数え切れないくらいの兄弟アリンコたちの努力に報いる道だ。

これまで、どれだけのアリンコが地上に派遣されたことだろう。
もう数え切れないくらいだ。
それによって、たくさんの経験が蓄積された。
それらの経験を踏まえて、今生の計画は立てられている。
今地上にいるアリンコも一緒に立てた完璧な計画だ。
その計画を遂行するために、魂サイドでは地上経験豊かな兄弟アリンコたちが
守護霊や指導霊となって、いろいろサポートしている。
一人のアリンコのために、多くの魂の兄弟がサポートしている。

「一寸の虫にも五分の魂」と、ことわざにもある。
どんなアリンコにも、魂が宿っている。
それがアリンコにとっては、ふるさとであり、源なのだ。
そこから派遣されているのだ。
魂の代表として。
地上の経験をして、地上天国を創るために。
自分の中にある可能性を花開かせるために。
魂の中にある可能性を、地上のアリンコを通して花開かせるのだ。
この物質次元に。
それが魂の計画だ。
いや、魂だけでなく、生まれてくる前に魂と約束したアリンコの計画でもある。

魂は、直接、三次元のことに関わることはできない。
三次元代表は、あくまでアリンコだ。
それだけ、アリンコへの期待は大きい。
どうか魂代表として、地上で魂の花を咲かせてほしい。
そう願い、祈っているに違いない。

そんなことも知らないアリンコは、今日も物質次元を一生懸命生きている。
地上に這いつくばるように生きている。
魂次元から見ると、危なっかしくて見ていられない。
でも、アリンコを信頼して見守るしかない。
なにしろ自分自身の分身なのだから。
魂の一部なのだから。

地上には、アリンコがたーくさん。
天上には、それを見守る魂がたーくさん。
それぞれの魂が、全力でアリンコをサポートしている。
アリンコの兄弟たちも必死だ。
なぜなら、時が迫っているから。
地球の時が迫っている。

地球が新しく生まれ変わる時。
すべての存在が、いきいきと甦る時。
地上にあるものが、本来の生き方に目覚める時。
新しい時代が、もう目の前なのだ。
その時に合わせて、アリンコたちは生まれてきた。
この時を自ら選んで、今、地上にやってきたのだ。
それを思い出す時なのだ。

時は満ちてきた。
約束の時が。
思い出す時が。
本来の自分自身を。
地上に降りてきた目的を。
一人一人が思い出す時なのだ。

アリンコは小さい。
人間の視点から見たら、とても小さい。
でも、アリンコにも五分の魂がある。
何物にも代え難い貴重な魂。
宇宙の源につながる魂。
その魂に気づく時なのだ。

アリンコは、あなただ。
魂代表は、あなたなのだ。
あなたが、あなたの魂を代表して、この地上へ派遣されたのだ。
あなたが自ら志願して、今の時代を選び、この地上へやって来たのだ。
すべての魂の兄弟たちの中から、あなたが選ばれたのだ。
多くの魂の兄弟たちの祝福を受けて、あなたはここへ降りてきた。
そして、今も多くの兄弟たちが目に見えないところでサポートしている。

あなたのために、どれだけ多くの兄弟が努力していることか。
あなたを愛しているから。
あなたを大好きだから。
あなたを心から応援しているから。
そう、みんなが見守っている。
あなたの周りを魂の兄弟たちがやさしく取り囲んでいる。

あなたを魂本体が、まるで母親のようにやさしく包んでいる。
あなたは、今も守られている。
今もサポートされている。
一人ではない。
一人でアリンコをこの地上の荒波の中へ放り出したりはしない。
完璧なサポート体制が整っている。

だから、自分を信頼してほしい。
自分自身を何よりも信頼してほしい。
自分自身を信頼することが、魂とつながる道だ。
なぜなら、あなた自身が魂なのだから。
そう、あなたと魂は一つなのだ。
不離一体。
あなたは魂であり、魂はあなただ。
やがてその事実に気づく時がくる。
その時まで、魂はあなたをやさしく抱きしめて見守っていることだろう。
限りない愛と共に。



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フォトンベルト
2011-07-08 Fri 17:30
                                           『太陽の虹』
太陽の虹ーsun-050331_11
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日記『無色透明』  2005年 ”97日目 - フォトンベルト” より転載。

『フォトンベルト』

これまでの1万1000年の闇の時代、人類はいろんな体験をしてきた。
光が当たっていてはできない体験をしてきたのだ。
人を殺すとか、光が当たっているところでは、とてもできないだろう。
闇の中だから、殺してやりたいとか、破滅してしまえとか思うこともできたのだ。
自分の思いが見えないと思っていたから。
それらがすべて白日の下にさらされたら?
あなたは自分のありのままの感情を全部オープンにできるだろうか?
できる人は少ないかもしれない。
確かに、これまではオープンにしなくてもよかった。
隠すことができたから、いろんなことをやってきた。
口にできないことも、顔を背けたくなることも、何でもできたのだ。
しかし、もう闇は消えようとしている。
闇のないところでネガティブなものは存在することはできない。

もちろん、闇の中でも美しい花は咲いた。
信仰という愛の花が、闇の中で乾いた心を潤(うるお)してくれた。
真理を求める情熱が、闇に光をもたらした。
闇の中で光は一段と輝き、闇の中で愛は尊さを際立たせた。
闇には闇の役割があり、闇の中で育った芽はやがて光の中で大きく育つ。

今は夜明け前。
でも、夜は白み始めている。
かすかに太陽の光が感じられるところまで来た。
これから光は増す一方。
やがて太陽が顔を出すだろう。
みんなが新しい時代を感じるだろう。
これから続く二千年王国。
光の時代。
人が本来の光として生きる時代。

もう隠し事はできない時代になりつつある。
これまで社会的に隠蔽されてきたものが、どんどん明るみに出ている。
大きな組織の腐敗がマスコミによって周知の事実となりつつある。
これから更に闇が明らかになっていく。
もう何も隠すものがなくなるまで。

個人的にも隠し事がたくさんある人は大変だ。
どんどんボロが見えてくる。
本人だけが隠しているつもり?、になってくる。
それだけではない。
これまで潜在意識の闇に埋もれていたものにも光が当たる。
過去の思い出したくないことも浮かび上がってくるかもしれない。
潜在意識の闇の中で忘れられていたことが浮かび上がってくる。
忘れられていたけれども意識下で影響を与えていたものが浮上してくる。
長い永い間、過去世から続いていたトラウマに光が当たるのだ。
もういつまでもそれらを持ってはいられない。
手離す時が来たのだ。
すべての重荷を下に降ろし、身軽になる時が来た。
いっぱいいっぱい背負ってきた。
物に執着し、他人を裁き、自分の信念に固執してきた。
神の名の下に幾千万の人を殺したことか。
人類の長い永いカルマ。
潜在していたが故に、カルマとなった。
光が当たればカルマは消える。
カルマは闇の中だけで存在できるのだ。

潜在意識の中にある重たいもの、暗いもの・・・
悲しみも怒りも憎しみも、みんな手離す時が来た。
手離して身軽になって、軽やかに生きていくのだ。
1万1千年の長き闇が今消えようとしている。

肉体に溜まった化学物質を浄化しよう。
わだかまったまま溜まってしまった感情を解放しよう。
自分の中にある思い込みや信念を手離そう。
肉体を浄化し、感情を浄化し、精神を浄化する。
すべてを一新して新しい時代を迎えよう。
新しい時代は、もう手の届くところにある。

過去をベースに生きる時代は終わった。
過去の記憶からイメージした「私」の時代は終わったのだ。
自己中心の自我の時代は終わりを迎えた。
自分さえよければいいという思いは、もう時代錯誤になってしまったのだ。
人類はみんなと共に生きる時代に突入している。
人類は地球と共に生きる時代に入っているのだ。
一人「私」の中で孤立して生きる時代は終わりを告げたのだ。

瞬間瞬間、今、ここを生きる時代になった。
過去を悔いない。
未来を心配しない。
今ここ、それだけがリアリティ。
今ここに、過去も未来もすべてがある。
永遠の今が、永遠に続く。
今も昔もない。
ただ、今。
「ただいま」と言って、本来のところへ還ってきたのだ。

身体も感情も精神も光に還る時がきた。
闇の時代に生きた身体を癒し、感情を癒し、精神を癒そう。
それらのものをやさしく包んであげよう。
新しい時代の光で。
あなたの中で出番を待っている新しい光によって。
すべてを包み込む。
正邪、善悪、美醜、優劣を問わない。
すべてをただ無条件で抱きしめる。
闇の時代をあなたと共に生きてきたすべてを。
良いも悪いもない。
好きも嫌いもない。
ただ黙ってすべてを抱きしめよう。
それらすべてがあったことによって、今のあなたがあるのだから。
すべてが必要だったから。
すべてが今のあなたの血となり肉となっている。
それらすべてを抱きしめて、光に還えそう。
本来の光の状態にリセットして、新しい光の時代を迎えよう。

もう自分を誤魔化せない。
もう自分を偽れない。
ありのままの自分で生きるしかない。
本来の自分で生きるしかない。
周りのことを気にしないで、自分を生きよう。
本当に心から願う生き方をしよう。
自分の真実を生きよう。

浄化、解放、気づき、目覚め・・・
それらがこれからの流れだ。
それは自然の流れであり、時代の流れであり、必然の流れだ。
人類が待ちに待った光の時代の夜明けだ。
地球だけではなく太陽系全体が、いや銀河系全体が迎える新しい時代だ。
あなたは、すばらしい時代に生まれ合わせている。

今、光の川を渡ろうとしている。
2000年かけて渡ろうとしている。
もう杖はいらない。
もう道標(みちしるべ)もいらない。
なぜなら、もう明るいから。
闇の時代には必要だった導きも、光の時代には必要ない。
一人一人が光だ。
一人一人が輝く時代だ。
自分の道は自分で照らせる。
あなたが光であり、あなたが道である。
あなたが創る、あなたの光の道なのだ。



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時代
2011-04-28 Thu 12:21
                                   『苔の森に射す強い光』
苔の森に射す強い光ー16-mar_09_11
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以前にも掲載しましたが、再掲載します。今この時に読むとまた深く
感じ入ります。尚、この記事は2005年のものです。 ぴあの

                         

『時代』

コメント欄に次のような質問があった。

「無知な中での質問で、スミマセン。
『まだ、わかってないの~?』って感じかもです。
何故、光に満ちてくる流れの中で、天変地異や、治安が悪くなったりと、
この世界の崩壊みたいなことが起きてくるのですか?
こういう状況になり、人は目覚めるから?
新しい生き方を求める過程の中で、古いものを脱ぎ去らなければならないから?
私達がしてきた結果?
前に、人が目の前で亡くなっていくような状況が普通に起きてくるかもしれない、
と書かれていたのですが、そのような状況は少しでも避けられないのですか?
確かに、今の地球の状況は私達が作り出してしまったもの。
そして、この波打つ地球で、生きているだけでもミラクル。
でも、今まで、沢山の人々が苦しみ、奪われてきたのに、もう人々は充分体験
したのに。
なのにそれ以上にこの世界が荒れるなんて。
新しい世界を求めて、新しい生き方を準備をしても、今、クリアであっても、
極限状態の中、人間がどうなるか、私はそういう人間の世界を少しだけどみてきました。
人間ってそうだと思います。
そのような状態ですごく落ち着いている人もいるけれど。
この世界に住んでいけないような状況になってから、脱社会じゃなくて、もっと、
穏やかに、地球も人間もベースをつくってから次元上昇できないのですか?
アセンションが宇宙の流れであれば、その流れに乗っていくのが自然ですが、
そこまで向かう過程は、私達によって、すごーく変わったりすることはあるのですか?
今の3次元も光の世界にしてから、次元上昇できたらいいのに。
(あれ変なこといってる??)」

その気持ちはよくわかります。
誰でも悲惨なことを目にしたくはないですよね。
平和のうちにアセンションできたら言うことはないですね。
みんながそうを望めば、そうなるのでしょうが・・・

でも、現実に目をやると、いたいけない子供たちが次々と殺されています。
凶悪犯罪は増加の一途です。
9・11以降、世界中が物騒になりました。
今も世界各地で戦争が続いています。
家庭内の争いも終わりを見ません。
肉親同士の殺し合いさえ起きています。
それが現実です。

この世界の現状から、どうやって平和裡にアセンションできるのでしょうか。
どうやったらそれが可能なのでしょうか。
こちらが質問したいのですが。
誰か答えられる人がいるでしょうか。

神に祈ればいい?
平和運動を広めればいい?
すべての宗教が神に祈っています。
すべての宗教が平和を口にしています。
それも昨日今日ではなく、何千年もの間。
それでも争いは終わりませんでした。
ユダヤとアラブの憎しみの歴史は、どうやったら終わらせることができるの
でしょうか。
人類の英知を持ってしても、未だ誰も終わらせることができないのです。

人は平和の中にいると、どうなるでしょうか。
アセンションを希求するでしょうか。
これまでの歴史は、そうではないことを物語っています。
ソドムとゴボラは同性愛の結果、死海に沈みました。
ローマ帝国の末期は、食欲と性欲に明け暮れていました。
古今東西、平和に溺れた民族は、やがて腐敗し堕落するのです。

明治維新の時、平和な改革を目指した公武合体の動きもありました。
でも、結局、実を結ぶことはありませんでした。
内戦を避けるために蟄居謹慎した徳川慶喜の気持ちは、鳥羽伏見の戦いに
よって露と消えました。
時代が劇的に変わる時、平和ボケした古い人の出る幕はありません。
新しい時代は新しい人たちが切り開くのです。
平和の裡に革命が成就したことがあったでしょうか。
平和の中で人は新しい世界を求めるでしょうか。

日米開戦の際、当時の連合艦隊司令長官・山本五十六は、最後の最後まで
戦争回避に努めました。
しかし、日米交渉は決裂。
真珠湾攻撃となったのです。
その奇襲は戦争を短期間で終わらせるための山本五十六の苦肉の策でした。
ところが、日本では大戦果に戦意が盛り上がり、アメリカでは開戦通告のない
騙し討ちということで、それまであった和平論が姿を消し、一気に反日ムードと
なったのです。
山本五十六の目論見とは、まったく逆の結果になってしまいました。
それが時代の流れです。
時代の流れは一個人の平和の希望を打ち砕いてしまうのです。

キリストが新しい教えを説き始めた頃、ユダヤ教は形式的なものになり、
真に人を救うものではなくなっていました。
新しいことを始める人は古いものによって弾圧されます。
キリストは磔になり、その弟子たちは迫害されました。
平和を希求するなら、ユダヤ教のままの方がよかったのでしょうか。
腐敗堕落した司教たちの元で平和に暮らしていた方がよかったのでしょうか。
イエス・キリストは必要なかったのでしょうか。
文字どうり血と汗の結晶によってキリスト教は広まっていきました。
でも、それが権威になった時、また同じことが起きてしまうのです。
今の麻のように乱れた宗教界を統一することができるでしょうか。
同じように神を標榜しながら、お互いに争い合う宗教界を・・・

誰かメシアが現れて世界を救ってくれるのでしょうか。
私こそがメシアであるという人は、今監獄にいる髭ぼうぼうの人を始め、
たーくさんいます。
でも、世界は変わりません。
誰がいったい世界の現状を変えてくれるのでしょうか。
神様?
神様はどこにいるのでしょうか。
神の名は何と言うのでしょうか。
エホバですか、それともアラーですか。

肉体を浄化しようとする時、短期間に徹底的にやろうとすれば断食すること
になります。
断食すると、どうなるでしょう?
これまで体内に溜まっていた毒素が一斉に吹き出します。
それは好転反応と呼ばれ、一定期間続きます。
その間は頭痛や吐き気や吹き出物など、とても苦しいものです。
でも、それが終わると、ウソのようにスッキリします。
溜まっていた毒素が出てしまったのです。

精神を浄化しようとすると、静かに瞑想することになります。
自分自身を見つめていると、これまで溜め込んだ恨みや憎しみや怒りや恐れ
などが大津波のように襲ってきます。
あまりの恐ろしさに直視できないくらいです。
でも、目を逸らせば精神が浄化されることはありません。
苦しくても見つめ続けるしかないのです。
それら溜まりに溜まっていたものが解放される時、精神は本来の空っぽに
なります。
青空のように意識が透き通るのです。

肉体も精神も短期間に浄化するには、それなりの苦痛が伴います。
溜め込んでいたものが多ければ多いほど、それは激しくなります。
自分が執着していたものを手放すのは、そう簡単ではありません。
今の自分を正直に見つめてみれば明白です。
個人にとっても心身を浄化して新しく生まれ変わるのは大変なことです。
まして人類となると・・・

そんな苦しみを見ないで、楽に解放されたい?
どうやったらそんなことができるのでしょうか。
もしそういう方法があったら教えてください。
もしあるのなら、みんながそうするでしょう。
でも、現状ではそんな夢のような方法は聞いたことがありません。
地道に一歩一歩やるしかないのです。
自分が播いた種は自分で刈り取るしかありません。
それは誰のせいでもないのだから。
自分がやったことなのだから。

もし、それが何かのせいであったとすれば、自分の人生とは何だった
のでしょう?
何かにいいように操られた人生だったのでしょうか。
その場合、自分の主体性はどこにあるのでしょうか。
もし自分の人生が何かの結果であれば、自分の人生が変わるのも
何かに依存しなければなりません。
じっと自分の人生が変わるのを待つしかないのです。
そんな非主体的な生き方を、あなたは望みますか。
そうであれば、千年待つしかないでしょう。
待っても救われるという保証はありませんが・・・

今の世界の現状は、人類がこれまでに行ってきたことの結果です。
これまで潜在していたものが吹き出しているだけです。
吹き出さないことには、浄化されないのです。
人類のすべての潜在意識を解放する必要があるのです。
この数千年、いや数万年の間に溜めに溜めてきた怒りや憎しみや恨みや恐れ・・・
それらのものを解放しない限り、人類が救われる道はないのです。

誰も救ってはくれません。
メシアは現れないのです。
一人一人が自分の救い主になるしかないのです。
その時にだけ、これまでの何生にも渡る人生が意味のあるものになります。
誰かに救ってもらったのでは何の意味もありません。
それでは何生にも渡る人生で何も学習しなかったということです。
ただ運命に翻弄される人生を生きてきたというだけです。
これまでの人生を総括し、学び、気づき、真の生き方を始める時です。
それがプログラムというものです。
あなたが望んだ人生プラン。
人類が望んだ地球でのプランなのです。

別に悲惨な現実をどうしても目にしなければならないということではありません。
でも、今の人類が目覚めるためには、他に道は見当たらないということです。
先のことはわかりませんが、その可能性が高いということです。
もっと平和的に移行できれば言うことはありません。
みんなが自己の本質に気づき、真の平和を希求すれば世界は変わるでしょう。
でも、はたして大多数の人がそのようになるでしょうか。
あなたはどう思いますか。

ハイアーセルフや守護霊は、時として愛する人を病気にさせたり交通事故に
遭わせたりします。
なぜでしょう?
愛するわが子が憎い人はいません。
でも、可愛い子には旅をさせろと言います。
病気になり交通事故に遭うことによって、気づいてほしいのです。
忘れている本来の自分自身に。
今生生まれてきた目的に。
本来の生き方に。
そのための方便なのです。

苦しみは喜びに至るための試練です。
その試練を超えて、人は真の喜びを体験するのです。
苦しみは苦しみのためにあるのではなく、更に深い喜びのためにあります。
だからこそ、苦しみを苦しみのままに終わらせてはいけないのです。
苦しみは苦しみを超えるためにのみ存在します。
苦しみを超えて真の喜びを体験するために、苦しみはこの世にあるのです。
それこそが深い深い愛なのです。
ただ黙って見守っている無上の愛なのです。

可愛い我が子が苦しむのを何もしないで見守る気持ちがわかりますか。
そこで手を出せば、子供は成長できないのです。
子供が自分で苦しみの原因を理解し、その苦しみの連鎖を断ち切る必要が
あるのです。
苦しみという現象だけに囚われないでください。
その奥にあるものを感じてください。
病気は病気のためにあるのでしょうか。
病気は人を苦しめるためにあるのでしょうか。
それとも、病気を通して健康のありがたさや、人の優しさをわかるために
あるのでしょうか。
病気という現象だけを見ないでください。
その奥にあるものを感じ取ってください。
病気の真の意味を理解してください。
人の真の生き方に気づいてください。

人は自らの真実に気づくために、自ら更に光り輝くために、この地球に
やって来ました。
苦しみを乗り超え、すばらしい世界を築くためにやって来たのです。
ただ苦しむためではありません。
苦しみを乗り超えることにこそ意味があるのです。
そして、今まさに人類はその時を迎えようとしています。
長い永い間待ちに待ったその時を。
何生も何生もかけて準備してきたその時を。
それが今なのです。

早く気づいてください。
自分自身の真実に。
外に求めないで、自分自身に求めてください。
あなたの中にすべてがあるのです。
この宇宙の始まりから終わりまで。
それがあなたという存在です。
あなたは宇宙であり、愛であり、光です。
あなたこそが真実です。
他に真実はないのです。
人は自分の中にすべてを持っているのです。
誰かに依存しないで、外に求めないで、自分自身にすべてを求めてください。
あなたの中に、すべてのすべてがあるのですから・・・



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無限への旅立ち
2011-02-20 Sun 03:37
                            『もののけ姫の森に射す木漏れ日』
もののけ姫の森に射す木漏れ日ー16-j_11
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『無限への旅立ち』

いま流行の低反発マットや低反発枕。
あれを思いっきり握り締める。
握られた部分はとても小さくなる。
それを一気に離す。
そうすると、超ゆっくり元のサイズに戻る。

意識もそれと同じだろうか。
人間サイズに圧縮されたものを、その枠を外してやると、自然に本来の
サイズに戻ろうとする。
悟りたい、宇宙と一体の体験をしたいと思う。
でも、人間的意識で思えば、まずできない。
その人間的意識を外すことなのだ。
そうすれば、自然に元のサイズに戻る。

石は硬い。
エネルギーが凝縮されている。
だから固定している。
でも、自由ではない。
波動は遅い。

人間の意識は肉体の中に閉じ込められている。
そのために、とても硬くなっている。
波動も肉体と同調して、とても遅くなっている。
意識の凝縮バージョンが人間。
人は神の子。
神が小さな肉体に圧縮されているのだ。
圧縮されて石のように硬くなっている。
それが人間の意識というもの。

それを低反発マットを手放すように、手放してみる。
人間の枠を手放してみる。
そうすると、どうなるだろうか。
神に還るだろうか。
本来が神の子であれば、神に還るはずだ。

三次元と五次元の違い。
波動の早さと意識の圧縮度。
もちろん、五次元の方が波動は早い。
五次元の方が意識はゆるやかだ。
自由にクリエイトできる。
三次元のような物質的・固定的制限はない。

三次元・物質世界の枠を取り払う。
この世的意識の枠を撤廃する。
そうすると、どうなるだろうか。
意識が変わる。
三次元的・人間的意識ではなくなる。
これまでの意識が、まるで地を這うアリの意識のように思える。
これまでのスピードが、まるでアリの歩みのように感じられる。

意識は変わる。
意識は本来自由。
自由だから、肉体に閉じ込められれば自分を肉体だと思い込む。
肉体と共に成長すれば、肉体の限界が自分の限界だと信じ込んでしまう。
意識はどうにでもなる。
硬くもなれば、柔らかくもなる。
早くもなれば、遅くもなる。
どちらにも、どのようにもフレキシブルだ。

肉体にいながら、肉体の制限を超えることもできる。
肉体人間でありながら、肉体人間を超えることもできる。
意識は自由だ。
意識に制限はない。
あるのは、意識が自分で設けた制限だけ。
自分で自分の枠組みを創っているだけ。
自作自演以外の何ものでもない。

環境に応じた意識を創ってきた。
ただそれだけのこと。
環境適応?
地球バージョン?
今の時代の、今の地球の意識になっているだけ。

この意識の自己制限が外れる時が近づいている。
無意識のうちに創ってきた意識の枠に気づき、それらを手放す時はそう
遠くはない。
三次元・地球的な意識から、多次元・宇宙的な意識へ変わる。
それには、ただ自分で創った枠を外せばいいだけ。
何もテクニックや修行はいらない。
難しいことは何もない。
これまでの過去を手放す。
自己限定を取り払う。
ただそれだけのこと。

自己限定を手放せば手放すほど、自由になる。
本来は何の制限もない。
まったくない。
ないところに自分でいろいろ制限を設けたのだ。
制限のあるゲームを楽しみたかったのだろうか。
個としての人生を体験してみたかったのだろうか。
独立した肉体と、独立した意識を経験してみたかったのだろうか。

三次元は最も個の意識が強い世界。
だんだん次元が上がるにつれて、意識は集合意識化していく。
小さく凝り固まった意識から、大きく開かれた意識へ。
個の意識から集合的な意識へ変わっていく。
そして、最終的には「ひとつ」の意識へ還る。

大きな同心円をイメージしてほしい。
一番外側の円のその外側、つまり円の外が神の領域。
「ひとつ」の領域。
そして、一番真ん中の小さな円が、人間=個人の領域。
神の意識が凝縮された部分。
「ひとつ」が「一つ」になったところ。

元々は円の外側の「ひとつ」の領域から、だんだんと小さな波紋ができた。
でも、今は逆に一番真ん中の小さな円から外側へ波紋が広がろうとしている。
それを人間的表現で言うと、「成長」ということになる。
「神へ還る道」とも言う。
でも、元々は「ひとつ」の意識があっただけ。
「ひとつ」の意識から、すべてができただけ。

同心円のサイズによって波動が異なる。
外側へ行けば行くほど波動は早い。
しなやかで、自由だ。
即座に変化する。
内側へ近づけば近づくほど、波動は遅くなる。
変化は遅くなり、すべてが固定的に見える。

すべては変化している。
宇宙の森羅万象はすべて変化している。
ただ、そのスピードがそれぞれ異なる。
異なる世界が次元というもの。
波動のスピードの違い。
そして、意識の広がりの違い。
集中しているか拡散しているか。
自由か不自由か。
ゆるやかか、ぎこちないか。
いかようにも宇宙は存在する。

人間は神の意識が集中固定化したもの。
極めて遅い波動領域で、個を楽しむところ。
体験し、味わい、楽しめばいい。
そして、十分に経験したら、次のステップへ行けばいい。
ただそれだけなのだ。

人は可能性の卵。
無限の無限の可能性の固まり。
すばらしい、すばらしい、すばらしい・・・
何百回、何千回言っても、やっぱり、すばらしい!

ただ、それに気づけばいいだけ。
気づけば、道は開ける。
高いお金を払ってセミナーに出たり、苦労して修行したりすることもない。
もちろん、そうしたければ、してもいい。
どちらでもいい。
自分が気づきやすい方でいい。
結局は、気づくかどうかだけなのだから。

気づけば終わり。
終わりは始まり。
無限への旅立ち。
         


    ☆ぴあのより私信
    メールフォームにメッセージをくださいましたJさま、ご案内
    ありがとうございました。
    お礼のメールを差し上げましたが不達で戻ってまいりました。
    この場を借りまして感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。


      
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光とともに
2011-01-22 Sat 08:45
                                           『光の放射』
光の放射ー24-feb_08_11
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  『天と地を ハートで繋ぎ 調和させ 光と共に この世を生きる』


  冷静は地、霊性は天。

  しっかりグランディングして、スピリチュアルに生きる。
  片方だけに偏らない。
  天と地の調和、バランス。
  ハートで繋ぎ、調和のなかを生きる。       

          
      
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明けましておめでとうございます
2011-01-02 Sun 03:05
                                           『光の放射』
光の放射ー16-oct_07_10
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   『今という 時代に生まれし 魂よ 光のなかで 光を生きよ』


    新年、明けましておめでとうございます。
    昨年中は、『いのちの島=屋久島』をご愛読くださり、ありがとうござい
    ました。
    本年も、このブログからのメッセージが、読まれる方の意識の深くに
    光とともに届けられましたら、幸いに存じます。
    2011年が皆様にとってより一層内なる光の輝く年となりますように。
                                   ぴあの


 
     
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真実
2010-12-23 Thu 01:19
                                    『永田いなか浜の夕陽』
永田いなか浜の夕陽ーlight-39_10
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『見極めて 見極めきれば 自(おの)ずから 行くべき道が 明らかとなる』


『真実』       
 
何にも依存せず、地道に見守り、見極めることでしょうか。
自分自身を見守り、事態を見極める。
すべての人を見守り、すべての推移を見極める。
すべての存在を見守り、真実を見極める。

そのようなスタンスで生きる時、宇宙はその神秘を開示するでしょう。
自分自身の真実が、自(おの)ずと明らかになるでしょう。
真実は、自分自身の裡(うち)にあります。
自分自身が、真実そのものです。


      
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瞑想入門
2010-10-18 Mon 10:44
                                           『木漏れ日』
木漏れ日ー14-nov_10
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『瞑想入門』       

昨日のコメント欄で、瞑想の入門コースのリクエストがあった。
瞑想について、基本的なことを書いてみる。

そもそも瞑想とは何だろう?
瞑想というと、座禅を思い浮かべる人も多いだろう。
最近はスポーツ選手のメンタルトレーニングでも瞑想とかを用いる。
瞑想にもいろいろあるのだろうか・・・

自分自身の中に、宇宙の始まりも終わりもある。
自分自身の中に、すべてのすべてがある。
愛も光もいのちも、自分自身の中に満ちている。
宇宙の本質が自分自身の中にある。
そのことを真にわかるための方法が瞑想なのかもしれない。

つまり、瞑想とは、自分自身を深くわかること。
深く、深く、自分の本質を実感すること。
それが瞑想ということではないだろうか。

自分自身を深くわかるには、自分自身と一緒にいなければならない。
自分自身を深く、深く感じていかなければならない。
そのプロセスが瞑想とも言える。

それは自分自身とひとつになる道。
真の自分自身へ還る道。
真の自分を自覚する道。

瞑想は難しくはない。
ただ自分自身と一緒にいればいいだけ。
深く、深く一緒にいればいいだけ。
自分の中に深く入り、自分自身を体験する。
自分の奥の奥は、宇宙に繋がっている。
そこは自他の分離のない世界。
無限の無限の世界。

瞑想のための方法は、たくさんある。
ヨガ、仏教、道教、他の宗教にもある。
オーソドックスなもの以外でも、瞑想法の本はたくさん出ている。
しかし、基本を間違えないことだろうか。

超能力や神秘体験をめざす瞑想は、自我を強化してしまう。
瞑想は、自我からの自由を意味するとは限らない。
最初の目的を間違えれば、深い闇の世界に入り込むこともあり得る。
最初の一歩が、最後の一歩。
自分自身を深く深くわかるというベースを忘れないことだろうか。

ロウソクの炎を見つめたり、呼吸に意識を集中したり、マントラを唱えたり、
イメージを思い浮かべたり、音楽に集中したり・・・
瞑想のためのメソッドはたくさんある。
しかし、メソッドを実行すると、テクニックに気を取られ、瞑想そのものが
表面的なもので終わりやすい。
意識が外に向くので、深く内面に入れなくなる可能性が高い。

足を組むとか目を半眼にするとか、形式に囚われると目的を忘れてしまう。
背骨が真っ直ぐであれば、後のことは自由でいい。
静かに目をつぶって自分自身と一緒にいる。
但し、途中で誰かが邪魔することのないように、事前に話しておく必要がある。

静かなところで、一人座る。
座布団でもイスでもかまわない。
自分自身と一緒にいる。
自分の中から、いろんな思いが浮かんでくる。
それを静かに見守る。

一切、判断も解釈もしない。
ただ出て来るものを静かに見守る。
見守ること以外は何もしない。
それが瞑想。

最初は、5~10分ぐらいから始めればいい。
長ければいいというものでもない。
気がついたら眠っていたということもあるかもしれない。
眠り込むほど長くやらないことだろうか。
短めに背骨を延ばして座ればいい。

無念無想になるということは、当分期待しない方がいい。
普通は、表面意識が静かになれば、潜在意識の中に溜まっていたものが
どんどん出てくる。
それは果てしないほど出て来る。
しばらくは、それを見守るしかない。
それが何年続くか、何十年か何生か、なんとも言えない。
それは個人差があるので、短くて済む人もあるかもしれない。
今生は出続ける人もあるかもしれない。
やってみなければわからない。

何も保証のない世界。
一人一人の人生が異なるように、潜在意識の中にあるものも異なる。
その量も質も異なる。
それは自分自身で確かめるしかない。

いずれにしても、静かに自分自身と一緒にいる。
そうすることによって、これまで溜め込んでいたものが解放される。
解放されるにつれて、普通は楽になる。
しかし、出て来るものに囚われれば、苦しくなることもある。
そこで瞑想をやめてしまえば、苦しみが続くことになる。

パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
箱を開けるまでは、なんとか誤魔化して生きていくことができた。
でも、パンドラの箱の中身を見てしまうと、恐怖に襲われる。
瞑想を始めるなら、自分の中にあるものを洗いざらい直視し、すべてクリアー
にするくらいの覚悟はいるかもしれない。
その覚悟がないのなら、最初からやらない方がいい。
やらなくても、日常生活の中で、いやでも出て来るから・・・

瞑想というのは、座ってやるだけのものでもない。
日常生活も、基本的に瞑想と変わらない。
いろいろな状況(縁)にふれ、潜在意識に溜まっていたものが反応として出て来る。
瞑想しようとしまいと、出て来ることに違いはない。
出てきた時に、反応に呑み込まれて更に潜在意識の蓄積物を増やすか、
それとも、その反応を見切って、囚われから解放されるか。
それは基本的に瞑想と変わらない。

日常生活でも出てくる反応を、瞑想の中でも出しているだけのこと。
瞑想の中で出していけば、それだけ日常生活のトラブルが防げる。
瞑想の中で潜在意識が解放されれば、日常生活は楽になる。
瞑想中の見守る意識は日常生活でも持続するようになる。
やがて、常住坐臥が瞑想となる。

何も難しいことはない。
気張ってやることもない。
瞑想とは、リラックス。
緊張の逆。
頑張ろうとすれば緊張する。
楽にやることだ。

自分と一緒にいて、どんどんリラックスしていく。
自分自身をどんどんゆるめていく。
静かに見守りながら。
ただただ自分自身と一緒にいる。
ゆっくり背中や後頭部の方から自分を見守る感じ。
意識を背後の方へ持っていく。

最初から長くやることはない。
短めで持続する方がいい。
だんだんやり方がわかってくる。
決められた時間帯というものもない。
静かな時間であれば何時でもいい。
ただ時間帯によって感じるものは違ってくる。
時間帯のエネルギーというものがあるから、自分で注意してみるといいだろう。

以上だけれども、基本は自分自身と一緒にいるということ。
それは瞑想中も日常生活も変わらない。
静かに自分自身を見守っている。
それが大原則。

ゆっくり、楽にやればいい。
瞑想は集中ではない。
集中は緊張。
緊張していては、潜在意識はほぐれない。
潜在意識がほぐれなければ、その奥にあるものは出て来ない。
背骨を真っ直ぐにして、後は楽に自分自身を見守っていればいい。

ゆっくり、楽にというのも、日常生活と異ならない。
瞑想と日常生活というのは別々のものではない。
基本的に違わない。
生きるスタンス。
静かに自分自身を見守りながら生きる。
それが次の時代の生き方。

自我オンリーの生き方から、”個であり全体であり”という生き方へシフトする
ためのスタンス。
まず自分自身を見守る。
自分自身を見守ることによって、意識のポイントが自我から見守る方へシフト
していく。

瞑想も日常生活も同じ。
見守ることによって自我を超えていく。
瞑想は、それを集中的にやるだけのこと。
日常生活でも必要なこと。
両方やれば相乗効果がある。
より早く潜在意識が浄化される。
それは、人生を楽に生きれるということを意味する。

生きるスタンス=見守りスタンス。
瞑想も日常生活も変わらない。
見守り続けていくしかない。
その先に真実の自分自身が待っている。


『瞑想も 日々の暮らしも 変わらない 自分自身を やさしく見守る』

『難しい ことはいらない 瞑想は 自分自身と 一緒にいるだけ』

『瞑想は 溜まりに溜まった チリ・ホコリ 見極めながら 掃除する道』

『真実を 探し求めて 瞑想は 自分自身の 中へ分け入る』

『真実は 自分の外に ありはせぬ 自分自身の 中にこそある』

『瞑想は 自分自身の 闇を超え 闇の彼方の 光に出会う』

『瞑想は 自分の中へ 分け入って 自分を超えて 広がりゆく道』

『瞑想は 自分の中に 真実も 愛もいのちも あると知ること』
               
              >>日記 無色透明 『478日目 - 瞑想入門』 より

      
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祈り
2010-09-23 Thu 01:59
                                              『満月』
満月ーmoon-05_10
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『祈り』       

昨日のコメント欄に「祈り」について次のような書き込みがあった。

「私は祈りをしますが、周りの人、出会った人、キリがないですよね。
そう、先祖供養と一緒な感じです。
おまけに、なんて祈っていいかわからなくなる。
病気が治るように?とか、いい方向へ行くように?とか、幸せになります
ようにとか、勝手ですよね?
私自身が、その方が幸せではないとか、病気が悲しいとかの判断をして
メッセージを送っている気分になります。
これって、本当の祈りなのでしょうか。
私の外に出すと、なぜか自我になってしまいます。
私自身が『祈り』になればよいのかな?
でも祈りの本当の意味がまだわかりません。

祈りって、外に出してしまうと、叶わないと思う気持ちもうまれます~。
『まだ祈りがたりない』と、欠乏しているように感じる。
祈りに操られている。
日記の偶像崇拝と一緒のような気がします。
外に祈るより、この前のホームワークみたいに、イメージ現実化やった方が
よいかもですか?

私は、昔は祈りを馬鹿にしてましたが、病気になって周りの悲惨(と決め込ん
でしまった)人達を見て祈りが復活しました。
でも、途中で、不幸な人に祈るなんて嫌じゃ~!!とキレてしまいました。
『誰が不幸って決めてるんじゃ、ご飯が食べれなければ?事故が重なれば?
病気が重なれば?だまされ続ければ不幸?』
そう、不幸って決めていたのは私だったです。
自我を満たす祈りをしていた気がします。

祈りという言葉さえいらなくなる、祈る主体がなくなるなんて!
全てを抱き参らせている時でしょうか?

愛の中のエネルギーのひとつなのかなあ?
愛っていうのは、自分がどのエネルギーが相手に必要っかなあって判断しない
時、自然に流れていくものなのかなあ。
私が今までやってきたことは、小さい愛だったのかな。
相手が苦しそうだから、励まそう、悲しそうだから同調しようとしていた私。
おまけに、その人をそんな苦しめた相手をひどいって言ったりして。
判断の先に出たエネルギーで包もうとしてましたが。
それを越えた愛、その愛の種類でしょうか。
愛が溢れるようになる自分に出会えば、わかってくるかな。
まだ出し惜しみしてるのかな。
自我様の砦で。」

祈りとは何だろう?
人はどんな時に祈るのだろうか。
自分ではどうにもならない時?
何かの助けがほしい時?
なんとかしてほしい時?

子供が病気の時?
悲惨な現実を目の当たりにした時?
死が避けられない時?
苦しみが増す時?
心理的に耐えられない時?

現状をなんとか変えたい時に、人は祈るのだろうか。
現状を認められない時に、人は祈るのだろうか。
現状を見るに耐えないので、人は祈るのだろうか。
現実逃避?

人は何に対して祈るのだろうか。
神に祈る?
どんな神に?
自分が信じる神に?
仏に祈る?
どんな仏に?
御利益のありそうな仏に?
天使に祈る?
守護霊に祈る?
御先祖様に祈る?
祈りがかなえば、感謝する?
お礼参りする?
かなわなかったら?
もう信じない?
神も仏もない?

必死の祈りが実現したという話は、たまに聞く。
自分の命と引き替えに子供の命をお守りくださいという母の必死の祈りは、
聞き届けられることもある。
しかし、いつも聞き届けられるとは限らない。
子供が自ら死を選べば、母親の願いは虚しく消えるしかない。
子供にとっては、それで十分。
母親も子供を亡くした体験を今生ではすると潜在意識で決めている場合もある。
悲惨な現実が、必ずしも悪いということではない。
必要があって、そのような現実を引き起こしている場合もある。

交通事故によって、これまでの生き方を見直す機会に恵まれる。
重病になって、生きていることのすばらしさに目覚める。
障害児が生まれることによって、何が大切なのかに気づく。
一般的に悪いと思われていることが、必ずしも悪いわけではない。
現象の利害得失だけでは推し量れないものがある。

「人生万事塞翁が馬」という諺もある。
何が吉となるかわからない。
表面の浅はかな気持で判断すると、大きな過ちを犯すこともあり得る。

ただ事実と共に留まる。
事実と一緒にいる。
事実を直視する。
事実から逃げない。
事実と居切る。

相手は苦しいだろう。
早く楽になってほしい。
楽にしてくださいと祈る。
それも悪くはない。
でも、もう少し深く相手と一緒にいることはできないだろうか。
どうしてこんなに苦しんでいるのか。
もっと深く感じることはできないだろうか。
相手と一緒に居切ることによって、相手の状態を更に深く感じることはできない
だろうか。

本当に相手と一緒に居切れたら、相手の状態が手に取るようにわかる。
それと同時に、こちらから相手へエネルギーが流れる。
何もしなくても、一緒にいるだけでエネルギーが流れる。
祈るまでもなく・・・

祈りには、願いがある。
その願いはどこから来るのだろう?
自分の願望?
愛?

愛自体には方向性はない。
相手と一緒にいれば、自然に相手に流れる。
何もしなくても相手と一緒にいることによって、愛の方向性が決まる。
愛のエネルギーは癒し。
無条件の癒し。
何の願望もない。
自我の入る余地はない。
ただ純粋な愛が流れるだけ。

本当に深く人と居切れるだろうか。
自分の思いの混じらない純粋な愛が流れるほど、相手と一緒に居切れるだろうか。
目の前の現象に目を背(そむ)けないで、その現象と共に居切れるだろうか。
目の前の事実から逃げないで、事実と共に居切れるだろうか。
どんな悲惨な現実でも、どんな苦しい状況でも、それらと共に居切ることができるだ
ろうか。

安易な祈りに逃げないで、事実と共に居切る。
それができるだろうか。
できれば、人生が変わるかもしれない。
思いの次元から自由になれるかもしれない。

思いを超え、ただ静かに一緒にいる。
深い深い静けさの中で、共にある。
その時、思いを超えた次元から別のエネルギーが届く。
その時、必要であれば必要な変化が起きる。
自我の判断を超えた変化が・・・

自我で判断し、祈る。
一歩間違うと、欲望の祈りとなる危険を孕(はら)んでいる。
もし祈るのならば、自分自身をよーく見つめながら祈るといい。
それが意識のどのレベルから来ている祈りか・・・
自我ではないという思い込みに注意しながら・・・

できるだけ相手を尊重する。
相手の存在を、そのまま尊重する。
自分の希望を押しつけない。
自分の祈りを押しつけない。
相手の生き方を尊重する。

ただ相手と一緒にいる。
ただ事態と一緒にいる。
その時、どれだけ深く一緒にいられるかが問われる。
どれだけ意識の深いレベルで一緒にいられるか。
意識のどの次元で生きているか。
日々の生き方が問われる。

思いを超えた次元で、ただ一緒にいる。
いかなる思いもなく、ただ一緒にいる。
共に苦しみ、共に泣く。
ただ涙がこぼれる。
苦しんではいない。
泣いてもいない。
ただ涙がこぼれるだけ。

色の世界の苦しみや悲しみと共にいる。
空の世界の、それらを超えた次元と共にいる。
共に苦しみ、共に悲しみ、それらを見守る。
苦しみや悲しみの心は伝わる。
それは涙となって頬を伝う。
それでも静かに見守る。
ただ見守る。
思いを超えて見守る。


『人類の 非苦の事実を 逃げないで 思いの次元 超えて見守る』

『現象に 囚われないで その奥の 深い意識を 静かに見守る』

『必要な 変化はすべて 本人が 自分で決める 応援するだけ』

『縁のある 一人一人の 生き方を ただただ静かに 黙って見守る』
               
                   >>日記 無色透明 『437日目 - 祈り』 より

      
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カルマ
2010-05-28 Fri 13:43
                                              『満月』
満月ーmoon-05
  写真をクリックすると、1024サイズの大きな画像でご覧になれます。
  ぜひ大きな画像でご覧ください。↑click
 


『カルマ』     

カルマと呼ばれるものがある。
サンスクリット語のkarmanの訳で、日本語では業。
本来は、行為という意味だけど、その行為の結果をも含めて、
因果応報のような感じで受け止められている。
善因楽果、悪因苦果。

縁起とは、因縁生起の略。
原因は、縁と出会って、結果を生じるということ。
すべからくこの世は、そのような構造になっている。
ただ、それが複雑化しているだけ。

カルマと言い縁起と言っても、色の世界の出来事。
空の世界には存在しない。
原因・結果、作用・反作用は、色の世界の根本構造。
だから、色の世界にある限り、その法則から外れることはできない。

では、私達はカルマから永遠に逃れられないのか?
色の世界においては、イエス。
では、私達は未来永劫救われることはないのか?
ノー。
では、カルマが消えるまでは救われないということ?
ノー。
でも、すごーく時間がかかるのでは?
ノー。

カルマと言い業と呼んで恐れるのは、たいていネガティブな因果のことを
指している場合が多い。
悪因苦果。
善因楽果の場合は問題はない。
それらのものは避けられないのだろうか?
ある意味避けられないだろう。
それはこの世の法則だから。
では、やはり救いようがないではないか?
そうだろうか?
原因があれば、何かを縁として結果が出てくる。
それは現時点では避けられない。
では、やはり救われないのでは?
そうだろうか?
救われないというのは、どういう意味だろうか?
そういうネガティブな結果を避けたいということだろうか?
ネガティブな現実が起きなければ救われるということだろうか?
そういうネガティブな目に遭いたくないということだろうか?
そういう意味では救われないかもしれない。
事実は起きてくるだろう。
それは避けることはできないだろう。
そういう意味では救われない。

やはり救われないではないか?
そうだろうか?
事実が起きてきた時に、それを事実として受け止め、すぐに手離す。
ただそれだけ。
ネガティブなこととして受け止めない。
ただ事実として受け止め、すぐに手離す。
何が問題だろうか?
何も問題はない。

感情的な好き・嫌い、良い・悪い、善悪、正邪、聖俗、美醜・・・
そういう価値判断をくっつけなければ、ただの事実があるだけ。
事実に問題はない。
事実を問題とする心の方が問題なだけだ。
好き・嫌いに関わらず、ただの事実だ。
事実に優劣はない。

色の世界は無常。
カルマは次々に結果となって現れてくる。
それらのものに囚われなければいいだけだ。
現れたら消える。
消えるものを、わざわざ掴むことはない。
ネガティブに掴むから、またそれがネガティブなカルマとなって永劫に
輪廻するだけだ。
掴まない、囚われない。
ただ見守り、流れるままにする。
豊かな色の世界を、ただ楽しむ。

見守っている意識は、色の世界のものではない。
ただ静かに見守っている意識は、空の世界のものだ。
空の世界にいて、色の世界を楽しむ。
心は空の世界にあって、体は色の世界を生きる。
空にあって、色を愛でる。
空の世界は、静の世界。
色の世界は、動の世界。

意識が空の世界にあれば、色の世界に囚われることもない。
瞬間瞬間の色の世界を楽しめばいいだけだ。
意識まで色の世界にあれば、混乱するだろう。
因果のカルマの世界に飲み込まれ、自分を見失うだろう。

静かに見守っていること。
あらゆる現象を、静かに見守っていること。
外の世界に囚われないで、心静かに見守っていること。
目に映るものは無常の世界、カルマの世界。
縁起の鎖の果てることのない世界。
その鎖に絡め取られることのないように、事実を見極めよう。
ただ事実と共に生きよう。
事実にまつわる価値判断を手離そう。
事実にまとわりつく感情を脇に置こう。
ただ事実と共に生き、それを静かに見守ることができる時、
カルマの鎖から自由になることができる。
それには時間はかからない。
即、できる。

常に白紙でいればいいだけ。
それが本来の姿。
頭の中をいつも何かが去来する方が不自然な姿。
記憶をいっぱい掴んでいるということ。
囚われ、拘り、執着・・・
そういうものがなければ、いつもスッキリ空っぽ。
その状態は、もうカルマの支配下にはない。
体は色の世界にあって、心は空の世界にある。
それには時間はかからない。

出てくるカルマを、ただながめていればいいだけ。
本来、ネガティブなカルマもポジティブなカルマもない。
ただのカルマ。
行為の結果にすぎない。

やがて、ネガティブなカルマは消える。
地球がアセンションすれば、ネガティブなカルマは存在することが
できなくなる。
波動が荒いものは五次元には存在できないのだ。
だから、心配はいらない。
でも、地球がアセンションするまで待つ必要もない。
今、即座に、カルマから自由になることができる。
色の世界から自由になればいいだけだ。
移ろいゆく色の世界に囚われなければいいだけだ。
無常に過ぎゆくものを、押しとどめようとするから苦しくなるだけだ。
流れるものは流れるままにしておけば、何も苦しみは生じない。
ただあるがままに存在するだけだ。

色の世界は、動の世界。
空の世界は、静の世界。
静にあって、動をながめる。
静かな心と、動く体。
静かな心と、動く心。
動く体も、動く心も、動く景色も、ながめている静かな心。
動くものに囚われない、静かな心。
日本庭園のような・・・静かな・・・ワビ・サビの世界・・・

元々「ひとつ」から発した宇宙のドラマは、縁起を繰り返し、
無限の色の世界を創り出す。
元々「ひとつ」から発した地球のドラマは、どうなるのだろう?
元々「ひとつ」から発したドラマは、完全に違いない。
完全なものから出たものは、完全に決まっている。
不完全に見えることがあっても、結末は完全に決まっている。
結末が完全であれば、完全に至る途中も完全なのだ。
結末が完全で、途中が不完全ということはない。
途中は、不完全で完全なのだ。
それでパーフェクト。
それでOK。
それが今の地球。
完全に至る途中の不完全の完全。
おわかりいただけるだろうか?
完全から発したドラマは、完全以外にはあり得ない。
ハイ、心配御無用。

瞬間瞬間、すべての現象は現れて消えていく。
ただ、それを静かにながめている。
すぐに消えていくものに囚われない。
すぐになくなるものに縛られない。
流れているものを止めない。
無常のものは無常のままに。
流れるものは流れるままに。
そうすれば、心身共に、何も滞るものはない。

過去世から溜まっていたカルマが縁を得て出てきたら、ただながめている。
再び掴まない。
現象も感情も、ただながめている。
それをネガティブに解釈して、新たなカルマをつくらない。
ただ事実として見守っている。
そうすれば、カルマを恐れることはない。
今、この瞬間、見ている状態はカルマを超越している。
現象や感情に囚われなければ、カルマはないに等しい。
事実を、ただ事実として受け止め、それにもこだわらない。
そうなれば、もうカルマは力を失う。
今、即、自由。
完全な自由。
時間や因果を超えて自由。

片足は色の中、片足は空の中。
それがこの世を生きる生き方。
動の中にあって、静を生きる生き方。
                 
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